「俺の兄貴もとうとうダメになってな」
A氏がようやく話を変えた、風が気持ちよい縁側だ。
コロナ自粛のあおりで在宅勤務になったというと聞えはいいが休業同然だ、工場も営業も動いていない、当然、給料も減る。しかたなく散歩を日課にしてあちこち歩き回っているうちに長柄の郷には会社の先輩のA氏が住んでいることを思い出した。退職前の数年を部下として一緒に仕事をした、もう10年も前になる。甘党だったことを思い出して名物永楽屋の饅頭を手土産にして訪ねてみた。
先輩はマスクを外さない、相手に合わせるのがルールだから私もマスクをしたままだ。この不快感にはなかなか慣れない。息をするたびにマスクが上下し話すたびに言葉が濾過されてしまうような気になる、第一、表情が見えてこない。しかし先輩は大変に喜んでくれたようで懐旧談が始まった。長々と続いたあとでこんな話になった。
「施設に入ると決めたら息子はさっさと建て替えることにした、実家の整理までは親父の仕事だと押し付けられて、それでまだ入所できないとぼやいているよ」
長兄だというからもう80数歳になっていよう、確かに家の片付けをしてもらわなければ後が困る。
「お宝はありましたか」
私もちょっと興味があって聞いてみた。
「代々の農家だもの、兄貴だって勤勉で道楽一つない堅物だ、あるわけないよ」
ちょっと言葉の歯切れが悪かったので突っ込んでみた。
「思いもよらないという物が高く売れますよ、テレビ番組だってそうですから」
少し下火になったがお宝鑑定番組の人気が高い。
「高価買取りますという電話があったから来てもらったら何千円かくれたそうだ。あとはゴミの山、でも兄貴には捨てられなくてさ」
断捨離は他人にやってもらうのが一番なのだが誰もいやがるのは当然だ、後になってからの恨みが怖い。
「俺にこんなものを渡した、もう根気がなくなって自分には読めないから処分してくれ、ただ必ず内容を確認してからにしてほしい、そう頼むんだ」
取り出したのは文庫というより雑な木箱だった。開けるとかびくさい文書が入っている。
「家のものじゃないよ、我が一族にはそんな由緒などないから。俺たち兄弟だってたいした者ではない、長兄が征一、次兄が勝二郎、俺が和三郎で下の弟が経四郎さ、まるで時代を反映した平凡な名前ばかりだ、いかに父上母上が世の中の流れに逆らわずあくせく生きてきたか分かるだろう」
確かに日支事変は征戦、大本営発表は勝利、敗戦は平和、復興は雄飛だ、新聞の一面を飾った言葉ばかりだ。
「前にお寺さんが火事になったからその時か、近所にあった古い家が壊された時かに預かって忘れてしまったのだろう。そうだ君は大学が国文だったな、ちょうどいいスラスラと読んで内容を説明してくれ、どうせ暇なのだろう。君は独身だったな」
いくつになっても上司は部下に用を言いつけるのが当然なようだ。独身だろうとおおきなお世話だ。しかし古い手紙には興味があった。
「これは江戸時代ですね、一筆啓上…さてさて…」
漢文だけのものやひらがなカタカナ混じりのもの、それぞれ書き手が違うようで筆の上手下手がある。江戸時代後期の文らしくて語句は分りやすい、学校で漢文を習った時のことを思い出した、ついでに得意そうに読み上げた教師の顔まで思い出した。
「徳川家康だ水戸黄門だの手紙だったら金もうけになるが借金の催促状なんかなら焼いてしまおう。ともかく兄貴に話さないとならんので内容を読み取って説明してくれ」
A氏は素っ気なかった。頼んでおいてこの対応か、少しムッときたが先輩には従っておこう。古そうな切れっぱしを選んで読み解いてみた。
此処仙境 清閑忘我
戴陽拝
木鶏三郎助ご被下
戯句進呈
まつたのむ 粋の気もある 瀧のもと
すぐに先輩は面倒くさそうに手を振ってやめさせた。
「つまりなんなんだ。まったく分からんよ」
「戴陽という人が三郎助という人にあてた手紙です、あとは破れています」
「破れたのか破いたのかどっちだ」
「破いたのですね、証拠?ほら、ここに墨のしずくが垂れている、書き損じたのででしょう」
「戯句って何だ」
「元句は松尾芭蕉の『松たのむ椎の木もあり夏木立』それをもじったのですよ。相手が何か洒落た計らいをしてくれたので、そのお礼でしょう。捨てずに残しておいたのはコヨリを作るため、ほら一本残っています」
ホチキスもクリップもない時代なので反古紙を細く裂いてねじって作るコヨリは必需品だった。
「誰が誰に出した手紙だって」
「戴陽は江戸の文人大田蜀山人の孫、三郎助は浦賀奉行所与力でペリー艦隊に乗り込んだり幕府海軍を育てたりして大活躍した人です。私だって知っている有名人です」
「俺は知らんな」
借金の督促状でもきたように先輩は機嫌が悪くなった。
「ふうん、もういいよ、他のはなんだ」
「一通を読むだけで何日もかかります」
「そうか今日は俺も忙しい、今度は予約してくれたまえ」
「中島三郎助と大田戴陽のことも調べておきます」
「ああ」
はなはだ頼りない返事にむかついたので次回はアクビの数をカウントしてやろうと思った。
「何日かお預かりして、近日中にまた参ります」
「おお頼むよ」
大根を3本くれた、帰り道が重くて困った。
しかし、やり始めると止まらないのが自分の悪いクセだ、自覚はしているが仕方ない、次の手紙を読み解くことにした。まる一日、日陰で風を通しカビ臭をなくしてから、ともかく年代の古い順に並べてみた。2020年12月1日などとは書かれていない、一番古いのは甲辰、1844年弘化元年にあたる。まるで試験前の一夜漬けのように読解に取り組んだ。
目鼻がついた、優秀な部下だと認められたくてすぐに電話をかけた。
「次の土曜日の10時はいかがですか」
「ちょっと待て、聞いてくる、大丈夫だってさ」
ちょっと妙な対応だったが先輩の家をまた訪れた。
「待たせていたよ、上がってくれ」
また妙だ。
「これは孫のミノブだ。すぐ前の家に住んでいる。中3なのに受験勉強など何もせん。歴史好きでな、いわゆる歴女というやつだ、君の話に興味を持っている、そんな話を喜んで聞く変な奴だ」
「この子に話せというのですか」
「代読ではない代聞さ、俺が相手では話していてもつまらないだろう、俺がこの子から報告を受けて兄貴に話す、工場でいうなら孫受けだ。賢いがしつこい、そのうえ辛辣だ、良い相手を見つけたものだよ」
誰が見つけたというのか、孫がみつけたというのか考えているうちに、平日は4時に学校から帰る、土曜日なら午前9時がいいそうだ、俺は失敬すると言い残して奥へ入ってしまった。
仕方なしに挨拶すると相手も大人びた口調で自己紹介する。俺のことは聞いているようだ、何と言われたのか俺を見る目が厳しい。
「オジさんは古いことを知っていると聞いたたけれど、それほど高齢ではないんですね」
おいおい勘弁してくれ、この歴女さんは俺に江戸時代の見聞を聞こうとしているのではないだろうね。
「その当時の人の気持ちになれたら歴史がよく分かると思ったのです」
それは正論だ、実行するのは難しいけれど。
「爺ちゃんはタメになるとか素晴らしいとか誤魔化すけれど実は眠くて退屈だから私を身代わりにしたのでしょう」
「迷惑なら辞退してもいいよ」
「大好きなんです、全部聞きます、授業はつまらないけれど歴史は好きなんです」
歴史嫌いは学校で作る、正確には歴史の授業とテストが嫌いになる生徒は多い、理由は面白くないからだ。社会の先生といっても大学での専攻は経済、法律、マネジメントなんていうのも色々あって歴史は嫌いですと公言する先生も多い。
「なんで歴女になったんだい」
「たぶんマンガだと思います、ストーリーがちゃんとしてよく分かるから」
以前は「やおい」なんてのが流行っていたが、歴史マンガは事実を変えられないから骨太になるのだろう。
少しあほらしくなったが帰る口実もないので持ってきた古文書を広げた
「年号を説明しておこう」
明治から一世一元になって年号は時代を表すものになったが、以前はひんぱんに恣意的に変えられてきた。明和9年は大火事があり「めいわく」はよくないと安永に代えたり、公武合体で和宮が降嫁したというので安政を万延に変え、さらにトラブルが続いたので文久に変えたりした。だから元号より十干十二支の方が実用的だった。
「十干は木火土金水をそれぞれ兄(え)と弟(と)に分けて漢字一字で甲乙丙丁戊己庚辛壬癸と10文字にする。読みが、きのえ きのと ひのえ ひのと つちのえ つちのと かのえ かのと みずのえ みずのと。
「十二支は子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥と12の文字にする」
「それくらいは年賀状でお馴染みです」
「10と12を組み合わせて60こまができる。120ではないよ、半分になるからね」
美帷はちょっと考えている。
「60才は当時の寿命さ、だから甲子生まれの人は甲子あたりで死ぬ、ちょうど暦を一巡するから還暦という」
「めんどくさいですね」
よく飲み込めないのを説明のせいにする。
「さて一番古い年の手紙だ。癸卯というと天保15年だね。ついでだからお金のことも教えておこう。江戸時代は金貨と銀貨と銭の三本立てだ。金1両は銀4分で1分は4朱、銭で4千文になる、千文を1貫という。藁を編んだ銭さしに銭を96枚挿したのを当百といい、それが40本で4貫1両だ。大商店では毎朝、当百を大八車に山積みして金貨と両替するために運んだというよ。治安が良かった証拠だね」
「千両箱っていくらぐらいですか」
「変動相場制なんだ、幕末の1両は16万円くらいだから1億6千万円か、すると1文が20円くらいになる。てんびんを担って行商する棒手振りの売り上げが1貫程度、元手600文で利益が400文だ、支出は米代200文、味噌醤油50文、家賃一日当り20文、菓子10文、酒1合20文ほどだ。大工の月収が2両、旅行中の宿泊食事代は毎日1朱だ。寺小屋の月謝が200文、これは少し安いかもしれない」
「結局、今と同じくらいなのね」
「人件費が少し低いようだよ」
「まあそのくらいだと思っておきます」
「新暦と旧暦も面倒だ。新暦では正月は1月1日だが旧暦では2月の初めさ、季節感は旧暦の方がぴったりするね。しかし歴史的な出来事では混乱する。ペリー来航は1853年7月8日だが日本では嘉永6年6月3日になる」
「つまり1ヶ月くらいのずれがあると思えばいいのね」
(本文はほぼ旧暦で記載しています。所々混じっていますが史書ではなく物語ですので細かい詮索はよしましょう)
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