横浜の料理茶屋会春楼の午後、いそいそと喜八が座敷に入り扇子を前に置いて深くお辞儀をした。
「浜口の旦那お久しぶりで」
客は咸臨丸副長として勇名をはせ幕閣に列した浜口英幹だった。
「今日はお役目で横浜へ?」
「もう仕事はうんざりだ、今はご隠居の蕉雪さんだよ。横須賀の上町、中里に住んでおる、通称が花屋敷さ」
「船乗りの方は庭がお好きだと聞きました」
「航海中は丘に憧れて、早く上陸したいと願うもんだ。そのくせ陸にいるとすぐに海が恋しくなる、俺も時々は海風に吹かれたいと思うのだが、その元気も薄れてきたよ。喜八が横浜で幇間をしていると聞いたから表敬訪問さ、一っ時、話し相手になってくれ」
「ペリー以来の賓客到来だね、さっそく御酒の手配を」
「すまぬが断酒だ」
「おや驚いた、禁酒でなく断酒とは、ご信心ですか」
「隠遁の志、断酒(男子)の本懐さ」
「世の中嫌になって酒に溺れる方は多うござんすよ、それが旦那は聖人の道ですか敬服敬服、次にお目にかかった時は鯨腹鯨飲ではござんすまいね」
「貴様はあいかわらずで結構だな」
「旦那が断酒ならばあっしも灘を宇治に替えてお座敷を務めましょう。茶飲まれたら嫌だと言わない江戸っ子だ、先祖助六も茶飲まれての刀の詮議とは悪い洒落だね。そうそう助六は旦那の方だね」
「知っての通り俺は八丈島さ」
「知ってますよ、ご先祖は大田道灌、江戸の草分けさ、元祖江戸っ子。それなら、あっしは八丈島には縁の深い朝比奈のナマズ坊主の役柄でお座敷を務めましょう」
浜口の先祖太田道寿は徳川綱吉の典医 だったが罰を受け八丈島に流罪になった。朝比奈三郎は鎌倉時代の勇士で島を征服したという。お芝居では長いヒゲを垂らしてナマズ坊主と呼ばれている。
「ではお茶受けに昔話をいたしましょう」
奉行所がなくなって船改めもない、浦賀がすっかりさびれちまうわけさ。ご贔屓くださった中島の旦那も春山さんも死んじまったし、外国奉行になった合原さんも湯島に引きこもって晴耕雨読だってさ。そういえば同じ外国奉行だった栗本瀬兵衛さん、新政府に出仕して出世街道と思っていたら、やっぱり隠遁です、我の強い偉がり屋だと思っていたら案外のきれいな引き際だね。まだ頑張って仕事で浦賀に尽くそうとしているのは荒井郁之助さんだが、相手は渋沢栄一だから苦戦しているようですよ。あっしがまだマゲを切らずに残しているのは、そういう方への義理だてでやす。気が良くて口の悪い方々だから、あっしの散切り頭なんか見たら何と言われるかわかりやせん、それこそナマズ坊主だ。
あっしの暮らしは新政府になったって変わりません。ただ客筋は変わりやした、今は官員さんだね、浦賀がさびれても横浜は好景気だ、異国人のお相手をすることもありやす。えっ、明治の御世に幇間が続くかって?浜の真砂と同じで種の尽きない花柳界でさ、かえって昔ながらの芸を喜んでくれたりする、金が天下の回り物ってのと同じでさ。ただ洒落や粋な会話が通じなくなりやした。
なぜ幕府が崩れてしまったのか、もちろんあっしなりに考えておりますよ。口はばったいが中島三郎助様に直言もしてみました。
「三郎助様、世間では女子どもまでがお役人の悪口を言ってやすぜ、なんとかならないものですかね」
「事実だから仕方ないや、おいらも聞いているよ。『世にあうは、左様でござる、ごもっとも、これは格別大事ないこと。世にあわじ、そうでござらぬ、さりながら、これはご無用、先規ないこと』勝さんだって小栗さんだっておいらだって役人仲間からよく陰口を言われてるんだよ」
あっしだって深川をしくじって浦賀に流れてきた苦労人だからそれくらいは分かります。
浜口が笑った。
「貴様の方が昔話を楽しんでいるようだな」
「幇間が黙っていたんじゃ陰気でならねぇ。
そうだ、この前にもやもやしながら横浜を歩いていたらばったり布川勇四郎さんに会いやしたよ。そこは商売柄すばやく近寄って挨拶をしました。おや旦那お久しぶり、お見忘れですか、浦賀の喜八でござんすよ」
「あの奉行所の居候、旗本の布川氏か」
「すっかり老けたご様子です。おお、よく覚えていてくれなた。貴様、暇があるか一杯献じよう、そんなご挨拶でしたから喜んでお供しました。
浦賀から横浜に宿替えしたが客は薩摩や長州の聞いたこともない言葉でしゃべる、まだ異国人の方が気が楽だ。あっしが珍しくグチを言うと、つりこまれて府川さんも身の上話を聞かせてくれました。
長兄は隠居、次兄は安政地震、三兄はコロリ、まさかの四男の自分が家を継いだ。版籍奉還で徳川本家は静岡に移住してしまった。扶持が消えて収入はない、先祖の残してくれたのは墓だけだ。
「おやまた独演会になりそうだ。しかし、浜口の旦那、士農工商と忠義孝行が幕府の土台でしたが、それがすっかり崩れてしまいましたね」
「思えば幕府が握っていたのは江戸だけだったな。もともと京都には士農工商はない、帝と公卿を頂点に、職人と商人は隣同士、そこに諸芸がからんでいるので町人の地位は高いよ。農人は洛外だし武士など野良犬同然だ。大阪は何より商人だ。職人も鼻息が荒いし農民も豊かだ。枠に入らない者がたくさんいるよ、車力馬方牛方船頭。まったく武士は形見が狭かったな」
確かに日本中に武士はたくさんいたよ、役に立たない武士がね、ご先祖様が偉かったから威張らなくてはいけないとばかりご子孫様はそっくりかえっていたが御一新で二本差しの支えがなくなったら仰向けにひっくり返った。昔の大将は先頭に立って敵陣に切り込んで行ったさ、今のお大名は敵も味方も分らない、よきにはからえだ。
もちろん賢い人もいたよ、慶喜将軍とか松平春嶽公とかね。皆が期待したものだったが腰砕けさ。幕臣だって安部正弘や小栗なんて逸材だからばりばりやったがなにしろ足元がぬかるみだ、つまり徒党を組んで足を引っ張る愚物ばかりだから施策は全部、中途半端になってしまったようでさ。
「布川さんは上野の戦争に加わろうとしたそうですよ。おっとり刀で上野に立てこもろうとしたが上野山下には怖いもの見たさの連中が集まって見物しているではないか。弾丸が飛び交い、砲弾が炸裂する中で、握り飯やお稲荷さんが売られ、酒や甘酒を担ぐ商人もいてお祭り騒ぎだ。彰義隊よりずっと人数が多かったようだ。戦いは一進一退、見物連中は大喜びさ。馬鹿らしくなってきたよ、なんておっしゃってね」
浜口も黙っていられなくなった。
「江戸は御家人、諸藩は下士、そんな侍たちが幕末と明治維新の役者だ、狂言作者が勝、西郷、大久保だよ。結局は力のある者が新政府でも活躍し小回りのきかない者は市井に生きるとか隠棲するとか格好をつけて埋もれてしまうのさ」
「さすが浜口様、ご分別だね、ずるずるべったり江戸に残ったお侍様は小商いをやっておりやす。楊枝や鳥かごの小細工、盆栽や鈴虫も風流に見せかけて内職三昧飯の種だ。屋台を引いたり屋敷の塀を壊して出店にしたりさ、でも5銭で仕入れた芋を5つに切ってテンプラにして1銭で売る、油と粉は思いつかないのが安売りの秘訣さ。儲けてはいけないのが子のたまわくさ、論語や剣術の武士気質は抜けませんね」
「泰平の末世という」
「浜口様のご覚悟をうかがいましょう」
「俺の内室ナオは蕨の名主の娘だが将軍家ご一門の溝口家に奉公しておった。それが近頃キリシタンに心を寄せてな、この横須賀に教会を開くなどと言っておる。そして、ご近所の方々に西洋料理やお菓子の作り方を教えるのだそうだ。俺よりもずっと開化が進んでいる」
「では浜口様も」
「いや俺はだめだ。花屋敷の偏屈老人蕉雪がよい」
浜口英幹を見送った後、喜八はたまらなくなって居酒屋に走りこんだ。トロトロと呑んでいるうちに無性に腹がたってきた。
「それにしても中島三郎助さんはなぜ息子衆二人共、道連れにして戦死されたのだろう。 五稜郭はその翌日、降伏したんだってさ。まったく死に損だね、惜しんでも余りある」
今生の別離さ、気にするな。そうつぶやいている中島三郎助の顔が浮かんできた。