「提督には言葉はかけられないよ」
 ハイネはため息をついて副官のベントに話しかけた。二人は通常勤務中は終業前に短いミーティングを持つことを日課にしている。
 ペリーは軍律厳しい海軍軍人、愛国者で宣教師とも見まがうピューリタン、常にいかめしい顔をしている。生真面目で論理的で正義の体現者、司令官としては絶対の権限を持っていて部下を絞首刑にすることもできるのだ、そんな神のごとき人に笑いかけたり冗談を言ったりすることができるはずがない。
 ハイネはドイツ生まれの精密画家としてまだ若いのに高い評価を得ていた。中央アメリカの放浪の旅から帰ったばかりで新たな冒険を求めて日本への航海に志願した。幸いペリーに認められ写真家のブラウンらとともに下士官待遇で遠征隊に乗務した。ハイネの仕事は遠征の途中の様々な場面を精密画に記録することだ。ペリーは日本遠征の一部始終をアメリカ市民に伝えることを義務づけられていた。だからハイネは自由に行動することができ艦内の仕事も一切免除されていた。
 提督は報告を受けるが命令はしない、航海にはかかわらないどころかできるだけ目立たないように室内にいる。ペリーも艦長だった頃に大変な気苦労をしたのを忘れていない。艦長リー中佐も副長モーリー少佐も多忙で、次の次の次の行動まで考えておかなければならない、とても話のできる相手ではない。 ハイネの話し相手は提督の副官ベント大尉、参謀長アダムス中佐と通訳のウィリアムズで、この3人には冗談が言えた。   
太鼓の音が轟くと起床、水兵は手早くハンモックを畳み甲板磨きに飛び出していく。再び太鼓が鳴り酒の配布、ラムを水で薄めたグロッグが柄杓一杯ずつ与えられる。続いて固いビスケットとお茶かコーヒーの朝食、正午になると塩漬け肉とスープ、壊血病予防のためのシロップ、これが昼食だ。午後4時には同じような夕食、9時に消灯、航海中は決まりきった毎日が続く。
 しかし、嵐になるとそうはいかない。舵取りの三角帆以外は全部の帆が降ろされ船は風と波の支配下となる。ボートも大砲も波につかみとられ、作業をする水兵は体力と気力を尽くして波と風から身を守る。何時間も何日も激しい日が続いた後で突然、嵐は去り青空と陽光が戻る。何事もなかったように水兵は作業をして傷ついた船を修繕する。
 ベントからは航海の予定を聞くこともできたが他言は厳禁だった。それでなくとも水兵たちは航海の目的と行き先と到着日を知りたがる。
 艦隊は5月27日琉球に着いた。世界中に知られている王国だ。40年も前にイギリス軍艦が上陸し、フランス人宣教師とイギリス人宣教師が滞在している。4年前には香港在住の主教スミスまで来訪した。
「提督がどう対応するか楽しみだな。いわば本番前の予行練習だろ」
 ハイネが聞くとベントはすぐ答えた。
「プランは決まっているのさ、交易の利と大砲だよ」
「飴と鞭か」
「そうとも、ここは西部の沖合いだよ」
 アメリカ人は西部をピストルと鉄道で開拓した、ゴールドラッシュだ。しかしカリフォルニアまで来て海にぶつかった。フロンティア魂は太平洋の荒波など物ともしない。海の向こうにも黄金の国があるとマルコ・ポーロが言っているではないか。事実、200年前にスペインはその国から金銀を運び出し莫大な利益を得た。以後、その国は鎖国を続けているから金銀はまだたっぷり残っているだろう。鉄道とピストルの代わりに軍艦と大砲がある。それ行け、ヨーロッパに遅れてはならない、そうアメリカ人は叫んでいた。
「提督は贈り物を嫌う、こちらのプレゼントと見合う物を交換するならよい。水兵も物を奪うことはもちろん貰うことも厳禁する、しかし互いに納得して交換するならいい。これはまさにピューリタン的な発想だな」
「カトリックは奪うだけ奪い、それに見合うものは与えないという主義だったからな」
 琉球王国の代表団がサスケハナ号を訪れた。すかさず大砲が火を吹き17発の礼砲を轟かせた。代表団は腰を抜かした。早速、大砲は威力を発揮した。
 提督は奥地探索を命じた。ハイネは従軍牧師、軍医、書記が護衛の水兵2人とともに出発した。港を出たとたんに王国の監視がついた、若者2人と老人がぴったりと尾行する、相手も油断はしていない。6日間の探検だったがベントはうらやましくて話を聞きたがった。
「水田は多毛作だ、見事なライステラス棚田が作られている」
「ではここも米を食うアジアの一画なのだな。この前もらった贈り物は芋だったが」
「牛は少ない、豚は驚くほど多い」
「では贈り物の2頭の牛は貴重品だったんだ。要塞はどうだった」
「壮大な廃墟だ」
「何を食べたのか」
「鶏肉、卵、胡瓜、南瓜、タマネギ、メロン、撃ちとめた鳩も食べた」
「船では食えないご馳走だ」
 探検隊が帰って2日目に提督は公式訪問を行った。海兵隊が威儀を正し星条旗がはためかせサスケハナ号の軍楽隊に続いて砲兵隊がゴロゴロと大砲を引いていく。提督はじめ士官たち一行が王宮に入城すると続いてミシシッピ号の軍楽隊も行進曲を演奏しながら行進する。王国側は城外の接待所で会談したいと懇望したが、海兵隊が歌う愛国歌ヘイル・コロンビアの大合唱に威圧されてあきらめた。しかし王宮は久しく使われていない様子だったので、無理を通した一同は王宮側の苦衷を察して多少は気の毒になった。しかし接見には王と王妃とも現れなかった。
 挨拶が交換され贈り物が渡されるとすぐに宴会になった。一行は初めて使う箸にとまどったがハイネは上手に使いこなすことができておおいに自慢した。
 テーブルに乗り切れないほどの料理と酒が出た、一番美味だったのは犬の肉だ。本当に犬なのか提督が疑問を持ったのでハイネはすかさずスケッチブックに犬と牛と豚と鶏の絵を描いた。給仕の人差し指はしっかりと犬に向けられていた。その一切をハイネは描きとめた。
 王宮から帰るとすぐに艦隊は出航した。王と王妃に会えないのなら用はない。
 1週間の航海後に小笠原諸島に到着した。ここも各国の捕鯨船にはお馴染みの島だ。20年も前からイギリス・アメリカ・ハワイ人たちが入植して商船や捕鯨船に水と食料や薪を供給している。サツマイモやカボチャが実り野豚や山羊・海亀が捕れる豊かな島だ。
 順風3日の航海で琉球に戻り契約していたイギリス船から石炭を補給した。
 ハイネたちはまた上陸を許可された。現地の小舟が送迎してくれる。今度は同行した写真家ブラウンが活躍した。写真は人々を驚かせ笑わせたが警戒心を解くことはできなかった。ブラウンはハイネと同世代の若者で同じように細密画を得意としたが、いち早く銀板写真に習熟していた。
「俺は君より絵がうまくない、だから今度は写真家として参加した。写真は動きを写し取るが色がついていない。絵の方が優れているのを俺はよく承知している。互いに助け合って航海の記録を残しアメリカ人をびっくりさせてやろうじゃないか」
 そう言ってハイネの手を握りしめた。ハイネもすっかり打ち解けて二人は親友になった。
 琉球の港には日本の船がたくさん入ってくる。一行が滞在した8日の間に20隻近くが入港した。
「日本の船は平底だが頑丈な造りだ」
 もうブラウンは重い銀板写真機を構えて準備している。
「順風を受ける時だけ航海する。積み荷100トン追い風で8ノットは出すらしい」
 ハイネはベントから聞いていた話をする。
 日本船から漕ぎだした小舟が桟橋に着いた。従者を連れた男がこちらへ向かってくる。
「あれが日本のサムライか」
 ブラウンが写真を撮ろうとするのをハイネは止めた。
「そうだ、あのカタナはカミソリみたいに鋭い、人を真っ二つに斬り裂くそうだ」
 彼は少しのスキも見せずに近づいてきて、一行がまるで見えないように通り過ぎた。海の匂いをまったく感じない盛装をしている、その偉そうな態度は提督とまったく同じだ。
 しかし小舟の水夫たちは友好的だった。日陰を譲ってくれて茶を差し出し、さらに隠していた酒も取り出した。煙草をふかしながら好奇心一杯の、しかし温かい目でこちらを観察している。世界中どこの港にもいる水夫たちだった。
 グスクという古城の跡は王国が血にまみれた古い歴史を持つことの証拠だ。しかし艦隊も宣教師も捕鯨船も寄航するだけなら平和な島だった。王国もまた清朝と薩摩の間をうまく取り持てば血を流さないですむ。しかし王国の文化が華やかなだけに農民たちは過酷な税金に苦しんでいるだろう、二人はそんなことも見過ごさなかった。
 ハイネは一休みのうちにもすばやくスケッチをした。
「あのサムライはプライドが高そうだからあっさりと俺たちに屈することはないだろう。4隻ばかりの艦隊では圧倒することなどできまい。交渉はなかなか難しそうだ、といってオランダ人がやってきたような卑屈な真似などごめんこうむりたいな」
 ブラウンも小声で話した。
「では切り札はなんだ、やはり飴と鞭か」
「ベントから聞いた、正義と進歩、改革さ。ペリー親父はアメリカ海軍を蒸気船艦隊につくりあげた実績がある。艦砲を改良して戦術を変え、それに相応しい士官を育てるために教育方法を改革した人だそうだ」
「それは俺も聞いている、アダムス参謀長もその同志だったそうだ」
 ハイネはさらに小さい声で言った。
「今回はアメリカの全権公使だ。古い体制と因習を一掃し、世界的スタンダードに合った国に改革する、それが提督の正義だろう」
「日本が応じるのか?」
「艦隊と大砲は日本にとって必需品だ、我が艦隊はその見本だ、彼らはすぐ気づく。あのカタナを見たろう日本人は武器が好きだ。アメリカの掟は銃を持たない相手を撃たないことだ。しかし日本が艦隊と大砲を持った時にはパートナーになるか敵になるか、どちらか分らない」
 ブラウンも同意した。
「日本があっさり開国するかな、ミカドとかクボウとかダイミョウとか日本の統治体制は複雑らしいぞ」
「進歩的な役人は鎖国時代が終わったと思っているようだ。昔はスペインのカトリックがこの国の脅威だったからプロテスタントは好意を持たれた、武士気質にも合っていたのだろう。たぶんヤンキー気質も武士に合うと思うよ」
 ハイネは皮肉な口調で言った、ドイツ系なのでアングロサクソンには微妙な感情を持っている、ブラウンも同じだ。
「イギリスもフランスもロシアも手を出している、早いもの勝ちだ。提督は早撃ちだよ、殺気を見せるだけで弱い相手は引き下がる。強腰で行くのが一番さ、提督は顔でも勝負できるよ、にらまれると俺たちだって腰が引けるからな」
 7月2日、艦隊は日本に向けて出航した。旗艦はサスケハナ号、帆走するサラトガ号を曳航し、ミシシッピ号は同じくプリマス号を曳航する。本当はもう少し多くの軍艦を引き連れるはずなのに事情でこれだけになったのがペリーはひどく不満だった。
 7月8日の夜明けに江戸湾に入った。全砲に実弾を込め戦闘配置についた。富士山を真横に見ながら湾に進入していく。漁舟が数を増していき、大胆な舟が艦隊の横腹を通り過ぎて行った。一発、海岸の砲台が白煙を上げたが弾は飛んでこなかった、通報の合図らしい。岸辺まで3キロになった。艦隊は舷側を陸に向け片舷斉射ができる隊形になった。中型船が漕ぎ寄って乗船を求めた。乗艦した役人の身分が低そうなのでコンティ大尉が対応した。まず周辺の舟を全部、港に戻すよう要求した。それはすぐに実行された。
 ハイネが克明に観察しているとベントが笑いながら声をかけた。
「どこの国でも人相というのは地位を現すものだな」
「今日、乗船してきたのは士官程度の役人だね、ナカジマと名乗ったが目が吊りあがって頬骨が出た典型的な日本人だ」
「さすが提督は目が高いな、中佐を出さずに大尉に任せたのは賢明だった」
「あの男は艦内をキョロキョロ観察していたよ、技術者かもしれない。諜報員というほど人相が悪くない、表情に活気があったよ」
「スケッチを描いたかい、提督に見せてやろうや」
 翌早朝、別の役人が乗艦してきた。前より身分が高そうなのでアダムス中佐が対応した。江戸からの返事がくるまでに4日かかるので待ってほしい、それなら7月12日まで待機すると取り決めた。日没になると狼煙が上がり岸辺は松明の火で縁取られた。午後9時、サスケハナ号が終業の号砲一発を撃ち僚艦がそれに応じると岸辺の松明は激しく揺れ動きやがて消えた。
 今晩も終業前にベントがやってきた。
「今日の役人はカヤマという名だ、昨日に較べて身分が高そうだ、行儀正しく上品だ、スケッチしても気持ちよいだろう」
「着ている物も上等だったよ。それにしても日本人はヒゲを生やさぬようだね。だから感情を全く隠せないんだ」
「それにしても日本の防備は17世紀から進歩していないな。あんな浜沿いに武器を並べたら艦砲射撃で一掃されるぞ」
「たぶん戦闘が刀の切りあいだったからだろう。小舟の水夫は敏捷だから何百隻も囲んで切り込んできたらかなりの被害が出るだろう」
「衆寡敵せずか、蒸気船なら自由自在に動けるからいいが帆船だと少し厳しい戦いになりそうだ」
 7月14日に会見が行われることになった。その場所は浦賀ではなく久里浜だ、そこに会場を用意したとカヤマが申し出た。
 10時少し前に提督は出発した。15隻のボートに400名の水兵が乗り込んでいる、琉球よりもはるかに武張ったものになった。迎える側も入り江に150隻の舟を並べ、3キロに及ぶ陣幕を張っている。しかしせっかく並べた大砲は古い青銅砲ばかりなので水兵でさえ失笑した。
 カヤマが先に立ち提督を会見場に導いた。入り口で彼はひれ伏した、おや、こちらも高官ではなかったのか。本当の浦賀奉行はまったく違う服装と冠で座っている、こうしてトダ伊豆守とイド石見守がペリーに会った。両奉行は信任状を披露して身分を示し、提督も信任状と国書を手渡した。
「我々は来春またここに帰って来る」
 ペリーは尊大に胸を張った。もっと強力な艦隊を率いてくる、これからの交渉が順調に進むことを望んでいる、通訳の言葉に奉行は仰天した。
会見が終わるとカヤマと数人の役人が行列とともにサスケハナ号に乗船した。ペリーは一同に艦内を見学させた。
「まったく驚いた、親父は大砲だけでなく艦の蒸気機関まで見せろと言うのだ」
 ベントが目を丸くしてハイネに言う。軍艦の心臓部分だ。
「そうしたら彼らが質問するんだ、アメリカはもうメキシコを征服したのか、大陸横断鉄道は完成したのか、これには驚いた、なんでそんなことを知っているのか。地球儀を見て世界の国名や首都まで正確に指さすのだ、これはあなどれないぞ」
「どこから知識を得るのだろうか」
「分からん、しかし親父は承知していたのだろうな、だから艦内をすみずみまで見せたんだ」
 艦隊は琉球に戻り香港からマカオに移動して翌年2月に再度、日本を訪れた。富士山は真っ白に雪で覆われていた。カヤマが迎えてくれた。交渉は横浜で行われた。浦賀で行いたいという要望を再三、ペリーが拒否したためである。
 3月8日 斉列砲射の準備ができた8隻の軍艦から、軍楽隊を先頭に600名の軍人がボートに乗って上陸した。応接所で全権委員が交渉している間に随員には茶と菓子と酒が振る舞われた。交渉は長引いた。
 2日目にはアメリカの贈り物が用意された。鉄道模型と線路、農機具、銃、消防器具、布など豪華な物ばかりだった。ペリーは用意周到だった。
 2月中に交渉は終わった。ペリーは下田を経由して箱館に向かい開港予定地を視察した。そして再び下田と琉球に寄って香港に戻った。遠征は終わりペリーはベント副官とともにスエズからヨーロッパを通りアメリカに帰った。ハイネは引き続きミシシッピ号に乗って下田を経由しアメリカに帰った。