錦秋の愁色風冷たし

  即位パレード 
 
 燕柳まくら
 今年の晩秋は雨ばかりでした。外に出るのが億劫で、こういう時に限って物が動かなくなりますな。時計が止まる、テレビのリモコンが止まる、ガスコンロの火がつかなくなる、みんなやる気がなくなるんでしょうかね。
 仕方なく直そうとしても、この頃は電池で動くものばかりで、その電池も大きいのから小さいの、細長いのとかボタンみたいなのとか大きさも形も様々ですから、こちらを外してあちらに回すというお身代わりができません、よっぽど根性悪の人が作ったんでしょう。お店で買う時も、タンサンください、まるでゲップが出るような名前を言うと、アルカリですかマンガンですか、オキシデンもいいですよ、それこそ薬を買いにきたようです。最近はお日様に照らしているだけで充電できる太陽電池てのが普及しました、これは安上がりですな。晴れた日に洗濯物と一緒に干しておけばいい。
 電池で動く自動車も普及してきました、いずれ、人間も具合の悪い所に電池を入れて動かすようになるのでしょうな。
「お婆さん、日向ぼっこかい」
「いや充電中」
 けれど雨が降っちゃうと動けません。雨の降る日は電池が悪い、なんて言って家に閉じこもっている、これでは今と変わりません。
  
「大嘗宮に行ってきたよ、なんというか」
 中路が無感動で言う。
「映像では伊勢神宮ですね、白木の掘っ立て柱、全部が木材で釘は使わない。縄文・弥生の伝統に回帰する建物でしょう」
 メカ吉川は長らく建築にも関与してきた。
「素人には西部劇で無法者に襲われる開拓小屋のテメージですな、ぎっしり見物人がつまって両陛下のお立ちを待っているようなバーチャル体験をしました。」
「君の観察力も粗雑ね、現場体験はないのかしらね」 
 林姫は厳しい。
「倉庫と調理場の建物は壁がなくてムシロかゴザでした。藁か葦かと宮内庁と腕章をした人に聞きましたが、知らんという返事でした。たぶん新米の藁でしょう。壁に節分のヒイラギのように木の枝がたくさん刺してあ
って、榊かと聞くとスダジイだと教えてくれました。たしかに近くにスダジイの大木がありました」
「それはお手柄ね、見てきたものを人に話すときは独自性がなくてはいけませんよ」
 学校の先生の言いぶりに中路先生閉口する。
「スダジイってなんだ、須田の爺か」
 またしても傍若無人なRR池田だ。
「縄文時代から椎の実を提供してくれた木です。巨木になって根元がガジュマルのように神秘的に分かれて様々な伝説があります」
 野瀬ボンはRR池田よりロマンチストだ。
「だけどすっかり枯れ枝さ、警備員がいなければ記念に持ち帰るね。そんなことより江戸城はすごかった。広大で悠々として、さすが天下様の城だと思った」
「当然さ、諸大名の軍資金を枯渇させるためにできるだけ豪勢に造ったんだからな、もとはといえば秀吉の知恵だがね」 
 JW藤野は家康も秀吉も嫌いらしい。
「家康は粗末な一汁三菜、麦飯を食って節約した、秀吉よりは人格者だ。人間、立って半畳、寝て一畳というぞ、贅沢は敵だ」
 春本行者は粗末だが人格者ではない。
「10月20日が即位の礼、パレードは台風で延期になり11月10日に、両陛下は勤労感謝の日に伊勢神宮外宮から内宮へ即位を報告と多忙でしたね」
 旅のプランナー野瀬ボンは経費も計算している。
「皇后様が堂々と馬アレルギーをカミングアウトして車を使われる、これが現代よ、力づけられた人がたくさんいると思うわ」
 林姫はきっと何人かのクライアントの顔を思い浮かべているのだろう。
「天皇陛下がおられて、ああ日本はすばらしいとつくづく思いやしたよ」
 燕柳兄さんが浮き浮きと言う。
「そうね、これだけ大きな国で1500年、126代にわたって天皇位を継承している国なんか世界にないわね」
 林姫もここは素直だ。
「イギリスは950年、ただし一つの王朝ではない、あとアフリカにも部族の長がいるそうですが比較にはなりません」
 野瀬ボンも誇らしい気持ちがあるようだ。
「それで君らは何がうれしいのさ」
 JW藤野が水をさす。
「決まってらね、我が日本が千代に八千代に弥栄(いやさか)弥栄(いやさか)、わっしょいわっしょい」
 RR池田はお祭り好きだ。
「だけど、またマスコミはとびついたぞ、どのチャンネルもパレードばかりだ。違うのは解説者とインタビュー相手の庶民だけだ。さすがに外国人にはインタビューしなかったな、なんか判断があったんだな」
 RR池田の疑問に野瀬ボンが皮肉な顔で答えた。
「韓国と中国の観光客に天皇陛下万歳と言わせれば反中嫌韓は吹っ飛びましたのにね、まったくマスコミは度胸がありませんね」
「炎上するよ、やらせだと怒る側と、そんなことお前に言われると不愉快だと叫ぶ側とさ、両方から総スカンだろう」
 そう言うJW藤野はどちら側なのだろう。
「たぶん欧米人が言うなら喜ぶでしょう、この問題はとても根が深くなってきました」
 メカ吉川は他人事という様子で言う。
「陛下三代を親しく知っている私めがちょっとお話し申し上げましょう」
「えっ燕柳兄さんはお知り合いなのかい」
 さすがのRR池田も驚いた。
「陛下のご学友のお一人が寄席にお出でになり私の高座を上手いとか不味いとかおっしゃって、それ以来、私は気になってしかたがない、いわば片思いでげす。まあご先祖のことを申し上げればどこかで知り合ったかもしれないという遠い仲でげす」
「昔、エンタツ・アチャコがやった漫才ね、長嶋茂雄と自分が兄弟だって思わせるの」
 林姫がネタばらしをするので燕柳兄さんはタジタジになる。
「いや、それは川上選手です、ああ懐かしい。さて明治の御世に一世一元と決まり時の天皇は元号の名で呼ばれるようになりました。戦後、現人神であられた昭和天皇が人間宣言をし…」
「兄さん、長い話は御免だよ」
 相変わらずRR池田は気が短い。
「昭和天皇、元は現人神、天孫降臨の感が残っているので、アッそう、とおっしゃられて私どもは感涙にむせんだもので」
「それは兄さんが直に言われたのですか」
 JW藤野が斜に構えて言う。
「ご学友の弟の友人の赤の他人が。さて平成の世となり美智子皇后はスターでした。庶民の手が届かない高いところで燦然と輝いている。当時は女優も歌手もスターでした、到底真似できない憧れの存在、空に光る星」
「それが今のアイドルとの違いね。握手もできるし、励ましの言葉もかけられる、自分をじっと見つめてくれる、そんな少年少女たちがアイドルね、友だちにもなれる気がする」
 アイドルだって林姫の職業上の目で見つめられれば不安になるだろう。
「今回なによりも現代を感じたのは、パレードのあと宮内庁の担当に天皇皇后両陛下がおっしゃったという言葉です」
「新聞で読んだよ、国民の皆さんに感謝するというお気持ちだろ、俺も感動したね」
 RR池田はただの読者だ。深読みすれば編集者と宮内庁側はそういうお姿を演出しているのだろう、ただし両陛下のお気持ちを汲んだうえで。
「私燕柳が案ずるに、平成の両陛下は庶民の気持ちを受け止めてくれましたが令和の両陛下は共有してくださいます、うれしい、この違いは大きい、そうではござんせんか」
「ずいぶん真面目なご発言で、噺家らしい洒落はないのですかな」
 いよいよJW藤野が斜に構えた。
「お釈迦様 ありがたかりし 瓜の皮 などと江戸っ子は悪口を申しますが、両陛下には本当にありがたいと思っております」
「今の前半が理解できません、格言ですか」
 メカ吉川が真面目な顔で言う。遅れて入ってきた春本行者が苦笑いしていう。
「お釈迦様は尊いぞ悪口は困る。つまり有難いと蟻がたかると洒落ているのだろ、言葉一つで足許に地獄の門が開きますぞ」
「私もね、こんなのを創ったのよ、ずいぶん前のことよ。渋くても ほしがきになる クリスマス」
 林姫はつまらぬことに多才だ、よほど医院がひまなのだろう。星が木になる、干し柿になる、駄洒落なのだ。
「美智子皇后は平成天皇を心身ともに支えておりました、内助の功と申します。令和天皇は雅子皇后を心身ともに支えて参りました、伴侶ともパートナーとも申します、そこにすばらしい現代を感じます」
 林姫が現代の視点を示すがRR池田はこういう話に興味がない。
「首相と官房長官の乗った車があとからついていったな、マスコミはまるで注目しない、ざまあみろ、見たくもない」
「そうそう、そこでげす。選良を自負する国家中枢の人たちが今しきりに醜態を見せている、庶民はうんざりしております、そこに颯爽と現れた両陛下、尊敬敬愛できるお姿に庶民は心から拍手を送ったのであります」
 燕柳兄さんの発言に拍手が起こった。
「悲憤慷慨、燕柳兄さんはオッペケペとかノンキ節とかもやっていたの」
 林姫が落としたがJW藤野にしか受けなかった。
「学生運動の頃だったらデモに立ち上がるようなご時勢ですよね」
 野瀬ボンが春本行者に返事を求める。
「末世の気分はあるな、はねっかえりが世直しなんて叫びだすぞ、警戒せねばならん」
「だから令和の御世を慶祝するんだ、世界中が他国の政治情勢を警戒の目で見あっている、憎悪というものが拡大している」
 JW藤野が新聞の社説を持ち出す。
「僕たちはトランプの悪口を平気で言いますが、そんなことをアメリカのどこかで言うと袋叩きにあいますよ」
 野瀬ボンは何かの体験があるのだろう。
「どこに人気があるんだ、あの顔はどう見ても悪役だ」
 RR池田は自分の顔を忘れている。
「ポピュリズム」
 林姫とJW藤野が同時に言うのがインテリの気取りだ。JW藤野がゆずりうけた。
「レクチュアしてやる、デモクラシーとポピュリズムは違う、現在はワールドワイドでポピュリストが出現している」
「横文字は嫌だ、わしは日本語が好きじゃ」
 春本行者とJW藤野がコンニャク問答を始めた。
「真の国民を支持者にする政治家」
「結構なことではないか、わしも真の日本人じゃ、真の政治家に期待しておる」
「真の国民は真の政治家を支持する。だから真の政治家に反対する者は真の国民ではない。ゆえにそれを相手にする必要などない」
「ムム、では民主主義とはなんじゃ」
「多様な人々が多様な考えを持ち、たくさんの間違いをおかして試行錯誤しながら進んでいく。つまり真の国民など存在しない」
「ムム、ではわしは何じゃ」
「多様な国民の一人」
「なるほど春本の負けだ。俺もお前と同じなどと言われたら腹を立てる。お前がいて俺もいる、人は平等、そうでなければ独裁だ」
 RR池田が珍しく明晰な意見を言った。
「つい70数年前がそうだったのよ。真の日本人になれと強要されたのは日本人ばかりでなく、台湾人も朝鮮人も沖縄の人も皇民教育をされたの。創氏改名なんて名前まで変えさせてね」
「安全のためには均質性と強固な構造性が重要です。国もそうじゃないかな」
 メカ吉川が妙なことをつぶやくが林姫は一蹴する。
「自由こそ人間性の基本です。誰も機械の部品にはなりません」
「それでアメリカはどうなった」
 RR池田が興味を持って野瀬ボンに聞く。
「当然、真のアメリカ人でないのは非白人です。しかし、今は白人インテリも反対側に置かれました。なぜならトランプを支持しないからです。以前はWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)が真のアメリカ人でした。ポピュリズムの政治家は選挙に勝つためにはお構いなし、伝統的なエリートなどは相手にしません」
「それではヒットラーと同じじゃな」
 さすがの春本行者も気づいたようだ。
「そうではありません、アメリカでは選挙に負ければただの人に戻ります。そして新しい人が新しい政策を立てます」
「また似たヤツが出てきたらどうする」
「民主主義で育った国民なら叩くでしょう。しかし、そうでない国が世界にはたくさんあり、ポピュリズムの危機は続くでしょう」
 野瀬ボンは自分の言葉に酔っている。
「トランプさんの弱点というのはなんでげすかね、足腰は強そうだし」
 燕柳兄さんはケンカをする気でいる。JW藤野がおもしろがった。
「お山の大将、自分だけが目立ちたい、だから実力のある部下を排除する、やがて裸の大将になる、それでもツィッターで自分を誇る。小さな子どもが現れて真実を言う、やっと支持者も気がつく、そんなこってしょう」
「いやいやなるほど、清水金一と藤山寛美を思い出しました。一世を風びしましたが良い脇役をどんどん切ってしまうので芝居がつまらなくなった。そこへいくと森繁久弥は偉かった、のり平とか山茶花究とかの芸達者に脇をやらせて自分がおいしいところをつまみ食いする、だから人気者でいられたんだ」
 燕柳兄さんの話は素人には分からない。
「話題を変えませんか、こんなカフェで世界を論じると天罰をこうむりますよ」
 訳の分からんことを言って煙に巻くのが中路の得意技だ。
「今、欧米ではディープフェイクスという危機が流行りはじめました」
 野瀬ボンは世界のニュースをウォッチしている、昔は職業上の必要から、今は単なる習慣病として。
「フェイクニュースはトランプ大好きの言葉だがそれにディープがつくのか」
 JW藤野も職業上の習慣が抜けない。
「ええ、いろいろな表情の写真を送るとすぐに映像の顔を描き換えてくれるサービスです。何千円くらいの料金です。中国の業者なら何百円です」
「そんなもの何に使うんだ」
 RR池田には見当がつかない。
「大方はポルノです。好きな女優でも好きな友だちでも、もちろん奥さんの顔でも描き換えてくれます」
「悪趣味ね」
 これは林姫としては当然の対応だ。
「それが犯罪にも使われます」
「リベンジポルノね」
「どういうことだ」
 がぜんRR池田は張り切る。
「女性に振られた男が仕返しにポルノを流すのよ。幸せな顔を一瞬に悪夢にするの」
「これは会社でも危ないな」
 JW藤野は勘がいい。
「今はどこでもTV会議だ。ニューヨークと東京と北京のスタッフが顔を見ながら会議するのも当たり前になっている。犯罪の匂いがするぞ」
 野瀬ボンが得意そうに続ける。
「その通りです、どこかの社長がディープフェイクスにひっかかり、画面の取引先社長の贋顔にだまされて数千万円の金を送金したそうです」
「犯罪者は賢いのお、それならわしもだまされそうだよ」
 春本行者が大金はおろかパソコンもスマホも持っていないのを忘れて感心する。
「昔に返って合言葉しかござんせんな、山と言ったら川、ジュゲムと言ったらパイポ、ナマムギナマゴメと言ったら東京特許許可局、日ごろから練習しておくことですな」
 燕柳兄さんは気楽だ。
「TVも新聞も住民撮影の映像をよく流すけど、あれも要注意ね。疑えばきりがない、疑わないとだまされる」
 林姫がため息をつくと野瀬ボンもすぐに同調する。
「アメリカのクェーカー教徒は未だに電気を否定し移動も馬車でしています。原点に戻るというのはそういうことですね」
「でも文明はたゆまず進歩するものです、それを築くのは人間だ、人間も進化しなければいけません」
 メカ吉川には正論しかない。RR池田がかみついた。
「俺が進化しなければならんのかい。勉強しろと、知恵をつけろと、フン、ごめんだね」
「そうね爺婆には無理ね、話せば分かる社会ではなくなったからね」
 林姫に今度は春本行者が同調した。
「爺婆には深い人生の知恵がある、そのことを若い者に教えなければならん」
「お前になんの知恵があるんだ」
 RR池田は単刀直入だ。 
 
 ふと時計を見た野瀬ボンがあせってコピーを配った。
「詩を読んでください、高倉健の命日です」

 ふいに 何が健さんでぇ という気になって 
下唇を突き出して 目を剥いてみせた
 窓ガラスに写る もちろん高倉健だよ
僕らの青春を小便臭い映画館ですくい取り 
僕らの主義主張を義理と人情でからめ取り 
閉塞している社会をドス一本で切り開いた 
愛されることが本当の愛だと教えてくれた 
あの健さんだ 
みんなジジイになっちゃって 顔には皺 
心には擦り傷切り傷
ドスで突かれた傷跡もあります
でもね余生があります 僕らの余生は強いぞ 
友情から愛情は生まれないよ
むしろ虚実のイルミネーションから
余生の愛情が生まれる 
がんばろう 下唇を突き出して ふいに
ワルシャワ労働歌とアムール川のさざ波が
湧き出し溢れだすのだが
涙なんかこぼしちゃいけない 
ジジイだぜ 還暦過ぎたジジイだぜ 
元気を出せよ

「さっぱり分からん」
 RR池田は読みもしないで言う。
「団塊応援歌ね、皆が健さんに寄りかかっているよう、やはり団で塊だわ」
 林姫は簡潔だ。
「君の自己認識は甘美だ、創られた映画の情景に身を投じていますね。還暦すぎたという章句を喜寿を迎えると直せば完璧です。谷川俊太郎を思わせますよ」
 JW藤野は芸術家のパトロンを自認している。
「そういう歌ばっかりやっている歌声喫茶があるそうです、友だちが通っています。いい爺婆が涙して歌っているそうです」
 メカ吉川は会社人間だから友だちというのも技術者なのだろう。設計図を真剣勝負で描いた帰りにロシア民謡かなにかを歌って泣くのだろう。
「実はあんな歌は嫌いだが耳から離れないんです。今でも聞こえている」
 能勢ボンが切なそうに言うと林姫が診断をくだした。
「典型的なPTSDね、カウンセリングしましょうか」
 そう言われて野瀬ボンはギョッとした。メンタルクリニックの入り口は広い。
「健さん、いい役者でげしたね、役者臭くなくて、素のままで演技をしているようでね。今の中村吉右衛門もいいですよ、籠釣瓶の佐野次郎左衛門、大熱演、大出来。けど昔は歌右衛門が八ツ橋で、見初めの微笑、まさに媚笑、妖しくて頭がくらくらしましたな。八ツ橋はお職を張るくらいですから百戦練磨の花魁です。次郎左衛門には商売で笑いかけるので田舎者だから笑うのでは絶対にありません。栄之丞には惚れていますが次郎左衛門はただの客、身請けを喜んでいる訳ではない、だから愛想尽かしでつい本音を言ってしまうのです。殺されても仕方ない。それを恋の板挟みで苦衷する哀れな女などと演じては心得違いです。当時のお相手は先代白鸚、まるでお大名のようで佐野の田舎の絹商人には見えません、その点、今の吉右衛門は愛嬌があっていいですよ。第一、美男でないからアバタを描いても痛々しいという気にならないのがご愛嬌で」
 燕柳兄さんは芝居の話になると無我夢中だ。「籠釣瓶花街酔醒・かごつるべさとのよいざめ」という題だが、芝居好きはストーリーより役者の方を語りたいのだ。
 能勢ボンも愛想づかしをくらったようににうつむいた。
 まったく無視してRR池田が春本行者に話しかけた。
 
 首里城炎上

「先日、沖縄で火事があったな、新聞に出ていたぞ」
「新聞は図書館で読むだけだ、何が燃えた」
 その話題で野瀬ボンは立ち直った。
「首里城が炎上しました。沖縄人(うちなんちゅ)の嘆きをいかんせん。この4月にはパリのノートルダムも焼け落ちました。アニメーション製作の京アニも放火でたくさんの人材を失いました。こうして私の思い出も片端から燃え尽きていきます」
 野瀬ボンはなにか思い出している、しかしろくでもないことだと思い誰も同情しない。
「それはどんな城だ、天守閣が燃えたか、熊本城はだいぶ修復しているぞ」
 RR池田はそれなりに新聞を読んでいるのだが自己中心的発想だ。
「沖縄では城をグスクと呼びます。平地に石垣を築いて御殿を建てる、戦うためでなく京都御所のような宮廷です。中国風に赤や緑で塗られていてきれいな建物です」
 思いもよらぬメカ吉川の博識、確かに建築もテリトリに入っていたのだ。
「なるほど京都も奈良も赤と緑ですね、それは古い建物なんでげすか」
 燕柳兄さんもそれなりに旅行はしている。
「琉球処分で荒廃して沖縄戦で燃え尽きて、大学になっていたのを27年前に再建したんです。それが燃えてしまった」
 野瀬ボンが言うとメカ吉川はなんの感慨もなく歴史のうんちくを語る。
「つまり城(ぐすく)とは具足のこと、沖縄にはいくつも城跡があって勝連城などが有名です。三王国が争った時代の遺構で一括してユネスコの指定を受けています」
「沖縄のプライドね、でも国営記念公園だから国が建てると政府は言うのだが感情は微妙ね。うるまネシアって知っている?」
 林姫が試すように野瀬ボンを見ると、即座に鋭く答が返った。
「僕は独立してもいいと思います。言葉も風俗もフランスとイタリアくらいの違いしかありません、独立国と宣言できます」
「しかし経済が自立できるの」
「琉球王国は薩摩に収奪される前は自立していました。フリーポートと特産品、観光・芸能で大丈夫です」
「アィデンティティの問題が大きいな」
 JW藤野が考えながら言う。
「どんな意味だ」
 RR池田がむかついている。
「沖縄が独立してうるま共和国となりうるまネシアと呼ばれるの」
「おやおや…だって日本人だろ…独立って」
「十年前に、アイヌ民族と沖縄民族は日本の先住民であると国連の人権委員会が認定したのよ。その直前に日本の国会はアイヌ民族だけを先住民と認めたの」
「それじゃあ独立したいのか」
 RR池田は支店を出される気分だ。
「日本に嫌気がさしたということかしらね。基地問題でも日本外交はアメリカしか立てていない。ならば独立国になって対等に交渉すれば世界の国から支援を受けられるわ」
「でも沖縄は日本が取り戻したのです、私も叫びましたよ、沖縄を返せってね、佐藤栄作首相はノーベル平和賞をもらいました」
 メカ吉川にも青春の熱い血が流れていた。
「琉球処分、戦争では島人の4人に1人が死んだの、沖縄はその人々に返すべきだったのかもね。日本は莫大な建国援助をする義務があるわ」
「沖縄県が沖縄国、それだけか」
 RR池田が近所にコンビニができたときと同じくらい驚いている。
「今は鹿児島県になっている奄美大島はどうするかしら、先島諸島も琉球王国の時代から反発があったからね、すんなりとは」
 燕柳兄さんがようやく話題に参加できた。
「上方と関東も違います、もし家康さんがドジをふんでいたら大阪と江戸に二つの幕府ができて長いこと張り合っていたでしょうな。わて大阪(おおざか)や。うち、京都(きょうとお)どす。江戸の人は田舎者で嫌やわな、アホ、なんてのが標準語になってね」
「そういえば戦後、ソ連は北海道を占領しようとしましたな。北日本人民共和国、津軽海峡が軍事境界線です」
 メカ吉川は北海道に深い思いいれがあるようだ。
「では沖縄独立に賛成してくれますか」
 野瀬ボンが勢い込んで言うと皆がそっぽを向いた。
「せっかくアメリカから勝ち取った我が国の国土だから手離したくない」
 メカ吉川の青春のひとこまにこだわる。
「世界史上の不思議になりそうだわ」
 林姫は判断保留というところか。
「感情だけで進んでいくと悔いを残しそうだ。双方の得失をもう少し分析してみる」
 JW藤野は経済を考えているようだ。
「瞑想じゃ、そののちに悟りが開かれる」
 春本行者は自分さえ納得すれば人も社会もどうでもいいようだ。
「昔は沖縄に行くにはパスポートが必要だった。独立するとまたパスポートですか」
 メカ吉川はうんざりした顔だ。
「EUはパスポート不要です。ただイギリスの離脱でどうなるのか先行きは闇です。もっとも中国が真っ先に承認して全面援助するでしょうね、何しろ旧宗主国だから」
 林姫の視野は広い。RR池田は感情的だ。
「やだよ、そんなの、御免だよ。それではポピュリストが出現するかもよ」
 RR池田は飽きてしまったようだ。
「話を変えるぞ、ラグビー気分よかったな」
 隣の春本行者に話しかけたが相手が悪かった。
「ラグビーってなんだ」
「サッカーは丸い球を手に持って走ってはいけない、ラグビーはいびつな球を手に抱えて走るんだ」
「なんのために」
「それを言ったらおしめぇだよ、爽快感さ」
「自分でやらずに人にやらせてスッキリしようというのかい、それなら便所で…」
 春本行者が言い切ろうとするのを林姫が急いで口をふさいだ。
「お芝居だって役者が演じて泣いたり笑ったり、歌手が歌って感銘したり興奮したり、同じでしょ」
「すべて他力本願じゃ、沈思黙考、瞑想のなかに自分を極める、こんな体験があるまい」
「選手にはそれがあるだよ、一般人はそれに共感するのさ、共に歓喜を得ればいい」
 JW藤野は時々深い話をする。
「日本の去年の順位は世界7位、一位はニュージーランド、二位はウェールズ、三位はイングランド、四位はアイルランド、五位は南アフリカ、六位はオーストラリア、どうだファンのうんちくは」
 JW藤野がうんちくを誇ると中路がまぜっかえした。
「それは全部がイギリス系ばかりです、本国隣国植民地に日英同盟の名残りがある日本が食い込んだということです」
 イギリスのサッカー少年がある日、ボールをかかえて走り出した。たちまちラグビー校のお家芸になり名前まで頂戴した。
「また日本チームは外国人をスカウトしたのか、いや悪いとは言わない。野球も大相撲も外国人大活躍だからな」
 RR池田の指摘通り選手の半分はカタカナ名前だ。
「テニスの大坂なおみなんかコマーシャルでも大活躍だ」
「でも日本が負けたとたんに話題から消えてしまったよ。忘れっぽいね」
 
 その時、マスター田辺が顔を出した。決まりの時間は忘れない、他に客がいるわけでもないのに几帳面だ。テレビの音が聞こえる、相撲だ、横綱も大関も休みばかり、若手のチャンスだから一生懸命に盛り上げようとしている、マスコミが、若い者に今ひとつ花がない。困ったことに相撲では日本がんばれと応援できない、花形は外国人ばかりだ。
「さあ燕柳さん、やっておくれよ、シメだよ」
「トリと言ってあげなさいよ」
 林姫が気づかいをする。
 
 燕柳裾まくら
 私も日本全国あちこちに行きました。こういうとちょっとしたチェーン・トラベラーですが、これは営業、地方の落語会に呼ばれて生活のため参ります、寅さんと一緒です。
 芭蕉が旅の途中で病気になって、もうダメかという時に
     旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる
 という俳句を詠んだそうですが、聞きましたら、これは故郷に帰りたいというんじゃなくて、まだ旅を続けたいという気持ちなんだそうです。まことに見上げたもので、師匠いいねぇ一杯どうでぇと奢りたいところですが、もうとっくにお亡くなりになったというので誉めるだけにしておきます。
 旅に出て、なにがいいかというと知らない人と気軽に話ができることですな。都会では下手に声をかけられません、まして子どもに「こんにちは」なんて言ったら子どもは逃げますし、すぐ110番です。しかし、旅先で「やあ、寒くなりましたね」なんて言うと「どこから来なすったね、ああ東京か、芋が焼けているよ」なんてお茶をよばれて、うまく話をもってけば「冷えるね、この季節は熱燗が一番だよ」なんて一杯ありつけるという、どうも根性が卑しいものですから物をくれる人は神様みたいに思ってしまう、なんともなさけないことですが。
 私も最後は西に行くことに決まっています。「あっ、お釈迦さん今日は」「よく来たねえ、しばらく泊まっていきな」「とりあえず前払いで6文銭だけ」「まあ決まりだからいいとして、おおい小僧ども客だよ、上客ではないよ、ずっと下の方、えっ便所の隣しか部屋がない、ああ風流、水の流れに漂う香り」
  清滝や浪に塵なき夏の月
 こちらが芭蕉の本当の辞世だとおっしゃる学者もいるそうです。

次の章へ