このごろの長柄

 平成の置き土産、逗葉新道沿線の変貌は、それこそ、あっという間だった。「葉山」と名のかぶさったビーチサンダル屋とプリン屋と花屋が出店を構えた。消防団が移動した。足湯の施設はとっくにやめて温泉スタンドだけが残った。雑草の生えた空き地が川と道の間に続いている、それだけのところだ。福厳寺の近辺にマンションは建っていたが山際の日陰のような場所だった。
 南郷トンネルが国際村にも衣笠にも通じた。バスもそれまでは中学校に行くだけだったのに佐島行きができて、途中のバス停から逗子駅に出られるようになった。
 沿道に重機が入り病院が次々に開いた。後を追うようにコンビニとレストランとスーパーができた。道の駅ができて高速道路を降りた車を受け止めた。空き地はなくなった。
 それで長柄は住人が帰るところから、他の地域の住人がやって来るところに変わった。
それまでは家の裏側でひっそり静かだった長柄が、突然、道路に面した表側になり、人が行き来する玄関口になった。よくも悪しくも劇的な変化だ。

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