ペリー来航の水野忠邦が復帰して天保の改革が進んできた頃だ。
戴陽が本堂で句作に余念がない、というよりも居眠りしていると人影が立った。
「鍬形蕙斎でございます」
「どなただと、くわがたけいさい」
「さよう画師でございます」
「冗談いっちゃあいけねぇ、とっくに亡くなった方だよ、閻魔様のお使いかい」
「それはまだ早ぇえや、おいら二代目です」
「なんだい息子さんかい。びっくりさせるね、さあ入ってくんねぇ」
「寺の本堂かい、風流吹き通しだね、表裏がない正直者だ」
「なつかしいね、お前さんの父親とおいらの祖父さんとは親しかった、畳屋の三公こと北尾政美、鍬形蕙斎殿、その名を子息がご襲名とは、さて心強い世の中じゃのう」
「芝居がかりだね、肥前屋さんがここにご鎮座だと教えてくれたからついでのご参詣さ」
言葉は若いが二人とも還暦はすぎたという老人だ。
「浦賀に御用かい」
「評判のペリーさ、版元が描いてこいとのお達しだ、役者画よりは売れそうだ、お尋ね者の人相書きだよ。中島三郎助さんに思い出してもらって描きやした」
「見たいものだね」
「お目にかけやしょう」
さらさらと包みをほどくと鬼か天狗かというご面相のペリーが現れた。
ふーんという声が聞こえた。
「こりゃすごい、そのまま芝居の荒事だ、だが色っぽくないのう」
いつのまにか日林上人が座っている。
「当寺の住職さ、粋人到来と見極めて参上しました。あなたが江戸の婦女子を散々たぶらかしている浮世絵師だね、なるほどそういう顔相だ、南無妙法蓮華経。まずは渋茶でご相伴さ。それにしても当今、歌麿や清長の美人たちは姿を消してしまいましたのう」
老人は遠慮せずに茶を啜っている。
「このごろ流行るのはこんな絵でしょう、世情が物騒だからさ。みんな際物で絵師も彫師も大変だろうね。事件の翌日には売り出すんだからさ。上人もご法談に取り入れたらどうかね」
絵師も茶碗を口に運んだ。
「なにしろ次々に災厄が襲ってくるから多忙です。誰かが工夫して新図柄を出すと、我も我もと同じ趣向でだしてくる。もとより絵師には同門もあれば弟子筋もあるからとがめだてはできないから、ご趣向結構と賞賛して素早く刷りだすのさ」
絵師は上人に笑顔を向けた。
「あの地震の絵は気味悪かったの、説教の中で絵解きをしようかと思ったほどじゃ」
地震を起こすというナマズを若い衆が抑えている、後ろには幽霊が集まっている。刀を抜きかけた武士、棒を振り上げる職人、恨めしそうに指差す老婆、背負った子どもに話しかけている母親、どれも青ざめた顔をして足がない。
「家族、友人を亡くした人には辛いものさ。世間の人は追善供養のつもりで買っているようだね」
絵師も老人も上人もまるで他人事の顔をしている。
「ハシカの絵もきついものだ、趣向が重ならないよう苦労しやした」
はしかが流行して損をした人が得した人に殴りかかっている。医者、薬屋、石屋が儲けた側で、芸者、遊女、若い衆が被害者だ。感染を恐れて誰も遊びに来ない。
たぶん上人も儲けた側に登場するのだろう。
「お客衆の目をひくのが絵師の腕だよ、ご本人から苦情はこねぇや」
老人が茶々を入れる。
「美人も役者もきれいに描く異国人は化け物にする、それが絵師の飯の種かい」
「まあその腕ではじき出した御酒一杯、献上いたしましょう。ご時勢だからどんな注文がくるか分からないから近頃のご朋友は蘭学者たちさ」
絵師が徳利を出すと上人はニコニコと受け取った。
「早々にうかがいますが、若い人かね」
老人は詮索好きだ。
「箕作文蔵秋坪さん、宇田川興斎さん気鋭な皆さんだよ。それにしてもここは静かだね、山をまたげば富士と江ノ島にご遥拝だよ。南画の谷文晁先生が昔この近辺を描きなすったのはすばらしい絵だがさすがに潮風は描けないや」
老人は自分が褒められたように陽気になった。
「気が晴々するよ、浦賀はせわしない、諸国商人が入れ込むし、異国船騒ぎで隠密、見回り同心も目を光らせているし、知った顔には会いたくないからさ」
自分が本当に歓迎されているのか不安になって絵師は話題を変え、上人は徳利を持って気楽に立った。
「肥前屋さんは全盛だね」
「おいらの祖父が大坂銅座勤めのときに知り合って多少の便宜、長崎奉行所勤めの頃にはおおいに便宜でその積善の余慶がおいらに回ってきたらしいよ」
「さっさと息子に家督を譲って城明け渡し、浦賀で隠居などはとんだ一幕物だね」
「一条大蔵卿は作り阿呆だが、おいらはウソも隠れもない阿呆だよ」
「粋なもんだね…ふと思いついたのだが居候を預かってはくれまいか」
「お前さんをかい、余生は寺で法華経を、よせぃよせぃと言っているよ」
「嫌な洒落さ、実は懇意のお旗本の四男だ、体が弱くて労咳の気味、医者に転地を勧められておいらにもご相談さ、武芸学問そこそこでお道楽はまだしていない」
「お前さんに頼むくらいだから幕閣でご出世という向きではないね」
「お祖父様のように学問吟味で首席という名誉の人ではないよ」
老人の顔色が変わったのを察して絵師は大きく笑い出した。
「いやこれはしくじり、寺の居候に居候を頼むのは屋上に屋さ」
庫裏から上人が徳利を提げつまみを載せた盆を持って砂利を踏みながら本堂に戻ってきた。
「早速に燗をしてまいった。お酒飲む人花ならつぼみ、今日もさけさけ、などと言いますぞ。酔生夢死は望むところ、」
「次の方ご焼香をという声音だね、いかがでござんしょうかね、若い人を引き取ってくれますか」
「安心して連れていらっしゃい、と言いたいところだが見ての通りにいたって手狭さ、そこでどうだろう由緒正しい元は尼寺、福厳寺というのが懇意だがどうだろうかな」
「郷の風儀を悪かぁしませんか」
老人がちょっと心配する。
「なにいたっておくての若様育ちだよ」
絵師の保証は心もとない。
「なに今の住職は老いさらばえて木像みたいな爺様さ、小僧が一人いるだけだ」
それで安心したと皆が笑った。さすが酒飲み住持なので燗がほどよい。
老人も絵師も積もる話がある、これから語り明かしましょうと張り切った。
「恋川春町さんの黄表紙は親父の専売さ。鸚鵡返文武二道、あれは朋誠堂喜三二の文武二道万石返を二番煎じにしたやつだが趣向が違って面白いってやつだ。ただあれが原因で春町さんは死ななければならなくなった」
寛政改革は明和天明の江戸文化を一掃した。天保改革は化政の文化を一掃しようとして腰くだけになった。
「山東京伝も手鎖だったね、」
「京伝さんの初衣抄はいまだに痛快だよ、業平の千早ふるなんか絶品だよ」
ちはやふる かみよもきかず たつたがわ
からくれないに みずくくるとは
竜田川に紅葉が散って水面は織物のように見える、それを京伝はこう解説した。
吉原全盛の千早太夫にふられ、新造の神代もなびいてくれないので、ついに大関の竜田川は相撲をやめて豆腐屋になった。すると、ある秋の日に落ちぶれはてた千早太夫が通りかかりオカラをくれと言う。断ると絶望した千早は井戸に身を投げて死んだ。
「けれど、とはが残った、とはとは何か問い詰められて、なあに千早の本名さ、そういう洒落が通じなくなったよ」
1ヶ月ほどたってその若侍が庵を訪れた。
「この度、よんどころなくこの地に参上しました布川勇四郎と申します」
「あらましは聞いているよ。ただ、その後に雲行きが少し変わってね、まあ茶を一杯」
とまどう若者に手早く話した。長徳寺の住職百洲千之の寺子屋に手助けしてもらいたいという。
老人が笑いながら言う。
「おいらだってここの本堂で寺子屋をやれないことはないんだが、あいにく学問と聞くと震えが出る病いだから仕方ないや。白羽の矢が貴公だよ。なに習字・往来物、年上になったら論語・ソロバン、もちろん剣術も、それで世のためになる、引き受けてくだされや」
すっかり決まりがついている話に勇四郎は二の句がつげない。本当なら武士に頼める話ではないのだが、そこは御家人の隠居ですれっからしの老人だ、平気でずかずか押し入ってくる。
「拙者は労咳の気がありますが子どもたちと接して大丈夫でしょうか」
気弱でおとなしい勇四郎に老人は大笑いした。
「まるで芝居の若様だね、相手を江戸の子と思われるな、海から獲れたての赤銅色をした子どもたちだ、病気の方が怖れて近づきませんわい」
「なにとぞ、よしなに」
勇四郎は目をパチパチさせて言った。
いつのまにか日林上人が座っていた。
「なるほど江戸の水で洗った男前じゃな郷の娘が放っておくまい。目付の役は戴陽さん…には任せられん、悟りすましているが、ずいぶん浮名を流したそうじゃないか。七つ岩の婆殿にでも見張ってもらおうか」
「おやおや怪談は御免だよ、おいらは臆病で潮騒にも目がさめるくらいなんだから」
「その婆殿というのは誰ですか」
勇四郎が思わず聞いていた。和尚は怖い顔になって話し始めた。
「昔々じゃ、この浜に婆が住んでいて磯の物を採って暮らしていた。ある日、大岩に大タコが寄っているのを見てこっそり足を一本切って持ち帰った。それでやめておけばよかったのにもう一本、とうとう七本切ってしまったときタコが気づいて残った一本足で婆を巻き取って海に沈んでいった」
「よくある昔話さ、その婆が上人の前世なんだろう、酢ダコ良し焼きタコ良し、タコの恨みは数々ござる、そのタコの怨念をはらさんため法華三昧、南無妙法蓮華経」
「無駄を言わっしゃるな、では、よろしくお頼み申しますぞ、南無妙法蓮華経」
勇四郎はあっけにとられた。ここは田舎ではない、浦賀の繁盛は聞いていたがここにも江戸の文化が及んでいるということは分かった。
干鰯問屋 興右衛門 幼名金五郎 壮年より内川新田に閑居して興兵衛を名乗る 雪中庵蓼太に就く、その死後素丸に学ぶ。すこぶる酒を嗜み、没する夜も浄瑠璃を聞きながら喜び、翌朝莞爾と逝く。文化13年没。
深本 江戸屋半五郎 任侠豪勇、奢侈を尽くしたが江戸にて高僧の教誨に服し、娼妓を釈し、家産を売り親戚知者に分与し、一衣一鉢の身と観じて故郷を去り、黒谷で剃髪し深心と名乗り霊場を巡拝する。紀伊で徳本和尚に仕え深本と名を改める。文化6年没。
江戸の文化は日本の隅々まで行き渡った。
本文とは少し違う内容になりました。これもなりゆきです、筆にはタヌキの毛も混じっているそうですから。この4人は正史にはほど遠い人たちです、しかし現代のどこにでもいそうでしょう。