ながえの郷には縦横に道路が走るようになった。逗葉新道は高速道路に直結し、三方にあるトンネルが整備されて明るく広くなった。
交通の便が良くなると開発に拍車がかかる。古い屋敷は次々に取り壊されて、一軒の広い建物と庭の跡に新建材の家が数軒ずつ建てられた。生垣も木立も落ち着いた門もなくなって、道路には玄関と窓が直に面している。裏道を通る車も多くなり、子どもたちは公園でしか遊べなくなった。
この時代は石油と電気によって作られていることを実感する。アルミニウムやガラスに加えてプラスチックが無造作に使われ、コンピュータやスマホが手放せない。人々は心にも生活にも貧しさを感じ、いつも追い立てられているような不安を持っている。また社会にも人や物を大切にしない風潮ができている。大きな天災があり人災があって一つの時代の終わりを感じる人がいる。さらに様々な国の人たちが日本のどこにも住むようになった。
2010年、平成22年夏の終わり、岸井建はペルーから南中学校の一年一組に転校した。父にとっては25年振りの長柄の郷、健とペルー人の母ラゥアは初めての日本だ。生活習慣と価値観の違いにとまどいながらも、建は学校生活にラゥアは地域社会に適応しようとする。
肩を寄せ合って木枯らしを避けているような三人には、ペルーで起きた大使館人質事件が影を落としていた。
健にも同級生のいじめや大人たちの心ない言葉に傷つくことがあった。力を持つ者は気づかないうちに弱者をしいたげている、昔も今もそうだった。それを乗り越えながらも、一方で自分自身の持つ差別意識に気づいて、子ども時代を乗り越えて成長していく。
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