心身凍る大寒の インド料理

 真っ先に三令嬢が部屋に入った。先輩と僕はそそくさと挨拶に行った。
「私、松園(しょうえん)さんが好き」
 本荘智津嬢がうっとりした口調で言った。もちろん僕も先輩も誰のことだか分からない。
「あの松園というのは寄席で講釈を語る人ですか」
 おずおずと先輩が聞いた。今度は智津嬢が困ってしまった。
「寄席って何かしら、講釈って知らないわ」
「あのね、上村松園というお名前の絵描きさん、私たちよりほんの少し上だけれど、それはすてきな絵をお描きになるわ」
 林麗子嬢がフォローしてくれた。
「でも私は清方(きよかた)のほうが好き」
 歌塚礼嬢がすかさず言う。
「あら同感よ、私も清方びいきなの」
「うれしいわ、あの方の絵には物語があるのよ、見ていると絵に描かれた前の場面も想像できるし、その後どうなっていくか考えることもできるの」
 智津嬢が不満そうに口をとがらせた。
「鏑木(かぶらぎ)清方なんて江戸の浮世絵師の生き残りじゃありませんこと、松園さんは伝統の日本画に新風を吹き込んでいる方よ」
 麗子嬢が反発した。
「生き残りなんて失礼なこと、松園よりお若いのよ。この前の絵画協会展に出された『孤児院』っていうお作、華族の令嬢が正面に座っているの、その横に園長らしいお婆さん、前に裸足の子どもたちが数人、赤ん坊を抱いたねえやもいるわ。なによりその令嬢の凛々(りり)しさ清らかさ、白いリボンを結んでいてね、私もああなりたいと深く思いましたこと、それでリボンだけ真似しましたわ」
 たしかに麗子嬢は白いリボンを結んでいる。よく似合うなと思っていたのだ。
「なら申します。松園さんがこの前の文展に出された『長夜』というお作、一人の娘が腹ばいで本を読んでいるの、もう一人が行燈の火をかきたてているわ、その影が透けて見えるの、娘は紅梅かしら椿かしら赤い花模様の着物、もう一人は点描の蔦、ほんのり明るい灯に照らされてうっとりするようよ」
 智津嬢が言うと礼嬢も負けない気で討論に参加してきた。
「松園の絵は踊りの手ね、型にはまってぴったりあった一瞬の仕草なの。それも上方の舞ね、お芝居ではないわ。だから春愁とか秘恋とか艶とか怨とか、その情だけを人物に描きだすのよ。清方はドラマの一場面よ」
 智津嬢はいよいよ不満だった。
「まるで閨秀(けいしゅう)画家は情だけで知恵がないような言い方をされるのね」
 礼嬢は平気で言った。
「そういう作風があってもいいわ、でも好き嫌いは別よ。『教誨(きょうかい)』という絵、少し前の展覧会で見たのだけれどお話しします。シスターが聖書を手に村娘と話しているの。背景は西洋のような林よ、妖精が出てきそう。シスターは白い頭巾、黒い服と靴できりりと娘を見つめている、娘は粗末な着物で藁草履(わらぞうり)を履いて下を向いているの。どんな事件があったのか、どう解決するのか、しかしシスターは迷える娘を必ず救うわ。こんな絵を描ける人のどこが浮世絵師なの」
 話がエスカレートしてきた。麗子嬢が持論を言う。
「華族であろうと平民であろうと女だからというような言葉は禁止してもらいたいわ。男も女も才能は同じ、力があるから男の方が偉いなどと思っているのは武士の封建時代の話よ」
「それは同感だけど松園と清方とどう関係するのかしら」
 礼嬢がおっとり聞いたので智津嬢は少しあわてた。
「清方さんは女にドラマを演じさせているの、松園は女だから自分の感性を描くだけなの」
「あら、それこそ失礼よ。」
 智津嬢のひいきも根強い。
「絵の中の物語を思うのではなくて、絵から私の中に物語を創造していけばいいの。過去のことでも未来のことでも自由自在に考えさせてくれるのが良い絵よ」
 僕たちは訳が分からないままぼんやりしていた。しかし、ただ一つ明確に分かったのは、こんな女性を相手にして言い合いをすれば絶対に負けるなということだった。
 ようやくお客が集まってきた。みんな寒そうだ。
 鈴木社長は出張して留守だったので小久保書生が張り切って挨拶した。
「今回はインド料理をお召し上がりいただくということで、さっきからジンジャー、パプリカ、ペッパー、コリアンダー、クミン、ターメリックなどという香辛料をじっくりとバターで炒っております。いずれも私がはるばるインド洋から運んで参ったもので、ギーという水牛のバターで炒めるのが本式ですが、長い船旅で溶けてしまいますので、今日はふつうのバターを用いております。インドと申しましても南と北では食べ物が違う、さあお立会い、南は米を食う、北はチャパティと申すパンのようなものを食う、本日は米を使った南インドのカレーをご用意いたします。そもそもインド人というものは箸を使いません、指で食う、米とカレーをネチョネチョこねあわせて口に運ぶ、おやおや、奥様、帰らなくても結構です、今日はスプーンでヨーロッパ人のように食べていただきます。それでインド人のことをフィンガーファイブなどと悪口を言います。最後にご案内のとおりサリーというインドの衣装を進呈いたしますので楽しみになさってください。ただしお断りしておきますが、我輩の料理はシンガポールで習ったものでしてインドには行っておりません。それでは料理ができるまでしばしのご歓談を」
「第二次桂内閣も二年半になりましたな」
 食べるのが楽しみか、しゃべるのが楽しみか大森大佐は欠かさず出席してくる。しかし料理をうまいと言ったことは一度もない。
「桂太郎侯爵もそろそろ人心の一新を図るころでしょうか、近頃は多忙で別荘にもほとんどお出でがないようですよね」
 須木谷元頭取がお相手をしている。
「しかし他に人材がおりますか」
「政友会がしきりに画策しているようです」
 ひさしぶりに参加した那須野子爵が思わせぶりに言う。
「西園寺公望侯爵も手強いですからな」
「内閣を交互に組んでいくというのも互いに競いあい補いあって、我が国のためにはいいことかもしれませんぞ」
 妙なもので西園寺という人が憎らしくなり、桂がんばれと応援したくなるのが身びいきというものなのだろう。その人も知らなくてこんな気分になってしまうのは危ないことだ。
「なにしろ桂閣下は先祖をたどれば相模の住人ですから我々としては応援したいではありませんか」
 大森大佐は超越した身びいきだ。
「ほう相模の国の」
「津久井の郷の桂氏といいますから相模川上流の桂川にちなむ土地の武士でございましょう。毛利に仕えて功ありと聞いております」
「また殿方の政治論議が始まりました」
 海野夫人が割って入った
「国を憂(うれ)うる心です」
「家庭と妻も憂いてやってください」
「ご主人はしょっちゅう妻を憂いておりますぞ、結婚は人生の墓場なりと」
「なんですって聞き捨てなりません」
「まあまあ、人前です、抑えて抑えて、まったくあんたも余計なことを言う人だ」
 海野氏が大森大佐をにらんだ。
 なんとなく皆がいらだっているのは、さっきからツンツンと匂ってくる異臭のせいらしい。カレーは幕末に持ち込まれ一般家庭に広まって今ではカレーうどんまで売り出されているのだからおなじみなのだが、今日の匂いはとびきり強烈で涙が出てくる。ご婦人連はハンカチで鼻をおさえていたが、ついにたまらなくなったようで、一人二人と部屋の外に出ていった。
「それにしても幸徳秋水などという男が出るようでは世も末ですな」
 話で鼻をまぎらそうというように大森大佐が叫んだ。
「乱心謀反などは明智光秀の時代の話です。この文明の世の中に大逆事件とは」
 小久保先輩は大森大佐の話に必ず反発する。
「幸徳秋水氏にも一分の理があります」
「盗人に一分の理ですか、帝に爆弾を投げつけようとしたのですぞ」
「それこそ社会主義を弾圧するためのでっちあげです。徳富蘆花君も首相に嘆願書を出されたそうだ。兄君の徳富蘇峰先生とも逗子の別荘でよく話し合ったそうです」
 那須野子爵が穏やかに話をさえぎった。
「社会主義は国を危うくしませんか」
「庶民あっての国です」
 僕はまずいなと思った。先輩は頭に血が上ると誰かれかまわず自説をまくしたてる。
「また殿方が…政治の話を…ちょっと失礼します…息苦しくて…クシュン」
 海野夫人が出て行くと、私も私もとご婦人方は部屋を出ていった。男たちも話をやめた。先輩は皆の苛立(いらだ)ちを議論のせいだと思っていたが、本当は違う。
「君、この匂いなんとかならんかね」
 大森大佐が怒鳴った。
「これがインドで食す本物のカレーの匂いであります。我が国のカレーはまがい物です」
 先輩が言い返す。
「では私たちはまがい物を食べているというのか、失敬な、聞き捨てならん」
 那須野子爵も反発した。
「君こそまがい物だ、思想から食べ物まで外国かぶれしておる」
 須木谷氏も立ち上がった。
「わしも胸がむかついてきた。失礼する」
「妙なものを食わされるのは御免こうむる、会費を返せとは言わん、私も帰る」
 あ然としている先輩の前を次々に客が去っていく。ようやくできあがった鶏カレーを器に盛って僕が部屋に入った時には泣きそうな顔で立っている先輩がいるだけだった。
「どうしたのですか」
「…もうダメだ、いやになった。頑固頑迷な日本人たちめ、井の中のカワズ、金魚鉢のメダカ、虫かごのカブトムシ、池のアヒル、穴のモグラ、ミミズ、ダンゴムシ」
 ブツブツと悪態をついていると扉がぱっと開いて三人の令嬢が入ってきた。
「ハハハ、小久保さん、痛快痛快」
 麗子嬢が言うと智津嬢も笑った。
「あんな分からず屋の威張った年寄りたちをやっつけるなんてお手柄だことよ」
「自分だけが正しいと凝り固まっているの、ああいう時代が分からない人たちはすぐに退治しないと時代が良くなりませんことよ」
 礼嬢がぶっそうなことを言う。
 智津嬢が僕に催促した。
「本当にいい香り、さっそく頂戴しますわ、お給仕お願いね」
 ご飯とチャパティとどちらがいいですかと聞くと両方いただくわという返事があった。先輩はもう顔をくしゃくしゃさせて厨房に飛び込んだ。涙を見せたくなかったのだ。
 五人で楽しく会食した。さすがに指で食べるとは誰も言わなかった。そして礼嬢がサリーを着たいと言い出した。
「サリーはフリーサイズですからどなたでもお召しになれます」
 まったく先輩はよく考えずに物を言う。すらりと引き締まった麗子嬢もサンマが立ったような智津嬢も気に止めなかったが、先輩の意中の人であるぽっちゃりした礼嬢だけはすねたように口をヘの字にした。
「我輩がお着せするわけには参りません。茅部少年をモデルにして着付けの順序をご覧にいれます。あとは皆さんでお願いします」
 また僕は妙な役目をさせられた。
 もちろん一人が着ると他の者も着てみたくなる。食事を終えて果物を食べ、甘いミルクティを飲み、口直しだといって夫婦饅頭を食べ、長い時間かけて着せ替え遊びを楽しんだ。
「勇敢な小久保さんに何かお礼をしましょうよ、何がよろしいかしら、ご希望は」
「我輩は今だかって別荘というものに入ったことがないのです」
「そうか探検ね、でも私たちの家というわけには行かないし、そうだ桂太郎のオジ様はとても忙しくて別荘に来ないと言っていたわね、あそこにうかがいましょうよ」
 
 流し場では暗がりの下で皿や茶碗がガチャガチャ音を立てている。それにもましておばさんたちがしゃべっている。声が大きいことに関しては大森大佐に負けていない。こちらは戦場ではなく海できたえた漁師の声だ。
「まったくしゃくにさわるよ、偉そうにして、あの大森なんて男も親父は田舎の足軽さ。ご維新で錦旗をかついで出世したのさ」
「あたしらとは生まれが違うって顔してね、あの海野子爵だって京都の路地裏でひっそり内職していた貧乏公家さ、食うや食わずはお互い様だよ」
「須木谷さんだって、秩父の山奥から絹糸持って横浜に来て、あこぎな商売して金もうけをした一家だよ」
「腰が低くて親切なのは社長様だけだよ」
 洗い物が終わってぞろぞろ座敷に戻ってきた。きらびやかな昼の客に較べて何と粗末な服装だろう。継ぎの当たった着物にそそけた髪、みんな素足だ。
「それにしてもお君さんの着物はひどいね」
 無遠慮に言われたお君おばさんはうれしそうに答えた。
「昔婆ちゃんがご主人からもらった時にはもう古着さ、最初は晴れ着、次に普段着、とうとう作業着に身分を落としたんだ」
「そんなの着てるから馬鹿にされるんだ、馬子にも衣装だよ」
「おおきなお世話だ、そういうあんたのもご立派だ、ツムギかと思えば継ぎだけだね」
 長柄の郷では洋服は兵隊と巡査だけだ。役場の人たちも着物で仕事をしている。訓導の片井先生は黒いツメエリにズボン、バンドに手ぬぐいをぶらさげて下駄で歩いているが家に帰れば着物に着替える。
「長柄もすっかり開けてきたね」
「別荘ができたからかね」
「いや元町から森戸橋までの賑わいさ」
 明治38以降、日露戦争で夫をなくした未亡人のために出店を出す許可が出たのだ。小屋がけの粗末な店で、野菜果物を並べたり、セッケンやマッチなど、中には線香や仏花をほんのわずか並べた家もある。どこもつましい格好の女の人が店番をしており、みんなは出店通りと呼んでいた。
「みんな後家さんだと思うと哀れになるよ」
「中にはその出店の株を買って商売している人もいるそうだよ」 
「やはりあれは逗子新宿のお兼さんかい、姉さんかぶりで飴を売っていた、図々しいね、あの旦那はバクチ打ちで今は牢屋にいるよ」
「今の世の中は自由なんだよ、お偉いさんも維新の元勲とかいってあこぎなことをやっているだろ、金儲けが第一なんだよ」
「あの大森なんて偉そうな軍人さんの給料を知っているかい。1年が2352円だよ、兵隊さんは14円さ。学校の先生が280円、大学の博士が1800円、兵隊さんが一番辛い仕事をしているのにね」
「勝てば官軍、日露戦争も勝ったけれど、また嫌な軍人さんが増えるのかね、タヌキさんキツネさん、おヒゲは立派だがね」
 一人が僕の方をじろっと見た。
「あんたは土地の人だから立身出世をしてほしいが、あっちの書生さんは大丈夫かい。だいぶボンヤリしていて起きてても寝ているようだよ」
 確かに僕らはぼんやりしていてオバさんたちの話をろくすっぽ聞いていなかった。だから、その言葉をもう寝なさいという合図だと思ってサヨナラを言った。僕らの背中に何か冗談がとばされたとみえて大きな笑い声が起きた。
 夜遅く社長が帰ってきたが、話を聞いて驚いたりあきれたり、そのうえ明日は桂邸を訪問するというで苦笑いした。
「ままごと遊びの延長で総理大臣別荘のお客様になりますか、青年客気と申しますが、いやはや、いい社会見学をしていらっしゃい」
 
 翌朝、十時に僕らは桂邸の前に立った。桂侯爵は私費で御用邸の前に広い道を作り行幸道路と名づけた。その途中の森山神社の前に別荘がある。
 三令嬢も成子嬢を誘って歩いてきた。
「富士山がとてもすてき、真っ白に輝いていたわ」
「海の水が透明で、小魚が泳いでいたわ」
「海藻がたくさん打ち上げられていた、鈴木社長はあれからヨードを取ったのね」
「ノドが乾いちゃった」
 最後の即物的なお言葉が成子嬢だ。
 電話で依頼しておいたということですぐに門が開いた。留守番の執事は先輩と僕を令嬢の家の書生だと思ったようだ。
 さっそく客間に通されてお茶とお菓子が出た。執事はしゃべり慣れた調子で話し出した。
 桂太郎がここに別荘を建てたのは明治三二年のこと、すぐにかたじけなくも皇太子殿下の御幸がありました。
   伊豆の山相模の海を我家の
       庭の景色と見るぞ楽しき
 こんな御作を賜りました。ここを長雲閣と名づけられたのは伊藤博文公です。この部屋で日英同盟のことを議論されました。
 まるで観光ガイドだ。
 旦那様は果物がお好きで、桃や柿やミカンばかりか西瓜までお庭に育てられ、ご家族皆様でお召し上がりになります。
「偉いお方なのにね」
 麗子嬢が気をつかってあいづちをうった。しかし執事は話をとがめられたように感じたのかいやな顔をした。
「御前とか殿様とか言わないと失礼だとお思いでしょうが、旦那様と呼ばないとご機嫌を損ねますのです」
 玄関の広い車止め、廊下のガラス戸からは御用邸の木々をこして海を望み、和室あり洋室あり、結構なお庭にはさっき聞いたばかりの畑があり果樹が植わっていた。
 先輩と僕はあっけにとられてしまった。さすがに四人の令嬢も自分の別荘よりもずっと大きいので感心したようだ。
「おやおや、お嬢様大きくなって」
 執事のお神さんが入ってきた。とたんに部屋は庶民的になった。麗子嬢が顔を赤らめた。
「お嬢様もお年頃ですね。ご結婚相手を旦那様にお願いしてみましょうか。今の奥様は四人目ですけれど死別ばかりですのよ。三度目の貞子様がキリスト信者だったので旦那様もいまだに信者の方を大事にされますの」
「私は信者ではありませんし、結婚相手は自分で探します」
「おやおや相変わらずお気の強い。確かに旦那様はお忙しいですからね。どなたにもニコニコして機嫌良くされるからお疲れになるのですわ。お体が心配でね」
 桂侯爵がニコポンというあだなで呼ばれていることは有名だ。「いやお元気で」「お世話になるよ」「今度ご馳走しましょう」「家に遊びにおいで」そう言ってニコニコ笑ってポンと肩をたたく愛想のいい人だ。
「ベルツさんが国に帰ってしまわれて残念ですよ、ずいぶん健康に気を遣ってくれました、桂さんはどんなに苦労があっても笑顔を忘れない偉い人だ、私は感激しますっていつもおっしゃっていてね。そうそうベルツさんと旦那様はドイツ語で話をされるのですよ、秘密の話というわけではありませんが、私なんか、なにか外国にいるような気分になってね」
 この婦人も大変な旦那様びいきだから、自分の夫の執事はひどいめにあっていることだろう。僕たちは母親の息子自慢を聞いているような気がしておかしくなった。
「ビスマルクみたいな偉いお方ですよ。今度の戦争を乗り切ったのも、日清戦争の時に激戦の指揮をとった経験が生かされたのですよ。なにしろ現役の大将ですからね」
 昼近くになって皆おなかが空いてきたので帰ることになった。先輩と手分けして令嬢をそれぞれ送り届けて家に戻ると社長が待っていた。届け物をしてほしいということだった、別荘ではない、もっと路地裏だ。
「夕方の方が目立たなくていいです。あそこの息子は漁から帰らずもう二十日になります。お婆さんの一人暮らしですがもう食べ物がなくなりかけているでしょう」
 米と味噌と茶、竹の皮に包んだ佃煮や煮豆の入った風呂敷包みを渡された。
 夕方になって風が強くなった。海沿いの道が白く見えたのは砂が吹き上げられているからだ。僕はあわてて手ぬぐいで髪をおおった。砂がびしびしと顔に当たる。どの家も雨戸を引いている。路地の奥にまで砂が吹き込んできた。こんにちわと声をかけて玄関を開けた。灯りのない部屋は真っ暗だった。
「社長の所の茅部です、お届け物です」
 ようやく人の気配がしてお婆さんが入り口までいざってきた。
「おやまあ、いつもありがたいことで、社長様にお礼を申し上げます」
 僕は言葉につまった。お元気で長生きしてくださいなどと言えば僕は社長と同じ立場になる。お伝えしておきますなどと言えば、僕は届けるだけが仕事で何のかかわりも持とうとしない人間になる。何かお手伝いしましょうなどとなれなれしく言うのはいやだ。さてどうしようと思っているとお婆さんが声をかけてくれた。
「寒いから火にあたっていかんかね、お茶入れようかい」
 まるで僕が孫ででもあるように優しい言い方だった。僕は砂を払い玄関の戸を閉めた。お婆さんは炭が赤くおきている小さな火鉢を引きずってきた。
「そうだ節分の豆があった、炒り直してやるかね」
 古い焙烙(ほうろく)に大豆を入れるとすぐにいい匂いがしてきた。
「社長さん所の書生さんだろ、話は聞いているよ、いい若い衆だそうだ」
 お婆さんは話し始めた。もう何日も人と話していないようだ。
「親父が海で死んじまってからもう十年だ、今度は息子かと思うと心配でな、でも待つより仕方ないだよ」
何も返事ができなかった。
「おらは息子を心配しとる、息子もおらのことを心配しとる、でも一寸先のことは分からない。ときどき神様というのはむごいものだと思うよ。でも神様はけっして悪いようにはしないものだ」
 シンガポールのインド人街にも貧しい人たちが渦巻くように暮らしていた。夜は人が寝ている、朝は牛が歩き回っている道路のあちこちに小さな祠(ほこら)があってヒンドゥの神様がまつられている。石像は赤い花びらが押し付けられローソクの火に照らされて気味悪かった。しかし人々は神様に願い祈りをささげている。
「人間というのは弱いものですね」
「そうとも、何かをつっかい棒にしていなければすぐに倒れてしまう、カカシみたいなものさ。だから仏様に支えてもらうのさ」
「あれ、神様ではないのですか」
「神様は海とか山とか村とか全体を治めなさる。おらのことなどは知ってくれない。仏様はおらに寄り添ってくれるだ、心の中にいつもいてくれる。神様は怖いが仏様は優しいんだよ」
 お婆さんは小さな声で話した。
「神様は古くから日本にいらしてな、仏様は天竺から来られて神様を時々なだめてくれるんだ。偉い方なら死んで神様になれるが、おらみたいな者は仏様にすがってあの世に行くだけだ」
 また来ます、と言ってすっかり暗くなった表に出た。波の砕ける音が聞こえた。息子が帰ってくるように、お婆さんが病気にならないように、僕は繰り返し祈っていた。聞いてくれるのは神様か仏様か分からない。しかし、人間は祈らずにはいられないのだ。
 戻ると社長が待っていてくれた。
「どうでしたか」
「僕、話し相手になってきました」
「いいことをしました。ひとりぼっちでいるのは辛いものです。長く続くと命の火が消えてしまいます。誰かと話すだけで消えかかった火がまた燃え出します」
「…」
「これからも手助けしてくださいね」
「ありがとうございます」
 そう言ったとたんに涙がこぼれて止まらなくなった。社長は何も言わずに奥に入ってしまった。火が燃え出したのは僕の方です、いつか社長にこのことを言わなければならないと思った。

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