第三章  昭和21年

 御霊神社の境内に郷の人たちが集まっている。久保谷さんの命令だ、どうやら追放者名簿から外れたらしい。梅の花がちらほら咲いている。季節は忘れず変わっていく、もう春だと同時に戦争が終わって半年たったという感慨がわいてくる。
 新聞吉がけたたましい声を出している。
「号外号外、色黒の大男、田浦のトンネルに現る、棒でなぐって財布を奪った、号外号外」
 じつは僕らも怖い思いをした。いつもの大曲りの道で、すれちがった黒人兵にぶつかったらしい、僕は手をつかまれてしまった。
「アイアムソーリー」
 あわてて言うと兵隊はニヤッと笑った。
「スーベニール?」
 そう言うとポケットからチョコレートとガムを出した。僕らはなんのことか分からなかったが、とつぜん礼子が怒った顔をして手を差し出した。
「もっと、ちょうだい」
 兵隊は少し目をきつくしたが、今度はタバコの箱を取り出した。
「オッケー」
 兵隊が行ってしまうと僕らは礼子を英雄にした、そして誰にも言わないと誓い合った。
 
 新聞吉が叫んでいる。
「トンネルの中になにかいる、馬かと思えば小さすぎ、ヤギかと思えど大きすぎ」
「お前の話はじれったいね、なんなんだ、暗闇に牛かい」
 誰かが茶化しても新聞吉は平気だ。
「おそるおそる近づいたら、なんと黒人の兵隊さ、命ばかりはお助けと。ところが相手も手をあわせて、ヘルプヘルプと叫んでいる。それは助けてという意味だよ」
「なんだ田浦の話ではなくてお前の話か」
 どうやら戦場のことを思い出して、日本兵が突貫してくる、幽霊だ、それで腰が抜けたそうだ、少し酔っていたらしい。
「ようやく落ち着いて握手して、グッバイ、サヨナラだ。俺の武勇伝、号外号外」
 郷の人たちはバカバカしい話に大笑いした。戦争中に笑えなかった分がどっと放出されているようだ。
「黒人は迷信深いって聞いたが本当だね」
「ブードゥ教というのは相手を呪い殺すんだってさ」
「たぶん戦場で人を殺した兵隊なんだよ」
「堀内の竹どんなんか戦場の夢を毎晩見て、とうとう入院してしまったものな、進駐軍だって人の心は同じだろう」
 そんな深刻な話は誰も聞きたくない、バカ話がいいのだ。
「人間の先祖はサルだってさ、国民学校の先生が言っていた」
「お前ね、学校の先生の言うこと聞いて軍国少年になったんだろ、今度はご先祖様はサルだっていう話かい」
「いや、俺は信じるよ。なんでも白人の先祖はチンパンジーで黒人はゴリラさ。黄色人種はオランウータンから進化したそうだ。言われてみればゴリラは強いしチンパンジーは賢いし、オランウータンは少しぼんやりしているね。俺は小さいころ野毛の動物園で半日も見ていたんだ」
「確かにお前は人間というかサルに近いからね」
「やっぱり黒人が寄ってくるとゾッとするよ。目と歯ばかりが白くて唇が厚くて、鼻がおっ広がっていて、なま温かくてさ」
「それなら白人だって気味が悪いよ。目と目の間が寄っていて、手足がばかに長くてさ、落語のラクダの馬さんを思い出すよ、西部劇だって出てくるのは暴れ者ばかりだ」
「だけど最前線で勇敢に戦ったのは黒人だったっていうぜ」
「嫌だね、黄色が一番弱いのかい、やはり黄色人種は白人にも黒人にも勝てなかったということかね」
「俺たちは平和主義だ、猛獣にはかなわないよ」
「それを人種差別というんだ。人間はすべて平等、これが民主主義だ」
「そう言っているアメリカが一番人種差別をしているらしいよ、黒人兵と白人兵は絶対に一緒には歩かないものな」
「だけど両方とも同じだよ、八百屋さんが困っていた、兵隊が来て聞くんだってさ、これ何って、しかたなく野口先生に頼んでナスとかキューリとか英語で書いてもらったそうだ」
「それで悩みは解消かい」
「ところが兵隊さんの二人に一人は字が読めないんだってさ」
「おっと進駐軍の悪口を言うと久保谷爺さんに告げ口されるぜ、在郷軍人会改め進駐軍友の会だからな」
「戦争は悲惨だ、二度と御免だね」
 どんな世間話も結末はこれだ。
 久保谷さんがやってきて皆を見下ろす石段の上に直立不動した。
「おそれおおくも天皇陛下が行幸される。20日に復員者寮、九里浜病院、鴨居・馬掘の収容所をご視察」
 エーエという声がどよめいた。
 行幸は大変だ。朝からホウキで掃き清め、目障りなものは全部取り払う、木の枝まで切りそろえる。そしてきれいに砂を撒(ま)いて大人も子どもも日の丸の小旗を持って道の両側に整列する。やがて先導のオートバイの音が聞こえると最敬礼、車が走りすぎるまで顔をあげてはいけない。
 天皇陛下は前日に横浜大桟橋を見てから戦災者共同住宅を視察した。すりきれた畳やいびつな鍋釜を見学された。
「どこで戦災にあったの、ずいぶんひどかったね、冬は寒くなかった」
 それが優しい女性的な声なので、終戦の玉音放送しか聞いていない人たちは驚いてしまった。続いて闇市を通り、一山20円のミカン、一皿3円のオデン、イワシやスルメ、干し柿を見た。トタン張りのバラックをご覧になりけげんな表情をされると、随行の内山知事が最も早く復興した住宅街だと説明した。陛下は『あ、そう』とおっしゃり、それがラジオで放送されて流行語になった。
「途中、御用邸に寄られるかもしれん、万々粗相のないように」
 久保谷さんはおごそかに言い放って帰っていった。
「まったく偉そうに、面倒なことをさせるよ」
「爺さん追放されちまえばよかったのにね」
「いや追放はこれからが本番だ、うまく当たるといいね」
「それでは宝くじだよ」
 宝くじは終戦後すぐに売り出され、10円で券を買うと10万円になると宣伝した。インフレが進んで今は一等百万円だ。
 しかし、当日、行幸は列車で逗子を通り過ぎ、ご一行は降りてこられなかった。郷が清潔になったのが置き土産だった。
 
 その日の午後になって大河原校長が久保谷屋敷にやってきて談判した。校長も追放を免れたので自信満々だ。新制中学校が来年早々開校する、ついては先生を集めなくてはならない、そのためには住む場所が必要だ、屋敷に間借りさせてくれ、独身者には食事も出してくれ、緊急のことだ、しばらくの間だけ協力頼む、国策だ。校長は元憲兵軍曹で在郷軍人会副会長だったという久保谷老人の後ろめたい過去をほのめかし、しつこく攻め立てた。
 ろくろく準備もしないうちに二人の青年が訪れてきた。国語と英語の授業を頼まれました、復員したばかりです。我が家など跡形もありません、よろしくお願いします。聞いてみると二人は戦友で特攻隊の生き残りだという。付き添ってきた校長は、国のため平和のため未来をになう子どもたちのためとまくしたてて言い返すひまを与えない。ついに老人もあきらめて二人の世話を節子さんにまかせた。校長も久保谷老人も気遣いのない人だから節子さんの苦労など考えもしない。
 翌日、二人の先生が引っ越してきた。汚れたリュックには荷物がほんの少ししか入っていない。節子さんは夫の衣服を取り出して二人に提供し、茶碗も箸も歯ブラシまでも分け与えた。しかし、二人の先生は研修があるといって家を出て行った。学校が始まるまでは帰らないそうだ。
 
 年が明けると今度は進駐軍のジープが現れた。戦犯が逮捕されるといううわさが流れ始めた頃だ、久保谷老人は驚いてまた防空壕に隠れてしまった。ジープから2人の軍人が降りてきて、あたりを歩き回り写真を撮った。1人が玄関を開けてハローと叫んだが誰も出てこない。ジープは帰ってしまった。安心していると翌日になって役場の人がやってきた。
「久保谷さん、気の毒だが接収の命令だ」
 気の遠くなりかけた久保谷さんを支えて役場の人は続けて言った。
「この屋敷ではない、こっちの家だ」
 畑の奥の山際に20年も前にお祖父さんが建てた小さな隠居所だ。
「いや九死に一生、よかった、よかった。他の接収はこんなものではないのですぞ」
 相変わらず役場の人の言い方は横柄だ。これでも相手が久保谷さんだから遠慮して穏やかに言っているので、ふつうの人なら敬語も丁寧語もぜったいに使わない。
 役場の人の話では、この前ジープに乗せられてずいぶん奥の方まで走り回った時は、ジープというのは因果なことにどんな道でも入れるから、めぼしい家を見つけると軍人がすぐに室内にふみこみ点検して、その場で即刻開け渡しを要求する。翌日にはもう数名の兵士がトラックで来て、畳も家具もなにもかも運び出して捨ててしまう。聞いた話では、接収されるのはいやだと騒いだ持ち主は胸にピストルを突きつけて、それならこうだと脅されたそうだ。そして帰り際に一発、大事にしていた盆栽を見事に吹っ飛ばしたという。
「使っていない隠居所に目がとまったとは、あなたは幸運だ。よかった、よかった」
 数日後、ちっとも良くない久保谷さんに役場から通達が届いた。接収家屋の明け渡しについての命令だった。
○雑草ヲ除去シ、ゴミヲ片付け清掃スル
○立チ木草花ハ刈リ込ミ、裏門扉ヲ取替エ戸締器具ヲ取リ付ケル 畳ヲ新    
 ニスル
○ペンキハ3回塗リ 床ニハワニス ロウ拭キ 金物ガラスヲキレイニ磨
 クコト
○雨漏リヲ点検 外装ノオイルペイントハ塗リナオス 暖炉ノ煙突清掃
 火カキ棒ト燃料容器ヲ整備 暖炉ニハ障壁ト加減弁ヲ新設
○風呂桶ハ取リ外シ高さ5、6寸ノタイル張リニスル 壁ニ3寸マデタイ
 ルを貼ル 既設ノ流シハ取リ除キ2ツノ仕切リヌル流シヲツケルコト
 レンジ周囲ハ白ペンキデ塗ル 
○物置小屋ヲ洗濯小屋ニ改造スル セメントカモルタルデ塗リ排水溝ヲ作ル
○防虫金網ヲ取リ付ケル
「それは誰がやるんだ」
 あいた口がふさがらない、という久保谷さんに役場の人もさすがに同情した。
「役場でもできるだけのことをやりますから、ご協力をお願いします。戦争に負けたのだから仕方ありません」
 まるで敗戦を久保谷さんの責任のように言った。
「それから、アメリカ人は家を改造するのが趣味だという人も多いそうです。多少のことはあきらめてください」
 なにしろ何年も戦地を転々と勤務して、テントに寝たり雨風の吹き込むバラックで生活しながら戦ってきた軍人たちだ。戦争に勝ち、こうやって日本に乗り込んできたが、あと何年、占領が続くか分からない。いままで会う機会がなかったから、息子も娘も親父の顔を見忘れているかもしれない。少しも早く家族を呼び寄せて一緒に住み、食べて遊んで、戦争の自慢話をしてみたい。そのためには第一に家が必要、ぐずぐずしていると他の者に取られてしまう、それも戦争だ、ということらしい。
「そうそう忘れていました。3月に入居できるように準備しろという進駐軍の命令です」
 がっくりした久保谷さんは返事もせずに中に入ってしまった。
 費用は誰が出すのか分からないうちに工事が始まった。依頼されたのは礼子の父親の大工の文さんだった。それから数日、文さんと息子の良さんは毎日、色々な職人を連れてきて見積もりをさせ工事手順を相談した。
 誰もが同じことを言った。
「どこに行けば資材があるんだよ」
 立ち会った役場の人は簡単に答えた。
「GHQに言えばいいということです」
「それなら早く頼むよ。もし遅れたらあんたの責任だからね」
 GHQを味方につけた職人側は横柄になった。役場の人は自信なさそうにうなずく、役場もさっさと民主主義になるといい。
「おれの祖父さんがこのあたりの別荘を建てたんだ。おれの親父も手伝った。いまどき洋風住宅を建てられる者はそう多くはない。見ていろ、アメリカさんをびっくりさせてやる、こちとらの戦さは勝ちたいからな」
 やけに気合を入れながら文さんは仕事をした。僕と洋二は毎日、工事現場を見に行った。お昼とお茶の係りは礼子だ。
「お父ちゃん、お茶だよ」
 そう言って何かの食べ物、フカシ芋だったりスイトンだったりを届けてくる。節子さんが湯をわかしてお茶を入れる。昼には大きな弁当箱にフスマやムギの混じったご飯をつめて梅干を乗せて持ってくる。うらやましかった。僕らは相変わらず飢えている。
「パパ、お弁当だよ」
 礼子はふざけて言う。文さんが嫌がると調子に乗ってもっと言う。
「パパ、ティータイムよ」
「ダディ、ランチをお持ちしましたわ」
 それでも叱ることができないので職人たちがからかう、礼子はかわいくて仕方ない末娘だ。
 久保谷屋敷の災厄はまだ続いた。2月の末の寒い昼、ジープではない、フォルクスワーゲンという半分に切ったマクワ瓜のような車がドッドと低い音を立ててやってきた。職人も郷の人も驚いて集まってきた。車から背の高い軍人が一人で降りてきて、防空壕に隠れようとする久保谷さんを呼び止めた。腰にピストルをつけていないので老人はホッとしたらしい。
「大家さん初めまして。私はオットー・シュピーゲルと申す海軍大尉です。この家の店子になります、よろしくお願いします。すみませんが予定より早く家族が到着しました。妻のローラと息子のエミールです。すぐに一緒に暮らしたいのです。あなたは大きなお屋敷をお持ちですから余分なお部屋がありましょう。家ができるまでの間だけ同居させてくださるとありがたい」
 立て板に水の日本語で話しかけられたので久保谷さんは驚いて大仰にうなずいた
「どうもありがとう。明日の朝には荷物を持って引越しします」
 ことの成り行きをようやく理解した久保谷さんは真っ赤になって怒ったり真っ青になって震えたり、横柄な様子など影もない。皆は必死で笑いをこらえた。
 そして、ようやく、このアメリカ人が日本語を話しているのに気づくとまた驚いた。しかし、それなら話ができる、久保谷さんにも余裕が出た。
「さようタナコとおっしゃったが店子ですな、大屋といわれると面目ない。よく日本語を話される方だ。お世話はいたしましょう。家をご覧になりますか」
「では拝見します」
 あとになって久保谷さんは鼻を高くして言った。こういうご時勢に進駐軍の方と同居しているほど安心安全はない。だからわしは即座に判断して返事をしたのだ、機略というものだ。その場にいあわせた者がそう思わなかっただけだ。
 翌朝、オットー大尉は家族を連れてきた。金髪の男の子のアイロンのかかった白い服、奥さんのフリルのついた花柄の服、そして大尉のぴったりと身に着いた軍服がまぶしかった。ヨレヨレ、ツギハギ、ボロボロ、キタナイ、それが僕らのかっこうだ。半ズボンにランニングシャツ、女の子だってスカートにランニングシャツ、これが敗戦国だと実感した。
 エミールという男の子は僕らと同じ年だった。当然、礼子がまっさきに話しかけて、みんなすぐに友だちになった。驚いたことにエミールも日本語をかなり話すのだ。戦争中にお父さんが日本語を習ったのと一緒に覚えてしまったそうだ。奥さんのローラさんは英語しか話さない静かで優しそうな人で、なによりも節子さんが喜んだ。その午後にはもう、二人は一緒に畑仕事をしたり、料理を作ったりした。幸いなことに久保谷老人は怖がって近寄らない。日本語こそ話すが日本の生活には不慣れな一家だ、節子さんに頼まれて僕らが助手の役をすることになった。学校の休みはまだ続くようだ。
 エミールが壁や天井にペンキが塗っていないのはなぜだと聞く。仕切りが障子紙だけで大丈夫なのかという。靴を脱いで部屋に入るのは無用心だという。それでもエミールは健気な奴で、食事のときは一生懸命に正座して、小さな茶碗から箸でご飯をつまみ、煮魚を取り分けている。
 風呂に入るのも大混乱だった。節子さんは風呂場までは入れないから僕が一緒に入って風呂の使い方を教えなければならない。
 しかし、エミールは良い仲間だった。毎日が楽しくて戦争の辛い日々が癒されていくようだ。
 結局、葉山では33軒が接収されたのだ。久保谷老人は顔をしかめながらも浮き浮きとして吹聴する。交野さんの別荘には海軍司令官が住んでいる。一色の加地さんの家などはアールデコ様式で40畳の応接間と32畳の居間、10畳の部屋が3つあり、他にダイニングとサンルームがある。いたるところに六角をモチーフにしたデザインがある。山の斜面に建てられているのでいくつも階段があり飾りガラスがはまっている。どの別荘も高級軍人たちも驚くような立派な建物ばかりだ。鎌倉で20軒、逗子が4軒、横須賀にいたっては2軒だけ、いかに葉山には豊かな人たちがいたということだ。だが、わしの家は借り上げられただけで接収とはいえない。
 どうやら久保谷老人は戦争の協力者から一転して被害者になったのがうれしいようだ、もしかすると戦犯容疑が帳消しになるかもしれない。
 そんな老人の様子に僕の父は腹を立てた。
「戦争中、池子に海軍の弾薬庫ができた。そこに住んでいた人たちは強引に移住させられた。当時の軍にさからうことなどできはしない。会田さんを知っているだろう、あの人も追い出されて葉山に住むようになった人だ。久保谷さんはあの時なんと言った。お国のためだ土地でも住まいでもなんでも差し出すがいい、たとえ防空壕で暮らしても臣民の義務は果たすのだ、そういって気の毒な人たちを追い出したではないか。あの人はいつだって権力者側なんだ」
 権力者という言葉の意味はよくわからなかったが久保谷さんのような人が世の中にたくさんいることは想像できる。
 
 職人たちは楽しそうに改築工事を始めた。戦争中、取り壊しはあっても家を建てることなどなかったので腕が鳴っていたのだ。ただ老人だけは元憲兵の気分がぬけないのか、愛用の杖を軍刀のように振りながら視察した。食べ物には困らないらしく色艶がよかった。
 職人の中では左官の幸さんが一番元気だった。今日も鼻歌をうたいながら壁を塗っている。腕がいいとは誰も言わないが腰が軽いので物を頼みやすい。
 〽(うた) かすむ故国よ、小島の沖にゃ
 『かえり船』という引揚船の唄だった。
「ラジオで、のど自慢素人音楽会っていうのが始まったろ、あれに出ようと思ってさ」 
 幸さんだって命からがら復員したのだ。それを気楽に歌っていていいのか。のど元過ぎれば熱さを忘れる、のど自慢。軍国主義が民主主義に代わったのも同じだと思った。しかし、心の傷は忘れられないらしい。
「あの爺さんが口ぐせのように言うだろ、ナッチョランって。おれはあの言葉を聞くと無性に腹が立ってね」
 なんでも兵隊の時にそれをしきりに口にする下士官がいたそうだ。その体型が爺さんそっくり、短い足にピカピカの長靴を履いて、それも自分が磨くなら許せるが従卒をこきつかう、きちんとしていないと殴りつける。
「軍隊というのは階級だけの世界で、階級が下なら虫同然、思いやりとか賢さなんていうのはゴミ同然。あっ思い出しちゃった、悔しいね」
 ところが戦後になったのに軍人の意識が消えない人が多いらしい。
「池子にね、壁を塗りに行った家が元少佐だとさ、こちとらが挨拶してもフンなんて言ってやがる」
 池子は弾薬庫ができた時に海軍さんが住みついた所だ。
「そいつが玄関で客の爺さんに最敬礼して、大佐殿おはようございますだって、あほらしいね。おっと無駄口していると、また、ナッチョラン爺さんに小言を言われちまう」
 戦争中は沈みこんだ顔をしてボソボソ話すだけだった人たちが、こんなに明るく陽気になっている。
「オットー大尉の軍服はお洒落だね」
 軍人は非番でも外出するときに軍服を着るように命じられていたので、町にも郊外にも軍服があふれていた。
 腰までのジャンバーはピストルを抜くのに便利なのだろう、ボートを伏せたような帽子をチョコッとかぶっている。
 日本人も軍服まがいの国民服を着ていた。両側の胸にポケットがありダブダブした上着とズボン、戦闘帽というヨレヨレの帽子、新しいうちからみすぼらしいのに、汚れてツギが当たって色があせるとなんとも見苦しかった。 
 第一、体格が違う。略装のマッカーサーと正装の天皇の写真が新聞に載ったとき、誰しもが敗戦を思い知らされたものだ。
「俺は絶対に原節子だよ、ああ憧れの人、俺は映画のハワイ・マレー沖海戦で見初めたんだから、あんな美人の姉さんがいたら俺は特攻でもなんでも行くよ」
 はしごの上で壁を塗りながら左官の幸さんが話している。それが仕事仲間の全員に聞こえている。良さんが相手になっているようだ。
「安城家の舞踏会っていいよ」
 横浜の封切館で見てきたようだ。
「誰が見たって華族令嬢さ、原節子きれいだよ。父親が滝沢修、いいよ渋くて。誰が見たって伯爵様だ」
 農地改革と財産税で借金が払えず没落寸前の安城家で最後の思い出に舞踏会を開くという。
「あれは葉山か鎌倉だね、海が見える屋敷さ、最後の場面で原節子が滝沢修と踊るんだ」
 盆踊りかい、誰かが冷やかす。
「バカ、原節子が東京音頭を踊るかい、ワルツってのかいタッタカタ、タッタカタて」
 サーカスだね、また冷やかす。
「どんな話なんだい」
 良さんが真面目に聞くと話がつまった。
「エエ、エエ、まあいいや、原節子きれいだよ。話なんかなくていいよ」
「俺は高峰秀子だな、デコちゃん。『馬』は良かったよ、泣いたね」
 少女のかわいがっていた馬が軍馬として売られていく場面だ。
「あんな妹がいたら俺は特攻でもなんでも行くよ」
「私は誰の妹だっけ」
 礼子が大声で叫ぶと幸さんがはしごの上からどなった。
「デコちゃんの妹のボコちゃんだよ」
 皆がどっと笑う。
「棟梁は誰が好きだい」
「イングリッド・バーグマン。カサブランカを知らないな」
「さすがは大工さん、サカブランカというのは白い家という意味のスペイン語です」
 作業をのぞきこんでいたオットー大尉が声をかけた。
「白黒映画だから何色だか分からない」
 息子の良さんがじれったそうに言う。
「だから白だってよ、それにしても豪邸だ、誰が建てた家だろうね」
 良さんは映画より仕事の方が好きらしい。
「葉山のお屋敷なら大体分かるぜ、連れて行ってやろうか」
 文さんが棟梁らしく貫禄を見せる。すかさずエミールが言った。
「お願いします」
 エミールは日本のものならなんでも興味があるのだ
 
「これを見てくれ」
 野口が廊下を追い越しながら声をかけた。紙は募集広告だった。
 ガリオア・プログラムと書かれている。
「留学生だ、アメリカに渡れる」
「なるほど教師から生徒へと変身するのか、教師の使命を離脱する、まさに敵前逃亡だ」
「立ち話もできん、今晩つきあってくれ」
 その晩二人は連れ立って大木屋に入った。 大木屋には客がいない、もっとも客に来られても出すものがなくて困るときが多い。
「いらっしゃいまし、あっ先生ら」
 君枝がはしゃいだ声を出した、言葉になまりがある。ハル婆さんも顔をのぞかせた。
「おや先生、取っときのを出しますよ」
 小上がりに座ると佐伯はすぐに聞いた。
「どういう了見だ」
「許せんことばかりだ。一夜にしてカラスがサギだ」
 戦争中、英語は眼の敵にされ、英語の教師もひどく迫害された。もちろん授業はできない、スパイの疑いで取り調べられる、召集された後でも何かにつけていじめられた。
「それが終戦になると英語会話の本がとぶように売れる。ラジオでも英語の番組をやるそうだ。それはまだいい、必要になったからだ。許せないのは校長、村長、町の顔役たち、それがみんな先生様、英語の達人とすり寄ってくる、進駐軍の方に話をしてくれの書類を書いてくれの恥も外聞もない。つきまとってきてお世辞を言う」
「なるほど貴様は清廉潔白な人である」
 君枝が酒と焼き魚を持ってきた。
「爺ちゃんが夕方釣ってきたっら。秋サバだ油がのってうまいっちゃ」
「嫁に食わすなというな、君ちゃんは独身だから大丈夫だ」
 頬を赤くして、じっと佐伯の顔を見た。
「Beautiful dreamer, wake unto me」
 野口がつぶやく。
「なんだ、それは」
「フォスターの曲だ、夢見る人の一節さ」
 君枝はさっと身をひるがえして台所へ入ってしまった。
「洒落た真似をするなよ、話の続きだ。連中の覚えたい英語とはなんだ」
「物をくれ、私は悪くないという言い訳、心にもないお世辞、未来につながる何ものもない。敗亡の民は誇りさえ失っている」
「何を言う、お前も俺も日本人だぞ」
 佐伯が真剣に怒った。
「子どもを育てる、それが我らの決意だ」
 野口はうつむいてボソボソと言う。
「教科書に墨を塗り、上辺だけごまかして民主主義を唱える。天皇陛下万歳がマッカーサー元帥万歳に替わっただけだ。心底、腐ったヤツらだ」
「子どもには未来があるぞ、それを導くのだ、学校から光を発するのだ」
 急に野口は顔を上げた。
「もとが土くれでは玉は磨けん。ダイヤモンドを輝かせるのはダイヤモンドの砂だけだ。俺はせいぜい長柄川の砂さ」
 大声でそういって酒を飲み干した。佐伯は野口の手を取った。
「卑屈になるなとお前が言ったのだぞ」
 君枝が酒をもう一本持ってきた。ワカメにショウガが乗っている。塩辛いだけの代用醤油が哀しかった。
「あの、先生、ちっとばか相談してもええっかな、大木屋さん商売少なくなったろ、私、食い扶持を稼ぎたい」
「そんなことなら、君ちゃん、オットーさんところのハウスキーパーになればいい」
 すぐに野口が言った。佐伯も、それがいいと言う。
「進駐軍はハウスキーパーを置くのが一種の義務になっている、オットー大尉から聞いたのだ。俺が話そう、すぐに決まるよ。住み込みでなく週3日くらいの通いでどうだ」
 
 翌日の夜になってオットー大尉が父を訪ねてきた。ハウスキーパーの件で相談したいという。さっそく佐伯先生が話したらしい。
「私は結核をわずらっています。あなたに伝染すると大変です。ご訪問はうれしいがご遠慮願います」
 父がやけに固い言葉で言うとオットー大尉は白い歯をキラキラさせて笑った。
「見てください、私は健康です。私と同盟を結んで病原菌を共通の敵としましょう」
 しっかり握手した。父が君枝さんの保証人になると言うと話はすんだ。あとは軍に書類を出すだけだ。
 オットー大尉はバターとコーヒーの缶を持ってきてくれた。
「アメリカ軍はコーヒー缶がなければ戦えないのです」
 ドリップがないので母はコーヒーを煮出した。母もうれしそうに飲んだ。強烈な芳しさに僕は頭がクラクラした。それからしばらくは日本語と英語の会話が続いて、オットー大尉と父の笑い声が何度も響いてきた。こんなに朗らかな父の声はついぞなかった。
 1時間ほどでオットー大尉は帰っていった。帰り際に僕に向かって、以後は二度とキャプテン(大尉)と呼ばないでくれ、君のような部下は持っていない、と言い残していった。
 
 1ヶ月で家は改修された。物資がなにもないこの時代にいかにも速すぎるが、その理由は聞かないでも分かっている。進駐軍と言えばどんな物でもたちどころに現れてくるのだ。悔しいやら心地いいやら文さんも幸さんも複雑な思いだったろう。
 外国人を住まわせるなんて先祖に申し訳ない、そんなことを言って老人はお祓いをしてもらうことにした。御霊神社の神主さんが現れるなりエミールは目を輝かせた。豪華な衣装、黒い冠と履物、手にした紙のご幣も不思議なものだ。小声であれは何だとしきりに聞くのだが僕に分かるはずがない。
 昔は巫女(みこ)さんがいたのだ。長い髪を白紙で束ね赤い袴に垂らして、金だったり緑だったりのかんざしをつけて、絵に描いたようにきれいだった、そんなことも言いたかったのだが…英語を話せるようになりたいと思った。日本の文化は素晴らしいと自慢したかった。
 すっかり荷物を運びこんで少したつとパーティの招待状がきた。こんなに近所に住んでいるのだから伝言してくれれば十分なのに手紙を出すのがアメリカ流だ。洋二と礼子の他に2、3人友だちを連れて行った。みんなワクワクしている。
 その日はよく晴れた。五月晴れだねと言うと、いやバーベキュー晴れだよとエミールが言う、文化の違いがこれだ。
 男の子のいる家はこいのぼりを上げている。昔のものほどゆうゆうと泳いでいるように思う。からから回る矢車、たえずもつれている五色の吹流し、真鯉、女鯉、子どもたち、びっくり仰天したエミールの顔が忘れられない。
「なにあれ…魚…いくつも…なにあれ」
 5月だから当たり前だと思っていた僕らもびっくりした。そういわれればもっともだ、布の鯉を何匹もサオに結びつけて立てている。男の子のいる家が自慢しているというのもなんだか差別的だ。女の子の節句のひな人形はあまり人に見せない。
「コイノボリ?コイノボリ!教えて教えて」
 久保谷老人が偉そうに教えてくれた。江戸の半ばに鯉の滝登りの幡(はた)に代わって切り抜いた鯉を泳がせることが始まって流行した。これは神様に見せて祝福してもらうためなのだ。
 それでエミールの家も鯉のぼりを飾った。手作りの少し太った鯉だった。
「僕もカイトをあげたよ」
 カイトというのは凧(たこ)のことだ、なるほど魚の凧なのかもしれない。
  当然、職人さんたちも招待されていたがなぜか久保谷さんは来なかった。意地をはったのか改築のお祝いを出すのがいやだったのか、たぶん両方だろう。
 酒はウィスキー、それもアメリカのバーボンという香りのきついやつ、ジンというもっと強いのもある。ビールとオレンジジュースが並んでいる。ハムやコンビーフ、チーズが皿に並んでいて、エプロンをしたオットーさんが現れた。
「今日はありがとう、バーベキュー・パーティです。楽しく食べて飲んでください」
 そう言って庭に出ると、すぐにいい匂いがしてきた。
「アーアー」
 皆がいっせいにため息をついた。
「肉だよ肉だ」
「何年も食べていないな、」
 僕らが走っていくと煙が出迎えた。
「ステーキだよ、懐かしい、うれし涙だ」
「ここで会ったが百年目、さあ食ってやるぞ」
「ウナギ屋は煙で客を迎えるが、バーデキューってのも同じ趣向だね」
 左官の幸さんがうれしそうに言いながら目は酒ビンから離れない。
「バーでキューかい。こちとらバーなんて入ったことはないがキューと一杯はいいね」
 文さんも浮き浮きしているようだ。
「バーベキューですよ」
 エミールが訂正するが二人とも聞いていない。
 今日は大木屋の君枝さんが手伝いに来ている。背は低いが色白で丸顔、やさしい人。ビールの栓を抜いて皆のコップに注いでいる。
「プロースト」
 オットーさんが叫んでコップを文さんのコップに当ててチンと鳴らした。あわてて文さんは幸さんにぶつける、幸さんはどぎまぎして相手を探す。僕らもジュースのコップをぶつけあいチンチン鳴らした。すごく楽しくなった。
 飲み干したコップにはすかさず君枝さんが注いでくれる。こんなにぜいたくにジュースが飲めるなんてずいぶん久しいことだ。
「これバーボン」
 君枝さんがビンをさしだす。
「いただきやしょう」
 待ちかねたように幸さんが言った。
「こりゃカストリ焼酎よりいい匂いだが、きつい酒だね。棟梁いけるよ」
 ローラさんが氷を入れてくれる。
「バーボンなんて赤ん坊をあやすみたいな酒ですね、おやビリッとくる」
「メチルってさ、バクダン、目がつぶれる、あれは何で作るんだかね」
「木とかオガクズから木酢酸を取って蒸留するのさ」
「大工には縁がある酒だね」
 二人の話が盛り上がり始めた。僕らは面白がって聞いている。
「棟梁と幸さんは戦時中どこにいたんだい」
 酔ってくると必ず皆がする話だ。
「陸軍さんに頼まれてね、立川の軍需工場にいたんだよ」                
 そこで飛行機をつくっていたという。
「疾風(はやて)だよ、新聞で名前を募集したろう。今だから話せるけれどもね、当時は極秘中の極秘さ。銀翼連ねて空飛ぶ疾風がまさか木でできているとは誰も思うまい」
 大工が戦闘機を作る、皆、びっくりした。
「模型飛行機と同じだよ、ヒノキの良い所を型に合わせて削って接着するんだ。ニカワだと重くなるから、なんかツンツン匂う薬でくっつけたよ」
「ジュラルミンがないんだから仕方ないや。けど情けなくなったね。こんなのに立派な軍人さんが乗ってB29と戦うっていうの、まるで竹槍で戦車に向かっていくようなものだ。命がいくつあっても足りないよ」
「親も兄弟もいるだろうに、赤ん坊を残してきたというお父さんもいたよ、それがむざむざ命を捨てに飛行機に乗るんだ。言葉に出しては言えないけど翼の上に涙をこぼしてしまったこともあるよ」
 君枝さんがポツリと言った。
「挺身隊(ていしんたい)で作っとおった飛行機もハア、木でできていたっけん、桜花って名らと思うよ」
「それは私が乗る予定でした」
 佐伯先生がうつむいた。
「だろも生きて帰ったいや、ぱか本当によかったですて」
 君枝さんがあわててとりなした。
 話がしんみりして幸さんも思い出すことがあるらしく目を落とした。僕らも勤労動員で松の根を掘りに行ったことを思い出した。役場に農林省山林局松根油課という物々しい名前の役所から命令が届いた、航空機燃料の緊急増産、松の根で。それを話すとさすがのオットーさんも驚いた。あの松の根で戦闘機を飛ばそうとしたことか、それともヒノキを貼り合わせて作った疾風のことか、オーマイゴッドと両手を広げた。
 つい去年までたくさんの人が殺されていたのだ。今は敵だっアメリカ人の家で一緒に酒を飲んでいる。戦争というのは何だったのだろう。
「もう願いさげだ、俺は人を雨風から守るために家を建てている大工だ、人を死なせる飛行機なんか作るものか。そうタンカを切って帰ってきた」
 幸さんが尊敬のまなざしで文さんを見上げた。
「さすが棟梁、度胸があるね」
「いやさ、もちろん軍人なんかに言ったら刑務所行きだ、神棚に飾ってあった大黒さんに言ったんだよ。ニコニコ笑って打ち出の小槌を振ってサヨナラしてくれたさ」
 なんだこれはと皆が笑った。
「戦争、辛かった。終わって良かった」
 オットーさんもつぶやく。
「こうして日本の人とお酒を飲むなんて夢のようです」
「俺は兵隊に行かなかいから敵じゃないよ」
 幸さんが胸を張った。だから、ここで酒を飲む権利があると宣言しているようだ。
「さあ歌にしよう。宴もたけなわ、歌ってくれや」
 ふつうは軍歌から歌い始めるのだが、ここはオットーさんの家なので誰もが慎んだ。
 肉屋の次郎さんが毛の薄くなった頭を傾けて「憧れのハワイ航路」を歌った。岡晴夫を真似てちょっと鼻にかかる高い声で「晴ァれた空」と歌いはじめると宴席はやんやの喝采を送った。ハワイには真珠湾がある、そこから太平洋戦争が始まった。「エンジンの音ごうごうと」と勇んで歌ったあげくの敗戦だ。それがもう憧れのハワイ航路になっている、ずいぶん気楽なものだ。
 すぐに幸さんが立ち上がった。
「湯の町エレジーやります」
 男が切々と女を慕う歌だから、これなら安心して聞いていられる。
 電気工事の芝さんが酔った声で言った。
「戦争中は海軍がよかったよ、上官の命令に従って要領よく立ち回れば米の飯と酒にありつけるんだ。何も考えずにすんだよ。けど新兵のころは辛かったな、さんざん殴られてさ。でも自分が上等兵になってからは殴る立場だ。差し引き勘定は合っているさ」
 誰かがあいづちをうった。芝さんは浮かれてきた。
「俺もさ、あちこちの港に入ったよ、官費の無料の旅だ。港々に女ありってね、私のラバさん酋長の娘」
「おい、戦死した者に悪いと思わんか」
 皆から離れたところで隠れるように座っていた父が怖い声で言った。
「死ぬ者貧乏ってね、俺だって死はいつも覚悟していたよ、隣の船が轟沈さ、水兵も士官も平等にサメの餌だ、運が良かったね」
「自分がよければそれで終わりか」
 父はますます怒っている。
「俺に何ができる、赤紙一枚で兵隊に取られ月月火水木金金さ。機械も水兵も軍艦の部品だよ、動かなければ艦が沈むんだ、やるしかないだろ、考えてなんかいられないや」
 芝さんの声もけわしくなった。父はじろっと僕をにらんだ。
「こんなバカに世の中を任せられるものか。早く若い者に天下を取らせろ」
 芝さんも意地になった。
「そうすぐには渡せないよ、なにしろ戦地から復員したばかりだ、羽を伸ばさせてもらいます。こんな私に誰がしたってね、世の中、全部が悪かったんだよ」
「お前が歌え」
 突然、父が叫んだ。
「新制学校では民主主義の歌を教えているだろう。歌ってみろ」
 こんな所で歌うのは嫌だったが、昔をなつかしんでいるだけの酔っ払いに歌わせているのも嫌だ。銃後と言われて郷に残された人たちがどれだけ苦労したか知らないだろう。
「里の秋を歌います」
 僕が言うと礼子と洋二もつきあってくれた。洋二は調子外れだが子どもの声で歌う。
 〽 静かな静かな里の秋
 一座はしんと静まった。
 〽 ああ母さんと二人きり
 もう聞いてる皆が涙目になっている。
 二番になった。こらえ切れなくて何人もが一緒に歌い、ついに全員の斉唱になった。
 もう誰も戦争の話はしない。苦労話も自慢話もしない。
 戦争は嫌だと誰もが思っている。オットーさんはその様子をじっと見ていた。最初はけげんな顔で、次第に共感する顔で、それは戦勝国の人たちには想像できないことだったのだろう。
 戦争は嫌だね、二度と御免だ、最後の言葉はいつもこれだ。
 後でエミールからこんな話を聞いた。皆が帰るとオットーさんがローラさんにつぶやいたそうだ。こんなにセンチメンタルで泣き虫の人たちが、なんで大戦争を引き起こしたのだろう、ローラさんがすぐに答えた、ただのマザーコンプレックスよ。
  
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