11章 エピローグ 
    2022令和4年 2月

「これで手紙は読み終わりましたとお祖父さんにお伝えください。めでたしめでたし」
    美帷はあからさまに不機嫌な顔をした。
「それが終わりではいけないな。死ぬまで人は生き続けるのよ、いくら物語でも登場人物が消え去ってしまうことはないでしょう、皆がどうなるのか最後まで話してください」
「そんなことを言ったって物語なんだから終わりはあるのさ、終わらない物語なんかないんだよ」
「では個別に聞くわ、クラはどうなるの」
 意外としつこいのに辟易した。
「書店の手代になったことまでは話したね。明治になって横浜の出店を委ねられて、そこに福地源一郎が来て意気投合して、彼の新聞社に招かれて記者になる、それならヨミウリとつながるだろう。政府の不正を暴き、金持ちを批判し、華族の自堕落を排斥してめざましく活躍する、これでどうだ」
「それは痛快ね、そうしましょう。次は女剣士のナミさんよ」
「まったく君は厳しい」 
 今と違ってまだ女の一人旅で外国へは行かれない。政府の使節や貿易商に同行するか留学を申請する、しかしそれも女性差別が強いから難しかろう。井蔵が「居合い抜き」と言ったことがヒントになった。海外へ進出する芸人の一座に入ればいい、公演途中で抜け出すことにしよう。
「それでパリに行くのさ。景三郎のフランス語が耳に残っていたのかもしれないね。そこで結婚する。相手は留学中の日本人か現地のフランス人か迷うところだが年下であることは間違いない。それでどうだ」
「なぜ年下なの、偏見がありそうだよ」
「まったく君は筋金入りの歴女だよ。歴史にタラレバはないからな。でも物語はもしかしタラ、そうすレバばかりなんだよ」
 口が滑っただけで他意はなかったと謝った。年上に甘える、年下を慈しむ、どちらでもナミさんは幸せになりそうだ。
「いいわ、そうしておく。スエンソンは?」
 スエンソンは帰国して思い出を「日本素描」という新聞コラムに連載した。それが大評判になりデンマーク人の日本理解が深まった。抜擢されて大北電信会社の責任者として明治3年に再来日しウラジオストック・長崎・上海間の海底電信回線を敷設した。その後には社長となり明治政府は勲二等の勲章を贈った。これは事実だ。
「なるほど勝ち組ね、勇四郎はどうなったの」
「隠居して釣りと庭いじり、どんどん零落していくが気にもとめない、それが江戸っ子さ。自分に子はないが官員になった甥や富裕な家に嫁いだ姪が世話してくれる。運が良いというのはこういうことだろうね」
「一番幸せそうね。もしかするとオジさんもそれを憧れているのかもね、製鉄所の井蔵さんは」
 岡田井蔵は工部省に出仕し明治17年には工場長になった。これも事実だ。製鉄所は着実に日本の産業革命を推し進めた。
 明治2年には観音崎と野島崎灯台を建築。
 明治3年に管轄が工部省となり品川と城ヶ島灯台を完成。
 明治4年に120メートルのドックを完成、生野銀山の採掘機械を製造
 明治5年には管轄を海軍省に移し横須賀造船所と改名して軍艦清輝897トン40馬力木造3本マストを竣工し、以後も軍艦を次々に建艦した。
 フランス人は明治8年まで滞在し、その時の責任者肥田浜五郎がヴェルニーらを解雇した。肥田は浦賀奉行所、遣米使節を経て明治4年に造船兼製作頭となった。明治政府はフランス式だった旧幕府海軍をイギリス式に改変しフランス人を排除したのだ、肥田は幕府の最後の尻拭いをしたことになる。
    もう一つ幕府の尻拭いがあった。小栗上野介はフランスに借金をして製鉄所を建造した。そのうちの百五十万ドルは返したが残金五十万ドルが残った。パリ銀行は差し押さえを宣言したが、その矢先にイギリスのオリエンタル銀行が融資して返済した、その尻拭いをしたのは大隈重信だ。
 明治11年に長崎伝習所の仲間で千代田形建造に尽力した中牟田倉之輔が造船所長に就任した。後に子爵になり横須賀鎮守府長官となった。山本金次郎の次男安次郎は後に海軍機関中将にまで進んだ。造船所は海軍工廠となり明治40年に横須賀が市になった時、人口6万3千人の五分の一が従業員だった。
「知りたいのはそんなところかな」
「まだまだ」
 明治9年、清水次郎長は静岡茶を輸出しようとして元外国奉行所通詞の矢野二郎を年棒千両で雇おうとした。しかし事業は中止となった。
「井蔵と人斬り以蔵を間違えた清水次郎長が景三郎に依頼して勝麟太郎と協力して徳川遺臣を助けるなんておもしろいだろ。でもそんな展開にはならなかったんだ」
「いかにも漫画になりそうね」
「重兵衛を覚えているかい、遣欧使節に一緒に行った伊勢屋の番頭さ、彼こそ明治で活躍する人だと思った。それで、こんな場面を考えてみた。この先は重兵衛の言葉だよ」
    今、時代は変わっています。代々の札差家業はなくなりました。私の本家伊勢屋八兵衛は大名貸しですから300通の借金証文があります。たぶん紙くずになってしまうでしょう。もともと伊勢八は幕府御用の人入れ稼業で財をなしました。大政奉還で幕府は天朝に服し公武合体を進めましたが、それを壊したのは外様藩の下級武士たちです。先導したのは長州です、関が原の戦いに負け領地を失いましたが家臣は残しました。その苦渋を今にまで伝えたのです。尊皇攘夷の旗印で幕府を追いつめ、都合よく尊皇討幕に旗印を変えたのです、勝てば官軍といいますね。
 蔵前の札差は没落し、代わりに渋沢栄一さんが米穀取引所をお作りになりました。伊勢八の本家加太様は渋沢さんとは因縁があり、二人は柳橋の芸者金八を我が物にしようと争った仲です、しかし勝負はつきました。
 小栗さんは郷里で官軍に斬殺され、勝さんは伯爵となって政界で活躍し、中でも桂小五郎さんは木戸孝允と名を改め明治政府の中心人物になっています。福沢諭吉さんは若者の教育に励み、あの上野の戦争で砲弾が飛んできても授業をやめなかったといいます。福地源一郎さんや栗本瀬兵衛さんは新聞社で筆を振るっています。 武士は没落し公家が華族となり栄華を迎えています。政府は豪農と大商人を結束させて日本を強国にしようとしています。そのために必要な莫大な資金を生糸の貿易でまかなおうとしています。

「なんだ物語はまだ続くじゃん。そんなことを言っていると時代がどんどん深くなっていくよ。明治の物語と重なってしまうと困るでしょう」
「そうなんだが止まらないのさ。せめて福沢諭吉の有名な痩せ我慢の説までたどりつきたいのだが」
 「痩せ我慢の説」というのは勝海舟と榎本武揚が新政府で活躍しているのを痛烈に皮肉った文だ。しかし、それが公表されたのはずっと後だ。勝は「毀誉褒貶は歴史に委ねる」と返事をした。今から古を見るのは 古から今を見るのと少しも代わりはないのさ、というのが持論だった。榎本は「今は忙しいからいずれまた」といなしてしまった。
 福沢諭吉は何も反論しなかった。

「もう分かりました、終わりにしましょう。私の中学生時代の最後にこんなことがありましたと覚えておきます」
「君は高校受験があったんだな。すまないことをしてしまったね」
「あらオジさん知らなかったの、私はとっくに高校生よ」
「えっ」
「推薦入学で合格しているの。友だちは受験勉強で必死だし、部活動はとうに終わってしまったし、やることがなくて私は暇だったの。だからオジさんの長話が聞けてよかったわ」
 狐につままれたような気分になった。
「けれど歴史がいよいよ好きになったわ、ありがとう。」
「知らなかったよ」
「情報収集力が不足ね、けど知っていたら話がもっと長くなったかも、お話おもしろかったわアリガトウ。ただ一つだけ質問、ミドリのモデルはまさか私ではないでしょうね」
「思ってもみなかった」
「ミドリは景三郎より年下だけど甘えさせる人よ、たぶんオジさんの好みね。私は年上で甘えさせてくれる人がいい、その人に寄り添って幸せな気持ちでいられる人」
「歴史の中では誰だろう」
「信長よ。我がままな人で愛人を吉乃つまり吉法師のもの、と名づけるくらい所有欲の強い人だった。でも奇蝶さんはそれを乗り越えたわ、正妻の美濃の姫お濃よ、信長のパートナーになったんだから。結婚って従属ではなく信頼よ、アリガトウ」
「ちょっと待った、君の名はミノブだね、文字さえ知らないんだ」
「美惟、どうも美唯にしようとして書き間違えたらしい、でもミユは他に何人もいるからミノブで良かったわ。惟は考えるっていう意味らしいわ、考える美人なんて素敵でしょ、サヨナラ」


 もちろん手紙は物語の中です、どこに実物があるのかなどと探さないでください。坂本龍馬や高杉晋作の手紙をもとに捏造しました。