長柄に医院が大増設
逗葉新道沿いにみるみるコンビニと飲食店と商店ができ、おまけに医院が立ちならんだ。いつ病気になっても大丈夫だと思ったら耳鼻咽喉科がない。けれど風早に近日開院の看板が立ったので一安心。あとは心療内科だけだ。
燕柳まくら
梅雨の季節になりまして、どうも鬱とおしいものです。今年の梅雨はなかなか始まらない、天気予報というのも大変なようで、賭け事のような所がありますな。日本人もギャンブル好きですが、イギリス人というのが並外れてギャンブル好きのようで、なんでも賭けにしてしまう。
「明日、晴れか雨か賭けよう」
「よし、ならば下駄を放って裏か表かで試してみよう」
「俺は裏に賭ける」
イギリス人が下駄を履くか存知ませんが。
EU離脱をするかどうかも賭けになっているそうですな、賛成・反対の賭け札を買うとどっちかに配当金がもらえる、政治家も買っているかもしれません、しかし、裏を知っているのですからインサイダー取引とも言えます。
「病院ができて良かったよ、安心して病気になれる」
一番健康そうなRR池田がうれしそうだ。
そういえばこのメンバーは病気の話題がないようだ。
「通院、ディケアー、入所という順だ」
しかしJW藤野は高血圧らしい。
「昔の姥捨て山の道のりだな、わしはポックリ逝くから縁がない。お前たちの最期は見届けてやろう」
春本行者に引導を渡されてたまるものか。
「それにしても老健だ老人ホームだ介護住宅だグループホームだ、犬も歩けばたくさんあるが何が違うんじゃ」
確かに春本行者の日々の回遊ルートにはそれらしい小ぎれいな建物がたくさんある。
「費用が違うから暮らしぶりが違う。財務大臣が言っていたよ、老後には2千万の資金が必要だから貯金しておきなさいと」
中路の言葉にRR池田が憤激した。
「金次第なのは地獄だけだと思ったぞ」
「施設はどこも一杯さ、運よく入れればラッキー、運しだいとも言えるね」
中路は介護経験有りだ。
「施設は嫌じゃ、わしは自宅がいい」
春本行者には前提となる貯金がない。
「それができればね、ただ誰の面倒になるのか、あなたは特別に厄介そうだからね」
林姫も介護経験ありだ。
「身の回りの世話くらいできるぞ」
春本行者はかつて終生独身の誓いを立てたらしい。もっとも結婚困難者ではあった。それがなぜか結婚している。
「何もできなくなってからの話よ。要介護者のケア、補助、見守り、監視、その他もろもろ、ヨーカイ・ウォッチと言っていたけど、これではあんまり自虐的だからと使わなくなりました」
「言われて不愉快、言ってしまえば後味悪し、ですからね」
メカ吉川も介護経験ありだ。
「ヨーカイ道五十三次、ウォッチミー、ウォッチミーの薬売りなどはどうでげす」
燕柳兄さんはどういう経歴の持ち主なのだろう、誰も知らない。
「後味悪い洒落ね。では介護される側と介護する側、両方から問題を探っていきましょうか、居眠りしていると指名します」
林姫はレクチュアしたがる。
介護される側
自分が原因と安易に責任を押しつけられる。若い頃の不摂生のせいで高齢者疾患になる。浪費やギャンブルや投資失敗のせいで貧困老人になる。結婚しないから、離婚などするから老後を全うできない、誰のせいだか反省しろと指弾される。
「他人はなんとでも言えるのです、ただ困っている老人がそこにいるだけなの」
中路が突き出された槍を交そうとする。
「近所に親が白寿、子が喜寿、孫がもうすぐ還暦という一家ではありまして、お祝いをどうするか悩んでいます。親が寝たきり、子が認知症で徘徊、孫がひきこもりでも祝わなければなりませんか」
林姫がからかわれたと感じてムッとする。JW藤野が調子に乗る。
「なるほど、親族はめでたい祝賀会の後で一切を放棄して行方をくらましたくなります」
ようやく林姫が反撃に出る。
「介護する側は保護義務があるので、放棄すると逮捕されますよ」
メカ吉川がしんみりと言う。
「もしかすると刑務所の方がまだ楽かもしれないな、家庭で介護するのは心身ともに厳しく拘束されるよ」
林姫が専門家らしく他人事を説明する。
「家族・親族など無償の介護と有償の介護があります。行政の業務は例によって予算と人員の不足を言い訳とし、介護業界は資本主義の一員として利益追求していきます。新規の施設はだいたい人里はなれたところね」
「マタンゴを覚えているか」
RR池田の発想も皆の想定外だ。
ヨットが遭難して不気味な島にたどりつくと気味悪いキノコが生えている。観客は心の中で叫ぶのだ「食べてはだめだ」しかし、腹が空いていた人々は食べてしまうとキノコになる、このへんは空腹を実感している戦後世代にはリアリティがあった。
「あのヨットは加山雄三のイメージとだぶっているよ、エレキの若大将」
マタンゴとどうだぶっているのか誰にも分らない。モンキーダンスってのも流行っていた時代だ。介護施設は老人ホームと呼ばれていた貧しい建物だった。
「介護の仕事がいかに生きがいがあるか綴った本が出ているわ」
「やはり介護士のなり手がいないのだな」
RR池田もかつては零細雇用者だった。
「皮肉に構えるのが爺婆の悪いところ。天にツバすれば我が身にかかりますよ」
「さっさとタイかフィリピンから応援を頼めばいいんだよ。グローバルに考えようぜ」
「3K分野は出稼ぎ外国人にやらせる、ヨーロッパでは一世紀以上そうしてきました。日本も外国人研修生と名づけて40年前から実施しおり現在27万人が滞在しています。ブラック企業もたくさんあります。たくさんの問題が派生しています」
燕柳兄さんは黙っているのが苦痛だ。
「江戸の頃は口入れ屋といいまして、就職先が決まるまでゴロゴロさせておく、もちろん有料です、決まると給金から手数料を取る。お前さん、あの家は人遣いが荒いからやめな、と忠告したり、家の男衆は手が早いから、できるだけ不細工な顔の女を頼みますなどと注文をします。番頭さんご注進、今度お目見得の女子衆は大変な美人、なになに」
「ストップ、モモ」
中路があわてて燕柳をさえぎった。
「モモというのは何でげすか」
「エンデという作家のファンタジーです」
それで納得してしまうのが燕柳兄さんのすばらしいところだ。モモがなんだか、どうでもいい、実は時間泥棒のことなのだが。
「昔は会社をクビになったらタクシー運転手という受け皿がありました。人手不足業界の第一がタクシーでした。今は介護士か」
メカ吉川も苦闘の時があったらしい。定年まで働きぬいた共感があって何人かがシュンとした。
そのすき間、野瀬ボンがしめたとばかりにコピーを配った。
「詩を読んでください。病院で得たモチーフです」
病室は気づかぬ所で増殖していき
灰色の空間はふしこぶでつながり
人間の死も生も保管するいつでも
つかさどる人は白く気高く輝いて
束の間を過ごす人の塞がれた思い
死者たちの思い出や傷者のうめき
吐息を斟酌しないそれが定めだと
なぜなら叡智と熟達の技である故
病院は古い僧院に似て人が試され
繰り返し己に問い続け茨の痛みを
わが身に課する閉ざされた闘技場
病院の夜は永く覚束ない朝がくる
時もあるしそうでないこともある
病室は花々で飾らないといけない
暗いときには花の色で目が休まる
「俺にはさっぱり分からん」
RR池田は代表してさっさと否定する。
「君はまた言葉をもてあそんだわね。最後の行だけ色彩があるけれど何のインパクトもない二行だわ。第一、今の病院は生花持込禁止よ」
林姫は現実的だ。
「多くの芸術家は病んで生を知り死と向きあいました。画家も小説家も哲学者も著述作品に自分の存在、レーゾン・デートルを必死で求めました、そうして死んでいった。梶井基次郎かな中原中也かな、そんな憂鬱が溢れていますね。君も早く死んでいたらファンが増えたかもしれません」
JW藤野は芸術家のパトロンを自認している。
「お前の行く病院というのはずいぶんオンボロだな、気が滅入るだろう。病は気からというぞ、気、正しければ病原菌は寄り付かん。わしが祈祷をしてやろう」
春本行者は詩にも科学にも興味ない。
「君の詩を拝見すると36階建てビルのように堅牢に見えます。耐震構造が良さそうですから震度8でも倒壊しないでしょう」
メカ吉川には詩の文字構成がビルに見えるのだろう、さすがの能勢ボンもあっけにとられた。
燕柳兄さんがやんわり言った。
「健康年齢と寿命が一致すればベストでげすな。へぇ、あんなにお元気だったのに一晩でお迎えが、なに白寿だったと、とってもお若くみえました。これはご愁傷というよりお祝いを申し上げねばなりませんな。いよ結構。江戸のころは赤飯を炊いたそうです。その赤飯を持って吉原へ、おや棟梁どちらへ」
林姫がオホンと厳しく咳払いした。燕柳は話を始めるとオチまで続けたいのだ。
「という子別れの上で、おあとが…」
「俺は健康年齢と寿命を一致させてみせるぞ、みておれ」
RR池田の鼻息が吹き出る。
「そういう人が介護士泣かせになるのよ」
「死ぬまで元気、それでいいだろう」
ちょっとしたことで健康は失われる。自転車にぶつけられるかもしれない、食中毒で入院するかもしれない、一週間の入院で歩行が困難になり一ヶ月の入院で認知が始まる。
「すると介護士さんに当たるの、身体と頭脳の障害を不摂生とか気力不足とか軽蔑してきた人たちでしょう、自分に我慢できなくて当り散らすの。介護士さんに面倒みてもらえる自分は幸せだなんて絶対思わないから」
林姫が経験したことはほろ苦いようだ。
「爺婆は介護士さんに甘えているよ。自分のお金で雇っているんだからという意識さ。年取ると赤ん坊に返るというが介護士を父母とは決して思わん。使用人以下、まるで生涯のうらみつらみをぶつける相手のようだよ」
RR池田もそうならないように自制心を育てておかなければなるまい。
「確かに紙オムツを人に代えてもらうは羞恥だな、あれはいやだ」
ダンディぶっているがJW藤野も必ずそうなるのだ。
「フトンを背負わされて泣く泣く家の前に立たされている子どもがいたな。寝小便の罰だ。隙間風も吹き込み暖房のない夜は寒かったな。トイレに行きたいが寒いし怖い。思いが行ったり来たりしているうちにウトウトして洩らしてしまう。それを全部、怖い夢のせいにしたね」
中路が思い出にふける一同の目を覚ました、話がとりとめもなく続きそうだから。
「この年になって紙オムツか、それを若い者が始末してくれる、自分に腹立たしい」
燕柳兄さんが口をはさむ。
「おのれに愛想を尽かした上、息子や娘に冷たくされて、たまりにたまった胸の憤怒を、つい介護士にツツンツンテンシャン」
林姫がオホンと咳払いした、世の中を茶にしようとする噺家気質が気に触ったようだ。
「介護士さんも世の中の苦労を重ねた人が多いからお年寄りには優しくしてあげたいのだがね」
格差社会、低賃金重労働、不平等、弱肉強食の社会に押しつぶされそうな温和・内向的・謙虚な若者が多いのだろう、皆が従順なのにつけこんで企業の利潤追求下にある福祉施設は人を減らし仕事を増やす。
メカ吉川が根を上げた。
「これは出口なしの議論、出口なしの家、うんざりですね。基本の設計を変えなくては」
林姫が博識を披露する。
「超福祉国家デンマークは全て税金でやってくれます。その代わり収入のほぼ75%が税金です、それでいいと思う人」
シーン
「ドイツ人の死生観は日本と異なります」
春本行者が抗議する。
「ドイツだって人の死には敬虔じゃろう」
「それが大違い、キリスト教ということを認識してくださいね」
生死をつかさどるのは神様だからいたずらに死を伸ばす延命治療はしない。点滴や胃ろうや酸素吸入をして心臓が動いているだけの人を苦しめることはしない。もちろん再起を期待できる人には積極的に医療行為を行うのだが。
「でも一分でも長く生きていてほしいのが家族の情だろうが」
「そこがあちらはクールなのね」
「キリスト教はきらいだ」
「相手は産まれた時からの信者よ、好き嫌いはないの。仏教だって死にかけている人に、極楽が待っているなんておためごかしを言うでしょう」
「それが慈悲じゃ」
「そう、死を目前とした人に科学的処置をするのは残酷ね、平穏死というのよ在宅で自分の死を迎えるのを」
「安楽死ではないのか」
「それは犯罪、自殺幇助と同じ罪になるわ」
林姫は毅然と物を言う、さすがのRR池田もそれ以上は突っ込めない。
「だいぶ前だが旅先で台湾の老人に聞かれたよ、日本ではこれから介護はどうするのか、僕は答えました、AIが開発されます」
楽天家の野瀬ボンだ。
確かに車の乗降、風呂、衣類の取替えなど力仕事に機械が入った。むき出しのアームが動く工場型のロボットだ。それに人間の形と表情を持たせればアンドロイドになる。
「フィリピン人からも聞かれました、私たちいつ日本で働けるのか。だけど僕はタイ人がいいです、穏やかな微笑で包んでくれます」
「まったくお前は詩人だな」
RR池田の皮肉は野瀬ボンには届かない。
「外国人が日本人の介護の仕事に生きがいを感じればいいのだけれどね、介護士さんの生きがいって何でしょう」
これは中路には当たり前のことだ。
「ありがとうと言ってもらえることさ」
それが今の時代には難しいのだ。
「こんな新聞記事を読んだわ。認知症の進んだ老母を孫が訪れてね、トンチンカンな会話をしていると小猫が入ってきたの」
老母は猫を抱き上げミーチャンと呼びかけて孫に紹介した。
こっちの孫はよく来てくれるのよ。さあミーチャンご挨拶なさい。
ミャーと鳴くと老母が、この子は日本語がうまく話せないのよ。
「イリオモテヤマネコを思い出しました。たしか発見されたのは高校生の頃でしたね」
中路が苦い顔をする。しかしおかまいなしに話はわき道へと外れていく。皆が勝手にネコ話を始めた。
その頃は路地を通ると必ずネコが飛び出してきた。飼っているような、そうでないようなネコで、名前はついているのだが呼んでも気のない義理だけの返事をする。夕飯の残りを朝、昼飯の残りを夕方皿に盛って出すと、必ず何匹かの顔見知りのネコが現れて漁っていった。
男の子の一人がネコに好かれるたちで、舌の先でニャっという声を出すとそれまで警戒していたネコがすりよってきて、媚をふくんだように尻尾を動かしたり足にからみついたりした。それが本心ではないことをみな知っていた。イヌと違って自分が満足すればいいのがネコだ。主人を喜ばそうとしたり、主人が喜ぶと自分までうれしくなって失禁したりしてしまうイヌの失態を冷ややかに見据えているのがネコだ。あまりネコには関わりたくないと言う友だちも多かった。
先生が話してくれた怪談「浦賀のネコカボチャ」も強烈だった。殺されて埋められたネコの死骸から生えたカボチャに毒があって復讐しようとする話、しばらくはカボチャを食べらることができなくなって、ただでさえ偏食に悩まされている母親を困惑させた。まだ食べ物が乏しい時代である。
春先になるとネコはサカリがつく。屋根の上で奇妙な声を張り上げてオスとメスが呼び合う。そして時が経つと見るも醜くお腹を引きずって歩くようになる。生まれた子をみれば父親がどのネコかはすぐに分かるのだが、オスネコは知らん振りをしている。その春の晩の一夜だけがオスの関心事であって子どもは母親だけが育てる。留守がちの父親のイメージでもあった。どこの家でも子どもと父親は疎遠であった。
母ネコは人にみつからない所で出産する。ある朝、通りかかると子ネコの鳴き声がする。大人は舌打ちして何匹かの子ネコをまとめて捨てにいく。運よく登校途中の子どもが最初の発見者だと子ネコは学校に連れて行かれて撫でられたり頬擦りされたり一日を過ごすが下校の時間になると困惑される。イヌがいたり、赤ちゃんがいたり、お祖母ちゃんがネコ嫌いだったりしてどこの家もネコを引き取ることはできないのだ。とうとう情にあつい子どもが子ネコを持ち帰っても懇願は入れられず捨てられる。
海岸のゴミとまじってボロギレのような子ネコが波に押されたり引かれたりしている。感情というものを呼び起こさない景色だった。
しかし、わがままを通すネコの生き様とその代償ということをとくに女の子たちは敏感に感じ取っていた。子ネコの鳴き声は赤ちゃんの泣き声でもあった。
裏通りに産婆という表札を掛けた小さな家があって、奥の方でお婆ちゃんが座っていることもあった。どの家でも自宅で出産した。お産婆さんが生まれたばかりの赤ん坊をぶらさげてたたくようにして産声をあげさせる姿も見た。細いけれどつんざくような泣き声を近所の人は聞いて無事を喜び合ったものだ。産着の中で柔らかいものが玩具のよような声を立てている、ポッコリしていたお腹がへこんで気のぬけたような顔のお母さんが添い寝している。子どもたちは連れ立って見にいった。ネコのときよりも慎重におそるおそる頬を触った。
イヌの生と死は人の目の前にあった。飼い犬はガンバレと声をかけられながら出産し、ねんごろに看取られながら死んだ。ネコはその秘密を明かさないのでかえって人は関心を持った。子どもたちはネコから生理の不思議を学ぶことが多かった。
「だいぶ猫話で盛り上がりましたね、さあ皆さん、ここで猫とアンドロイドとどちらを選ぶか決めてください」
JW藤野が直答する。
「猫には喜怒哀楽があるがアンドロイドにはないだろう」
反論もすぐ出た、メカ吉川だ。
「事例と対応する言葉をすべてインプットする。バカヤロウと言われたら怒る、大好きと言われたら喜ぶ、相手が涙を流してかわいそうと言ったら自分も涙を流す、こんな例を二千もインプットすれば猫よりもはるかに対応がよくなります、第一、アンドロイドは相手に逆らいません、すべて受け止めます」
「そうだそうだ、AIは将棋に負けても口惜しがらない、だから俺は相手にせん」
春本行者は将棋をする、大ヘボだが。
「福祉施設にたくさんのアンドロイドを置けばお年寄りは幸せになれますね」
野瀬ボンも短絡的だ。
「それなら面会に行かなくてもすむな、認知症では分かれるとすぐ忘れてしまうと言うから無駄なことをしないですむ」
RR池田、介護中の本音だろう。
「自分の母さん、祖母ちゃんに会いたくなることもあるでしょうに」
林姫がやんわりたしなめた。
「でも一人稼ぎで子だくさん、生活に追われていれば介護は自分が死にたくなるほどの負担だ。そういう人になぜ面会に行かないかと責めて罪悪感を背負わせるとは人非人め」
RR池田は突拍子もない。
「だからアンドロイドには何ができるのか」
JW藤野がうんざりして言う、林姫がきっぱりと答える。
「まやかしの笑顔、同情、叱責でも共感はできるわ、そんなものはいらんと思うかそれでもうれしいと思うか、どちらかね」
「同感、本当の人間だってまやかしばかりしているよ。僕だって心から共感してもらったことなどないんだ」
野瀬ボンは自分の詩に共感を持たないメンバーを人非人と思っているようだ。
「おためごかしと言うな。あいまいな表現で互いの距離を保ちながらつきあうのが人間だ。それがアンドロイドにできるかな」
JW藤野も商社でもまれてきた人間だ。
「それは事例を一万くらいインプットすればできるかもしれません」
メカ吉川はうんざりして一万というあいまい語を使うが、AIなら9998と10002の違いなどぜったい許さないだろう。
「つまりAIは情報を理解し蓄積し確率を計算して統計的に説明する、過去も未来も予想するがその是非は判断しない」
JW藤野がまとめる。
「それは今のお役人と同じでげすね」
黙っていた燕柳が扇子で額を叩いた。
「なるほどAIに置き換えられる部署は役所だわ、前例通り、何事も上の判断次第」
林姫が同調する。
「AIの民活の話題かな」
中路が言うとRR池田が吠えた。
「消費税とキャッシュレスでAIに酷い目にあっている。レジ機の対応に百万かかる。政治家も役人もAI業界の要望でそんなことをしているんだ」
「民活は弱者を排除すると」
中路が同情するとRR池田はしょんぼりして昔の言葉を思い出した。
「おためごかしは最悪だ、同情するなら金をくれ」
「金を作るのには金がかかりますな」
燕柳がつぶやく、なるほど一円玉も一万円札も高級な製品だ。造幣局はたいした金を使っているのだろう、それでキャッシュレスか。
「AIにはままごとができるのかい」
RR池田の斬新な質問だ。たちまち勝手なままごと話が始まった。
昔は路地にゴザを敷いてママゴトで遊んだ。ママゴトだから茶碗や皿がならんでご飯ができる。葉っぱや木の実が盛られる。アカノマンマとかネコジャラシとかもごちそうの皿に載った。必ずお母さん役がいる、お父さんが帰ってきたらご飯にしましょうね。ようやく男の子の出番になる。
「ただいま」
「おかえり、ご飯できてるよ」
駄菓子屋の当て物にはセロファンがかぶせられたママゴトセットがあった。赤や黄色の薄いプラスチックの茶碗と皿、それまでは木の葉や貝がら、欠けた瀬戸物だったのだからいっぺんに食卓が近代化した。おかずのメニューがカタカナになった。今日はお魚ですよがカレーになったりオムレツになった。
食事はチャブ台で食べた。足を立ててテーブルにし皆が囲んで皿をつっついた。木のお櫃(ひつ)から湯気が立って熱いご飯がよそられる。皆が一斉に頂きますという。食事中はしゃべっちゃいけない、笑っちゃいけない規則のやかましい家もあったが、おいしくてうれしくて子どもたちは禁を破った。孫がかわいくて老人たちはあまり文句を言わなかった。
「仮想の現実空間はAIにはできるが現実を仮想にして演技することができるかな、なぜそんな必要があるのかと悩むかもね」
メカ吉川の分析だ。
「成人にはままごと療法というのがあるの、認知症の人にも試してみようか。それで最初に戻るけれど、皆さんはアンドロイドと猫と孫とどれがいい、認知症になったとき」
「孫などおらん、猫の毛はアレルギーだ」
春野行者は問題を自分の都合で理解する。
「あなたの理想は野垂れ死だったわね。それは可能だけれど人迷惑ね」
林姫は冷酷だ。
「黒門町の文楽師匠はたった一つの名前を忘れただけで高座を引きました。芸人が死ぬのは認知症になったときです」
燕柳のつぶやきに林姫は激怒する。
「言うだけならかっこ良いわ、まるで他人事ね、なら兄さんはどう死ぬのか教えてよ」
「いや春風亭柳朝さんが…かっこ良いことを言ったり…やったりしていて…」
へどもどして引き下がった。
「だけどデフレが続く限り爺婆は安泰だね、年金でまあまあ暮らしていくことができる。インフレになったらすぐ大貧民だ、老人パワーが破裂するよ。賢明な自民党政治はデフレで口封じをし若者の犠牲に目をつぶってその日を待っているんだよ」
JW藤野は時々偽悪家になる。
「その日とはいつですか」
野瀬ボンは軽率だ。
「あと10年、さすがの団塊もパワーを失い大方が介護に身を委ねるようになる日さ」
「それでどうなります」
「国債も年金も価値が縮小し政治家も役人も展望が開けて新しい財政投資先を選ぶよ。給料と消費が一体となって増えるから消費税をもっと上げてもいいし、若い世代の年金も保障できる、団塊が数を減らせば介護も福祉も大万歳だ」
RR池田は他の者より年金額が低いのでそっけなく応じる。
「少子高齢の片方が解決するからな、あと10年か」
「いや20年だ、10年後から締め付けが始まり20年後に完成する。貧困に長寿なし」
「馬鹿にしなさんな、わしは生き続けるぞ」
春本行者に論理はない。
「万事不如意になって息たえだえ、社会の隅に細々と生きながらえるのね。次世代の爺婆も仕事に疲れて健康寿命が短いわ」
林ヒメもあとは野となれの気配がある。
「おしゃべりは長寿のもとだよ、うんと長生きするといい。ただ店はもう閉めたいんだ、さっさと帰るがいいさ。燕柳さん例のをやってくれなければ誰も帰らないよ」
燕柳裾まくら
季節がら食中毒には気をつけましょう。つい油断して食べ物を置いておくとカビが生えてしまいます。あれも不思議なもので、カビの子がフワフワ浮いているのだそうですな、どっかに食い物はないかと探していて食べかけのパンなんか見つけると、それってんで集まってくる。アオカビとかクロカビとか仲良く集まりまして何日もかかって自分たちの陣地をつくるんですな。こりゃ食えないと人が捨てればカビの勝ちになります。もったいないからとカビだけ削り落として食っちゃう人がいればカビの負けですな、わたしもカビに負けまいとつい食っちまって、後から腹をこわしてカビに敵討ちされてしまったりします。
あれで、食べ物だけでなくて、猫にもカビが生えるんですな、するってぇと猫はすっかり大人しくなってしまいます、カビてきた猫なんて申しましてな。
「まるでこの店にもカビが生えているようじゃないか、さあお帰り」
相変わらずマスター田辺はお世辞がない。
皆が追い出された、中路がなにか機嫌を損ねたかと心配して残った。
「道端に小さな店が増えたね、若い人がやっているようだが商売敵が増えたね」
たしかに物置だったりした所にバタバタと板を打ちつけてカフェだとかビストロとかリストランテとか看板を出している。客もそこそこ入って、つまらなそうに往来を眺めたりしている。
「あんなの大丈夫だよ、資金が尽きる前に自分が飽きてしまってやめちゃうから」
そういう格好がしてみたいだけなのだという。アンニュイな絵に描いたような姿でカウンターに立ちたい、すると同じように座ってみたい客が入ってくる。
「クリエイターとかミュージシャンとか横文字名前の連中さ。でもそれぞれ得意料理があってそれを客に食べさせるのさ、つまり食べたければ食べに来いという殿様商売だ」
「俺も座ってみようか」
「よしな、迷惑だよ。せっかく気取っているところに爺さんのご入来では雰囲気が壊滅だ。ならば誰もいない店の方がいいんだよ」
「客商売ではないな」
「そうだ、若い人はそんなのに憧れるのさ」
マスター田辺はそういうのだが自分だって客商売ができていないだう、しかし指摘するのも野暮なので中路は黙って帰った。
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