第二章  昭和20年

 15年間も日本は戦争を続けていた。たくさんの人が死んだ。戦って死んだ人よりも飢えて死んだ人の方が多かったそうだ。それは東京でも横浜でも同じ、空襲で焼かれ、食べ物もなく大人も子どもも死んでいった。江戸時代にも飢饉があって多くの人が死んだというが、その原因には天災と人災が混じっている。この戦争で死んだ人はすべて人災だ。人間の行いとしてもっとも愚かしいことだ。
 僕は梨口敬、新制中学校2年生だ。
「おい敬、おまえが国民学校に来た日のことを覚えているよ」
 同級生の洋二は戦死した鈴木さんの次男坊だ。兄の太一さんは学徒動員され、そのまま東京の工場に住み込んで働いているので母の敏江さんと二人暮らしだ。まだ声変わりしていないのでキンキンと甲高い声で話す。
「昭和19年だよ、その前の暮に親父は兵隊に行ったんだ、みんなで鐙摺(あぶずり)まで送ってくれ、家族だけは逗子駅まで行ったよ、甲府の連隊に入って、すぐに戦地、すぐに戦死さ、運が悪かったよ」 
 徴兵(ちょうへい)の年齢が45才までになった年だ。葉山からは千人が出陣し349人が亡くなった。
「欲しがりません勝つまでは、なんてビラが貼ってあったわね、ラジオでもうるさく言っていたけど、いくら欲しがっても物が何もないんだから、そのときはもう負けていたということだわ」
 礼子はおてんば娘だ。大工の棟梁、峰岸文造さんの末娘、兄さん二人は父と一緒に働いている。
「あなたはいかにも町っ子だったわ、皆の前で下を向いてあいさつもできなかったわ」
「それが今は一丁前(いっちょうまえ)に俺たちと付き合っているんだからな、3年前だっけ」
 僕が来たあと続々と別荘の子たちが葉山に疎開してきた。学校には見知らぬ子どもたちが集まり、しかし先生は出征しているのできちんとした授業もできず、竹槍訓練をしたり松の根や皮を取ってきて油を採る作業をしたりした。校庭を掘り起こしてカボチャを植えた。陸海軍少年兵の募集があり僕も大きくなったら応募するぞと思ってみたりした。思い出すとずいぶん昔のことのようだ。
 
 僕の父は戦場に行かなかった。大学の恩師に指名されて川崎の研究所に入った。しかし、そこは戦場と同じくらい激務だった。体をこわして休職になり、空気のいい所で療養するように医者に言われて葉山に来た。なにしろ華族が別荘をつくるところだから健康にいいだろう、少し皮肉な気分で父と母と僕は移住した。もちろん別荘ではない、久保谷さんの地所の空き家の一つだ。屋敷の奥から谷戸に入ったところ、雑木と雑草の間に小さな平屋があった。
「産業戦士にお貸しするのは光栄だ、なんの研究をされていたか知らんが病気を早く治して、また国のために尽くしなされ」
 久保谷さんはいたわりの言葉をかけてくれたがまったく空々しかった、病気を皆にうつさないように隔離したいと思ったのだろう。
 父は肺炎から結核になりかかっていたらしい。空気で伝染する、薬もないし死亡率も高い、栄養のある物を食べて良い空気を吸って自然に治るのを待つ以外に回復しないといわれていた病気だ。都会にはないがこの郷にあるのは新鮮な空気と海の幸と静寂、父は少し元気になってきた。
 久保谷さんは父の研究内容を知りたがった。父は秘密にされていたことを自慢そうにべらべら話す軽薄な人ではない、だがそういう人も多かったのだ。父が何も話そうとしないのが不満で、家賃を値上げすると言ったり、あいつは結核だからそばに行くとうつるぞと郷の人を脅したりした。しかし、それは軍の機密だったから言えない。しかし、久保谷さんは自分には知る権利があると主張していよいよいやがらせをした、自分に逆らう者は我慢できない性質なのだ。
 しかしお嫁さんの節子さんは親切だった。スラリと背が高く柳の枝のような物腰で、色白の顔にはいつもさみしそうな笑みを浮かべている。それにくらべて僕の母は小柄で眼鏡をかけ、キビキビと動く。その二人はすっかり意気投合した。食べるために毎日、畑仕事。農家の人に教わりながらカボチャを育てサツマイモを植える。一人では気が滅入るような作業も二人だと苦にならない、新鮮な気持ちが持続するからだろう。僕も根っからの都会育ちだが熱心に手伝った。
 
 長柄の郷では、飢えて死ぬ人こそなかったが戦場から戻らない人たちは何人もいた。そして、戦争が終わった後にも人が亡くなった。身近に死を見るのは戦場の死よりも辛いものだ。
 昭和20年の夏、空襲がいよいよひどくなった。毎日のようにどこかが爆撃された。なかでも5月末の横浜空襲はすさまじかった。ここまでも爆音が響き地面が震えた。夜になると空が赤く燃えた。
 三浦半島は東京を守るための最前線だった。二子山の頂上には12.7ミリの高射機関銃2連装2基、下山口の峰山の頂上と披露山にも同じ、しかしこの銃では高空まで弾が届かない。長者ヶ崎と小坪には30センチのカノン砲が4門、佐島には3門、ただしこの大砲では飛行機は撃てない、また榴弾砲なので軍艦を撃つこともできない、つまり、ただ置いてあるだけなのだ。敵艦隊が接近してきた時には特攻兵器しかない。小網代の入り江には海竜が36隻、震洋が40隻配置されていた。諸磯には咬竜が5隻、油壺には回天の基地があった。剣崎の内側の江奈の干潟にも震洋が55隻も隠されていた。大層な名前はついているがどれもベニア板のボートや小さな潜水艇で、共通するのは船首に爆弾が積まれていること、操縦士は敵艦にぶつかって自爆する、若者ばかりだ。
 空腹と恐怖感で気力をすっかりなくしている僕らに熱い陽射しがふりそそぐようになった。また夏になったのだ。山に入ってもセミ捕りもせず焚き木を採り、海にいっても泳ぎもせず食べられるものを探しまわった。
 防空演習が何度もあった。木古場で殺されたオバさんのことを思って皆が真剣だった。畑仕事をしているときにアメリカの戦闘機に機関銃で撃たれたのだ。
 配給はいよいよ遅れた。当番の家の人が「配給ですよ」と触れて歩くと器を持って取りに行く。どこの家でも人手が足りなかったので僕らはずいぶん遠くまで品物を配ってまわった。
 よい物が届くとうれしかったがパンや菓子、肉や食用油、それに砂糖などはまったく届かない。大豆粉や、サツマイモ、タドンの粉、スケトウダラなどがおなじみだった。ノートや運動靴などもこなかった。
 生活のために大船まで買出しに行く、木炭バスは逗子まで通っていたが当然僕らは歩いた。ただ、その方が速かったことも確かだ。発車の時間になると運転手さんが後部のボイラーによじのぼりフタを開けて長い火かき棒でかきまわして薪をつめこむ。白煙が上がれば準備完了だ。十分にガスが発生していないと途中でストップする、上り坂になると全員が下りてバスを押す。
 あんなにきれいだった別荘の庭もすっかり畑になってしまった。ナスやかぼちゃ、サツマイモが一面に葉を広げている。もっとも地元の人たちにしてみると別荘の仕事よりはこちらの方が得意だ。
 そして、ついに戦争が終わった。8月14日から15日にかけて、無条件降伏して敗戦を決意するまでは政府にとって長い一日だったろうが、田舎の子どもたちにとっても長く忙しい日だった。
 お盆の中日なのでお墓を念入りに掃除しなければならない。男たちは戦場に出ているので老人と女と子どもの仕事だ。草を刈って水を撒いていると、ヤブカたちが特別配給を受けたようにむらがってくる。お坊さんも従軍してしまったので本堂や庫裏もほこりだらけだ。しかし布がないので雑巾が作れない。寺男の良さんがカヤをまいて大きなタワシを作ってくれた。うっかりつかむと鋭い葉先でケガをする。子どもたちでわいわい言いながら作業をした。兄や姉たちは夏休みを返上して勤労動員に行っているので、かりだされているのは国民学校の子どもたちだ。
 昨日のラジオで明日の昼には重大放送があるので必ず聞くようにと役場から言ってきた。ラジオのない家も多いし、大人たちは疲れているので聞こうともしない。『大本営発表』それは誰もが聞き飽きている言葉だ。役場では心配になったのか、子どもたちを伝令にして再度、連絡することにした。僕もすっとんで郷の家を回った。おそれおおくも天皇陛下が直々に放送するので国民は全員正座して聞かなければならない、これには困った。ラジオのない家の人はある家に行かなければならない。伝令員はその手配もしながら朝から郷を走り回った、その後でお疲れ様とも言われずにこの草刈りにかりだされたのだ。
「なんの放送だろう」
 洋二が汗をふきながら言った。
「また大本営発表だろ、マルマル部隊はマルマル海峡で敵巡洋艦1隻、駆逐艦2隻を撃沈せり」
「そんなことを久保谷さんに聞かれるとひどく怒られるぞ」
 僕は心配になってあたりを見回した。
「この戦時下になっちょらん、キョコクイッチだ、キチクベイエイだ、ススメイチオクヒノタマだ」
 洋二が久保谷さんの真似をした。
「ぜいたくは敵だっていうけど、ずっと敵に会っていないね」
 礼子の父親は大工さんで工廠に勤めていたから徴兵はまぬがれた。だから他の家ほど生活に困ってはいないのでのんびりしている。
「カレーライスとかカツライス」
「ホットケーキとかアイスクリーム」
「ビフテキ、ハムエッグ、オムレツ」
 食べたいものばかりだ。それがぜいたくだって言われるなんて、あのねオッサン、わしゃかなわんよ、洋二の口癖だ。
「敵性語を使うと罰金だぞ、ほしがりません勝つまではだ」
 寺男の良さんがまじめに言うので皆が笑った。ひさしぶりに笑ったような気がする。
 ちょうどそこにうわさの久保谷さんがやってきた。元憲兵軍曹、今は在郷軍人会支部分会副会長、もっとも会長は寝たきりの老人なので実質的にボスだ。
「なにを笑っとる、ジュウゴのササエだ、きれいになったか、結構、それでこそ銃後を支える小国民だ、帝国万歳」
 がっしりした大きな体に窮屈な国民服を着て戦闘帽をかぶっている。それを取るとピカピカのハゲ頭が出てくる。
「伝令は残らずしたな、おそれおおくも陛下におかれましては」
 オソレオオクモと言われると国民は直立不動しなければならない。一同が姿勢を正しているかじろっと確認して老人は話を続けた。
「御みずから玉音をもって我々臣民にお示しくださる放送だ、お前たちも心して聞くのだぞ、なんだ、こら、ここに草が残っている、クモの巣も取るんだ、そんなことではいい兵隊さんになれないぞ」
 なりたくはなかったが頭を下げていると久保谷さんは行ってしまった。
「なんだラジオの放送って漫才じゃないのかよ」
 洋二ががっかりした声で言う。良さんが木のかげから出てきた。久保谷さんに見つからないように隠れていたのだ。
「国民全部に正座させて漫才を聞かせるかい、バカは死ななきゃ直らないね、俺は浪曲の方が好きだな、ご存知森の石松を広沢虎造が、旅ゆけばァァ、鎌倉劇場で聞いたよ。できたばかりのときには中村吉右衛門も来たんだ、松井須磨子もカチューシャの歌をやったよ、今は浪花節だ、前にふらっと行ったら国防婦人会総会だってさ、アジャパー」
 良さんがダラダラ言うと洋二がキイキイ声で言い返す。
「では高瀬実乗で森の石松を、わしゃね森の石松だがね、オッサン」
 お上品ぶって会話に加わらなかった礼子が辛抱できずにしゃべり始めた。
「私はミスワカナが好き、あんなふうに男をやりこめるなんてすてきよ」
「残念でした、ミスは敵性語だから玉松ワカナになりました」
「どうしてあんなに早口でしゃべれるのだろう、尊敬しちゃうわ」
 なんというのんきさ、僕は2日間も走り回った疲れがどっと出た。
 
 僕の家でも早めに昼を食べてラジオの前に座った。しかし正午の放送はピーピーガーガーと雑音ばかりで聞き取れなかった。どういう内容か聞いて来い、父に言われて僕は久保谷老人の家に行った。
 こんにちはと声をかけて縁側からのぞくとラジオの前に正座した久保谷さんが肩を震わせている。漫才を聞いて笑っているのではなさそうだ。
「…負けたよ…」
 そうかと思った。大人たちの話を聞いていると当然だとも思った。広島と長崎に新型爆弾が落ちて一瞬にして町は壊滅したという。マンガの世界では、その新型爆弾こそ日本が作って世界中に落とすものだった。子どもでさえもマンガだと思っていたことが現実になった。勝てるはずがない、だから負けたと聞いても悲しくもうれしくもない、ただ気が抜けたという感じだった。久保谷さんが「おそれおおくも」と言う前に僕はすっとんで家に戻った。父も母も同じような反応だった、ともかく区切りがついたのだ。
 戦争は終わっても空腹は続いている。食べられる物を探す毎日が続く。会う人は皆、気が抜けている、空襲も訓練もない静かな日が続いた。
 19日になって日本の飛行機が飛んできてビラを投下した。『相模湾上デ決戦スル』と書かれている。町の人々は大騒ぎになった。せっかく終わったと思った戦争がまた始まるのか。しかし何事もなかった。本当に戦争は終わったらしい。それから10日たった。僕らは敗戦を実感した。
 浜から見ると、いつもと同じように江ノ島の向こうに富士山がそびえていた。しかし、そこにぎっしりと軍艦が浮かんでいる。どっしりした戦艦や巡洋艦、ほっそりした駆逐艦に混ざった無数の不恰好な輸送船は海岸に乗り上げて直接に戦車や装甲車を上陸させる船だそうだ。船の形が様々なので雑然とした感じはあるがいかにも強そうだ。大本営発表によると日本の海軍はたくさんの敵艦を沈めたそうだが、まだこんなにたくさんいるというのはどうしたことだろう。
 やがてマッカーサー元帥が厚木に降り立って、戦艦ミズーリで降伏文書が手渡されて、日本全国に続々と占領軍が上陸してきた。なぜかラジオも新聞も進駐軍と言っている。確かに日本軍もマニラやインドシナに『進駐』したからこの言葉で良いのだろう。けれど父は苦々しく言った。
「日本が勝った時には進駐さ、今は負けた方だから占領さ、誰も歓迎なんかしていない」
 ところが驚いたことに進駐軍がやってくると皆が歓迎しはじめたのだ。
 兵隊を見ると子どもたちはチョコレートやガムをおねだりした。大人たちは時計や着物を渡してタバコや缶詰、セッケン食べ物と交換した。それを闇市で売る商売人も集まってきた。スーベニ屋というのができて日本土産の絵葉書や人形や骨董品を売った。生きていくために必死だった。
 出版社も負けていない。9月にはポケット日米会話という本を売り出してさらに年が明けるとラジオでも英語の練習番組を放送し始めた。
 しかし進駐軍といえども兵隊は乱暴だ。神奈川県内だけで殺人が10件、強盗が1500件もあったそうだ。警察さえ被害にあった。兵隊たちは武器をおみやげにしようとしたらしい、巡査のピストルやサーベルが強盗される事件が71件もあった。もっとも普通の家に入っても何一つない、酒やタバコはもちろん食べ物も衣類もない、だから進駐軍司令部は日本軍の使っていた武器を集めて帰国する兵隊に土産として渡していたという。
 桜山トンネルの中でも米兵の暴行事件があり、暗くなると男も女も徒歩や自転車では通行しないようになった。
 でも、このことはニュースにならない。大本営発表と同じで進駐軍に都合の悪いことは報道させない。『色の黒い男が民家に押し入り金を奪って逃げました』とか『二人組の大男が四角い車で事故を起こしました』とか決まり言葉を使ってどうやら分かってもらうようにする。
 とうとう御用邸にも強盗が入ったのだ。
 そういう情報はすべて新聞吉さんが触れ回っている。新聞配達やお店の注文やら雑用をしている貧相なおじさんだ。取柄は声が大きいこと、足が速いこと、誰かが手紙を出してほしいと頼めば、あいよと一言、もう郵便局にとんでいく、気軽なおっちょこちょいだ。
「俺は新川文吉という名だがね、皆がしんぶんきちと呼ぶから、あいよ、あいよと言っているんだ。まるで文吉に新しいのができたようで変な心地だよ」
 そんなことを言っている。
「御用邸に強盗、号外号外、9月9日菊の節句の出来事、強盗強盗」
 午後の2時、御用邸の門にトラックとジープが乗り付けて、たちまち50人くらいの兵隊がどやどや降りてきた。隊長らしいのが忠臣蔵の討ち入りみたいに扉を乗り越えて中に入り門を開けた。何かを壊すような音が聞こえたが、しばらく経つと全員が出てきて整列して車に乗って行ってしまった。
「なにかを抱えた兵隊がいたというから分捕りされたんだよ。警察は何をしていたんだって、進駐軍に攻め込まれたら何もできません、銃を突きつけられて仕方なく部屋を案内してまわったらしいよ、号外号外、進駐軍」
 新聞吉の叫び声が聞こえると、空腹と同じくらいニュースにも飢えている郷の人たちは御霊神社の境内に集まってくる。急に風が吹いて大山の上をごうごうと越えていく。電線が助けを求めるように大きく揺れた。思わず皆、首をすくめた。
 新聞吉がここぞとばかりに大声で叫んだ。
「敵襲、敵襲、B29の編隊が高々度を通過していきます」
 思わずみんな空を見た。防空壕を探した人もいる。しかし空は青一色、不吉なものは何も見えない。
「よしてくれよ、戦争は終わったんだ」
「そうだよ、機銃掃射も爆弾投下もなくなったんだ」
「…良かった」
「空襲、怖かったね。そりゃあ落とす方は爽快さ、3日分の便秘がすっと通ったような気分だろうね、それを下から見上げているのはたまらんよ」
「俺は横浜の焼夷弾(しょういだん)を見たよ、なにしろきれいなんだ、飛行機が飛んでいくと何か落ちていく気配でね、それにパッと火がついて、ずっと並んで花火のしだれ柳さ、あれは油なんだってね、田んぼに落ちると取るのが大変、稲が腐ってしまうからね」
「ぜったいに飛行機乗りは面白がっていたと思う。超低空でダダダッつて必死に逃げていくのを撃つんだ。子どもだってお婆さんだっておかまいなしさ。民間人は殺しちゃいけないはずなのにさ」
「高射砲なんて当たらないものだよ。弾のかけらが落ちてきて味方には当たるんだよ。怖いからあっちに行ってくれっておどかしているだけさ」
 戦争が終わったという安心感で、皆が平気でのんきなことを言い合っている。
「赤飯にラッキョウを入れて食うと弾に当たらないって、バカなことを言ったもんだね。江戸時代にコレラにかからないというおまじないとまったく同じだ。でもラッキョウは品切れになったんだってさ。溺れるものはワラをもつかむ、自分だけは助かりたいという一心さ、切ないね」
「空襲の時にビラを撒いたよ、いい紙だったな。子どもが拾うと親が怒って回収する。憲兵や特高ににらまれたら大変だよ。殺されたって文句言えない。鎌倉では特高ににらまれている人がたくさんいたそうだ。中には牢屋で殴られたり酷い目にあって死んだ人もいるそうだ。でも今思えばビラに書いてあったことは本当だったんだね。軍の発表はウソばかりだとか日本に戦争は続ける力はないとかさ」
「いよいよ敵上陸のうわささ。男は竹ヤリで戦えとか、子どもは山に逃げろアメリカ軍の犬のエサにされてしまうぞとか、女は田舎に隠れろ兵隊につかまると大変だとか」
「逗子駅のそばに古くからのお店があって、それが建物疎開さ。移転するわけではない壊してしまうのだ。大きな立派な建物だからなかなか壊れないのさ。ついに軍の車で引き倒した。それが8月15日、その日の昼に終戦勅語だよ、もったいないことさ」
 話題はつきないが、誰もが話して忘れようとしているのだ。
 
 めまぐるしく新時代になった。僕らは教科書に墨を塗って忠君愛国を隠した。修身・国史・地理の授業停止、軍国主義的な先生は即時追放にする、しかし、若い先生は戦場から帰らず、年寄りの先生は疲れ果てている、校長先生は人目を避けていた。リットン調査団というのが来日して、教育基本法、学校教育法、六三三制というのを残していった。どんな内容なのかまるで分からない。 
 その10月、ついに公職追放令が出て、議員さんや町長さん、町内会長、在郷軍人会長 大政翼賛会地方支部長がやめさせられた。
 久保谷さんも隠れてしまった。自分は副会長だから大丈夫だと弱々しく弁明していたが。
 
 母はせっせと畑を作っている。節子さんがいい相棒だ。二人は腰を伸ばして一息つき女学生のように話した。
「知恵さん、資生堂パーラー覚えている?」
「ハヤシライス!おいしかったわ」
「では千疋屋は」
「クリームパフェ、ツバがでてくる、なんだかはるかな昔みたいね」
「食べたいな」
 節子さんの実家は手広く商売をしていたそうだが破産した。暮らしを支えるためカフェに勤めていたのを久保谷の息子の秀造さんがプロポーズした。出征を前に残された時間はわずかだった。
「私はクリスチャンです、それでも結婚できますか」
 大正時代のモダンガールの母が洒落たことをしたくて洗礼を受けたらしい、しかし節子さんは本当の深い信仰を持っている。
「生きているかぎり、なんてかっこいいこと言っておいて戦死してしまったわ」
 当時、隠れるように暮らしていた神父さんを頼んで、友人が媒酌人(ばいしゃくにん)になり式をあげた。実家には結果を知らせただけだった。
「出征するほんの少し前に二人でこの家に来たの」
 久保谷老人は一人っきりでここに住んでいた。父母も妻も亡くし世話するものが誰もいない孤独な老人、節子さんは同情し、信仰心を高めて同居することを承諾した。
「お義父さんは私を憎んでいるんですよ、大事な息子を取られてしまったからね」
 それは久保谷老人にとって許せない結婚だった。二人は親の許しを得ず結婚した、それが気に入らない。節子さんはクリスチャンだ、それが気に入らない。節子さんは都会育ちだ、自分より背が高い、それが気に入らない。なんでもかんでも気に入らない。そして何よりも久保谷家の跡継ぎをつくる前に息子は死んでしまったのがどうにもならず許せない。
「節子さん、あなたは野の百合(ゆり)のように清楚で凛(りん)としているわ、まるでリルケの詩の乙女のようよ」
「日本の女は未亡人になって初めて人間になる、誰かの言葉ね。私もなんと言われようと自立しようと思ったの、人間宣言だわ」
「敬愛するわ、私は妹にしかなれないの」
 兄が出征することになり、その間際に妹を親友に託したのだという。
「私も兄の友だちの大学生たちと一緒になって議論したり、演劇やスポーツを見に行ったり、山登りもしたわ。楽しかった、私は皆の共通の妹だったんだから」
「兄と一番親しく、私も好きだった人だから喜んで結婚したの。敬が生まれて母になっても妹の気分がなかなか消えないわ」
 夫は恩師の大学教授の指名で研究所に入った、たぶん徴兵免除のための温情だったのだろう。しかし体をこわした。
「今は待命、予備役みたいなものね、最低の生活だけは保証されている、ただ夫は研究のことで頭がいっぱいで焦れているの、それがかわいそう、だから私は妹なんかより強い妻になりたいんだ。ごめんなさい、あなたには辛いことを言ってしまったね」
 節子さんは真面目な顔になった。
「私は夫が死んだと思っていないの、必ず帰還するわ、この前も一人でいたら縁側に夫が現れて、待っていてくれ必ず帰る…そんなことを…笑わないでね」
「人の思いって強いから信じた方がいいと思います」
 二人は自然に打ち明け話ができるようになっていた。
 
 父は訪れてくる人もいないまま閉じこもってばかりいる、だからどんどん陰気になってきた。戦争が終わったことを喜ぶより、自分の将来が暗くなっていくことを恐れているようだ。思いこむと母に愚痴をこぼした。
「俺はお前の兄さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだ」
 夕方になると父は心細くなるらしい。繕い物をする母に話しかける。
「俺の幼馴染でずばぬけた秀才だった木村も大学に入るとすぐに結核で死んだ。他にも仲間がずいぶん死んだ。俺も死期が迫っているような気がするんだ」
 母は言葉を返さなかった。
「兄さんはお前の幸せを願っていた。まだ戦地から帰らない。俺はその願いにこたえたのだが、務めを果たすことができたのか」
 今度は母が鋭く答えた。
「私が幸せだと思えば幸せなんです、そうでしょ。私の心は私のもの、ねじまげようったってそうはいきませんわ。私は幸せよ」
 父は照れたように言う。
「じりじりするんだ。研究が進まず病気だけが進行していくなんて、救われない気持ちだ。俺は仏門に入ろうとまで思ったよ」
「この家に赤ちゃんが増えたわね、駄々っ子の。だけど科学の真理は逃げていかないわ、洞察は寝ながらでもできるでしょ。良い知恵は枕上、馬上ともう一つ」
「淑女のたしなみでどこと言わないのだな」
「節子さんは淑女ね」
「久保谷老人はなぜあんなになってしまったのかな」
「他山の石、あなたもお気をつけなさい。頑固者が年取ると絶望的な頑固になるのよ」
「ご忠告かたじけない、気をつけます」

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