此度崎陽行付三郎助殿若党長蔵辞退申出候而急遽私儀派遣被御沙汰候 私儀ハ中島様随従ニテ罷越候 一年後頃ニ帰国カト存候
別後大きに御無沙汰而已打過背本意候段 真平御高免奉希候
往千里 過京師至浪花、吉備、安芸、博多ト天下各国形勢格別事御座候 伝習所今月中入所仕候 乍憚寮頭勝麟太郎先生気迫人 中島様佐々倉様他浦賀奉行所多仕合仕候 出島程近阿蘭陀人往来 夫故僕モ軍艦之乗方 天文地理之術に志 格別阿蘭陀語稽古熱心而出勤仕候 曽祖父様知人、肥前屋跡等
旧事聞及得候、必旧辞有聞及事御知申上候 日林上人玄七ヤエ様御無事御暮被成候之由目出度存参候 恐惶謹言
乙卯
二伸 御息災第一存候
御父様膝下
再拝
この度、三郎助殿長崎行きのお供の若党長蔵が辞退され、急遽、私がご同行することになりました。中島様にお仕えする小者として参ります。帰国は一年ほど後になろうかと存じます。
父上には日々お目にかかることができなくなり、お気持ちをそこねるかもしれませんが、私自身の望みでありますのでなにとぞお許しください。
千里の道を行き、京都や大阪、岡山、広島、博多と天下の各地の様子を知ることもできて格別の思いです。伝習所は今月四日に入所予定です。生意気なことを申し上げますが寮頭の勝麟太郎先生の気迫には驚かされました。また中島様や佐々倉様、春山様など浦賀奉行所の方々が多くて安心です。出島の近くはオランダ人が往来しているそうで、僕も軍艦の乗り方や天文地理の技を覚え、特にオランダ語を熱心に勉強しようと思っています。 曽祖父様のことを知る人や肥前屋の跡などが分りましたら必ずお知らせいたします。
日林上人や玄七とヤエ様が御無事でお暮しくださればうれしく存じます 恐惶謹言
景三郎
追伸 くれぐれもご健康に用心されますように
御父上様膝下
再拝
安政2年
「とうとう長崎に着いたよ」
「手紙も長いですね」
コロナのために会話は常にマスク越しだ。不織布マスクが効果的だと医者が言うので布マスクは使わないし模様入りのも流行遅れになって白がほとんどだ。ただ鼻からあごに隆起したアニメの横顔のようなデザインのマスクを着用する人が多くなった。
「この前、電車にマスクなしの若い女の人が乗ってきたよ。ピカピカのブランド服で挑発的に皆をにらみつける、何なんだろう」
「格好つけているのよ自分は違うんだって、アメリカも皆そうらしいよね」
美帷は掃き捨てるように返事をした。
「皆が同じにすれば皆が安心なのにね」
「オジさんの世代は皆そう思うらしいわね、横並び意識っていうの」
「感染をしてもさせてもいけないだろ」
「個性を大事にしろと言う先生が制服を強制するのと同じね、大人は矛盾が多いな」
デザインマスクは1つ何百円もする、普通のは百枚でワンコイン、お釣りがくる。確かに若いころは人と差をつけたかった。
「それも横並びの一種だと気づかないのよ」
醒めている年代なのかもしれない。
約束どおり外輪蒸気船スンビン号が長崎に来た。幕府はオランダとも条約を結ぶことにし、さらに2隻の新造軍艦と伝習教師の派遣を求めた。安政2年、オランダから教授団が到着し乗艦のスンビン号を幕府に献上した。幕府は喜んで観光丸と命名し日蘭和親条約を結んだ。団長ライケン、運用(航海)ベルスライケン、舵取(操舵)カッテンデューケ、造船スガラウェン、測量エーグ、機関ドールニキマが教授団員だ。
あわてて、といっても悠長な幕府は40日もたってから伝習生の選出に取り掛かった。伝習総督を長崎目付の永井尚志、長崎徒目付の永持享次郎と江戸の谷田掘景蔵、勝麟太郎の3人が取締まり、浦賀の中島三郎助と佐々倉桐太郎ら7人が士官となり総勢170人、長崎地役人32人と通弁14人が世話をする。伝習生は浦賀奉行所同心、韮山代官手代、福岡 薩摩、長州、熊本、福山、津、掛川、田原の諸藩の藩士など多彩だった。
一行を江戸から長崎に送ったのは薩摩の新造船昌平丸だったが大嵐のため大変な航海になった。12月になってからようやく伝習が始まった。
立て続けに地震があり異国船が来航して世情は騒然としている。しかし主要な人々を送り出した浦賀奉行所は気が抜けたようだ。
本瀧寺では相変わらず戴陽老人と日林上人が浮世離れの生活を送っている。戴陽老人は手紙を二度読むと日林上人に渡した。
「これで景三郎も遊びを覚えるかな」
日林はキッとして戴陽の顔を見た。
「学問を始めたばかりの若者には誘惑が多いことでござろうが」
「なになに、迷ったら引き返せばいい、深みにはまったら手を伸ばしてやりましょうや」
「拙僧は長崎を知らぬが遊所が多いと聞きますぞ」
「初め極楽、うぶなうちはさぞもてましょう、そうやって人間の甲斐性というものを学んでいくんじゃよ」
「戴陽殿は世間師ですから悪ずれしている、三郎助殿がかたわらでは悪さもできまい」
わしの祖父は…戴陽は言いかけてやめた。江戸一番の人だった、祖父と一緒に酒宴を過ごせば誰もが自慢した。狂歌、狂詩にふけった仲間たちの多くが身を滅ぼした。武士も庶民も罰を被った。松平定信は寛政の改革を押し進め、田沼意次の事績を消滅させようと全力を尽くした。しかし、祖父は逃げおおせた。誠実実直でそつのない役人になりすまし学問吟味では一等の成績を挙げ大坂銅座詰から長崎出役にまで出世した。智あり才あり愛嬌ありの祖父、何もないのが自分だ。
「世の中、変わり目だよ、お寺も末世などと宣伝して賽銭稼ぎをしたらどうだい」
戴陽が憎まれ口をきいたが日林は泰然としている。
「景三郎からその後の便りはござらんな、どうしているものやら、便りのないのは無事の知らせというが」
「頼りにならぬわし故にチチン、便りも尽きてチンテンシャンとね」
老人が真面目にふざけてみせると上人も負けずにとぼけてみせる。
「洒落に生きデデン、粋に死なむと戴陽はデンデン、長唄と義太夫のかけあいさ」
呑気に茶を飲んでいると人影が立った。長徳寺の手習い師匠の布川勇四郎だ。
「ご両所、ひなたぼっこですか」
「いやいや我らは世を憂いておる」
戴陽老人は言葉を改め姿勢を正した。
「武士と申すは武をもって国に仕える者、町民とは町に住み百姓とは村に住んで稼業に励む者、商あり技あり、農あり漁も猟もあり。学者、医師、僧、神官、山伏は人の悩みを癒し、芸能、花柳の人は喜びをもたらす者、乞食でさえも喜捨を与えた人に安堵をもたらす者、それらが本分を全うしておりません」
「さすが老人、ご高説ですね」
勇四郎はニヤニヤ笑った。
「四海波穏やかならそれですんだ、こうやって異国が利を求めて襲来してきてはそれではすまん。泰平の眠りを覚ます蒸気船、寝ぼけたうちにあれよあれよと」
「先生、ご狼狽ですか」
勇四郎が無駄口を受けてくれているので日林は居眠りしている。
「上人!お考えは如何」
戴陽の声ではっとしたように日林は居ずまいを正した。
「所不能知 意趣難解 法華経にそうある。分かったふりはするものではない」
日林は続けて説法を始めた。
「大きな水たまりの前で華やかな着物の娘が渡れず困っている。僧は気軽に娘をおぶって水たまりを渡った。それを見て弟子が驚いた、女の体に触れるのは大変な破戒だ。それで3日間も悩んでついに師匠に言った、破戒ではございませんか。僧は驚いて弟子に言った、まだお前は女を背負っていたのか、わしは降ろした時に忘れてしまったぞ」
勇四郎はあっけにとられた、話がまるでかみあわない。老人の暇つぶしに巻き込まれていると悟って茶を飲み干すと早々に引き上げていった。
「あの御仁、上人のたわごとをすっと忘れることができますかな」
戴陽が悪戯そうな顔をすると日林は謹厳めかして答えた。
「とかく若い者は聞いた話を理屈にする、心で受け止めようとしない。理には角があるので情に足をすくわれます」
「若者ばかりではござらぬが」
「左様さ、開国の理、攘夷の情ともに意趣難解でござるな」
二人は勝手に納得している、ただ戴陽は景三郎の顔を思い出していた。
「親がなくても子は育ちますの」
日林ははっと気づいて説教をした。
「仏の教えに三車火宅と申すことがあります。家から火がでた、3人の子どもは遊びに夢中だ、父親が叫んだ、表に羊の車、鹿の車、牛の車を置いてある、どれでも取っていい、早い者勝ちだぞ、子どもは全員が助かった。これは難解ではあるまい、方便の利得を教えたのだ」
「景三郎にはなんと叫ぼうかな」
「無言でよろしい、道は自ら開けましょう」
「おい、耳がきこえないのか」
景三郎はしまったと思った。長蔵!と呼びかけられて気がつかなかったのだ。慣れていないし他人の名前で呼ばれるのが嫌でもあった。まさか俺は景三郎だと名乗るわけにはいかない。
もちろん偽名でここに来ている者はかなりいる。学問をしたい者ばかりではない、一旗揚げようとする者や、訳があって故郷にいられない者などがたくさんいる。だから努めて疑いを持たれぬように気を配らなくてはならない。名前を呼ばれてすぐに返事ができなくては困るのだ。
「すみません、考え事をしておりましたのでお返事が遅れました」
「長蔵さんとやら、こないだも2回も声をかけたのにそっぽを向いたままだったよ、ずいぶん無礼な奴だと思ったよ、他人迷惑はよしとくれ、俺は江戸っ子だ、ケンカ早いんだ、覚えておいてくんな」
伝習生は全員が文化の違いに直面している。幕臣は保守的で新しい生活に溶け込もうする気力に乏しい。旗本の子いわば若殿様たちは寄合いという無職に近い家の次男や三男が多く、余計者だから追いやられたというひがみや嫉妬心を持って長崎に来ている者が多い。御家人は小普請という無役の者が多かったので貧乏生活に慣れており環境の変化に対応することができる。浦賀奉行所や韮山代官所の人たちは熱意に燃えている。従者という資格で参加している諸国の下級武士たちも同じ気持ちだ。皆が黒船の襲来という危機感を共有し学問と技術を習得しようと必死になっている。
旗本御家人の身の回りの世話をする役目の本物の従者たちは行き手がなくて口入屋(職業紹介所)で雇った者ばかりだ。学問の興味どころかすねに傷を持ち長崎でほとぼりをさまそうとする者ばかりだから無節操な江戸の生活をそのまま持ち込んでいる。
水と油のような人間が狭い所にひしめいて暮らすと日々に軋轢がある。
水手たちも和船との違いに当惑し訓練も厳しい、その上、異国人と接する嫌悪感がある。仲間の一人がマストから落ちて死んでしまったあとは一層、ふてくされてしまった。
「集団のストレスね。分かる、いじめもそこから出ているのよ、学校だって同じよ」
美帷が経験者の口ぶりで言った。
「どうしたらいいのだろう」
「難しいわ、ただ良い先生のそばにはいじめなんかないわ。安心感とか相互信頼とかあるからかもね、ところで皆は何を食べていたの、給食があったのかな」
突然の話題変更で美帷がいじめとは無縁なことが分かってほっとした。
江戸の食事の習慣は朝夜とおやつだったがオランダ人は朝昼夜と三食を取った。しかし伝習生の食事は身分ごとに違う。江戸城に出勤する御家人の昼食は変色した古米の飯と湯同然の薄い味噌汁、塩辛いタクワン2切れだったので、さすがに貧乏な御家人の口にも入らず、皆が弁当を持参したという、若党などはもっと粗末だったろう。しかし旗本には煮物や魚、豆腐などがつき宿屋の食事と同じようなものだったという。
「伝習を受ける熱意がなければ我慢できない暮らしぶりだったと思うよ」
「閉じ込められていて発散できないのが辛いよね」
コロナ生活がそれに近い。
その旗本は小野寺幹蔵という千石取りの三男坊だった。放埓と遊蕩で勘当同然、厄介払いのように長崎に追い出された。これが景三郎に目をつけた、うっぷん晴らしにいじめてやるのも面白かろう、そんな了見だ。
「おい長蔵、お前の旦那は三郎助だったな、いい旦那で良かったな」
「ありがたくございます」
「なんだって俺が旦那でなくてありがたいと言うのかい」
「いえ、そんなことは」
「言わずもがなと思っているな、この小野寺様も安く見られたもんだ」
すぐに取りまきが応じる。
「こいつはふだんから生意気な野郎です、痛い目にあわせましょうか」
「総監の支配を受けているんだから、めったなことはできない」
「よたよた歩いていて波にさらわれて海にはまる奴もいますよ、」
「そうだな、それは自業自得だな」
「前ばかりでなく後ろも見て歩けよ、このカエル野郎」
若党は主人の世話をする。朝に着替え洗面を手伝いヒゲを剃り髪を整え食事の介添え、掃除洗濯から身の回り一切の仕事をする。殿様は当然のこととしてこきつかう。三郎助は何でも自分でできるので景三郎に用事を与えることはまるでない。
従者は割り当てられた大部屋で禁制の賭け事をする、酒もタバコも禁じられていらいらしている。自分たちとつきあおうとしない奴を難癖つけていじめてやろうと思っている。
「長蔵さん、元は誰だか知らねぇがここにいれば若党仲間だ、たまにはつきあってくれたっていいじゃねぇか」
「私はバクチというのを知りません」
「楽しいものだぜ。教えてやるよ、まかせときな」
「それにバクチはしてはならないとご支配様からお達しがあります」
「なんだと、じゃあ俺たちはご法度やぶりかい、おそれながらと訴え出るのかい、やれるものならやってみろ、ウジ虫野郎」
伝習を受けたくて頼み込んで従者になって来た武士や商人も景三郎の恵まれた生活をうらやんだ。主人にこきつかわれて勉強をする時間がないと嘆いている。彼らは殿様などよりずっと能力気力と理想が高い。だから景三郎をはがゆく思った。それほど恵まれているのにどうして伝習を熱心に行わないのだ。無駄飯食いめ。
碇を降ろす訓練だった。ロープをつかみ掛け声に合わせて緩めていく、突然、止めが外れてロープが走った。一人がはねられて腕を痛めた。擦り傷から血を流している者もいる。誰かが手を離したのだ。
「誰だ」
皆は黙って景三郎に目を向けた。指導に当っている同心は舌打ちしてにらみつけた。
「こんな所で何をしている」
用人が叱りつける。
「谷田掘様の部屋に出頭せよと書付が参りました」
「俺は知らんぞ、見せてみろ」
「お前、何か人の気にさわることをしたか」
「いえ覚えがありません」
「これは調伏といってな、気にくわぬ奴にいたずらをしかけることだ、家を出れば七人の敵というぞ、油断をするなよ」
「おい長蔵」
「はい」
「灰は花咲爺さんさ」
「御用ですか」
「さすが浦賀奉行所の下っ端だ、御用御用とわめいて無宿者を牢屋に入れたのかい、不浄役人の下郎め」
「お申しつけがなければ下がります」
「お前は偉いんだね、上の者が下がれと言う前に勝手に下がるなんてな」
「何をいたしましょうか」
「俺の格好を見ねぇ、キセルを右手、タバコ入れを左手に持ったままさ」
「火をお持ちしますか」
「煙草盆に火はあらぁ」
「灰吹きをお持ちしますか」
「ここにあるよ」
「では何を」
フンと言ってゴロリと横になる。仕方がないのでそのまま座っている。
「誰かいないか」
突然、大声で人を呼ぶ。あわてて子分が走りこむ。
「こいつがさっきから座っていて目障りだ。さっさと連れ出してくれ」
おい下郎、お部屋から下がれと乱暴に追い出された。部屋から高笑いが聞こえてきた。
「お前の顔を見ると飯がまずいや、自分の顔を鏡で見てごらんなよ、情けないつらをしているぜ」
誰かがかばうような言葉をかけると仕返しが倍になる。
「長蔵と話してはいけない、話しているところを見つけたら俺が殴る」
小野寺はそう言い放つ。若党仲間はニヤニヤ笑ったが一人だけ地方から来ている男が抗議した。
「そげなことしちょっておはん何がおもしろか。ばってん、おどんは聞かぬぞ」
小野寺はすっと立って男に向かった。
「おめえはオランダ語を話しているのかい」
真赤に怒った男に顔を突き出して小野寺はせせら笑った。
「さあやるならやってみろ、お前が先に手を出せば思いどおりだ、足腰立たなくしてやろうさ、さあ殴ってみろ」
無法な振る舞いに男は黙って背を向けた。
舵取教授のカッテンデューケが舵の回りに伝習生を集めた。なにやら説明すると通詞が訳す。通詞は長崎訛りの日本語で無表情に話し言葉の最後に、と申されておりますると結ぶ。それがたまらなく可笑しい。くすりと誰かが笑うと皆が一斉に笑った。カッテンデューケは自分が笑われたと思って怒った。
「真面目な話を聞かない者はでていきなさいと申されております」
感情のまったく入らない平坦な言い方に一同はまた笑ってしまった。
カッテンデューケは激怒して部屋に帰ってしまった。役人が来て取り調べた。皆は景三郎を見た。指差す者もいた。役人は厳しく叱責しカッテンデューケの部屋に連れていき謝るように命じた。カッテンデューケはけげんな顔をした。これがスケープゴートであることが分かったからだ。
「謝罪は受け入れた、以後まじめに聞くようにと申されております」
通詞は冷たく言い役人は何度も頭を下げて部屋を出た。
「長蔵さん、おいらは明日が便所掃除の番なんだ、代わってくれるね」
「長蔵さん、これは旦那の靴なんだ磨いてくれるね」
「旦那の下着さ、ついでに俺の下着さ、洗っておいてくれ」
そんな雑用を負わされるようになった。
起床の鐘が鳴る、4人部屋の割り床という粗末な寝床から下りて洗面に急いだ。出口で何かを踏みつけて仰向けに倒れてしたたかに頭を打った。踏みつけたのはクラゲだった。3人は知らん顔をしている。当然、知っていて自分は踏まないように気をつけたのだ。ズキズキする頭をさすりながら洗面をすませたが3人は無視して何も言わない。情けなくて泣き出しそうになった。
皆と食事をしていてもあからさまに当てつけを浴びせかけられた。
「へん、ボイラーが焚けなくても沸かした湯は飲めるんだな」
景三郎はボイラーで最初につまずいた。狭い暗い部屋に巨大なボイラーが設置してあってゴーゴーとうなりながら火が燃えている。たぶん自分が江戸の大火事で親に離れたときの記憶がよみがえるのだろう。燃え盛る炎が地獄のように恐怖から絶望へと落としこんでいく。大きく叫びながら部屋を飛び出した。他の伝習生も機関教授のドールニキマもあっけにとられて見送った。
「食うのは一人前さ」
「帆柱の上に飯を置いておけば食いに登るだろうよ」
景三郎は帆柱に登れなかった。なぜだか分らない、生まれつきなのかもしれない。目がくらみ手足が震えてあやうく落ちそうになる。何度やっても慣れることはなかった。もしかすると帆柱から落ちた水手も同じだったのかもしれない。景三郎を見ると水手たちはあの日あの現場を思い出して身震いした。縁起が悪いと言って景三郎と出会わないようにした。
若党たちがごろごろしている部屋に呼び出された。頭株の男が景三郎を無視して大声でどなった。
「おい、なんか魚臭いぞ」
すぐに取りまきが応じる。
「魚じゃありませんよ干鰯です」
「ホシカってあの肥やしにするやつか、そうか肥やしの匂いか、臭いな、浦賀者はこんな臭いところに住んでいるんだな」
「みんな窓を開けろ、臭くてやりきれない」
景三郎は入り口で手をついて挨拶した。
「なにかご用ということで参りました」
「誰か用があるのかい」
皆はニヤニヤ笑って黙っている。
「用はなさそうだ、さっさと帰りな」
帰ろうとするとまた声がかかった。
「黙って帰っちゃあいけねぇ、みんなに挨拶するんだよ」
「どういう挨拶をすればよろしいのでしょうか」
「うすのろめ、ふつつか者で皆様のお仲間にもなれずご迷惑をかけます。そう言って一人ひとりに土下座していきな」
しかたなく景三郎が言われたとおりに平伏すると扇子で叩いたり頭を押さえたり足で蹴ったりする、跳ぶように部屋を出るとドッと笑い声が聞こえた。
「長蔵さん俺は味方だぜ、何ていっても旗本の小野寺が悪い、あいつが旗を振って取り巻きに指図しているんだ。仕返しをするなら助太刀するぜ」
朋輩の若党が言ってくる。返事をしないうちにどんどん話を進めていく。
「今度の休みの前の日にいざこざを起こして禁足にしてしまおう、あいつらがっかりするぜ、ざまあみろだ」
連中が隠れてタバコを吸っているところで火事だと怒鳴る、あわてて出てきたところを警固役人と出くわすように計画すれば問答無用だ。
「明日の夜、五点鐘でどうだい、俺が場所を知らせるから来るんだよ」
そんな約束はできないと断る間もなく走ってしまった。
小野寺にはとうに知らせが届いていた。呼び出して火事だと騒がせて役人に引き渡す、それが失敗したら難癖つけてボイラー室に閉じ込めてしまおうというのだ。
若党はいそいそと迎えに来たが景三郎は隠れてやりすごした。
食事が摂れなくなった、吐き気がする、無理に食べても下してしまう。頭痛がして目の先がちらちらする。吐く息が荒くなった、緊張すると息ができない、喘息のように喉をヒーヒーいわせて気が遠くなってしまう。世話役の与力がしげしげと景三郎の顔を見て言った。
「やせて顔色が悪い、食事も取れていないようだ、息づかいが尋常ではないな」
「はい」
「原因はなんだ」
「…」
いじめられていますとは言えなかった、自分は元服もすませた大人だ。
「学問か、食事か、仲間づきあいか」
「…」
「それでは分らんな、言いたくなくば紙に書いて持ってこい」
しかし景三郎は書かなかった、いかにもみっともないことのように思えたからだ。
「つまり自分が悪いんだ、自業自得さ」
せっかく親切に声をかけた与力は気分を害した。
三郎助も気にかかって同僚の佐々倉に話してみた。
「なるほど三郎助さんがひどく可愛がったからな、家が恋しいのだろう、異郷に来て知らない者の中に入って苦しいのさ。慣れるまでほっておけ」
三郎助も佐々倉も寸秒を惜しむ仕事があった。学問を成就しなければならない、浦賀のことも家庭のことも何一つ思わなかった。
浦賀から来た同心たちも様子を知ったが相手が旗本とあっては口が出せない。身分違いの差し出口などと言われて叱責されるだけだ。注意することはできるのは総監だけだが折角順調に進んでいる伝習所に傷をつけるようなことはしないだろう。第一、旗本は若党を斬り殺してもとがめは受けないのだ。景三郎に買い物や文書の伝達などの外回りの仕事をさせて部屋にいないですむように計らうのがせいぜいのことだった。それに同心たちは伝習に熱中していた。春山伝蔵などは造船教授のスガラウェンにいつも寄り添って少しも早く造船術を習得しようと夢中だった。
その日もタバコを買って来いと命じられ、ゆっくりしてこいよと目配せされて町に出た。店で曽祖父のことを訪ねると店番の爺さんが大田蜀山人を覚えていた。昔、お座敷に出ていた芸者がこの先の長屋に住んでいるから訪ねてみたらどうかと教えてくれた。そして気さくに案内してやろうと申し出た。
古い長屋が並んでいる路地に迷い込んだ。一番奥に近い日当たりの悪い家に着いた。タバコ屋の爺さんが声をかけると老妓が出てきて部屋に上がるよう勧められた。三畳六畳二間だけの部屋は塵一つなく掃除が行き届いている。
「空っ茶です、さっ、どうぞ」
老妓は長火鉢から湯をくんで茶を入れてくれた。
「蜀山先生のことをお尋ねですってね」
「私の義父の祖父にあたります」
「おお嫌だ、私もそんな年になっていましたかね、でも当時はまだ子どもで姐さんの後をちょこちょこ歩いていたんですよ」
皺の深い顔をほころばせると色香が表われた。
「蜀山先生は勘定支配役とかで謹厳実直、怖そうに見せていましたが私たちには優しくて、お酒を飲めば話は面白いし唄も上手、忘れられないお人ですよ」
いかにも懐かしそうな様子に心がほどけて、母も祖母も知らぬ景三郎は温かいものが心にわいてきた。
「こんな戯れ歌をスラスラ書かれて私ら大笑い」
彦山の上から出づる月はよか
こげんな月は えっとなかばい
私は江戸の生まれで母に連れられて長崎に流れ着いた者、土地の言葉に馴染まなくて嫌な思いをしていましたが、この狂歌で心がすっと晴れたものですよ」
当時は駆け落ちなど江戸を出奔する人は大坂を目指した。しかし深い事情があって二度と江戸に戻りたくない人は最果ての長崎まで来た。
「こんなのもね」
この池はとんくも鳴かぬばってんかし
こまか鮒ども出浮きともする
長崎は平和でカエルも鳴かないから小さな鮒が安心して泳ぎまわっている、偉そうにする方々をちょっとからかってみせたのですよ」
今は伝習所の気負った武士たちを土地の人はそう見ているのだろう。
「そうそう、遠山金四郎さんが長崎のお奉行様になって来られたときのことを覚えています。あの時は二人だけのお座敷でね、私は子どもだからお酌に出ていたのです」
遠山金四郎は来航したロシア使節レザノフとの交渉役として長崎奉行に赴任し2月に交渉打ち切りを申し渡し3月に退去させた。その子が江戸の名奉行で同じ名の遠山金四郎だ。
「桜吹雪の金さんね」
「刺青などを奉行が見せびらかしたりしないけれどね」
「ではなぜ名奉行なの」
「天保の改革の厳しい取締りに反対して江戸の文化を守ろうとしたのさ。芝居や料理屋、着物化粧品まで禁止しようとした鳥居耀蔵という悪役を相手にがんばったお奉行様だ。なにしろ若い頃は手に負えない無頼で世の中の底辺まで知り尽くした人だから」
「よくお奉行様になれたね」
「兄が次々に死んだから順番が回ってきたんだ。才能ではなく家柄というのが封建制度だからね」
「お話ばかりでは肩がこりますよ。若い人が陰気になっては困ります、賑やかに唄を聞いてもらいましょうね」
そう言いながらもう三味線を手に取って音を調べている。景三郎は黙って座りなおした。
「ご当地はぶらぶら節、江戸では千代田の将軍様がお聞きになるのでしょうが長崎では出島のオランダさんが聞いてくれます」
乁長崎見るなら 出島の夕げしき お髭のカピタン パイプくわえて
ぶらぶら ぶらりぶらりと 云うたもんだいちゅう
「もう一つね」
乁長崎よか街 石段石だたみ 眼鏡の石橋 二人で渡って
ぶうらぶら ぶらりぶらりと 云うたもんだいちゅう
「ずっとお一人だったのですか」
唄に誘われたようだ、景三郎はそんな世間知らずの質問をした。
「武士もお公家さんも商人も妾を持つといって女は気苦労をするばかり」
「さびしくありませんか」
「女は損なものですよ、家のために母となるよう迫られて、子どもは家に取り上げられ、親に孝、君に忠なんて抑えつけられてね。髪結いと芸者だけですよ、我が身を自由にできるのは」
路地を出ると視界が開けて景三郎は深く息を吸った。そこで老妓の名前を聞いていなかったことに気づいた。
「蜀山先生は俗の通人とも粋人とも違って実のある立派な方でしたよ。武士で役人でありながら穏やかな苦労人」
別れ際につぶやいたその言葉が耳から離れなかった。
いじめは広がるばかりだった。自分を見てわざとひそひそ話をする、指を差してにらむ、 すれちがいにぶつかる、そんなことが絶え間なく起きた。呼吸はいよいよ苦しくなり食べることも難しくなった。
眠れぬままに部屋を出て海を見ている。黒い海面に細波が立っている。招きよせられているようだ。しかし景三郎には思い出があった。石合戦のとき川に沈んで死にそうになった。あの時、苦しさの中でぼんやりと美しい景色を見ていた。それが死の幻だ、死んだら終わりですよという言葉がすっと胸に入ってきた。
製図に使う小さな定規がたもとに入っていた、部屋に戻ってから気づいた。誰かが困らせようといたずらをしたのだろう、景三郎は泣きたくなったが定規は貴重品だ、一つでもなくなると伝習に差し支える。しばらく壁を向いて悩んだが捨てたり隠しておくことはできない、勇気を奮って測量教官のエーグに返しに行った。
教授の中には日本語を学ぶ者とオランダ語しか話すまいとする者がいる。伝習生を育てようとする者と技術を伝達すればそれで契約が果たせるとする者の違いだろう。測量士のエーグは一番日本語に習熟していた、だから伝習生を見る目も優しかった。
「君が盗ったのではないのか」
「…はい…」
「誰かがポケットに入れたというのだね」
「気がつきませんでした、許してください」
おびえきっている景三郎を凝視してエーグはニヤっと笑った。
「君はポケット中に落ちていたこの定規を拾ってくれた。ありがとうと言うのは私だ」
言葉がよく理解できなくて景三郎は一層どきまぎした。
「このことは人に言ってはならない、ただ私はもう少し君と話がしたい。仕事の都合があるので明後日の八点鐘に私の部屋に来てほしい、私は日本の言葉に慣れていないから通詞を頼むがよいかね」
景三郎は一層小さくなってハイと答えた。エーグは景三郎の肩を抱いて部屋から送り出した。
すぐにうわさ話が広がった。景三郎が製図室の何かを盗んでエーグに叱られた。また呼び出されているからきっと追放されるだろう。浦賀奉行所の者も心配して三郎助に告げた。しかし三郎助は平静だった、勝麟太郎から耳打ちされていたからだ。
景三郎はおびえながらエーグの部屋に行った。それを物陰で見ている何人もの若党がニヤニヤ笑っていた。ドアが開いて佐助という通詞の老人が顔を見せた。エーグが立って椅子を勧めてくれる。卓の上には菓子とコーヒーが乗っている。
「君はオランダ語を勉強しているそうだから私はオランダ語で話すことにする」
佐助老人が低い声で通訳する。
「君の事を仲間のオランダ教官にいろいろ聞いた。出来ることと出来ないことにムラがあるようだ。その理由を知りたいと思いこうして話している」
景三郎は素直に話した。自分は本当は大田景三郎という名だ。幼児のときに地震で親にはぐれて義父に拾われた。その時に火事にあって恐ろしかったことが目に残っている、それでいまだに火を見ると体が震える。数年前に小舟に乗っていたら風と波に流されてしまった。あの襲いかかる大波の恐ろしさが目に焼きついている。それで波を見ると船酔いするとともに恐怖で吐いてしまう。これは理由が分らないのだが狭い所や高い所にいると身がすくみ叫びたくなる、数学や測量の細かい数字は苦手だがオランダ語を学ぶのは大好きだ。
エーグは菓子をつまみ景三郎と通詞にも勧めながら笑って言った。
「私も同じだ、ボイラー室の中やマストのてっぺんなどは怖くてたまらない。ただ数学は大好きだ」
佐助老人も口をはさんだ。
「向き不向きというのは本人のせいではありません」
「私もそう思う、この伝習所では物事を急ぎすぎている、永持さんも勝さんもせっかちな人だ。まるで最後の審判を間近にしているようだ」
「オランダ人はこの百年のんびりしてしまいましたな」
「本国もそうだ、だから私たちはイギリスにもフランスにも負けてしまった。日本が負けまいとがんばるのは応援するが無理をしてはいけない」
話に熱が入ってきた。
「オランダはもはや頼りにはならない、イギリスとフランスと交渉しなければ、永井さんと勝さんはようやく分りかけてきたようだ。長崎は日本の外れだ、交渉は大坂と江戸でしなければならない」
景三郎は何が話題になっているのか分らなかった。気配を察してエーグが言った。
「君にも神の与えてくれた適性というものがある、それは皆とは違う。他人と同じという者など一人もいない。君は君の航海をするといい」
「あなたの出来ることをがんばりなさいということです。2倍も3倍も」
景三郎はうれしくなって顔をあげた。エーグも佐助老人も温かく微笑んでいる。
「人は様々だ、ゆがんだ者もいればねじれた者もいる。自分の非を認めずにスケープゴートを求める者もいる。いま君がつぶされて役にたたなくなると困る人がいる。三郎助さんもそうだし勝さんもそうだ、私もそうだ。道の先に穴や石があるなら避ければいい、わざわざはまったりつまずいたりするのは愚か者だ。嵐の正面には船は進まない、面舵取り舵で間切りながら風上に進めていくのが船乗りだ。君は自分のために生きていく、君が生きていれば私もうれしい」
スケープゴートというのは身代わりのことらしい。佐助老人が自分の意見だがとことわって付け加えた。
「そういう者がいるのが世間なのです。しっかりと相手を見ておきましょう。無表情に見るだけでいいのです」
「ありがとうございます、元気を出します」
「エーグさんは忙しいので度々会うことはできません、私が話し相手になりましょう。今日ここで話したことは誰にも言わないとエーグさんと約束しました。あなたも黙っていてください、皆が勝手に思って敵と味方がはっきりします」
翌日、目付の永持享次郎に呼び出された。 エーグとどんな話をしたのか聞かれた。何か妙なことを言われなかった。キリシタン禁制の厳しい時代だ、永持は伝習生に布教されることを怖れている。コーヒーを飲んでお菓子を食べてきましたと景三郎は答えた、永持はけげんな顔をした。皆にいじめられているようだが元気を出しなさいといわれました、これには顔をしかめた。
「オランダ人に日本の恥をさらしてはならない、しかしわしにも調べはついているがお前に悪いところはなさそうだ」
それで今後どうするのかと聞かれた。
「私の播いた種ですから草刈りは自分でします」
以後つまらぬ心配をかけぬようにと叱りおかれた。後で永持は三郎助にこう言った。
「今後のことを考えておいてやれ」
エーグの報告を聞いた団長のライケンはエーグにこんなことを言った。
「我らは技術を教える者で信仰を伝えてはならない。しかし迷える子羊を導くのは人としての務めだろう」
「どうしたらいいですか」
「信頼できる代父が必要だ。製図室に引き取ってオランダ語を教えてはどうだろうか」
そして勝麟太郎を呼び出した。勝は佐助老人を見て不審に思った、いつもの通詞と違ったからだ。
ライケンは聞き知ったことと思ったことを伝えた、勝は黙って聞き取った。そしてオランダ人が処罰を求めているではなく日本人に解決を委ねていることを知った。勝はいくつか考えを述べライケンは同意した。
「ご提案のとおり長蔵を他の伝習生から離してにオランダ語を学ばせることにします。エーグ殿にお伝えください。私は双方に処罰をいたしません。永井総監もご理解いただけると存じます。あなたもご理解している通りこの問題は根が深い」
「そのとおりです、貴国は身分制度のある不自由な国です。人間は平等で誰でも同じように生きる権利があるという思想は理解できないでしょう」
勝は深くお辞儀をした。
「団長の好意あふれる言葉は肝に銘じます。いずれ我が国も開けて貴国同様に世界に列することとなるでしょう」
そして勝は部屋に戻ると中島三郎助を呼び出した。
「勝さんなんだい」
「長蔵いや景三郎のことさ」
「耳に入っているかい、浦賀に返そうか」
「望みとおりにオランダ語を学ばせて通詞にしたらどうだい」
「ここは海軍伝習所だぜ、通詞でいいのかい」
「おいらたちが日本の軍艦でオランダに行く、文字も読めず言葉も話せずに戦争ができるかい。通詞は海軍の耳と口だよ」
「それはありがたい、勝さん恩にきるよ」
景三郎はそれから佐助老人にオランダ語を習った。エーグをはじめ教授の何人かも暇があると気にかけてくれた。
長崎奉行所から出向いている通詞は14人いたが伝習生によそよそしかった、たぶんオランダ教授団とともに伝習生をも監視する役目が負わされていたのだろう。しかし景三郎は容貌魁偉な異国人と平気で談笑する通詞の姿にあこがれを持った。
「通詞ってすごいです、どうしたら通詞になれますか」
「けっして良い仕事とは思いません、やめておかれた方がよろしいかと」
佐助老人は首をうなだれた。
「通詞は世襲ですが武士でないから日本人もオランダ人も召使のように用を言いつけます。それをいいことに腰を屈めて愛想笑いをしながらオランダ人におねだりする通詞がたくさんおります。旦那様とか殿様とかお世辞を言って何か物をせしめると鬼の首でも取ったように自慢して商人に売って利益を得る、親代々がそうなのだから変わりようがありません。それに私の話すオランダ語は親や祖父から聞き知った古い言葉のままなのです」
私の友人がワインを所望しておるので私は貴殿に迷惑をかけねばならない、貴殿が残念でなければ赤ワインを一箱くださるように伏してお願い申し上げる。
「これでは互いに心が打ち解け合うような気持ちにはなれないでしょう」
「異国人と親しく言葉を交し合うから友だち同士だと思っていました」
「奉行所もカピタンも通詞を信用しておりません。お奉行様はこう申し上げております、カピタンはこう申しておりますと右から左へと言葉を伝達するのが仕事です。それで互いに聞きたくない言葉があると言い換える、そして双方を納得させる、そんなその場しのぎをします。両者ともに相手の約束が信用できなくなるのです」
景三郎は少し悲しくなった。
「役目は別にして友だちのように話し合うことはできないのですか」
「出島はそういう場所ではありませんが伝習所では友だちになれます。エーグさんもあなたのことを自分の子どものように思ってくれました」
「私も通詞になれましょうか」
「通詞でも代々の家柄がものをいいます。私も養子に入りましたが50に手が届くというのにまだ助役にすぎません」
大通詞が4名、小通詞も4名、小通詞並 助役、見習いと身分が分かれている。
「しかし災厄はたくさんあります。文政11年のシーボルト事件では大通詞の並堀様、小通詞の稲部様は罪を問われて永牢、流罪。少しのことにも叱責があります。しかしお役大事に務めておれば楽しいことが沢山ありますよ。ここは日本であって日本ではないのですから」
「チョイ待ち、通詞って通訳でしょう。誤訳なら怒られてもしかたないけれど外国人と親しくなってもいけないの」
「鎖国だしキリシタン禁教は厳しいんだ、幕府は厳しく統制している」
「了見が狭いのね」
「浦賀通詞の堀達之助は下田でリュードルフの手紙を預かっただけで伝馬町の牢屋に入れられた。たまたま吉田松陰も入牢していたが交流はなかったそうだ。しかし、なくてはならない通詞なので蕃所調所頭取の古賀謹一郎が尽力して10月には出牢したそうだ」
「自由のない世界なんて嫌だな」
「自由の種を播き育て護る仕事は今も続いているよ。男女共同参画社会を作るのさ」
「今の日本が普通と思ってはいけないのね。それにしてはオジさんはセクハラ、モラハラをチラ見せするけどね」
「古いヤツとお笑いでしょうが、古いヤツほど…」
「オヤジそのもの」
「シニアハラスメントかい、死にハラなんて嫌だな、死に恥同然だよ」
「オジさんくどいよ」
景三郎は文書伝達を命じられて町に出かけた。季節は秋の半ばになっていた。自分は今は冬の季節をすごしているが自然の方も冬が近づいている、そんなことに気づいて力が沸いてくるように思った。
坂を上ると異国人の住まいがいくつか建っている、畑があり森があり足元には深く入りこんだ海がある、大きく息を吸った。気分が軽くなってどんどん歩いていくと見事な紅葉の林があった。近づくと老人が出てきて激しい声をあげた。言葉はよく分らない、しかし狂ったように手を振り回して怒鳴っている、こちらに来るなと言っているようだ。そんなに大切なものなのが、かまわず近づくと老人が走り寄ってきた。
「きなしゃんな」
「分らない」
「かぶるるけん」
ついに両手で押し戻された。せっかくの清々しい気分がだいなしになった。
それから3日、顔と手足に水泡ができた、かゆみと気味悪さで出島のオランダ人医師に診てもらった。疱瘡は済ませたと言ったがよくわからない伝染病だと困るから隔離すると言う。
「漢方医を連れてきましょう。色々な医者に診せた方がいい」
漢方医はすぐに笑い出した。美しい紅葉の木のそばに行かなかったか。それはハゼの木といってローソクを作るために植えているのだ。かぶれるとこうなる。膏薬と塗り薬を届けようと言って帰った。佐助老人も笑った。
「長崎はローソクの産地です、半月も辛抱すればよい。気を長く治るのをお持ちなさい」
なるほど番人の老人が必死に止めようとしてくれた親切が分かった。
伝習は続けてもよい判断されて部屋に戻された。一同は嫌悪の表情になった。水泡はいよいよ増えている。顔にも手足にも黒い塗り薬と膏薬を貼っている、むき出した所に水泡ができている。
「まるでひきどんじゃ」
ガマガエルにそっくりだというのだ。それからはいじめの言葉がヒキドンに変わった。かゆさとわずらわしさは続いたがヒキドンと呼ばれることには平静を保てた、むしろヒキドンと言われるとケロケロと返事をしたくなるほど陽気な気分になった。
「ヒキドンお出ましかい、雨がふりそうだからな、床下にでもいなされ」
そんなことを言われても動揺しない。
「その水ぶくれは傷にきく、ガマの油といって6文で売っていますぞ」
平気だった。
「その顔では女に嫌われるの」
若党部屋の話題はすぐに女の話になる。
「貴公は知るまい、アメリカの南にアマサゥネンという国があるそうだ」
「また与太話だな」
「そこには女ばかりか住んでいる。そして年に1度だけ男たちがやってくる日がある」
「まるで七夕のようだ」
「俺なら忍んで百夜通うよ」
「駄目だ、ふだん男が近づくと竹ヤリで追い払う、薄情なものだ」
「そこで子種を仕入れてアマサゥネンは子孫を増やす」
「ヒヤヒヤ、長三郎もその日に行けば女がちやほやしてくれるぞ」
「顔をそむけて、よう来なんしたとさ」
「あちきのような者でも末永く、ではない一夜妻だな、情がこもるのう」
「女護島かい、ホラヶ峠かい」
「いやいや、これは根岸肥前守様のお話だ。肥前様は紅毛通詞に聞いたそうだよ」
勝麟太郎と谷田堀景蔵に呼び出されて中島三郎助と佐々倉桐太郎が一室に集った。
「勝さんお骨折りだね」
三郎助が気軽に言うと勝は苦笑いした。教授団が伝習生の努力が不足だと苦情を言ってきた。勝麟太郎はすぐに大宴会を開いて酒を飲み歌って踊って相互の親睦を深めた。
「オランダ人は船乗りさ、こんな狭いところで若い侍を相手にしていると鬱憤がたまるんだ。宴会で納まったよ」
「日本人も厄介でござるの」
谷田堀は一同の中で一番身分が上だが気軽に言う。
「浦賀が騒ぎを起こして申し訳ありません」佐々倉が頭を下げた。
「諸藩の侍は切れ者ぞろいさ、笑っている
よ、なんと言っても旗本連がいけない。谷田掘さん追い返してしまいなよ」
勝がキラリと凄みを見せた。
「永井総監も出世が目の前にあるから一期で江戸に戻りましょう、そこで掃除ができるかな。ただそれまで逃げずにいればだがね」
谷田掘は思わしげに続けた。
「中島さん、長蔵はなんとかなろうかね」
「ご心配かたじけない。向きというのを失念しておりました」
勝がいよいよ軽く言った。
「逸材さ、今一番大切なのは通詞だよ、ペリーの時に役目を努められたのは2人だけだ、イギリス語もフランス語もこれからあふれるほど必要になってこようよ。オランダ語が好きならイギリス語も大丈夫だろう」
三郎助は鳳凰丸一件から勝を好かない、こうやって相談するのも苦渋を飲むようだ。
「拙者が話した方がいいかな」
谷田掘が言うと勝が笑った。
「三郎助さんの従者に誰が命令できますか」
「中島様、私はやっぱり機械には向いていません、航海とか数学とかどうしても気が入らないのです」
「おいらもそう感じていたよ、オランダ語は好きらしいね、よく上達したと教授連も褒めているらしい」
「これから二期生が来るそうですが運用術も火夫水夫の技も身についていません」
「岡田井蔵が来るよ、二人で良い仲間になると楽しみにしていたんだが…といって浦賀に帰ってもな、景三郎は何がしたいかね」
「オランダ語を極めたいです」
「なるほど、おいらが永井総監に相談してみよう、いい知恵を出してくれるだろう、忙しい人だからちょっと待っていてくれよ」
翌日、三郎助は支配取り締まり永持享次郎の部屋に行った。永持は長崎徒目付の頃から総監永井尚志の家来だった。永持は文書を読んでいたが三郎助の声に顔を上げた。
「景三郎を従者にして連れてきたのは貴公だったな」
「浦賀に帰そうと思います」
「それはいけない、伝習所に傷がつく。一人でも全うしない者がいればお咎めがある」
「本人はオランダ語を極めたいって言いますが、どこかに移すことはできのせんか」
「やめておけ、もう蘭学の時代じゃない」
永持は目付であるから正論しか言わない。三郎助が驚いて顔を上げた。
「アメリカ・イギリスは英語さ、フランスは仏語さ、ロシアは露語さ、江戸弁と長崎弁くらいしか違わないそうだ」
「それはどこで学べるのですか」
「勝が長崎に来る前に古賀謹一郎と相談して草案を作った」
「…」
「技能を教える伝習所と洋学を教える学問所の設置さ、勝が安部老中を説得したからもうできているだろう」
勝は古賀がプチャーチンの応接掛を務めていた頃から話し合って諸国の言語を学ぶ場を作るよう提言していた。それで安政2年に洋学調所が九段下に設置された時に古賀は頭取になった。
「永井総監には折を見て進言しておく。実はもう勝から今朝、話があったんだ」
三郎助は勝に心から感謝した。嫌な奴だが臨機応変の知恵と気配りには驚嘆する。先の見通しを立て準備を調えておく才気はとても三郎助などにはできない。しかし軍艦や大砲よりも大事なことがあると言われたようで苦い味がした。その足で勝に会いにいった。
「どこの言葉をやってみるか聞いとくれ、いやおいらが聞いてやろう、連れてきな」
景三郎は勝麟太郎の鋭い視線を浴びた。
「さて、どこにしようかの」
「国名といっても馴染みはロシアだけです。曽祖父がこの長崎でレザノフというロシア人に苦労させられたそうです」
「それは文化文政の昔だロシアはやめときな古賀が嫌がるよ。アメリカ語は流行りだから立身出世する向きになって野暮だね、フランスはどうかい」
「フランス船はあまり来ないね」
三郎助が口をはさむ。
「イギリス・フランスは敵同士だ。ヨーロッパは弱肉強食さ、オランダもひどい目にあっている」
「勝さんはどうしてそんなことを知っているのかい」
「オランダ人に聞くのさ、言葉は大事だよ、戦争は言葉で始まり言葉で終わるのさ、大砲を撃たなくてすめば上々だ。手紙を書いてやろう、浦賀奉行所与力抱方出役でいいね」
大砲という言葉を皮肉を感じて三郎助はまたカチンときたがぐっと飲み込んだ。
「奉行の戸田様は物分かりのいいお方だから大丈夫だろう。通詞の堀達之助にも推薦してもらおうや」
小野寺は放逐された。うわさはいろいろ広がっている。金がほしくて仲間や伝習所の公金を盗んだ、教授団の道具を盗んで売った、バクチの借金だ、長崎芸妓に入れあげたという、なにより確かなのは勉強など大嫌いという理由だ。永井総監が決断したのだろう。
「小野寺がいなくなってよかったな」
浦賀の人たちが喜んでくれたが景三郎も江戸に戻って洋学調所に移ることを命じられていた。月のうちに江戸に行く船に乗船して長崎を離れる。
「いじめの時代は終わったのね、こういう話ばかりを聞いていると気が滅入るわ」
「君は思ったよりデリケートなんだね」
「天使とも女神とも言われたのよ」
えっボーイフレンドからと驚いた。
「お祖父さんからよ」
A氏のことか、因業爺だと思っていたのに。
「もっともそうおだてて何かやらせようとする魂胆が見えていたわ。今度のオジさんの時も孤独な人だから女神のように優しくしておやりと歯の浮くようなことを言われたわ」
まったく嫌な爺だ。
「でもオジさんの話はおもしろいから好きだな」
まるで天使だ。
安政4年6月に伝習はひとくぎりになり二期生が補充された。総督木村喜毅が赴任し、勝、三郎助、春山らは残留した。一期生たちは観光丸を自分たちで操って江戸に帰った。永井総督が同乗し谷田掘艦長が指揮した。二期生は軍艦を失ったが、すぐに新造のスクリュー船ヤッパン号と次の教師団が到着した。新船は咸臨丸と命名された。伝習二期生は岡田井蔵 榎本釜次郎 肥田浜五郎 赤松大三郎など。実習では対馬、平戸、下関・鹿児島まで航海した。イギリス帆船カタリナテレジアを購入して鵬翔丸と名づけた。
しかし安政6年1月に費用削減のため中止が伝達された。築地軍艦操練所を作り、その外に留学生を送ることに転換したからだ。オランダは激しく抗議した。しかし幕臣だけでなく福岡 薩摩 長州 熊本 福山 津 掛川 田原藩士を教育し、薩摩の五代友厚や川村純義、佐賀の佐野常民などが明治に功績を残した。
洋学調所はすぐに蕃書調所と改名された。攘夷の嵐をかわすためだ、なにしろ洋学者は軒並み襲撃の対象になったので危険をさけて洋学を蕃書と言い換えたのだ。大久保忠寛が総裁となり村田蔵六を手伝方に招いて英語と諸国語の学習を行い、安政4年ハリスが来てからはその文書を翻訳することに忙しかった。
文久2年には洋書調所と改名し、翌年には洋学所、開成所と改名した。開国したので「蕃」という言葉が今度は不適切になったからだ。
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