2章 1843天保14年
           寺子屋入り

私儀景三郎モ当年入学仕候間 皆々様宜敷御願申上候
癸卯卯月八日
 美帷の前にうす茶色に変色した半紙を広げた。
「紙も字も大きいですね」
「これは寺小屋に張り出した挨拶状だよ。今の言葉にするとこんなことになるかな」
 私こと景三郎は今年入学いたしました
 皆様よろしくお願いします
天保15年4月

「当時は7才になると寺小屋入りしたんだ。つまり景三郎は学校に通い始めたということだ」
「もう一枚はかなり長いよ」
 半紙が何枚も貼りあわせてある。

 毎朝成丈早出席致可申上候事
 日々手習読物無油断可致候事
 惣テ何事ニ不依師父ノ命ニ相違申間敷候事
 惣テ此席ニオイテ貴賎貧福家之大小ヲ論ジミダリニ鼻高ク致スベカラズ
 候事
 朋輩中無益之口論或大口悪口大欠伸大悪戯致スベカラズ候事
 惣テ紙墨筆粗末事書物ヲ汚シ或馬鹿絵ヲ書キ手足ヲ墨塗致す敷候事
 惣テ途中ニテ菓子果物之買食致間敷候事
                長徳寺 百洲千之

「内容はそんなに難しくない、たぶん身に覚えがあるだろう」
「つまり生徒手帳ね」
「昔も今も先生の苦労は変わりないな」
「私は迷惑をかけていません」

 毎朝なるたけ早く出席するように
 日々手習い読み物を油断なくするように
 何事にも師父の命に逆らってはならない
 ここでは貴賎や貧福、家の大小を論じてやたらに鼻を高くなどしてはな 
 らない
 友だち同士で無益の口論や自慢、悪口、大あくび大いたずらなどをして
 はいけない
 紙、墨、筆を粗末にしたり書物を汚したり馬鹿絵を書いたり手足に墨を 
 塗ることなどしてはいけない
 行き来の途中で菓子や果物を買い食いしてはならない
                   長徳寺 百洲千之

「長徳寺の百洲千之という人が寺小屋の先生なんだ」
「長徳寺は臨済宗の寺で昭和まで続いたが廃寺になった。禅宗の坊さんは二つ名前がついている。天保から寺小屋を初めて文久3年3月に辞めている。いい先生だったとみえて百洲門弟の名で筆子塚・無縫塔が建てられたというが今は見つからない」 
「郷に買い食いできるような店があったのかな」
 事実として店はあったが、寺からは少し離れている、美帷の指摘は鋭い。強引に決着をつけた。
「生徒手帳というのはそんなものだよ、予測できることはみんな記すのさ。さて物語が始まるよ」

「そろそろ手習いをさせたらどうかな」
 戴陽老人と日林上人が日向ぼっこをしている。ヤエという老婆が茶を出してくれた。夫の玄七と共に寺の田畑を耕す代わりに寺の飲食や掃除などの世話をしている。
「利発な子だ、よくわしの手伝いをしてくれるが戴陽老人も坊主にしようとは思うまい」
「年寄っ子は三文安いと申すが確かに年寄りと過ごすばかりでは子どもは育たない。それで手習い所は近くにありますか」
 そんなことも知らないのかと日林は笑ったが無理もないと思った。郷の人たちは戴陽を遠ざけている。田や畑で働き年貢を納めるのが百姓の正しい生活だ。どこからかやってきてこの寺に逗留し、働きもしないで暮らしている、浦賀の商人や奉行所の侍が時々訪ねてくる、それが何とも不審だ。だから親たちは子どもが景三郎と遊ぶのを許さなかった。
「3つありますが仙光院は浄土宗でな、先の住職の良学さんはいい人だったが、今の智厳さんはな、どうも法華と浄土は仲が悪い、それに仙光院は流行っていて寺子が30人もおろうか。次が福厳寺だがこれもな、長徳寺は10人足らずでこじんまりしている」
「上人の気持ちは長徳寺でござるな」
 日林は屈託なく笑った。
「法華経と念仏は昔から相性が悪くてな、お隣同士なのにね。狂言にも「宗論」というのがありましょう。川向こうの福厳寺もよろしいがやはり浄土宗です。長徳寺は臨済の禅宗で住持は百洲千之師、なかなか機鋒の鋭い方じゃ。人忍ぶ親子でござるから、近所のうわさからは遠ざかりたいものでござろう」
「では長徳寺にいたしましょう、束修を持って明日にでも寺参りだ」
 戴陽は江戸っ子気質なので何ごとも気軽だった。
 本瀧寺の川向こうを谷戸に入ると長徳寺がある。しかし中之橋を渡ると遠回りになるので皆は松久保川と長柄川が合流する浅瀬を石伝いに渡っていく。
「ならば仙光院へ挨拶なしですみますの」
 日頃、温和でこだわりのない日林上人もどんな因縁があるのか知らぬがかたくなだ。
 翌朝、戴陽老人が景三郎を連れて長徳寺に行くと子どもの声に混じって若い男が元気に千字文を読んでいる。歯切れのいい江戸弁を聞き取って戴陽老人は首をかしげた。
「この子に手習いをさせたいのだが」
 師匠らしい男も江戸弁を聞き取ってけげんな顔をした。
「住持は不在だが拙者が寺小屋を預かっております布川勇四郎でござる」
「お師匠は失礼ながら江戸じゃな、わしは大田鎌太郎と申す」
「以後ご別懇に」
 2人とも景三郎を忘れてしまって江戸弁で話しだした。
「おいらは小石川だがお前さんはどっちだ」
「番町に父の屋敷がありました」
「放蕩かい」
「いや病身で養生がてらの田舎住まい」
「退屈はしないかい」
「子どもたちに囲まれておりますれば」
「酒はどうだい」
「たしなみます」
 すっかり景三郎を囲んでいた子どもたちが大声をはりあげた。
「ユーシロウ、ユーシロウ」
「景三郎さんでござるな、しっかりお預かりいたします」
「いずれを見ても山家の育ちだがお身代わりにはしないでくだされ」
 戴陽が芝居がかりで言うと布川勇四郎も応じて見得を切った。
「すまじきものは宮仕えとか、ご案じなさるな戴陽殿」
 子どもたちはあきれている。

 景三郎は元気よく寺小屋に通った。
長徳寺の本堂に10人ばかりの子どもが列をなして座っている。年齢も学力も皆が違うので一人一人に課題が与えられる。楷書の練習、千字文を素読する者、算術、商売往来を音読する者など天神机という小さくて軽い小机に向かって一心に手習いする…と見せかけていたずら書きをしたり隣の子とひそひそ話をしたりで落ち着いて手習いをしている子などまるでいない。居眠りをしていた師匠は布川勇四郎という侍だ。住職は百洲千之という学問もあり修業も積んだ禅僧だが、慈悲の行為で滞留している江戸の旗本の布川勇四郎に師匠代をさせている。若い侍が寺にひきこもっていては郷の人々の不安の種になる、寺小屋師匠なら不審はない。

ムカデ

 ふと目覚めて子どもたちを見回し厠に立ったが間違えて納戸に入ってしまった。勇四郎は苦笑いして、何か用事があったように見せかけ外に出ようとすると驚いて大声をあげた。
「この袋はなんだ、やや動いておる、カソコソ音がするではないか」
「触っては危のうございます、おとどまりください」
 塾頭の景三郎が走り寄った。
手習いの反古紙で作った手の平に余るくらいの袋が丁寧に並べてある。
「山ほどあるが何かのまじないか」
「中身はムカデでございます」
「…」
 絶句した師匠に景三郎は得意になって説明した。
「大きいのは一匹が十文になります。4、5日前から皆で捕まえました。明日は休みなので浦賀に持って行って売ります」
 浦賀の頭巾膏薬という練り薬があるのは聞いている、切り傷打ち身によく効くという。売り出した柴崎簾風という人は大金持ちだったが遊蕩に財産を遣いつくして病気になった。どうせ死ぬならうまいものを腹いっぱい食ってからにしようとフグ、ウナギ、刺身をたらふく食い大酔すること何日か、気づいたら病気が治っていたという馬鹿な話がある。夏でも頭巾を被って奇人めかして売り歩いた、もう故人になってからずいぶん経つ。
「ムカデ膏とは名前を聞いていたが本当のムカデを練りこむのか」
「生きているのしか使いません。以前は浦賀や久里浜で獲っていましたが、近頃は獲り尽したようで、ここのも買ってくれます」
「浦賀までは六里もある」
「朝早く出れば夜までには帰れます。足が丈夫なのはムカデのご利益です」
「なるほどムカデは百足と書くの、それで売った金はどうするのだ」
「学問の費用にします、お師匠様に不自由をさせたくありません」
「何とお前たちはムカデのおかげで学んでいたのか」
 あらためて紙袋を見るといっせいにカサカサと音がした、少し胸がつまった。
「なぜ小袋に入れるのだ」
「一緒に入れると共食いします。師匠はそんなことも知らないのですか」
 師匠とはいえ子どもたちには優しい兄貴分だ。
「ムカデはどう捕るのか」
「捕れたら師匠の分も一緒に売ってあげます。でもかまれたら痛くて寝込んでしまいますよ」
「それでは伊助が5日も休んだのはムカデにかまれたのか」
「胴中を箸でつかむのですが、あの時は木の根につまずいて落としてしまったのです」
 納戸の奥には「新編三浦往来」と「菅相伝」と書かれた和綴じの本が数冊積んである。
「あの書はムカデ袋にするなよ」
「かしこまりましたお師匠さん、あれはなんの本ですか」
 景三郎は子どもたちの代表格だ。
「もうすぐカナでなく本字が読めるようになろう、その時まで楽しみに待ちなさい」
「だから何の本ですか」
「竜崎戒珠先生のご本だ。寺子屋で使うようにとお配りくださった」
 子どもたちは師匠が本をまだ読んでいないことを察知した。
「だから師匠…カイジュって何」
「三浦の学者だが惜しいことに先年亡くなった」
「だから師匠、カイジュ、カイジュ、ユウシロウ、ユウシロウ」
 はやし立てる子どもたちに勇四郎は閉口して大声を出した。
「うるさい、お仕置きをしますぞ、おや、ご来客だ、静かにしなさい」
 笑いながら三郎助が入ってきた。

 美帷は大きく伸びをして言った。
「なるほど今のCMと同じね、売り出すには目をひかなければならない、どんな仕事も同じですね」
「当時は医者も薬屋も免許がなくて誰でもなれた職業だった、病気さえ治れば名医・名薬なんだ」
「カイジュさんて自分の書いた本を寺子屋に寄付したのね」
「書物は今よりずっと高価だった、それを寄付したのだからありがたかったろうよ」
「教科書無償化より先をすすんでいたのね」
 歴史を現代に重ねるのは良いことなのかわからない。
「寺子屋と言うのは関西の言い方です。芝居の『寺子屋』が大ヒットしたので江戸の人もその名を知りましたが、こちらは手習い稽古場、先生は手習い師匠といいました」
「その『寺小屋』ってなんですか」
「武部源蔵が松王丸の息子を菅相丞の子の身代わりにする、その首をじっと見て…」
「あんまり聞きたくないな、歌舞伎でしょ、必ず人が殺されるんだから」
「映画もテレビでも人が殺されますが心から同情して涙はでません。歌舞伎では名文句で全観客を泣かせます。すまじきものは宮仕え」
「きもい」
 美帷は横を向いて笑った。

めかけ

 客は浦賀奉行所与力の中島三郎助だった。
「さすが勇四郎先生の人気は戒珠先生に劣りませんな」
「お弟子たちは手習い師匠を困らせるのを仕事にしています」
「もう半年が過ぎました、ここの生活には慣れましたか」
「風光明媚、静かでおだやかでいい所です。ただ手習い稽古場が3つもあるので子どもたちが何かというと師匠を較べるので困ります」
「お江戸では家百軒に湯屋と髪結い、手習い稽古場が一軒あるという。この郷はそれよりも多い、子どもを大事にする土地柄ですな、三ヶ所といいますと」
「ここ長徳寺、仙光院と福厳寺」
「競争相手が多ければ商売のこつをつかむのに格好ですな、勘当はまだ解けませんか」
 勇四郎は江戸の旗本の末っ子だが、わけあってこの寺で居候をきめこんでおり子どもたちに読み書きを教えている。
「お客人ゆえ皆は外に出て寺の掃除をしなさい。墓地にも境内にも木の葉がたまっていますぞ」
「なら柿の木の掃除もしてもいいですか」
 景三郎が念をおしたのは実を取って食べるということだったが、それに師匠は気がつかなかった。子どもたちは歓声をあげて外に出ていった。
「今日はご遊山ですか」
「戴陽先生に句作のご指導を願いたいと思って。実は私も浦賀を離れてこの長柄にしばらくとどまろうかなと思っている」
「三郎助さんも勘当ですか、何がありました」
「大工のタバコの火の不始末で奉行所の物見の舟を焼いてしまった。それで監督不行届きで押し込めという処分だ」
「おやおや、お父上の洋式船は大丈夫でしたか。ならば洋式船をもっと造ればいいだけです、事に当たって備えをなす、子のたまわく」
「さすが寺子屋のお師匠様だ、言うことが論語めいている、鬱屈が少し下がりました。まこと奉行所も実を避けて虚を取るという旧習で、たとえ役に立たなくても昔どおりの船を作ろうとしておる」
「三郎助さん、もっと声を大きくして言いなさいよ、いずれ異国の軍艦と戦うことになりますよ」
 三郎助はしばし沈黙したが持ち前の意地っ張りで言い返したくなった。
「貴公こそこんな田舎で引っ込んでおる、貴公の軍艦はどこにあるのか」
 すっかりさめた土瓶の茶をすすめながら勇四郎はつぶやいた。
「私は病いで療養している、それも口実です。父も頑固者ですから一旦勘当と決めたら許すとは言わないでしょう」
「なるほど事情は別にある。聞かせてもらってもいいですか」
 父が妾を持った、一家に同居する、潔癖な彼には許せなかった、そこで乱暴な言葉で脅した、妾は逃げ出してしまった。
「私が脅しつけたのを潮時と見たのでしょう。悪い女ですから手切れなどといって金をたっぷりせしめ取ったと思います」
「それは同感だ、妾などという制度はいけません。異国にはないことです」
「三郎助さんは攘夷論だと思いましたが」
「たとえ異国でも良いことは学びます。家に妾などという女を入れるのは妻に対して無礼です」
「私もそう思います。戦国の野蛮な頃はともかく、礼儀を説くこの時代に一夫多妻などというのはまちがっています。男の勝手を女に押しつけているだけだ、父もそれは承知しているのですが面子という問題があります」
「自分と同じようにしない者を敵のように思う困った風潮です。幕府も奉行所もまったく同じだ」

「これが物語の始まり?」
 まだノートが分厚く残っているので美帷はうんざりしたようだ。
「この2年後にペリーが来るのです」
「えっ、まだ2年もある、オジさん長生きしますね」
「悠久の歴史に生きると言ってください」

入定様
 
 ムカデはびっくりするほど良い値段で売れた。景三郎から売り上げをすっかり手渡された勇四郎がこれで筆と墨を買って天神講の菓子を買ってと胸算用しているうちに子どもたちは境内に走り出てしまった。
「おい、宝探しに行く者はいないか」
 景三郎が声をかけた。
「お頭、どこに行くかい」
 塾頭という言葉は子どもたちには言いにくい、だからお頭だ。
「ミイラだよ、本物なら薬にすると高く売れるって薬種屋の手代の竹助さんが言うんだ、ここで探してみるから手伝ってくれ、礼を出すって、欲張った奴だよ」
「どこにあるんだろう」
 桜山を下りる坂道に小さな堂があり入定様が祀られている。
「なんでミイラになろうとしたんだべなあ」
 年かさの太った佐十がつぶやく。
「世のため人のためだよ」
 キーキー声で返事をしたのは小猿のような恵太だ。
「どういうことなんだ」
「ミイラになって金もうけすれば人のためになるだろ」
 景三郎も割り込んだ。
「そりゃ違うだろ、金もうけは自分のためだよ。ムカデだって薬にすれば皆が助かるからおらたちは捕るんで、それで金がもうかっても寺子屋のために遣うのさ、金もうけじゃないよ」
「ミイラの人だって皆の病気を治せば人助けだろう万病に効くっていうよ」
 恵太も佐十も負けない。
「世の中全部を助けようとしたんだよ」
「薬種屋の竹助さんは自分だけもうけようとしているんだろ、それは間違っているよ」
「そうだよ、ミイラを盗むことになるんだ」
 皆がワアワア言っていると隅っこから誰かが小さな声で言った。
「でもお頭、あそこはキツネが出るよ」
「そうだよ、キツネに化かされて一晩中、山の中を歩いた人がいるって」
「この前の晩もいっぱいキツネ火が燃えていたよ」
 それから山の怪異づくしが始まる。山爺がいて人を食う、山女が怖い、大蛇が出る、天狗様。
「スダマっていうのが道を迷わせて人を食うそうだよ」
「おら怖いからやだ」
「おらもやだ」
 結局、恵太だけが内緒で家を抜け出して一緒に行くことになった。恵太の家は貧乏で子だくさん、下から3番目だから誰にもかまってもらえない。父親は博労で馬や牛の売り買いをする、母親は髪結いや近所の頼まれ仕事をする。郷の人は付き合いをしないし子どもたちも一緒に遊んではだめだと言われている。だから寺子屋の仲間を兄弟のように思って、一緒に遊んでくれるならたいていの無理なことも平気でした。
 日暮れ時、本瀧寺の山門に竹助がやってきた。景三郎より1つ2つ年上だろう、ふだん店に出ているままの服装だ。便船があったので小坪まで楽々きました、泊まりは本瀧寺にお願いします、さあ行きましょう金もうけだ、ずいぶん張り切っている。ミイラ盗りなんて上人様に言うと叱られるから黙っていてくれ、なかなか虫のいい申し出をする。
「竹助さんは知恵者だね」」
「いいや番頭さんの知恵ですよ。儲かることなら何でもするんだ、医は算術というのが口癖だからね」
 そうか番頭さんも一枚かんでいたのか。言葉遣いはていねいだが目は冷たくて人を小馬鹿にするようだ。たぶん人より早く小僧から手代に昇進して有能ぶりを発揮したいのだろう。景三郎は嫌な奴だと思った。
「恵太や、出かける前に竹助さんに道を教えてやりなよ」
「ええと寺の脇を登って地蔵さんを拝んでええと左に曲がると大入道の樹があって右に山道を下って…あとガサガサ歩いていく」
「その説明では竹助さんには分かるまい、俺が先に行く、この恵太が後を行くから迷わないようにしてくれ、まずは上人さんに頼んでからだ」
 日林上人は竹助の背負っている山芋掘りのクワを見て何かに気づいたようだがあっさりと宿を許した。
 一行は本瀧寺の脇の道を登っていった。真っ暗な森はしんと静まっている。3人の息遣いが大きく聞こえる。
「なんか怖いな、化け物が出そうだよ」
 恵太が泣き声になった。
「後ろの奴を襲うだろうさ」
「俺やだよ、前にしてくれ」
 景三郎がからかうように竹助に言う。
「なんか化け物と戦う道具を持ってるかい」
「いや筆と帳面だけですが、あっそうだクワがある」
「俺はほらこんなのを持ってきたぜ」
 さびついているが両側の尖った仏具だ。
「寺子屋の押入れに落ちていたのさ、金剛杵というんだ。これがあればミイラもキツネも大丈夫だ」
「なんだお頭も怖かったんだね」
 そんなことで恵太は落ち着いたようだ。
 登りつめると平坦な道をしばらく行き下りになる、ここまでは人がよく歩くのでしっかりした道だ。恵太の言う大入道の樹が両手を広げて黒々と一同を迎えた。皆、頭を低くして誰にも声をかけられないように静かに右の細道に入った、すぐにヤブになった。恵太の言ったガサガサ道だ。
「鳴いているのはなんですか」
「フクロウだよ」
「こっちを見ているようですね」
 今度は竹助が怖がり始めた。3人はぴったりくっついてヤブをかき分けていく。
「あったよ、ここだ、竹助さん、ローソクに火をつけてくれよ」
 石壇の上に朽ちた祠がある。竹助が火打石を打って火をつけるとあたりがぼんやり明るくなった。とたんに怖さが増した。
「入定様はこの下に埋まっているんだ、掘ってみな」
 景三郎と恵太はヤブに座って見ていると竹助は金儲けをしたくて無我夢中になっている、2人はまた少し嫌な気分になって土を掘る音を聞いていた。
 その時、景三郎がそっと恵太の手にふれた。ずっと山の上に火が一つ揺れている。恵太は飛び上がって何もいわずに来た道を走り出した。
「竹助さんキツネが出たようだよ」
 しかし竹助は夢中なので景三郎の声など聞こえない。
「待ってくださいよ、もう少しです」
「ぐずぐずしてると化かされるよ」
「そんなに心配なら先に帰ってください、道は覚えています」
「恵太が逃げてしまった、心配だから俺は探しに行く」
「どうぞ、どうぞ、掘り起したら寺に帰ります、待っていてください」
 命より金儲けが大事かよ、景三郎はさっさとヤブを登っていった。
 その時、大きな叫び声が聞こえた。
 オオン、オオン、オオオーン
 さすがの竹助もクワを投げ捨てて走り出した。
「おおい、そっちは道が違うよ」
 ふりむきもせず闇に消えてしまった。景三郎は恵太の方が心配で名前を呼びながらヤブをぬけていった。恵太は大入道の樹によじのぼってブルブル震えていた。
「さあ帰るぞ」
 景三郎の落ち着いた声に安心して飛び降りた。
 ようやく寺にたどりつくと本堂には行灯がともっていて茶と菓子が置いてある。
「お頭、飲んじゃだめだよ、馬の小便だ」
「日蓮上人の画像の前でキツネなどが悪さをするものか。お前、家に帰ると叱られるだろ、ここに泊まっていきな」
 よく朝、明るくなってから竹助がころがりこんできた。着物は破れていて泥だらけだ。
 水を何杯も飲ませるとようやく話ができるようになった。夜中、山を逃げ歩いていたそうだ。提灯がついたり消えたり、人声や笑い声が聞こえたり、鈴を鳴らしながら念仏を唱える声が聞こえたり。
「それは怖いね、入定様はそうやって死んでいったのだそうだよ」
 景三郎が言うと恵太も青くなった。
「もしかすると引きずりこまれて一緒にミイラになったかもしれないよ」
 話し声を聞きつけて日林上人が庫裏から出てきた。
「南無妙法蓮華経、無事でよかった。それはキツネに化かされたのではない、仏罰があたったのだ。これからは尊いものを盗んで金儲けをしようなどと思わないことだ」
 景三郎はようやく気づいた、昨晩のオオンオオンという声に聞き覚えがあると思ったんだ、やっぱり上人様か。
「竹助さんのクワはたぶんお地蔵様が預かっていると思うよ」
 日林上人がニヤッと笑った。
「では朝食を進ぜよう、番頭さんにお話しくだされ、ムカデの命を取るのも殺生だ、供養をしてやりなさいとね」
 便船に乗ると言って竹助はあたふたと小坪に向かっていった。
「お上人様ですね悪いいたずらをしたのは」
「わしは知らん、夜の山は気持ちがいいな」
「なんで大声を出したのですか」
「鬱気を払うためだよ」
「ロウソクで脅かしましたね」
 これには日林上人がちょっと驚いた。
「歩きなれた山だよ、わしは灯など持たない」
 では、やっぱりあれはキツネ火なのかな。
「これで当分キツネに化かされた話が広まって山は安泰だ、入定様も安心して眠れるだろう。それにお前が案内した所は入定様ではなくてお稲荷様の祠だよ、お稲荷様のお使いはキツネだから、なかなか霊験あらたかな祠じゃないか」

「まさかオジさんの作り話ではないでしょうね。私は化かされたくないな」
 美帷が険しい目でにらんだ。
「いえいえ、いたいけな女の子を騙したりはしません、入定様は事実です」
 天明5年3月 円求法師69才が桜山地蔵院の石仏地蔵の脇で入定した。千手院円求大法師と戒名があるので千手観音を背負った六十六部の行脚僧だったのだろう、7月7日に施餓鬼をしたという記録が残っている。
土地の人は腫れ物にご利益があるといって参詣したという。寛政6年に神武寺で修行したとも、桜山の名主の長左衛門の子だともいう。
「ではそれを証拠と認めて無罪としましょう。歴史にウソを交えると厳罰になります、心しておくように」
「ヘヘー」

三郎助

 孝明天皇が即位した。朝廷は攘夷へ踏み出した。古代から外国との儀礼は朝廷の仕事だ、幕府は慎んで意向を受けた。その2年前に川越藩が刊行した頼山陽の日本外史の影響もあった。尊皇攘夷の熱烈な歴史書だ。当時の幕府の実力者は水戸の徳川斉昭、尊王攘夷のかたまりで大日本史という膨大な史書を編纂した。洋式軍艦を建造する、大砲鋳造のために寺院の釣鐘を拠出させる、幕府にも強硬な申し入れを繰り返した。開明的な幕臣たちも、異国人の到来と交易要求、水戸老公の尊皇攘夷にはさまれて双方に当座しのぎのぶらかし策を講じるしかなかった。
  翌年、アメリカのビッドルが軍艦2隻で浦賀に来航し通商を求めた。軍艦と公式使節の来航に幕府は驚かされた。
 アメリカ捕鯨船プリマス号の乗組員マクドナルドが勝手に函館に上陸し、その後、姿をくらましてしまった。船長とは約束を交わしていたので船は帰ってしまった。宗谷の番所から長崎に送られた。そこにはラゴダ号というアメリカ船の船員13人がいた。アメリカ海軍はプレブル号を派遣し長崎港に侵入して強引に4人を救出した。
 この年、米墨戦争が終わり、メキシコは広大な領土を失った。太平洋に面したアメリカは日本を次の和戦対象国とした。
 オランダはフランスの侵攻を受けようやく独立を回復していた。海外植民地も返還されていたが日本貿易は重要だった。その日本が欧米のターゲットにされている、オランダ国王は親書を届けて開国を勧めた。友好国の誠意あふれる文書だった。
 三郎助が山門を出ようとするといきなり柿の実が足元で炸裂した。
「異国人の襲来だ、大筒だ、石火矢だ」
「誰だ」
「長徳寺の景三郎を知らないか」
「おお、さきほどの塾頭殿、戴陽殿のお子か、ずいぶん大きくなったな」
「さあ異国船を打ち滅ぼしてやる」
 柿の木につかまって大見得をきっている少年を三郎助は招きよせた。
「舟はこげるか」
「大丈夫さ」
 目を輝かせた、何か新しいことをやりたくて仕様がないのだ。
「今日は舟で来たのだが若党の長蔵が腹が痛いといいだしてな、帰りの舟を漕ぐ手伝いをしてもらいたいのだ、父上に頼んでみようと思うのだ」
 戴陽老人は本瀧寺の縁側で日向ぼっこをしていた。
「塾頭を2、3日拝借しますぞ」
「それはありがたい」

 美帷は飽きてきた、中学生の集中力は15分と聞いている。ともかくこきざみに休憩をとらなければ。
「これから俳句の話になるのだが省略しようか、そろそろテレビが見たくなったろう」
「まだ時間が早いから大丈夫、でも三郎助と戴陽がどんな関係なのだか分らない」
「2年後に中島三郎助は景三郎を自分の小者に採用して浦賀奉行所に勤めさせるんだ。そして物語が展開する」
「そんなことがどうして分かるの」
「手紙の解読と時代の調査、行間の推理だよ。学者は正しく研究しなければならないが私は勝手に読んでもいいのだからね」
「嘘八百でしょ」
「いや、そんなに多くはないよ」

 三郎助の家も寺小屋のようだった。幼子1人と近所の子どもが何人か、与力は江戸や台場の勤めがあるので家をあけることが多い、三郎助自身もよく留守をする、それで子どもたちを互いに世話しあう習慣があった。三郎助も妻のすずも子どもが好きだった。
「井蔵!景三郎を連れてきたぞ」
 井蔵と呼ばれた少年が飛び出してきた。
「景三郎すこしも変わらないや、俺はこんなに大きくなったぞ」
「生意気を言うな、俺の方が大きいぞ」
 三郎助はその様子を見てにこにこ笑っている。
「よし俺の台場につれていってやる」
「どうせタヌキが住むような穴倉だろう」
「異国船を撃ち沈める台場だぞ」
 子どもたちは暗くなるまで帰らなかった。
 部屋に膳を並べて食事をする。井蔵も願って布団を並べて一緒に寝た。
「みんなと一緒だと飯がうまいね」
「景三郎は誰と寝るんだい」
「一人さ、つまんないよ」
「怖くはないか」
「それは大丈夫だが便所に行くのは怖い」
「今晩は平気だね」
 そのままぐっすり眠ってしまう。三郎助がそっと布団をかけていった。

城跡

「あの山には昔、城があったとお師匠様が申されていたぞ」
「おいらたちも城を造ろうや」
「入るとたたりがあるって聞いたよ」
「お寺の山に魔物はいないだろう」
「ヤマイモやワラビを採られないようにそんなことを言っているだけだ」
「城なんて古くさい、いま大事なのは黒船退治だよ、よし台場を作ろう」
「大筒を作ろう、海まで届くヤツ」
 佐十、恵太と伊之助と五平、そしてお頭の景三郎の5人の強者は墓場のわきの山道を登っていった。
「台場なんて作ったことはないよ」
「おいらのオジさんは大工だよ、家をつくるのを見たことがある」
 佐十の父親は漁師なので浜のつきあいはあるが郷の人たちは距離をおいていた。お百姓は田畑の広さを誇りとする。農業で自立できない小さな田畑の持ち主は水呑百姓と呼ばれた。大工や漁師はもちろん船持ちで湊をとりしきるような網元でも身分は水呑百姓だった。
「よし佐十が棟梁だ」
 四本の杉がちょうどいい間隔に立っている。太い枝を何本も渡して床をつくる。葉つきの枝を厚く敷いて藁縄を張り巡らしてそこにも枝を吊るして樹上に小屋を作る、言うのは簡単だ。しかし3日も汗をかくと3人くらいが座れる台場ができた。
 2、3日幸せな生活が続いた。鳥の鳴き声がこんなにきれいで木々を吹く風がこんなにいい香りだとは知らなかった。
「夜もいたいね、ここに」
 小猿の恵太が言う。
「あの晩は怖かったな」
 景三郎が言うと恵太は妙に笑った。
「こっちの山にはキツネはいないんだよ」
「どうも福厳寺の連中が聞きつけたらしい」
 佐十が心配そうに言うと一同に緊張が走った。
 館ヶ谷戸の奥で何をしているのかと聞かれて長徳寺の寺子が答えてしまったらしい。
「でも、あいつらの領地は川下だよ」
「領地を増やすのが戦争じゃないか」
「攻められたら逃げられるように搦め手にも道を作っておいた方がいい」
 また2、3日激しく汗をかいた。
 台場を少し登って突き出た岩を回り込むとケモノ道のような下りになる。それをジグザグに下りていくとたんぼが谷戸の奥まで続いている。
 佐十が探ってみると福厳寺の寺子たちはこの2、3日のうちに襲撃するらしい。
「今晩は俺が泊り込んで警戒する」
 景三郎が言うとすぐにおいらも一緒だよと恵太が言った。佐十は少しためらったが一緒に行くと決意した。他の2人はだめだった。
 景三郎は戴陽老人に許しを求めた。
「なるほど一国一城の主になったか、ところで兵糧は用意してあるのか」
 そう言ってヤエに頼んで握り飯をいくつも用意してくれた。
「本来なら酒も用意するのだが」
 二人は薄暗い山へ入っていった。
「まず搦め手を確かめておこうよ。ここは福厳寺の裏手から細道が続いているんだ。だから攻めてくるとしたらこちら側からだな。よし台場を守るためにここで合戦だ」
 棚田へ下りていくと2人は驚いて立ち止まった。一面に小さな灯の点滅が、ホタルが飛び交っているのだ。
 うわあ、きれいだとしか言えない。
 大きくて高く飛んでいるのは源氏ホタル、点滅して低いところにいるのは平家ホタルだ。入り混じって光っている。
「ホタルは人の魂だというぜ」
「こんなにたくさん魂があるのかい」
 2人はここが城跡だというこに気がついた。ならば死んだ人もたくさんいるだろう。
「ホタルが集まって人の姿になったらどうしよう」
 恵太がか細い声を出す。鎧武者の姿になって目を光らせて向かってきたらどうしよう。
「どんな策でいこうか」
 佐十が心配すると景三郎はすぐに作戦を説明した。
 左右真ん中の3ヶ所に提灯を吊るしておく。火種は樹の裏に隠しておく。敵が来たら真ん中の提灯をつけるとまっすぐに来るから消して左をつける。そちらに向かったら消して右をつける。今度は真ん中と行ったり来たりさせる。
「そのうちに怖くなって逃げていくよ」
「そうだよ、おいらも怖くて逃げ出したよ」
 恵太はミイラ取りの時を思い出している。
「キツネ火か名案だな、でもこちらの山にはキツネがいないっていうよ」
「この前の騒ぎで移ってきたと思うだろう。俺は真ん中、恵太は右、佐十は左でいいかい。では合戦に備えて腹ごしらえだ」
 その晩は何事も起きなかったので3人はそっと家に帰った。
「どうも敵は今晩来るらしいよ」
 佐十が聞き出してきた。
「台場作ったって生意気だ、おらたちを異国人みたいに言っている、今晩こっそり叩き壊してしまおうと言っているってさ」
 長徳寺の押入れから盆踊りに使う赤い提灯とローソクを3つ持ち出した。明るいうちに場所を定めて配置についた。練習しておかなければという佐十の提案だ。まだ薄明るいので提灯はぼんやりとしか照らさない。
 3人は集まって確認した。
「それでも攻めてきたらどうする」
 恵太が心配する。
「俺が提灯を3回振って消したらオオンオオンオオオーンと叫ぶんだ、それで逃げていくさ、集合場所はお台場だ」
 よしと言って3人は配置場所に移った。
 下から上ってくる足音が聞こえた、一人だけらしい。打ち合わせ通りに3人は作戦を決行した。真ん中の提灯がともって赤い灯がゆらゆら揺れた。足音は立ち止まって大声を上げた。
「誰でぇ、ロクザけぇシンヤけぇ」
 田んぼの持ち主らしい、景三郎は困ったと思ったがやめるわけにはいかない。
「悪さするもんでねぇ、さてはブテェダだな、水の様子を見に来ただ、今、行くからの」
 真ん中が消えて左がついた。足音がまた止まった。
「おおい、冗談はやめてけろ」
 声が少し震えているようだ。
 左が消えて右がついた。
「名主様に言いつけるぞ、お仕置きだ」
 右が消えて真ん中がついた。3回大きく揺れて消えるとオオン、オオン、オオオーンという絶叫が響き渡った。と同時に、うわあ、お助け、助けてくれという絶叫も響いた。
 3人は顔を見合わせて大笑いをした。そして家に帰ってぐっすり眠った。
 キツネが出たそうだ、ニイヤの久太郎さんが化かされたらしい、近々、山狩りをするってよ。うわさ話で寺子たちはにぎやかだったが5人は顔を見合わせた。少なくとも福厳寺が攻めてくることはなくなったが台場が見つかったらどうしよう。今度は心配で眠れぬ夜になった。
 明け方から強い風が吹いてたたきつけるような雨が降った。明け方に雨がやみ、寺小屋の終わる頃には快晴になった。
「いま山に登ったらびしょ濡れになるよ」
 佐十が忠告をしたが自分から先に走り出していた。雨のしずくと汗で忠告どおりに髪も着物もびっしょりになりながら、ようやく台場にたどりついた。唖然として誰も何も言わない。佐十を先頭にいっせいに走り下りた。
 台場はすっかり自然に帰っていた。黒船を迎え撃つ準備は壊滅した。5人の大工兼台場の役人たちは心配事がなくなったが黒船退治もあきらめなければならなかった。

石合戦

 相変わらず勇四郎師匠はお説教をする。
「人を好むようにすれば立派な人物を見つけ出すことができる、そう佐賀の太守がご息子に教訓をしたそうだ」
 寺子は聞く耳はもたない。
「いやな奴は嫌いだよな」
「嫌な人に機嫌をとるのはいやです」
「まず師匠の話を聞きなさい」
 それでも聞かない。
「殿様だったらヘヘェとみんな聞くんだよ」
 息子は素直に教訓を聞き、仏神に誓ってそんな人になります、答えたそうだ。ところが太守は即座に叱った。
人力に及ばぬことなら仏神に願うといい。人にできることならお前の心がけ次第だ。
「つまり、自分の力でがんばりなさいということだ」
 これには景三郎と佐十をはじめ5人の侍は下を向いて黙り込んだ。
 本堂は風が通って涼しい、勇四郎は気分よく長談義を始めた。子どもを相手にすると気を遣わずにおしゃべりができる。
 岡山の池田光政公はこう申された。
「当年の日照りと洪水は前代未聞、しかし自然のめぐり合わせで自分の代に起こったのだから自分は全力を尽くす。もし自分の悪政だというのなら天が民を滅ぼすことなどあり得ないので、自分は天の戒めと思おう」
 様々な復興策を取ると家臣が民ばかり大切にすると文句を言った。
「民が餓死するとも武士だけは良ければよいと考えるのは浅ましい。百姓成立ちは政治の根本だ」
 天保の大飢饉は勇四郎も身近に知っている、幕府の改革が武士の救済を主にしているものであることに義憤も感じていた。
「治者の務めというのはこういうことだ、お前たちもよく覚えておきなさい」
「また説教だよ」
「師匠なんて自分にできないことを押しつけるのさ」
「言う方は気持ちいいが聞く方は退屈だよ」
 ようやく談義が終わって寺子たちは一斉に帰っていく。
「暑いから水遊びだよ、大曲りだぜ」
 長柄川で水遊びができる淀みは中流にあった。くの字形に山が張りだしているので川は流れを速めて三段に水を落とし込んでいく、鮎が跳ねる清流だ。
「うわあ、こっちは広いし深いね」
 ふだん遊んでいるところは2つの流れの合流点なので川原は広いが草が繁っている。「あっウナギだ、しっぽをつかんだよ、あれヘビだった」
 鴨が飛び立ちトンボが飛びかっている。
「ほら、きれいな石だろう。投げ込むから潜って探し出すんだぜ、最初は俺がやるよ」
 ぐっと息をつめてこらえて水底を泳ぎまわる。水の中では色が違う。石はぽちゃんとしぶきを立てたところからゆらゆらと流されて離れていく。ぴかりと光ったのは小魚が水面で太陽に照らされたのだ。青い石は沈み込んだ木の根っこにひっかかっていた。少しずつ息を吐きながら探し続ける。
 子どもたちは次々に挑戦する。
「もっと遠くへ投げてくれよ」
「あっカニがいるぜ」
「鮎はすばしこいな」
 子どもたちが遊んでいるところに忍びよってきたのは仙光院の寺子たちだった。
 彼らの縄張りは大曲りも含む、ただし右岸は福厳寺の勢力下で長柄川上流は微妙な緩衝地帯、川の合流点から上は長徳寺なのだ。
 その日も仙光院の寺子たちは水遊びを予定していた。ところがそこに長徳寺が来ている、気分を害して仲間を集めた。20人ばかりが隠れて土手の上に集まり襲いかかった。不意をつかれて景三郎たちは裸のまま逃げるしかなかった。
 翌日の寺小屋は殺伐としていた。
「くやしいよ」
「合戦だ」
 寺子たちは知恵をしぼって果たし状を書き佐十が勇気をふるって仙光院の寺子に届けた。ついに石合戦だ。 
 長徳寺10人は右岸から芦をくぐって川を下った、中之橋を守っていた仙光院の見張りは気づかなかった。大曲りの川原の芦原に隠れて敵を待った。小さな石はたくさん持ってきた、川原に転がっているのも拾った。
 ワアワア言いながら仙光院が20人ばかり左岸に下りてきた。「ファイアー」景三郎が号令をかけた、三郎助に聞いた黒船の合図だ。敵は驚いて逃げ出した。
「よし勝ったぞ」
 景三郎が大声で叫んで追いかけようと立ち上がると土手の上から石が飛んできた。あっと驚くと頭に痛みが走りふらっと気が遠くなった。
「あっ、お頭、大変だ」
 佐十が叫ぶと景三郎は川に落ち三段の流れに飲みこまれていく。子どもたちは走って追いかけた。
石が当たって水に落ちたのは覚えている。おぼれそうになる、このまま眠ってしまえば気持ちいいな、そんなことを思った。水をたくさん飲んでしまったので息ができない。しかし怖くはなかった。ぽっかり浮かんだまま流されていく。
 走ってきたのは勇四郎だった、流れに着物のままが飛び込みあやうく足をつかんだ。水草に滑ってざぶんと倒れこんだが手は離さなかった。ようやく膝をついて立ち上がり景三郎を抱きこんだ。土手に上げると背を叩いて水を吐かせ胸を押して呼吸を蘇らせた。長徳寺、仙光院両方の子どもたちが集まって心配そうにのぞきこむ。ようやく息が通って目を開いた。
「良かったよぅ」
佐十も恵太も泣き出した。
「へへ~頭が痛いよ」
 大きなコブができていた。

流される

 三郎助の若党長蔵が舟を漕ぐ技を鍛えてくれた。なにしろ師匠の勇四郎が釣り好きで戴陽老人が魚好きだったから舟に乗りたがる。寺の日林上人も喜んで食べる。
 三郎助は小舟を一隻、長柄川の岸に繋いでおいていた。奉行所の舟だと知っている郷人は誰も触らない。
「おいらは廻船乗りになるんだ、カシキから始めてやがては船頭さ」
 佐十は自慢した。
「こんな小舟なんか漕ぐのはへっちゃらさ」
「俺だって漕ぐのは得意だよ、よし今日は三郎助様も来ておいでになるから酒の肴を釣ってこよう、佐十もいこうや」
「よし行こう、アジはいつでも釣れるがこの頃はイナダが出ているかもしれない」
「刺身にしよう、師匠も上人も喜ぶよ」
 長柄川を下って森戸神社の脇からすぐに海に出た。冬の日差しは温かくて海は油を流したように静まっている。真名瀬の岩場を過ぎるとイシダイやカワハギがねらえる。
「イシダイは焼こう。カワハギは煮て肝を食べるとうまいね」
「お師匠様も三郎助様も大食いだからたくさん釣らないと間に合わないよ」
 次々に魚が針にかかる。岩場から平たい砂底と舟を移して釣り続ける。
 魚に気を取られているうちに天気が変わった。北風が吹いて風波が立ち始めた。2人は少し急いで漕ぎはじめたが、みるみるうちに三角の波頭はしぶきを立て白くなり見渡す限りの海面いっぱいになった。やがて舟は大きく揺れ始めた。風が東北になり山から吹き降ろしてくる、いくら漕いでも舟は脇から風を受けて前に進むことができない。
 本瀧寺の本堂では人々がにぎやかに集っていた。
「天気が変わりそうだ」
 閉め切ったふすまに風の音を聞いて三郎助がつぶやいた。
「長蔵、舟のもやいを確かめてくれ」
 長蔵はあわてて帰ってきた、舟がない、近所で大根を抜いていた男に聞くと子どもを2人乗せて下っていったという。
「景三郎と」
 戴陽が言うと勇四郎がすぐに続けた。
「佐十でしょう」
「近くで遊んでいるのならいいが、長蔵、ひとっ走り見てきてくれ」
 もちろん浜辺には人の姿はない、長蔵は清涼寺の舟溜まりに走った。ちょうど江戸から帰った八丁櫓の押送舟が着いたばかりだった。日本橋に魚を届けて帰ってくる1日半の行程だ、水手たちは疲れている。浜浅羽家の持ち舟の一隻だ。長蔵は船頭が顔見知りの弥八だったので喜んだ。
「旦那の舟が流された、子どもが2人乗っている、見なかったかい」
「半刻前から風が強くなり波で舵をとられて難儀だったよ、波しぶきが立っているから小さな舟など隠れて見えなかった」
「長柄の川口からならどっちに流されたか見当がつくだろう。中島様のご縁の子どもたちだ。舟を出してはくれまいか」
「奴らは疲れているが酒手さえもらえば勇むだろう、人の命は大切だ、やりましょう」
 すぐに支度ができて舟は波を蹴立てて漕ぎ出していった。長蔵は自分も乗っていくと願ったそれだけ船が重くなると思って見送った。そして三郎助らに知らせるため本瀧寺に走った。急を聞いた漁師たちも集まってくる、佐十の父親が真っ先に藻舟を漕ぎ出した
 小舟が波に乗り上げて天に届くように立ち上がる、波を乗り切ると2人は舟底に叩きつけられる。次々に波を越えて流されていく、もはや恐ろしくて口もきけない。波はどんどん舟に打ち込んできて舟底の水が増していく。まわり一面に三角の波頭しか見えない。胃が締め付けられるように痛んだ。
「怖いよ」
「舟板にしがみついて流されないようにするんだ」
 容赦なく波が押し寄せてしぶきを叩きつけていく。
「がんばれよ」
 佐十は舟底に倒れこんで動かない、小さな声で念仏を唱えているのが聞こえた。
 まるで波の頂点からいくつもの手が伸びて自分を海にひきずりこんでいくように思えた。
 弥八は目当てをつけた近くに押送舟を急がせると漕ぎ手を半分にして残りの水手と四方を見張った。相変わらず海は荒れている、しばらく右に左に漕いでいくとようやく左舷の水手が流れ物を見つけた。波に上下している水舟だ。手際よく水舟を脇につけると水手が身軽に飛び乗った。子どもたちを次々に押送舟に移すと掛け声勇ましく一目散に浜に向かった。
 それを見て近くを探していた藻舟も帰ってきた。
 二人は船から引き上げられ浜の小屋にかつぎこまれた。ようやく気づいた景三郎が叫んだ。
「あっ魚は」
「みんな海に帰してしまったよ」
「お師匠様に食べてもらおうと思って」
「お前たちが魚に食べられなくて本当に良かった」
 三郎助と戴陽が押送舟と漁師たちに丁寧に礼を述べ、酒屋が一斗樽を持ち込むと水手も漁師も争うように飲み始めた。
「浜浅羽家のご当主にも後日お礼にうかがいます」
 弥八も礼を返した。
「ちょうどお届け物があってこちらの浜に着けましたらこの騒ぎで、まことにおめでとうございます。十分に戴いております、ただお奉行様の耳には入れないように願います」
 浜浅羽家は押送舟を50隻も支配している浜名主だが海難となるといささか手続きが面倒になる。場合によっては奉行所の取調べを受けるかもしれない。報償を得たところで金一封2朱か1分くらいのところだ。
 焚き火で体を暖め熱い茶を何杯も飲んで人心地がついて景三郎も佐十も歩いて家に帰った。

「浜名主ってなんですか」美帷が聞いてくる。
 浦方つまり漁師や船頭、交易を支配する名主で当時は名主浅羽家の次男の仁三郎が務めていた。妻のちせは長柄の近隣の三が岡の名主の娘で、嫁入り前は一ツ橋家御守殿奥勤めの女中だったそうだ。一ツ橋は水戸に関わりが深く、その縁で鎌倉の尼寺英勝寺の祠堂金貸付などもしていた。
「つまり財務担当ね」
「利子は年に2割というからお寺は豊かだったと思うよ」
「奥さんの縁ね、オジさんも私の縁で豊かになれるかもよ」
「お祖父さんは俺の先輩だからな」
「人を頼らずに努力しなければね」

地蔵

 長徳寺の方丈の百洲千之師は忙しい人だった。鎌倉の本山円覚寺に出仕して雲水を指導し、末寺に招かれて説法をし、その間に四季の行事をこなしている。寺小屋は布川勇四郎に任せているができるだけ寺子たちに接しようとしていた。 
「今朝は和尚様がお教えくださる」
「何を聞いてもいいですか」
 景三郎がうれしそうに言う。
「まあ俺の悪口はよしてくれ、お前たちは良い子だから俺は喜んでいるよ、今日も良い子でいてくれよ」
 勇四郎はそう宣言して自室に戻りのんびりしようとした。天神講でたくさんお菓子をもらった子どもたちは勇四郎師匠に借りがあるような気分になった。
 衣摺れの音がして方丈様が座って般若心経を唱えた。
「お寺のお地蔵様はきれいですね」
 景三郎が言うと方丈様もうれしそうだ。
「ご奇特な寄進をいただいて、つい昨年に塗り替えてもらった、百年はもつだろう」
「和尚様、座禅するお寺に地蔵様があるのはなぜですか」
 わざと問答をしかけられたことに気づいて方丈はほんの少し頬をゆるめて答えた。
「人は生きている限り修業する、死んでしまえば何もできないだろう」
「だから死ぬまで修業というのですね、それは分かりますが、でもお地蔵様は」
「景三郎も親を悲しませたり逆らったりしたことがあろう。今は若いからそんなことはないだろうが、わしくらいの年になると時々思いだすのだ。すまなかったごめんなさいと謝りたい、これは釈尊でも千手観音でも無理な頼みだ。けれど地蔵菩薩は地獄極楽を行き来する方だ。祈れば死者につたえてくれるのだよ」
「へぇ…」
「亡き父も母も、今は極楽の蓮のうてなにいるから安心せい、そんなことは忘れていいと答えてくれる、それはうれしいことだろう」
 この地蔵様は鎌倉の昔に畠山重忠という強い武士が屋敷で拝んでいた像だという。
「そんな豪傑でも心配事があったのですか」
「数知れず戦場に出て戦った、数多くの人が無念の死をとげた。敵も味方も自分を恨んでいるだろう、そんな思いは苦しいだろうな」
 修羅道というのは戦いたくなくても戦いをやめられない世界だ、鎌倉の武士たちは毎日がそうだった、生きることが修羅道だ。畠山重忠は三浦義明を殺した。その後、源頼朝について平家を滅ぼした。最後は北条時政に謀殺された。あの福厳寺も昔は長江氏の館だった。源頼朝に仕え平家を滅ぼし数々の合戦で戦ったが最後は北条時頼の陰謀で三浦一族とともに殺された。
「なぜそれが禅のお寺にあるんですか」
 和尚はにこにこ笑っている。
「ここは白田山長徳寺という、畠山殿の寺は白田山万福寺といって遠い深谷の郷にある」
「こことつながっているんですね、ところで禅というのは何ですか」
 方丈はおかしくてたまらないように景三郎を見ている。
「ある日、あっ悟ったと思うんだ、それが種まきだ。苗を育て雑草を抜いて水とお日様に恵まれれば稲は実る、お百姓は皆知っているよ、坊主でなくともね、おや皆が退屈して大騒ぎをはじめましたぞ」
 そっと恵太がやってきて耳元にささやいた。
「みんなでお花見に行こうって相談しているんだ、その日まで秘密にしておいて方丈様を驚かすのさ、大丈夫かな」
 百洲千之が笑いながらたしなめた。
「人の前で内緒話などするものではない」
「へぇ」
「内緒というのは自内証と申して、仏様が悟りを開いた時の言葉だという。だから仏様にしか分らない。こそこそ話は罪つくりと言うではないか」
「さすが方丈様は物知りですね、師匠とは違うな。では大声で言います」
景三郎は手習い子一同に呼びかけた。
「お花見に行こうと恵太が言ってきたよ。方丈様には内緒…ではない秘密にしておいてびっくりさせる計画だね。趣向を考えて方丈様とお師匠様に楽しんでもらうおう、いいね、その日まで秘密だよ」
 景三郎がわざと真面目な顔をして苦笑している百洲千之の顔をのぞいた。
「しっぺ返しは厳しいの、説教は終わりだ、後は花見の相談をしなさい」
 そう言って庫裏に戻った。

「深谷の白田山万福寺は大きいお寺だそうですね。ただ長柄の白田山長徳寺は地図に載ってないわ。堀内に南湖山長徳寺というのがあるのが名前つながりかしら」
「白田山長徳寺は昭和になってから廃寺になったんだ。大山の道の左手に石碑と細い道と小さな広場が残っています」
「では南湖山長徳寺は」
「三浦一族の守戸六郎の館跡だといいます、当時は海に面した丘でした。今は無住で円覚寺の扱いになっています」
「なぜ同じ名前なの」
「分かりません」
「よくあることなの」
「めったにありません」
「……」
「……」

花見

 さて何をしよう、費用はどうしよう。恵太がはしゃいで叫んだ。
「じゃあまたムカデだね」
「生き物の命を取ったお金では方丈様は喜ばないよ」
 しかし花見は立ち消えになった。それから10日ほどたって景三郎は元気がなくなった。起きているのが辛くて寝てばかりいるうちに高熱がでた。
「尋常のことではないようだ」
 さすがに戴陽が心配する。
「浦賀なんぞに行くから悪い病気を背負い込んだのさ、医者はいないのか、でも藪にかかると命取りだしな」
 日林上人はひどく驚いた。
「これは疱瘡じゃ、さて大変、この家から一歩も出してはならん、郷中に広まったらどうなる。戴陽さんは疱瘡をやったか」
「少しだけ痘痕(あばた)が残っている」
「軽くすんでよかったが景三郎がどうなるか、命定め顔定めだぞ」
 戴陽は1ヶ月の間、病人の世話をした。熱にうなされる景三郎の頭に濡らした手ぬぐいを乗せ、少しでも粥を食べるとひどく喜び、夜も枕許から離れなかった。行き届いた看病の様子に日林上人も身の回りの世話をするヤエと玄七も驚いた。
「わしは欲張りでな、せっかく戴いた子どもの命を死神なんかに渡してたまるかと思うのさ」
 ひどく疲れた顔で戴陽は日林に答えた。
「赤いものがいいとか、この絵に祈りなさいとか肥前屋が持ってきてくれたが、神仏に祈る前に自分のできることをしなければなりますまい」
 疱瘡に効くといって身の回りに赤い着物や玩具をそろえたり、鎮西八郎為朝の画像を飾ったりする、薬がないので仕方ない。しかし戴陽はそれを嫌った。
「老木が枯れても新芽が育っていれば後は大丈夫さ」
 しかし日林上人は献身の看病の中に戴陽老人の愛情と責任感と人間性を知った。
「戴陽さんは生死に飄々とした方だと思っていた」
「なに自分はそれでいいが子どもとなると大切だ、芝居で見る親子の別れや子を斬って忠義などということが今になって判りました、とんだふつつか者だね」
 幸い大きな痘痕跡も残さず景三郎は回復した。それからも1ヶ月は寺小屋に出られなかった。もっと幸いなことに郷に疱瘡は流行らなかった。

出仕

 三郎助は少年の将来と日本の未来をゴチャマゼのようにして話した。ともかく明瞭なのは自分の許で修業させる、身分は小者だが自分の子ども同然に学問をさせ従兄弟の岡田井蔵にも兄弟の扱いをさせるということだ。
 しかし戴陽は複雑な思いだった。これまで少年が育ったのは本瀧寺の日林上人と玄七とヤエのおかげだ、自分などは親としての働きはまったくしていない。寺のすぐ下に住むテラウチの玄七とヤエの老夫婦が上人の食事の世話をし、そこにころがりこんだ居候2人の面倒も見てくれている。浦賀の肥前屋も律儀に米と味噌、醤油や干し魚を届けてくれる。なによりも酒がありがたい、これが終の住まいだと戴陽は思っている。そして何より気がかりな景三郎を中島三郎助が引き取ってくれるという。ならば武士に戻り大田を名乗ることになるのか、しかし、お百姓の暮らしも日林上人の跡継ぎもさせたくない、といって奉行所役人もあまり気の利いた仕事とは思えない。
 沈思黙考、思い切って日林上人と布川勇四郎を招いて相談した。
戴陽の迷っている顔はめったに見ない、日林上人は可笑しくなった。
「お釈迦様がせっかく垂らしてくれた蜘蛛の糸だ、つかまるのが上分別だろうな」
 日林上人はのんびりと言う。府川勇四郎もまるで意に介せずのんびりと言う。
「戴陽先生は御家人だったという、私の親父は旗本だがまるで無為徒食さ、気のきかないのはご同様ですね」
 玄七とヤエは喜んでいる。
「いずれ立派になった姿を見たいものだね」
「二本差せば天下御免だ、うまいものが食べ放題になるべぇ」
 戴陽老人はせめてもの負け惜しみに江戸っ子の憎まれ口をたたいてみせる。
「おいらは風に吹かれるままのヒョウタンさ、瓢箪から駒が出れば立派なもんだ」
 それまでの戴陽老人は瓢箪も駒もどうでもいい世界にいたのだったが、この郷に来てからは瓢箪の味わいを楽しむようになった。
「おいらもいよいよ芭蕉だね」

「戴陽さんって誰だかまだ聞いていないよ」
「景三郎の義理の父だよ」
「長柄の人なの」
「おっと手抜かり、こちらを先に話しておかなければなりませんでしたね」

 少し前のことになる。景三郎の義父となった大田戴陽老人は俳句の宗匠として浦賀の文人に親しまれていた。豪商や奉行所の役人とも親しく交際しており中島三郎助もその一人だ。
「えっ鳥居が浦賀に巡見だって、おいらは御免だよ、あんな奴とひょっこり顔でも合わせたら何をされるかわらない」
 戴陽老人は鳥居耀蔵を怖れており、また心底嫌っている。水野越前守の手先になって天保改革を推進し蛮社の獄を引き起こして日本中の人から恐れられ憎まれた人だ。老人はすぐに別れの会を開いた。もちろん餞別を当てにしてだが、そんなことは招待された者はみんな知っている。
「どこに行きなさる、子連れで」
「舟に乗ればどこかに着こうさ、ちょうど浦賀に来たときのようにな」
「まったくあの時は驚きました。まるで吉原帰りのように手ぬぐいでちょっと顔を隠しの雪駄をつっかけ、おい肥前屋さんとね」
 安政二年十月二日夜中、地震が起きた。江戸城はくずれおち町は焼け野原となり、田んぼや畑が沼や砂地になってしまった。
 一目散に逃げ帰ってきた江戸通いの押送り舟の水主たちは目玉を真ん丸にして誰彼なく同じ話をした。酒を飲み終わって布団にもぐりこんだ時、激しく揺れた。とたんに津波の恐怖にかられて一同は舟に乗りこみ必死に漕いだ。少しも早く港を出て津波を広い海でやりすごそうとしたのだが、幸い津波は来なかった。それで、ようやく落ち着いて陸を見ると江戸の町は炎に包まれている。そこにひょっこりと子連れの戴陽が乗り込んできたというわけだ。
 肥前屋は浦賀の回船問屋で一座の金主格になっている。すぐに幇間の喜八が続ける。
「旦那のお供をしていた私も困りました、おい喜八、お預け物だよ迷子を授かった命の親さおいらの息子にするよ。拝見すると、なんと良いお子ども衆じゃござんせんか」
「しかし浦賀は文人墨客の地だから、私たちも大歓迎だったね、かの太田南畝先生の…」
 中島三郎助は奉行所与力だが木鶏という号を持つ文人だ。
「なに、おいらは木の股から生まれたのさ」
 戴陽が祖父の話を嫌がるのを知っている喜八がすぐに座を取り持った。
「いや木鶏先生、戴陽老人のご出生は秘密秘密、かの天一坊にもひけを取らぬ豪儀なものでさ、それでどこに借宅を」
「どこがいいかね、人の来ない静かな所は」
「あります、墓場、生きている人は来ない」
「喜八、お前は無駄口が多いよ。さてどこがいいか、ご時勢ですから街道筋は朝夜人が往来しています」
 肥前屋の言葉に中島三郎助が膝を叩いた。
「そうか寺がいい、私の懇意な寺は清浄寺だが、あそこはお念仏だ、戴陽先生の宗旨はなんでしたっけ」
「おいらは神にも仏にもご無沙汰だが家代々は法華さ、けど女房濡衣の看経はお釈迦だぜ」
 こういう洒落は戴陽ならでは、本朝二十四孝という芝居と親不孝と不信心とまぜあわせた江戸好みの洒落だ、皆はこういう会話を楽しんでいる。
「日蓮さんのお寺ですか、なら手代に調べさせましょう」
 つっと書付を作って仲居に渡した。
「それにしても肥前屋さんは良くしてくださる」
「いやいや、先代が大坂で世話になり私が長崎で世話になり、肥前屋の礎は蜀山先生のおかげです。足を向けては寝られない」
 蜀山と呼ばれた戴陽の祖父は大坂の銀座に勤め、その後長崎奉行所に勤めた役人だ。
「尻を向ければお尻あいだね、酒が進んでおりませんぜ。ところでお子ども衆は」
 喜八は幇間という仕事柄、気配りをする。
「先ほどから井蔵が相手をしております。同じ年だから気が合うようだ」
 中島三郎助が頬をゆるめる、戴陽も子どものことになると目じりが下がる。
「お孫さんは4才のいたずら盛り、岡田氏は父の弟で、井蔵は次男だから私のいとこになるのかな」
 中島三郎助は少しうらやましそうだ。自分も子ども好きだが顔が鋭く怖く見えるので皆が逃げてしまうという。しかし肥前屋は少し緊張して黙り、戴陽の顔を見ないように下を向いた。
「景三郎は我が子同然、こんな時だから事情を申し上げておきやしょう酒席の座興だ、おいらの親父や祖父のこともね。けど愁嘆場だから酒が水っぽくなるよ」
 戴陽の本名は大田鎌太郎、当年40才、御家人の隠居だ、蛮社の獄と江戸の大火を避けて浦賀に来た。祖父の直次郎は南畝とも蜀山人とも四方赤良とも山手馬鹿人とも当時の日本で一番名の知れた文化人だった。しかし寛政改革で一切の虚名を捨て幕府の登用試験を受けて首席で合格した。以後は真面目な御家人として大坂銅座や長崎奉行所にも出張するなど出世した。嫡子定吉は心を病み、家督は孫の鎌太郎が継いだ。それから16年、蛮社の獄に多少のかかわりを持つのが不安で隠居した。江戸の大火に巻き込まれ逃げまどう中で迷子の男の子を助けた。
「ふっと河岸を見ると舟が出ようとしているじゃないか。後先かまわず乗り込んで翌朝は浦賀だ、はてさてどうしようかと思っていたら天道見放さず肥前屋さんに会ったのさ」
 知り合いに頼んで迷子の親を探したが見つからない、親兄弟は焼け死んだのかと思って義理の息子になってもらった。
「長男正吉は3才で死んだ、次男雄之丞に家督を渡したからこの子は三男になるよ。ケイという字が着物に縫い付けてあったから景三郎さ、以後もごひいきに願いたいね」
 手代が走りこんできて肥前屋に耳打ちした。
「そうかい早かったね、商人は早いが一番だ。戴陽先生、ご逗留先が決まりましたぜ。清浄寺を山一つ越えた長柄の本瀧寺、こちらの日林上人はなかなかの人物だそうです。寺の北側には無人の堂があるそうだ、カシャボというが昔は柏坊とでもいったのでしょう」
 中島三郎助が驚いて言った。
「肥前屋さんの神通力には恐れ入った」
「商売はきめ細かく、あそこは私の取引先ですよ。薪を買い取って暮らし向きの品を売る、名主の庄右衛門さんが金主だ、日頃から土地の話をよく聞いております」
「それでは異国のことも分っておられるだろう」
「なんでも清国は大変なことになっているようです。我が国も心配です」
「その敵はどこか」
「アメリカではなくイギリスだそうで」
「ああサラセン号か、四海波高くなったな」
「それは奉行所のお仕事です」
「与力となれば先頭立って敵と戦う、イギリスであろうとロシアであろうとな、幕府に背く不忠の者ども」
 戴陽が笑いながらたしなめた。
「中島さん、若さはいいが若気はやめた方がいいぜ。幕府ったって豊臣を滅ぼして我が物にした天下だ、回り持ちさね」
「代々、徳川の禄を頂いております、一朝事あれば先陣をいたす、忠といい孝という」
「おっとお待ちな、幕府ったって鳥居や水野が私のものにしているんだ、将軍の側に奸臣ありだぜ、命あっての物種さ」
「イギリス軍艦を止めるのはここ浦賀しかできませんぞ」
「おいらは高みの見物をさせてもらうよ。御家人の扶持が30俵、食うや食わずで戦さはできない」
 あわてて喜八が立ち上がった。
「さてさて余興に虎踊り、姐さんお三味を頼みます、あらよっと」
 乁千里走るような藪の中を皆さんごろうじませ 金の鉢巻たすきで和藤内が捕えたケダモノは
「手前がお相手いたします」
 さっきの手代がまだ座に残っていたのだ。
乁トラトラトラトラ
ついたての陰から虎か和藤内かお婆さんがその格好をしながら現れる。 
「なんと虎かいな、私は婆さん、こりゃ負けた、もう一番、トラトラトラトラ」

「私、見たいテレビがあるの。ペリーはまたにしてくださいますか」
「私もビールが飲みたくなったよ、では後日ということに」

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