拝呈仕候 秋冷弥増候処 先以御堅勝可被成御精勤珍喜不少奉存候
此度春山殿戦死難相成り心痛至 岡田井蔵殿より委細聞届 御母堂様ご家族様に粗略事無様御心配段願申候
五稜郭戦始まらんと成し 山々谷々兵満 海辺軍艦揃而早暁砲声響 武竜子歴戦手慣而平然と指図なす様安心安堵而 三郎助殿日々調練無怠一戦覚悟仕候。私儀大丈夫情居候 土民困窮者救米手立成 人望大得候
蝦夷地冷気甚 中島殿少々発熱ノ気 風邪ニ当故存候 そもじ事何卒油断無候 御心得専一存参候 絵馬殿帯解之祝なれ共残念存候 我ら留守候間 手習いとも致候様頼申候 妻児思はぬ日此無く候共 目下危急存亡国事切迫に付 無余儀北行仕候 帰郷後改めて祝い申候
蝦夷箱館五稜郭ニテ
己巳 美鳥さま参る 景
あわただしく出立して別離を惜しむ暇もありませんでした。あなたのことは深く心にとめております。
箱館のことは岡田井蔵殿からお聞き及びのことと存じます。春山殿は気の毒なことをしました。ここ五稜郭も戦火が迫り山も谷も我が兵で満ちあふれ 海には軍艦が揃って早暁から砲声が響いています 同行のブリュネたちも意気高くさすが仏蘭西国歴戦の勇士と頼もしく見えます。三郎助様も日々調練怠りなく一戦の覚悟をしております。
私も大丈夫の気持ちでいます。先日は土民が困窮しているのを見て救米を配布し大変喜ばれて人望を得ることができました。
蝦夷地は大変に寒いところで中島様も少し発熱して風邪をひかれたようです。あなたも油断されずにくれぐれも御身大切に。絵馬殿の7才の祝いもできず残念至極ですが、私の留守の間に手習いなどをさせてくれるようにお願いします。あなた方のことを思わない日はありませんが今は危急存亡の時で国事が切迫しております、やむなく北行しておりますが、いずれ帰郷しますのでその時に改めて祝い事と積もる話をしたいと思います。
蝦夷箱館五稜郭ニテ
明治2年 ミドリ様参る 景三郎
「ミドリが手習いをしているというのでわざと難しい文章にしていたずらしのかもしれないよ、武竜子か、日林上人にでも読んでもらわなければ難解だろうね」
「なぜ子がネなの?」
「子丑寅だからさ」
「ひどい当て字ね、たぶん日林上人にも読んでもらいたかったのかもよ、いよいよ幕府とと新政府の最後の戦いが始まるからね。景三郎もあわただしかったようね」
「絶対秘密で艦隊は出航したからね」
明治3年3月19日、新政府の東久世総督は神奈川奉行所を裁判所と改め横浜の各公使館を挨拶して回った。次いで4月1日に横須賀製鉄所を訪れ同行した寺島宗則を監督とすることを布告した。寺島が遣欧仲間の松木弘安であることを知って景三郎は驚いた。ウェルニーは6月17日のナポレオン記念日に合わせて歓迎行事を行った。日本人フランス人が共に競馬や綱渡りを楽しみ夜には花火を打ち上げて大宴会を開いた。寺島は景三郎と卓を共にして懐旧を語った。
松木弘安こと寺島陶蔵こと宗則は渡欧使節から帰ってすぐに薩英戦争に巻き込まれた。イギリス艦隊のニール提督は鹿児島に着くと手始めに薩摩の商船2隻を分捕ったが松木弘安と五代才助が船長格で乗船していた。捕えられた2人は密かに火薬庫に導火線を仕掛けて2隻とも燃やしてしまった。薩摩の責任者の大久保一蔵はイギリスと交渉をしようとしたが英語を話す者がいない、そこで清水卯三郎という英語が話せる商人に通詞を頼んだ。ニールは強気に出て交渉は難航したが、ようやく2万5千ポンド、7万両の賠償金で手を打つこととなった。
イギリス艦に拘留している松木と五代をどうするかニールは困った。薩摩に返せば船を失った責任で殺されるだろうし幕府に渡しても命はない。清水は松木と旧知の仲だったので2人を横浜まで連れて行って隠すことにした。2人は水手に変装し密かに艦から降りて武州羽生村の清水の知人にかくまわれた。それから1年間も隠れていたが、薩摩は2人を必要とし、大久保が命の保証をして清水に頼んで連れ戻した。松木は寺島陶蔵と名を変えた、寺島は生家の前に浮かぶ小島の名で松木家の所有地だった。すぐに寺島は薩摩藩イギリス留学生の世話係となって渡英した。
景三郎は相変わらず良い聞き手だった。寺島は敵地に友を見出して心を安らげた。
しかし、とうとう自分の去就を決めなければならない時がきた。
景三郎は福沢諭吉と話したくなった。福沢の塾は鉄砲州にあったが、そこが外国人居留地となったため芝に移転して慶応義塾と名乗っていた。
寺島と会った話をすると福沢はこう言った。
「新政府の役人になったのは本人の柄において商売違いだよ」
福沢の舌鋒は鋭かった。
イギリス皇太子が宮城を訪問したら大騒ぎだ、けがれた夷狄が皇城にくる、不浄を何で祓おうか、水か塩か。ところがこれをアメリカ公使が本国に面白おかしく伝えたからアメリカ中の笑いものだ、俺は泣きたくなったよ。門閥圧制鎖国全部がまちがいだ、勤皇というのもつまりは攘夷なのさ。相変わらず地方の藩は守旧一辺倒だ。分限が大小の箱のように決まっていて身分の低い者は百年たってもさげすまれている。だから、その口惜しさを百姓町人にぶつけて威張るんだ。
ブリュネが榎本釜次郎に賛同していると景三郎が話した。
榎本はなにかと役にたつ人物だよ、でも旗本だから殿様好きだ、いずれ出世するだろうが俺とは一切かかわりない。俺は武士をやめたよ、遣欧から帰って刀を10本売ったら70両も儲かったさ。
福沢は心地よげに酒を飲みながら話を進めた。どうも時流に乗るまいとしてがんばっているようだ。
「国民の独立心がなく昔ながらの奴隷根性でいては一国の独立が保てるはずがない」
底流にはアメリカやヨーロッパで見聞してきた文明の脅威がある。
「塾生が幕府に忠を尽くすために奥州に行きたいという、俺は負けるからよしなさいと忠告したよ。こんな分からない戦争に若い者を出すことはできない、流れ弾に当ったらどうするのだ。新政府の人材だよ、命が大切だ」
福沢は双方に加担せず局外に身を置いている。
福地源一郎に会った、意気盛んだ。
「ロシュ公使はこう言ったよ、タイクンはミカドに委託され権限を行使している統治者にすぎない、昔のフランス王と同じだ。日本を近代国家にするためにはタイクンが皇帝となり日本唯一の政府であることを世界に認めさせなければならない」
ところがパリ万博に薩摩は代表を送り、幕府と薩摩藩は同じ資格だと主張した。幕府はあわてて将軍の弟をパリに派遣したが手遅れだった。ヨーロッパ諸国は日本の政治について考えを改め、特にイギリスは公然と薩長を支援した。
幕府は臨終だったのさ。旗本御家人は弁舌さわやかで行儀も立派だったよ、その剣幕は大変だし威張っているが物事を緻密に考える能力というものがない。今、幕府がつぶれたから千石二千石という大身の旗本たちがこぞって新政府に出仕し朝臣となっている、そんな風潮を八百屋魚屋まで馬鹿にしているよ。反対に小身の者たちは自分の身の振り方に困って考えなしに駿河移住だ、それも無禄だよ、どうやって暮らしていくのだろう、駿河にとってはいい迷惑さ。
新政府の役人たちが威張り始めたよ、美衣美食美邸に住み酒を飲んでは女に戯れる、気品など毛頭ない下等人種だよ。
ブリュネは榎本と行動を共にすることに決めていた。
「シャノワール隊長はこう言った。君は伝習隊の顧問だから観戦武官として蝦夷に行くことができる。他国の戦争を見届けるのは軍にとって大切なことだ、つまり軍事ではなく政治だと。だから俺は蝦夷へ行く。ケイサが一緒に来てくれると心強い」
慶応4年8月19日、8隻の幕府艦隊は品川沖に集結し北を目指した。旗艦は開陽で回天、蟠龍、千代田形が続く。輸送船は神速、長鯨、美賀保、咸臨に合計二千人の士官兵士が乗り込んだ。ブリュネ大尉とカズヌーヴ伍長は若年寄永井尚志や陸軍奉行並松平太郎らと共に開陽丸に乗船し、景三郎も同行した。長鯨丸には岡田井蔵、咸臨丸には春山弁蔵が乗組んでいる。
榎本釜次郎は出航の前に「徳川家臣大挙告文」という宣言を勝麟太郎に渡した。
「王政は天下世論を尽くさず強藩の独見私意 徳川遺臣のために蝦夷開拓 皇国一和」
勝は複雑な思いだった。恭順を拒否する武士たちを北へ向かわせて江戸を戦火から守った、慶喜将軍は命を全うした、大多数の幕臣は駿河に移住する。しかし海軍だけは江戸に止めておきたかった、諸外国が介入することを怖れたからだ。それなのに艦隊は出て行ってしまった。
「とうとう俺も旗艦に乗ったよ」
カズヌーヴは喜びを隠さない、ブリュネも興奮しているようだ。景三郎は微笑ましくなった。
「この先は揺れますよ」
「フランスから日本に来たときも航海は辛かった、それにこんな良い船ではなかったよ」
「故郷に手紙を書くひまがなかったな」
カズヌーヴに言われて景三郎も妻と子に手紙を送っていないのを思い出した。
「仙台の飛脚に頼んで横浜に届ければいいでしょう。横浜のフランス郵便局はきちんと仕事をすると聞いていますよ」
「手紙が先につくか、俺が先に凱旋するか」
カズヌーヴは楽観していたが航海は平穏ではなかった。出航してすぐに銚子沖で暴風雨にあい艦隊は四散した。美賀保は銚子沖で岩礁に乗り上げ大破し、ボイラー故障で帆走していた咸臨丸は風に流された。蟠竜丸が救助に向かった。
しかし暴風雨は恵みももたらした。あれだけ威張り気炎を吐いていた陸軍の将兵がすっかりおとなしくなったのだ。風と波に翻弄され濡れた猫の子のようになった。板子一枚下は地獄という恐怖にうちのめされた将兵を水手たちはあざ笑った、高慢の鼻は張り子だったんだな。
嵐は艦隊を翻弄してすばやく追い越していった、波はまだ高かったが風はおさまり青天が広がった。中島三郎助が船室に様子を見にきた。
「なかなか船酔いには慣れません」
「外に出て風に吹かれろ、水平線を見るんだ、飲めるようなら飲め、食えるようなら食え。フランス人にもそう言ってやれ」
ブリュネたちも倒れたままだ。
「珍客を見つけた、見舞ってやるといい」
思いもよらない名前を聞いて景三郎が驚いているうちに三郎助は軽い足取りでタラップを上がっていった。航海を楽しんでいる…しかし、うらやましいとは思えなかった。
景三郎はすぐに身支度を調えて部屋を飛び出した。
「布川勇四郎殿、探しましたぞ」
船倉を区切った大部屋にぎっしり詰まった武士たちが重なりあって倒れている。悪臭と揺れでほとんど人事不省だ、勇四郎もそうだった。
「お師匠様」
「はあ景三郎か、面目ない」
抱え起こして新鮮な風の通るデッキに運んでいった。顔を洗い口をすすぎようやく話ができるようになった。
「彰義隊で戦ったと聞きましたが」
「恥っさらしさ、逃げ隠れしておった。さび槍一本何かのご奉公と思ったが大砲一発で腰が抜けました」
笑いながら三郎助が熱い茶をもってやってきた。
「おお三郎助殿、敬服します、立派な士官だ」
「鳳凰丸は薩長に取られるし朝陽丸もあちら側だ、おいらもみんな無くしたよ」
「なんのご子息2人がご同行していると」
勇四郎が心配そうに聞いた。
「とんだこった、来るなというのについてきた、徳川の米を食ってきた恩返しの御奉公というがね、おいらはそうたくさんは食ってはいないよ」
「拙者も、ご先祖の分は俺が請け負うといって出てきたのだが、大海でこんな目にあおうとは、嵐の前は良い気分でさ、徳川もミカドもどうにでもなれと思ったんだが」
いかにも江戸っ子らしい見栄と短慮とあきらめのよさに三郎助は笑った。
「相変わらずだね」
「けどね、ご子息は帰しな、これからの時代に生きる若者さ、つまらない最後を迎えさせちゃあ天道様に申し訳がないよ」
勇四郎は真心をこめて言った。三郎助も同じ気持ちで言った。
「勇四郎さんも帰りな、命あっての物種だぜ。おいらは仲間と最期を共にするのさ」
景三郎は驚いて聞いている、三郎助がそんな覚悟をしていたのか、あんなに苦言を言っていたのに。
「蝦夷地で拙者たちはどうなるんだね」
「榎本釜次郎さんはオランダに留学して幕府ともミカドとも違う国で暮らしてきたのさ、共和国というそうだ。おいらたちで蝦夷共和国を造るんだそうだよ」
「寒い土地と聞いたぜ、拙者は昔から冷え性で厠が近いんだよ」
「悪い事は言わない、無事に江戸に帰ったら浦賀に寄っておいらの家をのぞいておくれ」
「どうやって船から降りるんだい」
「仙台に着けばたくさん降りるだろうぜ」
景三郎はあわてて言った。
「私は蝦夷地まで参ります」
「それはいいよ、ただ仕事は通詞だぜ、戦っちゃあいけねぇよ」
勇四郎はもうすっかり降りるつもりになっている。
「ただな三郎助さん、俺も江戸っ子だから蝦夷地というのが見たい、蝦夷っ子ってのがどんな奴だか知っておきたいじゃないか」
「なら好きにするといいや、蝦夷の水で洗われた娘が迎えてくれるよ」
笑いながら三郎助は景三郎を振り向いた。
「そうだ、お前の友だちの福地源一郎がこんなことを新聞に書いているぜ、このご時世に度胸のある奴だな」
慶応4年から「江湖新聞」を週に1、2度発刊し時局ダネや外国新聞の翻訳、世間話や寓話、投書などを掲載している。鳥羽伏見の戦いでは幕府の拙速さを厳しく批判した。今、新政府軍が小栗上野介を殺害したことを聞いて驚き、天地はなんと邪に満ちているかと述懐した。そしていよいよ新聞で新政府を攻撃したので旧幕臣や江戸っ子たちは溜飲を下げた。しかし、勝がいくら勧めても新政府には出仕しなかった。
「おいらたち浦賀の仲間も4つに分かれた。こうして軍艦に乗って蝦夷に行く人、香山さんや合原さんのように隠居して江戸に暮らす人、佐々倉さんのように静岡に移住する人、それから新政府に仕える人、それぞれの人の生き様さ」
「口惜しい気持ちです」
「いやいや何も思うな、言わず語らず別れてきたのさ」
艦隊は9月2日に松島湾に着いた。榎本とブリュネとカズヌーヴは藩主伊達慶邦に謁見した。榎本もフランス語はできたが将としての貫禄を示そうと景三郎に通訳をさせた。
「私が幕府陸軍を鍛えました」
正装のブリュネはレジオンドヌール勲章をキラキラ光らせ磨き上げた自慢のブーツを長く伸ばして誇らしげに言った。
「士官100名が兵2000名を指揮してミニェール銃の一斉射撃をします」
カズヌーヴも思い切り胸を張って戦術を述べ立てた。しかし藩主はためらいを隠さなかった。藩士の意見は大きく揺れている、フランス士官の威容を示して伊達藩を味方にさせようとした榎本の目的は果たせそうもなかった。
「これでは戦えない」
ブリュネがつぶやくとカズヌーヴもうなずいた。
「弱将のもとには強兵なし、ナポレオンのもとだからフランス軍は無敵だったのさ」
言葉通りに一行が出航するとすぐに仙台藩は新政府軍に降伏し四条総督を迎え入れた。
「俺の開陽丸も無敵だよ」
「榎本さんもナポレオンになるといい」
そう言ってみて景三郎は気がついた、皆がフランス語で会話をしているのだ。胸が熱くなった、通詞が不要な世界がある、通詞でなく仲間として自分の考えを話せばいい、どこかにわだかまっていたものが消え失せた感激がわきおこった。
翌日すぐに軍議が開かれた。仙台に流れこんできた幹部は京都所司代松平定敬、老中板倉勝清、老中小笠原長行、陸軍奉行竹中重固らだ。ブリュネが加わり景三郎も同席した。
家格は高く要職を歴任したといっても高官たちの洞察力・判断力は乏しかった。
「小栗と勝は犬猿の仲だったからの、二人共に知恵者で我が強い、公方様にも直言してその非を正そうとする。幕閣はその都度、罷免して困るとまた任命するから、敵にすっかり足元を見られてしまったのだ」
上座の高官が言う、この後に及んでまだそんなことを言っているのか軍議の場なのにと景三郎は思った。
「榎本殿が蝦夷共和国と主張されたので我々はほっとしたよ」
ほっとするという投げやりな表現にまた景三郎は怒りを感じた。ブリュネもそれを感じ取ってこちらを見た。大政奉還して幕府が瓦解し将軍が謹慎した、それで徳川の家臣は戦いの大義名分を失ったのだ。薩長はミカドを戴く新政府軍となり賊軍征伐を掲げて攻めてくる。たぶん将軍も賊となるのは嫌なので謹慎したのだろう、だから家臣は徳川を守るための戦いはできない。榎本は新しい国を創ると宣言した、そのために戦おう。共和国がどういうものかよく分からなかったが幹部たちは重い腰を上げたのだった。
「小栗殿は三河以来の旗本、それも四天王と言われた末裔だから幕府に忠は当然だろう。そして我々も力を尽くして幕府を支えてきたのだ。しかし勝殿は御家人株を金で買った新参者の孫ゆえ幕府に恩顧はない、一戦もせずに江戸城を明け渡した。自分は大石内蔵助同様の知恵者だと思っておろうがな」
さすがに榎本も発言せざるをえなかった。
「勝と西郷が危惧したのは日本が分裂すれば諸外国が侵略してくるということでした」
この度の維新はミカドが地方勢力を動員して中央勢力を駆逐し帝国になった、イギリスはそう情勢判断した。旧体制の一部が辺境に移ったというだけなら内政不干渉の国際法が生きてくる。その勢力が共和国を名乗れば帝政の諸国は関われないだろう。
「私たちがロシアの進出を抑えれば新政府も諸外国も益を得ます」
そんなものなのかなと一同は思った。
世間話の延長のような会議は終わった。しかし仙台で抗戦することは無理だという意見は一致した。
会議が終わると宴会になった。しかしブリュネはさっさと部屋に戻った、ひどく憤慨している。
「俺はエノモトが共和国をつくると言ったから来たんだ、ほら俺の手を見てくれ」
ブリュネは大きな手を突き出した。
「大砲を引き弾丸を運び銃剣を振るった手だ。これは戦士の手だ」
景三郎は少し気後れして自分の手を隠した。
「俺はナポレオンを尊敬している、卓越した指導者だ。しかしナポレオンから勲章をもらった時に手袋を取った手を見た、華奢で白い女のような、まるで王や貴族の手だった」
ブリュネは無念そうに唇を噛んだ。
「俺はパリコミューンで沢山の人を殺した。節くれだち荒れている手の持ち主は労働者だ、俺はその家族を想って痛ましかった。逆に白い手の持ち主もいたが何の同情もできなかった。己の知識と独断に思い上がって戦乱を招いた奴らだ」
この船にも白い手の持ち主が大勢乗っている。自分で良し悪しを決められず誰かとともに流されてきたような者だ、もちろん幕府高官や上位の旗本たちもまっ白い手をしている。
「ベートーベンの言うようにナポレオンは思い上がって皇帝となり数え切れないフランス人を死なせた。ルイ・ナポレオンも同じだ。俺は自分たちが破壊したパリコミューンのことをいまさらながら思うのだ。俺はここに新しい共和国ができるまで手助けをする」
景三郎はベートーベンという名前にとまどった。
「コムポジテェウだよ、シンフォニーを書いてナポレオンに捧げようとしたのだがやめたんだ、ナポレオンが暴君になることを予感したのさ、俺も同感だ。リベルティとイガリティ、強い軍人は良い政治家にはならん」
景三郎は理解できなかった、いずれ榎本総裁に聞いてみようと思った。
松島湾は美しい風景で艦隊を包み込んでくれた。艦隊は軍議のあとも修繕と物資の積み込みために停泊している。景三郎は府川勇四郎のことを考えていない、たぶん脱落者の群れに身を任せようとしているのだろう。
艦隊が暗い思いで包まれている時に白帆にいっぱい風を受けた鳳凰丸と大江丸が海をすべって入港してきた。仙台藩が幕府から借用していた船を返却したのだ。懐かしい鳳凰丸を前にして浦賀奉行所の者たちは感涙した。景三郎も三郎助を探して話しかけた。
「三郎助様、ありがとうございました」
「おいおい景三郎、何の礼だ」
「鳳凰丸の頃に私は15歳でした」
「おいらは知らんよ、自分で勝手に大きくなったんだ。ただ船は14年たてば老いてしまう、おいらと同じさ、おっとなんにも言うなよ、これからが大事さ、おいらはうっちゃっておかれるのがいい、それが親切だぜ」
三郎助は点鐘が鳴っても海を見ていた。
咸臨丸を救助に行った蟠竜丸が帰ってきた。あわただしくバッテラが行き来した。すぐに水手がうわさを聞きこんだ、咸臨丸は清水で新政府艦隊に襲撃された。水手たちは乗組んだ仲間を心配し、浦賀の者たちは岩田艦長、春山副艦長の身を案じた。
井蔵がたずねてくるから一緒に会ってくれ、と三郎助に言われて景三郎は喜んだ。久しぶりだ、開陽丸の広々としたデッキで待った。バッテラがみるみる近づいて井蔵が縄梯子で舷側を登ってきた。
言葉少なく挨拶を交わすと三郎助が話しだした。
「おまえの朝陽丸は薩長に取られてしまった、すまんと思っている」
三郎助は元気なく、景三郎は黙って後ろに控えた。
「今は長鯨丸に乗っております」
「井蔵は横須賀で何役だったい」
「昨年から軍艦蒸気役一等、製鉄所製図係を仰せつかっております」
「深田村に家があったな」
「三郎助さんらしくない、回りくどいですね、つまり何ですか」
「浦賀に帰ってもらいたいのだ」
さすがに2人とも驚いた。
「頼みたいことが3つある」
1つは咸臨丸と乗組員の安否を確かめることだ。蟠竜丸は新政府艦隊襲撃とともに逃走したので後のことは報告できない。井蔵は浦賀で、場合によっては清水まで行って情報を確かめ必要な処置をしてほしい。
「井蔵は清水の次郎長という人と面識があったのではないかな、その人に頼ってみてくれ。
2つ目は私ごとだが浦賀の留守宅に手紙と形見を届けてほしい」
「それは気が早うございましょう」
「無事に帰れば笑い話になるだろうさ」
「かしこまりました。景三郎も何か届けものがあろう、引き受けるよ」
手紙はもう出してしまった。
「この仏蘭西詞林だが水にも火にも弱いものだから家に置いておきたい」
「三郎助さんは刀、景三郎は本か、俺も家になにか土産を持って帰らなければなるまい」
「3つ目は」
三郎助は周りに人がいないことを確かめた。
「実は早丸のことだ」
仙台藩が所有していた400トンの鉄骨スクリュー船だ。江戸城明け渡しの3日前、慶応4年3月10日の夕刻に横浜を出帆して上海を目指したらしい。観音崎を回り久里浜沖で突風にあいアシカ島と笠島の間で座礁して沈没した。乗組み員は誰も助からなかった。
「老中小笠原長行殿が軍議の後で言い出された、江戸城御金蔵の財宝が積んであるはずだから軍資金にしたらどうかと」
小笠原は幕閣の誰にも図らず薩英戦争関係の賠償金27万両をイギリスにポンと払ってしまった人だった。
メキシコ銀貨6万ドル、別子銅山のナマコ銀140万斤、奥州の青銅40万斤、仙台藩の53万両、越前藩の金の灯篭、幕府御用金400万両とは額がだいぶ多すぎる。
「小笠原殿が士気を高めるためにそう申されたのかとも思った、しかし聞いてしまった以上は調べなければならぬ」
「新政府軍に知れたら首がなくなります」
「調べるだけでいい。箱館には異国船がかなり出入りしているようだ、なにかに紛れ込ませて書状をくれ。もし本当なら軍資金にならなくても身代金にはなるだろう。これから救わなければならぬ命がたくさんあるから」
三郎助は指を折って勘定してみせた。
「ご自分の命も数に入れてください」
井蔵は厳しい表情になり景三郎も深くうなずいた。
「それは誰かが数えてくれるだろう。その後は製鉄所に戻って戦争の終わるまで仕事を続けてくれ」
「新政府が許しましょうか」
「ヴェルニー殿は、自分は技術者なので政治にはかかわらない、製鉄と造船によって日本を近代国家にするのが自分の使命だとおっしゃった、だから井蔵が帰ってきても問題にはなさるまい」
「なるほど松島の月を見てきましたと言えばいいのですね」
「仙台の飛脚船が明日に出るそうだ。誰にも挨拶せずにそれに乗りこんでくれ」
マルラン、フォルタン、ヴッフイエが仙台から乗船してきた。フランス人たちは抱擁して再会を喜んだ。水手たちには見慣れた異国の風習だが陸兵たちは奇異な目で見た。
「通詞さん、これは異国だねぇ」
着流しの男が声をかけてきた。殺気だったやつれた顔に目だけが鋭く狂気のようなものが漂っている。どこかで見覚えがあると景三郎は思った。
「こんな習慣の国が多うございます」
「昔は切り殺してやろうとしたんだよ。けどこの数年にわけが分からなくなってきた。攘夷がいつのまにか討幕になり、公武合体が王政復古だとさ、なんのことやら分からない」
「世の中の変わり時です」
「俺も気がついたらこうして船の上だ、あいつらに話してやってくれないか」
すぐにブリュネに声をかけた。男はおもしろそうにこちらを見ている。
「私も諸国で同じ経験をしてきた、ブリュネ殿のお返事です」
「目に見えないことや理解できないことってのは誰にでもあるもんだ、ただ俺に見えるのは同志が再会を喜んでいる姿だ。同じようにやってくれないかな」
景三郎が説明するとブリュネは喜んで男を抱擁し言葉をかけた。
「あなたは同志です、ともに正義のために戦いましょう、そう申しております」
「ありがとう、いい冥土の土産ができたよ」
男はよろよろと船室に降りていった。すぐに老爺が心配そうにやってきた。
「なにかご無礼がありませんでしたか」
「フランス人は喜んでいましたよ」
「それは良かった、殿様は心を病んでおりますので」
老爺は従僕だった。男は昔から沈み込んだり突然はしゃぎまわったりする気質だったが、今は始終なにかつぶやいて夜中に叫んだりするようになったという。
「もしかすると江戸の旗本の小野寺様ではございませんか」
景三郎は名前を思い出した。
「ご存知の方でいらっしゃいましたか」
「長崎伝習所でともに過ごしました」
「左様でしたか。殿様は長崎行きがご不満で、自分を邪魔者にしたと父上と口論して勘当され、その後はお気の毒な人生を過ごされました。私は殿様が幼い時からお仕えしておりますが根は実に良いご気性でございます」
そう言い残して急ぎ足で船室に降りていった。
ブリュネと仲間たちは自分たちが訓練した伝習隊がどう戦ったのか様子を聞きたがった。景三郎は参謀の垣沢勇記に頼んで戦況を説明してもらうことにした。垣沢は会津の人で江戸に出て洋学を学び景三郎も言葉を交わしたことがある、通詞をするのも気が楽だ。
「我が軍、伝習第2大隊、第7連隊と御料兵は日光東街道を北上した。すでに新政府軍は笠間藩兵を先鋒として守りを固めている。笑止なことに笠間兵は具足に身を包んだ槍隊と僅かな火縄銃隊だ。大砲が八門あったが水戸の斉昭公が造らせた旧式砲で使い物にならん。我が方のスペンサー銃は後装施条7連発、猛射撃を行うと敵隊長がまず戦死した。たじろぐところを剣術の達人ぞろいの貫義隊が突撃した。笠間兵はたちまち総崩れになり支援の壬生藩砲兵隊も逃げ出した。我が軍は小山宿を攻撃する予定だったが武井宿に新政府軍が進駐したという斥候の報告を受けて伝習第2大隊を2つに分け小山宿と武井宿を同時に攻撃した。小山宿の新政府軍主力は彦根藩だ、権現様四天王の一人で幕府が篤く信頼していた藩が裏切った。思い知らせてやるとばかりに将兵は意気込んだ。敵陣地は固く初戦は後退したが、第8小隊を左翼から、第2小隊と第5小隊を迂回させて左右後方から猛射撃を行い撃破した。軍を集結して4月19日に宇都宮城を攻め落とした。幕府歩兵伝習第1大隊、第2大隊、第7連隊、御料兵、草風隊、貫義隊、桑名藩兵、新選組、誠忠隊・純義隊・回天隊など兵は三千だ」
ブリュネたちは喜んで話を聞いた。それぞれの隊には顔を覚えている将兵がいる。どんな戦いであったか歴戦のフランス人たちは想像することができた。
垣沢参謀もおおいに語り質問に答え軍人同士の親愛感を深めた、そして乾杯して帰っていった。
その宇都宮城が陥落したことを垣沢は話さなかった。敗戦と撤退については語らず聞かぬというのが友誼だ。野津道貫と大山巌に率いられた薩摩藩救援第二軍は街道に配置された御料兵を粉砕し宇都宮城を包囲した。先鋒の薩摩藩城下士小銃五番隊は猛突撃して城の外郭を突破した。救援第三軍が弾丸・火薬・食料を補給すると戦列を整えて総攻撃を開始した。幕府軍隊長の大鳥圭介はじめ垣沢勇記、土方歳三などが負傷し、兵士も多数の死傷者を出し宇都宮城から撤退したのだ。
部屋に戻るとブリュネが不満を言った。
「なるほど戦略と戦術は分かった。垣沢は参謀だから当然だ。俺たちは兵の戦いぶり、つまり戦闘が知りたいのだ。戦場の士気はどうだったか、奴らは老兵になれたのかどうか、ざっくばらんに聞いてみたい」
景三郎は船倉に降りて布川勇四郎を探した。
「フランス人に話をしろってかい、御免だね。勝ち戦さなら気分がいいが逃げてきた話はしたくないよ。何より撃たれたり斬られたりするのは思い出すのもいやなんだ」
でも、それではお前も困るだろうと言って皆の方を見回した。
「白石氏といってな、元は御家人だが気軽な男でよくしゃべる。あの御仁なら平気で負け戦さを話すだろう。俺が声をかけてやろう」
呼ばれた男は身軽に船倉を歩いてきて景三郎に挨拶した。
白石尚三といって幕府鉄砲同心30俵2人扶持の貧乏御家人だったが幕府歩兵隊の結成で息を吹き返した。調練には太鼓が必要、そこでオランダ式の太鼓の叩き方を関口鉄之助という同心とともに長崎で伝習するよう幕命が下った。二人とも名うてのノラクラ者で里神楽や馬鹿囃子が大好きだったのだ。早足行進ディンスト・マルスやコロニヤル・マルス、フランス・マルスなどをマスターして伝習はあっさり終了した。関口はお神輿の囃子を取り入れたヤパン・マルスを作曲して意気揚々と江戸に戻った。二人は門弟を300人も集めて羽振りがよくなった。
「謝礼が百疋、太鼓屋から上納金があるし、旗本大名からも付け届けがある。お祭りで馬鹿囃子を頼まれても出かける暇がありませんでしたさ」
弟子に太鼓を叩かせ笛を吹かせて調練をする、先頭に立って意気揚々と行進する。得意になっているうちに戊辰の戦争が始まって逃げるまもなく戦場に行き、気がついたらこの船に収容されていた。
「おいらも呑気だね、長生きするさ」
ブリュネは鋭い目で白石をにらんだ。鼓笛手と聞いて渋い顔をした。役に立たない兵士だと思ったのだろう。
白石はそんなことは平気で戦闘の話をした。訓練の成果を発揮して笠間の兵を蹴散らしたこと、銃撃と砲撃の巧みさ、完璧な勝利だったこと、そこまではブリュネも聞いていてうれしくなったらしい。
「なぜ追撃して壊滅させなかったのだ」
「そりゃあ無理というもんでさ、宇都宮城には食べ物も酒も山のようにあったよ、うれしかったね。なにしろ勝ち戦だ、たらふく飲んで食って、連中は勝った勝ったと浮かれちまって飲んで飲んでへべれけさ。隊長が命令したって聞きゃあしない」
ブリュネは額に青筋を立ててにらみつけた。
「そりゃおいらも付き合いで飲みましたよ。口を湿すと笛の音が良くなるんだ」
通訳している景三郎も呆れた。戦争も祭りも同じ気分なのか、ブリュネが危惧していた通りだった。
「そこへ薩摩の芋侍が攻めてきた、強いのなんのって怖かったよ、こっちがいくら鉄砲を撃ったって平気なのさ。つまりあいつらは玄人でこちとらは素人さ、好きで戦争しているやつにはかないませんや」
兵士たちは城に戻らず逃げ出し、城内の兵もどさくさまぎれに逃げていった。
「大将たちが次々にやられるんだもの逃げるが勝ちさ」
軍事顧問団は精力をかたむけて優れた兵を育てようとした。しかし、兵の本質は変えられなかった。博打うちや無宿人、浪人や食いつめ者など品行が非常に悪く気が緩めば醜体を見せる。
「それは大将たちも気に病んで町民に乱暴した者の首を斬ったりされたんだが、なかなかやまるもんじゃない。調練の時は浮き浮きしていたけどね、本当の戦争というのは怖いね。ただおいらの太鼓と笛は評判良くってさ、自然と体が動くって喜ばれたもんだ」
さて蝦夷地でどんな訓練をしていけばいいのか、ブリュネは考えこんでいる。
「その頃にも行進曲があったのね」
美帷がけげんそうに聞く。
「幕府軍はヤッパンマルス、新政府軍は宮さん宮さんだね」
「それってどんな曲なの」
「のんびりしたものだ。宮さん宮さんは時々聞くがヤッパンマルスはほとんど聞かないね。ただ香取神宮の祭礼に出ているオランダ楽隊が似たような曲を聞かせてくれるよ」
新政府軍の軍歌はこんなものだ。
『宮さん宮さんお馬の前にヒラヒラするのは何じゃいな』
そう質問すると総裁の有栖川宮が答える。『あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃないかいな』
それで皆が威勢よく叫ぶ。
『とことんやれトンヤレナ』
軍歌というよりデモのシュプレヒコールのような歌だ。目的は東海道の庶民を教化することだったのだろう。出征の時に薩摩の品川弥次郎が馴染みの芸者に節をつけさせたという、ずいぶん安直な歌だ。その芸者は君尾という有名な女で、桂小五郎が京都に潜伏して橋の下で乞食の格好をしていた時、この女が書状や食べ物を運び情報を伝えたという。新撰組の近藤勇が俺の女になれと言ったら、あんさんが勤皇の志士におなりやすならうちも喜んで、と返事をしたそうだ。維新の英傑と言えよう。
箱館には松前藩兵100名が守備していたが清水谷府知事はすぐに青森に退避した。秋田藩の陽春丸(カガノカミ号)、イギリスのフロイス号、ロシアのタイパンヨー号を傭船したので3万両ほどの費用がかかった。
10月26日に榎本軍は箱館に無血入城し日の丸を翻した。新政府軍の錦旗に反発して軍艦旗を立てたのだろう。
ニコル、クラシュ、クラトー、ブラディエ、トリブーの5人が戦友を待ち構えていた。
「宴会を開きたい、手伝ってください」
ブリュネに頼まれて景三郎は榎本に願った。榎本はきさくだった。
「ここは俺もお馴染みだよ」
50年前から赤蝦夷(ロシア)を脅威とみなした幕府は遠国奉行所を設置し、その防御施設と役宅を兼ねて五稜郭を建造した。フランス式の要塞で24ポンド砲50門を備えた。敵の射撃の目標となる天守閣などは造らず、星型に5つの突出部と正面に半月型の防御施設がある。見た目は難攻だが、土塁を一重しか廻らしていないので攻城戦になると防ぎきれない。五稜郭を守る台場は弁天岬にあり24ポンド砲50門を設置する予定だったが沈没したロシアのディアナ号の大砲まで持ってきたがまるで足りない。もう一つは古く文化5年にロシア人の襲撃に際して仙台藩が築いた千代ヶ岡陣屋で150メートル四方ほどの土地に幅12メートルの堀、高さ4メートルの土塁を廻らしてあるがここも大砲が不足している。
北海道の自然はヨーロッパに似ている、ブリュネらは大喜びで故郷を守るような気がすると言った。
榎本釜次郎も懐かしそうだった。プチャーチンが来航した時、部下のネブェリスコイ海軍大佐に命じてカラフトを占領させようとした。箱館奉行はあわてて北蝦夷を調査することにし榎本も同行したのだ。
「俺も色々と辛い目にあったが北蝦夷も大変だったよ」
寒気甚だしく風雪激しく人跡ない。その後、ようやく日露和親条約が結ばれてエトロフとクルップの間に国境を定めた。カラフトを「界を分かたぬ地」としたのはアイヌ居住地だから日本のものだ榎本が強く主張したからだ。
「あれが精一杯だ、よくがんばったものだな。蝦夷共和国もロシアの盾にはなるだろう」
景三郎は榎本にブリュネの頼みを伝えた。
「フランス人にパーティを開いてやってください」
「それはいい、ここは開けた町だから、ワインもチーズもあるだろう」
箱館は繁華な町だった。日米和親条約を結ぶとすぐにペリーは箱館に入港し捕鯨船の便宜を図った。万延元年には米英仏露が領事館を建てている。イギリス軍艦もクリミア戦争でロシアを牽制するため入港している。パーティの準備はすぐに調った。
榎本も出席し冒険談を語っておおいに座を盛り上げた。
オランダ留学のために乗った船が難破して無人島に漂着した。すると海賊が襲ってきたので日本刀を振り回し降参させて家来にしてこきつかった。
セントヘレナ島ではナポレオンの旧跡を見て英雄の生涯を偲んだ。
デンマークとプロイセンの戦争を観戦した話などブリュネらにとってはさぞ痛快だったろう。時々、景三郎に単語を確かめたりしたが榎本が全部フランス語で話したことがなにより一同を喜ばせた。
「榎本さんは話が上手ですね」
景三郎は心から感心した。
「俺は江戸っ子だからフランス語も江戸弁で話しているんだろうよ。まあ講釈か落とし噺だと思って聞いていればいいのさ。この先も戦争が窮屈になったら皆をおおいに笑わせてやらなければなるまいな」
ブリュネは榎本釜次郎の共和国の構想に共感しているしロシア南下の危機も共有している。それにアルジェリア戦争に参加し植民地の問題をつぶさに見ていた。幕臣の移住先が駿河ではまかなえないので蝦夷地に屯田兵を置くことで解消しようという方策も理解した。それで箱館にある各国代表団・領事に構想を理解させてはどうかと提案した。原文として品川を脱出するときの徳川家臣大挙告文がある。それをフランス語に翻訳して配布すればいい、景三郎の仕事が次々に増えていく。
国際法を学んだ榎本は英仏公使に働きかけ「交戦団体」として認定されることを求めた。新政府軍と旧幕府軍とが戦争を始めると諸外国は局外中立の立場をとらなければならない。戊辰戦争は交戦団体と認められていた。しかし、10月30日に英仏公使は日本の内戦に関与しないと不干渉宣言を出した。
外国船は次々に函館に入港してくる。イギリス船オーサカ号、アメリカ船ヤンシー号、ロシア船、フランス船、それらを保護しなければならない。
イギリス王とフランス皇帝に仲裁を依頼しようという策も提案された。英仏公使は日本の内戦には関与しないと不干渉を宣言したが居留民保護のために軍艦を派遣している。その艦長に嘆願書を依頼したらどうか。
「ただどの国も自分のことで精一杯なのさ。フランスはプロシャと一戦さ、イギリスはインド問題、アメリカは内戦だ、そんなことに気を配る余裕はなかろうね」
榎本はそう言ったがすぐに景三郎に翻訳させた。
11月4日 榎本はオーサカ号とヤンシー号の船長と懇談し、嘆願書の写しを預けたうえでパークス英公使とウトレー仏公使に仲介を依頼した。蝦夷地開拓の宿願と自らに非なく、やむなく戦闘になったという申し開きが記されている。新政府の岩倉具視が対応し、文面が不敬不遜、悔悟伏罪すれば穏当に処置するという書簡を返した。
11月1日 松前城を蟠竜丸が砲撃した。松前藩は城を持てない身分の大名だったが異国船襲来の要害にするため幕府が許して安政元年に築いた城だ。それを異国ではなく幕府軍が攻撃している。11月5日、土方歳三は総攻撃をかけて数時間で落城させた。11月7日 回天と蟠龍の両艦が日の丸の旗を立てて颯爽と青森に入港した。徳川脱艦布告書を弘前藩に差し出した。今、旧徳川家臣は身を容れる地がないゆえ蝦夷地を開拓して外夷の備えをしていささか国に役立とうとしている。それを函館府と松前藩は攻撃してきた。これは自衛の戦いであるという内容だった。
11月12日 土方歳三が総督となり額兵・衝鋒・彰義の3隊が江差に進撃した。ブリュネとカズヌーヴと景三郎も同行した。
江差に行く道は原野が続いている。森の中の厚く積もった落葉と苔むす岩の間を川が流れていく。影がさして走り去るのは鹿だ、狐が木の蔭でじっと一行をうかがい、どこかに巨大な熊が潜んでいる。道案内はアイヌの人、タサウラと名乗った。濃いヒゲと眉毛と鋭い眼の、だが温和で無口な若者だ。質問したことには淡々と答えてくれる。蝦夷地の自然と春夏秋冬、アイヌの祭りや歌と踊り 食べ物 風俗 習慣。女の名前はウェテマツ、テケモンケ、ヒシルエ、ヤエコリカ ヘラトルア カアリン。男の名前はイヌイシャム、ノテカリマ、ルヒヤンケ、ベンクカリ、トミハセ。イヌイシャムはクウトエの妻カアリンを妾にし子どもカリサルを産ませた。
景三郎は美しい名前、美しい言葉の響きに魅了された。この言葉をしゃべってみたいという気持ちが高まった。
熊を獲るために氷の張った水へでも飛び込む、武器は毒矢とヤリだ。
アイヌはどんなわずかな食べ物も全員に分ける、犬にも与える。
アイヌは墓を大切にして供養をかかさない 毎朝と夕暮に山に向かって祈る。そして、その日の天気や出来事を死者に語りかける
ブリュネも話を聞きながら次々にスケッチをしていった。
「幸せな未開人だ」
ブリュネの侮蔑的な言葉に景三郎は鋭く注意した。ブリュネは率直に謝った。
「アルジェリアにいた頃の口癖だ、すまん。今は俺もずいぶん成長したから人を見下すことはしなくなった」
江差に軍を残して景三郎はブリュネとともに長万部を視察した。広大な虎杖浜で居住している白老アイヌと交流を深めた。
「ここに私たちは新しい国を作りますが、あなたたちはどんなことを願いますか」
「シャモ・和人は悪いことをします」
アイヌを結婚させずに子孫を残せないようにする。ある村は男ばかり、別の村は女ばかりが住むようにした。畑を与えない、耕作をさせない、番屋だけしか働き場がないようにしている。アシカを獲っても皮と油を取り上げて肉は捨てさせる、だから靴が作れなくて足が冷たい。運上屋は年の半分を働いても下帯一本にタバコ2包みしかくれない。病気になっても薬として唐辛子湯だけを飲ませる。食べ物はニシンだけだ。ニシンが獲れなければ粥だけだ。メノコ勘定という搾取をする。始め12345678910終わりと数えて2割をごまかす。
「それはひどい、抗議はしないのか」
ブリュネが同情する。
「我らが怒ると、そうやってシャモ口をたたくのならヒゲを剃ってからにしろと嘲ります。そんなことをすると病気が流行るぞ、お前たちのカムイが怒って呪いがかかるぞと脅します」
「今、あなたたちの欲しいものはなんですか、米ですか」
「米はいらない、我らはずっと肉と魚と山菜で暮らしてきました」
蝦夷の世界が日本人によって耐え難い地になっていることを知らされてブリュネはフランスの農民を思い出した、人間は自由で平等なのだ。
「この人たちは狩猟と漁労で暮らしています、少しだけ畑を作りますが酒のためです」
「なぜ彼らは農業や牧畜をしないのか、日本人が邪魔をしているのか」
「それもありますが彼らの信仰もあります」
「キリスト教ではないな」
「大地には神がいるので農具で傷つけることを怖れるのです」
「大地、海、森、集落には神(カムイ)がいるというがどんな神だ」
「動物の形をして現れ、肉や毛皮を人間に与えて天国に帰っていく、それを人間が祀るのです。風や雨のような自然現象にも神が宿っています、火も力のある神です」
「災いの源は迷信だな、未開人は皆そうだ」
「ブリュネさん、それは間違っています。キリスト教はそうやって先住民を改宗して植民地を広げました。その土地に生きてきた人を異教と呼んではいけません、皆が自分の信じることに従って生きている人むたちです」
景三郎がきつい顔で言うとブリュネは素直に謝った。
「すまん、また口がすべったようだ。しかし、どうしたらこの人たちに豊かな暮らしを与えることができるのか考えてやらねばならん」
「干渉や搾取をせず彼らの幸せを支えてやればいいのでしょう。私の住んでいる郷も年貢さえ軽ければ豊かで幸せな暮らしができます、郷には自治の仕組みもあります」
「俺たちはキリスト教以外の宗教を認めることが難しいのだ」
「そのことはあなたの課題です、それに私は干渉をしたくありません」
「なるほど未開なのは俺の方か」
ブリュネはそう言って笑うことのできるコスモポリタンだった
「銀のしずく降る降るという詩を教科書で読んだわ」
「知里幸恵さんの伝えてくれたアイヌのユーカラだね、シマフクロウの神様が貧乏な子に幸せをもたらすのかな」
「シロカニペ ランラン ピスカン ここだけは覚えているよ」
「アイヌ語は消滅危機言語にユネスコが指定している、江戸時代から日本がアイヌ民族を差別し搾取した結果だと受け止めなければならないよ」
「オジさん難しいことを言うのね」
「若い頃、北海道を旅行して汽車で知り合ったんだ、立派な顔で眉とヒゲの濃い若い人さ、あなたはアイヌですかと何気なく聞いたら、悲しそうに口惜しそうに判りますかと答えたよ、未だに心にひっかかっている」
「オジさんを少しだけ尊敬します。やはり旅は人生を豊かにするのね」
「君も大人びたことを言うね」
「18歳以下の子どもを差別すると子どもの権利条約に反します。これはユニセフよ、尊敬は取り消します」
「恐れ入りました」
「分かれば実行してください。ならば尊敬を持続します」
さすがに世間のことには関心の薄い郷の人たちも庚申講では話が絶えなかった。
「駿河の清水で新政府軍と幕府の船が戦ったそうだ」
誰かが言い出す。
「廻船の衆が浦賀で話しまくったそうだ。なんでも奉行所のお歴々も乗っていて殺されたんだってさ」
「いよいよ戦争かね」
ミドリはまさか景三郎がその戦争に行くとは思ってもみなかった。何人かがミドリを見ながら少し声を低くして話しているのが気になっただけだ。
数日たって郷の何人かが角左衛門を訪ねてきた、日林上人も同席した。こんな言い分だった。
聞くところによるとケイサは朝敵になったらしい。浦賀の三郎助様も今は新政府軍に追われているそうだ。この郷にも御咎めがあると困るから先におらたちが公儀に訴えたらどうだろうか。
角左衛門は平気だった。やれるもんなら訴えてみろ、そうなれば五人組村役人そろってお白州で取調べになる、もし疑いが間違いなら訴えた奴は不届き者だと牢に入れられる。名主様にも迷惑をかけるから郷では暮らせなくなるぞ。皆も知っているとおりケイサは悪い人間ではない、こうしてミドリと子どもが郷に住んでいる、それのどこが悪いんだ。第一、公儀というのはもうなくなったんだ、今は天朝様が神奈川裁判所で取り調べるんだ、県令様は寺島宗則とおっしゃってケイサの親しい友だちだよ。ご一新で公儀は天朝様に変わったが郷の暮らしは変わらない、今まで通り年貢を納めていれば田んぼも畑も郷で取り仕切らせてくれる、余計なことを言うでねぇぞ。
日林上人も落ち着いたものだ、自分がよく知らぬことをまことしやかに言うと妄語戒を破ることになる、極楽浄土が遠ざかるぞ。そう叱りつけられて郷人は黙ってしまった。
ミドリは安堵したが郷の空気はだんだん険しくなっていった。ミドリが通りかかると蔭に隠れる。行き過ぎると小さな声で何か言っているのが聞こえる。角左衛門が心配するとミドリは朗らかに言った。
「心配いらねぇ、おらは気丈夫だから何も怖くねぇ、ただエマがいじめられたり遊び相手がいなくなったりすると可哀想だな」
「子ども同士は安心だよ、親に言われたからって仲間外れをするような郷の子どもはいないだろうよ」
しかしミドリはケイサのことを気づかっていた。
「おら留守番するのは慣れているさ、けど手紙が来ないのが心配だよ、もし蝦夷地に行ったのなら、あそこは寒いところだって聞いたから暖かい着物を届けてやりたいな」
岡田井蔵がやってきたのはその数日後だった。箱館から便船で品川に行き、それから製鉄所の舟で横須賀に渡り、山を越えて長柄の郷に来たという。
「ゆっくりはしていられないんだ、ケイサの手紙はまだ届いておらぬか、仙台で飛脚に頼んだと言っていたが街道は物騒だからどこかで止まっているのだろう。ケイサは元気だから安心せよ、これを頼まれた」
重そうに取り出したのは仏蘭西詞林だった。勉強する暇がないので家に置いてくれという伝言を添えた。
「ケイサは本当に元気なんだろうね」
「心配はいらん、ただ帰るのは少し遅くなるだろう、なにしろ戦争が始まってしまったからな、それにフランス人たちが一緒だ」
中島三郎助に預かった手紙と短刀を家族に届け、その後で深田村の自分の家に帰り、それから清水に行く、帰ってからも浦賀で調べることがある、また来るぞ、そう言い残して山道を急いでいった。
ひとまず安心したミドリはすぐに角左衛門に伝えた。
「…」
角左衛門はしばらく黙って考えていたが俺も浦賀に行ってみようとつぶやいた。
「郷の衆に聞かれたら用足しでどこかに行ったと言ってくれ、それからケイサのことは必ず内緒にしておくんだよ」
春山弁蔵は咸臨丸の副艦長になり榎本艦隊と共に出航したが帆走していて観音崎で座礁した。ようやく離脱して後を追ったが銚子沖の暴風で漂流して下田に流れ着いた。助けにきた蟠龍丸に曳航され清水港で修繕を始めた時に襲来した新政府軍艦隊の砲撃を受けた。、身動きのとれない咸臨丸は白旗を掲げたが乗組員は殺害され春山弁蔵も首を斬られた。艦長の岩田平作は病気で上陸しているところを捕虜になった。岩田は鳳凰丸を共に造った浦賀奉行所の仲間だ。
新政府軍は死体を海上に放置するよう命じた。しかし、清水次郎長がそれを回収し念入りに供養した。新政府軍は怒って次郎長を詰問すると、死者に賊軍も新政府軍もありませんやと毅然として突っぱねたという。
井蔵は早丸のことも調査したが誰も何も知らなかった。一切が秘密の行動だから無理もない。そして話自体が嘘なのかもしれない。幕府の御金蔵にそんなに沢山の金が残っていたのだろうか。たとえあったとしても今となってはその金を箱館に届けることなどできはしない。井蔵はそう思い切ると製鉄所に帰った。ヴェルニーは何も聞かずに井蔵を迎えいれてくれた。
「すごいロマンね、沈没船の宝か」
「徳川家康が江戸城の金蔵に貯えていた一個数十億円の金塊何百個が幕末には一個だけ残っていたという、これも話だがね」
「探している人がまだいるんだ」
「2018年に発見された沈没船がそうらしいというが財宝は見つかっていない」
「探してみる価値はあるかな」
「水流が激しい場所らしいから探される方にならないように気をつけてくれたまえ」
11月15日の夜、開陽丸は岸近くの暗礁に乗り上げ沈没してしまった。榎本はわが子を失ったように落胆した。自分が手塩にかけて造船を見守り、艦長となってはるばる日本まで回航した船だ。天下無敵の巨艦で、これ一隻でも新政府軍艦隊を封じ込める戦力がある、榎本は戦略を練り直さなければならなくなった。
艦長の沢太郎左衛門も責任を痛感していた。「海は怖いや、波も風も岩礁も配下に持っているからさ。沢さんもここにいては辛いだろうから開拓奉行になって蝦夷地を切開いておくれな」
そう言って沢を五稜郭から遠ざけた。
12月14日 入れ札により幹部の役職を決めた。総裁は榎本で箱館奉行に永井尚志、奉行並は中島三郎助だった。
12月15日 全軍が五稜郭に凱旋し全島平定を祝った。軍艦は満艦飾を掲げ、砲台とともに101発の礼砲を放った。町の通りには絵行灯を灯して華やかだった。フランス式の軍事訓練が始まった。4連隊各2大隊、上等士官月給2両、歩兵には1両が支給された。松前には300の兵とカズヌーヴが、江差には350の兵とブュフィエが、箱館港には300の兵とフォルタン、ブラディエ、トリブーの3人、新撰組はマルランが指導した。ブリュネは松前と江差を視察し、塹壕を掘って突撃と退避の訓練をした。
箱館奉行並になった中島三郎助は頭を悩ましていた。箱館は江戸大坂の戦乱以来、廻船が止まり窮地にたっている。米塩木綿タバコ塩紙ロウソクなど生活に欠かせない物が届かない、帰り船で積み出すしめかす、魚油、塩鱒、昆布が倉庫にあふれている。運上金を1割5分に値下げし博打も公認、ただし箱館の通行料として24文を徴収しそれを軍事費にあてようとしたが町民は反発し、榎本軍は泥棒や乱暴をするという悪評が広がった。
小樽では暴動が起き博徒や無宿、漁民など500人が騒乱を起こした。ニシンの不漁と戦争による食料不足、物価高騰が原因だった。
異国人を相手にした訴えもあった。ロシア人が牛を買ったが代金を払わない、フランス人がカイコの種紙の品質が悪いと抗議する、プロシア人が日本人の妾をなぐったという民事もひんぱんに訴えてくる。
新政府が無理に廃仏毀釈を進めていることも混乱の種となっ。
ブリュネは相変わらず諸隊の歩兵、砲兵、騎兵が怠惰で柄が悪いのに困惑している。無宿者、博徒、農民の伝習隊と武技を誇る旗本や剣客の新撰組や彰義隊を一つにまとめることはできなかった。
沢も蝦夷地の開拓を進めて江差の鉱山開発と桑の栽培により製糸産業を起こそうと務めていたが急に利益のあがるものではない。
2月になって久しぶりに大坂の千石船が入港した。酒やサツマイモや紙を運んできて町はおおいに喜んだ。しかし、〆粕や魚油、塩マス、コンブなどは倉庫にあふれたままだ。五稜郭と津軽陣屋の補強のために毎日500人もの人々が徴発されている。
デンマーク船アロース号が入港し新政府軍が準備を終えて総攻撃するという情報をもたらした。青森に集結したのは秋田駐留の長州徳山藩兵1200名、伊勢、備前、筑後の兵など計6000名、人夫が3000名、駐留の費用は町の人々に押し付けられたいへんな負担となり物価が急騰した。しかし、小商人や料理屋などは大儲けした。最後まで残っていた箱館の異国人は青森や東京へ避難した。
3月16日 新政府艦隊は品川沖から出撃した。幕府の甲鉄、秋田の陽春、薩摩の春日、長州の丁卯、輸送船は安芸の飛龍と豊安、阿波の戊辰、筑後の晨風、幕府の朝陽、佐賀の延年、連合艦隊というより寄せ集めだ。
3月22日 宮古に入港した新政府艦隊を 回天、蟠竜、高雄の3艦が奇襲攻撃した。砲撃戦のあと回天は甲鉄に接舷して切り込もうとしたが甲鉄の甲板が高くて跳び移れない。銃火が集中してニコルは戦死、クラシュは捕らえられた。高雄は自沈し乗組員は捕虜になった。回天と蟠竜は箱館に戻った。
4月9日、新政府軍は江差に上陸した。500名の守備隊は松前へ撤退するよう命じられた。
4月20日、新政府軍は木古内を攻撃したが守備隊は守りきった。しかし五稜郭はまたも撤退を命じてきた。
4月24日、新政府艦隊の春日、甲鉄、陽春、丁卯、朝陽丸と回天、蟠竜、千代田形が砲撃戦を行った。双方570発の砲弾を撃ちあったが日没になり引き分けた。
4月29日、再び両艦隊は激突した。甲鉄に側面から激しく砲撃されて共和国艦隊は撤退した。
榎本はフランス人をどうしたらいいか考えていた、これは国際問題だ。
折よくフランス船コエトロゴン号が状況を知らぬまま入港してきた。榎本はブリュネにここを離れるよう強く勧めた。
「あなた方は職務を全うした、私たちはあなた方の武勇を賞賛する、フランスに帰って職務を尽くされるとよい。私は誇らしくあなた方を送る」
ブリュネは共和国のこれからのことを思って暗澹となったが、歴戦の体験から戦いが終わりに近づいたことは分かっている。自分の任務は果たされたと判断して同意した。
そしてブリュネは景三郎の身の処し方を心配した。
「君も一緒に来い、日本人は我らフランス人を処罰できない、母国フランスに戻ってから裁判を受けることになるだろう。しかしフランスは君を処罰できない、一緒にフランスに行こう」
友情のこもった言葉だった。
「私には妻と子がいます、フランスは遠い。しかし好意に甘えて江戸の近くまで便乗させていただきましょう」
「榎本総裁が手配してくれよう。俺は君をフランスに連れて行きたい」
「時移り日がたって我が国もあなたの国と和親通商ができます。その時には花束を抱いてあなたの家を訪れます」
「待っている」
5月2日、残ったフランス人全員と景三郎はコエトロゴン号で箱館を去った。
航海は順調だったが景三郎は思いに沈んでじっと北の方を見ていた。
船は追い風を受けて白波を立てて走っていく。右舷には黒く陸地が続いている。次々に思い出が心に浮かんだ。
離脱をためらう景三郎にブリュネはこう言った。
俺は職業軍人だよ、戦うのが仕事だ、正義も慈悲もない。上官が突撃と叫べば走る、退却と命じれば退く、部下に対しても同じだ。戦闘中に考えたりすれば命がない。そうやって兵士として戦ってきた。親友だって敵陣にいれば撃たなければならない。
今の俺はフランス士官だ、西軍と戦う幕府の兵士を訓練してきた、その責任を果たすためにここにいる。蝦夷に行くことはシャノワール殿が黙認してくれた。世界で一番新しい戦場だ、俺の兵士たちがどう戦うか、新しい戦争ではどんな戦術がふさわしいのか見届けることが今の俺のステージだ。俺には幕府のために死ぬ義務などない。イギリスはずっと敵だったが、ある日突然、味方になった。アメリカは再び敵となるだろう。世界の情勢を作るのは政治家だが戦うのは軍人だ、どう戦うのかという戦略と戦術を見極めるのが俺の次のステージになるだろうよ。
榎本さんは留学した時に観戦武官だったと話した、最前線で両軍の戦いぶりを視察し殺し合いを平然と見ている、考えれば奇妙だが今の俺はその立場にいる。しかし俺たちは見物していたのではない、仲間は血を流した。回天に乗ったニコルは戦死しクラシュは捕虜になった。それが戦場の兵士さ。ケイサの仕事は言葉を伝え合い俺たちの仕事を助けることだったが、今はもう終わった。一緒に帰ろう、フランス船に乗り込もう、船長にフランス語で話せばフランス人だと思う、世界には色々な顔かたちのフランス人がいるんだ。船賃は榎本さんが出してくれる。
決戦のために千代ヶ岡砲台へ戻る日に中島三郎助は景三郎にこう言い残した。
おいらは代々の幕臣さ、そりゃあ微禄だが武士の誇りは強いよ、東照権現様と一緒に三河を出てきた一族だ。一朝事あれば粉骨砕身、それがおいらと親父や祖父やご先祖様を繋いでいる誇りなのさ。今がその時だ、逃げるわけにはいかないやね。
おいらは役目大切に働いてきたよ黒船も長崎も築地もさ。けれど役に立たなくなったら消えるのさ、年寄りたちは幕府に殉じればいい。ただ若い者はこれからが大切だよ、幕府に代わるもんが必要となるから正しく働いてほしいんだ。勝さんがおいらに言ったのはそのことさ。
釜さんは豪傑で洋行から帰って間がないから随分せっかちになっているよ。いくら異国の世界では常識だとしても日本の頑迷な豪傑連には通じない。おまけに江戸っ子だから喧嘩っ早いや、大将が口争いをしてはいけないな。だから評定ではおいらが恭順を叫ぶ。ただし俺は腹を切るよ。大方の奴らは徹底抗戦を叫ぶだろうが、いざとなれば恭順するさ。それで釜さんの命も助かるよ。豊臣秀吉が小田原城を落とした時に切腹させたのは老臣4人だけだ、さすが秀吉は抜け目ないや。権現様だってあんなに苦しめた武田の家臣をみんな家来にしてしまったよ。景三郎も早く帰りな、そしてこの様子を皆に知らせておくれ。浦賀の連中もみんな帰そうと思っている。だから一足先に帰って連中の飯の支度をしておいておくれ。俺は木鶏だから警鐘を打ち鳴らすのさ。明日の天気は分からんが夜明けがくることは確かだよ。
榎本釜次郎はこっそりと景三郎を自分の部屋に呼び寄せた。
蝦夷共和国の命運は尽きたよ、海軍を失っては弾薬・食料がすぐになくなる、蝦夷の冬は越せないよ。もちろんフランス人には帰ってもらうさ、これは日本人の戦争だからな。景三郎は通詞で戦闘員ではない、だから戦場にいてはいけないのさ。三郎助さんも分かっているよ、後のことは俺たちに任せたがいい。しかし軍には弾みというものがあるから事前にどうこうと予測できない。ただ城を枕に討ち死になんて野暮なことはしたくないよ。
吉田松陰先生はこう言い残したそうだ。
「死は恐るべきでも憎むべきでもない、生きて大業をなす見込みがあればいつまでも生きるがいい、死んで不朽の見込みがあれば いつ死んでもいい」
天命なんて待っているのは愚か者さ。命ずるのは自分ならそれを行うのも自分だよ。
みんなありがたい忠告だったが、ではこの先をどう生きていくのかという答にはならなかった。幕府は滅び蝦夷共和国も消滅する。天朝という新政府ができて西南の人々が政治を行う、東北の人々は虐げられていくのだろう。どの戦争も権力争奪の戦いにすぎない。
郷の暮らしも変わっていくだろう。
白老のアイヌのエカシ長老はチャランケ話し合いの時にこう言った。
この地はカムイ神の地だ、人間が勝手にできるものではない。神を身近に感じて神に仕えながら命を授かるという思いを持たなければ生きていけない。和人は自分勝手に暮らそうとするから滅びてしまうのだ。あなた方もここで暮らそうとするなら、我らと同じ考えを持つといい、そうすれば我らは助力し喜怒哀楽を共にして歌と笑いのある幸せな暮らしができよう。どんな家に住むか、何を食べるか我らに聞きなさい、ここの冬は辛い。
「ムッシュ」
声をかけられて顔を上げると見習士官の少年が心配そうにのぞきこんでいた。乗組員は事情を聞いているとみえて景三郎に話しかける者はいない。
「ボア・チュ飲みませんか」
カップに湯気の立つコーヒーが入っていた。
「あんまり寂しそうなので」
「かなり寂しい」
景三郎が笑ってみせると彼もニヤリとした。
「詩を思い出しました」
Brised'automne Violon
Nepleure pas Apeine
Monâme Douloureux
秋風の ヴィオロンの
節ながきすすりなき もの憂き哀しみに
わが魂を 痛ましむ
堀口大学 訳
「あなたの詩かもしれません」
「そうです、私の詩です。作者は」
「ポール・ヴェルレーヌというパリで有名な詩人です」
「パリにも寂しい人がいるんですね」
「元気を出してください。枯葉が散れば若葉が芽生えます」
そう言って彼は仕事に戻った。
コーヒーは熱く濃く苦かった。
船は館山の突端を回って江戸湾に入っていった。左舷には浦賀の町の灯が見える。船は本牧沖に仮泊して朝に入港するという。
横須賀製鉄所が間近になった。猿島を右舷にして船は止まっているほどに速度を落とした。満月を過ぎた月が海に光を投げかけている。風も波もない静かな夜だ、黒々と影になっている島を通りぬければ製鉄所のある入り江だ。操舵室ではカズヌーヴ伍長が舵手を雑談に引き込んで絶えず笑い声が聞こえてくる。ブリュネ大尉は左舷に立って巻いたロープを持っている、景三郎は船室の扉に隠れて合図を待った。
舵手が操舵室から出て船室に何かを取りに向かうと機関が減速して行き足が一段と遅くなった。カズヌーヴが操舵室から顔を出して合図をする、ブリュネはロープを海に垂らす。景三郎は走りよってロープを伝い海に入った。手早くロープは巻き上げられ甲板に人の気配はなくなった。
1キロほどの距離を泳ぐと製鉄所の桟橋がある。寝静まった宿舎の間を走って製図室を見つけそっと中に入った。濡れた服を脱いで岡田井蔵の作業着を身につけた。畳んだ自分の服の上にアイヌコタンで貰ったクマの首飾りを置いた、ケイサという文字が彫られている。ミドリと彫られたミミズクとエマと彫られたサケは景三郎の首に下がっている。製鉄所の門を出てながえの郷に帰っていった。
急な登り道を越えると風が吹き通る尾根道になり、星明りで視界が広がった。左舷の谷戸がながえの郷だ、夜明けまでしばらく間があるので家々は暗く沈んでいる。
景三郎は今、カムイを身近に感じている。森の中には動物の姿をしたカムイがじっと見ている。木々のカムイも息をひそめてこんな時間に歩いている自分を見ている。自分を受けとめている大地、包み込んでいる大気、それを教えている風、闖入者が通り過ぎればすべてが平穏に戻るのだ。
折れ曲がった急な坂を下りると本瀧寺の屋根が見えた。墓地と山門を過ぎると自分の家がある。ミドリと絵馬は眠っているだろう。足音を忍ばせて家の裏手に回りそっと足を洗って井蔵の服を脱いで畳んだ。まだ二人は目を覚まさない。絵馬の隣の寝具にすべりこむと川の字になった。ようやくミドリが気配に気づいた。何か言おうとするのを抑えて手を握ると景三郎はもう眠り込んでしまった。
蝦夷共和国のその後を記しておこう。
5月4日、千代田形が座礁して乗員は退避した。その後に上げ潮になって浮上したところを新政府軍に捕獲された。蟠竜丸はボイラーが漏れて一時航行不能になったが7日になってから修復して艦隊に復帰した。
5月7日、回天は新政府艦隊5隻と砲撃戦を行い機関に砲弾を受けて行動不能になった。
5月12日、新政府軍が弁天台砲台を攻撃し土方歳三が戦死した。
同じ日、蟠竜丸が朝陽丸を撃沈した。
新政府軍は箱館病院の頭取高松凌雲を仲介として平和談判を求めたが榎本は拒否した。
5月16日早朝、新政府軍は千代ヶ岡砲台を陥落させ中島三郎助父子をはじめ浦賀奉行所にかかわりの深い人たちが戦死した。
5月17日、榎本は降伏した。
5月21日、アメリカ船ヤンシーで榎本他幹部8名が青森に送られた。幕府要職の松平定敬、板倉勝静、小笠原長行、竹中重固は直前に脱出して江戸に帰っていた。
ブリュネらはフランスに帰ったが、マルタン、フォルタン、ブーフィエの3人は再び日本に戻って新政府の大坂兵学寮に教官として勤務した。彰義隊を半日で撃破したあの大村益次郎の求めだった。
榎本釜次郎は東京の糾問所に送られた。長州は死刑にしたかったが、新政府軍参謀、薩摩の黒田清隆が坊主頭になって助命を嘆願した。今後の海軍建設のために榎本が欠かせないと思ったからだ。榎本はオランダから持ち帰った海律全書と航海術の講義録を黒田に贈った。その翻訳を依頼された福沢諭吉は数ページだけを翻訳しだけで、後は書いた本人でないと分らないと言って助命を図った。福沢は榎本の母親が獄舎で面会できるように尽力した。榎本は颯爽たる美丈夫で勝海舟とともに江戸っ子が誇る人物だった。後に海軍中将になった。
軍艦の運命も記したい。
鳳凰丸は五稜郭陥落後に降伏兵を輸送した後、大蔵省の所属になった。
咸臨丸は北海道開拓の人と資材を運ぶ貨物船として貸し出された。木村万平という回送問屋が組織を作り北海道開拓使の支援のもとで事業にあたりフランシス・エチヘ船長が水手17人を使って運航した。しかし明治4年、仙台白石の家臣401名を乗せて小樽に向かう途中で座礁し沈没した。開拓団員と乗員は全員助かった。
千代田形は船首の30ポンド砲一門で最後まで戦い続けたが座礁して新政府軍に分捕られた。その後は漁船として活用され明治半ばまで就役した。頑丈な船だと信頼されていたという。
蟠竜丸は雷電と名を変えて明治半ばまで運航していたらしい。
蝦夷共和国は負の遺産も残した。
プロシアの箱館副領事ガルトネルは西洋農業試作のため10町歩の土地を99ヶ年租借することを申し入れた。有志12名と農夫50名が開拓にあたり西洋農法を教える計画だった。箱館奉行永井尚志と奉行並中島三郎助は裁可してしまった。新政府も追認したが明治3年になって6万2500ドルを支払い土地を取り戻した。プロシアは同じようにロシアでもエカテリーナ女帝に願い出てドイツ人自治共和国を作った。しかしスターリンがすべてを抹殺してしまった。
「あとで確認したら景三郎とブリュネ一行を江戸から箱館まで運んだのは神速丸だったらしい」
艦長の内藤実蔵は香山栄左衛門の次男で中島三郎助の妻すずの弟、朝陽丸の蒸気方士官だった。横須賀製鉄所で修理をしていた神速丸を受け取り、景三郎やブリュネらを五稜郭へ乗せて行ったという。
「やはり主役は旗艦に乗っていないと様にならないだろう。書き直さなかったんだよ」
「そのくらいは許す、物語なんだからね」
「実在の人物と物語の人物が語り合っているというのは妙な気分になるね」
「小説や映像は皆そうだよ。出来事も人もおもしろくしなければ、歴史好きの人だってメチャ誤解していると思うよ」
神速丸は開陽丸とともに江差で沈没した。
五稜郭の見聞を書いた内藤の日記は貴重な資料としてハーバード大学に保管されている。内藤は生き残った浦賀奉行所の仲間、朝夷健次郎や山本安二郎らとともに明治4年に製鉄所に出仕した。主船小師月給30両を与えられ明治19年には造船課工場長となり退職した。香山栄左衛門は明治10年に亡くなった。
横須賀製鉄所は新政府の大黒柱になった。創設したヴェルニーの人柄による。彼は日本を騎士道の国と思った。高潔で忠誠心にあふれる騎士物語の世界、昔のフランスもそういう国だった。粗野で野蛮なフランスと思われたくない、技術だけでなく人格を以っても日本人の模範となる人たち、とくに医師はそうであってほしい、そんな観点で人選にあたった。
選ばれた医師はサヴァティエといった。海軍一等医官だった。年俸は五千ドルだった。新婚の妻が同行していた。上海領事の娘でマリーといった。日本で一男二女を産んだ。長女はフランソワーズというフルネットの美少女だ。
サヴァティエは植物学者でもあった。勤務のあいまをぬって植物採集に励んだ。職工の川島三次郎に舟を漕がせ三浦半島の各地で採集をした。さらに技士の一人を助手にして佐波一郎と姓を名乗らせ、艦材鑑定師のデュポンに同行させて植物標本を集めてはフランスの師フランシェに送った。
高潔な人柄だった。村人の病気を治しても治療代を取らなかった。私は幕府から多額の年俸を得ている。それはあなた方の年貢でまかなわれている。だから納税者に尽くすのは私の務めだと言った。
そんな基盤が横須賀製鉄所にあった。
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