ひげとカシニョール

   燕柳まくら 
 ちかごろは病院に行っても郵便局に行ってもみんな番号札を渡されます。タクシーのメーターみたいな箱が置いてありまして、うすっぺらい紙を引くってぇと何番って書いてある。おみくじと間違えて、あっ7番の大吉だなんてね。だけど、それをなくすと一番ケツにされてしまう、大事なお札です。テレビが吊るしてあって画面が替わると5番の方診察室へなんて出るんで、自分は15番だから、あと10人だなと数えてしまう。それで自分の番が近づいてくると、だんだん緊張して心臓がドキドキして血圧が高くなり、あっ自分だと思った瞬間に心筋梗塞、脳溢血を起こすんじゃないかと、あんな体に悪いことはありません。
 念をおすように13番の方、2番の窓口へどうぞ、なんて放送が入りますが、あの機械の声ってぇのはなんとかならないものでしょうかね、声のあげさげがないからね、「おまたせしました」なんて言われても、待たせてごめんねなんて気持ちはまったく感じられません。「ありがとうございました」なんて言われても、勝手にしろと言い返したくなります。これだけ科学が進歩したんですから、ひとつ、心にしみるような機械の声を作ってみたらどうでしょうかね。「次は11番のおじいちゃん、診察室の私のところにきてくれるかしら」とかね「17番のおふくろ、会いたかったぜ、3番の窓口で会計だ」とかね、ちょっとしたリップサービスなんですがね。ただ、それに慣れてしまってオレオレ詐欺にひっかかる人がいるかもしれません。犯罪者は科学の進歩を先取りしますから用心しましょう。
 
相変わらず振り込み詐欺横行
「ただいま町内に振り込めサギの電話が多数かかっています」
週に何度も町のスピーカーがかなりたてるし警察からも電話が入る。警察OBなのか中年女性が原稿を読み上げる。余計なことを言っても返事してくれないのはノルマがあるのだろう。ポスターの文句は「息子はサギ」古典的な「オレオレ、オレだよ、カバンを落とした」というパターンが印象深いからだ。メンバーにはかかってくるのを心待ちにしている者もいる。あっさり騙されてしまったら噴飯ものだ。
 
  JW藤野がおもむろに立ち上がって両手を広げた。
「諸君、これから不肖藤野がヒゲとカシニョールと題して一席ぶちます、ご静聴のほど。カシニョールと申すはジャン・ピエール・カシニョールいかにもフランス名前でパリジャンを描く画家です。色の白い細面でアイシャドーを濃く塗った目とすっと細い鼻、唇は服の色とマッチして塗られています。黒柳徹子さんを描いたこともあり、そんなイメージの絵を見たことがありましょう。ご本人はあと数年で傘寿を祝われます」
 もったいぶった紹介を聞いて、すぐにRR池田が吠える。
「それでヒゲはどうしたんだ」
「幸い我らの仲間にはいませんが、町にヒゲ老人が徘徊する、これを問題にいたします」
「カシニョールはどうなったのですか」
 野瀬ボンが思い出をかみしめるように言う。たぶん地中海のリゾートでそんなパリ娘に憧れたのだろう。
「昨日も後ろ姿がカシニョール風の女性を追い抜きました。それは美しい帽子と衣装の…お婆さんでした」
「シェー」
 RR池田が昔の言葉を発したので中路が受け止めてやった。
「おフランス帰りのキザで出っ歯のイヤミ氏、おそ松くん、デカパン、トト子ちゃん、ダヨーンのおじさん」
「そういえばケロヨンがバハハーイ、ウルトラマンがシュワッチ、ずいぶん流行ったな」
 RR池田は思いだした画像の中に沈み込んでいった。
「その女性、君の嗜好に合いませんでしたのね、それはお気の毒でしたこと、」
 林姫は嫌味たっぷり言ったが、素早く自分の服装をチェックしていた。
「ヒゲ老人とカシニョール老人がバトルしたのですか」
 メカ吉川が真面目に回答を求める。
「戊辰戦争の後には元勲はじめ官吏たちがヒゲを生やして花街にくりこみナマズと呼ばれて嫌がられました。日露戦争の勇士はヒゲ面で凱旋し、今度の戦争では無精ヒゲの兵士が半死半生で復員しました。今またヒゲが流行るとなると戦争でしょうかね。さすがに落語家にゃヒゲ自慢はいませんや、ただ談志師匠が少しね、バンダナと」
 燕柳兄さんがのんびり言うと中路が重々しく続けた。
「戦い疲れた団塊がついに戦場を離れ居場所を失う。老兵は消えゆくのみ、片身にヒゲを人々の目に焼き付けて」
「君らは本質をつくのが上手ですね、直感型人間ですね。しかし、人の話を聞くのも大切だと思います」
 JW藤野を目のすみにとらえながら野瀬ボンがたしなめた。
「スタートを間違えるとゴールはとんでもなくかけ離れます、つまり大阪空港と関西空港を間違えてはいけないということです、それでカシニョールはどうなったのですか」
 JW藤野説は変身願望なのだという。
「カッポレもヨサコイも婆があられもない格好をして踊っているよ。テメェをカッポレ、ヨサコイ夜サ来い、誰が行くもんかい」
 RR池田が苦々しい。奥さんは確か公民館で民謡踊りをしていたのではなかったかな。
「民舞、フラダンスすべてがそうだ、踊れば女性は娘に戻るのじゃ、夕焼け小焼けで日が暮れて、お手々つないでみな踊ろ、カラスもトンビもみな踊ろ」
 春本行者は恐ろしい音痴だ、耳を投げ捨てたいほど厭世的になる。歌詞はでたらめだが妙に真実を伝えている。
「社交ダンスは一人ではできません、だから友だちに求めても、無理ッて言われます」
 だから横瀬ボンの相手は去っていくのだ。
「お前、あの婆どもがひらひらのドレスで踊る姿を見たいのか、なんとおぞましい」
 RR池田は容赦ない。
「ワルツハイマーと申します」
 燕柳兄さんも容赦ない。
「兄さん、差別用語に接触しましたよ。しかし皆さんは変身と言うが、あれは変心なの」
 つまり変身はセックス・アピールの仮装、変心は人格にかかわる、自己嫌悪とか発達障害とか自殺願望とか、それをクリアーする心の自己制動だと林姫は言うのだ。
「あっしにはかかわりのねぇ言葉ばかりですが、それじゃあなにかい、その婆殿は」
 燕柳兄さんが古いセリフを言い出す。
「てっとり早く若返りの水を飲んでござるのかね、カシニョールさんの衣装をつけて心身ともにさ」
「友だちに未だにビートルズを真似て歌う奴がいます、高校生の時でしたな。それから50数年、頭はげ長髪かつら、しみとしわは隠れもなく、本物も同様、遜色ない姿になりました」
 メカ吉川は意外と交際が広いようだ。
「あの武道館公演の前座はドリフターズでげしたよ。ビートルズもババンババンいい湯だなと演奏するチャンスがありました」
 燕柳兄さんもつまらないことを覚えているものだ。ビートルズ老人に聞かせれば一発くらうだろう。
 一同がため息をついた隙をとらえて能勢ボンがコピーを配った。
「詩を読んでください。シタラという村のことを甥に話してきかせました」

シタラ 呪文のような名前だろ
爺ちゃんの心にいつもあるんだね 
2月11日には必ず雪が降るんだ
その日だけ?なぜさ 
知らない 古い野の仏が並ぶ山道を登る
仏様に助けてもらうほど険しい道なんだ
オシドリが集まるきれいな渕があってさ
なんだか爺ちゃんに合わないな
山道をずっと行くと火葬場があった
生まれ育って土に戻る村の人たちのだね 
一つ家の猫は車に乗って行ってしまった
猫は淋しくなると出て行くんだってさ
大きな峯の頂きに小さな城跡がある
昔の物語が残っているのかい
鎧甲のような造酒屋の戸が閉まっていた
残念だったね爺ちゃん
バスの待合室で昨日買った握り飯を食べたよ
冷たい食事は昔の暮らしを思い出すって
輝いていたのは柊に刺した鰯の頭4つ5つ               古い立派な家だろ 良い人が住んでいる
おまえ一人で行っておいで
爺ちゃんは行かないの
おまえの目で見てきておくれ シタラを
 

「俺にはさっぱり分からん」
 RR池田はしみじみと言う。
「本当は息子と言いたいところでしょうね。君の心の哀しみを感じるわ」
 林姫が独身の野瀬ボンに同情した。
「一枚の絵の情景ですね。一本道、田も畑も霜枯れている、森も山も沈黙している。旅人は重い足取りで歩く、人々は気にもとめずに暮らしている。ただ、その記憶を語りたい。甥というのも自分のことだろうね」
 JW藤野は芸術家のパトロンを自認している。
「シタラが設楽なら私は知っています。鉄道からは遠いがバス便があります。確か送電施設を視察した時だったかな」
 メカ吉川も詩とは縁がない。燕柳も同様だ。
「そういう所の学校に呼ばれたことがありましてな、古典芸能学習会で落語。先生が静かにしろと叱りつけて、落語が始まったら笑いなさいと指導する。素直な生徒たちでしたよ、私が挨拶するとワッハッハ、先生がオホンと言うとシーンと静まり、一生懸命メモしている子もいましてな」
「兄さん、何を演ったんだい」
 RR池田が興味津々で声をかける。
「まずジュゲムをやって次にコンニャク問答を一席、しくじりましたね。なにしろその村がコンニャクの産地で六兵衛も八五郎も託善和尚もみんな村人だ、落語が本当にあった出来事になっちゃって、怒るやら、笑うやら大騒ぎ」
 中路がなおも話そうとする燕柳を制した。
 シタラの呪文は無言の行のアッカンベェでかき消えた

 葉山女子旅キップ絶好調

「それで近頃、本物の若い娘を見かけることが多くなった、目の保養だ、結構だ、それこそカシニョールだ」
 詩も話も飛び越してRR池田が相好をくずして言う。
「なぜ女連ればかりなのじゃ。男は葉山には縁が薄いのか」
 しかし春本行者はその方がいいという表情をしている。
「女子旅キップだからね、ただ昔のように恋人同士が着飾ってデートするなんてのは少なくなったわね。さりげなくという気配が大人よ、日本人も成熟したわ」
 林姫はもはや老熟の言い方をする。
 地図とスマホを見比べてたたずむ若い女性が横行する。聞けばいいのに、そんな生のコミニュケーションを利用しないで途方にくれている。もっとも地元民に聞いても知らない店が多い。飲食店が20から29店に、おみやげ店が11から24店に増えたのだそうだが、地元民は誰も知らないから教えようがない。京急は潤う、始めた年の2015年は6千枚、それが昨年は十倍になった、今年はさらに…だろう。
「たくさんの人に来てもらう、つまり交流するのはいいことです」
 中路が常識的・平凡な意見を言う、これは一同を挑発する手段だ。皆も承知している。
「なぜ外国人が日本に来るんだ、日本のどこがいいんじゃろ」

 外国人観光客大増加
 春本行者は国内でしか外国人を見たことがない、旅をして自分が外国人になったことがない。
「第一に格安の値段でそこそこの料理が食べられるからです」
 野瀬ボンが詩のショックから立ち直った。
「なんと安飯を食いに来るのか」
「ワンコインで一汁二菜のランチが食べられる国など他にありません。物価の安い中国だってぶっかけ飯か麺くらい」
「清潔で安全、しかし、見るものは刺激的」
 林姫はホームステイの実践者だ。
「中国にはスカイタワーも新宿高層ビルも北京・上海どころから中都市にもあります。だけど東京は地下鉄を降りると浅草、次は皇居、銀座と築地、こんな色とりどりで幕の内弁当みたいに配置された街に驚くのです」
 野瀬ボンは外国人の添乗もしたようだ。
「日本の伝統文化は素晴らしいぞ」
 RR池田は京都訪問が修学旅行だけ、歌舞伎座にも能楽堂にも寄席にも行ったことはないが、日本人だから伝統文化には詳しいと思っている。
「奈良も京都も日光も外国人観光客ばかりの町です。さすがに寄席には来せんが能・歌舞伎では必ず欧米人がいます」
 野瀬ボンの説明に燕柳兄さんは少し不服そうだ。
「寄席だって歓迎しますよ、ワリが増える」
 寄席では給料をワリといい客一人につきいくらという給与体系なのだ。
「なるほど日本の飯はそんなに安いのか」
 春本行者は外食はしない、ただ家で菜っ葉か何かを食べているらしい。
「結果として安いのだ、本当はもっと高くしなければならないんだが競争が激しいから1円でも安くしたい。しかも味がよくなければ客は来ない、営業は厳しいな」
 JW藤野はマネージメントを気遣う。
「チェーン店は食材を合理化し外国人を雇って商品価格を下げる、小さな店は店主と家族がギリギリの生活で支える、そんな構造だね、しかし客も厳しい生活環境にいる。安飯を食いに来る観光客も神様だね」
「悪いのはデフレだよ、客のふところを温めなければ小売店は立ち直れないさ」
 RR池田は小売店のマネージメントだ。
「だけどインフレに変わると年金生活者はどんどん食えなくなります」
 メカ吉川も経済の裏カラクリは知っているようだ。
「現状、身動きとれませんわ。たしかにお金を稼ぎたい若者が日本にやってきます、でも中には文化的な亡命者もいます、そのことにも注意をはらってね」
 林姫の視点は少し違うようだ。
「それは昔からありました、孫文の革命でもたくさんの亡命者を日本人が援助しました」
 メカ吉川は歴史に興味がある歴爺だ。
「そういう高邁な亡命ではなくネットがやりたい、PCで世界と交流したい、思う存分ゲームがしたいという連中です、中国のネット管理は厳重だから現状では何もできない」
「すると日本でアルバイトをしながらネットを満喫したいのですね、でも日本人の若い者だってネットカフェに泊り込んでネット三昧というのが結構いますよ」
 野瀬ボンもこの仲間では若者だ。
「日本なら世界中と交信できる、まったく管理されません。さすがに中国官憲もここまでは手が延びないんです」
 野瀬ボンに触発されてRR池田も若いころのことを思い出したらしい。
「俺たちの仲間にも文通してアメリカに渡ったやつがいたな、一目散に逃げ帰ってきた、そのくせにウダウダ自慢するんだ、許せないよ」
 林姫も若い者の側に立つ発言をした。
「最新の文化というあこがれね、それは分るな。中国のように閉塞された社会で自由を求めるときに国外脱出する一番安全な理由は出稼ぎね。飽きたらそこそこのお金をもって帰国する、親が喜ぶ、地区も歓迎する、これはいい方法だわね」
 JW藤野も少し反省したらしい。
「我々も中国人実習生に接する態度を改めなければならんな。息子・娘と同等の若者たちなんだ、けっして極貧でもマフィアでもない普通の若いのさ、日本文化にあこがれてPCしたさに慣れない労働をしている。軽侮はできないよ。苦学生とは言えなくても文化の希求者ではあるよね」
 燕柳兄さんにも感じるところがあったようだ。
「落語も伝統文化などと言われやすが、古いままでやっている人はお客に受けません。新しいことは知っているが、それを知らぬふりで高座に座る、ちらっと博識を見せてオオと言わせる、私も奥ゆかしい性質ですからな。だけど今度、新作落語に挑戦してみやしょう」
「兄さん、客層に合わせて話してね、寄席では高齢者、学校では子どもたち、分別するのよ」
 分別…林姫が主婦用語を使った。
「韓国人も同じだろうかな」
 スス池田が口をはさむ。
「韓ドラは嫌いではない、しかしだ、あの整形なんとかならんか、同じ鼻、目、頬、あご、唇の組み合わせだ。一人ならきれいだが十人ならぶとどれがどれだか分からん」
 野瀬ボンがフォローする。
「韓国では老いも若きも男も女も整形しています。以前に整形してそのまま年を取ってしまった者もこれから多くなるでしょう」
「どれも同じように取り澄ました顔で愛嬌がない。床屋と同じで写真を見せられて、これで頼むと言うのだろうな。個性的な表情などできないんではないかな」
「本人が良ければ仕方ないでしょう。ただ韓国は横並びの国だと思った方がいいわね。思ったより安い費用で整形できる、誰さんがやった、誰さんも、なら私も急がなくっちゃ、みんな違ってそれがいいという文化がまだ定着していないのね。日本の若い娘も自分のお洒落ができるようになったの、それでフランス式着回し文化が定着して、経済的に余裕がなくなったという条件にも配慮してあげてね」
 林姫の文化論は春本行者には理解できない。
「整形して満足するならやらしておけばよいじゃろ」
 失言だった、百家争鳴を招いてしまった。
「だからお前は甘いんだ、これは未来にかかわる一大事だ。整形男と整形女が結婚する。絶対に子どもは親に似ない」
「親に似ぬ子は鬼っこというな」
「お母さんにそっくり、という褒め言葉は絶対に使われない」
「なまじ昔の顔を知っている人がいても、まあ、可愛い、お母さんの中学校の頃にそっくりよ、とは居えないしな」
「そこで子どもは悩みの底だ。両親が整形していると知っていれば、私も大きくなったら絶対に整形するんだと決意する。もし親が子に整形を知らせていなければ、私はきっと貰い子だ、アヒルの子だ、どうせ醜いままで大人になるのだ、必ずグレるね。」
「整形は負の連鎖で永遠に続き、医者は絶えることなく儲け続ける、もはや誰にも止められない」
「恐ろしいことだ」
「日本人は整形してもできるだけ自然に見えるようにするのよ、でないとお化けといわれてしまうから」
「昔のアイドルにも過剰整形がいたな、今は見たくない気持ちだ」
「数少ない人だけはテレビに堂々と出てくるわ。その根性と自信が貴重だからね」
 ようやく一息ついて野瀬ボンが話を外した。
「韓国の田舎はふた昔前の日本です、人も景色も素朴で温かい、中都市でもバスで30分くらいも走るとそんな景色です。若い者などまるでいない、都市との格差はひどいものです。ただ本貫で先祖の墓を守る家は貧乏でも大事にされています」
「なるほど結構」
 春本行者には家系の本貫を本願寺に聞きまちがえたようだ。
「韓国人はルーツを誇ります。どこそこの町の何氏、たとえば栄州李氏というように大表札をつけているのが本貫の本家です。同じ本貫同士は結婚できないから昔は悲劇、今はキリスト教に逃げていく、国民の25%も信者がいるそうです。」
 JW藤野は経済を話したいようだ。
「もとはといえば無償8億ドル、有償2億ドルの金を国民に分配しないで企業支援とインフラ整備にみんな使ってしまったことだ。朴大統領のビジョンか手腕か北朝鮮対策か富国強兵策か、ともかく地方は捨てられました。それをついこの前まで国民は知らなかったんだ。だからといって改めて日本が援助しろというのは理不尽だな、日本だって当時の国家予算の10%以上を渡したんだよ」
 
「時間だよ」
 マスター田辺が顔を出した。
「つまらない話に力んでいないで帰る方がいいよ。燕柳さん例のをやってさっさと帰しておくれ」
 
 燕柳裾まくら
 ええ時代は激しく変わるということを私などはテレビでしみじみと教えてもらいますよ。昔はアイドルといっておりましたな、若い娘がヒラヒラ・フリフリ、とても街中は歩けないようなドレスを着て、ライトをさんさんと浴びて一人で歌っておりました。今は、何十人と同じ格好の娘が歌って踊って目が追いつきません、ファンなる人たちはそれを見て、どの娘がいい、どの娘が近頃は変わったとか見極めることができるのですからたいしたものです。
 その前はスターといいました、素人とはかけ離れたオーラが輝いている、御殿に住んでいて絶対に便所なんかには行かない、まるで神様のような存在でしたな。今はアルバイトのようなもんで、時給いくらで辞めたら終わりとね。
 昔のスターがテレビで昔のヒット曲を歌う。何十年というキャリアですから結構なものですが、姿かたちは現在形です。アップになると自動的に画面がパッと消えて音だけ聞こえるような仕掛けがあればいいと思うことがあります。もちろんいい味を出しているお方もいますよ、熱いお風呂に入ったらその湯をもらいたいような、出汁がよく出て。
 
 やれやれといった顔で皆はぞろぞろと帰っていく。マスター田辺に中路が声をかけた。
「やけにつっけんどんに帰すんだね」
「おお、これから練習だ。のど自慢に出るんだよ。世間をうならせてやる。お前さんたちより人生の重みが違うんだ」
「へぇ何を歌うんだい、演歌かい」
「冗談じゃない、乃木坂46だ」
「あれはグループで歌うんだろう」
「それを俺一人でやる、すごいだろう。最新曲の『太陽に口説かれて』だぜ。水着つけないオーハイハイハイハイ」
 ここにも無遠慮な爺カシニョールがいたのか、中路は深い嘆息を残して帰っていった。

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