一筆申進候
尊翰難有奉被見候 書状不差上御無沙汰申候事幾重お詫上申候 私儀怱早崎陽差出至江都乍憚御安意可被仕候 三郎助殿勝先生御懸念御尽力而於蕃書調所村上英俊先生御膝元而仏蘭西語勉学専一仕居候 江都者崎陽南浦相異 数多豪邸群集往来 俚諺謂抜出一匹活馬 然而得市井朋友 明白人情侠気 父上御一笑可被候 何故肩広相成候様覚申候 固リ学問成就不仕申候テハ国ニ不罷帰申候落着ニテ候 御憐恕可被下候
頓首
丁巳
二伸 過日、曽祖父様旧宅訪問 菩提寺ヲ拝シ香華ヲ手向参申候
拝啓
父上様のお手紙をうれしく読みました、ご無沙汰をしており心苦しく思います。あわただしく長崎を出て江戸に着きました。三郎助様や勝先生のお世話になり蕃書調所で村上英俊先生からフランス語を伝授されております。江戸は長崎とも浦賀とも異なり驚くことばかり、たくさんの人が往来し家屋敷が並んでいます。生き馬の目を抜くという俚諺のとおり油断できないこともありますが市井の知友も得て人情とか侠気が身に染みてまいりました。こんなことは父上にとっては笑止のことと存じますが、自分が少しずつ大きくなっていくような気がします。しばらくは学問に精を出して自分を鍛えて参りたいと存じます。わがままをお許しください。
敬具
安政4年 景三郎
父上様
追伸 先日、曽祖父様の旧宅を訪れ菩提寺にて香華を手向けて参りました。
安政4年、景三郎は長崎から戻るとそのまま浦賀奉行所の江戸役宅に入った。前年の大地震の後はすっかり片付けられて町並みは元に戻っている、しかし4700人もの命が奪われ人々は心の傷を留めている。
月番の鈴木哲之助与力は中島三郎助から届いた手紙を読んで同情した、まだぼんやりしているままの景三郎の世話をすることに決めた。
「俺を覚えておるか、昔初めてお前を定廻りに連れていったぞ」
「鈴木様にはお世話になりました」
「だいぶ苦労をしたそうだな。しばらく休んでからその後のことを相談しよう」
浦賀奉行は2名のうちの1人が交代で江戸に滞在する。自分の屋敷を役宅にして与力2名と同心が2ヶ月交代で詰める。中島三郎助も経験したことだ。安政3年には溝口讃岐守が深川の屋敷に滞在している。
鈴木与力はほど近い鉄砲州の講武所で学ぶことにしたらどうかと思った。そこで講武所の内実はどうかを探索しようと顔見知りを3人の武士を料理屋に誘った。
まっすぐなマゲ、着古した木綿の稽古着、
その上に麻裃を着て白柄で朱鞘、幕府はこんな風俗を禁制にしていたが近頃は諸事が勝手になっている。
「まったく講武所の暮らしは我慢できん、菜がヒジキに油揚だ、冷や飯に薄い汁、夜が茶漬けとこれでは天下の豪傑がやっていけるものか」
タバコ入れに血のしたたる生首の根付を飾った男が愚痴をいった。
「貴公は呑む口だから飯は食わんでもよかろうが拙者のように食う口は困っておる」
5尺に近い長刀に手をかけ居合いでもするように身構えている奴が言う。
「久しぶりに料理屋で酒3合、タコに芋の甘煮、穴子をやったがこれで1朱だと、物の値段が無闇に高いのう」
「薩州の野郎はキセルを掏られたと怒っておったな、江戸はまったく油断がならない」
「かといって我ら武士、1串4文のテンプラやイカ焼きを食うわけにもいかんから、せいぜいが夜鳴きソバの16文さ」
「貴公は芸事を始めたと聞いたぞ」
「おうさ、長唄の稽古屋にご入門だ、謝礼が月に1朱は安い、ほんに筋が良いとお褒めの言葉を賜わったよ」
「門限に遅れて木戸番に見逃してもらうと百文かかる、どう考えても高いものだ」
鈴木与力は苦笑いしながら豪傑どもの話を聞いた。
昔、白柄組などというかぶき者が乱暴したのを東照権現様が禁止してから武士は細身の華奢な刀を落としざしにした。ついに粋な風俗で茶屋にいりびたり三味線を爪弾き唄をくちずさむようになった。弓馬槍剣鉄砲の稽古など野暮で不粋だと馬鹿にし、竹刀で突かれただけで痛いと叫んだものだが、昨今になってたちまち乱暴者が復活したようだ。
鈴木与力はここは駄目だと呆れた。
「景三郎は何が望みであるか」
景三郎は自分を落伍者のように思っているので、役宅で皆と一緒に暮らすのが嫌だと言う。
「フランス語を修練したいと思います」
「そうか、一昨年の大地震で崩れ落ちた九段南の蕃書調所が再建されたそうだ、そこはどうかな」
鈴木与力は少し声を落としてこう付け加えた。
「お奉行の溝口様は結構なお方で異国のことも交易のこともよくお知りになっている。しかし今度ご着任の小笠原長門守は少し難だな。井伊大老に親しく異国異学はお嫌いだという、それを承知しておけよ。俺も溝口様にご相談して力になってもらうが小笠原様のお耳には入らないように気を配るようにする。ところで住まいをどこにいたそう。静かな所に一人暮らしといっても若い者が世間に埋もれてしまってはいけない。先賢はみな町場の裏通りに住み市井の風に吹かれながら学問を進めたものだという。九段から小半刻ばかりに神田の盛り場がある。役宅からは遠いがむしろ好都合だろう、その辺で良かろうかな」
鈴木与力は一部始終を手紙に書いて三郎助に送った。講武所は好ましからず、望み通りに蕃書調所はいかがか。一人暮らしの場所の手はずを頼みたい。三郎助は肥前屋に相談した。
それで景三郎は神田白壁町の長屋で学問を一筋に励むことになった。鈴木与力に命じられて中間が身の回りの品をかついで案内に立ってくれた。
景三郎は浦賀と長崎しか知らないので江戸の町は驚きだった。巨大な城の堀の周りは大名屋敷と武家屋敷の塀が延々と続き昼でも人通りがない。しかし外側にはぎっしりと商家が並んでいる。たくさんの道が四方に伸び人があふれて右往左往している。てんびんを担った屋台店が密集して食べ物を売っている。蕎麦、茶飯にあんかけ、鯵の鮨コハダの鮨、お稲荷さん、テンプラ、すいとん、10文20文という値段で立ち食いさせている。景三郎はめまいを感じながら人混みを歩いていった。
空腹になってもどうしていいのかわからない。案内をしている中間はその様子を見て小馬鹿にしたがすぐに自分も腹がへったとみえて通りの蕎麦屋に入った。景三郎が注文できずにドキマギしていると中間が言った。
「旦那、こんな店だから何を食っても同じでさ。おいシッポク3つだよ、変な顔をするねぇ俺が2つ食うんだよ」
ようやく蕎麦を注文する方法が分かって景三郎は安心した、もう飢え死にしないですみそうだ。
道を聞きながらようやく長屋の路地にたどりついた。足軽が大声で怒鳴った。
「おい大屋、店子を連れてきたぜ」
すぐに路地の入り口の家の障子が開いて老人が姿を見せた。
「浦賀奉行所の者だ。俺はお供でここまでつれてきた。忙しい身だから後は任せるぜ、世慣れないお方だから粗相がないようにな」
足軽は気短かにそう言ったがまだぐずぐずしている。さすがの景三郎も祝儀をねだられていることが分かった。二朱の銀貨を渡すとうれしくもない顔をしてさっさと帰ってしまった、それを茫然と見送った。
「この長屋の差配をしている者です」
老人が愛想よく挨拶して長屋を案内してくれた。九尺二間の裏長屋、戸口に三尺四方の土間、上がると六畳の板の間、むき出しの屋根板。景三郎が驚いている様子を察して老人が穏やかに言った。
「早速、損料屋に声をかけますから明日には万端調いましょう。今晩はご不自由でもここにお休みください。夜具だけはすぐに届けるようにさせます」
翌朝、老人は景三郎を連れて何軒かの損料屋を回り畳、へっつい、水がめ、鍋釜、皿茶碗湯呑まで調えてくれた。
「机を借りられませんか」
「ああ学問をされるお方でしたか、お見それしました。では書棚も必要か、古道具屋に寄ってみましょう」
手頃な小机と棚を運ばせることにした。
「みんな長屋出入りの気の良い商人たちですから騙したりはしませんが私が掛け合いをいたしましょう。少し金子をお預けくださいませんか」
幾ら渡したらいいのか景三郎には見当がつかなくてもじもじした。
「決して口銭など取りませんから」
「これで足りますか」
小判を二枚差し出すと老人が驚いた。
「損料も家賃も日貸しでございます。これだけあれば来月いっぱいまで大丈夫です、しっかりお預かりしておきます」
「なぜ江戸の長屋の人たちは家具とかを持たないの、貧乏だから?」
美帷が納得のいかない顔をして聞く。
「江戸は火事が多いんだ。ジャンと半鐘が鳴ったら身一つで逃げなければならない。怪我さえしなければ明日からまた働ける。それで江戸っ子は自慢するんだよ、おいらたちは三ナイ仲間さ、物を持たナイ、出世しナイ、悩まナイ」
「出世しナイって何だろう」
「気遣いが面倒だし付き合いや上納金で金がかかる、なにより気楽に楽しく日を送れなくなるからさ」
「借りている物が焼けてしまってもいいのかしら」
「それを見越して料金を取っているんだよ」
「究極の断捨離ね」
毎朝、九段下まで歩いて蕃所調所に通う、昼は屋台店ですませ夜は蕎麦を食う、疲れが出てすぐ寝てしまう、そんな毎日が続く。蕃所調所には語学ばかりでない数学や化学など一流の学者が自分の座敷を持って弟子に教えている。景三郎は村上英俊先生に手ほどきを受けている。元は那須の大田原の町医師だが信州松代で佐久間象山に勧められ独学でフランス語を研究した。薬用ヨードやメッキ、爆薬製造なども研究したという。しかし無口な先生なので会話を教えることはなく自著の三語便覧や仏蘭西詞林仏蘭西詞林を毎日書き写すのが勉強だった。
景三郎は風呂の入り方も覚えた。湯屋はどこの町内にも一軒ずつあって一人20文で朝から入れる。8文余分に出せば2階に上がって湯上りの手足を伸ばせるのだ。うす暗いところに裸の男たちが集まって大声でしゃべっているのが周りの壁にウォンウォンと響いている。江戸っ子はカラスの行水だから長居はしない。ようやく見覚えのある長屋の衆も話す間もなく出て行ってしまう。
「うっちゃっておかっし、雪ダルマが人が飲んでいたってよ」
「善公、うそはつかねぇもんだぜ」
「うんにゃ、おらぁヨミウリを見たぜ、さすがのおれもぞっとした」
「雪の化け物か、江戸へ連れてきて見世物にでもするのか」
「べらぼう言やがる、雪ダルマを連れて来りゃあ、途中で解けてしまわぁ」
湯船に漬かっているとお爺さんに話しかけられた。うす暗いので顔が分からない。
「うちの長屋は12軒、よく気がそろってな花見も夕涼みもみんな一緒だよ。お武家さんはどこの方かな、へぇ浦賀、へぇ長崎です学問をなさった、お若いのにずいぶん遠くへいきましたな。江戸っ子ってのは意気地がなくて箱根を越えると腰が震える、伊勢参りだってビクビクものさ、水盃でご出立だよ」
「差配さん、湯気にあがるよ、頭がタコだぜ」
そう言い残して男がさっさと出て行く。
「善公や、俺の手足は丈夫だからすぐに店賃を取りにいくぜ、八軒いっぺんだよ」
「こいつは弱った、すまねぇ待ってくれ」
そうだ世話を焼いてくれた長屋の差配さんだったのか、名前は知らないが皆と同じように差配さんと呼んだらいいのだろう。
帰ってぼんやり座っていると次々に人が通る、長屋というのは賑やかなところだ。
イワシッコシッコと叫ぶ鰯売り、ナスやトウナス、トウフナマアゲガンモドキ、クズゥィと長く伸ばす屑屋、ガチャガチャ音を立てる定斎の薬売り、デェーイといいながら鼓を叩く下駄の歯入れ、鉦を叩いてトッカェベェと叫んで古釘を飴と交換する男、のんびりとキンギョエーキンギョと歌うような金魚売り、ひっきりなしに人が売り声を聞かせながら通っていく。
「評判、評判、人殺し」
若い声に気を引かれて表に出ると井戸の回りに長屋の人が集まっている、夕飯を作っていたおかみさん連中も三々五々集まってきた。ヨミウリは勢いこんだ。
「さあ大変、雪が溶けたら死人が出たよ。塀の隅なる六尺豊かな雪だるま、数日の暖気にすっかり溶けてまいりました、驚くなかれ死人は在のお百姓、上州大田の甚右衛門…あとは4文だ、ヨミウリ、ヨミウリ」
なるほどこういう商売もあるのかと景三郎は感心した、ヌーベル・パーラ・コマーシャン、新しい出来事を語りながら売る商売、そんな翻訳でいいのかな。
「さあさあ買ったり、日は短っけぇし気も短っけぇ、そこの先生、もっともらしい難しい顔してさ、銭の算段かい」
自分のことだと気がついて景三郎は赤面した。ジュ・ル・パオブル、俺は貧乏だ、つい口に出てしまった。
「お国はどこだい、江戸っ子じゃねぇな」
12、3才くらいの生意気盛りの男の子だ、色白で目鼻立ちがととのった美少年で小粋な服装が似合っている、数人にヨミウリを売ってからこちらにきてニヤニヤ笑った。
「異人じゃなさそうだね、変な言葉を使うから間違えるよ」
「フランス語を勉強しておる大田景三郎と申す、相州浦賀の者だ」
「へえ、フランス語とは驚いた、では評判評判というのを翻訳しておくれ、怒鳴って歩けば人が集まるからよ」
「レプテイシオンかなアンシダンかな」
「それもらうよ、アンシダン、いいね」
少年はもう走り出していた。
「評判・評判、アンシダン、アンシダン」
その翌日、景三郎が蕃所調所から帰ってぼんやりしていると昨日の少年が戸口をのぞいた。
「兄ぃ、家にかい、喉が渇いたから水を一杯もらうよ」
柄杓を取って水瓶から飲み干して頼みがあると言う。相棒の具合が悪くて仕事に出られないから手伝ってくれという。ヨミウリは公儀の機嫌を損ねる少し後ろ暗い仕事だから御用とつかまって番所に引っ張られることがある。だから必ず二人で行動して目をつけられたらパッと左右に逃げるのだ。うす暗くなってから仕事をするのも顔をはっきり見せない用心だ。
「おいらが客を集めるから兄ぃは売りさばいてくれればいい、ほんの4、5日ばかりさ」
「なんで私なんだ」
「ヒマそうだし貧乏くさいし悪い人ではなさそうだ、それに学者だろ、おいらも学問をしたいんだ、頼むよ」
断れずに一緒に出かけようとした。
「おっといけねぇ、兄ぃヨミウリは下駄を履くのが決まりだよ」
なるほど少年も下駄履きだ。
「石でも井戸端でも何でも蹴っ飛ばしてカタカタ拍子を取るんだよ。もし御用だと声がかかったら下駄をぶつけて逃げるんだ」
上野の方へ早足で歩いて長屋の路地に入り瓦版の束を景三郎に渡すと井戸端に立っていきなり叫び始める。
「評判、評判、さあ大変、雪が溶けたら死人が出たよ」
たちまちいくつか手が伸びて4文と引き換えに瓦版をひったくる、景三郎は大忙しだ。
10枚ばかり売ると少年は次の長屋に走っていく。
「評判、評判」
そしてまた次へ、そんなことで半刻ばかりのうちに100枚を売りさばいた。景三郎は長屋に字の読める人がこんなにたくさんいることにも驚いた。
「これは昨日と同じものだな」
「そうさ3日もたてば皆が知ってしまう、だからそれまでの勝負だ、カツオと同じで古くなったら誰も買わないよ」
「よく新しいことをそんなに見つけるな」
「新しいことばかりではないよ、何年も前のことをそれらしく書いていることもある、作者と彫り師と刷り師がいて版元が儲けるから、おいらたちは100枚売ってもせいぜい100文さ、その中から兄ぃにもいくらか小遣いを渡さなければならないし」
「そんなものはいらないよ」
「そう言うと思ったよ、その代わりおいらが掃除洗濯飯つくりをしてやるよ、じゃあまた明日に頼みます、そうだおいらのことはクラと呼んでくれ」
翌朝、弾むような下駄の音が聞こえた、クラが来た。さっぱりと浴衣を着て尻をたくしあげ股引にはさんでいる。
「兄ぃはまだ衣替えをしないのかい、長屋の連中はすっかり夏物だよ。といったって質屋で出し入れしているだけだがね」
冬の衣服や調度を質に入れて夏の物を受けだす、四畳半の長屋には収納する場所がないからだ。
「おいらは襟垢のついていない浴衣だぜ、このところ売り上げが良くてふところ具合が上々吉さ」
ヨミウリは流行の商売だ。あつらえの股引には判じ物や記事の張り混ぜにしている、印半天もとびっきりの生地を選んでお洒落をする。頭に被る手ぬぐいも人気役者の紋、腹掛けのどんぶりには印伝の財布がつっこんであるというほどだ。
「兄ぃのマゲも勤番侍みたいで田舎臭いや、小銀杏に結ってもらいな、おいらの髪結床に連れいってやるよ、粋なこしらえになる」
江戸っ子は見栄っ張りらしい。
「刷り物を抱えて歩くのも気が利かないから漆塗りの状箱をこしらえるのさ、金文字で大きくクラと名前を入れてね、これで売り歩けば評判になるよ、ヨミウリのクラ様だ」
夏着を買いに柳原土手の古着屋に行くことになった。長屋から歩いてすぐだ。
「ふところが心細ければオレに任せなよ、融通するぜ」
九段の役所に奉行所からの手当てが届く。
「ついでに蚊が出てきたから損料屋で蚊屋を借りてこよう、この辺は湿っているから蚊の出るのも早いんだ。9月いっぱいは借りておこうや、それで11月にはコタツだよ、布団も厚いのを借りようや」
おや、クラはずっと居すわるのかな。
「親方の家へ帰るも面倒だしここに泊まってもいいかい。親方の姐さんが口やかましくて窮屈なんだよ」
そしてそのまま住みついてしまった、だが気持ちが温かくなった。
朝、目覚めて、とやかく思いをめぐらしながらまた眠る。再び目覚めるのだが夢見心地がしばらく続く。そんな幸せな朝を楽しむようになった。
「兄ぃ、いい天気だ、浅草寺にお参りだよ」
掃除洗濯をすませたクラはさっさと身支度を始める。蕃所調所は1日11日21日が休みなのでその日は散策に出る、クラは良き案内者だ。
「昼はつましくあんかけと奈良茶飯だ、茶代と菓子代あわせて都合200文」
下谷からはほんの一またぎで雷門に出る。
仏具屋、道具屋、呉服屋が軒を並べているのを景三郎はお上りさんまるだしでキョロキョロ見て歩く。
舟具問屋の店先には大きな四爪碇が無造作に置かれていた。鳳凰丸の碇は大きすぎて特注だったが江戸慣れた三郎助がその相談に行き景三郎も連れて行ってもらったことを思い出した。
「鐘一つ売れぬ日はなし江戸の春ってさ」
「なるほど碇も同様だ」
道ばたに棒手振りが叫んでいる。
ナスに白うり、真桑にスイカ
「あの黄色が真桑瓜だよ、一つ切らせてしゃぶりつこうよ」
「岐阜の真桑村で採れはじめたから真桑瓜、織田信長の好物だったそうだ」
「学者はもったいをつけるもんだね、いくらだい10文だって?5文5文!さあずっと皮むいて持たせくんな。こりゃフランス語でなんというのさ」
「さあな知らん、帰ったら調べてみよう」
「こんなのフランスなら子どもだって知っているだろうよ。さてそのフランスってどこだか教えてくんな」
「よく知らんのだ」
本尊に1文銭はちょっと心細いお賽銭だが拝んで奥山に廻った。
「糸操りがでているよ」
結城座初代孫三郎は寛永年間の人、文楽に競って糸操り芝居を出したのだが天明5年に本朝二十四孝で大当り、格が高くなって木戸銭は大人一朱。
「高いよ、銭相場で500文だぜ」
「なんだクラじゃねぇか」
裏から入れと手招きする。
幕の途中なので筋は分からないが大概おなじだ。美しい姫様、悪侍、忠義の家来、正義の味方と顔と衣装ですぐ分かる。
一幕あがったのをしおにさっと出て長屋に戻った。
「兄ぃ、支度はいいかい」
今日もヨミウリの手伝いだ。
村上先生には弟子が何人かいたが景三郎が一番熱心に通っていた。ひたすら書き写して覚える、その前で先生もずっと原書を読み続けている。質問すると答えてくれるが肩がこると肩をたたくように命じてフランスの話をしてくれる、といっても渡航したことはないので本で読んだことだけだ。それから昔話が始まる。
「本木庄左衛門殿は文化元年にレザノフの通詞をされてフランス語とロシア語を習得 された。砲術概要 万国地図和解 和蘭陀軍艦図解などのご本を残されました、亡くなってもう35年になられる」
「35aprèsia mort」
こう書いて渡してくれたがすぐに読書に戻ってしまう。
だいぶたってから話の続きがある。
「馬場佐十郎殿も同じ年に亡くなられた、 オランダ商館長のヅーフからフランス語、松前でロシア語を習得されてな、江戸で万国全図を編纂された。この「厚生新編」百科事典も業績だ。ディアナ号で高田嘉兵衛とゴロヴニンの交換を通訳されたりブラザース号やサラセン号を浦賀で対応された」
「私は浦賀奉行所で育ったので話は聞いております」
「j`aigrandi a uragabugyousyo」
書いてくれる。親切な師匠だが書き写しているだけでは物足りなかった。
暮の六つに長屋の木戸が閉まる。それに遅れてしまった。差配の家に灯りがついているのでそっと声をかけた。
「はいどなたですか、なんだ景三郎さんか、遠慮なしに木戸を開けてお入りなさい」
「少し話が長引いて遅れました」
たまにはお寄りなさい、婆さん茶の支度だよと内に声をかける。柱の脇に腰をかけると座布団を出してくれた。
「学問は進んでいますか、毎日九段にお勤めだそうでご熱心なことです」
「すっかり慣れました」
「最初の日、あの足軽の風がいささか悪かったので少し剣呑だと思いましたが学者さんなので安心しました。この長屋にあなたのような方がいると風紀が良くなって助かります、イタズラ坊主を叱るにもあなたの名を出すのですよ」
そんな風に見えるのかと思うと景三郎も少し励みになった。
「評判、評判、鬼女、食い殺されましたのは酒屋の下女のお伝さん、店の裏手でギャアと叫んで息がない、白地の浴衣に白てぬぐい、口は血だらけ手も血だらけ…あとは4文だ、ヨミウリ、ヨミウリ」
「また作り話か、捕まったらどうするんだ」
「ほら、ここを見ねぇ」
小さく といううわさ と書いてある。
「うわさ話だよ、うわさ話をしてはいけないと高札には書いていない。評判評判」
景三郎は長屋の人たちをじっと観察している。陽気で悩みなど少しもないようだ。その日が暮らせればそれでいい、明日のことは明日考えればいい、楽天的なのか運命に従っているだけなのか、たぶん両方なのだろう。いざとなれば神仏がなんとかしてくれるだろうよ。神仏の救いの前に長屋の人たちが互いに助け合っている。
「あいよ、こんなものだが食っておくれ」
珍しく長屋の路地口に物貰いの老婆が立っている。
チャリンと鈴が鳴ってムニャムニャと何か言っている。
「回国の六部さんだ、兄ぃ小銭をおくれ」
きりがないから断ったらどうだと言うとクラは怒った。
「可哀想な人たちなんだよ、おいらたちは幸い食っていけるんだ、情けは他人のためならずだ、因業なことをすると後世は地獄だよ」
さあさあ江戸の化け物づくしだよ。
ぬらりひょん 牛鬼 山彦おとろん わいろうかん 目一つ坊 ぬっぺらぼう ぬり仏 ひゅうすべ しょうけら ふらり火 さかがみ あふあふ とうもこうも 猪熊入道 がんばり入道 なにより怖いはけちん坊、さあさあ買ったり買ったり、お代は4文だ、ケチと化け物は箱根のこっちにはいませんよ
突然、クラがヨミウリを始めたので物貰いの老婆も笑った。
「にいさん4文出そうかえ」
「それじゃあアベコベだよ」
「兄ぃも隅におけないな、稽古所のお秋さんが懸想だよ、はいお手紙」
「どういうことだ」
「まあ読んでの思案さ」
景三郎の住まいのはす向かいに「お秋」とだけ小さく名前を書いた長屋がある。聞かなくても三味線の音で分かる。表店の娘たちが清元・長唄を習いにくる、裏店の男たちの奇妙奇天烈な節回しが聞こえる晩もある。
おさらい会を開くという文面だった。
「お秋さんというのはどういう人だ」
クラは呆れたように笑った。
「一帯の野郎たちが夢にまで見るお師匠さんさ、年の頃は25、6、愛嬌があって綺麗で品がいい、知らないのかい」
「挨拶くらいはしただろう、なにしろ朝早く出て帰るのは夜だからな」
「行っておやりよ、表通りの米屋の二階座敷さ、お祝いを包んで持っていくんだよ、一朱でいいよ、多すぎると下心があるかもしれないと疑われるからさ
行き届いたご指示だ、クラは世慣れている。
午後に始まったおさらい会は夜まで続いた。晴れ着の娘たちが次々に唄うと家族親戚がやんやと喜ぶ。弟子の男たちが次々に唄うと同僚友人が冷やかす、まるで祭礼のようだ。景三郎も一緒になって褒めたり笑ったりした、なぜかクラはこういう人寄せには来ない。
翌晩、帰ると机に手紙が置いてあった。秋よりと小さく表書きがしてあって感謝の言葉がこまやかに記されている。ぜひおめもじの上お礼をと、それを読んでクラはすぐに言った。
「据え膳食わぬは野暮だよ、いつが役所の休みだい、だんどりはおいらがつけるよ」
なかなか日が合わず、ようやく出稽古に行く前に一刻ほど堀端の茶屋で会うことになった。
お秋は茶と菓子を景三郎の前に静かに差し出す、顔を伏せたままで何か迷いのある様子だ。
「お秋殿は一人でお暮らしか」
はっとしたように顔を上げた
「父と母には死に別れました」
そして決心がついたように景三郎を鋭く見つめた。
「あなたは長崎まで往還されたと伺いました。そのご道中で私と面差しの似た方とお目にかかりませんでしたでしょうか」
驚いて黙っていると秋は言葉を奔しらせた。
自分には春という双子の姉妹がいる、風習で二人とも別々の里子にだされた、家も貧しかったからだ。たぶん自分は秋だから妹の方なのだろう、物心ついた時は芸者屋の下地っ子だったが雇い人のようにこき使われた。ようやく2年前にお礼奉公をすませて一人立ちできた。すると寂しくてしかたない、姉はどうしているのか会いたくてたまらない、朝夜に心を騒がせている。
「双子ですから似ていることと思います。せめて居場所の見当でもつけば気持ちが鎮まるのですが」
景三郎は真正面からお秋の顔を凝視した、お秋も真剣に景三郎を見つめた。美しい顔だと思った、自分よりは少し年上だが心労がにじみ出ているせいか哀れげに見える。
「私は長崎に学問をしに行ったがしくじって帰ってきた惰弱な者です。皆の情けを受けて今やり直しをしようとしています。女人にはまったく縁がありませんでした」
はっとしてお秋はうつむいた。
「それはお辛いことを思い出させてしまいすみませんでした」
その時、景三郎はあの老妓を思い出した。年は違うが面差しは同じだ、芸者という苦役が似通った雰囲気を作るのだろう、胸が熱くなって目頭が潤んだ。それを見てお秋は吃驚した。
「あの…なにか私が不届きを」
それが誘い水になった。
「いや何、一人だけ女人を思い出したもので、不覚でした」
ためらいなく身の上話ができる、そう感じて今度は景三郎が話し始めた。
自分は拾われた子だ、義父は大田戴陽という人で世捨て人のように暮らしている。浦賀奉行所の小者格で長崎で学問実技を習得したが朋輩にいじめられ、いたたまれず江戸に戻った。再起しようと蕃書調所で学んでいる。
「その女人とおっしゃるのは」
「長崎の芸者さんでご高齢でした、お春さんではありません」
「…」
しばらく二人は黙っていた。
「命があれば会えるでしょう。私のせいで座敷に閑古鳥が鳴いてしまいました、ちょっと調子を合わせてみましょうね」
三味線が鳴る、長崎の老妓の顔が目の前に浮かんできた。
「その時に長崎ぶらぶら節というのを聞かせてもらいました」
「おやご縁がありますこと、廻船乗りの船頭衆がご贔屓でよく所望されますのよ」
乁長崎訛りは そんげん兄しゃま達 すらごと云いますなと云うたもんだいちゅう 云うた云うたと云うたもんだいちゅう
あっと思った瞬間、あの日々のことが波のように押し寄せてきて砕けた。お秋はすぐに気づいた。
「唄はよしましょうか」
「もっと唄ってください」
乁長崎よか街 石段石だたみ 眼鏡の石橋 二人で渡ってぶうらぶら ぶらりぶらりと 云うたもんだいちゅう
しかし、そんなこともあったか、昔の思い出だなと平然としていられる、それが景三郎には不思議だった。
お秋は姉のことを心がけてほしいと重ねて頼んでから出稽古に急いで出て行った。
「明日は兄ィがずっと前に言っていた白山と駿河台と牛込に連れて行ってやるよ」
曽祖父大田直次郎は鶯谷から牛込柳町に引越した、文化6年という昔だ。蔵書が増えて駿河台に惟林楼という書庫を建てた、墓は白山逸見坂の本念寺にある。
「少し遠いからヨミウリに遅れるかもしれないが構うもんか」
下谷から上野に出て切通しを上れば谷中の寺町だ。曽祖父は御徒士という幕臣の中でも一番身分の低い侍だったので組屋敷という長屋に住んだ。しかし一応は武士なので景三郎の長屋とは違い門と玄関と庭がある。日当たりの悪い長屋のどれかに大田直次郎は貧乏暮らしをしていたのだろう。
江戸は物が高いが武士は見栄が大事なのでけちけちするわけにはいかない。髪結い、湯賃、炭、茶、菓子、タバコだけで年に25両はかかってしまう。その全部を年間40両ほどの扶持でまかなわなければならない。
西窓山靄遠重々 独立雲間不二峰
西側の窓の外にはもやが幾重にもかかっている。ぽっかり浮かんだ雲の間に富士山がそびえている。
主人将向駿台先 黄鳥頻啼二三声
ちょうど駿河台の先に行こうとすると黄鳥(というからスズメかなヒバリかな)が二声三声鳴き交わしている。
曽祖父はこんな詩を残している。ここに建てた新居を得意満面で喜んでいる姿が目に浮かんだ。
「兄ぃのソウソフてのはどんな人だい」
「俺もよく知らんが大田南畝と四方赤良と蜀山人と名乗ったそうだ」
「ショクサンジンって聞いたことがあるな、絵師の歌川さんが言っていた人だろう、今度聞いてみるよ」
谷中から千駄木に出て向丘を上ると白山だ。本念寺はそれほど大きくないが侍の寺だ。花屋でシキミと線香を買って墓に手向けた。クラも殊勝に手を合わせている、うれしくなった。
白山から谷を下り茗荷谷を上ると駿河台だ、淡路坂の書庫はといってもどこだか分からない。もっとも膨大な蔵書は子と孫で売りつくしてしまったらしい。孫というのが義父の戴陽老人だ。自分でも不肖の孫と言っていたがその通りだ。
景三郎は知らなかったがこの家には長州の東条礼蔵が住んでいた。桂小五郎とともに中島三郎助の家に寄宿して鳳凰丸の造船を学んだ人だ。翻訳方の福沢諭吉の同僚でもあった。そんな住まいにある日、攘夷の浪士が白刃を抜いて乱入してきた、洋学者狩りだ。東条は裏口から一目散に逃げて助かった。後に蕃書調所から軍艦操練所に移って教授を勤めた人だ。
小石川御門から猫股橋へ、おどろおどろしい名だが丸太の一本橋で根っこが又になっていたらしい、この辺はもうすっかり田園風景でのんびりと歩いた。飯田橋へ下りて神楽坂を過ぎると牛込若松町、もう中山道の宿場町新宿がすぐそこだ。
「江戸から離れて1里2里さ、すっかり旅の気分だよ、なにしろ坂の上がり下りばっかりだからくたびれたよ、兄ぃは大丈夫かい」
さすがのクラも音をあげた。
子も孫も不甲斐なかったので曽祖父は老人になっても隠居できず御徒士の勤めをした。ぶっさき羽織に手甲脚絆で近郊の見回りをする、天下に名を轟かせた蜀山人先生は晩年まで大田直次郎という御徒士だった。
長崎伝習所も蕃所調所も名声や出世を求める人が大半だ、しかし長屋の人たちはそんなことを夢にも思わない、出世しナイを自慢にしている。これから自分はどんな生き方をするのか景三郎はふさぎこんだ。クラは兄ぃが疲れていると思った。
「ようやく探し当てたぞ、ドブ板につまづきあやうく転ぶところだった」
そう言って井蔵が入ってきた。
「鈴木与力の書き残してくれて地図が分かりにくくてな、いや息災でめでたい、心配しておったぞ」
「江戸の風呂屋のおかげで長崎の垢はすっかり流したよ、手紙も出さずにすまぬことをした」
「フランス語がだいぶ上達したとうわさを聞いた、俺も蒸気のことがすっかり分かったぞ、どんな軍艦も操ることができるぞ」
戸口に人がいるのに景三郎は気づいた。
「まて、来客のようだ」
「しまった忘れておった、ナミ殿どうぞ」
入ってきたのは派手な小袖を着た前髪立ちの若侍だ。
「井蔵はあいかわらずうかつだな」
その言葉が女の声であるのに気づいて景三郎は思わずフランス語でサプリス驚いたと口にした。
「景三郎殿か、井蔵から聞いております、ナミと申す、以後ご別懇に」
「井蔵、この方は」
「そうだ俺の本家の姫様だ、従姉妹になるのかな、俺たちはナミ之助と呼んでおる」
「家が分ったから私は失礼する。二人で料理屋にでも参ってゆっくり話せ、まあウナギ屋だろうな」
「近々、景三郎を連れておうかがいします」
色の白い目鼻立ちのはっきりした上品な若者、ではなく女性だった。景三郎はあっけにとられて見送った。
「この辺にウナギ屋があるか、男同士でゆっくりできるのはそこしかない、公儀隠密の内緒話だと思って放っておいてくれるよ」
井蔵の言う通りウナギ屋はこっそり会う場所として男女連れに使われる、なにしろ客を見てウナギを選びそれから調理するので半刻は待たされるのだ。
連れだって河岸のそばのウナギ屋に行った。看板はなくても匂いでわかる。座敷は二階ですぐにお定まりの燗酒が運ばれる。互いに話すことがたくさんあって奪い合うように話した。井蔵が話す長崎伝習所のあれこれを景三郎はわだかまりなく聞いていることに自分で驚いた。伝習生も二期以後は熱心で真摯な者が多くオランダ人教官も喜んでいたが、築地に海軍操練所ができて規模が縮小され困惑しているそうだ。親切にしてくれた測量士のエーグを思い出した。
「それでナミ殿というのは」
「驚いたろう、兄貴の岡田増太郎が浦賀奉行所与力になったので俺も一緒に浦賀に来たのだが親戚連中は江戸に住んでいる、ナミ殿もその一人だ。直心影流の達人で弓、馬術もこなすという武芸者だ。ある大身の旗本の若殿に見初められて玉の輿には乗ったが柔弱退廃で我慢ならず離縁した。これは本人の自慢話だから内緒ではない」
「俺に会わせようとしたのか」
「とんでもない、俺が江戸不案内だから連れてきてくれたのだ。俺よりも5才ばかり年上だ。景三郎がフランス語を話すというのに興味を持ったようだよ」
「ぜひもう一度会いたいものだ」
「いいとも、ただ一手申し合わせなど誘われても受けるなよ、強いぞ。今日は久しぶりの江戸だからゆっくりしていく」
「では俺の家に泊まれ、夜明かしもできる」
「ではお前の邸宅に泊めてもらおう、そうだ忘れたことがあるのでナミ殿の家に寄る、つきあってくれぬか」
立派な門の旗本屋敷だ、前庭には池もあり厩舎から馬のいななきが聞こえる。ナミがすっと現れた。
「ご入来ですね」
改めて見ると涼しい眼差しのおだやかな女人だった。口元に優しさが漂っていて景三郎は目が離せなかった。
「学問をされているとか」
「フランス語を学んでおります」
「それはなんのためですか」
それは一言では言えない。
「世界が知りたいからです」
とっさにそう答えたがまるで寺小屋で師匠に向かったようにドギマギした。
「夢がありますね、井蔵などは蒸気の釜のことしか言いません。座敷で話を聞かせてください」
フランスのことを色々聞かれたが知っていることしか話せないのが辛かった。ナミさんは 風習、仕来り、仕組みを鋭く聞いた。まるで道場で竹刀を打ち合っているようだ。身分制度、男女のあり方など景三郎は考えてもみなかったことだ。
「因循姑息というのは大嫌いです、でもあなたは井蔵より開けた人なので良かった」
井蔵が抗議した。
「私は因循姑息ですか、日本の軍艦を蒸気で走らせようとしているのに」
「昔は和魂漢才などと言ったが今は洋才です、私は和魂というのが不満です。勤皇とか攘夷とか騒ぎ立てているのも和魂を都合よく使い回しているだけです」
そんなことも考えたことはない、景三郎は敬愛の気持ちが沸いて熱くなった。
「ナミさんは才色兼備、でもそう言うと怒りますよね」
井蔵の反撃だ。
「人をおとしめる言葉です、裏にはほどほどにしておけという意味を感じる。馬は乗り手を見抜きますが人は相手を見抜けません」
「そういう所が才色兼備だ、ほらキッとなった、すごい殺気を感じました」
景三郎は微笑んだ、いとこ同士はケンカ仲間、うらやましくなった。
「景三郎殿に面識を得てよかった、世界が少し開けました。ささやかなお礼に着物を縫ってあげましょう。手仕事が好きなのですよ、才職兼備ですから」
景三郎は着たきりスズメだったことに気づいた。季節が変わっている、ナミさんは気遣いしてくれた。景三郎を採寸する、指が触れると妙にときめいた。ただ竹刀と弓と手綱に痛めつけられた白魚というのにはほど遠いたくましい指だった。
「仕上がったらお届けしましょう」
待ち遠しくなった。
「私はこれから道場に行きます。ご同行されないか、一手いかがか」
やめておけと井蔵が顔をしかめたが景三郎は行く気だった。
直心影流の道場に座って待つとすぐに支度をしたナミさんが現れた。男と同じゴワゴワとした道場着と袴を着け白鉢巻でキリリと髪を押さえつけ大小の竹刀を提げている。最初の相手は若い男だった。礼を交わしさっと左右に分かれる。
「イエイ、ヤ、エイ」
男が竹刀を上段に構えてしきりに掛け声を発して威圧する。ナミさんは少しも構わずツツッと進み出て中段から相手の胴を突いていた。景三郎も井蔵も息を飲んだ。
次の若者が進み出て礼を交わす。中段から八双に構えてナミさんはすぐに小手を払った。何人かを倒してようやく汗を拭いた。
「ハハ、奉行所で撃剣を教わりましたが、相手が強ければ逃げろと言われましたよ、ナミさんもそうですか」
井蔵が冗談を言った。
「戦いは避けた方が良いと思うが、時には死地に臨むこともあろう」
「女人でも」
景三郎はつぶやくとナミは憤慨した。
「危機を迎えれば男女の区別はない」
「おお怖」
井蔵は気楽だがナミは真剣だ。
「相手にスキが見えると私はそこに打ち込む。私がスキを見せると相手がつられるのでそこを打つ、それだけだ」
二人はそそくさと道場をあとにした。
「兄ぃも水くさいや」
クラが中っ腹で勢いよく帰ってきた。
「おいら恥をかいたぜ、蜀山人も知らないのかと歌川の旦那に馬鹿にされた。ソウソフがそんなえらい人なら教えてくれればいいんだよ。日本一の通人だって、お大名だって友だちだったんだって本当かい」
「だって俺は連れ子だからあまり知らんのだよ」
「へえ兄ぃも親から離れたのかい、おいらも捨て子だよ」
「俺は拾い子だ」
「なんだ仲間だね」
クラがなくてはならない仲間のように思えてきた。肌が艶々して清潔だ、はつらつとした大きい目でじっと見つめる、気持ちよく響く声で言葉が歯切れよい、江戸にしかいない少年だろう、それが兄ぃと慕ってくれる。
「墓参りしたって言ったら旦那は驚いて小遣いくれたぜ、駄菓子でも買ってくる」
「その前に、これは何だろう押入れに貼ってあった」
平という文字が骨太に書かれていて、それをナマズの顔をしたたくさんの大工が建てている。根元には小判が積まれている。題名が「平の建て前」
「兄ぃこれはナマズ絵さ、前に住んでいた奴が大工かなんかなのだろう」
「ナゾナゾかい」
「一昨年の地震さ、家が壊れるし火が出るしでおいらも難儀したよ。けど大工や医者は儲かった、金持ちは大金を施行しなければならないから損をした。
貧福をひっかきまぜて鯰らが
世を太平の建て前ぞする
つまり地震は世直し、金は天下の回りものさ、ただ公儀は取り締まったから押入れの中に隠して貼ったんだろ、また地震があれば儲かるんだ、護符と同じさ」
「ずいぶん辛らつだね」
「江戸っ子はいつも中っ腹さ、ケンカの種をさがしている、金持ちだ武士だって威張っていればコンチクショウって思うんだよ」
「それで皆がヨミウリを買ったのかい」
「おいらもだいぶ売ったから儲かった方だね。お侍はひどく貧乏になったから長屋の衆も同情しているよ。今度の休みはいつだい、菊人形を見に行くのさ」
「重陽の節句は過ぎたが」
「そんなの知らないよ、けど菊人形はきれいだよ。団子も食えるしさ。次の次の休みは高輪まで足を伸ばして泉岳寺に連れて行ってやるよ、帰りがけに増上寺だ、こっちは公方様のお寺だ。兄ぃのひいじいさんも偉いが赤穂浪士や公方様の墓所はすごいや、一日がかりの遠出だぜ」
クラのおかげで江戸を知った、裏町から郊外までに親しみを感じる。長崎の出来事は忘れてしまった、清々しい朝を迎えたような気分だった。
任期が終わり浦賀に帰ることになった鈴木与力が訪ねてくれた。
「様子を知らせるのも拙者の勤めだ」
クラがすばやく茶を出した。
「弟分です」
「それは結構、妹分と言われたらすぐにご注進せねばならないからの、これは三郎助殿からの給金と奉行所のお手当て、拙者が立替ておきます。それからこれは些少だが拙者の寸志だ、受納なさい」
3両の小判が包んであった。これが2ヶ月分の支えになる。
「浦賀にも土産物を持参せねばならぬから同道してくれぬかな」
うっかりヨミウリのことなど言ったら叱られるだろう、明日までに調べ物がありますと言って辞退した。鈴木与力は少し残念そうだった、まるで甥のように思ってくれている。
「学問に精を出しなさい、古人も道おのずから開けるといっております」
そう言い残して帰っていった。
「兄い、良い叔父さんだね」
クラもそう思ったようだ。
「角のソバ屋で聞いてきた、ここがお住まいでしたか」
色の白いふっくらとした男が顔を見せた、福地源一郎という翻訳方見習いの若者だ。改めて見ると隙の無い才子だ。先日、蕃所調書にぶらっとあらわれた、景三郎が翻訳方の様子を聞いてみると源一郎は目をくりくりさせてあざ笑った、能弁だ。
「ただの新し物好き、英語で立身を図ろうという俗物ばかりです、世界の情勢や文化を知って天下の役に立とうなどというのは俺くらいなものでしょう」
「湯島聖堂の儒学者はなんと言っているのだろう」
「儒を捨てて蟹行蚊脚の字を練習し鴃舌侏離の風を慕う、冥土で父祖父になんと言い訳するのか。なるほど横文字が蟹行蚊脚、異国語がモズの鳴き声と野蛮な西国の音楽とはよく言ったものだ。聖堂の学問吟味の朝、狐の鳴き声を聞けば合格するという、狐頼りの儒学者様は狐の知恵にあやかればいいのさ」
長崎の町医者の息子で江戸に出て水野筑
後守の食客になっているという。あたりを見
回して小さい声になった。後日、お屋敷にう
かがいしましょう、所番地を聞いた。
和語と英語の中継ぎをするだけが仕事で小才の利くのが自慢になる。先日も誰かが扇子を見せて中に懐剣が仕込んであると自慢する。
「用心の工夫だとさ、馬鹿め。懐剣と見せて実は扇子なら洒落になるのにさ」
「福地さんはなぜそんな翻訳方に通っていなさるのか」
「棚からボタモチがありはしないかとね、洋行できるかもしれやせん。君のような清廉な君子は沼の中では息苦しいでしょうな」
長崎の医師の家に生まれて江戸にいる、話をしているうちに、すっかり意気投合した。
雨上がりの夕方だった。
「大田景三郎さんのお宅ですかい」
背の高い目の鋭い男が戸口に立った。景三郎は少し緊張して「お入りなさい」と言った。
「手前はこの辺りで十手を預かる目明しの半次と申しやす。ちょっと先生にお話があって参りやした」
汚い所ですがと座布団を勧めるとすぐに歯切れのいい江戸弁を話し始めた。いつのまにかクラが茶を入れる。
「いや江戸の夕立はきりっとしたものだね。あっというまに暗くなり、どっと降ってきてさっとやむと日が出て涼しい風が吹きセミが一斉に鳴き始める。その気分のいいこと、江戸っ子の性根にピッタリだ」
そう言ってにっこりと笑い景三郎の顔を正面から見たが目は笑っていなかった。
長崎から不審な若い侍がこの長屋に住み着いて何やら異国の本を読んでいる。切支丹ではあるまいか、それにしても物騒なことがあってはならない。薩摩長州をはじめ諸国の浪人がいりこんで騒乱を起こしており条約などというものができて以来、異国人も姿を見せている。町奉行所も見廻りを強めている、奉行所のお達しがあって失礼ながら調べさせてもらった。
「とんだ気色が悪いと思し召しでしょうが御用の役目でござんすのでご勘弁願います」
浦賀のお役宅にそれとなく問い合わせをしてようやく身分が分かり嫌疑が晴れた。
「この先、何かもめごとがありやしたら、いつでも口をききますのでお声をかけてくださいまし、クラはご迷惑をおかけしておりませんか」
聞いて驚いた、クラは岡っ引きの手先で探索のために入り込んだという。
「あいつもなまじ器用な生まれつきだもんで人様のふところをうかがうような仕事をしているときにおいらが捕えました。両親もいないという育ちで罪にするのも可哀想だと思い今は手先にしておりやす」
「兄ぃ、また遊びに来てもいいですかフランス語を教えてください、でも兄ぃのフランス語は町中では通用しませんね、ところで飯のつくり方は覚えましたか、これは餞別です」
一枚の紙を置いて半次はクラを連れて帰っていった。
後日、奉行所に給金をもらいに行ったときに聞いてみるとそんな者は来なかったと言われた。
「そういえば薬種屋の番頭というのが中島殿を訪ねてきたな。親しい者だといって皆の消息を聞いていったっけ。確かに貴公の名前も出ていたぞ」
岡っ引きというのは巧みなものだと感心した。
クラがいなくなったのは寂しかった。クラと気軽に呼んでいたが本当は何という名前なのか。内蔵助では忠臣蔵だし倉三とでもいうのか。または蔵前のナントカといってクラなのか、どこの誰かということも分からない少年がなつかしくてならなかった。半次親分に聞けばわかることだろうが、クラの世界に踏み込んでいくようで気がひけた。
自炊をしなければならい、クラがおいていった一枚刷りの番付は日々徳用倹約料理角力取組と書かれている。つまり食事のおかずを並べ立てたものだ、笑ってしまったが役に立つのかどうか。しかし心配はいらなかった。相長屋の青物売りのお上さんが申し出てくれた。掃除、洗濯、繕い物で日決め50文、米を焚いて惣菜1品つけて30文で請け負います。聞いてみると他の長屋でもそうしているという。お上さんは長屋12軒の独り者をお得意にして銭を稼いでいる。亭主は棒手振りで青菜やナスを売ってせいぜい1日3百文、それより収入が多いこともあるという。
「亭主の稼ぎは暮らすだけさ、子どもに着せてやり私も化粧して垢の付かない着物を着てお寺参り、花見と花火、月見と紅葉、寄席や見世物小屋、江戸には遊楽がたくさんあるからね」
そうした費用にあてるのだそうだ。
「江戸の町屋の女は忙しいよ、16、7才で色気づいて婚礼だ。相手はお店の番頭さん、お店勤めで年がいくから40才の厄年さ、すぐに後家になってお店の若い手代と再婚だ。色気が抜けたら女はおしまい、こうやって身奇麗にしているんだ。うちの亭主だって私を大事にしてくれなければ、すぐに三行半でおさらばしてしまうのさ。何しろ江戸は男ばかりで女は少ない、玉の輿はあちこちで待っているんだから」
この長屋にも相州浦賀に親戚のある者がいるという、にわかに里心がついた。
夕刻、クラがいないとなにやら広くなった感じのする座敷で寝転んでいた。風呂屋で挨拶してくれた差配のご隠居がやってきた。
「ちょっとご挨拶をとうかがいました」
話を聞くと半次親分の調べがつくまで長屋の人たちはじっと遠くからうかがっていたのだそうだ。
「こんなご時勢ですから人斬りや火つけにかかわりあっちゃあ剣呑です。ひやひやしておりましたが大丈夫だと分かって安心しました。改めて長屋一同つきあいをさせていただきます」
蕃書という難しい本を調べている番所でお役目をしている、独り身で年は21、調べがいきとどいているようだ。以後ご別懇にと帰っていった。呑気に暮らしているように見えても長屋の人たちは用心深かったのだ、少し驚いた。さっそく隣から南瓜を煮たからといってお神さんが届けてくれた。愛想笑いでなく真の笑顔だったのでうれしかった。
この長屋の左官の安蔵の女房は浦賀の出だと聞いた、浦賀という言葉で急に故郷に帰りたくなった。長崎に出立してから2年近く帰っていない。日本橋の魚河岸に行けば押送り舟が入るだろう。早朝、河岸には魚を満載して夜通し走ってきた舟が続々と岸についていた。片舷4丁の櫓を備え切先を高く伸ばして波きりを良くした速い舟で蒸気船を追い越したと自慢するのもある。景三郎は顔を知った水手がいないか探した。
水手たちは威勢よく船底から魚を上げている、船尾に引っぱったかごの中から魚をよりだしている、鳥と猫が分け前を求めている。キョロキョロしていると声がかかった。
「もしかして人まちがいならご免なさい。三浦は長柄の景三郎さんじゃないですか」
舟で手仕事をしていた水手が笑って声をかけてきた。陽に焼けて歯ばかり白い、顔は変わったが声は同じだ、それに太っている。
「あれ、佐十じゃないか」
一緒に小舟で流された仲だ、廻船乗りになりたいと言っていたことも思い出した。
「聞くところによると長崎くんだりまで行ったそうですね、無事にお帰りでなによりでした。みなに所で帆柱を立てていちゃあ落ち着かないや、こちらへどうぞ」
水手の集まる茶屋に案内された。
江戸の時代は漁師といえど言葉を使いわけてきちんと話ができなければ一人前とはいわれなかった。しかし挨拶がすめばぞんざいな口調になる。
「あっしも今は押し送り舟を一隻預けられて兄貴分になりやした、出世だね」
声が大きいのは自慢になる、誰がどうした彼はどうなったと仲間のうわさをひとしきり聞いた。
「この前の地震は肝をつぶしたね。あっしも酒を飲み終わって布団にもぐりこんだ時だったよ、激しく揺れて一目散に舟に逃げ帰った。必死に漕いださ、少しも早く港を出ないと津波にやられる、ようやく沖に出て落ち着いて陸を見ると江戸の町は真赤だよ、荷主のことが心配で舟を戻すともう大変な騒ぎになっていた、ケイサも無事でよかったね」
斜めむかいにもっと大きな声で話している男がいる、水手は声が大きいものだ。
「はばかりさま、おいらは東回りの廻船乗りだ、西国の北前船など娘船頭でも務まるわ」
佐十がおもしろがって声をかけた。
「若い衆、威勢がいいや、どこの生まれだい」
「津軽は十三湊で生まれやした、親父は代々の船乗り、海で果てました。6つの時から廻船の飯を食って育ちやした」
がぶっと茶碗酒を飲んだ。
「津軽は寂しいところでござんすよ。夏になっても寒い夜があり、岩木の山の雪も消えません。野っ原に風が吹けば見渡す限りの草がなびき半日歩いても人には会いません」
景三郎も話につられた。
「親代々の水手かい」
「ご先祖のことを言うなら今のおいらは不肖者だ、安東水軍といえば蝦夷はおろか高麗、樺太にまで怖れられた海賊衆だが、その末の末さ。十三湊が繁盛したころは千戸の家があったが、すっかり衰えて海賊衆も散り散りバラバラ、おいらのご先祖も熊野に出て廻船乗りになったというわけでさ」
佐十が酒をつぐと喜んでまた飲む。話し相手がいなくて寂しかったようだ。
「西回りは楽な航海です、風待ち湊がたくさんあって酒と女でもてなしてくれる。船主は船持ち、船頭は金持ちと申しまして、陽気に囃子ながら波を切って進みます。東回りは、それ板子一枚下は地獄、言葉通りさ。波は高い風は強い、嵐に巻き込まれたら二度と戻れない大海に流されていきやす」
佐十が危ないことだと言った。廻船乗りになるという昔の望みは失せているようだ。
「そりゃあお侍が合戦に臨むようなものでさ、血が騒ぐというか奮い立つというか、男でなければできないこった。相手は海だから潮とか風とか浪とか手を替え品を替えて襲ってくる。それを船頭の下知一言、力を尽くして乗り切っていく。我ながら勇ましいや、金じゃないよ、勝負だよ」
だいぶ酔ってきたらしい。
「今まで命ながらえているのが不思議なくらいだ。酒を飲めって、やあ、ありがたいね、なに蝦夷のアイヌが怖いって?とんでもない、親切で穏やかな良い人ばかりだ。だから和人になめられたのだろうって?とんでもない、昔、シャクシャインという強い大将が出て松前の殿様はあやうく滅びることころだった、戦さに勝てない時は悪知恵だ、和睦をしようと呼び寄せたね。シャクシャインその日の装束はまばゆいばかりの蝦夷錦の直垂に黄金造りの太刀をはき、鬼ヒゲ逆立てどっかと座れば、一同威に打たれハハッとばかりに平伏した」
さすがに二人は呆れた、佐十がからかった。「お前は本当に船乗りかい、講釈師じゃあないのかい」
「よく聞け和人、尊ぶべきは仁義礼智信、辺境野蛮の我なれど教えは心にとめている、こたびの戦さ天の許しは我にあり。大音声でのたまえば」
「のたまうときたね、ようよう成田屋!」
うるさい黙れ、いいかげんにしろ、海に出てお仲間のアホウドリにでも聞かせてやんな、水手仲間が一斉ににらみつけて十三湊の水手は追い払われてしまった。
「手習い仲間にも教えてやります。みなうわさはしているんだよ、喜ぶね、また河岸に来てください」
景三郎は雨が晴れたような気分で心がすっかり軽くなった。
しかしクラの言葉はまだ胸に響いている。村上先生は書物の言葉を教えてくれる。だが子曰くなどと論語の言葉では長屋の人などにはチンプンカンだろう。
悩んだあげく蕃所調所の堀達之助に聞いてみることにした。嘉永元年に密入国したマクドナルドに英語を学び、浦賀奉行所の通詞として中島三郎助とともにペリー艦隊に一番乗りをした人だ。
堀達之助は多忙だった。幕府に届く外国の文書を一手に翻訳している。アメリカ公使がいずれ日本にくるという、その準備もしなければならない。しかし景三郎の顔を覚えていたし心配してくれたらしい。
「いずれ開港ということになればアメリカ人だけでない世界中から人が来ましょう。フランスとロシアの人たちはフランス語を話す、あなたの仕事が生まれましょう。外国のことを知るばかりでは駄目だ、日本のことを話せないと長崎通詞のようになってしまいますよ。つまり異国人に阿諛追従する家来になって馬鹿にされても自分が儲かればそれでいいと思う連中です。異国には士農工商という身分制度はありません、誰でも対等に相手をして聞きたいことを話してやるのが本当のインタープリットです。心してください」
「どうすればいいでしょう」
「村上氏の方法は正しい、仏蘭西詞林を書き写すことです。たくさんの言葉を覚えて自分の頭の引き出しにしまいこみ、いつでも取り出して使えるように整理しなさい。ラ・メールは海であるなどと一々日本語に直すのではなく、海を見たらラ・メールと言えるようになさい、それが肝腎です」
なるほどクラに言われたとおりだった。
朝早くに家を出て蕃書調所の村上先生の部屋に行き勉強して夕方帰ってくる。青物屋の女将さんの用意してくれた飯を食う、そんな毎日が続いた。
ゴホンゴホンと聞きなれた咳が戸口に聞こえて中島三郎助が顔をみせた。
「蕃書調所は休みだと聞いたから寄ってみた。なるほど学者の住まいだ」
「一別以来、お給金をいただいて飢えもせず暮らしております」
「すっかり顔色が良くなって大人の顔になったようだな重畳重畳、若い者には苦労とはよく言ったものさ。この度は勝麟太郎さんのお供で参勤さ。講武所を移して海軍操練所をつくるための下調べだ。いずれ横浜開港となれば奉行所もつくらねばならないから景三郎も出仕することになるだろうよ」
「堀達之助殿も申されました」
「堀さんも気の毒に、ハリスの件をかたずけたらプロシャ商人の和親条約申し入れさ、ただ手紙を預かっただけなのに入牢させられてしまった。まったく幕府は狭量だ、世間が世直しだと騒ぐのももっともさ」
「ナマズ絵でも貼りますか」
「おや、すっかり江戸の水に洗われたな」
「翻訳方というお役目があるそうで扶持が20俵役金15両、ただ評判はあまりよくありません」
景三郎は福地源一郎に聞いたことを話した。
「そうか、では神奈川奉行所ができるのを待ちなさい、勝さんにも話しておく。勝さんも今が正念場だよ」
勝麟太郎の提議により幕府は築地に軍艦操練所を開設することを決めた。長崎伝習所と異なり日本人だけで運用する。永井尚志を総監に教授方頭取を谷田掘景蔵、中島三郎助や佐々倉桐太郎、山本金次郎、小野友五郎などの浦賀奉行所の面々が教授方になる。測量・算術、造船、蒸気、船具運用、帆前調練、海上砲術、大小砲調練などの実技を江戸で行う。軍艦は朝陽丸と蟠竜丸、朝陽丸は咸臨丸の姉妹船で300トン、100馬力で6ノット、30ポンド砲8門、12ポンド砲4門、12センチ臼砲1門を搭載し矢田掘が艦長となった。蟠竜丸はフランスから献上された王室ヨットで豪華な内装で知られていた。
長崎伝習所のオランダ人教官たちは突然の決定に憤慨し抗議したが聞き入れられなかった。岡田井蔵をはじめ多くの伝習生が築地に移ってきたが、春山弁蔵らは長崎に居残った。
しかし景三郎は蕃書調所でフランス語の勉強を続けることに決めていた。
「景三郎はまだ吉原の大門をくぐったことがないのか」
「知ってのとおりの貧書生さ」
「では行こう、迷いの生じる前にだ。串で小判の封を切りという、借りても盗んでもいいがまずは行っての算段としよう」
「俺には右も左も分からん」
「はばかりながら福地源一郎、東西南北すべてを知悉しておる。時には天国、時には地獄、それは運次第だ。吉原を知らなくてはフランスに行っても幅がきかんぞ」
二人はそのままの姿で吉原に向かった。
八軒行灯という大きい割にはうす暗い行灯が天井から下がっている。広い廊下をバタバタ上ると廊下にはぼんぼりが並んでいてふすまを照らしている。部屋は大方、静まっていたが、嬌声と楽器の音が聞こえる部屋もあった。
「へえ、高尾という太夫は葉山の上山口村の生まれなのか、俺の郷の近くだな」
若い衆という世話係が行灯を明るくしながらお愛想を言う。
「三浦屋という遊女屋は名の通り相州でして、代々高尾というおいらんがおります」
「ほう諸国の大名も名前を継いでいるが」
「おい景三郎、浅黄裏をみせるなよ」
源一郎が苦笑いを浮かべている。
「はい、仙台様に身請けされた高尾を筆頭に、紺屋高尾、子持ち高尾、三つ指高尾」
若い衆が客の値踏みをしたらしいので源一郎はさっさと祝儀を渡した。
「ほどなくおいらんが参りましょう」
そう言い残して若い衆は足音高く階段を下りていった。
「浅黄裏とはなんだ」
「田舎侍さ、ここでは大事にされない」
「では誰がいいのか」
「通と思われればもてなしがいい、金さえあれば野暮でもいい、半可通とか気障と言われたらだめだな、俺たち若い者は息子株が最高だが貴公はとてもそうは見えない」
大店の息子で流行の着物と持ち物をほどよく着崩して、マゲは結いたて、話は歯切れよく話題も高尚、何より財布がどっさりと豊かなら息子株になる。
「俺なども心がけてはいるのだが、金主さえつかまえれば立派な通人になれるのに」
「そうか俺の曽祖父はそんな風に毎日を過ごしていたのだな」
「曽祖父というのは誰だ」
「蜀山人という人だ」
「げっ大田直次郎、南畝こと四方赤良こと蜀山人先生か、貴公はその曾孫か」
「ただの浅黄裏さ」
若い衆に貧書生と見極められたようでおいらんは来なかった。景三郎はほっとした。
「やれやれ話し疲れた」
「クラみたいな男の子が学校にいたら声かけているわ、チョイ悪で可愛くて年下でさ、おじさんこれはヒットだね」
「俺の若いころもそうさ」
「ウソウソ、名前はなんというのだろうね」
「本名は鎌倉河岸の吉松っていうんだ、鎌倉のクラさ。維新後には神田で本屋を始めて、翻訳本なんかも出版したよ」
「へぇ、すごい」
「これが物語だってことを忘れずに」
「バカバカ」
安政6年に横浜が開港となったのでその取り締まりのため港を見下ろす野毛の丘に神奈川奉行所が開設された。
外国奉行となった溝口讃岐守はポルトガルとの通商条約を結ぶ準備をしていたので有無を言わせず景三郎を神奈川奉行所翻訳方抱えにした。50俵取で役金が年25両、景三郎は書き写した仏蘭西詞林を風呂敷に包み長屋の人たちに別れを告げて横浜の役宅に移っていった。
外国船の江戸内海の通航、外国人居留地の統治が任務だ。朝陽丸と鵬翔丸で横浜沖を警備する。軍艦操練所役人2名と水夫1名が昼夜交代でマストの上に立ち見張りをする。バッテラと和船5隻で講武所砲術方が見回りする。鵬翔丸はすぐに咸臨丸と交代した。翌年には馬を運搬してきたイギリス商船が消息不明となり朝陽丸が捜索に出た。そういう時は蟠竜丸が警備についた。
条約というものは批准しなければならない、ということを初めて知った井伊大老は使節をアメリカに派遣することにした。咸臨丸が選ばれたが小さすぎる。ならば使節の護衛艦として随行させ国威を発揮させることにした。使節団長は外国・神奈川奉行、同行するのは軍艦奉行、軍艦操練所幹部、総ざらいの有様だ。岡田井蔵も咸臨丸機関方で乗組むことになった。中島三郎助も切望したが望みはかなわず大いに落胆した。
安政7年1月、一行は出航していった。ポーハッタン号は軍艦ではないので舷側に砲門を開いていない。煙が甲板に流れないように煙突を高くしている。ただ軍艦乗りにしてみると万端にどこか緩んでいるように見える。軍艦は厳しい規律があるので水兵は金具を磨き上げロープも帆布も整頓されているのが清々しい。しかし咸臨丸の乗組みは熟練の水兵ではなく昔ながらの水手に近かった。出航後、すぐに嵐にぶつかり水手は役に立たないし艦長勝麟太郎は船酔いのため船室から出てこない。木村提督は困って同乗しているブルック船長以下クーパー号のアメリカ人乗組員に運航を依頼した。日本人は猛反対だったが咸臨丸は難破の瀬戸際だった。
3月に改元されて万延となった、コロリ流行や江戸城火災、井伊大老暗殺と災厄が続き幕府は験直しをしたかったのだ、孝明天皇も承認した。
5月5日に咸臨丸は浦賀に帰ってきた。
井蔵は潮焼けした顔をほころばせている。
「行きはよいよい帰りは怖いってまったく逆だよ、行きは肝試し帰りは順風満帆の極楽だった、機関も使わずに航海してきたよ」
祝賀の宴会が次々に開かれ景三郎も末席に座った。幸い井蔵の席も末の方だ、2人は思う存分に話ができた。
「お前に紹介しよう福沢諭吉さんだ、アメリカ語を話すよ、大酒飲みだ」
同じように潮焼けしているがいかにも機敏で目の輝きが違う。やんちゃで血気にはやる男だ、顔全体に負けず嫌いが現れている。
「蕃書調所でお見受けしました」
景三郎が挨拶をするとうれしそうな顔で自分のことを話した。
「豊前中津の生まれ、大坂の緒方洪庵塾に入り蘭学を学び安政5年に江戸に来て独学で英語を学びました。どうしてもアメリカに行きたくて身分を隠して咸臨丸に乗ってまいりました」
「私も身分を隠して長崎伝習所に行きましたが落ちこぼれました」
福沢はぐいぐい酒を飲みすっかり打ち解けた。話は面白いし知恵が回る、景三郎も江戸の水を飲んでからずいぶん開けたので応答できる、井蔵だけが話に取り残された。
アメリカの思い出を語った。
ワシントンの子孫はどうしているかと聞いたが誰も知らない。不思議だと思ったが共和国と大統領とはそういう制度なのだと気づいた。
アメリカの少女と一緒に写った写真をハワイを過ぎてから皆に見せた。アメリカでは人間同士がこんな開けた関係を持っている。君たちはそれが分らなかったのさとうそぶいた。
華岡青洲の漢方塾と大変仲が悪かった。あちらは漢方でこちらは蘭学、こちらは弊衣乱暴であちらは裕福で大人しい、道で会ったらにらみあって大変だった。
江戸では薩摩の松木弘安の世話になった。江戸の蘭学者の力量を知りたいと思ってわざと難解な文章を持ち込んで挑戦したらほとんどが間違えた、その程度かと分かって安心した。
横浜に行ったがオランダ語はまるで通用しない。驚いて森山通詞を訪ねて入門を願った。役所に行く前に教えようといわれて早朝に小石川から3里歩いて屋敷に行く、明日は仕事の後だと言われて夜に行く。ところが来客だとか仕事の都合だとかで中々教えてくれない、森山通詞もそれほど英語に深くないのが分かった。
景三郎も森山に学びたかったのだということを福沢に話した。
「森山さんは下田のハリスを一手に引き受けていたから忙しいのは仕方ないでしょう」
「景三郎さんも森山さんを知っているのか」
「ペリーの黒船に一緒に行った仲です」
井蔵がムッとして口をはさんだ。
「まだ自慢するのか、しかし今度は俺の勝ちだ、ペリーの国まで行ったぞ」
福沢は大笑いした。
「俺も世界中に行くつもりだ」
景三郎は福沢に親しみをもった。
「私も江戸の子どもに叱られてしまいました、本でいくら勉強しても言葉は話せるようにならない、人間を相手にしなくてはとね。福沢さんが漂流した人や子どもと話して言葉を覚えたということに敬服します。私も森山さんには教えてもらえなかった」
「異国には鬼が住んでいると言うバカな奴がいたが行ってみたらこちらよりずっと立派できれいな人ばかりさ、恥ずかしかったね。攘夷なんてできっこない、夷はこっちだ」
井蔵の感想だ。
「東条礼蔵を覚えていますか翻訳方の同僚 です、攘夷の浪士にひどいめにあった」
突然、攘夷の武士が斬りこんできた。裏口から逃げてようやく助かった。手塚律蔵も襲われてどんどん逃げたがついに追いつかれて堀に飛び込んで助かったそうだ。
「小石川の大田蜀山人の旧宅を借りていたのです、洋学者は剣呑だ、いざとなったら逃げるが勝ちです」
井蔵がまた口をはさんだ。
「景三郎、蜀山人というのは戴陽老人の祖父さんだろう」
福沢が不審な表情を見せたので景三郎はあわてて酒を注ぎ井蔵にも酒を注いで話を止めた。福沢は先祖の功績や身分や家柄などというものを軽蔑し嫌悪する人だろうと思ったからだ。
福沢は蘭英辞書を2冊買ったという、クニフラーというオランダ語を話すドイツ人 の店が開いたばかりだった。帰国してすぐにもう活動している、その疲れを知らぬ姿に景三郎と井蔵はすっかり驚いてしまった。
幕府は攘夷派を取り締まり外国との条約締結を進めたが孝明天皇はそれに強く反対した。翌年には改元したばかりの万延を文久と改めた。いよいよ幕末の騒乱が始まった。
文久2年、幕府はフランス・イギリス公使に勧められヨーロッパ各国に使節を派遣することにした。副使は神奈川奉行の松平石見守、景三郎は翻訳方として同行を命じられた。いつも出立はあわただしい、長柄の郷に暇乞いに行かなければならない、長崎以来ご無沙汰をしているのだ。
寺の縁側で戴陽老人と日林上人が茶をすすっている。
老人はヤブ蚊をパチンと音立てて叩いた。
「こんな老人でも刺そうとする蚊がおりますな、上人は殺生禁断だから刺されるままにしておられよう」
「いやさ払うだけです」
「なるほどそこで追い払われた蚊がわしを刺しにくる。払われて命をまっとうする蚊も刺して命を失う蚊もいる、因縁じゃと申されよう。成仏する蚊はどちらか」
「刺すのは雌だけだそうな」
「なるほど雌は子孫を残さなければならないので刺す。女の苦労は大きいな。観音も弁天も女ならば女の苦を救ってやらねば」
「女ではない変性男子などと偽りましてな。悪人なおもて往生す、それなら女人は言うまでもございません」
「上人殿、ご宗旨を間違えませんでしたかな。外面如菩薩内面如夜叉、女は大事にしなければ心底から怖いですぞ」
「わしは女犯はいたしませんぞ」
「天晴れ清僧、日高川で蛇にまかれる心配はなかろうな。弘法大師も日蓮上人・親鸞上人も女犯の地獄におりますかね」
戴陽がからかっても日林は平気だ。
「さてさて手紙でも届きましたか」
「衆生を済度するのが僧の努め、極楽にはもはや救いを求める人はいない。務めをはたすことができるのは地獄だけじゃ。共に地獄で仏となりましょうかい」
「戴陽老人も後生を願うようになりましたか、近頃、発句から遠ざかったようですな」
「気力体力衰えました」
「枯れ木は若木に根を奪われる、そして森は豊かになる、引導を渡す時期がきましたか」
「合点承知、それが上人の飯の種さ」
冗談に紛らわせても2人は景三郎の帰りを待っているのだ。
「明和、天明などという頃も飢饉で難儀したようですが、安政の時代も困ったことばかりでしたな」
嘉永6年ペリーが来た、翌年また来て和親条約を結んでいった、まるでポッカリ風穴があいたようだ。そこから噴き出してきたのは攘夷か開国か、尊皇か佐幕かの風だった。安政2年大地震、安政3年暴風雨、安政5年コロリの流行、あとは安政大獄と続いて血なまぐさい事件が連続する。
もちろん二人とも時勢からだいぶ離れたところで暮らしている。
「されば山東京山もチョボクレの流行を書いていなさる。元は願人坊主の飯の種、一文二文のお布施にあずかる目出度い唄さね、後生を願うのにはちょうどいい」
人生を洒落のめそうとしているが老人の悲哀が混じってしまった。
「桜田門のときにも大いに流行りましたな。
「これこれ皆さん聞いてもくんねい、わっちもこのごろ井伊こと聞いたよ」
「さすが上人は博覧強記、我がご先祖も寛政の改革では松平定信に、天保の改革では水野忠邦にいじめられたものですよ」
「手厳しく言い返したではありませんか、たった四杯で夜も眠れず」
「あれはわしではない」
老人は不愉快そうにつぷやいたが上人はニヤニヤ笑った。
岡田井蔵が石段を上ってきた。井蔵も忙で遣米以来、顔を見せていなかったが景三郎が帰ると聞いてやってきたのだ。
「ペリーの故郷まで乗り込んでいった若武者殿、壮挙でありましたな」
日林がうれしそうに迎えた。
「ご両者様おかわりなく慶賀の次第」
「御番所の皆さんもご息災かえ」
咸臨丸は浦賀奉行所が運航したようなものだ。佐々倉与力 浜口、山本同心、蒸気方は山本金次郎、岡田井蔵、鍛冶が小林菊太郎、大工が長吉、水手にも鳳凰丸の手の者がいる。
「驚くこともありましたが、さほどと思わぬこともありました」
アメリカの様子を日林は興味深く聞き、戴陽は半分眠っていた。
そんなところへ景三郎がやってきた。安政元年に長崎へ出立して以来ほぼ10年ぶりだ。挨拶をすませてすぐに遣欧の話をした。
「せっかく俺が異国へ一番乗りをしたと思ったらお前はもっと遠くへ行くのか、それも客として」
「井蔵のように華々しく堂々と蒸気を炊いて行くのではない、せいぜい殿様のかげでボソボソとしゃべるだけなのだ」
「機関方を知らんな、ススだらけになって船底で揺れているだけだ。しかし景三郎がんばれよ、開港場には150人通詞がいるらしいがもつまらん者ばかりだ」
幕府は相変わらず外交が分からない、
使節団副使の候補もやぶにらみで容貌が悪く異国人に会わせるのは不体裁だと却下されたのだという。
迎える側の国々も全面歓迎ではなさそうだという。
イギリス公使のオールコックが使節派遣を発案しフランス公使ベルクールは賛成したがアメリカ公使ハリスは反対した。費用についても行きはイギリス負担で帰りはフランスが負担するという案を今度はオールコックが反対したという。
「お支度金というのをもらった」
「では散財するとしようか」
「いや本を買ってくる」
郷人は息をひそめていた。誰も寺を訪ねて二人の話を聞こうとする者はいない。異国というと恐怖感があふれてくるのだろう。
景三郎の話も井蔵の話も戴陽は興味を示さなかった。なにか重たい地蔵のようで感情を頑なにしているようだ。日林もそれに気づいて気をひきたてようと話をふったがうまくいかない。話は末つぼまりになって二人は気詰まりのまま辞去することになった。日林は泊まっていけと勧めたが戴陽は黙っている、景三郎は浦賀の中島三郎助に会ってくるといってさっさとワラジを履いた。井蔵も一緒に出た。
二人が帰ったあと日林は聞いてみた。
「どうされたか、青菜に塩だったが」
「若葉は青臭くていけないな」
戴陽はそれしか言わなかった。
中島三郎助は寝床にいた。もともと気管が悪かったが、この頃は喘息が一層ひどくなり咳き込むと体力を失いしばらく伏せている。ついに長男に家督を譲って療養しようと思い始めていた。
妻のスズと子どもたちが景三郎と井蔵を温かく迎えた。
「今日は珍品到来です」
井蔵は寝床に向かって大声を出した。
「これはイモですね」
スズは珍しそうに手に取った。
「左様、これはジャガタラから渡来したのでジャガタラ芋、略してジャガ芋でござる。サツマイモを甘薯というのに習って馬鈴薯、ほら馬につける鈴と形も大きさもそっくりでござろう、甲斐ではセイダ芋と申して汁の実にもゆでて塩をつけて食ったりもします」
天明の頃、代官中井清太夫殿が熱心に勧めて、甲斐では飢饉を免れたというので、その名も清太夫芋、略してセイダという。
「サツマイモとは形が違う、そなたはイモに詳しいな」
景三郎は冷やかした。
「我こそ正真正銘のイモ侍、これも拙者のイモ好きを知って甲斐の友人が江戸送りの荷物に入れておいてくれました。さあ湯を沸かしてください」
戴陽老人と日林上人にも食べさせたいと思って持ってきたのだが、とんだ不首尾で披露できなかった。
「セイダとは仮の名、本名はポテイトと申して船乗り共はゆでて丸かじりしたり細切りを油で揚げてタラのテンプラと一緒に酢をかけて食べております」
「それはうまそうだ」
三郎助は起き上がってきた。
「あなた大丈夫ですか、食いしん坊だから」
スズが苦笑いしながら案じている。
「五体満足のため薬食いと申して初物を食することはままある」
料理といってもゆでるだけだ。
「メリケンのというところに味がある、次はポテイトを頼もう」
井蔵は台所に立って指示をした。そうやって水手どもを働かせたのだろう、スズが嬉々として従った。皮をむいて水にさらす。船では海水だった。鍋に油をまでは良かったが酢が違った、日本の酢はきつくてむせてしまう。塩を振って食べた。井蔵は長い航海の苦痛と上陸した異国の風物を一気に思い出した。どこから話そうか混乱しているとスズが声をかけてくれた。
「異国の飯は美味しうござりましたか」
とたんに井蔵はウッとのどをつまらせた。「なにしろ咸臨丸は小さな船です。わずかに300トン、それに提督木村摂津守様、艦長勝安房守様以下100人が乗り込みます。狭い船にたくさんの人、大揺れになれば船室に閉じ込められて息がつまる。きちんと食べたのは何回ありましょうか。ブルック殿他メリケン水夫は平気で食っております。鍛えが違いました」
「おやおやメリケン人に連れられてメリケンに行ったか、だから道に迷わずに着けたのだな」
三郎助が笑いながら冗談を言った、しかし内心は少しくやしそうだった。
「いや帰りは我らだけで帰りましたぞ、皆様は海を軽く見ておられますが、嵐になればその恐ろしいこと、マストのてっぺんまで波をかぶります。激しく揺れれば飯ものどを通らず、勝艦長などは外洋へ出るやいなや船酔いになって十日も寝たきりでした」
日本人は米を炊いて味噌汁と塩鮭を食べ、アメリカ人は乾パンと豆スープと豚肉を食べた。しかし連日の嵐で火が使えず、日本人は干し飯をアメリカ人は乾パンを水で浸して食べた。咸臨丸には十ヶ月分の食料が積み込まれていたのにその始末だ。
「私も横浜で肉を食べる練習をしましたが美味しいとは思いませんでした」
景三郎も味を思い出して顔をしかめた。
「俺もいつか食べなければならぬと思っているが折りがない、どんな味でござったか」
三郎助が言うとスズがいかにも嫌そうににらんだ。
「そんなものを食べたら家に置きませんよ」
「当分は食わぬよ」
そうは言うものの三郎助は興味深々だ。
「マグロとトリを合わせたような、でも固いものでした。一つ橋慶喜様は若いうちから豚を食べたので豚一と呼ばれております」
「なるほど中国の黄帝はあらゆる毒草をなめて薬を見つけ人の役に立とうとした。一ツ橋殿も率先して豚を食べて人を強くしようとする、なかなか見上げたお方だ」
三郎助は長崎伝習の折に漢方・蘭方の医師を訪ねて熱病の処方を書きとめるほど医術に熱心だった。そして自分のぜん息を治す薬がないことに口惜しがっている。
「ようやくサンフランシスコに着くと、たちまち大歓迎で宴会続き、手の込んだ料理が水手にまで振舞われました」
しかし水手たちは米の飯と魚にこだわった、土地の人たちが競って新鮮な魚を差し入れてくれた。そんな様子を見て上役たちもうらやましく、水手たちのおすそ分けをもらって喜ぶ者も少なくなかった。
「私も時々こっそり水手のところへ行き刺身やテンプラを食べておりました」
「そなたの話は食べ物のことばかりだの」
「三郎助様にお聞かせしたいと思いまして」
「けしからん、おいらを餓鬼だと心得ているようだの」
スズがその通りというようにうなずいた。
「ご不興なら話を変えます。かの国には八階建て十階建てという建物が軒を連ねております。いずれも下足のまま入り床には厚い絨毯が敷かれております。ロウソクではなくランプと申す明々とした灯が数知れずともされ、楽隊がポルカというにぎやかな曲を奏でると男と女が手をつないで輪になって踊ります」
「盆踊りのようなものか」
「あんなお化けと一緒に踊るような陰気なものではありません。田楽踊りのようにクルクル回ります」
「そのランプというのは何だ」
「オイルというものをガラス細工の壷の中で燃やします。どんな家でも明るくともっております」
「ホタルの光、窓の雪、ローソクで書物を読むのは辛いものだが、そのランプなら学問も進もう」
ローソクと聞いて景三郎はヒヤリとした。しかし、あの時ウルシにかぶれたので自分は外面と内面をはっきり区別することができた。心が暗くては顔も暗くなる、心の中のローソクは吹いても消えないものなのだ。井蔵は話し続ける、今までに見たことのない姿だ。
「宴会には奥方お娘様が同席され、一緒に飲み食いなさいます。踊りも手に手を取ってご一緒されます。外出の折にもご家族そろって歩かれます」
「それではご内室ではないな、なるほどマダムというのか」
「召使は黒人が多うございます。金で売り買いされる奴隷だそうです」
「ペリーが来航したときに黒人を見たが確かに黒かった」
「我々は黄人だそうで、白人と黒人の間だそうです」
「それはけしからん。しかし、我が国にも『色の白いのは七難隠す』という言葉があるから白いにこしたことはないのかな、でもそれは女だけのことだが」
しかしスズがきっとにらんだ。
「女だけという言い方は嫌ですよ。男のくせにと言われたらあなたも怒るでしょう」
スズは景三郎にも意見を求めた。
「フランスでは奴隷を使うのは人の道に反するという考えが増えているそうです。しかし奴隷がいなければ国が立ち行かないという人もいて激しく対立する、戦争になるかもしれないと心配しているそうです」
俺はそんな国に行ったのかと井蔵は驚いたし三郎助も考え込んだ。
「我が国も士農工商というが、実力は商、職人たちは己の技で自由自在、農人は村の掟で安楽に生きていける、名だけしか持たぬ武士はいずれ立ち行かなくなろうな」
皿はすっかりからになっている。味わって食べたのか無意識に口を動かしたのか分からないが、嫌いではなかったことは確かだ。
「メリケンならここで雪菓子が出るのですが、三郎助様に差し上げられなくて残念です」
「それはたいへん残念至極」
「甘く冷たく香りよく、口に入れるとみるみる溶けます、果物の入るもの酒の入るもの、白いの赤いの黄色いのと」
「なぜここでは作らないのか」
「道具も材料も器もありません」
「だから話だけか」
「開国すればすぐに食べられましょう」
「なるほど美食のために開国を唱える、食いしん坊がいてもいいということだ」
「攘夷の浪士に襲われますぞ」
井蔵はそうだとっておきと言ってサンフランシスコ入港の話をした。港では祝砲を撃つ、咸臨丸からも礼砲を撃たねばならない。勝艦長は相変わらず不機嫌で失敗すれば笑いものだと反対した。
「佐々倉さんはやらなければ逆に笑いものになると反論した。うまくできれば俺の首をやると勝艦長は憎まれ口をきく。佐々倉さんはさっさと準備して見事に礼砲を撃った。勝さんはむくれるし佐々倉さんは自慢する、首はしばらく預けておくよとさ」
よくやったとばかり三郎助は手を打って大笑いした。
「そうそう、井蔵は朝陽丸で小笠原に行くことになったぞ」
三郎助が真面目な顔に戻った。
小笠原諸島は文政10年にイギリス船が発見しボニン無人の島と名づけて領有を宣言した。ペリーも寄航して石炭貯蔵施設建築を検討したという。
幕府は戦国時代に小笠原貞頼が領地としたこと、大岡越前守が渡航を命じたことなどを説明して日本領土であると主張した。しかし実地を知らなければ主張できない。そこでアメリカから帰国したばかりの咸臨丸を島に送って測量し、改めて領有を宣言することにした。
「使節は外国奉行の水野忠徳殿、艦長は小野友五郎さん、佐々倉桐太郎さんが調役だ。勝さんが来ないから気が楽だろう」
三郎助は平気な顔で言う。
「領土問題ね」
「小笠原島には漂流民が20人ばかりいて立ち寄る船に水や食料を売っていたらしい」
「その人たちはどうなったの」
「皆、手当てをもらったよ、国に帰った人も明治まで住んでいた人もいる」
「強制退去ではなかったんだ」
「江戸幕府というのは厳しかったり甘かったり、かなりフレキシブルだったからさ」
遣欧使節団の出発まであと1ヶ月になった。景三郎はあまりあっさりと郷を出てしまったことが心のトゲになっている。あの日、義父戴陽が赤の他人に思えてしまったのだ、後生を願うなどということがいかにも老人らしく無用のことに思われた。日林上人のしたり顔も腹立たしかった。景三郎は長崎にいたころの寒く惨めだった冬を振り払い、江戸でいっぺんに春になり暖かい陽に照らされたようだ。生活は楽しく学問は面白い、いよいよこれから夏を迎えようとしているようだ。だから体も気力も衰え希望や夢をなくしつつある老人の世界と関わりたくない、それでわざと素っ気なく振る舞った。今になってそれを後悔している。
フランス公使館に通詞の役目で行った。幕府の文書は常にあいまいで役人はどちらともとれる文章で保身を図っている。通詞は幕府の意図と奉行所の立場を説明する気の重い仕事だ。気疲れして居留地を歩いていると見かけない本屋が開いている。フランス語の本を探しに寄ってみると福沢諭吉がいた。
「景三郎君も遣欧使節だそうだ、一緒に行きましょう。伊達政宗以来の事です、江戸は鎖国で始まり開国で終わるようだ」
気楽に話しかけてきた。福沢諭吉は深謀遠慮を凝らしたあとに直言を口にする人だ。
二人で居留地外れの居酒屋に入った。早い時間なので客はいない。
「教えてください、何を準備したらいいのか皆目わかりません」
「前回のアメリカ行きは木村様の従僕として連れていってもらった、金もなし仕事もできず心配続きでした。けれど今回は一人前のお役人です、幕府は支度金として気前よく四百両もくれましたよ」
「それは豪気、福沢さんは酒豪だ、飲み尽くしましたか」
「とりあえず百両は国元の母に送りました」
「親孝行ですね」
「生きて帰らぬこともあるかと思えばささやかな遺贈です」
「残金でまた写真を撮りましたか、岡田井蔵に聞きましたよ」
「ハッハ悪いうわさは虎より速い」
笑って酒を含んだ。牛肉を味噌で焼いたスキヤキが思いのほか美味しくて二人は皿を重ねた。
「なあに写真屋の娘ですよ、船がハワイを出てもうアメリカに戻れなくなってから見せたらみなの口惜しがること、ちょっとした私のいたずらです」
アメリカは自由な国で女だって隠れたり閉じ込められたりしていない証拠を見せたのだという。
「買いたいものが山ほどあります、本も道具もなにもかも」
「何を用意しておけばいいでしょう」
「なんでもそろっています、ただ箸と茶碗はない、もしナイフとフォークが苦手なら」
これも有名な話だ。諭吉は咸臨丸に乗船するとき泊まっていた浦賀の宿屋から茶碗を一つ盗んでいった。それが何よりも役に立った、山のように積み込んだワラジやローソクは捨てるだけだった。
「今度はあちこちを旅をすることになるので身軽な方がいい。ただ彼の国にも贈り物の習慣を交換する習慣があるのでちょっとした手土産を持っていくと喜ばれます、扇子とか軽い物がいいでしょう」
「まるで田舎廻りの御師のようですね」
この郷にも御師が来る、大山詣りや伊勢詣りの講中を世話し奉納金を集めてまわるのだが、その土産が扇子や紙のおふだだった。
「まあ、ずいぶん滑稽なことをするでしょうがそれが旅、膝栗毛の面白さと思えばいい」
身分を誇る武士ならこんな風に言われればかっとする、刀に手をやるかもしれない。福沢諭吉は時々わざと相手を挑発する、小さいときから封建制度を眼の敵にしてきたからだろう。
「私も豊後中津、江戸では田舎者です。半可通という知ったふりをするのが一番良くない、分らないことはとことん聞くことです。こちらがとんちんかんなら相手はしつこく教えてくれる。黙っていてはわからない、どうせ使節は遠くから来た田舎者ですからね」
アメリカは新興国なので歴史ある日本を尊重してくれた。しかし今度のヨーロッパは長い歴史を誇る国ばかりだ。嘲笑されたくないからと澄ましているだけでは交渉などできない。
「そうそう黙っておったが私は五月に妻を得ました」
さすがにちょっと照れていた。
「ほう、それは、それにしても」
これからヨーロッパに行くというのに新婚の奥さんを家に置いていくのか。あまり話したがらないのを聞き出すと、中津藩江戸留守居役の娘お錦さん、諭吉とは11才違いの江戸生まれお嬢さんだ。
「まずは一年、実家に預けて気ままに暮らしてもらうのが花嫁への引き出物だよ、苦労はそれからさ。君も結婚するといい、ヨーロッパから帰ったら祝儀を挙げたまえ。相手が異国人だって良いだろう、語学が上達するし異国の文化がよく分るからさ」
遣欧を知らせる手紙が本瀧寺に届いた。戴陽は読み終わると日林上人に渡した。
「なるほど景三郎は異国へ行くそうです。老人も珍しく心配されますな、法華経を唱えたらいかが」
「いやいや日本の神仏は異国へまで手が届くまい、生死は図りがたい、宿命というものさ。自分のことを思いましょう」
「ついに辞世の一句ですかな」
「縁起でもない、桑原桑原」
日林は戴陽の顔に現れた諦観を見て心の中で南無妙法蓮華経と唱えた