炎暑中韓朝

 燕柳まくら
 アメリカの大統領が米中貿易戦争とか移民排斥とかで世界中を騒がしています。ご本人の父親はドイツからの移民だそうですから、つまり白人オンリなんですな。昔、横須賀ドブ板通りにもそんな店がござんした、なつかしい?いやとんでもない、なんとこの日本が占領されていたというとんでもない時代でした。
 そもそもトランプというのは切り札という意味だそうで、我々のいうトランプはカード、病院の診察カードはチケット、映画の入場券と同じ言葉です。ハッピーエンドで終わるか理不尽な最後を迎えるか、トランプの任期…ではありませんよ映画と病院です、下手な発言をすると私もツィッターで糾弾されるかもしれない。
 トランプといえばババ抜き、英語ではオールドメイド、召使婆という意味だそうです、それをこっそりたらいまわしにする、ニコニコ笑って相手につかませていく、政治家にぴったりの遊びでげすな。
 前のオバマさんも実父がケニア人で義父がインドネシア人、母親だけがアメリカ人。日本でもスポーツマンや芸能人にはそういう人が増えてきました。ちょっと前には神聖な土俵に外国人を上げるなんてけしからんという世論があったんですよ。今でも神事だから女は土俵に上げないと相撲協会はがんばる、日本中に女の神主さんがたくさんいますのにね。戦後まで女相撲という興行があってフンドシを締めた女性同士が相撲を取っていたものです。飛び入りで男が取り組む、ほどよくあしらわれて投げ飛ばされる、うれしくてニコニコ土俵を降りるオジさんの顔を私は覚えています。
 トランプと相撲は似ております、どちらも気合が緩むと投げ飛ばされたり寄り切られたり。フンドシを固く締めて取り組んでもらいたいものでげす、まったく締まらないまくらでした。

遭難とイノシシ
 田浦から山に入って森戸神社や木古庭に抜ける山道を三浦アルプスという。尾根筋はすばらしい景観で標識が充実してきたが、迷いこめば草は伸び放題、蜘蛛の巣は張り放題、沢に下れば猛烈なヤブこぎで引き返せない。怖い危ないと書かれたブログはあるのだが命知らずの若い者と怖いもの知らずの中高年が入っていく。
 それに加えてイノシシがはびこっている。一昨年29頭、昨年83頭捕獲、とうとう町は捕らえたイノシシの焼却費に55万円の予算を組んだ。それで、ようやくジビエの料理店も出現した。
  
「ああ夏が終わりそうだ」
 中路が誰にともなく言うとたちまちRR池田にかみつかれた。
「毎日が休みのくせに何を言うか」
「それでも感慨は格別さ」
 中路がためいきをつく。
 以前は8月いっぱいが夏休みで9月1日に始業式があった、今は8月を何日か残して学校が始まる、二期制というわけだ。なんとなくカレンダーに未練が残る。
 夏の終わり、それまで一本調子でうるさく鳴いていたアブラゼミが少数派になって、ツクツクボケウシがせわしなく鳴き、朝や夕方の暑い光が翳る頃にカナカナが澄んだ声を響かる。夏の終わるまで、休みが始まった時からその言葉は呪文のように頭にしまいこまれていた。だから、アブラゼミの声には安心が、ツクツクボウシの声には焦燥がカナカナには悔悟の気持ちが反映された。
「宿題終わった?」「まだ!」という応答が子どもどうしの確認と連帯感で、そこをあっさりと「もう終わったよ」などと土足で踏み込まれると、エヘヘと笑いにまぎらわせながら、イヤナヤツと心につぶいたものだ。
 絵日記は取り返しがつかない。オバさんが来たのは何日だっけ、海が荒れて大変だったのは何日だっけ、まあいいやと恐る恐るいい加減に書いてしまい、なんとなく罪悪感を残して書き終える、どうしても埋まらない日は、お手伝いをしましたなどと嘘八百。
 自由研究というのもあった。朝顔の観察、メダカの飼育、同じような絵を何枚か描いておけば提出できる。「子供の科学」略して「子科」を取っている男の子が化学実験のレポートを出してきた時にはみんな本当にびっくりした。理科室にしかないと思っていたガラス管とビーカーとろ紙と薬品で結晶を作る、青く透き通った塊は宝石よりも金よりも貴重なものに思えた。
 自由工作というのもあった。厚紙で車を作ったり家の模型を作ったり、当時、厚紙はお菓子の箱くらいしかなかったな。
 爺婆たちがはるかな幼い日々に戻って繰言(くりごと)を語る、思い出は尽きない。
「僕たちの漫画ってなんでしたっけ」
 野瀬ボンの疑問にRR池田がすぐ答える。
「伊賀の影丸さ、新しい登場人物がでるといつ倒されるのか予想したぞ。テレビは隠密剣士だ。折り紙の手裏剣を投げ合って先生に禁止されたけど忍者走りと分身の術、気の葉がくれはやめなかったな」
 珍しく春本行者も昔を思い出す。
「メンコをやったな」
 丸いボール紙にチャンバラスターやお相撲さん、軍艦の絵が描いてある。相手のメンコすれすれに地面に打ち付けて裏返しにすると勝ちだ。
「ズルしてロウを塗って重くしたり2枚重ねで貼り付けたりしたものじゃ。メンコの代わりが牛乳瓶のフタだったな、パッチンとかピッチンとかいった、よく洗っても牛乳の匂いがしていやだったな」
 メカ吉川も黙っていない。
「校門の前におじさんが座って店を広げていました。ヒヨコ売りとか型抜きが多かった。縁日ではヘビ屋やガマの油、万年筆売り、だから映画の寅さんは既視感があるのです」 
 林姫だってオチャッピイな少女だった。
「シールよ、マーブルチョコのフタ2枚と交換に鉄腕アトムのシールがもらえるの。ウランちゃんとかお茶の水博士を大事にしたわ。グリコは鉄人28号のワッペン、森永パレードチョコの動くバッチ、覚えているかしら。ひょっこりひょうたん島を見るために走って学校から帰ったものね、あれは中学校ね」
 ふと見回すと爺婆はキラキラ眼であらぬ方を眺めている。中路は馬鹿らしくなって声をかけた。
「それで終戦記念日、歴史問題なんだがね」
 戦争が終わって生まれた僕らは70回近い夏を送ってきたのだ、遠い銀色の道のり、シルバーロード、皆の眼はまだトロン状態だ。
「歴史問題ってなんだ、社会科のテストか」
 RR池田はまだテストの痛恨が残っているのだろう。しかし中路は先生だったから作る側の痛恨を悪夢の中に見る日がある。
「中国と韓国が日本は謝っていないと文句をつけていることさ」
「散々、謝ったろうが」
 RR池田に中路がうんざりした。
「その謝り方に双方のこだわりがあってね。ごめんなさいと言っても終わらない、今はどんな職場でも同じだ。学校でさえ子ども同士のケンカを先生が仲裁して双方の保護者に連絡しても、どちらもごめんなさいとは言わない、もう一回事件を検証させて不備を見つけた対決しなおす、不利になると先生のせいにする。これが当世、当然で国際問題はもっと極端なんだ」
 林姫が口をはさんで一層深刻にする。
「争点は靖国神社ね、A級戦犯を合祀した、これは松平宮司の独断で昭和天皇は激怒したそうよ。それを首相や閣僚が参拝する、中韓政府が激怒した、また戦争をする気かと。政府は靖国に祀られているのは戦争責任者だけではないと言うが、それは焦点をはぐらかしているだけです。憲法九条を改めるというのも不信感を高めています、また戦争をする気なのかと」
 メカ吉川は論理の積み重ねに飛躍がない。
「日本の謝罪は一番目に大日本帝国の所業を否定するところから始めるべきです。それなのに南京事件も慰安婦もなかったと主張して検証しません。新生日本国は過去のすべてを謝罪し賠償金を支払い友好平和を誓う、そのスタート地点にあいまいさがあります」
 林姫も全面同意だ。
「戦争放棄の九条は平和憲法の、要(かなめ)ね」
 実は外交の武器と言おうとしてあわてて言い換えたのだ。
「平和憲法っていっても占領軍に押し付けられたっていうぜ。GHQが生みの親だ」
 俗説の引用はRR池田の得意技だ。
「確かに要所はそうだったかもしれません。しかし立案者たちは帝国憲法と戦争の反省を基に、未来の希望を託して新憲法を模索しました。その真情は真摯です。世界中の学者が賞賛しています」
 野瀬ボンはグローバルにとらえる。
「生い立ちを議論してもしかたないわ、九条がどう育っているかが大切なの」
 林姫が話を前進させると燕柳兄さんがすぐに同調した。
「不戦の誓いは大切でげすよ。戦争をしない国は尊敬される時代になりましたな」
 JW藤野の商社は自衛隊にもくいこんでいたらしい。
「世界中の軍人は表舞台に立ちたいんだよ。兵器があり予算があれば活躍の場を見つけたいのさ」
「JSDはつまり専守防衛で自衛する、隊という言葉が入っていませんね」
 メカ吉川は論理的にこだわりを持つ。
「警察隊、消防隊と同じだね、目的を持つ集団。ただし世界の国からは最新鋭武器を持つ強力な軍隊と認識されているよ」
 やっぱりJW藤野は武器調達ビジネスにかかわったのだ。
「韓国の国民は北朝鮮、中国の次に日本の自衛隊を怖れているの。攻撃されたらひとたまりもないから。九条があるうちは大丈夫と思っている国は多いよ。日本は白村江以来の海外侵略の歴史がありますからね」
 林姫の分析にRR池田も同意するしかなかった。
「アジアから欧米を追い出しところでやめとけば良かったんだ。大東亜共栄圏といったって実質は日本の植民地化だったからな。反日になるのは当然だよ」
「だから今でも半信半疑よ、被害者は絶対に忘れないの、九条を大事にすることが不戦の意思表示です」
 林姫はまなじり決して主張する。燕柳兄さんが苦笑いしながら聞く。
「お産婆さん役になったアメリカはどう思っているのでげすか」
 JW藤野は武器を売る側の心得を知っている。
「自衛隊は使える軍隊だ。いつの戦争にも降伏した軍隊は戦闘の最前線に回される、頼朝も信長もそうしていた。そのうちアメリカは日本に強要するよ」
 RR池田がすかさず聞く。
「どこが相手だ」
「アメリカの敵全部と。世界中にアメリカの敵がいる、国だけでなくてテロ組織もだ」
「戦死したら」
「アメリカ兵が死ぬよりずっといいと思っている。費用も日本がぜんぶ払うのだから」
「いよいよ番犬だな」
 JW藤野は政治と経済を分離しない。
「トランプには逆らってもへつらっても高くつくんだ、アメリカは世界の警官だと自負し国は磐石だと思っているからな」
 
 野瀬ボンが緊張した顔で話し始めた。
「僕は鮮明に覚えています、1991年12月のことです」
 ツアー客を連れてパリから帰るところだった。当時の格安旅行はアエロフロート、古い機材で食べ物もまずいがとにかく安い、必ずモスクワのシュレメティボ空港で乗り継ぐ。客はバスに監禁、連行されるようにホテルに移る。
「そのまま二日間閉じ込めらました。寄せ集めみたいな食事を与えられて客は騒然となりました。飛行機が飛ばない」
 お国柄で情報管理は厳しい。ホテルの各階ごとにいつもいる屈強なオバさんに加えて銃をもった兵隊が徘徊している。
「テレビは繰り返し、鎌とトンカチのソ連国旗が降ろされて赤青の旧ロシア旗が掲げられるのを映しています。ああ革命だなと…」
「クーデターでしょう、革命は1917年のことです」
 JW藤野がおだやかに言うと林姫が指を折って数えた。
「革命の崩壊よ、ソビエトと連邦が消失したのね。革命は74年しか続かなかった」
 JW藤野が皮肉な笑いを浮かべる。
「いえいえ、戦争の時代は狂乱です、戦後から数えて46年と言うべきです」
 二人のインテリ風な会話にRR池田が反発する。
「共産主義はダメだったのさ。待っていたように中国は経済改革をやったろう、あの白猫黒猫、カニ顔の爺さんが」
「鄧小平でげす、誠実温厚慈愛を売り物に何度失脚してもじっと時季を待つことができる、あの自負心は強烈でげした、徳川家康ってのはあんな人だったのでしょうな」
 燕柳兄さんの歴史観は「人は普遍」という信念に裏付けられている。
「経済は資本主義、体制は共産党、これは一体なんなのでしょうかね」
 野瀬ボンが言うと大問題も大層軽く聞こえる。
「皇帝にへつらい私腹を肥やす官吏、それに賄賂を渡して便宜を求める商人、庶民が浮かばれない国さ、だから毛沢東と水戸黄門はやめられないんだ」
 春本行者の発言は本質に基づくのか口からでまかせなのか分からない。
「共産党てのは権力の根っこをどこに持っているのか、つまり印籠はなんでげす」
 燕柳兄さんには虚実の境はない。JW藤野が重々しく答える。
「人事管理です」
 共産党員は人口15人に1人くらいおり出世も早いし収入もよい。日本の議会の議員と同じように選挙で選ばれるが立候補する前に徹底した審査が2年にわたり行われる。それに合格すると学校や職場と地域などの数十人の単位で何回か投票が行われ、当選して党員になると終生身分が保障される。
「なるほど有無を言わせぬ体制だな、勝手なことは言わせないね」
「官僚も富豪も党員にしてしまえば党委員会に服属する、党員になるのを拒めば反党反国家ですから」
 RR池田が何か思いついたようだ。
「ところで日本の明治維新が崩壊したのはいつだ」
「大正デモクラシーのころだから50年後くらいかな」
「それが明治は遠くなりにけりか」
 林姫が修正する。
「それは大正が終わってから往時を思い出した老人のつぶやきよ」
 野瀬ボンが話を戻す。
「そこに反日の根っこがあるんです。しかし、反日を大声で叫んでいるのは中国、韓国、北朝鮮だけですよ」
 野瀬ボンが自分自身に言い訳をするように言う。
「中韓朝、チュウカンチョウ、なんだか孝行糖の響きですな、孝行糖の本来は粳(うる)の粉米(こごめ)の寒さらし、さて中韓朝の本来はチャンステテンスッテンテン何ですか」
「燕柳兄さん、長生きも芸のうちですね」
 JW藤野は愛想がいい。
「その中国です」
「例の一衣帯水、さすが文字の国、スローガンはお手の物です。それがうさんくさい、これは海を渡っていつでも侵出するよという恐喝です」
「空母がなければ外洋艦隊とは言えないな。そこで遼寧、昔の名前はクズネッオフ、ウクライナで造った空母だよ。外板はボコボコ、さぞかし浸水しているだろう、模型のような一隻だけ。しかし、二号艦が一回り大きくなってすぐ進水する、あと三隻の原子力空母が予定されている。太平洋、インド洋は勢力下になるな」
 JW藤野はRR池田を怯えさせた。
「それは日本だけか」
「中国の脅威はフィリピン、ベトナムを怯えさせている。アジアやアフリカ諸国に借款を与えて、債務返還が滞ると港湾や軍事拠点を百年租借する、まるでイギリスが香港にしたのと同じだ」
 野瀬ボンも負けていない。
「追いつけ追い越せで欧米日の知的財産を盗みとっています、ACGまで我が物です」
 ACGというのはアニメ・コミック・ゲームらしい。香港は激動、チベットとウィグルも締め付けられ、台湾が今後のターゲット、やがてベトナム、フィリピンからアフリカまでを影響下に入れる、まさに明代の鄭和の大遠征を再現している。
「しかし、明はその後どうなった」
「国力が疲弊して金に押され、清が建国して滅びた。遺民は日本にまで逃げてきた」
「今の中国に清のような脅威はあるのか」
「民主主義だね、資本主義はもう導入済みだから共産党が倒れれば民主国家になる」
「可能性はあるのか」
「指導者がぐずぐずになれば、なし崩しに変動するね。三国志に戻るかな、地方ごとに文化も言葉も違うのだからユーロのようなゆるい連邦にはなりやすい」
「するとどうなる」
「まずは内向きの繁栄、すぐに外への進出。今だって知識人は諸国に居住しているが、かつての華僑的な大量移民になると事は厄介だ、国を牛耳るようになるからね。華人経済圏が政治同盟になると日本は疎外されるね」
「台湾はどうなる」
「そのころはタイワン国を名乗っているから中華人民共和国は中華民国を堂々と名乗り、前期民国と後期民国の名を歴史に残すよ。中国の歴史は一貫している、清を倒し民を建国した、偉大なる我が国とね」
「香港は独立するのか」
「できない。ああやってガス抜きされているだけだから。それに香港で起きていることは中国人は知らない。チベットのこともウィグルのことも知らない。情報管理が徹底しているからさ」
「本当に中国旅行中は世界のことがまったく分からなくなります。テレビも新聞も巧妙に操作されています」
 野瀬ボンは短期外国滞在者とも言える。
 
「さあ、それでは参考までに詩を読んでください。コピーを配ります。以前、中国で思ったことです、話題を外してはいませんよ」

白髪三千丈 この国は昔からそうだった
一心に追求して、心も体もすり減らして
焼き尽くすように人間の業を発揮させて
すべてをグロテスクなものにしてしまう
万里の長城 紫禁城 故宮博物館
富と豊穣の黄金で彩られた仏像と神像
何でも文字で表現するというトラウマ
深山幽谷、川も海も文字が書き記され
信仰も道徳も社会正義も国に規制され
そんな欺瞞や面従腹背を壊そうとした
文化大革命、これも大きな陰謀だった
自ら文化を破壊した凛々しい青年たち
賢い子どもたち、優しい人々は今では
諦観に心を安らげる老人になっていく
まっ平の大地が地平まで続き四海平等
出る杭は打たれる4億人の一人っ子達
世界の変わり目に活躍する人々だから
心を開き手を携えて信実で結ばれよう


「俺にはさっぱり分からん」
 RR池田は平然と言う。
「おやまあプロパガンダに与(くみ)したのね、多少、翻訳すれば愛国行進曲風のメロディをつけてもらえるわよ」
 林姫は直裁だ。
「確かに巨大な建造物には血と汗を思ってしまうな。名所旧跡の岩に彫られた文字はいかにも醜悪だ。陰謀と武力による権力争奪、命と道義は軽視し蓄財は重視する感覚、そう簡単には心は開けない国だな。しかし詩には杜甫の風格を感じます」
 JW藤野は芸術家のパトロンを自認している。
「俺の座右の銘はこうだよ」
 RR池田が自慢そうに言う。
約束を破らない 決して逃げない
格好をつけない 自分から助ける
非を認めて謝る 悪口を言わない
大きな心を持つ 信念に打ち込む

「結構だが打率はどのくらいだ」
 JW藤野の人事考査的質問はあっさりといなされた。
「座右の銘だよ、ただの飾り物さ」
 燕柳兄さんが何か言いかけたが、能勢ボンが杜甫に劣らぬ憂愁の表情でしゃがみこんでいるのを見て吹きだした。
「今の日本には政治力が必要だな」
 RR池田が確信を持って言う。
「俺もがんばろうとしたんだよ。だけどやめたんだ」
 RR池田ががんばるというよりふんばる顔をしている。
「ああ、あの時、選挙に立候補していれば俺の名刺は元町議だ」
 町会議員に立候補しようとしたのだ。引退を決めている議員の後釜に乗り込もうとした。商工会が後押しをしてくれる。しかし地盤の相続のためにも選挙運動にも当然、金がいる。ケチな性分なので計算した。笑顔を見せるのは客にだけ、無料でお世辞を言うことなど損をしたと感じる性格だ。
「支持するのは生活心情と生計事情を共にする人たちだ。前任者が俺に信託すれば支持者も信頼する、そして投票する、気配りと笑顔と甘言が必要だ、面倒だ」
「まったくヴィジョンが感じられない」
JW藤野が笑いをこらえている。
「きれいごとでは政治ができん」
 RR池田が吠えると春本行者が同調した。
「そのとおり、政治の政は正の隣にノブン、ノブンは力という意味だ。つまり征服者が強権で正義を押しつけ税金を取り立てる。文字は真実を伝えるのだ」
 言い終わった行者は無念無想で空を見る。
「今の政治家に求められるヴィジョンはなんでしょうか」
 野瀬ボンののんびりした声を聞くとRR池田は腹が立つらしい。
「町をよくする、県をよくする、国をよくする、これでどうだ」
「なるほど段階を踏んだのはお手柄ね。だけどヴィジョンとは違うようだわ」
 今度は林姫にはRR池田は承服しない。
「おい、そのヴィジョンうんぬんを聞かせてもらおうか。かのジャングル大帝は平和のために戦った。007ショーン・コネリーもナポレオン・ソロも喝采をあびた。ヒーローは語らず実行するのみだ」
 RR池田はマンガ少年だったのだろう。
「アタリ氏のヴィジョンは合理的他利主義です」
 林姫が切り口上で言うと春本行者が我が意を得たように嘆息した。
「アタリさんか、合理かつ他利に徹するのか、仏教の教えが分った人だな」
「宗教は合理的とは言えないでしょう」
 林姫が嘆息する。
「お経は理路整然と教えを説いている。知る人ぞ知るだ」
「ところでアタリとは誰ですか、この辺りの人ですか」
「燕柳兄さん、つまらない。フランスの哲学者で未来予想をする人よ」
「その予想は当たりやしたか」
 こんどの駄洒落はストレートに外れた。JW藤野も不満なようだ。
「合理性はいいが他人の利益優先というのは心情的に合わないな。それでは経済発展がないだろう。鄧小平は先富論・黒猫白猫で党員を欺瞞して共産党に資本主義経済を導入した、大博打を打ったんだ。人は利で動くものさ」
 JW藤野の商社の対戦相手には中国もあったのだろう。
「俺は利子主義だね、子どもが大事、未来を託したいのなら慈愛と教育、性善説だな」
 中路が力説した。
「今の子どもたちに何をやってやれるのか。役人は先例を守り、政治家は先例を作る、これこそ政治力でしょう」
「昭和平成と色々してきたぜ、不足かい。町だって文化会館を作ったし学校にエアコンも入れたし」
「文化会館は子どもより高齢者の憩いの場になっている。エアコンは町役場より学校に先に入れるべきだった。中学校の給食もまだ実施できていない」
「弁当くらい親が作ってもいいと思います。僕も母の弁当を食べるのが楽しみでした」
 メカ吉川の言葉に林姫が鋭くかみついた。
「君は子どもや自分のお弁当作ったことがありますか」
「だって女房が幸せ弁当を」
「幸せ、不幸せという基準は主観です。弁当作りは実務です。やってごらんなさい。愛情と幸せは父親だって運ぶものです」
「給食があれば良かったね、私も芋だけの弁当を友だちに見られないように新聞紙で隠して食ったものです、つくづく貧乏は嫌だと親を恨みましたね」
 燕柳の述懐にみんなシーンとなった。貧富だけではない都会と田舎、職業差別、学習成績、あらゆる格差の中で競ってきた世代だ。
 林姫が構えなおした。
「ついでに申し上げます。アタリ氏は10年後の2030年をこう予想しています。概略を説明します」
 パワーポイントがいつでてくるのか皆はドキドキした。
 まず人口は15%増して85億人、そのうち60%がアジア・アフリカにいて半分がスラムに住んでいる。65才以上は10億人。
「なるほど競争相手が多いな」
 RR池田がうなるのでメカ吉川が心配して質問する。
「なんの競争をするんですか」
「生き延びるための競争さ」
 団塊は死ぬまで競争だと思っている。年間1人あたり20キロの魚、50キロの肉を食べる。石油価格は高騰している。
 春本行者は泰然としている。
「だから、わしのように菜食すればいいのだ、暖房も使わないし車にも乗らん。わしは生き延びるぞ」
「君、酒は呑みませんでしたっけ」
 JW藤野も泰然を装って春本行者につっこみを入れる。
「あれば呑む、なければ呑まない」
 当たり前だ。
 麻薬・売春は今よりはびこり、マフィアは勢力を拡大する。米中EUは分裂し互いを標的にする。
「日本はどうなるのですか」
 時計を見て中路がまとめにかかる。
「アタリ氏は日本のこと書いていません。フランスでは緑のエコロジストと茶色の極右がまじりあって迷彩服のようになります」
「これが予想か、至極当然のことばかりだ。政治家は何をしろというのだ」
 RR池田はいつのまにか政治家になっている。
「選挙公約がいい加減ね、耳ざわりのよい絶対できそうもないことを総花的に書いてあるだけ、これではヴィジョンを示したとは言えないわ。一期一会の一言を期待するわ」
 林姫の評論ぶりに珍しく野瀬ボンが反発した。
「そのヴィジョンに押しつぶされるのが人間です。ガンバレという言葉がどれほど残酷か、それが分かるのも人間です」
 どうやら野瀬ボンは豊かな挫折経験で萎縮した精神構造の持ち主らしい。
 林姫はアタリの3つの戦略を説明する。
・実践的グローバルな共有財
 アタランタ作戦ソマリア沖海賊対処 国際宇宙ステーション
・世界市場統合 通貨統合と税制一本化
・既存の多国間機関の変化をうながす
 
 そして世界全体を巻き添えにする大惨事、飢餓、インフレ、金融危機を回避する。
 そのために既存の連邦を実用主義的に利用する。モデルはスイス。EUは4つの脅威に面している。ドイツ悪魔、フランス怠惰、ソ連圧力、アメリカ無関心だ。つまり人間の存在理由を自覚し、それを脅かす脅威を自覚しなくてはならぬ。それができるのは多国籍企業 NGO ソーシャルネットワークの活用 活動家・ジャーナリスト・哲学者・歴史学者・国際公務員・外交官・国際主義活動家・文芸庇護活動家・バーチャル経済行為者アクター ソーシャルネットワーク仕掛け人・あらゆるジャンルのクリエーター 公共財の体現
 ただし資金調達の透明性は欠かせない。
 
 皆がうなずいているのは理解したからではない、居眠りの代替行動だ。中路が焦って早くまとめようとする。
「江戸の頃に喜蝶さんという通人がおりましてな」
 燕柳がだらだらと話を始めた、暇な時間がたっぷりあるのだ。
「キッチョムさんなら知っていますよ。熊本はカラシレンコンとキッチョムさんで保っています」
 能勢ボンは軽率にすぐ応じてしまった。
「とりあえず次回ということで…」
 中路があわててさえぎった。
 
 燕柳裾まくら
 グルメ番組が盛んになりお店に格付けをするようになりました。
「へんな客来なかったか」
「来たで、いややわ、キウリもトマトも全部さわっていったのに私には触らなかった」
「どこで取れましたか聞くんや、蕎麦は信州や、ワケギは広島や、エビはアフリカや、割り箸は中国や、地元産なのはワシや、すると地元産は質が悪い言いよった」
「それで格付けD言いよっとるで、Dって良い方かいな」
「良いわけないやん、ここいら商店主70超過で、化粧品屋の婆さんだって入れ歯やからマヌクワにローソンやて」
「そやな、鮨屋かてゆっくりゆっくり鮨握ってな、はいお待ち、ああしんどってマグロも海老もあったかくなっとる、だから温もり鮨やて、握り飯ならいいかもしらん」
「酒屋な、爺さん婆さんそろって二人とも店先で日向ぼっこや、買いに来る方も同じじゃ、みな世間話だけで帰っていく」
 
「燕柳兄さん、上中下と分けて今回は上だけで終わってくれませんかね」
 中路がさえぎった。案外、素直に話をやめたのは先がまだできていないのだろう。
「やぶ蚊が多いと思ったら蚊取り線香が消えているじゃないか」
「カフェに蚊がふえる」
 ぶつぶつ言いながら燕柳が帰っていく。あとに続いて皆がぞろぞろと出ていく。
 
「やれやれほとんど七味唐辛子だね、今回は池田がなかなか辛味を利かせていたね。マスター、話を聞いていただろ、どう思うね」
 他に客などいない、ヒマつぶしは人の会話を聞くことだけだ。
「コーヒー豆にはすべてが含まれているよ。国際経済、アジア・アフリカ、独裁、貧困、マフィア、児童労働、テロ、エコロジー。今日のはコロンビア豆だが苦いだろう」
 めずらしく深いことを言う。
「天日に干されて皮をはがされ炒られて砕かれ熱湯を浴びてエキスを飲まれる、子どもなら虐待そのものだ」
「苦いね」
「だけど甘くて風味もある。アジア・アフリカの子どもたちを幸せにしてやりたいね」
 少し感心して中路は田辺の顔を見た。
「まず日本の子どもだろう」
「いや世界の子どもたちだ」
「コーヒーで覚醒したね、めでたい。ところで麻美ちゃんは近頃どうだ」
 田辺の孫の一人が高校生になって近所に住んでいる。学校、同級生、先生に不満で田辺のところまで来てグチを言いアルバイトをさせてくれという。さすがに学校をサボって来るのは困るのだが、両親はなまじ不登校になるよりいいと黙認している。
「言い分ももっともだ。はつらつとした男子生徒、魅力のある先生が一人でもいればいいのだが、まだ巡り合わない。個性的だからな」
「どんな才能があるんだ」
「分からん、かなり独特のようだ。豆でいえばマンデリンかな、不思議な大人の後味を残す子だ」
 どうも一味変わった芸能人になりたいようだ。落語にも興味がある。
「燕柳兄さんに話してみようか」
「今度な、とにかくコーヒーはドリップから落ちる最後の一滴が大事なんだ」
ご託宣を聞いて中路も帰っていった。

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