ことの発端


 平成30年が令和元年になった。5月1日に即位式が行われ10連休になった。
 いつものカフェに古希爺婆が集まってくる。古来は稀(まれ)だったこの世代も現代は輝もせず喜もなくて棄てるほど多い。それが小中学校の同窓生というから怖ろしい、月1回人混みを避けて閑散としたこのカフェに集まってくる。1時集合、解散は4時というその3時間にそこは異界となる。正午に昼食と食休みをとり1時が午後の仕事始め、退職しても体に習慣が残る。
 カフェはよくある朽ち果てた別荘、雑草の庭があり、壊れそうな椅子とテーブル、絨毯と呼ぶカーペットはすりきれており、古道具屋に置いてあればうさんくさいが、この部屋では妙に納得させられる調度品、寄る辺ないカフェだ。近頃の古民家ブームでSNSに発散された記事を頼りに、時折、迷い込んでくる娘を相手に商売をしているのは、ズングリした親父だ。伯爵とも執事とも似通わず畑の手入れやニワトリ番にふさわしい風貌の男、田辺という、元は船乗りだがリストラされて陸に上がった両生類の子孫だ。女房の伯母の連れ合いの兄の身寄りという人が施設に入り、維持できなくなった別荘を引き受けた。珈琲も紅茶も扱いが乱雑で旨いとは言いがたいが、当節のナントカカントカ理屈だらけの飲み物とは違った昭和の味がする。しかし菓子は近所の専門店からの直行なので美味しい。ビールが欲しいウィスキーはロックでと注文すれ自分のストックを出してくるし、空腹だと言えばカップラーメンがそのまま現れる。よく言えば気のおけない空間で、第一に値段が安い。
 平成という言葉は学者は故事だ出典だといっているが、庶民感覚では平和成就だろうと思っている。戦災のない時代だったが天災が多かったという印象だが、いつの時代にも地震、火山爆発、洪水、旱魃は続いている。
 昭和・平和・令和と和の字繋がりだが、学者の難しい解釈を聞くことなく「和をもって貴しとなす」という聖徳太子のスローガンに間違いない。和は大和であることも当然だ。
 報道ははしゃぎたて、たくさんの見出しに「平成最後の」「令和初めの」というタイトルがついた。慶祝行事、記念切符、記念福袋、令和弁当まで出現した。5月1日のテレビはその番組しか見ることができなかった。
 行き場がなく集まった7人の古希爺婆は顔を見合わせて新元号をそしった。いや令和はロマンチックな響きがあり悪くはない、報道に腹を立てたのだ。
「仕方ないよ、ニュースがなければマスコミは破滅し失業者が出る」
 中路という教員あがりの痩せた爺が言う。
「特集、平成をふりかえるとは何だ。昨日を思い出せなどと俺は認知症か」
 池田は商店主だが店にはまったく客が来ない、コンビニ被害者だ。
「認知症という言葉はもうすぐ使えなくなるわ、ツンボとかビッコとかと同じ差別語に転落するからね」
 林田は精神科あらため神経科あらためメンタルヘルスの専門医だ。小柄だが目が鋭い。女王様とお呼びと叫びそうだ。
「君たち団塊は理屈が多すぎるよ。マスコミ企画のイベントに乗ってホイホイしていればいいんだよ」
 藤野は一流商社を退職して、それこそホイホイ暮らしている。しかし苦味のこもった風貌はどこで出来たのか。
「戦後の昭和・平成と基本設計は変わっていませんが、耐用年数による手直しはありました。令和もその延長線上にあることに変わりはありません」
 吉川は大規模プロジェクトを設計、建設してきた技師だ。顔も四角ければ思考も四角い。ただ時々歪んで台形になる。
「でも人は飽きっぽいから時代の変化を感じたいんだよ。令和になってよかった、そう思いたいのさ」
 野瀬は旅行のプロだ。旅行を演出して売り広める仕事をしていた。独身だが女性経験はグローバルだと本人は言う。童顔なので相手にされなかっただけだと皆は思っている。
「いやいや古き良き時代を懐かしむのが日本人ですよ。連綿と千五百年、それが雅楽です、古典芸能は不滅です」
 燕柳は元落語家、定年のない商売だからいつでも高座に座れるはずなのに、こうしてカフェでのんびりしている。
「師匠、真理こそ不滅じゃよ。お釈迦様は二千五百年前から真理を示してきましたぞ」
 春本が宮沢賢治から法華経を授かって以来50数年になる。修行者ほどに枯れてはいるが、話してみると煮干のように生臭い。甲斐の別荘で瞑想、つまり汚い小屋でぼんやりすることを修行と称している。
「師匠と呼ばれると私はムカつくな、お前さん方など弟子にしたくはござんせん。いっそ兄さんと言っておくれな」
 燕柳にきめつけられて春本は低頭した。
「令和の10年間に何が起きるか」
 中路がつぶやくと吉川がすぐ反応した。
「首都直下型地震ですよ、10年のうちに起きる可能性は70%です」
「つまり来年は77%、さ来年は84%と累進していくのか、消費税みたいに。俺はあれが計算できなくて店をたたもうと思ったんだ」
「7%ずつ可能性が増えていくわけではありません、せいぜい2%くらいでしょう」
「君も技師のくせに予測が良い加減ですね。ある日地震が起きて、その日が100%になるのですか」
 藤野は数字のごまかしを熟知している。以前、商社でそうやって出世したのだ。
「なるほど亀は万年生きます、買った翌日に死んでしまって文句を言うと、ああ目出度い今日が万年目です、小噺は笑ってください」
 笑ってもらえなくて落胆してから燕柳兄さんは落語をやめたのかもしれない。
「ではこの10年に起こりえる第一、地震」
「次はオリンピツクだな」
「池田さん、それは2020年に予定されていますよ」
 中路が突っ込むと池田は平気で答えた。
「いいんだよ、予測不能の時代だ、先延ばしになるかもしれん」
「確実に我々は80才になります」
 野瀬が嘆くと藤野が笑う。
「君の童顔もそうなるか」
 「歳々年々人同じからず、明日ありと咲いた桜に駒を止め、イロハニホヘト散々にせん」
「春本さんの言うことはチャンプルーだ」
 少し気を悪くして野瀬が言った。春本は平気だ。
「すべては法華経に書かれている。無駄な本は読まないことだ」
 それまでの会話をニコニコ黙って聞いていた林がまわりを制した。
「8050問題が9060問題になるともはや、お手上げ。救済できるかしらね」
「それは消費税かね」
 池田が聞く。
「その解決のためには消費税20%が必要」
「それは計算しやすい」
 池田は深く考えない。
「そうではなくて、引きこもりの問題です。90才の父の息子が60才になってまだ引きこもっているという」
 中路が説明すると池田はあっさり言った。
「親も子も施設だね」
「インフラが耐用年数超過、道路・トンネル・崖・その他、すべてに補修が必要です」
「地震前、地震後?」
 林に聞かれて吉川はとまどった。
「どうせ壊れるなら地震後でもいいだろうと役人は思っているよ。予算がないって」
 藤野は他人事のように言う。彼は確固たる「死んで終わり」主義者だ。
「心の安全安心が何より大切じゃ、死者は30万、心の安定を失う人はもっといる」
 春本は「死んで始まり」主義者だ。
「卓見ですこと、ただそれが宗教では少し困るのよ」
 林に言われて燕柳も同調する。
「西念という乞食坊主が貯めこんだ金を餅に入れて全部呑み込んで死んじゃった。見ていた金兵衛が焼き場でそれを奪って餅屋を開いて大繁盛、話は残酷ですが聞き終わるとスッキリする。落語は人を救済します」
「どうですかね、毎週、このメンバーで座談会をやりませんかね」
 中路がなにげなく言う。藤野が苦笑いする。
「ザダンカイとは年相応だね。昼のワイドショーみたいなことだね」
 林姫も賛成する。
「縛りなしのフリートーキングでいきましょうね。ただしダマシと中傷は禁止よ」
 吉川も賛同する。
「建設的かつ緻密、よく考えぬかれた議論を戦わしたいものです」
「そりゃ無理だ。肩こりするようなことはいやだよ、笑いたいね。そこでだ、兄さん」
 池田が大口を開いて燕柳に迫った。獅子が頭を噛むポーズだ。
「落語はまくらさ。毎回まくらをふってくれないかね、芸の力でさ」
「この年寄りに毎回必ずまくらを創れとおっしゃるのか、そりゃあんまりじゃわいな」
 燕柳の芝居がかりに藤野が受けてたった。
「わしゃ仲間じゃわい、仲間の言うこときけんのかい、ちぇー情けない、小三治さんたら本まで出したまくらの名人、競ってみる気にならんのかいな」
 能勢もつけこんでくる。
「僕は足枕の常習者です。枕よりも足枕を選びます」
「お前には膝枕が縁遠いからな」
 池田に喝破されて能勢は落ち込む。そういう本人もあこがれの膝枕だ。
「燕柳兄さんならまくらも足まくらも自由自在でしょう。膝枕だって腰枕だってどこに突然入るか楽しみよ、そうしましょう」
 林は有無を言わせない。
「ようござんす、枕職人でも枕営業でもいたしましょう。皆さんの話がこんがらがってもまくらのせいにしてはいけませんよ。けど足まくらは少し野暮でげす、裾まくらなどはいかがでござんしょ、エエ鬢のほつれは枕のとがよなんてネ」
「ようよう春風亭、あれ柳家だっけ」
 藤野に言われて皆も燕柳のことをまるで知らなかったことに気づいた。こと郷に住み着いて無為徒食、なんでそれができるのか誰も知らない。
「知ってる通り僕は詩を書いています。その時に読んでもらってもいいですか」
 一同が困惑した時にカフェのマスターが現れて大声をだした。
「そろそろ閉店だよ」
「マスターの砂時計は正確でげすね、お時間がきましたのでと言ってくれれば引っ込みやすいのだが」
 燕柳が言うと田辺も負けていない。
「では囃子を入れてやろうか。燕柳さんのは野崎だっけ」
「それは黒門町、先代文楽師匠です。ああ暗い過去を思い出してしまった」
 それでも燕柳はたもとを翻してぱっと立ちあがった。
「では月末最後の金曜日に」
 中路の言葉にうなずいてさっさと立ち去っていった。
 次々に7人が席を立つ。勘定は1000円でコーヒーお代わりあり、燕柳の分は皆の会費に含まれている、ささやかなご祝儀だ。
「おっと待った」
 中路が声をかけた。
「取り決めをしておこう。会の名前は…」
「君まさに団塊なり、寄って立つところを定めんとするか」
 藤野がうんざりしたように言う。
「名なしでいいわよ、テーマだけしっかりさせましょう」
 林が厳しく決め付けると池田が猛反発した。
「異議申し立て。名は必要だろ、宿題は嫌いだ俺は忙しい」
「テーマは時流にあわせて、名前は拙速を避けましょう」 
 中路が仕切った。
 つまりワイドショーなんだと思うことにした。いかにもその世界を代表するようなコメンテーターを集めて、いかにももっともな意見を披露しあう。学者・弁護士・警察・官僚・元プロ選手などの専門家に加えてお笑い芸人・タレントなどの彩り、いかにも主婦らしい女性を薬味にして司会者がコマーシャル沢山に時間を埋めていく。誰もアドリブでは話さない想定通りの展開だ。
 ここでも互いに知りすぎている仲間だから当然の疑問に当然の反応が返ってくる。昔は地域に井戸端会議があり、勤め帰りに赤提灯という放談の場があったが消失して久しい。ママ友たちはカフェでおしゃべりをするが爺婆たちが集まる場は厳しく静粛を求められる、病院・図書館。
 皆は、いい場所見つけた!の気分でカフェを後にした。
 
 ただ念のために読者の方にご注意申し上げておく。初めて行くカフェでこんな集まりにでくわした時には決して好奇心を持たないことだ。近くに座ったり聞き耳を立てたりすると必ず報復される。爺婆はどんなに話に熱中していてもも反対側の耳で用心深くあたりに気を払っているし、鶴の群れのように中の一人は四囲をうかがってネタを探しているものだ。本人に知られぬように話の種にしていることもあるし、帰るやいなやムチャクチャな話の主人公として活躍させられる始末になることも多いのだ。
 くれぐれも虎の尾を踏むことなく敬して遠ざけていた方が良いのです。

次の章へ