秋風立ちそめるシャム料理

 キュウリのツルが枯れて菊の花がつぼみを持った。秋の七草を全部言えるか小さい時に競ったものだ。萩、尾花、桔梗、撫子スズナ、スズシロ。たいがいは途中から春の草になってしまう。子どもにとっては見る花よりも食べる草の方が印象深い。
 月曜日の朝、鈴木社長の所に出かけようとして土間で靴を履いていると、めずらしく父が来て縁側に座った。ふだんは社長の家で寝泊りしているし、父は早朝から日没まで田んぼと畑にいるので、ずいぶん久しぶりに会うような気がした。
「今年は大根を多めにまいてみようと思うがどうだろう」
 僕は急いでいたのでそっけなく答えた。
「僕は分からないよ、お父さんの好きにしたらいいさ」
 バシッと思いっきり平手打ちされた。
「なるほど兄さの言うとおりだ。なまじ別荘の人なんかと付き合っているから言い方が生意気になる。親の言うことに鼻先で返事をするなんて、なんてことだ」
 しまったとは思ったがムカッともした。
「僕は大根なんかよりもっと大きな仕事をするんだ、親父みたいに百姓をして貧乏するなんて絶対いやだ」
「なにをこのガキが思い上がって、ザコの魚まじりとはお前のこった、百姓のどこが悪い、貧乏したってまっとうな人間だ、ちゃらちゃら着飾った別荘の奴らにすっかりかぶれてしまったな、将来ろくな者にはならないぞ、そんな靴なんか履いて何が僕だ、塩をぶっかけるぞ」
 僕は家を飛び出して走り続けた。たしかに話を聞かなかったのは悪い、しかし最初から親父は難癖つけて僕を怒鳴りつけたかったのだろう。兄きが何か告げ口をしたのか。
 息を切らして鈴木社長の所に飛び込んだ。「まあまあ、どうしたの、ケンカしたの」
 奥さんが水をくんでくれた。社長もびっくりしたように出てきた。
 僕が一部始終を話すのを聞いて二人は深くうなずいていたが、仕事の準備をしなさいとだけ言って社長は中に入った。奥さんは手ぬぐいを絞ってきて赤く手の跡が残った頬を冷やしてくれた。
 僕は几帳面なので料理の手順を大きく書いて壁に張り出しておく。いやなことを早く忘れようと夢中になって仕事をしているうちにぽつぽつ客が来た。
 衣装で釣る、エビで鯛、景品が大評判になって別荘中から参加申込が来た。どの返事も愛想よく会を褒めている。しかし、意外なことに令嬢とともに若い男がたくさん参加を希望してきた。小久保先輩はがっかりしたが考えればそれは当然だ、こんな身近に令嬢たちと食事をする機会などめったにない、男が夢中になるはずだ。小久保先輩はすぐに対策を考えた。会場が手狭だから一家族二名だけにしてほしい。それが大失敗だった。心優しい令嬢たちは兄や弟に席を譲って自分は参加を見合わせる。ご婦人たちも、それならばということで祖父や父、息子に譲る。ああ、そのために今回の客は圧倒的に男ばかりになってしまったのだ。面白くなさそうにしている先輩に鈴木社長が笑って言った。
「小久保君、将来、君の兄弟になる人たちかもしれません。大事にするといいですよ」
 僕も励ますことにした。
「外国へ言ったことのある人なんか一人もいません。それに少ないけれど女の人も来てくれますよ」
 ところが間近になってから、参加するはずのわずかな令嬢たちと付き添いのご婦人方全員から辞退の申し出があった。うわさを聞いたらしい。それで今度は男だけの会になってしまった。
 しかし鈴木社長は大喜びだった。
「これでこそ日本を率いる人たちに我が味の素を知っていただく機会になる。小久保君、茅部君、がんばろう」
 僕も実を言うとありがたかった。ご婦人たちの化粧品の匂いに圧倒されていたからだ。
「けれどシャム料理というのは女性向きなんです、甘いし酸っぱいし酒に合わんのです」
 小久保先輩が情けなさそうに言う。
「君の弁舌が冴(さ)えますよ。山田長政の時代からつきあいのあるシャムの話です」
 そうだ今日は無骨な冒険談にしようと小久保書生は考えた。血湧き肉踊り、小久保良平ここにありという話だ、そして…こんな男を兄弟に息子に親戚に持ってもいいなと思わせる、そんな作戦だ。

「今日の料理はトムヤンクンと申します。基本はライムという果物ですが残念ながら日本にはない、そこで我輩の工夫で夏蜜柑(なつみかん)とスダチを混ぜて似た味にしました。この瓶が醤油(しょうゆ)にあらずナンプラーという秋田名物ショツツルのようなもので、ここに唐辛子を刻んで辛くいたします。これがレモングラスとシャンツアイという葉っぱ、干してあるので香りが抜けました。エビとイカと鶏肉にキュウリとタマネギ、それから袋茸(ふくろだけ)というキノコが必要ですが日本にはありません、そこで松露(しょうろ)を入れております。苦肉の策とご理解あれ。ここに固めにゆでた素麺(そうめん)を入れます」
「こちらはガンモドキではありません、魚のすり身に豆板醤(とうばんじゃん)を混ぜ込みこんがりと揚げましたるトートマンプラー、南京豆とキューリのタレでいただきます」
 先輩がいささかなげやりに説明する。本当は料理などどうでもよかったのだ。
「シャムと言えば、あの釈迦の遺骨を贈ってくれた件はどうなりましたか」
 今回初参加の化粧品会社社長の古津更太氏が隣に座っている海野氏に聞く。
「結局、名古屋の方に寺を作って納めることができました」
 外交のことなら任せておけという海野氏がまるで自分で納めたように答える。
「一時はシャムの王様が怒ったそうですな、せっかく贈ったのに放りっぱなしだと」
「本当の遺骨でしょうか」
「その昔、鑑真が三千粒、弘法大師も八十粒持ってきたそうですよ。釈迦は骨っぽい人だったようですな」
「いや今度のは本物、人骨に間違いなしと学者も言っております」
「だって釈迦は火葬されたと言いますぜ」
「だから誰かの人骨だと」
 男同士が大笑いをしている。女性が多ければ決してこんな無粋な話はしないだろう。
「ところであの千里眼」
 今度は大森大佐の番だ。
 肥後の熊本から御船千鶴子という若い女性がはるばる上京して、私には超能力がある、千里眼の持ち主だと宣言した。さっそく麹町で帝国大学の教授や新聞記者が立ち会って実験するという。
「封印されたカードを当てるのだそうですな。でもそんなことをして得になるのですか」
 古津氏は社長だけあって損得に敏感だ。
「催眠術と同じですよ。前世の因縁とか血流が滞っているとか言って心霊治療をする。医者がもうダメだといった病気がケロリと直ったと宣伝する、女子どもは騙(だま)しやすい」
 大学教授の半場雅(はんばまさし)氏が学術的に説明する。 
「新聞が面白おかしく書きたてていますな」
「読者が喜ぶならなんでも書きたてるのが新聞です。そのうち学校で新聞の読み方を教えてやらなければならなくなります」
「千里眼は嘘ですか」
「釈迦の遺骨と同じです。信じる者は…」
「救われるかどうか分かりませんな」
 半場教授が断定する。
「流行物だから、しばらく経つと飽きてしまう、すると別のものが出てくる」
「江戸時代もそうでした。ロクロ首にヘビ女、一巡すると振り出しに戻る。いくら文明開化だと威張っても人の気持ちというのは変わりませんな」
「ところで飛行船というのは役に立つものですかね、なんだか空を飛んだようですが」
 古津社長は損得専門だ。
 僕も山田式第一号飛行船初飛行という長い新聞の見出しを読んだ。
「いやもっとすごい飛行機というのがもうすぐ飛ぶそうですよ」
「なに飛行機は落ちたら終わりだ、飛行船は浮かんでいるから安心じゃ」
 大森大佐は意外と憶病なのだ。
「しかし飛行船を浮かしているガスは燃えやすいものだそうですな」
「万全の火災予防ができています。なにしろ最新の文化ですからな」
「それがあてにならない、江戸にも文化という年代があったが異国船は来る火事はあると大混乱でした」
 すみの方から小倉氏が口をはさんだ。旧幕時代は身分の高い人というが今は何をやっているのだか分からない、小柄でやせた老人だ。
「ナポレオンの時代ですな」
 大森大佐あこがれの英雄だ。
 小久保書生が話すより先に卓の男たちは勇壮活発な話で盛り上がっている。おずおずと静粛を求めて先輩が大冒険談を話そうと真ん中に立った。
「ええ」
 その声など聞かばこそ、海野氏が大声で叫んだ。
「前回はご婦人たちが興(きょう)に乗って歌ったそうですが、我らも男の歌をやりませんか」
「けっこうですな、それでは諸君、ご唱和ください『戦友』だ」
 大森大佐のお得意だ。
   〽 ここは御国を何百里…
 たちまち涙する男たちがいる。戦争の辛い思い出が重くのしかかってくる。親戚友人を亡くした人もいるだろう。たとえ知らない人でも戦死すれば悲しむ人がたくさんいることをみんな実感している。誰が死んでも死は厳粛なのだ。
「与謝野晶子が『君死に賜(たま)うことなかれ』と詠ったのは私には分かります」
 化粧品会社らしく古津氏は優しいことも知っている。
「いずれ死ぬ身だ、戦さで死ぬのは国のため犬死ではありませんぞ」
「それでも大森大佐、涙が止まりませんな」
「これは感涙というものです」
「遺骨すら帰らぬ人もいる」
「また遺骨ですか、今日は仏滅か」
 ようやく笑いが戻った。
「では若い者で『嗚呼(ああ)玉杯に花受けて』を」
  〽 嗚呼玉杯に花受けて、緑酒に月の影宿し…
 これにもたちまち涙する男たちがいた。 
「ならば書生の歌をもう一つ」
  〽 妻をめとらば才たけてみめ麗しく情けあり
「わしにも歌わせろ」
 ふたたび合唱になった。大佐もヒゲをふるわせながら歌った。いならぶ男たちは思い思いの音程で合唱している。社長も歌っている。妙なことになってきた。
  〽 石を抱きて野にうたう芭蕉の寂びを喜ばず 
「取り澄まして悟った奴など物の役にたたん、銃火の下では熱血あるのみ」
  〽 君が無言のほほえみは見果てぬ夢の名残かな
「感無量です」
 驚いたことに海千山千の古津社長にも純情の切れっぱしが残っていたのだ。
「よし抜刀隊の歌をやるぞ」
「鉄道省歌は何番まで歌えますか、私は神戸まで行きますぞ」
 そんなに長く歌われてはたまらない。幸い沼津あたりで脱線転覆した。
「宿昔青雲の志 誰か知る明鏡のうち」
 小倉老人が詩を吟じた。また涙、涙。
「諸君は歌うとすぐに泣きますな。それはいかん、女々しい限りです。では、学生たちとともに歌う『でかんしょ節』を勇壮にやりましょう」
 半場教授が立ち上がって指揮を取った。
 はい、アイン、ツバイ、トライ、でかんしょでかんしょで半年暮らし…
 ドイツ語とでかんしょの組み合わせは妙なものだが、歌っているうちにまた涙する男たちがいた。
「ハイカラ者どもよく聞け、我輩はバンカラながら人情の極みは持っておる。世の中は知恵ではない、義理と人情じゃ」
 半場教授が目を怒らせて叫ぶ。
 さすがに鈴木社長も会を終わらせたくなってきた。
「デザートというものを用意しておりますが、甘味でありますから皆様に供するのはいささか気がひけます。お土産にお包みしました。ぜひ奥様ご令嬢に召し上がっていただきたいと小久保君も言っております」
 当然だ。せっかく丹精込めて作った菓子を男たちに食われてなるものか。
「一応、小久保君のウンチクを聞いてやってください」
「カノムモケンと申します、タロイモという芋の蒸し菓子ですが、わが国には材料がない、そこで我輩、工夫に工夫を重ねて里芋と山芋の混ぜ具合よろしく作りました苦心の出来でございます。こちらはタピオカ、ココナッツミルクがないのでコンデンスミルクと干したココナッツを混ぜてあります。乾燥タピオカを丁寧に水で戻して作っております」
 男たちには何も理解できなかった。そんな面倒なものならいらないと言われるのが怖くて小久保先輩と僕は大人しく土産の包みを配って回った。まだ目を潤ませているヒゲ男たちにお礼を言われるのは何か気味悪かった。
「次回は寒くなりますので午後がいいかと存じます。また回覧を廻しますのでご参加をよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました」
 鈴木社長の挨拶は小久保先輩の気持ちをようやくなだめた。仕事を持つ男は参加しにくい。今回来ることができなかった令嬢たちは今度こそやって来るだろう。腕を振るう甲斐があるというものだ。すっくと立って一同を見送る先輩に僕は尊敬の目を向けた。こんなに分かりやすい人はいない。ただ少しは情けない気持ちもまじっていた。

 すっかり客が帰ってから二人は鈴木社長に呼ばれた。
「今日もご苦労様でした。男の客ばかりで気が疲れたことでしょう。これは大入りのお礼です」
 そう言って紙に包んだ謝礼をくれた。先輩が平気で受け取ったので僕もそうした。
「二、三日したら次回の相談をしましょう。それから茅部君、私は君のお父さんに大変すまないことをしてしまった。幸い明日の午前は仕事に空きがあるので同行してお父さんに謝らせてください」
 僕はびっくりした社長の顔を見ていた。そして、ようやく父と今朝やりあったことを思い出した。
「今晩は風呂に入って何も考えずにゆっくり休んでください。ところでお父上は酒を飲まれましたね」
 今晩は大食いの男ばかりなので後片付けが楽だった。たちまち片付いてみんなは奥の暗い部屋に入った、ご飯と味噌汁がならんでいた。
「わけの分からない歌を喜んで歌っていたね」
 誰かが皮肉っぽく言った。
「ハイカラぶっているのさ、なんでも西洋が良くってね」
「この前、長柄の辻に演歌師がきていたよ。今の一番新しい唄だってさ」
 誰かが妙な節をつけて歌い出した。すぐに皆が手拍子をうった。
 〽 地主、金持ちはわがまま者で、役人なんぞは威張る者、
   こんな浮世に生まれてきたのが 我が身の不運とあきらめる
 そんなことではいけないよ、僕は思わず叫んでしまった。
「威張らない役人だって、わがままではない金持ちだっていると思う。僕は世の中をあきらめたり絶対にしないよ」
 みんなが大声で笑った。とりなすように家の近くに住んでいるお咲さんが寄ってきて言った。
「誰もあきらめてなぞいないよ。ただの歌さ。歌うと仲間が集まって、一人ではできないこともどうにかなっていくのさ」
「よく分からない」
「黙っていると弱いものにされてしまう、だから声を出すのさ。真正面からケンカのできない相手を歌でこらしめるのさ」
「面と向かって、お前はわがままだ、威張りん坊だって言ってやればいいのに」
「聞いて反省するような心があれば、とっくに自分で気がついて改めているよ」
「それなら歌などよけいに役にたたないよ」
「みんなで歌うと声が大きくなるんだよ。大声を出すとたいていのヤツは聞くものだよ」
 お咲きさんは僕を連れて厨房に戻った。
「へぇ、まずいものだね、えっ、一本の値段が米一升分かい、桑原桑原」
 ビンに残ったビールを誰かが飲んだらしい。
「日本人なんだから味噌汁に米の飯、漬物があれば満足だよ、それをこんな変な物を食べようと言う根性が知れないね」
「お前のとこの爺さんはまだチョンマゲを切らないんだって」
「白髪が少し残っているだけさ、巡査もチョンマゲだと分からないんだよ」
 明治の初めはチョンマゲを切らないと罰金を取られたそうだ。
 厨房では騒ぎが続いている。もしかすると昼の歌に刺激されたのかもしれない。今日は社長が別荘に招待されていて留守なので安心して騒いでいるようだ。
 お咲さんも小さな声で歌い始めた。
 〽 大臣大将の胸先にピカピカ光るは何ですと 金鵄勲章と違います。  
   可愛い兵士のしゃれこうべ トコトット
 僕はびっくりして叫んだ。
「そんなことを歌っていいの。大森大佐が聞いたらカンカンに怒るよ。皆、国のために戦った兵隊さんだよ」
 お咲さんは目を伏せて考え込むようだったが、すぐにはっきりと言った。
「自分の命令でたくさんの人が死んだことを辛く思っている人はまちがっても勲章なんかつけないよ。国のために死んだりケガをした人たちの家族だって国は少しも大事にしないよ。おらの甥っ子も戦死したけれど、山の中に忠君愛国なんていう大きな石碑が立て十杷一からげで顕彰されただけさ、家族は食べるものにもことかく貧乏さ」
 ガチャガチャと乱暴に皿をしまいながら歌が続いた。
 〽 苦しかろうが、また辛かろが 義務は尽くさにゃならぬもの。
   権利なんぞをほしがることは、できぬものだとあきらめる
 僕はたまらなくなって言った。
「あきらめてしまったじゃないか」
 お咲婆さんはしみじみと僕を見た。
「あんたは素直だね、歌というのは表と裏があるんだよ。最後の『あきらめる』という言葉を『あきらめろ』と歌ってごらん、猛烈に腹がたって怒りたくなるだろ、お役人なんかにそんなことを言われたくないってさ。そういう思いが力のもとになるんだよ」
 次の歌だ。
 〽 浮世がままになるならば、車夫や馬丁や百姓に、
   洋服着せて馬車にのせ、当世紳士にひかせたい トコトット
 さすがに僕も冷静になった。
「この歌はどんな裏があるの」
「紳士が車夫になり、車夫が紳士になったところで世の中の仕組みは少しも変わらないさ。誰もが金持ちになりたい、出世したいと思っているけれど、そうなってしまうと皆すぐにわがままな威張りん坊になるんだよ、世の中がままにならないというのはそういうことだよ」
「でも僕は出世したいし金持ちになりたいよ。だからといってそういう人には絶対ならないつもりだよ」
 お咲さんが答えるより早く、暗いすみの方から女の人の怒鳴り声が聞こえた。
「うるさいね、理屈をゴチャゴチャ言うやつなんかさっさと出ていきな」
 お咲さんは僕の肩に手をあてて耳元で言った。
「あんたが大きくなるのを楽しみにしているよ。だけど多分、それまで生きてはいられないだろうね。今夜のことを忘れてはいけないよ。自分の信じるとおりにやってみな」
 
 翌朝早く僕は社長に付き添われて家に戻った。父はもう畑に出ていたが社長の姿を見ると畦道(あぜみち)にやってきた。
「ご精がでます、お元気で何よりです」
 社長が明るく話しかけた。
「うちの厄介者が世話になっております。お礼にも伺わなくて失礼しております」
 親父は被っていた手ぬぐいを取って丁寧に腰をかがめた。
「いや頑張ってくれますので大いに助かります、よく出来た息子さんだ、将来が楽しみです。今日はご無沙汰のお詫びに参りました。大事なお子さんを預かっていて近況のご報告もしておりません。たいへんにご無礼いたしました。これはご挨拶代わりで、後でお家にお届けしておきます」
 そう言って一升瓶を差し出した。それから社長は日本のこれまでやこれからの話を始めた。それにかぶせて僕の成長ぶりや会での活躍、別荘の人たちが僕のことをどう思っているかを穏やかに話した。親父はかしこまって拝聴している。古い時代に生まれ育った親父は「お上」にひれ伏す習慣をまだ残している。強い者にはヘイコラし弱い者には威張りちらす、上にはご無理ごもっとも、下には横暴無理難題、祖母や母親が泣かされるのを僕はずっと見てきた。もちろん親父のせいではない、そういう躾(しつけ)をされたからだ。時代が人をつくる、言葉の通りだ。
「ぜんぶ社長様のおかげです、家のセガレも幸せ者です、寝る時も社長様に足を向けることはできません」
 そう言って何回も頭を下げた。
「僕の気持ちなんかまるで分からない」
 社長を送りながら僕が不平を言うと、社長は笑った。
「君も子どもを持つと親の心が分かります。時代がどんなに変わっても、せいいっぱい子どもの幸せを願う親の気持ちは同じです」
「親父は僕を百姓にしたいのですか」
「幸せになってもらいたいのです。親孝行しなくてはなりませんよ。君にこれをあげようと思って持ってきました。逗子の書家、藤原楚水(そすい)先生の書かれた色紙です」
 流れるような文字は読めたが意味はよく分からなかった。ともかく自分の思うとおりの道を進めばいいという許しを得たように思った。それで僕がありがとうございますと言うと、父上に同じように言いなさいと言われた。僕ははっと思って、すぐに畑に引き返した。親父は鍬を振るっている。恥ずかしいので道から大声で、父さんありがとうと言った。親父はこちらを見て笑ったようだった。僕は走ってもどった。社長は待っていてくれたが何も聞かなかった。僕も何も話さなかった。こういう付き合いっていいなと思った。

 その夜は家で寝た。黒くすすけたハリが見える。茅葺屋根には社長の家のようにきれいに張られた天井などない。布団にくるまって寝ていると兄が話しかけてきた。
「おまえ次の正月には若衆組に入るんだぞぞ」
 二つ年上の兄はとうに入門している。
「おまえみたいに生意気いうとみんなにいじめられるから心配だよ、俺まで一緒にやられるかもしれない」
 なるほどこの事が心配だったのか。僕も村の年中行事や祭礼で若衆組の活動の様子は見ている。組頭の命令一下、若者たちは一つの無駄もなくキビキビと動く。嫌だとか何故とかは一切ない、ただ上に立つ者に従うだけだ。僕は苦しむだろう。
 正月四日が加入の儀式のある日だ。ここ長柄は漁村ではないので若衆宿という共同生活の場がないので神社の社務所が会場になる。頭、小頭、若い衆、小若衆とピラミッドのような組織ができていて厳しい掟がある。
「しかし、この郷はまだ優しいよ、漁村なんかは大変だというぞ」
 酒とタバコは禁止、着物は指定、挨拶と言葉遣いは厳重で親に口答えなどしたら制裁される。
「昔はフンドシをはかせないという罰があったそうだ、それはいやだな」
 若い女性と話してはいけない、小頭の許しがなければ旅行ができない、仕事や買い物でも村を出る時には届けなくてはならない。夜中に火の用心の見回りをする、田の仕事や草刈、伐採などは必ず全員参加、こうしたことを人並みに行わないと村で生活していかれない。
「まるで江戸時代と同じじゃないか」
「けれど徴兵制度ができてから小頭が兵隊に取られるようになったので前よりは楽になったそうだ、ともかく黙ってなんでもハイハイと言って自分から先に仕事をやっていれば大丈夫さ」
「何が大丈夫なのさ」
「目をつけられていじめられたり、なぐられたりしないってことさ」
「そんなの嫌だよ」
「だから俺は心配しているんだ」
 加入の日には親方になる人が酒一升提げて行く。重々しい挨拶を交わして杯を受けて加入が認められる。
「まるでヤクザの世界じゃないか」
「そんなことを言ったら叩きのめされるよ」
 みなで木遣りを歌う。
 〽 目出度めでたが圧重なりて門に七重の注連(しめ)を張る
   コレノ庭の白ツツジ 本は白金中黄金末の小枝に銭がなる
 昼間、別荘の人たちが歌った新しい歌とはまるで響きが違う。暗く湿った穴倉のようで、まったく別の世界だ。
「鐙摺では鹿島踊りがあったんだ」
 それはどこかで見たことがある。白装束の若衆組が日月の鉾を立て采配を振って方陣から円陣に形を変えながら踊る。大漁祈願と災難避けだ。
「だけど歌だけはまだ歌っているよ」
 兄は小さな声で歌った。
  〽 千早振る神々をいさむなれば みろくおどりめでたし
    誠やら熱海が浦へ 弥勒お船がついたとせ
    ともへには伊勢と春日の 仲は鹿島のお社
    鎌倉の御所の御庭で 十五小女郎が酌をする
    酒よりも肴よりも  十五小女郎が目につく
    目につかばつれて御座れよ お江戸品川のはてまでも
「太鼓と笛で囃して、それは見事なものだ」
 物語もなければ詩もない。どんな情景を歌っているのか本人にも分からない。ただ仲間であることを確認するためだけの歌だ。確かに何も考えずに皆と同じことをしているのは楽でいいだろう。しかし、僕は自分だけしかできないことに挑戦したいのだ。
「まあ覚悟しておくことだ」
 そういって兄は寝てしまった。今晩は良い夢を見られないだろう。

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