その日、新聞吉は新聞代の集金をしていた。そんなにたくさんの家ではないが郷を回った。苦手な久保谷屋敷は後回しにした。門からおそるおそる庭を通ると玄関が開けっぱなしになっている。泥棒かな、心配しながら部屋をのぞくと、ふすまもあけっぱなしだ。いつもニュースを探している新聞吉はこっそりと座敷に上がりこむ。なんと老人が大の字に横たわっている、声をかけても動かない、首に縄がかかっていて拳銃が落ちている、これは大変だ、考えるより先に叫び始めた。
「大変だ、久保谷さんが殺された、人殺しだ、来てくれ集まれ、号外だ号外だ」
家を飛び出して叫びながら近所を走った。「犯人は近くにいるぞ、戸締まりしろ、男は竹ヤリだ、集まれ集まれ、号外だ号外だ」
叫び声に驚いて男たちは続々と久保谷屋敷に駆けつけた。
「何事だ、あっ、久保谷さんが死んでいる」
「あっ、拳銃が落ちてるぞ、南部式だ」
節子さんの姿はない。
「おいおい俺にも見せろ」
「そばに寄ってはいけない、証拠を残さなければならない」
「医者だ、警察だ、坊様だ、誰か行け」
何が起きたのか分からないまま、僕はあわてて吉田巡査のところに走った。
葉山警察署はできたばかりだ。長柄の駐在所も来年には建てる予定で吉田巡査が指名されているらしい。その日も大曲りの空家を臨時の駐在所にしてのんびりしていた。
「何んだか分からないけれど大騒ぎです、すぐにきてください、久保谷さんが死んでいます、殺されたと郷の人が騒いでいます」
僕の必死な顔を見て、机にぼんやり座っていた吉田巡査は弾かれたように立ち上がった。
「なに殺人だって、アメリカ兵か」
巡査は腰の拳銃と警棒を確かめてから久保谷屋敷に走った。座敷には野次馬が十重二十重に囲んでいる。新聞吉の叫び声であっという間に知れ渡っていた。
「久保谷さん、どうしましたか」
吉田巡査がむっつりと言った。
「死んでいるんだよ、分からないのか」
誰かの言葉にかっとした巡査は荒々しく皆を追い払った。
「早く警察にしらせなきゃ」
「だから、あんたに…」
「いや、わしの言うのは本署のことです、それから医者だ」
屋敷の庭からオットーさんとエミールが現れた。
「首を絞められていますね、ピストルが落ちている」
吉田巡査はようやく気づいて拾おうとするのをオットーさんが抑えた。
「指紋を取らねばなりません、状況を写真に撮るまで動かさないように」
「ドロボーかな」
エミールが言うと、ようやく落ち着いてきた巡査が周りを見回した。
「部屋は荒らされていません、盗みではないとすると怨恨でしょう。つまり恨みのある人が殺したんだ」
もちろん新聞吉をはじめ郷の人たちは聞き耳立てている。久保谷老人に恨みを持つ者は誰か、それぞれが自分以外のたくさんの人を思い浮かべたし、自分も恨みがあったと思い出す人も多かった。
吉田巡査はわいわい騒いでいる郷の人たちを追っ払った。そこに、ようやく本署から係長と部下1名が自転車でやってきた。
「君、現場には誰も踏み込ませていないね」
「はい、指示通りにはからいました」
吉田巡査は弱い者には乱暴だが、相手が強いと声までが弱々しくなる。
「引きずった跡がある、発見者・通報者は誰だ。現場を説明させたまえ」
新聞吉は郷の人と一緒に追い払われてしまっている、吉田巡査はしょんぼりした。
「この子が通報しました」
「知っていることを全部話しなさい」
僕は皆に言われて急いで走っただけだ。
「第一発見者はどこにいる」
吉田巡査はすぐに探しに行ったが「号外号外」の新聞吉を見つけるのは困難だろう。
そこに節子さんがお医者さんと一緒に戻ってきた。医者は検診し、警察は節子さんに聞いている。僕とエミールはそっと屋敷の裏手に回った。すぐに洋二と礼子もついてきた。見事な桜の木の脇に石塔があり久保谷家之墓と彫られている。僕らは木によりかかって出来事を復習した。
「エミール、どう思う」
洋二が声を潜めて言う。
「久保谷さんは誰に殺されたんだろう」
「そんなこと分からないよ、日本に来て初めての殺人事件だから」
「本当に殺人なのかしら」
礼子は慎重な性格だ。
「だってお巡りさんがそう言うんだから確かさ、お医者さんも首に絞められた跡があると言っているしね」
おっちょこちょいの洋二がキーキー言う。
「この郷で殺人なんて怖いわ」
「犯人を探し出さなきゃ、次の殺人が起きるかもしれないじゃん」
洋二が言うとエミールもうなずいた。
「アメリカにも連続殺人事件がたくさんあるよ、殺人犯は一度殺すと二度目をやりたくなるんだよ」
そうかもしれない、それにこのままでは郷の人は心配で夜も眠れない。
「犯人探しに協力しようか」
珍しく礼子が真っ先に賛成した。
「きっと皆、犯人は誰だ考えているわ、けれど、お互いが疑いあうからうっかり話せない、疑心暗鬼と言うのよ。きっと子どもなら安心して話すわ、皆うわさをしたくて仕方ないのだから。情報を集めて犯人をしぼっていきましょう」
「礼子、すごいじゃん、探偵になれるよ」
僕が言うとエミールも目を輝かせた。
「シャーロック・ホームズだ」
洋二は不満だ。
「明智小五郎だよ、日本一の探偵は」
「長柄一の探偵でいいわ」
僕は礼子に賛同した。
「まず身近な人から聞いていくことにしましょうよ。久保谷さんが殺されましたね、怖くて夜も寝られません、こう言いはじめて様子を観察するのよ、相手が動揺(どうよう)するようだったら怪しいわ」
「動揺ってなに」
洋二も僕もドウヨウという意味が分からない、さっきのギシンアンキも分からない、だけど聞くのは恥ずかしい、エミールが聞いてくれてよかった。
「顔が青くなったり、口がひきつったり、目がきつくなったり、手がふるえたり、つまりドキッとすることよ」
一週間後の放課後、ここに集合。調べて分かったことを報告しあう、ただし、この計画は極秘と決めた。子どもたちが何かたくらんでいると知られるとろくなことはない。
節子さんの話
夜になって母が節子さんにお悔やみに行った。僕と礼子がついていった。最初に聞かなければならないのはこの人だ。
「たいへんでしたね」
三人に挨拶されて節子さんは微笑んだが、顔は青白かった。
「皆様にご心配をかけてしまいました」
遺体は検死をするため警察が運んでいったので仏壇に線香が立っているだけだ。
「義父とは5年一緒に暮らしました」
「5年も!あのお爺さんと暮らすのは大変だったでしょう」
礼子がずっけりと聞く。
「辛かったです、でも今は亡くなりましたから、神のお恵みを」
「お葬式とかでお手伝いすることがあったら言ってください」
「こんな騒ぎになってしまって郷の人たちにご迷惑をかけています。お寺の住持さんにお願いして私だけで見送りたいと思います」
警察の調べが終わったら誰にも言わずに火葬するという。郷の人には黙っていてくださいと言われて、もちろんですと約束した。
新聞吉の話
翌朝、朝刊とともに新聞吉が来た。
「警察行ったら怒鳴られちゃった。犯人は誰ですかって聞いたら、今度そんなことを言うと留置所に放り込むぞとにらむんだよ。坊ちゃん、何か知らないかな」
「吉さんが犯人だと言う人もいるよ」
からかったつもりだが本気になった。
「とんでもない、俺は新聞代取りに行っただけだよ、そりゃあ恨みはあるけどさ」
定職につかず半端仕事をしている新聞吉を老人は目の敵にした。
「殴られたり犬をけしかけられたこともあるよ、役立たず、非国民だって。俺は頭も体も弱いから国の役にはたたないよ、けど、この郷の人の役には立っているだろ。あの爺さんなんか散々いばりちらした嫌われ者だ、やさしい奥さんだったが早死にしてさ、あの爺いにいじめられたせいだって皆が言っているよ、嫁の節子さんだってひどい目にあわせた根性悪さ」
こんなヒョロヒョロしている吉さんが、あのガッシリした久保谷さんを相手にすることなど困難だろう。
「お医者さんに聞きましたか」
「検視結果というのかな」
エミールと僕に言われて吉さんはまた、しょげた。
「こっちでも怒鳴られちまった、わしは患者の秘密など口が裂けても言わん、だって」
「何か分かったら教えてください」
「それは俺が言いたいよ」
佐伯先生の話
僕は佐伯先生に話を聞いてみることにした。放課後、職員室をのぞくと佐伯先生は疲れを笑顔で隠すように笑いかけてくれた。
「おお新生日本の若者たちよ、勉強はがんばっているかい」
僕たちは教科書も文房具もない、食べ物もないのに運動ばかりさせられていることに苦情を言った。
「時代は変わった。体を鍛えるのは戦争のためではない、これは幸せな時代だよ」
この前、オットーさんと坂井大佐が会談したことを話した。
「聞いているよ、中々、フランクリィでジェントリィだったそうだ」
もし坂井大佐を敵にしていたら、オットーさんはまだ戦場にいたかもしれないと言って褒めたことを伝えた。
「大佐もきっと何か言い返すだろう、聞いておくよ」
「大佐が予備役になった理由が分かりましたか」
「うん、僕らはここでも救われたのだと分かったよ」
坂井大佐は特攻に強く反対した。計画を意図的に遅らせた。
「自分は絶対に特攻の命令は出さないと言って軍と対立したのだ」
それで退官させられた。もし坂井大佐ががんばって少しでも命令を遅らせてくれなかったら佐伯先生は出撃していたかもしれない、そうなると僕らの先生にはなっていない。
エミールを学校に入れてくれたのも佐伯先生だ。進駐軍の将校の息子と同じ教室で授業を受けるなんて先生も父母も嫌がるにきまっている。しかし佐伯先生は、平和と日本のためという誰にも逆らえない大義を主張して説得してくれた。しかし、先生は僕と洋二と礼子に向かって、絶対にエミールを一人にしてはいけないと強く言った、用心深い人だ。
「久保谷さんが死んだんです」
「聞いている…」
「誰かが恨んで殺したそうです」
先生は黙祷(もくとう)したようだった。
「あの人がいなければ田辺は無事だったのだがな」
黙祷の相手は久保谷さんではなかった。
「あの時のことを覚えているだろう」
ああ、あのことと関係しているのか、僕はすぐに思いついた。
その日、僕と洋二は大山に登る林道を歩いていった。長柄川もここまでさかのぼるとチャプチャプ音を立てて流れるせせらぎだ。
山菜やキノコの季節には山道に入る人も多いのだが、今は誰もいない。足音に驚いて一声叫んで鳥が飛び立った。
「…しっ、静かに」
洋二が無理に低い声を出した。一瞬、息も止めて立ちどまった。風が木々の梢を吹き渡っていく。枯葉が一枚ひらひらと落ちてきた。
「何かの気配があったんだ」
「動物か」
猿とか鹿とかイノシシとか、そんな姿が頭に浮かんだ。戦争中、山に入る人が少なくなったので野生動物が増えていた。
「行ってみよう、気をつけて」
二人は持っていた棒を固く握りなおして川を渡った。水の流れは少なくて露出している石を踏んですぐに対岸についた。
ほっとしていると洋二が指をさした。大きな靴のあとが残っている。
「兵隊の靴だぜ、まだ新しい、今朝だな」
重々しく断言するが、そんなことは誰でも分かる。
「ここが道になっている」
斜面の草が踏まれて細い道ができている。息をひそめて登っていくと、大きな柏の木に軍隊のテントが張ってある。石を置いて焚き火をした跡が黒く焦げている。二人は顔を見合わせた。また風がゴォッと柏の木の梢を渡っていった。
洋二が僕の顔と左側を指さした。お前はこっちを回れ、僕は反対側から行くという合図らしい。
左右に分かれて2メートルの距離まで近づくと聞こえてきたのはイビキだった。カーキ色の軍服と背嚢の端が見える。洋二がそっと下を指差した。僕らはそっと川に戻った。
「復員兵だよ」
「どうしよう」
一つだけはっきりしているのは久保谷さんに知らせてはいけないということだ。元在郷軍人会長はすっかり変身して旧軍関係者を眼の敵にする、まるで進駐軍を退役したMPのようだ。だから、山狩りだなんだとすぐに騒ぎ立てるだろう。
「やっぱり佐伯先生だな」
「そうしよう」
先生は壁に寄りかかって難しそうな本を読んでいた。六畳の部屋が広く感じるほど物がなかった。
「そうか、見つけられてしまったか」
意外な言葉にびっくりした。
「あれは俺の特攻隊の同期の田辺だ。時々、発作を起こして暴れるんだ。しばらく静養させて落ち着いたら故郷へ帰す、人には話さないでくれ」
「そばに行っても大丈夫ですか」
先生は辛そうに笑った。
「戦地から帰って不入斗の病院に入っていたんだ。ところが敗戦で医者はどこかへ行ってしまった。進駐軍が来るので女は危ないというので70人もいた看護婦がいなくなってしまった。千もあったベッドは進駐軍に接収されてしまった。あいつは発作に苦しみながら浮浪者になっていたんだ」
ある夜、散歩をしていると物陰からボロボロの男が飛び出した。強盗かと思って身構えると、佐伯と俺の名前を呼んだ。もとは丸顔で愛嬌のある奴なのに、病気と心の傷でやせこけてとげとげしている。俺は谷戸の奥の空き家に連れて行った。田辺は時々凶暴になり木を打ち据えた。マラリアの熱にうなされて大声で叫んだ。闇市で買ったキニーネを飲ませたら、だいぶ落ち着いたが人には知られたくない。
「俺はその頃、久保谷さんの離れに食事付きで下宿していた。老人は毎晩、戦争の話をする、俺は思い出すのも嫌だった」
毎晩、夕食の入った飯ごうを持って山道を通った。二人分の食べ物を俺が食べる、この食料の乏しい時代に、節子さんは親切だった、野菜と魚は大丈夫ですよ、そう言って笑ってくれた。しかし、老人はそうはいかない、毎晩出かける、食べ物や服を持ち出す、それで誰かを隠していることを見破ったんだ。
俺たちはそこをキャンプと呼んでいた。満月の晩、めずらしく田辺は正常だった。持ってきた夕飯を食べながら話をした。
「今の俺はぬけがらだ、戦争が終わった時に、どうやら魂も終わってしまったようだ」
田辺は弱々しく言った。
「それは病気のせいで気力が消耗しているんだ。早くマラリアを治せ、それで元に戻る。そうしたら故郷に帰れる」
すっかりやつれてしまった田辺の顔が月影になって見えないのが救いだった。
「俺たちは一つのことだけ考えていればよかった、戦争のことだ。それが間違っていたのは分かる。しかし今は色々なことを考えなければならない。自分のこと社会のこと、面倒なことばかりだ」
「それが自由になったということだろう」
俺は力づけようとして強く言ったが、田辺は猛烈に反発した。
「貴様は自由かもしれん、俺はそんなに器用に価値観を切り替えることはできない。俺は戦争で育った人間なんだよ」
佐伯はかっとした。それこそ教育勅語に最敬礼させる戦時国民思想教育そのものだ。自分は自由と民主主義の新しい教育を創り出すことを心に誓ったのだ。
「新しい日本、平和な日本を子どもたちに託していく、それが俺の魂だ」
田辺も弱々しくうなずいた。
「貴様やってくれ、俺は敗残兵だ」
老人はそんな会話をこっそり聞いていたらしい。翌朝、厳しく言い渡された。あれは脱走兵だろう、平和日本に戦争好きな者は困る、凶暴なキチガイだろう、事件が起きる前に出て行ってくれ。
「私の戦友です」
「わしにとっては狂犬病の野良犬だ、あの土地はわしの所有だ、さっさと出て行かせろ」
その晩、キャンプに行ってみると田辺はいなかった。何が起こったのか分からないが、田辺は追い立てられたのだ。俺もすぐに久保谷さんの下宿から離れた。
先生は静かに話し終えた。
「先生も久保谷さんを恨んでいますね」
「ああいう人たちが戦争を起こしたのだ。日本に対する責任を取らせたい、いま各地で裁判をしているよ」
「まさか先生が久保谷さんを…したんではないですよね」
そんなことをはっきり言えるはずがない、返事を待った。佐伯先生はとまどったようだが、すぐに分かった。
「ハッハ、俺は特攻帰りだ、自分の命を拾ったようなものだ。いまさら命を粗末にはできないよ、人も自分も持っているのは同じ命だ。君たちも命を大事にするんだぞ」
床屋の金子さんの話
エミールは床屋へ行った。この前から早く髪を切れと母親に言われていたのでちょうどいい。オットー大尉も髪の毛が長いのは嫌いで将校なのに兵隊と同じGIカットに刈っている。
お客のいない床屋くらいひまそうに見えるものはない。金子理髪店の親父もぼんやりと新聞を読んでいた。
「おいエミール…君、切る前に髪の毛を見せてくれよ」
名前を呼びつけにしては悪いと思ったのか…君と思いついてつけ加えた。
「なるほど柔らかい毛だ、自然にカールしているからエリ元がふんわりするんだね。日本人は毛が固いし、ここのボカシが難しい。この10年以上もずっと丸ボーズばかりやっていたから腕がおとろえてしまってさ、現在研究中だよ」
戦争は床屋さんにも影響を残す。
「戦争前のことだがイタリアの黒シャツ隊というのが来てね、黒い髪のヤツが多かったな。その後のドイツのヒットラーユーゲントというのはキラキラ光る金髪を短く刈っていてきれいだったな、切ってみたいと思ったものさ。ありがたいよエミール君、お代はまけておくからね」
「久保谷さんのことなんですけれど」
言い終わらない前にピシャリと言われた。
「おれは久保谷の爺さんなんて大嫌いだ」
毎週のように店に来ては町のうわさ話を聞きだそうとする。スパイを摘発するとかいって床屋を目明しか何かと間違えている。確かに別荘の若い人は外国の難しい本を読んでいるし社会主義とか天皇機関説とかよく知っているよ。でもそんなことを告げ口したらお客が減るじゃないか、ブツブツ言ったら、国より店のほうが大事かって怒鳴られたよ。当たり前じゃないか店がつぶれたら食っていけない、そう返事をしたら杖でなぐられた。
「第一、あんなハゲ頭では床屋にはなんの縁もない、客になったこともないのに威張ってやがる、いやなヤツだった」
久保谷さんが殺されたとすると犯人はだれですか、エミールははっきりと聞いてみた。
「そうかい、殺したいって言う人がたくさんいたからね」
そう言ってラジオの棚を見ると写真が一枚飾ってある。若い男だ、親父さんに似ている
「小さい時にカミソリで指を切ってしまって大人になっても人差し指が曲がらないんだよ」
それを久保谷老人が見とがめて徴兵忌諱だと騒ぎ立てた。在郷軍人会の権力は大きい。懲罰的に満州の前線へ送られてしまった。ふつうは指が不自由で銃の引き金を引けない者は兵役が免除になるのだ。
「息子はまだ帰らない。口惜しいね、息子の仇だよ」
「じゃあ仕返ししたのはおじさんですか」
「バカ言っちゃあいけない。殺してやりたいとは思ったけどね、だけど床屋は首をしめたりしない、殺すならこれを使うよ」
カミソリをキラリと光らせた。
「まだ息子を待っているんだ、帰ってこないと分かったら、その時こそ。あの爺さんなんか戦犯だよ、こういうのを進駐軍で処罰してくれないかな、お父さんに頼んでよ。もっとも戦争に行ったのは俺の息子ばかりではないけどね」
修道院のヨシさんの話
僕らが長柄川の土手を歩いていると修道院の手伝いをしているヨシさんがいた。摘んだばかりのセリの葉を洗っている。
「オバさん、こんにちは」
無表情で腰に手をあてがいながら立ち上がっると何かがチラっと光った。数珠だと思ったらエミールがそっと言った。
「あれロザリオだ、おばさんはクリスチャンですね」
ヨシさんは悪いことでもしたようにロザリオを手の中に隠した。
「そうです、私は洗礼を受けました。春山夫人に頼まれてずっと修道院で働いています」
静かにうつむいている。
「久保谷さんが死んだそうですね」
「そう聞きました。教会では殺人や自殺を大変きびしく戒めています。神様に授けられた命を自分勝手にすることはできません。いくら苦しいことがあってもそれは試練なのです」
エミールがわざとたどたどしく聞いた。
「久保谷さんは今、神様に裁かれていますか」
「神様のことは何も申せません。しかし、戦争中、久保谷さんは修道院のシスター様たちに大変むごい仕打ちをされました。これは人間として許されることではありません。私までもがすれちがいざまにぶたれたり蹴られたりしました。まるで江戸時代の迫害のようでした」
キリスト教は敵国の宗教だから信者は敵とつながっている。わが帝国を敵に売る許しがたい奴らだ。教会にいる外国人たちはみなスパイだ。こんなに軍港に近い所に住まわせておくとどんな秘密を探り出すかもしれない。収容所に送るべきだ、そんなことを言った。
「シスター様たちを外出禁止にし、配給の品も与えません。私たちはこっそりと食べ物を運びました。在郷軍人会の人たちは時々修道院に押しかけてはひどいことをし、品物を取っていきました。ある日シスター様たちはいなくなりました。収容所へ連れて行ってしまったのでしょう。そして、修道院を壊そうとしたのを私たちは必死に守りました」
「私たちって誰ですか」
「葉山と逗子の信者たち、春山夫人、久保谷の節子さんも強く言ってくれました。それで、さすがの久保谷さんも手を引きました」
礼子はため息をついた。
「教会を壊さなくてよかったですね」
しかしヨシさんは冷たく言った。
「あの行いは裁きにあって当然です」
「オバさんも久保谷さんを裁きたかったですか。殺したいなんて思いましたか」
礼子が相談したとおりの質問をするとヨシさんはうつむいた。
「私はキリスト者ですから殺人などできません、しかし何度も殺したいほど憎みました。こういう思いを持ったことはたぶん私の罪になるでしょう」
身をかがめて泣きそうな様子はかわいそうだった。
春山子爵夫人の話
ヨシさんは話のあとで春山夫人の力になってほしいと言った。夫人の話を聞けば、どんなにひどいことがあった分かると言った。
「オットーさんにもお願いしてください、正義を明らかにしてほしいのです。ぜひ夫人にお会いになってくださいな」
そう言われては引き下がれない、僕らはそろって別荘に向かった。
呼び鈴を鳴らすと春山夫人が優雅にドアを開けてくれた。昔なら執事というような人がする仕事だろう。
「よくおいでくださいましたわ」
そう言って僕らの顔に微笑みかけたまま黙っている。自分から話を聞きださず、相手が言い出すのを待つのが礼儀だそうだ。エミールも僕も相手の話の途中でもかまわずワアワアしゃべる、そんなのは礼儀に反するのだ。
正直にヨシさんから話を聞いたことを言って久保谷さんの死んだことを言った。
「それは失礼な言い方でございましたわ」
春山夫人はもの静かに言った。
「郷の人たちはみんな優しくて援助もしてくださいましたのに」
しかし久保谷老人だけはハイエナのように食いついてきたそうだ。
「戦中は、華族なのだから皇国の藩屏(はんぺい)になってくださいなどと横柄に言って、何かの祝いがあると多額の寄付を求めてきました。男手のないことを承知しながら意地悪く訓練や勤労奉仕を割り当ててきました。私はずいぶん苦労しました」
縫い物の手を少しも休めずに話が続く。
「弱い者いじめを楽しんでおられるようにも思いましたわ。用もないのに訪ねてきていやらしいことを言ったり、一度ならず私は身の危険を感じました。ところが戦後になると今度は進駐軍第一になられて、まるで私共のせいで戦争に負けたようにおっしゃいますの。それを償えというような口調でね」
縫い物の手が止まった。
「華族制度が廃止になり、たちまち生活に困るようになりましたの。すると老人は食料を買ってあげようかなどと言って家の中を物色します。この道具は何円で購入したのか、それなら何円立て替えて米にしてやる、そんな言い方で家具や調度を持ち出します。私は物の売り買いをしたことがないのでインフレということがよく分かりませんし、財産税というのも理解できません、東京の屋敷は空襲で燃えてしまいました。もうこの別荘しか財産はありません」
21年に財産税という名目で華族の資産を没収する決まりができて多額の税金を徴収された。それで華族は没落した。
「財産を隠しておかなければ没収されてしまうと言って久保谷さんがほとんど持っていかれましたわ、ところが、いつか私の着物を漁師の娘さんが着ているのを見て情けなくてなりませんでした、久保谷さんがお売りになったのですね」
茶道具や絵画を進駐軍将校が欲しがった。オットーさんの家主というふれこみで売りさばいたらしい。ドレスや装身具は奥さんたちが喜んで買う。代金をドルで受け取りインフレに便乗してまた儲ける。
「そんなことが分かっても仕方ありませんわ、もう家の中はからっぽなんですから」
ついにこんな要求をしてきたそうだ。
進駐軍将兵の慰安のため鎌倉の由比ガ浜にダンスクラブができた、リビエラというそうだ。この葉山にもそれに負けないような社交ダンス場を作りたい。ついてはお屋敷を開放してもらって土日の休みにパーティというのを開いてもらいたい。
「あなたは社交界というものをご存知だから適任だ。これは進駐軍の要望だ。あなたが踊りのお相手になればアメリカさんは喜びます。チップをもらって楽に暮らせましょう」
「そんなことを言うのです。あまりのことに絶交して、私は強く生きようと固く決心いたしましたの」
きっとした顔は厳しかった。
「殺してしまいたいと思いましたか」
「それは何度も、華族にも卑劣な人はいますが、あんな性根の悪い人はいません」
夫人はふと気づいて目をそらせた。
「死んだ人のことを悪く言い過ぎましたね。子どもさんたちに言うことではありませんでした。お嫁さんの節子さんも辛い思いをされているようで打ち解けた話をしました。私はこうやって縫い物をしたり実家からも助けられて飢え死にせずにすんでいます。ほんの少しだけは久保谷さんのおかげだと思っているのですよ」
闇屋の兄ちゃんの話
日曜日だった。節子さんが出かけて行き、僕とエミールが留守番をしていた。玄関に男の声がした。
「久保谷さん、いい品が入ったぜ」
時々顔を見せる闇屋(やみや)の兄ちゃんだった。
「久保谷さんは死にました」
「なに、くたばったかい、因業な爺いだったからな地獄行きはまちがいあるめぇ、なんで死んだんだい、病気か」
兄ちゃんは派手な服で上がりこんだ。
「殺されたのか自殺か分かりません、おじさんは知り合いですか」
「俺は闇屋だよ。都会の連中を食わしてやっているのは俺たちさ。ここから煮干やワカメを持っていく。その代わり都会から油や醤油や砂糖を持って来る。靴やシャツやバケツだって大事だろう。物々交換の原始時代に戻ったようだけど俺は流通業者だと思っているよ。警察が取り締まって没収するのが気に食わないし、その物資を警察が売りに出しているので余計に腹立つよ。まあ子どもに言っても仕方ないけどね」
もっと聞かせてくださいと僕はせがんだ。
「俺は厚木さ、ただ成績が悪かったから飛行機に乗せてもらえなかったので命拾いしたんだよ」
8月19日に軍用機を飛ばしてきて逗子にビラを投下したのも彼と仲間たちだった。=-相模湾上で決戦する-町は騒然とした。
「正午に陛下の重大放送があるって言われて一装で集合したんだ。一装というのは正装だよ。…日本が負けた、降伏した…ブルブルと震えたよ。なんにも考えられなくて午後中ぼんやりしていた。残念、無念、たぶん、あの玉音放送は陛下のご真意ではない、徹底抗戦するんだ、そう思ったよ」
見かけよりは真面目な人らしい。
「上の奴らは卑怯(ひきょう)だよ。特攻に出撃する隊員に、お前は先に行け、俺も後から行くと言っておきながら、誰も自決なんかしない。新生日本を建設するとか言ってな、死に損とはこのことだ。お前たちもこの先、大人にだまされないようにしろよ」
すぐに戦後の話になった。
「本当に負けたのだと分かると、もうどうでもよくなった。しかし食べなければ死ぬ、せめて世の中のためになるのは闇屋をすることだと分かったよ、お前、米がいくらだか知っているかい」
白米は1升50銭と国は決めているが、実際は70円だ。清酒なんか1升8円のはずなのに350円もする。靴が530円、裸足で歩けと言っているような値段だ。
「物がないから値段が上がる、しかし国は何もしない。進駐軍のお恵みをいただくだけだ。俺はここの海産物を都会に運び、不足しているものをここに届ける、人を助け自分も食べていく、それのどこがいけないんだ」
兄ちゃんはまた怖い顔になった。
「あの久保谷の爺いめ、俺に説教した、まともな暮らしをしろと。戦争中のあの国粋主義者が戦後はもう民主主義だ、なんでもかまわず威張っていたいだけの爺いなんだよ、俺に説教する資格がどこにある。あいつだって俺の品物でもうけているんだ。俺は殺すぞと怒鳴った、事実ピストルは持っているし自決用に配られた青酸カリもある」
それで殺したんですか、僕は怖々聞いた。兄ちゃんは大笑いした。
「弾がもったいないし薬も一回分しかないや、もっと大事な使い道があるだろう。それで馬鹿にしてやったさ、俺は人は殺すが犬は殺さないって、悔しそうな顔をしていたよ」
殺人か自殺か調べているらしいですよと僕は言った。兄ちゃんの顔がゆがんだ。
「MPかい、それとも日本の警察かい」
そしてエミールの顔を見て独り決めしたようだ。
「きっとMPが爺さんを逮捕しようとしたんだ、戦犯容疑だ、それで自殺したんだ。東条も自殺しそこねたしな。もしかすると、捕まって拷問されて別荘の軍人とか実業家とかの容疑をばらしてしまうと大変だから、誰かに殺されたんだ、そうに違いない」
そして大声で言った。
「俺は知らないぞ、第一、せっかく自由になったのに、つまらん人殺しなんかで捕まって閉じ込められるのはご免こうむる。それくらいのことは誰にでも分かるだろう」
今度は小さな声でエミールに言った。
「パパさんにスーベニールは何がほしいか聞いてくれ。あの爺さんもそれでだいぶ儲けたらしい。日本刀でも掛け軸でも何でも持ってきてやるよ。その代わりMPに言って保証人になってくれ。日本の警察につきまとわれたら闇屋ができなくなるからな」
復員兵 農家の正平さんの話
「戦場から帰ってきたばかりの人ってどうなんだろう、人を殺すなんて平気だろう」
洋二が言い出した。
「それはそうね、誰かしら」
「大山の手前の正平さんだろ、ルソンから帰ったばかりだ」
今度は四人そろって行ってみた。
正平さんはうれしそうにクワをふるって畑を耕していた。白ハチマキをまいたおでこに汗がたれている。エミールを見てちょっと顔をしかめたがすぐ笑い顔になってそこに座れという合図をした。
「クワをふるのは久しぶりよ、ただルソンにいても畑のことが気になって忘れなかったよ。今年はカボチャとサツマイモだが、そのうちに大根もスイカもやるよ、まあ待っていな、そこのアメリカさん、エミールっていったっけ、日本のスイカはうまいぞ」
エミールがニヤっとすると正平さんも笑った。
「ついこの前までは戦争していたなんて思えないよ。さいわい俺は殺し合いはしなかったけどな、食い物がなくて爆弾ばかり落とされて地獄を見てきたよ、お寺の坊さんより地獄のことはくわしいぞ」
久保谷さんが死んだ話になった。
「地主さんだから農地解放で田畑を取られて悔しかったんだろ。小作に貸している土地もあるし、強欲な人だから国の決定に納得いかなくて悔しくて自殺したのと違うかい」
「殺されたのではないかって」
僕が言ってみた。正平さんは平気だった。
「敵の多い人だからな。俺の所にも来たよ、なんでも、うちがお寺に借りていた土地が農地解放になって困っているから小作料を何とかしろってさ、あの人に言われたくないや。あの爺さんはお節介で嫌な奴だよ」
すごい声で怒鳴っていたって近所の人から聞きました、洋二が言った。正平さんは平気だった。
「あの人も憲兵あがりだから声が大きい、俺だって元上等兵だから負けないや。なにが元軍曹だ、こっちは下士官には恨みが山のようにある、思う存分怒鳴らせてもらってすっきりしたよ」
「久保谷さんが誰かに殺されたとしたら」
正平さんはハッとしたように黙った。そしてボソボソとつぶやいた。
「いい人が死んで嫌なヤツが生き残る、戦地でもそうだったよ。戦友も爆弾で吹き飛ばされたり、病気で苦しみながら死んだりした。そういう姿を見ていると、人の命ははかないものだ、だから大切にしなければね。お寺さんだって食えなければ飢え死にさ、俺はそんな薄情ではない、ちゃんと考えているよ、お布施を毎月届けてるんだ」
聞くだけ聞いてみた。
「久保谷さんを殺したのは誰だか分かりますか」
「俺はルソンから帰ってきたばかりだから郷のことは分からない。しかし俺には人殺しはできないよ、あれだけたくさん死体を見てきたんだ、ここでまた見るなんてご免こうむる」
そう言って立ち上がると畑の上にくっきりと正平さんの影が映った。角も生えていないし毛も逆立っていない、がっしりとした男の影だった。正平さんはこやし桶を大八車に乗せてゆっくり引いていった。
肉屋の次郎さんの話
正平さんを訪れた帰り道に大曲りの肉屋さんに寄ることにした。しかし、礼子とエミールは用があるといって帰ったので、洋二と僕の二人だけになった。
次郎さんはハルピンの収容所から帰ったばかりだ。
僕らは作戦を変えて引き揚げの苦労話を聞きたいということにした。
ラジオで「異国の丘」という曲が流れている。次郎さんは頬杖をついて食い入るように聞いている。こんにちは、こんにちは、何度か声をかけてようやく気づいた。僕らが何も聞かないうちに次郎さんはもう話し始めていた。
「ひどいもんだよ、鬼より強い関東軍なんて言ってさ、終戦と同時に消えうせてしまったよ。ありったけのトラツクに食料も武器も全部積み込んで、あっというまに逃げてしまった。あとに残ったのは開拓民だけさ、それも年寄りと女子どもばかりさ。侵攻してきたソ連兵というのが悪かった。昔は馬賊っていうのがいたそうだがソ連はもっと強欲だ、ありとあらゆる物を奪ってしまったよ。おまけに面白がって人を殺すんだ。今までいいように働かせられていた現地人もひどかったね。仕返しのつもりで襲いかかってきたんだ」
次郎さんはもう涙ぐんでいる。
「俺も集団自決の仲間に入ろうか迷ったよ。食べ物はなし、寒さはひどい、病気になったら野垂れ死にするだけだし、けれど、歩いたね、この長柄の郷の景色を思い出したからだよ。春は新緑、夏の入道雲、秋の満月、冬は…こちらは冬ばかりだからね、ずいぶん長い冬だったよ」
次郎さんは開拓民になって満州の奥地の小さな町で肉屋兼雑貨屋を開いていたそうだ。
「店ではなんでも売っていたよ、なにしろ近在で一軒しかない。売りにくる奴と買いにくる奴がゴチャゴチャしていた」
そして終戦になった。
「ようやくハルビンについたよ、収容所に入れられた。広い講堂にムシロを敷いてあるだけ、気温は零下30度だよ、支給されるのは固い黒パンがひとにぎりだけさ」
ようやく僕は戦争体験を聞きたいと言った。
「そういう話かね、これは若い人に覚えておいてもらいたいもんだ、客がいないからゆっくり話をさせてもらおう、といってもあらかた話してしまったがね」
引き揚げは終戦と同時に始まって、浦賀に56万人が上陸した。最初は中国の広東から入港。千代崎沖に停泊し、はしけで紺屋町の陸軍桟橋に上陸した。しかし、傷病者やコレラ患者が乗船していることが分かって九里浜の海軍対潜学校に設けられた検疫所に上陸することになった。GHQの詰め所もそこに置かれた。
「日本の船ではなかったな、アメリカのリバティ型輸送船だよ。ただ船乗りは日本人だった。進駐軍に借りたんだね。日本の船で満足に動くのは少ししかなかったんだ」
日本を見て息を引き取った人もいる、上陸しても医者も看護士もいない、そこで死んでしまった人もいる。白布で包んだ遺骨箱を胸にした人もたくさんいる。年寄りと子どもの手をしっかりつないで、誰もが大きな荷物を背負っていた。廃船同様の錆びた小さな船から、人があとからあとから降りてきた。進駐軍の兵隊がげらげら笑いながらDDTの白い粉を浴びせかけた。ノミ・シラミがぎっしりたかっている、何しろ皆、汚かったし臭かった、ボロボロの服と布袋だ、大切なものは途中で全部取られちゃったしね」
「ラバウルやシンガポール、タイなどからの船が先について、ようやく船が来たときには、どんなにうれしかった…」
また涙ぐんだ。
「久保谷のおじいさんが死んでしまいましたね」
「世話になったかって、歯ぎしりしたいくらいだ、俺は満蒙開拓団なんか入りたくなかった。しかし、この郷からも人を出さなければいけないってお辞儀をして頼むからしかたなく承知したのさ」
昭和12年には葉山に近衛首相、杉山陸相など5閣僚が集まり開戦を決定する会議を開いたのだそうだ。
「戦争が始まるのを知っていながら送り出したのさ。知らずに行かされた俺たちはバカだね、壮行会ってのをやってくれたよ、あの爺さん一人だけはしゃいで万歳万歳って、あの声がハルピンでも耳を離れず、悔しいやら情けないやらさ、ずっと恨みに思っていた」
僕らはあいづちもうてなかった。
「帰って最初に殴ってやろうと屋敷に押しかけたんだ。そしたらヤクザみたいな奴がいて、爺さんも拳銃を出してきて逆に脅されてしまった」
しかし、そのヤクザというのは闇屋の兄ちゃんで、それが縁になって品物を下ろしてくれるようになった。
「あの拳銃はいけないよ、爺さんは元憲兵だろ、平気で撃ち殺しそうだ」
「首を絞められて死んだらしいです」
「そんな話だね、俺も商売柄、包丁はよく研いであるが、人を刺すことはできないね。俺は幸い生き残ったけれど、異国の土になった人たちの恨みが渦巻いている。あの爺さんも冥土で閻魔さんに裁いてもらいな」
大木屋の君枝さんの話
「あの食堂の大木屋さんなら何かうわさを聞いていないかな」
僕が言うと洋二がすぐ賛成した。
「夜もこっそりお酒を飲んで酔っ払う人もいるらしい何か知っているよ」
しかし洋二は母親に呼び止められて足止めをくい、それで礼子を誘って3人で行くことになった。大木屋はたった二軒だけ残った食堂だ、ラーメン20円カレー50円トンカツ100円、なんでもできるが今はまるで材料がない。しかし弁当や夕食を作ってもらえない人が頼りにしている。
「おや、坊ちゃんたち、いらっしゃい」
大木屋のノレンをくぐるとハル婆さんがすぐに声をかけてくれた。テーブルが4つ、小上がりという畳の座敷がある、お客は誰もいない。僕らを坊ちゃんと呼ぶところはここだけだ。
「エミーさんかい、きれいな坊ちゃんだね」
ハル婆さんは頭で考えなくて口だけで話している。
「お客かい、相変わらずなにもないんだよ」
奥から雄二爺さんが出てきた。
「おや、坊ちゃんかい、ご馳走してやりたいね、婆さん、取っときのあれ出しな」
「外食券なんて変なものを持っていないと飯を出しちゃいけないなんて、戦争が終わったから廃止になるかと思ったら、まだ続いているんだよ。ちかごろは配給も止まっているしね、他の食堂は休業命令だけど、うちは警察から出前がくるから残されいてね、内緒で材料も届くんだよ」
「婆さん、余計なことを言ってないでうどん粉を出しな。おかげで代用食の料理を工夫しましたよ、意外となんでも食えるもんだね」
すぐにネギと干しエビの入ったお好み焼きが皿に乗って出てきた。醤油の焦げる匂いで胃も頭もくらくらした。
「アメリカにはないだろう、うまいものだよ、もんじゃ焼きってね、昔の子どもの安いオヤツが今はごちそうだ」
ハル婆さんも涙ぐんでいた。
「親が死んじまって浮浪児になって飢え死にする子がたくさんいるんだってさ、かわいそうにね、いつになったら良い時代になるのかね」
エミールが珍しそうにつっついてみた。
「進駐軍が食べ物を分けてくれるそうだ、ありがたいね。この前、客が聞くんだよ、爺いこれはどうやって食うんだって、兵隊にもらったんだがバターか油かって、よく見たらお茶を沸かす固形燃料さ、食ったら下痢ではすまないよ」
ところで、と僕が言い始めた。爺さんも婆さんもフンフンと聞いていたが、殺されたかもしれないと言うと怒った顔になった。
「もっと早く死んじまっていれば、うちの君ちゃんも災難にあわずにすんだのにね」
「そうとも、久保谷爺いが首をつっこんでゴチャゴチャにしちまった。その後のあれは何だ、君枝はあやうく売り飛ばされるところだったんだ、なに殺されたって、いい気味だ」
「なにかというと国賊の非国民さ、ずいぶん泣かされた人がいますよ」
二人の様子があまり激しいので僕らは圧倒された。ようやく話の糸口をたどった。
君枝さんは女子挺身隊に徴用されて横須賀に配属された。その間に実家の長岡が空襲にあい家族は全員死んでしまった。君枝さんは帰るところがなくなった。大木屋さんが同情して養女にしてくれたのだそうだ。
「さっき出かけたがもうすぐ帰ってくるよ、私たちのことを本当の親のように大事にしてくれる良い娘だよ」
「実の子よりもかわいいのう」
息子は戦争が終わったのに実家に帰ってこないのだという。
「ただいま」
明るい声がした。君枝さんが帰ってきた。
僕らは駆け寄って迎えた。
「宿題です、女子挺身隊のことを聞いてきなさいって先生から言われました」
「佐伯先生らかや」
「いや違う先生です」
「…せつなかった、戦争は嫌いらね。だろも妙なもんらと思うよ、あんなにつらくていやだった女子挺身隊の生活、だろも思い出すとなつかしくなるてな」
君枝さんは静かに少しさびしげに話しはじめた。
「私は新潟の長岡の高等女学校から女子挺身隊に取られたて。友だちは新潟、私は横浜ですて」
そこには湘南高等女学校や横須賀中、小田原中の生徒も来ていた。飛行機工場で最初は赤トンボという練習機、次に水上機、最後に特攻機、桜花という計器もろくについていない粗末な飛行機だった。
「7時半から4時まで仕事、食事は雑炊をひしゃく一杯、バケツで運んでどんぶりに入れたて、大根の葉の漬物とか乾燥バナナなんかこわ(固)くてさ。楽しかったは明治節の日だっけ、お汁粉とミカンを食べて演芸会、私は佐渡おけさだっけん大拍手らすけ。それから、すぐに空襲が始まっても防空壕がないらろ、作法室の床下にもぐりこんだっけさ、まるで地震の避難さ」
家族に手紙を書いた後に長岡は空襲を受けた。昭和20年、もうすぐ終戦という頃だ。
「あの手紙、父さん母さん兄んにゃが受け取って読んだっけん、思ったら涙がでるわね」
そこに久保谷さんが現れた。
『青少年義勇軍』とかいうのが募集されているのに郷からの応募がない。それで孤児になった君枝さんに目をつけて大木屋に乗り込んできた。
「試験があるから入るのは大変だが、わしが口をきいてやるってさ、脅かすような口調で言うんだよ」
返事もしないうちに書類を提出されてしまった。何月何日、東京に集まれ。仕方なく君枝さんは出かけていくと、裏通りのバラツクみたいな建物で人相の悪い男がでてきた。筆記試験と身体検査がある、これを書けといわれて誓約書を渡され写真を撮られた。
「7、8人くらい娘さんがいたわ。これはおっかねぇと思って逃げんせやと言ったわ。こつそりと裏口から全員で逃げたって。助かってよかった」
逃げ帰った後に久保谷さんに会ったがしらんぷりをしていたそうだ。
「あやうく人買いに売り飛ばされるところだったよ」
雄二爺さんが言うとハル婆さんも大きくうなずいた。
「それが戦後になって、臆面もなく、また来たんですよ」
「蛙の面に水、池しゃあしゃあだ」
あんたは老齢だし、君枝一人では店をやってはいかれまい。昨日こんなチラシが届いたから応募するといい。
『新日本女性に告ぐ。戦後処理の国家的緊急施設の大事業 率先協力を求む 年齢18才から25才まで、宿舎、被服、食料全て支給する』
「うまい話だよ、まゆつばだ」
「若い女だけというのは怪しい、それでヤクザの菊田さんに聞いたんだ、蛇の道は蛇だね、進駐軍の慰安婦だってさ」
「あの爺さんは人を陥れることばかり言ってくるんだよ」
「あの強欲爺め、何かもうけようとしたんだろうね、前に店で結婚式の宴会をやったときだって特別配給のお酒を何度も没収されちまった、なにより君枝が無事でよかったよ」
校長先生の話
「校長先生と久保谷さんは似ていると思わないか、なんか偉そうにしていてさ」
僕が思いつきを言うとエミールも考え込んだ。
「たしかにそうだ、同類だね。ならば憎みあっているかもしれない。虎とライオンの戦いだ」
僕にはタヌキとムジナのけんかみたいに思えたが取り合えず校長室に乗り込んでみることにした。僕らはだいぶ度胸がついてきた。
「おおエミール君、すっかり日本語が上手になりましたな」
「いろいろご親切ありがとうございます」
エミールは馬鹿丁寧に挨拶した。どうも闘いの前のウォーミングアップのようだ。
「ほら見なさい、こんなに礼儀正しい、アメリカ人をお手本にしないとなりませんぞ」
そんなことは気づかずに校長先生はニコニコと愛想笑いをしている。ついこの間までは「鬼畜米英」と叫んでいたのに見事に化けたタヌキ校長だ。しかし久保谷さんの名前を出すとシッポが出た。ギュッと口を結んで時計を見た。
「もうすぐ会議が始まるから忙しいんだ」
予想通りだ、だから僕たちも単刀直入に聞くことにした。
「GHQは誰かに殺されたと思っているようです」
校長の顔が白くなった。
「ではGHQがわしを疑っているというのか、ぜったいわしではないぞ、確かに口論することはあったが殺すなんてことはしていない」
こうなればかさにかかって攻められる。
「仲が悪かったと皆が言っていますよ」
「わしが戦争に反対していたからだ、軍国教育にも学徒動員にも反対したからだ」
それにしては出征する時にまっさきに万歳を叫び、ご真影の前で教育勅語を重々しく読んで、少しでも体を動かした子どもを後から蹴飛ばした校長だ。
「久保谷は在郷軍人会をかさにきて学校を支配しようとしていた。わしは抵抗してよく口論した。あいつの態度は憲兵そのものだ」
エミールがおだやかに言った。
「戦争は終わりました。戦後にもよく口論していたと聞きました」
「わしが民主主義を説くとやつは馬鹿にするのだ。エミールくん父上に言ってくれ、わしは心からの平和主義者だ、教育に人生をかけてきた」
やはり進駐軍が怖かったのだ。小さな権力をふりかざしていた人は大きな権力の前では卑屈になる。
「最後に久保谷さんに会ったときはどんな話をしましたか」
まるで裁判官のような口調だったが、今はダンゴ虫くらいに縮まった校長は早口でまくしたてた。
「民主主義だから会議で決まったことだといったら、それは責任逃れだ、校長として筋を通せと言うのだ。つまり教科書に墨を塗ることを子どもたちに説明して謝罪しろというのだ。それでは教師の面目が丸つぶれだ。おまけに奉安殿を壊した残骸とご真影をどこにやったか、捨ててしまった焼いてしまったと言うとわけの分からないことを怒鳴り始めた。人非人とか共産党とか聞いていられない。ついに郷の人全員に告げてやる、正義の鉄拳を下す、公の裁きを受けさせる、支離滅裂だ」
なるほど一方は国家権力をふりかざし、一方は小さな学校世界の長たる面目を守ろうとする。
「そんなことは今までたくさんあったよ。戦前には、この地区を巡回した視学官に自分の宿舎に屋敷を提供して告げ口した。わしの教育がナットランので子どもの学力が低い。指導力欠如だ、放逐しろと。たぶん、わしの出世が遅れたのはそのせいだ」
なるほど恨みは深い。
「戦後はわしの公職追放をねらったんだ。戦争責任を取れ、学校教育が子どもたちを戦地に送った、恥を知れ、潔く腹を切れなどといって脅してくる、たぶん、わしは郷の人の信望が篤いのでねたんでいるんだ、口惜しいのだろう」
校長の評判は決して良くないのだが本人がそう言うのだから仕方ない。それで決まりゼリフを言った。
「殺人です。犯人はうらんでいた人だと言います。誰でしょう?」
さすがの校長も青くなった。
「お前たちは何を言い出すのだ。犯人探しは遊びではない。さっさと帰れ、親に言いつけるぞ」
老人が視学官に言いつけたように、校長は親に言いつけるぞと僕らを追い出そうとしている、おかしくなって笑った。
「なんだ笑うな、言語道断、増長するな、生徒の分をわきまえよ、民主主義の悪い面だ」
言わでものことだ。
「さっさと帰りなさい、会議が始まる」
そう言って校長は出て行ったが、ドアのところで後ろを振り返り、不安そうに言った。
「君たちはわしの大事な生徒だ。いつでも心配ごとは相談に来なさい。これからも味方になってあげる。わしを信頼しなさい、わしも君たちを信じている。けっして余計なことを言わないように」
中井のお爺さんの話
この事件に一番、かかわりがないのは誰だろう。恨みも何もなくて世間から一番遠くにボツンといる人は…誰でも思いつく人がいる。
長柄川に流れ込む小さな流れの奥に崩れかけた小屋があって中井のお爺さんが住んでいる。郷一番の貧乏人といわれ、汚くて臭くて郷人は寄り付かない。
僕は勇気を出して行ってみた。
お爺さんは燃し木にするソダを背負子いっぱい重そうに、しかし満足そうな顔で担いで下ってきたところだ。
「どこの誰さんかな、客などまったく来ないからな」
「梨口の敬です」
「ほう、名前を聞いても分からんが、なにかご用ですか」
来ることに勇気がいったので、質問を予想していなかった、それで、あたりさわりないことを言った。
「お爺さんは一人暮らしですか」
「あれが見えるかな」
お爺さんの指さす玄関の壁に小さな標識があった。『ほまれの家』と書かれている。戦死した兵士の家だということを告げている。
「お爺さんの家もそうだったのですか」
「みんな忘れてしまったけれど戦争が始まったばかり、日本がまだ景気のよかったころにね、中支の戦線でさ」
お葬式の時に久保谷老人が演説したそうだ。
…わが国のほまれ高き勇士の残した遺族の皆様には心安く日々を過ごしていただきたい、遺族家庭を美しい隣り組の精神で護っていくのが我々の務めです。
「方面委員だとさ、軍事扶助台帳に登録すれば毎月扶助金が出ますって、それで終わりさ、なしのつぶて」
すれちがっても挨拶もしない、演説をしたかっただけだ。話したことなんかもう忘れてしまったろう。郷の人たちも戦争が激しくなって他人のことなど構っていられなくなった。
お爺さんはひっそりと生きていた。
「節子さんだけは忘れずに食べ物を届けてくれる、それで命をつないでいるようなものさ。わしもこの年だ、いまさら望みも不服もないけれど、戦時中あれだけ敵を殺せと言っていた奴らが、手の平を返して平和は大切、人権を守れ、民主主義万歳なんのこった、言葉を空回させるだけなら一銭もいらない、それが言論の自由ということかい」
お爺さんは辛辣(しんらつ)だった。知能は少しも衰えていない。
「久保谷さんは死にました」
「絞首台でかね」
「殺人とか自殺とか郷の人は騒いでいます」
「天寿は全うできなかったのだね、気の毒とは思わないよ」
電気工事屋の芝さんの話
突然、家の電気がつかなくなった。古い配線なのでどこかがショートしたのだろう、電気屋の芝さんに来てもらった。依然の宴会のときに父とやりあった芝さんだ、少しバツが悪いので父は母に頼んで日本酒を工面していた。
「古い建物だから電線がボロボロだね、だが新しいものなんかないんだよ、探しておきますから」
そう親切に言ってくれてコップの酒をうまそうに飲んだ。
「坂井大佐の話ためになりました」
僕がそう言うと芝さんは照れた。
「そんなことより、あの歌は良かったね、あんたがね、前に宴会で歌ったやつ、里の秋かい、帰り道で泣いちゃったよ」
ハーモニカの音が心の中に聞こえてきたそうだ。ふんふん鼻で息をしているうちに音と歩調があって歌詞が頭の中で回り始めた。
「…静かな…静かな…里の秋、お背戸ってなんだろう、落ちた木の実というのはドングリか何かだな」
そこまでは良かったのだが
「…ああ母さんとただ二人…」
とたんに涙があふれだしてきたそうだ。
「ただ、その母さんというのは女房のことではないんだ。確かに俺にも子はいるけれど、あの時思い出して母さんは俺の母親で、だから、ただ二人なのは俺と母さんなんだ」
シーンとした秋の夜を母さんが繕い物などをしている。その隣でぼんやり座っている自分がいる。二人とも黙っている。時々風が吹いていく。
「悲しくてないているんじゃないよ、うれしくてさ、母さんと一緒だ、それがうれしいんだよ」
どうやら泣き上戸のようだ、今は目から鼻から光るものを垂らしながら人並み外れてたくましい男が泣いている。
「梨口さんにはこの前、叱られちゃったね、つまんないこと言ってすみませんでした」
率直に謝っている。父も、大人気ないことでしたと頭を下げた。
「戦争は二度とごめんだね」
当直の夜、暗い海面をにらんでいると突然、軍艦マーチが聞こえてきたのだそうだ。
「それがタヌキ囃子のようにはっきり聞こえるのさ。頭を振ったり耳をほじってみたりしたよ、でも聞こえるんだ」
軍艦マーチはいよいよ勇ましく、戦艦、巡洋艦、駆逐艦と次々に出航して行く船影が見えるようだ。そしてついに自分のボロ船も威風堂々と港を出る。パタリと音楽が終わる。
「当直の時には不思議なことがよくありましたよ、神経症というやつだな」
郷から海軍に入ったのはこの人だけだ。
「海軍はね、陸軍さんを乗せるのがあまり好きではないんだよ、じれったくてね」
なぜなら動きが違う。海では各自の気働きがなにより大事なんだ。風も波も待ったなしさ、命令のあった時に動き出しては手遅れだ、いつでも海を感じながら行動の準備をしているんだ。しかし陸軍は違う、一挙手一投足が命令さ、剣付けと言われたら銃剣をつける、二十歩前進と言われたら水たまりがあろうが犬の糞があろうが二十歩だけ前進する、あんなことは海軍にはできない。
「山本大将が言ったそうだよ。海軍士官はのびのび育ったわがままなお坊ちゃんがいい、まじめで四角四面な秀才では外交が勤まらない、第一、船が動かない」
それには父も研究者として大賛成らしい。自由な発想ができなければ科学は進化しない。
「兵学校でね、ささいな規則破りで下士官が生徒を殴ったら山本大将がね、陸兵は従順に海兵は奔放に育ててくださいって頼んだそうだよ」
もう酒がなくなったが話は終わらない。
「陸軍さんが神社を作るんだ。皇居に向って遥拝とか言ってね、伊勢神宮の形なんだ。だけど海軍では笑っていたよ、現地の人の集会場の方がよほど立派だよってさ」
確かに地面に柱を立てて床板を敷いた高床式の家は南方では普通だ。屋根のヤシの葉を押さえる木はチギとかカツオギとかに見える。
「あれを見ると伊勢の神様は南方から来たとしか思えないね。ただ戦争中、そんなことを言ったら国賊だね。しかし戦友に学者がいてね、北方のシベリアあたりにも同じような小屋があるそうだ。
お父さんも興味を持ったようだ。
「シベリアでは葉っぱがないでしょう」
「土をかぶせているんだってさ」
父は戦争に負けた原因の一つが陸軍と海軍の連携の悪さだと言っている。芝さんに言ってみた。
「陸の兵隊はまるでアリの群れさ、命令一下突撃していく、考えていてはだめなんだね」
「海では『言うこと機関長』といってね、艦長が命令したってハイとは言わない。なぜなら機関が損じたら船は浮いているだけだ。いくら大砲があっても沈むだけさ。他の部署も専門家ばかりだから命令一下というわけにはいかないんだ。俺の乗っていたのは駆逐艦(くちくかん)だから足が速いよ、敵襲となればさっさと逃げてしまう。まず自分を守ろうとするのが名艦長さ。陸軍ではやたらに突貫(とっかん)をかけて部下を殺して勲章をもらう隊長が多かったらしいな。あの大曲りの坂井さん、あの人を臆病(おくびょう)だとか卑怯(ひきょう)だとか久保谷爺いは言うけど、水兵にしてみれば神様みたいな名艦長さ」
ちょうどいい、僕は話を久保谷さんに向けてみた。
「そのお爺さんが死にましたね」
「あの爺いを俺は恨んでいるよ、営倉にぶちこまれたのさ、あんなに口惜しかったことはないや」
なんでも艦が横須賀にドック入りして休暇が取れた。家に帰って郷の人たちとわずかな酒をくみかわした。芝さんは酔って持論を言った。
「東郷元帥の言葉だ、百発一中の砲百門と百発百中の砲一門はつりあう。バルチック艦隊の時代はそうだったんだよ、どんな大きな大砲でも当たらなければ花火見物と同じさ。大和や武蔵の40センチ砲は百発百中の砲一門だ。だけどアメリカのハルゼー艦隊は百発百中の砲が千門ある、さあ元帥どうするって」
海軍だって非合理だったね、そう父が言うと芝さんは素直にうなずいた。
「悪いことに久保谷爺いが聞いていてね、なんたる反軍思想だ、厭戦(えんせん)主義だ、許しておけぬって訴えたものだから、そのまま営倉さ、あの爺い、軍に顔がきくんだよ。出港まで営倉、あとは懲罰(ちょうばつ)だ、皆が同情してくれたけれど規則だから仕方ない。もっとも営倉入りのハクがついたから士官に煙ったがられたのがめっけものだったけどね」
恨みは消えましたかと僕は聞いてみた。
「消えるものか、俺の考えが正しかったんだ。船は飛行機に勝てない、それが大将への答えだね。営倉の恨みと戦争の恨みが重なっているよ、大将も爺いも同罪だ。頭の古い人間はさっさとくたばった方がいいんだ」
父も苦笑した。そういう軍人たちに散々、研究を妨害されてきたのだ。
「俺の専門は電気だ、殺そうと思ったら証拠など残さないよ、電球が切れて取り替えようとした途端に感電死、そんな方法がいいよ、誰の迷惑にもならないから」
ご馳走様でした、話ができてすっきりしたよ、そう言いながら芝さんは帰っていった。
菊田さんの話
時々、大木屋に菊田さんが立ち寄る。いつも洒落た服を着ている。僕らには多少、縁のある人だ。
風早橋からトンネルの向こう側まで道路の両側に海軍が倉庫を建て並べた。ちょうど山が左右から狭まっていて出口入り口のない防空壕のようになっているからだ。
戦争中は番兵が一日中立ち番をしているので近寄る者もいなかったが、戦後はまったく放置されている。もちろん値打ちのある物は手早く運び去られた、米や食料品、砂糖や塩、衣服や毛布などだ。しかしガラクタは取り残されていた。
実はそこはある人たちにとっては宝島だったのだ。菊田さんという佐伯先生の戦友は特攻くずれのヤクザだった。闇市を仕切り、禁制品の売買をして羽振りを利かせている。何度か佐伯先生のところに遊びにくるうちにここのことを知った。もぐりこんでみるとヒロポンとか薬品類がガラクタの中に放置してある。さっそく仲間と売りさばくことにしたらしい。
実は僕と洋二も何度か倉庫に行った。扉にはカギがかかっているが屋根が破れていて中に入ることができる。皮の袋を拾って家にもどり開けてみると宝物があふれ出てきた。訓練用の機材らしい磁石が出てきた、それから敵艦船の模型、製図用具、鉛筆とナイフ、僕たちにはうれしいものばかりだった。
しかし菊田さんの仕事はもっと大きい。ヒロポンは特攻隊に与えられた覚せい剤だった、中毒になると手放せないので途方もない値段がつく。
「俺は佐伯と違って海の特攻だ、特攻ったっていろいろある、震洋てのはベニアで作った小さなボートの先に爆弾つけてエンジン全開で走っていくんだ。敵艦の真横にぶつけて爆弾破裂さ、もちろん自分も粉々さ。油壺から出撃だってバカバカしい、軍艦が静かに待っていてくれるかよ、機関銃撃たれただけで沈むよ。その前に波でベニア板がバラバラにはじけて自沈だね。終戦の勅語を聞くと同時に、ピストルと弾丸と手榴弾を一箱持って逃げ出したよ。そして昔の仲間を誘ってヤミ市に突撃だ、震洋だけに震えあがらせてやるんだ」
自慢話を聞かされて菊田さんにあこがれる男の子も多い。格好よくて物をくれる。だから姿を見せると子どもが集まり大人もお世辞を言う。
今日も皆の人気者になっていた。僕が久保谷さんのことを言うと映画のストーリーのように話しはじめた。
「あの爺さんが密告したんだよ。仲間が下見に来たのを見たんだろう。警察に話せばいいものを進駐軍に連絡した」
数人でしのびこんだところをサーチライトで照らされた。
「警官なら平気だ、銃撃して追っ払える。ただMPではダメだ、自動小銃を持っているからイチコロだ。一斉に山の中に逃げたよ、何人か捕まったようだがその後は知らない」
菊田さんの武勇伝だ。
倉庫は焼き払われ、もうけ話は不意になった。菊田さんも面目を失い闇市で肩身が狭くなった。
「あの爺さんが余計なことをするからだ」
「恨んでいますね、殺したいほどですか」
菊田さんはニヤっと笑った。凄(すご)みのある顔だ。
「闇市ではお釣りをごまかしたくらいのことで人が殺される、修羅場だよ、地獄帰りの奴ばかりだからね。首絞めるなんて手間のかかることはしないよ、ナイフで一突きさ」
そう言ってジャックナイフをパチンと伸ばした。長い刃がギロっと光った。菊田さんの歯も同じく光った。
すみれさんの話
すみれさんには郷の子どもも大人も話しかけない。いつも花柄の派手なワンピースにハイヒールを履いて、警察でも役場でも平気で入っていく。タバコも吸うしお酒も飲むし外人さんと一緒のことも多い。
すみれさんは駄菓子屋の生まれだ。大曲りの店の一つに皆が「おみせ」としか呼ばない駄菓子屋さんがある。狭い戸口には木のベンチが置いてあって学校帰りの子どもたちが順番に座った。最初は低学年の子たち、しかしお小遣いを持っていないので座ってしゃべっているだけだ。次に中学年の子たち、生意気そうに店に入ってくるが買うものはない。一回り見て、菓子や玩具を食い入るようにながめて帰っていく。最後に高学年のわんぱくどもが来る。
我が家よりも気安くズカズカと入ってくる。おはじき、ビー玉、メンコ、竹トンボ、ゴム風船。女の子は塗り絵やリリアン。もちろんアメやネジリ棒、アンズなどにも目をやるのだが学校帰りの買い食いは固く禁じられているし、不衛生だからと叱られる家も多くて手が出しにくい。しかし時たまお小遣いをもらった子どもが何か買うとお金をお婆さんに渡しにいく。お婆さんは体が不自由で店の奥から出てこない。けれど万引きしていく者はいなかった。
すみれさんは時々実家に帰ってくる。缶詰や瓶詰、米や油、そんな貴重品をどっさり持ってくる。進駐軍のジープで来ることもある。
お婆さんをいたわって世間話をして風のように帰っていく。親の前では絶対にタバコは吸わないという評判で、すみれさんに悪意を持つ人は少なかったが敬遠されていた。
僕はトライすることにした。もしすみれさんが老人と言い争いをしたら一緒にいる兵隊が黙っていないだろう。
幸いすみれさんはその日は一人で実家に帰って来た。僕が挨拶すると親しげに笑った。
「なんだ梨口さんのところの敬君か、大きくなったね」
「中学生です」
「制度が変わったんだね、もっとも私なんか勉強嫌いだから学校には行かないだろうけれどね、近頃、郷の様子はどうなんだい、母ちゃんは外に出られないからニュースが分からないんだよ」
もちろん警察に行っても役場に行っても教えてくれないし、郷の人も親しくしない、いわば仲間外れだ。僕はちょっとかわいそうになった。
「あれで戦争に勝てるはずがないよ、鎮守府の将校さんがしているのは戦争ごっこなんだから」
スミレさんは形のいい鼻から煙をぱっと吹き出した。細い指先には真っ赤な爪がついている、口紅と同じ色だ。
「私はね小松にいたの、知ってるでしょ海軍ご用達の料亭パインよ。町の人は飢え死にしそうなほど食べ物がなかったのに、あそこはお酒も肉も魚もたくさんあったわ。軍艦に積み込む分を回して自分たちが飲み食いしていたの。もっとも軍艦に積んでも良い物は将校さんの分だったけれどね」
夜ごとに大宴会をしている。長官とか艦長とかの役職よりも海軍兵学校の何期生という序列の方が大事らしい。若い人が大騒ぎをするのを偉い人たちが楽しそうに見ている。「いくら窮屈な軍艦を降りて無礼講だと言っても、あんな子どもっぽいバカ騒ぎをしなくてもいいのにね」
芸者さんたちに三味線を弾かせて歌ったり踊ったり、あげくのはては布団を積み重ねて陣地だという。
「忠さんという幇間(たいこ)をつかまえて羽織を後ろ前に着せて、さあシナ人をやっつけろってね、逃げ回ると枕や座布団をぶっつけてポコペン、ポコペン、つかまえると裸にして銃殺だって箸をぶつけるのよ」
なんだかガキ大将が無茶をやっているようだ。しかし幇間ってなんだろうな。
「女の人は芸者、男の人は幇間っていうの。おかしなことを言って笑わせたり話し相手になってお酒を勧めたりするお仕事」
戦死して国葬になった山本五十六大将もごひいきだったそうだ。
「そんな偉い人とは思わなかったわ、ぼうとしていてね。実は偉そうな人ほど本当は偉くないのよ、井上大将なんかは静かに座っているだけで雰囲気があったわ。私のことをアメノウズメだと言ってくれたわ」
井上大将という人に会ってみたいと思った。戦前ならそばによることもできない人だ。今は誰にでも自由に会うことができる。天皇陛下でさえ三崎に来られて漁師に声をかけられたのだ。
パチンとシガレットケースのフタを爪ではじいて二本目のタバコを取り出した。口紅のついた吸殻をプッと飛ばした。映画スターのようなかっこいい仕草に僕はポカンと口を開けていた。スミレさんと話をしたといえばお母さんは怒るだろう、お父さんは苦笑いをするだろう。しかし派手な洋装とチリチリにパーマをかけた髪が僕にはまぶしい。
「そうかい久保谷ジジイが死んだって、殺された?私もずいぶん意地悪されたよ」
料亭に勤めていれば食べ物に不自由しない。洒落た服装をしていればモンペ姿の他の女の人からねたまれる。すると久保谷老人が代表して文句を言いに来る。
「お得意のセリフだよ、時局をなんと心得るって。悔しいからお客の軍人さんに話したら、久保谷さん在郷軍人会の偉い人に叱られたらしいよ。それで私は軍に貢献する報国婦人だってさ。久保谷さんは陸軍上がりで海軍とは仲が悪いから余計に悔しかっただろうね」
殺しちゃいたいと思ったことはありませんか、笑いにまぎらわせて僕は聞いてみた。スミレさんも爆笑した。
「あちらの方こそ私を殺しちまいたいと思ったろうね。戦前は軍隊にかわいがられ、戦後は進駐軍にかわいがられているのがうらやましくてね。あの人はいつも自分がちやほやされていたいのさ。ナルシストっていうんだよ、男にも女にもいるんだよ」
僕らもそう思う、スミレさんは自分で道を開いていく人だ。他人のことなど気にしないし怖いものなどないのだ。井上大将がアメノウズメと言ったとおりだ。
古事記のアメノウズメは、赤い怖ろしい顔で道に立ちふさがり目をギラギラ光らせている猿田彦にも平気で話しかけた。天照大神が隠れた天の岩戸の前で、歌って踊って大宴会を仕切って、こっそりのぞかせたという話を残した神様だ。
すみれさんは少ししんみりして話し続けた。僕みたいな子どもでもいいから話し相手がほしかったらしい。
「あの久保谷ジジイがきっかけだったのよ、私がこうなったのは。小さいころは人前にも出られないおとなしい娘だったんだから」
久保谷老人が別荘の手伝いをするように勧めてきた。学校にも行かずブラブラしていたので家でも喜んでそう決めた。当時は子どもが学校を中退するのは普通のことだった。
「掃除をしたり買い物を手伝ったり、留守番をしたり楽しかった、夢見る乙女の気分さ」
しかし幸せは長く続かない。一週間も経ったころだった。
「雑誌が月別にきちんと並んでいれば、私だってそんな気にはならなかったのよ、一番下の棚に乱雑に置いてあったからさ」
すみれさんの目が赤くなっていた。タバコの煙のせいではなかった。涙がつっと流れ落ちた。
「悪いことだよ、盗んだんだから。でもね、その気持ちがこんなにいつまで忘れられないものだと分かっていたら、しなかったよ」
泣き声になって話が続いた。
一部屋ずつ順にほこりを払い、ほうきで掃き床を拭いていった。お嬢様の部屋もベッドのある洋間だった。椅子もテーブルもクローゼットも本棚もどっしりとしていた。そっとベッドに座ってみると自分がお嬢様の友だちになったような気がした。厚い固い本ばかりならんでいる一番下に「少女の友」が並んでいた。一冊抜き出して開くとお嬢様の世界だった。
「私は文字を読むと頭痛のする性格だから挿絵だけ見ていたよ。目の大きな気品高い少女たちが細い白い手を伸ばして花を摘んだり互いの肩に触れたりしているんだ。だけど皆が小さな不幸をかかえていて悩んでいるのさ」
それは全部が物語の世界なのだ、自分も物語の中で暮らせればなと思ったときに足音が聞こえた。一冊を手早くセーターの中に隠して持ち帰った。家に帰ってフトンの間にしまうと自分も夢の世界を持ったような気がした。
「母ちゃんが見つけてね別荘に謝りに行ったんだ、いいですよ差し上げますよ、そう言ってくれたのに久保谷ジジイが騒ぎ立ててね、泥棒だ不良だ警察だ親が悪いと、勤めをやめさせられた。いたたまれなくて小松に行ったのさ」
久保谷老人はその後もすみれさんを目の敵にしていた。
「海軍はね占領地に慰安所を作っていたのさ、小松の主人に頼んで女性を募集して送っていたんだ、私は小松でかわいがられていたから誘いはなかったがね、久保谷ジジイなんか尻馬に乗って郷からも応募させようとしたんじゃないのかね。戦後は進駐軍だよ。これも国策でさ、RAA特殊慰安協会だってさ、新聞広告で新婦人求むだ、だまされた人もたくさんいるよ、私のいた小松は一時休んだがすぐに進駐軍専用の料亭になったからね、今もこうやって進駐軍と生きているよ」
話はよく分からなかったが、すみれさんが大変な苦労を重ねてきたことは分かった。戦争は弱いものにも容赦なく襲いかかる。
「私はいまだに雑誌一冊盗んだということを忘れないが、久保谷ジジイなんか自分が人間としてどんなひどいことをしてきたか分かっていない。逆に国に尽くしたと自慢しているんだろう、そんな奴が戦争をしたんだよ」
小松でオットーさんに会ったことがある、ただ、これはエミールには言わないでおくれ、すみれさんがつけ加えた。
漁師の次郎さんの話
漁師の次郎さんは網をつくろっていた。もう髪に白髪が混じる年だが気楽な人だ。僕らがそばに座っても気づかないほど集中している。久保谷さんという言葉を聞くなり話し始めた。
「久保谷爺さんには恨みがある、俺なんかいいカモだったよ。そりゃ恩はある、舟が壊れた時、お金を借りたよ。でも高い利子も元金もようやく返したんだ。それなのに何かにつけて用を言いつける。そうそう何か買わされたな、愛国公債ていうやつだ、利率が3,5パーセントもうかるぞって言われたけれど終戦でパアになった。愛国切手というのもあったな、誰も買うやつがいないから、久保谷さんが郵便局に頼まれて押し売りさ、手紙なんか出したこともないよ。愛国って久保谷さんが言うのはろくなものがなかったね。
写真週報ってのも押し付けられたね、時局のことを知らなければならん、お前は頭が悪くいから難しい本はだめだ、これなら字が少なくて分かりやすい、一冊十銭だ、これさえ読めば人前で恥をかかんですむというんだ。まるで夜店の叩き売りだね。今にして思えば写真週報なんてウソのかたまり、明日にでも戦争に勝つようなことばかり書いてあったよ。
紀元二千六百年のときもそうだ。横須賀で駅伝があるからお前も出ろって、俺は駅弁かと思って喜んだらタスキをかけて走らされるんだ、なにしろ横須賀は坂ばかりだろ、きつくてきつくてその後、何日も足が痛くて仕事ができなかったよ。
今度は隣組だよ、なにしろ郷には男手がないからね、防空壕掘りだ道普請だ松根掘りだなんだって役場で割り当ててくる力仕事は全部やらされたよ。当たり前だって顔されて、ご苦労さんの一言もない。偉そうに監督していて文句ばかり言うんだ。
忘れもしない去年の2月だよ、日蓮さんの誕生日だってね、偉そうに言ったよ、お前は知っているかしらんが上人様が横須賀の米ヶ浜に上陸した時、サザエを踏んで足を痛めた、それ以来、米ヶ浜のサザエは殻にトゲが無くなったんだ、尊いお方は違うものだ。今日はサザエがご馳走だからたっぷり獲ってこいってさ。水も風も冷たいから浜に出て真名瀬をぼんやり見ていたら空襲さ。漁船が出ていたのをグラマンが撃ってね、パパパって機関銃の弾が水柱が立った。二人死んだよ。舟を出していたら俺もその仲間だった。あの爺さんには嫌な思い出ばかりさ。
そんな話だった。それで僕は言った。
「久保谷さんは殺されたのかもしれません」
「おやおや戦争は終わっても、人殺しは続くのかい」
気がついてあわてて言った。
「借金は返したし俺は殺したいほど恨んでいるわけではないよ。ただ死んだからって悲しんでもいないがね。いやいや人が死ぬのは悲しいことだよ、空襲で死んだ漁師なんかは顔見知りでいいやつだったよ、殺されてしまってね、戦争は悪いし殺すのも悪い。俺は漁師だから魚だけは殺すが、そのときには南無妙法蓮華経と唱えているよ」
幸さんの話
新しい将校ハウスの壁を幸さんがペンキ塗りをしている。
「見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば」
珍しく軍歌を歌っている。
僕の顔を見ると照れてすぐやめた。
「しょうがないんだよ、子どもの頃に覚えると忘れられないんだ、俺は軍国主義ではないよ」
「久保谷さん死んだね」
「ああいいことだ、新生日本の始まりだ」
「冷たいね」
「そうだとも」
のこのこ降りてきて腰を伸ばした。
「話せば長いことながら」
〽 見よ東条のハゲ頭 ハエがとまればツルッと滑る
滑って止ってまたすべる おおテカテカのハゲ頭
そびゆる富士もまぶしがり あのハゲ禿どけろと口惜し泣き
「そんな歌が流行ってね、俺もお調子者だかから歌ったよ。それを爺さんに聞かれてしまったんだ。はげ頭とは俺のことか、いや東条首相、一国の首相の頭にハエがとまるか、あのハゲどけろとは辞めさせろということか、口惜し泣きとはなんだ、全部、俺に対する当てこすりだろう、なっちょらんって報復ビンタを10発さ、顔がはれあがっちゃったよ」
ハゲの歌を歌ってハゲになぐられれば因果応報というものだ。
「次はタコ八の歌だよ。昨日召されたタコ八が 弾に当たって名誉の戦死 タコの遺骨は帰らない 骨がないから 帰らない。時局をなんと心得るかって、今度は8発だ。陸軍横須賀憲兵隊久保谷軍曹のビンタだ、ありがたく受けろってさ」
タコのように口をとがらせる。
「戦争が終わってよかったと思ったよ、そしたらアッソウだ」
天皇陛下の口ぐせが流行っている。
放課後遊ぼうよ、アッソウ、簡潔でいい。
「爺さんが来たからオハヨウゴザイマスと挨拶したんだ、無視して通り過ぎるからアッソウって言ったらビンタだ。天皇陛下の真似などもったいないってさ」
戦後になって天皇陛下と話までできるようになったのは「あっそう」のおかげだ。
「その次はマッカーサーさ、ギンギンギラギラ夕陽が沈むってあるだろ、子どもがまっかっかっかサルのケツと歌うから、おサルのおケツもマッカーサーって続けたら、進駐軍を侮辱する気かってなぐられた。さてハバハバでやらないと、日が暮れちまうよ」
「エミール、ハバハバって何だい」
「知らない。日本語だろ」
僕は生まれてから初めて聞く言葉だ。幸さんは上機嫌だ。
「急げってことだよ、スミレさんが言ってた、酒が出ないとハバハバ、仕事がのろいとハバハバ、進駐軍は皆言うそうだよ」
エミールだって知らない。
「兵隊言葉だから子どもは使っちゃいけないよ」
幸さんはなぐられたくらいでは少しも苦にならないようだ。今まではうっかり何か言うと憲兵に捕まった。英語を使っただけで非常時だとか非国民だとか殴ったり蹴られたりした。敗戦は思想と言論の自由を持ってきてくれた。それがうれしくて大人たちは子どもみたいにはしゃいでいる。多分、久保谷老人は腹が立って仕方ないのだろう。
もう一つ久保谷老人を困惑させたのは天皇陛下が連発した「あっそう」だ。今まではオソレオオクモ神様だ、言葉など必要ない。それが人間宣言されたので、とたんに人間の言葉を話さなければならない。「あっそう」これしかない。
近所のお医者 浜野さんの話
浜野先生が訪れた。郷の人はひどく結核を恐れているので病院で父と同席したくない、それで先生が家を定期的に往診してくれる。今日も看護婦さんを連れずに一人だけだ。
「進行は止まっているようだ、できるだけのんびりと療養してください」
まだ若い浜野先生は軍医だったが、負傷して送還され医院を開いている。父は先生と話すのを楽しみにしている。
「進駐軍を解放軍、マッカーサーを全能の守護神と思っている人が多いですね」
父はこの前から腹を立てているようだ。
「まったく何でも都合よく解釈する、戦争の教訓が生きていません」
先生も同意見のようだ。
「アメリカだって残虐行為をしました。空襲で日本中の町を焼き払いました。それが戦争を終わらせるための必要な手段だったとGHQは言います」
怒ったり興奮したりすると病気にさわると母が心配した。
「一般の人を無差別に殺したのです。大人も子どもも、老人も赤ん坊も逃れることはできませんでした」
「アメリカだってヨーロッパや日本のように大空襲を受ければ、激しく非難すると思います。しかし日本政府は原爆まで新型爆弾と言って国民をごまかしアメリカの行為を認めているのです」
母はお茶をすすめた、会話が途切れた。僕は思い切って口をはさんだ。
「久保谷さんが亡くなりました」
「そうですね、軍国主義から民主主義へ、カメレオンのような人でしたが病気には勝てなかった」
「病気だったんですか」
「脳卒中です」
脳の血管が切れたりつまったりする病気だ。
「あの日の前夜、節子さんが駆けつけて義父の様子がおかしいと、往診すると脳卒中でした。マヒは右側、安静にしておくしかありません」
翌日は休診日だったが待機していた、しかしほんの短い時間だけ留守にしたら事件が起きた。
「首を絞められたとか拳銃が落ちていたとか物騒な話になりましたが、この病気は何度も発作が起きることがあります、結核とは違う、もっとも薬が手に入らないのは同じですがね」
アメリカではストレプトマイシンという新薬を開発して結核を治すことができるようになったという。しかしその新薬が手に入らない、先生は首を振って帰っていった。
あっというまに一週間が経った。
「ずいぶん久保谷さんのことを聞かされたけど、お線香を上げていないわね」
礼子が言ったので僕らはギクッとした。四十九日までは死者の霊はこの世にとどまるという、なら久保谷さんも僕らの話を聞いていたのかもしれない。約束の時間にみんな桜の木の脇に集まった。墓がある、ちょうど石屋の親方がタバコを吸っていた。温かい陽ざしに煙が青く透けていた。
「久保谷さんのところに来ました」
僕がていねいにおじきをして言った。あとの三人も一緒に頭を下げた。親方はけげんな顔をしてもう一服吸った。
「節子さんに聞いて、お前たちも法要に来たのかい」
「違います」
「初七日で納骨するってあまり聞かないからどうなっているのかと思ってたんだ。もうすぐお寺さんと節子さんが来るよ」
僕らはポカンとしている。しかしエミールは興味深くてかまわず質問する。
「これは伊豆石といって昔の良い石だよ。江戸時代のものだな」
「日本の墓はアメリカとは違います」
「そうだよ、日本でも昔は土葬だから、埋め墓と拝み墓といって家の近くに立てるのは墓の印の石だけだったそうだ。この長柄はそういう習慣を残していてな、寺も墓も二つずつあるんだ。男と女と違うところに葬るのさ。近頃はカロートを作って家族の骨壷を納める家が増えたけれどね」
「カロートって英語ですか」
エミールが真面目に聞いたので親方は噴き出した。
「たしかに英語みたいだけれど、唐櫃(かろうと)と書くのさ。根岸の息子さんは遠方で戦死したから遺骨が帰らない、写真を代わりに納めたよ」
奥の方でノミを研いでいた若い男が一段落したとみえてこちらに来た。
「あそこに入れておけば泥棒は入らないからね、久保谷の嫁さんもいいことを考えたもんだよ」
親方が叱った。
「人様の隠し事をしゃべる馬鹿がどこにある、このヤカンの口めが」
僕らは今度も顔を見合わせた。
「ヤカンの口ってなんですか」
親方は苦笑いした。
「いやなにヤカンは横に口があるでしょ、横から余計な口を出すのをそう言うんですよ」
しかし僕たちは節子さんが頼んで何か大事なものをカロートに納めようとしていることがわかった。
「人のうわさも七十五日というよ、すぐに忘れられてしまうよ」
そこにお寺の坊さんと喪服の節子さんが来た。胸に骨壷を抱えている。僕らはあわてて帰ろうとした。節子さんも何も言わずに僕らを見送った。鉦が鳴り読経の声が聞こえた。
その晩、こっそりと節子さんに会った。もう率直にいきさつを話した。たくさんの人が恨んでいたことも話した。
「仕方のないことです、そういう生き方をしてきた人ですから」
泣きも笑いもせずに節子さんは静かに言った。
「ではお爺さんが死んだ訳を知っているのですね」
節子さんは僕の顔をじっと見つめていたが、ふと気持ちがゆるんだように優しい目になった。
「もしかするとあなた方が一番、老人のことを思ってくれた人なのかもしれませんね。いつまでも郷の人を心配させておくことはできません。お話しますから、これからどうしたらいいか一緒に考えてくださいね」
それは疑いようもない話だった。
あの日、警察では係長が勢い込んで医者の浜野先生に尋ねたそうだ。
「事件ですか、他殺ですか」
「なにを馬鹿な、死因は青酸カリではない。あれは匂いがあるのです。私は軍医だったからよく知っている」
「首に縄の跡が残っていますが窒息死ですか」
「死ぬほど深い跡ではありません」
「では他殺ですか」
係長が聞くと浜野先生はむっつりと答えた。
「医者の仕事はここまでです」
ピストルもさびついていて弾は出ない。青酸カリでもない。
節子さんは寂しそうにこう話した。
「では節子さんも他殺だと思うのですね」
僕が聞くと、もっと寂しそうに節子さんが答えた。
「遺書がありましたから」
さすがに驚いた。
「遺書があれば自殺に決まっていますね。でも、どうして早くそのことを皆に言わなかったのですか」
「誰も私に聞きませんでした、それに老人の恥になるようなことを私からは言いたくありませんから」
僕としてはこれでやめるわけにはいかない。詳しく教えてくださいと頼んだ。
「2、3日前から顔色が悪く頭が痛いといっていました。そして夕食を食べながら急に倒れました。もう体の右半分が動きませんでした。お医者さんを呼ぼうとしたら遺言を書いてからにしてくれと言いました」
僕らはびっくりした。
「だって右手が動かなかったのでしょう」
「そうです、筆が握れませんでした」
「ではどうやって遺言を書いたのです」
「私が代筆しました。言葉ははっきりとしていました」
「では、あなたは遺言の内容を全部知っているんですね」
節子さんは当然のようにうなずいた。
「書き終わったので私がお医者に行きましたら留守でした。あわてて戻ったら義父は家にいません、玄関が開いているのであちこち探すと、あの桜の木の下で死んでいました。青酸カリのビンがありました」
「でも浜野先生は青酸カリではないと言っていました」
「たぶんその青酸カリが古かったかニセ物だったのでしょう。仕方なく拳銃で撃とうとしたら弾が出ない。それで首をつったら縄が切れた、ずいぶんドジですね、しかし、その時に二度目の発作を起こしたようです」
泣き笑いだった。
節子さんはあわてて義父を家に運び込んだがもう亡くなっていた。急いで病院に行ったが留守なので仕方なく御用邸の近くの医者まで走っていった。その間に大騒ぎになっていたということだ。
僕は遺書の内容が聞きたかった。節子さんはためらったが決心して言った。
「あなたが絶対にこんな大人にならないように、そして二度とこんな世の中に戻らないように、それから秘密を守ってくれること、それを約束してくれますね」
もちろんだ。
「本当に情けない、人様に知られては恥ずかしいことばかりです。言い訳と泣き言」
自分がいかに誠実に義務を尽くそうとしたか、秩序と平和を守ろうとした。
「それは全部、自分の落ち度を責められないための自己保身だけです」
憲兵として正義のために行動した。
「罵倒したり拷問したりするのが快感だったと思いますよ」
在郷軍人会長として思いやりをもって尽くした。
「会長が自慢で役目にふさわしい偉そうな態度と言葉でふるまっていました。生活に困っている人など自業自得で働きが悪いから当たり前だと突き放していました」
小作開放は国の裏切りだ。
「今までどおりの生活ができなくなったことを嘆いていました」
戦後は進駐軍と折衝し協力して郷を守った。
「権力におもねって自分だけ良い目をみたいのでした。詐欺や闇商売と糾弾され逮捕されるかもしれないと心底おびえていました」
これだけ尽忠報国したのに戦犯処刑や追放が行われる、絶望した。
「つまり我が身に容疑が及びそうだと不安になったのです。老人は気の小さい心のねじれた人でした。それは気の毒な育ち方をしたせいかもしれません。小さな時に養子にもらわれて、その後に実子が生まれ、余計者扱いされて身を縮めて暮らしていると今度はその実子が事故で死に、あの方のせいだと世間にうわさされたり、いじめられたりしました。両親の愛情も薄かったようです、でも同情しません」
だからその遺書は他人に見せられない。
「こんなものはあの方が離さず持っているべきだと思い骨壷に入れたのです。あの世に持っていってご先祖様たちから叱られるといいのです。私の夫の秀造さんに申し訳がない。戦地から帰ってこられた時にがっかりされるでしょう。私もこの一家のプライドがあります。しかし、それですっかり世間をお騒がせしてしまいました」
僕は必死に考えて、良いことを思いついた。
「犯人が現れなければ郷の人はずっと嫌な思いをしなければなりません。病気で死んだという本当のことが分かれば、みんな安心します。うわさを広めましょう」
節子さんが困った顔になった。
「皆さんは深入りしてはいけませんよ」
「いえ僕らがうわさをするのではありません。久保谷老人は病気で死んだと皆が思い込めばいいだけです」
「皆って誰ですか」
「郷の人が。新聞吉さんがいい、もともとありもしない事件を広めたのはあの人なんだから、その責任を取ってもらいましょう」
節子さんはまだ不安そうだった。
それから2,3日してからMPのジープが郷を走り回った。警察署にも寄り、交番にも寄った。お医者さんのところと学校にも来た。オットーさんも乗っている。久保谷屋敷には2時間もいた。たちまち郷の人はうわさしあった。なにが起きたのだろう、真相が現れるのを皆が心待ちにした。
「大変だ大変だ、号外号外」
その翌日になってから新聞吉さんが走り回り、たちまち郷の人たちに取り囲まれた。
「号外号外、病気だ病気だ。当局の発表によりますと死因は中気、久保谷老人の死因は脳溢血(のういっけつ)でありました。殺人だ自殺だという報道は誤り、謝罪して訂正します。MPが全部調べて警察と交番は怠慢だと叱られました。号外号外」
MPが帰った後、すぐに様子をうかがいに来た新聞吉さんにエミールと僕がこっそり打ち明けたのだ。僕らは深刻そうな顔をしているのに苦労し、新聞吉さんはうれしそうな顔を隠すのに苦労していた。
洋二と礼子が学校で広めたうわさを子どもたちは家に帰ってすぐに親に話した。たちまち郷の人全部が、やはりそうだったのかと納得した。誰もがほっとした。たくさんの恨みを抱えた人たちも、死んでしまったのでは仕方ない、ある意味で責任を取ったのだと納得して久保谷老人の冥福を祈ってくれた。
郷の人が死者に線香を上げに来てくれた。中にはお盛り物だといって野菜や菓子を手向けてくれる人もいた。節子さんも改めて人々のお悔やみを聞き、良い人を亡くしたとお世辞まで言われた。
それで郷の人たちはすっかり安心して事件を忘れることができた。
「エミール、ありがとう」
「お父さんも最初は難しい顔をしたけれど、民情視察をMPにさせるのは良いことだ、天皇陛下もされていると納得してくれた。ポリスにはアメリカのシステムをレクチュアし、コーバンはワンダフルなビューローだとエンカレッジしたよ。ドクターはメディシンのことを聞きたがったし、久保谷屋敷では節子さんにお茶会を開いてもらってトラディショナルなカルチュアにエンジョイしたよ」
エミールの奴め、ニヤニヤ笑いながら、わざとこんなことを言って煙に巻く、オットーさんを利用した仕返しなのだ。口惜しかったが分からない。絶対に英語の話せる大人になろうと固く誓った。
土曜日の午後になった。オットーさんが友だちと二人でやってきた。
「この前は息子が難しいことを頼んだそうで、ありがとうございます」
父がお礼を言ってくれた。オットーさんはまた歯をキラキラさせた。
「通信部の連中は喜んでいました。彼らは基地の外に出たことがあまりないのです。しかし茶には参ったようです」
渋くて甘くてしびれて肩がこる、僕もエミールも同感だ。
「紹介します、たぶん同業の研究者で開発部のフランツ大尉です」
父の研究内容は僕も知らない。戦争中は厳重な秘密だったろうし、戦後になっては研究を続けられない口惜しさがあったからだろう。
いつか酔ったときに、俺の研究は軍事とは無関係だ、ただ日本人が豊かな生活を過ごすために貢献することはできると言っていた。
フランツ大尉は小柄で金髪、透き通るような空色の目をしている。あとは英語ばかり聞こえてくる。二人が話に熱中すると互いにどう説明したらいいのか言葉につまることがある、もどかしそうにしていると、オットーさんが日本語と英語を混ぜながら、やさしい言葉に変えて説明する。二人が納得する、そんな様子だった。
「そうやって情熱的に話しているのを見ると病気だなんて思えません」
オットーさんが感動している。フランツ大尉は尊敬の目で父を見ている。
見送った僕にオットーさんが言った。
「あなたのお父さんの研究は素晴らしい、これからの日本の支えになるでしょう、フランツさんも会えてよかったと言っています」
しかし、父は疲れてしまったのか何日か起き上がらなかった。フランツ大尉の名前でコンビーフとチョコレートが届いた。メッセージは「FLIEND To RESPECT 尊敬する友へ」だった。
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