1910年・明治43年早春のことである。
僕は茅部英雄、縁あって鈴木社長の家で書生をしている。
3年前のこと、鈴木三郎助氏はかねて池田菊苗博士との共同研究によりグルタミン酸ナトリウムを発見し、特許を取って「味の素」と名づけた。さっそく逗子の延命寺の隣に製薬所を建て製造販売を始めた。それまで鈴木社長は堀内の砂浜でカジメを炊いてヨードを取っていたのだ。
すぐに味の素は日本全国に売られるようになった。しかし鈴木社長の夢は世界へ広がっている。そのためには世界各国の料理の味を調べ庶民の食生活を実感しなければならない。鈴木氏は調査・宣伝のために台湾から香港、シンガポールを経てタイに調査員を派遣することにした。それで先輩の小久保勇介と僕に白羽の矢が立った。もちろん二人とも大喜びだ。むしろ自分たちが社長をそそのかしてこの企画を立てたのだと思っている。
僕らは明治42年秋に横浜を出帆し翌年の早春に帰国した。それで今日が帰朝報告会の日なのだ。
座敷三つを広間にして三十人ほどの客が集まっている。正面に立った弁士が大声で演説を始めた。これが小久保勇介だ。
文明開化の書生というのは自尊心が強い。末は学者か大臣になろうとしている。ハカマのひもを前で正しく結ぶのは和学漢学の書生、腰に手ぬぐいを下げる。ハカマのひもを腰板にかけて気取って結ぶのが洋学の書生でハンカチなどをみせびらかす。しかし、この弁士はそんなことはどうでもいいようだ。
「我輩不肖小久保勇介が、ここに居られます鈴木社長をパトロンとしまして、多分な調査研究費を賜わり横浜港を出航いたしましたのが昨年、西暦では一九0九年、皇紀二五六九年、明治に直して四二年、神無月は十月二八日、かの伊藤博文侯爵がハルピンにて暗殺された翌々日のことであります。幸い私には葬儀に出ろというお達しはなかったので予定通りに出発することができました。これなる茅部少年を我輩の助手といたしまして百日に及ぶ旅を始めた次第であります」
大言壮語は立派だが四角い顔に不精ヒゲを生やして、軽率で憶病、自負心こそあふれているが飽きっぽく投げやり、良い所を探すのになかなか手間がかかるということは半年の旅行の間にいやというほど知らされた。
「我が御座船ともいうべき船は、故あってその名を言うことはできません。欧州航路にはかの一万頓(とん)の天洋丸、六千頓の河内丸など豪華客船がそろっておりますが、我輩はアジアの港を巡る研究の旅、それゆえ、さまで豪華とはいえぬ船を選びました」
ウソウソ、それは古くて汚いあの第二金比羅丸のことですよね。実は小久保先輩、旅行前にこれが最後と東京、横浜と食べ歩いて旅行費用を使いこみ、ついに港で出帆準備をしていた貨物船の船長に頼み込んでコックの手伝いをするという条件でようやく船底に部屋をもらったのだ。二十年も前にイギリスで作られた老朽船、あやうく廃船にされて日露戦争の旅順港封鎖に使われるところだったので、もし、広瀬中佐が乗っていたらその名前を歴史に残していたかもしれないボロ船だった。
「船出というのは不安と希望が入り混じり心はときめき気持ちは昂ぶり涙腺がゆるむもの。ドラが鳴る、汽笛が鳴る、さっきから私の隣で手すりにつかまって見送りの人たちを見ているご婦人はまさしく白皙(はくせき)碧眼(へきがん)のかの地の人、後で聞きますとインドに住む父のところへ戻るという御令嬢でした。私には両手で持ちきれないテープの束、知る辺のない御令嬢には誰一人別れのテープを投げません。侠気(きょうき)にあふれる私はむずとつかんでテープを渡す、ニッコリ笑って握手を交わす、二人の間はテープで結ばれて、これが航海中続いた恋の始まりでした」
ウソウソ、借金を踏み倒して出てきたので顔見知りにあっては大変だと船室に隠れていたのは誰だっけ。第一、船は大桟橋ではなく貨物の荷揚げ埠頭から荷物を積み終わった夕方にすぐに出航したので、見送ったのはカモメの他に誰もいない。
「我らを見送る赤灯台と白灯台、振り返れば空にそびえるキングタワーとクイーンタワー、別れはいつも哀しいものです。それを振り払うように船はずんずん進み早くも横須賀の沖、観音崎の灯台が輝き、剣崎の灯台も負けずに光り、そして遠くには大島の灯台も見えようという、船はみるみる日本を離れていきます。あとは茫洋(ぼうよう)とした海ばかり、御令嬢は私の姿を目で追います、素知らぬ顔で私が通り過ぎると、パードン、ジャストモーメントの声がかかる、私の心は虚(うつ)ろです殿方の助けが必要です、では航海の無事を祈ってシャンパンでも、お約束しましたよ、にっこり笑って部屋に戻り着替えをする。かの地では夕食は正装と決まっております」
ウソウソ、風が冷たくて部屋に戻ったが着替えがない、どうせ暑い国だからはだかでいいと残った着物を売り払ってしまったから仕方なく船の毛布を体に巻いて腹が減ったと震えている。船長に飯の仕度はどうしたと怒鳴られた。ハイハイハイと厨房に入ったら、アア暖かいと喜んだ、小久保先輩そうでしたね。
「長い船路の内緒話は置いておき、上陸したかの地のエピソードをいくつかお話ししましょう。我輩が歩いていると人力車が寄ってきて乗れという。面白い所にご案内しますよ、車夫は景気よく走る。居住地の門をくぐるとすぐに町外れになって別の門があり兵隊が鉄砲をかまえている。車夫がうなずくと兵隊は笑って通してくれる。どんどん行くとバラバラと兵隊が出てきて帰れという。車夫はおびえて金をやってくれという。飯代くらいを渡して引き返すとまた兵隊が通せんぼだ。我輩は車夫の悪だくみだと分かった。ここで金を渡せば次々にと兵隊がくるだろう。泥棒の仲間だったらケンカをして叩きのめすのだが相手が兵隊では具合が悪い。そこで我輩は考えました」
スピーチだか漫談だか聴衆はあっけに取られて聞いている。ともかく万雷の拍手には少し及ばない、遠雷くらいの拍手をもらって報告会は終わった。先輩は得意満面で鼻歌などを歌っていた。
その翌日、鈴木社長から声がかかった。
「では、かねての計画通り別荘の人たちを募って『万国、味な会』を開くことにいたしましょう。なにしろ日本中に影響力のある方たちですから我が社の宣伝もさせていただきます。会費は多めに取ってください、皆さんお金に不自由はしていない。回覧を回して五日前までに人数を確定します、それで用意ができますね。あまり客が多いと準備が大変ですし、この広間では手狭になります。テーブルと椅子を並べて、二、三十人ほどでどうでしょう」
小久保書生はよろこんで鈴木社長と握手をした。
「この度はお引き立てくださってありがとうございます」
僕も喜んでお礼を言った。鈴木社長は、君も将来この地で名士になってくださいと励ましてくれた。
僕の家は村の北側に狭い田んぼと畑を持っているが、それは家を継ぐ兄のもの。僕は次男坊だから自分の道を開かなければならない。それに立身出世の願いがある。長柄学校は廃校になってしまったので相福寺の隣の堀内学校に通っていた。卒業すると校長の勧めで鈴木社長に紹介され、身の振り方を決めるまで書生として世話になっている。小久保書生はどこの生まれだか知らないが、社長の所にもう三年も世話になっている。自分では二十一歳になるというので、僕は先輩と呼んでいる。今回の旅も僕と二人で洋行の願いを果たすため社長に進言した。売り出し中の調味料がアジアの諸国に好まれるかどうかその土地の料理を調査しなければなりません、先輩は慣れぬ英語でマーケットリサーチと言った。本当のところは、うまく社長に持ちかけて旅費をおねだりしたというところだ。なにしろ先輩は一箇所にじっとしていられない性質だ。
貨物船は荷物の積み下ろしをしながら転々とアジアの港を航海して回った。僕の仕事は先輩の助手、必要に応じて書記、現地の王様の前では家来という役目だったが、先輩の行動を監視しハメを外さないように引き止める監視の役目もすることになった。僕を同行させなければならないと判断した社長はさすがに目が高い。僕は助手だが、時には弟にもなり、時にはかわいい女の子の前ではライバルにもなりながら忠実に役目を果たした。食いしん坊の先輩は各地で食べかつ飲み、調理法を聞き取り、食材を山のように買い込んで旅を続け、日本に戻ってきたがその処理に困った。
「この辺にずらっとならんだ別荘の人たちにアジアの料理を食べてもらったらいかがでしょうかね、調理人になってくれますか」
別荘の人たちに現地の料理を振舞い異国の不思議な味に驚いてもらう。そして味の素のすばらしさを宣伝する。さすがに社長は人遣いがうまい。
このへんには昔からの家がひとかたまりとたくさんの別荘がある。主なものでも北里柴三郎博士、海軍大将井上良馨子爵、歌人の高崎正風男爵、小松原英太郎文部大臣、近衛篤麿公爵、細川護立侯爵、少し離れて、海軍の山本権兵衛伯爵、医者で南満州鉄道総裁の後藤新平男爵、日露戦争の戦費を調達した日本銀行の高橋是清氏、海軍元帥伊東佑享伯爵、なにしろ名前を挙げるだけで歴史の授業になりそうな著名人が軒を連ねている。
「我輩の冒険談を話せば、それもいいスパイスになります」
僕も別荘の人たちに興味があったのでおおいに賛成した。
「今から計画を立ち上げると第一回は五月ということになります。毎月やるのはせわしないので二ヶ月に一回ということでどうでしょう」
「賛成です」
「まずどこの国の料理から始めますか」
「ベトナムにします。思い出深い土地です」
「結構です」
社長と先輩はばたばたと話を決めていった。僕の役目は今までどおりの助手、書記、家来、先輩がハメを外さないように監視する係、それに加えて台所主任をすることになった。鈴木社長も先輩が作った料理はあまり食べたくないという素振りを示した。どうも清潔感に欠けている。ただ少しだけ先輩を弁護すると現地を知ってさえいればとても清潔だと思えるのだが。
「食べるだけでは人は来てくれませんね。教養あふれる別荘の方々です」
「我輩が現地の実情を報告いたしましょう。世界に発展しようとする我が国です、それだけでも客が押しかけます」
社長はちょっときがかりに眉をひそめたが思い直したように肯定した。
「結構です、君の弁舌に委ねましょう」
というわけで『万国・味な会、現地報告と試食の集い』がスタートした。
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