其後打絶御無沙汰仕候 御壮健御精勤之程奉恐賀候
老兄今度婚儀トノ事目出度慶賀奉候 孔子曰三十而有室 此道ニ倣ヒ三十ヨリ妻ヲ持候事落着ニテ御座候 サレバ官ヲ離レ田園ニ住ム志羨望所存候
長州昨年奉航海遠略策豹変今以攘夷策於馬関黒船砲撃 四国軍艦結集シテ襲来 難黙止 私儀蟠竜艦ニ乗組ヲ命ジラレ黒船制止の為横浜ヲ出帆セシガ機関及バズ 長州敗軍トナリ公儀色々御議論有 征伐ノ出馬専ラ 討死武士之習ト覚悟仕候 天下争論ニ乗ジテ浪士愚策ヲ講ジ功名立テントヤ心猿意馬ノ輩 諸国侫人姦臣之陰謀たる事疑いなし
サテサテ長文相成候故是マデニテ閣筆 書外縷々可申述候 謹言
癸亥 井蔵
大田景三郎御披下
別離以後すっかり御無沙汰いたしました。 ご壮健で学問にご精勤とのこと結構なことと存じます。
さても結婚したというではないか、なんともめでたいことだ。孔子は三十にして妻を持つと言っている、聖賢にならって三十になって妻を持つなど素晴らしいことではない。
その上、官を離れ田園に住むなどという白楽天の古事にならうことはまさにうらやましい決断だ。
長州は昨年までの航海遠略策を豹変して今は攘夷策となり下関で黒船を砲撃した。 四国艦隊が結集して襲来した。私も蟠竜丸に乗組んで艦隊を制止しようと横浜を出帆したのだが機関が劣っていて追いつかず、すぐに長州が敗けてしまった。幕府は色々と議論して長州征伐を決めた。討死は武士の習いと覚悟したところだ。天下り争論に乗ジテ浪士たちが愚策を講じ功名を立てんと心猿意馬の連中、諸国の侫や姦臣が陰謀を図っていることは疑いない。
さてさて長文となったのでこれでやめるが言いたいことは山ほどあるので今度ぜひ聞いてくれ
謹言
文久3年 井蔵
大田景三郎御披下
5月4日、大田鎌太郎戴陽は逝去した。2ヶ月ほど病床にあったが安らかな最期だ。
戴陽老人の景三郎に言い残したのはこれだけだった。
おいらもそろそろお迎えさ、楽しかった一生だと言い残して終われそうだよ。なによりお前が刀を振り回す人にならなくてよかった、ただ言葉だけだって人は死ぬんだから決して人殺しにはならんでくれ、その言葉が自分にはねっかえれば自分殺しにもなるんだぜ
おいらの胸の中にはクルミの殻をたくさん持っていたが、こうして病に倒れて気づいたら殻の中身はスカスカだったよ。それが分かったから成仏できるさ。葬式なんかするなよ、香典だ何だって人のふところをあてにするのは江戸っ子の恥っさらしだ、人にも言うなよ皆がわいわい騒ぐのはみっともない、死んでしまえばあとは分からない、好きにしてくれ。
景三郎と日林上人は故人の言い残したとおり郷の人も浦賀の人も招かずひっそりと葬儀を済ませた。隠居して家を出てから久しいので幕府への届けもない。
「菩提寺のことはどうしましょう」
景三郎が心配すると上人は笑った。
「極楽浄土に寺はないからの。在所では両墓制といって一家に埋め墓と拝み墓の二つがあり、女人の拝む寺と男の寺とが別になっておる。江戸の菩提寺へはいずれわしが届けよう、この郷で供養されれば戴陽老人もうれしかろう」
遺骨はこの寺に納めると言い渡した。
しかし、早耳の肥前屋はすぐに戴陽を知る人たちに逝去を伝え、中島三郎助は追悼の文と句を書いて送ってきた。
大田戴陽老人は蜀山先生の嫡孫にして無為の天資をつぎ滑稽洒落の雅情を専とし夙に官袴を脱しひとり風月の閑ことし弥生の花のうつろふ頃よりやまいの床につかれけるが五月四日といふ日終に残花の芳香を百草にうつしてはかなくも彼の岸に赴かれしぞ親戚のなげきはいふべくもあらざれど郷里の人誰かなげき惜まざらむや
さみだれや ほのかに西の つきあかり
「これに越した経文はないよ、三郎助さんは優しい人だから親戚の悲哀などといっているが、この何年かの間に手紙など一通もこなかった」
日林上人がぼそっとつぶやいた。
「戴陽さんも言わないし、わしも聞かぬ、三郎助さんも世俗を忘れた風雅の友だった、それ以上は知らぬでよい」
「…」
「景三郎はこれからどうするのかぇ」
「…」
「江戸に戻ってよし、ここで暮らしてよし」
「私に百姓ができましょうか」
「寺には田も畑もある。玄七とヤエも年だし、わしも手が回らない。百姓は難しいが喜びも多い。手助けしましょうぞ」
「よしなにお願いします」
江戸での暮らしや異国の見聞をひとまず胸に納めて景三郎は静かにフランス語の学習に精を出したかったのだ。
「では、さっそく戴陽老人の住まいを片付けて景三郎を迎え入れるようにしましょう」
雨月季月 夏越大祓い
寺からは朝の勤行の経をよむ声が聞こえる、木魚がせわしなく鳴っている。ごめんなさいよ、そう言って入ってきたのは郷の百姓代の角左衛門だ、すぐ近くの子ノ神に屋敷を持っており郷の草分けの一人だ。まだ午前の早い時間で義父母の玄七とヤエは畑仕事に出ている。景三郎がもたもたしているうちに囲炉裏の客座にどっかと座った。
時候と農作物の出来について挨拶がある。
「老人が亡くなってもう四十九日になるかね、早いものだ」
「ご上人様に頼んで昨日、お経を上げていただいたところです」
「土地の者なら法要も振る舞いも皆一同でするのだが、まあ線香の一本もたむけさせてもらいましょう」
この老人は気骨のある苦労人だという評判は聞いている。
「さて仏事はすませた、それで景三郎さんはこれからどうするのだ」
「所縁のあるのはこの郷だけです」
「実は名主の庄之輔様も心配しておってな、このままでは無宿人になってしまう」
郷の名主の祖先は荒井三郎左衛門といって戦国時代の三浦道寸の季子つまり末っ子だった。道寸が新井城で北条早雲に滅ぼされた時に逃げて身を隠し、ここ長柄に住んだという伝承がある。
戴陽は隠居として江戸の大田家に籍があったが連れ子の景三郎はどうなのか、無頓着な戴陽は考えてもいないだろう。しかし時節はいよいよ緊迫しており取り締まりの文書が度々届く。村役人に落ち度があると罰せられる。
「中島三郎助様なら養子にでもしてくれようがそれでは浦賀の人別になる、それに武家方は届けが面倒でな、わしらにはできない」
宗門改めを受けて人別帳に記載されなければ身分が保証されない。
「ここに住みたいというなら手立てはある」
改めて養父母を立てて少しの田畑を所有すれば水呑百姓となれる。
「宗門などは日林上人の勝手次第だよ。養父母は玄七とヤエが喜んで引き受けよう。郷の人もそれで安心できる」
やはり戴陽と景三郎は郷人の不安と不審の種だったのだ。村の定めの及ばない二人は知らずに郷の平和を乱していた。
「もっと簡単なことがある、嫁を取りなさらんか」
老人は単刀直入に話を切り出した。
「おや藪から棒に」
「遠くオロシャまで行きなすった方だ、度胸は据わっておりましょう、驚かんで聞いてくれ。わしも藪をつついて蛇を出すようなヘマはしたくない、いい娘子だよ」
「どんなことでしょう」
「惚れたとさ、下小路のハチロエムのとこの末娘だ。小さい頃から利発なのはいいがオテンバでね、よかったら会ってやってくれ、年は20、番茶は多少二番煎じだが楽しい娘だよ」
親も承知、むしろ喜んでいる。妙な老人の連れ子で出自はうさんくさいし、長崎だ江戸だ異国だとほっつき歩いている。百姓はとてもできそうにないが末娘には似合いかもしれない。田も畑も分けてやれないから好きなようにしてくれ、そんな話だ。
「早い話が夫婦仲良く暮らしてくれれば何も言わないと、これは景三郎さんにはうってつけだろう」
家庭を持ち子を育てる、それを重いくびきだと思えば将来は暗い、しかし福沢諭吉が勧めたように自由自在に考えれば幸福かもしれない。
「はあ、段取りはどうなりますか」
「明日の庚申待ちの夜さ、昔から土地ではそうしてきた。イザナギ、イザナミの昔は男が言い寄ったものだが今はどっちから求めたってかまわない開けた世さ、きっとオロシャもそうだろう、しっかり頼みますよ。年寄の九郎右衛門さんも承知だ」
郷の年寄で綾部の姓を名乗っている、戸長ともいう立場の村役人だ。
これから田んぼの世話と畑仕事にかからなければならない、忙しいことだと言いながら、しかし老人はゆったりとした足取りで出て行った。
「あっ、名前をまだ聞いておりません」
日林上人が甲高くお経を唱えながらひときわ大きな声で教えてくれた。
「南無妙法蓮華経、南無ミドリさん菩薩」
壁に耳ありとはよく言ったものだ、経を唱えながら耳を働かせている。
「どんな字なのですか」
「如是我聞一字仏住緑とも翠とも勝手次第」
後はポクポクと木魚の音、まったく坊主はタヌキだ。
玄七とヤエも知っていた。さすがに百姓代ともなると抜かりなく根回しをしてから事にあたるのだ。こっちは藪から娘だがタヌキが化けたようでなければいいけれどと景三郎は思った。
「ふうん、それでデートして気に入ればつきあう、嫌ならなかったことにする、スマホにも記録が残らないし安全だね。でも、どうやってつきあうのだろう」
「農業ては働く場所が決まっている、畑か田んぼかに行けばいいのさ」
「なるほど親同士がOKならいつでもどこでも会えるんだ」
庚申の夜は眠らない、囲炉裏を囲んで話をし飲食して夜を明かす。なんでもその晩は皆の腹の中にいる三巳ノ虫というのが天に上って悪業を報告する日だ、けれど本人が起きていれば虫は動けない、誰でも報告されては困るようなことをしているから60日ごとのその日は郷中の者が朝まで起きている。
年寄九郎右衛門の座敷に農作業を終えた松久保の人たちが三々五々集まってくる。正面に青面金剛、帝釈天の絵像を祀って神酒が供えてある。寺の坊さんは来ない。
景三郎は招かれて角左衛門の側に座った。ミドリは女たちが集まっている一画にいた。ちらっと目があうとキビキビと茶と菓子を運んできてクリッと目で笑いかけた。愛嬌がある。小柄だが目鼻のはっきりした丸顔の生意気そうな…見るからにしっかりした娘だ。
「下小路のハチロエムのミドリ、末永く」
物怖じせず男に接するのは自分より先に結婚した娘たちの生活を知っているからだろう。
女たちは談笑している、男たちは難しい顔をして天候や水のことを心配している。若者たちはチラチラと景三郎をうかがっている。そのうちに一人が意を決して景三郎に近づいてきた。
「旅の話をしてくんろ」
角左衛門がにらみつけた、すると苦笑いして元の席に戻ってしまった。
だいぶ夜が更けて若者にも老人にもあくびをする者が増えてきた。
「どうだな皆の衆 話はやめて 唄おうじゃないか 唄できりょうが下がりゃせぬ」
進行役らしい角左衛門が一同にうながすとすぐに手拍子が起こった。なるほど坊さんが来てしまうと気楽な無礼講ができない。
「言い出し屁じゃ、角左衛門さんおやり」
すっと立って歌い始めた。
乁 お伊勢参りて扇を拾うた
伊勢音頭だ、この人は伊勢詣りをしたのだろうか。1節歌うとやめてしまった。
「さあさあ先陣はうけたまわった、後に続くは誰じゃいな、はあ、ケイサさんやりなされ、初お目見得だ、目出度くな、唄って回しな、お次の番だよ ほらしっかりおやりよ」
手拍子がうながしてくる。
なるほど、こうやって皆に紹介するのか、納得はしたが皆の視線にどぎまぎした、ミドリの探るような目も感じた。早く歌った方が勝ちだ。
乁 すきや縮みに なん奈良晒し あだに鳴海の 結鹿の子 麻や生絹の 萌黄の蚊帳や
布尽くしの小唄の一節だ、福地源一郎が遣欧使節の航海中にひまをもてあまして教えてくれた。ふと見渡す限りの大海と船室の匂いがしてきた。福地は遊び好きで吉原に出入りしては芸者の三味線で歌うと自慢していた。風情が伝わったのだろう、場がシーンとなってしまった。
「いやこれは景三郎さん、おそれいった」
「娘や女房や大変だ、魂を盗まれないようにしっかり握っておきなよ」
うす暗い隅っこでミドリがベソをかいたような妙な顔をしていた。
「それって分かる、すっごくジンときちゃうのよね」
美帷が切羽詰ったように言う。
「ご経験がおありのようで」
「嫌な言い方ね、き・ら・い・です」
翌朝、景三郎が起きるともうミドリが待っていた。
「おらは景三郎さんが好きだよ、あんたが異国へ行っても変な言葉を勉強してもちっともかまわねぇ、おらは百姓仕事が好きなんだ、玄七さんやヤエさんをお父お母と思って不自由はさせない。あんたは知らないだろうが稲が育ち芋が育つのを見ているのは楽しいよ、雑草を抜き水をやっておらが野菜を育てるのさ。あんたはやらなくていい、たぶんできないさ。ただお願いが一つだけあるんだ。いずれ赤ん坊が生まれてもしばらくはここで一緒に暮らしておくれ。子どもがハイハイして片言をしゃべって歩き始めたら一緒に遊んでやっておくれ。そうしてトウチャンと呼ぶようになったらお役目に出ていっていい、どんな遠くでもかまわない、あとはおらがしっかりと育てるから安心だよ」
そのことをずっと考えていたのだろう、一気に話して息を切らしているミドリを景三郎はじっと見つめていた。
「たぶん俺はお役目であちこちに行くことになろうが、いつでもこの家でお前と一緒に暮らしている気持ちでいるよ」
「おらも一緒だ、ずっとご別懇にね」
「すてきなプロポーズね、オジさんが考えたの、オジさんの時もそうだったの」
「私は独り者だよ、けれど物語を創るというのは楽しいね、この言葉は君も使うといい、著作権は無料にするよ」
「時代が違うでしょ、それに私は農作業は苦手です」
上人が庭を掃除しながら、たまたまそこに居合わせたようなとぼけた顔で言葉をかけてきた。
「首尾はいかがか」
「ご別懇にというご託宣です」
「別は別れる、懇は心が顔に現れる、嫌なら別れますという挑戦かな」
「何とも清々しいいい女人です、共白髪とお伝えください」
「めでたい、今度の題目講で檀家の皆にお披露目をするがいいだろう、12日の晩だよ」
どうして郷というのは都合よく行事が入っているのだろう、題目講とはなんだろう。
「この寺の檀家が皆で南無妙法蓮華経と唱える、団扇太鼓を叩いて元気なものだ。檀家は9軒だから30人ばかりだ、持ち寄りで食べたり飲んだりする」
少しでも住みよくしたいと景三郎は家の修繕を始めた。ミドリも昼は手伝いに来る、一緒に作業し昼食を共にするのが楽しかった。角左衛門が顔をのぞかせた。
「仲の良いことだ、結構結構。明日の甲子講はお寺だよ、なにか一包み土産を持参だ、豆でいいよ」
題目講が12日にある、それとは別に甲子講が明日ある、景三郎は混乱した。意に介さず角左衛門はじろりと家の中を見回した。
「ザルが不自由そうだの、庚申の神様だってザルが3つもあるのに、あとで届けよう」
ミドリがあわてて礼を言う。
「学者のあんたにも分らんことがあるのね、見ザル聞かザル言わザルってさ」
確かに青面金剛の怖ろしい画像の下に猿が三匹、目と口と耳を押さえていた。
「ミドリはよく働くの、景三郎さんは果報者だ。それはそうと家を構えるのだから一人前に屋号を名乗るといい、戴陽さんの姓は大田だそうだが、わしらは姓などで呼ばない。わしの本家は綾部だが屋号はカクザエムだ、年寄の九郎右衛門さんは姓は荒井で屋号はクロエムだ。大田景三郎殿では恐れ多くて話ができない、何と呼ぼうか」
すぐにミドリがうれしそうに言った。
「それならケイサだよ、おらはこっそりそう呼んでいるんだ」
「ケイサか、そうしよう、いい屋号だ」
甲子講も60日に一回廻ってくる、こちらはキノエネの夜に大黒様を祀って家長ばかりが本瀧寺の上人も交えて夜半まで話をする、ご馳走は出ず大豆と黒豆、季節には二股大根だけ。庚申講で話題になったことを整理して必要ならば討論する、郷はこうして運営される、なかなか抜け目はない。
「家を構えると甲子講に出るのさ、玄七さんはもう休みたいと言っていたから交代ということになろうかね」
夕食をすまして寺に行くともう見知りの男が数人、暗い行灯の元に車座になって農作業の手順を話し合っていた。まず田の畦を塗る、天気を見はからって麦を刈る、晴天に干さないと麦はだめになるからだ。
「今年のえんどう豆はよく実が入ったの」
「ところで大根の種はいつ播こうか」
「薬師様のお祭りだがカボチャとインゲンの種をまいて、田植えの種モミもこしらえると人手が足りないので、そこはお上人様よろしく頼みます」
「今年はタケノコも早いしウドもワラビも出盛りだ、山菜採りも急いだ方がよかんべ」
角左衛門が結婚のことと屋号のことを話してくれた。
「それはよかんべ、村役さんの肝いりなら良い嫁御だろう、松久保の結いが楽になるよ」
「下小路のミドリならガキのうちから知っているよ、心配はしていたんだハネッカエリ…いやいや…羽根が生えたように身の軽い娘だからケイサさんの良い相手になるこったろう」
「これは到来ですが江戸のお菓子です」
そう言って景三郎が包みを広げると一同はおそるおそる口にした。
「ひゃあ甘いの」
「豆がこうなるのかい、昔はなかった」
「嘉永五年に日本橋の菓子屋が考えて売り出した甘納豆と申します」
「やっぱり黒船かい、鉄砲玉に見えないこともねぇがの」
「異人が増えれば菓子も変わるだろうよ」
「大福センベイの時代じゃねえな」
「金平糖カステラもオランダ渡りだよ」
角左衛門はそう言うとさっさと甘納豆を紙に包んだ、他の者も幾粒かを大事そうにしまいこんだ。
「いずれ時代が変わる、何事も知らなかったではすまなくなるぞ」
日林上人のひと言に皆が深くうなずいた。
6月末、本瀧寺の本堂で景三郎とミドリは祝言を上げた。玄七ヤエとハチロエム、仲人の角右衛門が立ち会って日林上人が経を唱えた。ヤエが赤飯を炊いて新郎新婦が近所に配った。
玄七爺さんは太い野暮なナタマメキセルから煙を吹きだした。
「とかく百姓ほど忙しいものはない、一年中仕事に追われっ放し、暦と首っ引きだよ。折々におらが手順を教えるよ、さっそく明日は田の草取りにいくぺぇ」
「結婚ってその頃はどんなだったんですか」
「年寄や百姓代とか言う人が仲人になって式をあげると郷の人別張に書き入れる、それだけさ」
「指輪交換なんかないんだ、当然だね」
文月小暑大暑 七夕 お山開き 虫送り
「もうカツオも安くなったろう、カラシたっぷりで刺身といきたいね」
「おらはタコの方が好きだよ、ナスと煮込もうかね。そういえば今年は大山詣りには出ないようだね」
「土産の菓子が食いたかったな」
玄七とヤエが話している。
今年もお山開きは7月1日だ。富士講の人たちは下小路から登って浅間神社の富士塚に詣でる。ミドリの父ハチロエムも講中だった。
「ケイサは講中ではないけれど、つい先日夫婦になりましたって一緒に詣でれば講中の人たちは喜ぶよ」
「挨拶するのかい」
「いや何も言わない方がつつましくていい、偉そうなことを言う人は嫌われるよ」
早朝に8人ほどが野良着に白いたすきを掛けた男たちが集まってきた。富士講は女人禁制なのだ。ハチロエムの他は初対面の人ばかりだ。先達の老人が良い天気になってと挨拶すると皆は金剛杖をついて登りはじめた。
六根清浄という掛け声でヤブをかき分けながらぐいぐい登った。景三郎は長崎伝習所でマストの上まで登り目がくらんだことを思い出し吐き気がした。やっと頂上に着いた。富士山が正面に見える、雪はすっかり消えている。小さな石碑の前で先達がご幣をふり竹筒の水を注いだ。皆は粟や麦の混じった握り飯を食べ始めた。
「生麦はあの見当だな、去年の夏に異人が切られて宿場はてんやわんやだった」
「桜山の衆が助郷に出されていて目の前で人が殺されのを見た、まだ夢でうなされるそうだよ」
「イギリスの軍艦がいよいよ薩摩を攻めて仇討ちするんだそうだ」
「異人の国はいくつもあろうがの、ケイサさんのお知り合いのフランスも一緒に攻めるのかい」
ここの人たちが大事件の目撃者になることもあるのだ。
「異国同士といっても損得の都合で駆け引きが色々とあるようです」
「そうじゃろな、わざわざこんな遠くまで海を渡って来るのだから金儲けの思惑があろうよ」
「さて早く帰って田の草をとることにしましょうかな」
一同に先達の老人が椎の小枝を渡した。戸口に差すと厄除けになるという、景三郎も有難く頂戴した。
「生麦事件ってなんですか」
「生麦生米生卵って3回言ったら教えましょう、それ」
「ナマムミナマモメナマタマモ」
「今はビール工場で有名な所さ、事件は日本を変えるターニングポイントになったよ」
江戸へ攘夷と幕府改革を進言に来た薩摩の島津久光は帰途、行列を横切った4人のイギリス人を殺傷した。文久2年の夏だ。
老中の小笠原長行はこっそりと賠償金30万両を支払って事件を収めようとしたが、イギリスは薩摩の謝罪を求めて翌年6月に艦隊を鹿児島に派遣した。制止しようと勝麟太郎の命で蟠龍丸が後を追ったが艦隊に追いつけなかった。戦闘となり薩摩は大勝利と報告して敗北を隠した。イギリスのクーパー提督も戦果を勇ましく議会に報告したが、鹿児島の町を焼き払ったことは野蛮な行為で日本に謝罪しなければならないと弾劾された。しかしニール代理公使は職務を全うしたと褒められ勲章をもらった。
しかし朝廷はいよいよ強く攘夷を求め長州藩は下関で異国船を砲撃したが四ヶ国連合艦隊に完敗した。薩摩も長州も現状では攘夷などできるものではないことを痛感し軍事力の刷新を図り、それをイギリスが支援した。幕府側もフランスの支援を受けて軍の近代化に着手した。
朝廷では孝明天皇が最も強く攘夷を主張したが2年後に急死した。薩摩長州土佐肥前が蓄積した近代兵器は攘夷ではなく倒幕に使用された。
「オジさんっていつも説明が長いのね、ウンチク屋さんですね」
家帰るとミドリが出迎えた。
「笹を切っておいたよ、針やハサミを吊るせば裁縫が上手くなるんだよ、ケイサは何を吊るす?」
「俺は短冊だな、フランス語で書こうか」
「それでは織り姫様は読めなかろうね」
「俺の織り姫様にもフランス語を教えたいねモナムール(おまえ)ジュテームテルナル(ずっと愛しているよ)」
「こそばゆいの、今晩はお祝いにソウメンを食べるんだよ。おらも学問することに決めたんだ、百姓の仕事はおらが教える、学問はケイサに教わる、それで勘定が合うだろ」
「厳しい師匠になりそうだね」
ねぎを植える、とうがらしの種を播く、田の草取りをしなければならない、仕事は休みなく続いていく。
早朝の仕事は山に入って焚き木を拾うことだ。今はそれだけだか豆が育ってくれば朝露のトゲの柔らかいうちに採らなければならない。夏草を刈る、田畑の草取り、朝飯前の仕事がある。
「一晩では乾かないな」
景三郎は濡れた野良着を身につけるのが苦痛だった。
「おらの叔父さんが着なさったものだよ、丈夫なもんだ」
野良着はすり切れるとボロ布を縫い付けていくのでだんだん分厚くなる、一日の汗と泥を洗い流すので翌朝はまだ濡れている。それを着こみ手甲と脚半をつけて一日の仕事が始まる。もちろんミドリも同じ服装だ。ミドリは結婚の時に夜具とともに自分と景三郎の野良着を持ってきていた。
「晴天が続きそうだから麦を刈っておこう」
「どんな仕事だい」
「穂先を摘んで乾かし、はたいて実を取り叩いて殻を外すのさ、畑が広くないからすぐ終わるよ、麦焦がしにするとうまいよ」
「ミドリはどんな暮らしをしていたんだい」
「七人家族の一年分が大麦五斗俵で12俵だよ。脱穀すると5斗が3斗になる、それを石臼で挽き割って2斗8升だ。米1麦9、せめて米3麦7で食べたいと思ったよ。けど百姓が米を食ってどうするって婆ちゃんが怒るんだ。米1粟9はうまいもんだ」
「なら俺はずいぶん米を食べているな」
「ケイサは郷の暮らしになれていないから当分はお客様だよ、田植えとか稲刈りとかは米の飯を食べないと力がでないんだからさ」
そういえば田植えの衆は玄米飯を山のように盛り上げて食べていた、景三郎はその半分も食べられなかった。
「農家の仕事って大変ね、ぜんぶ人の力でやるんだ」
美帷が小さくつぶやく。
「今は機械が入ったからね」
「当時は機械はなかったの」
「道具はあったよ、稲や麦の穂から実を取る、実の殻を外す道具だ。麦はクルリという竿で打って殻を取っていたがトゲが目に入ってうので麦刈りの頃は医者が忙しいって言われたそうだよ」
「自然の中で暮らすって難しいことだね」
翌日の午後、仕事のついでに寄った、そう言いながら岡田井蔵が入ってきた。
「戴陽さんが亡くなったというのでご愁傷様を言いにきたら、なんと祝言したのか、おめでとうと言わなければならない、これは言いまちがえると大変だな」
井蔵は気軽に言った。
「俺も咸臨丸で帰ってきてから重宝がられて使い走りばかりさせられる。貴公はさっと身を引いて利口者だ、今の幕府には人がいないからどこへ行っても長崎伝習生と軍艦操練所の仲間ばかりだ、だから日本中どこでも泊まる場所には不自由しない」
ミドリが野良着のまま挨拶した。
「これが奥方様か、ミドリの方とお名乗りか、まだ景三郎のことをよく知らないようだ、では語って聞かせようか」
「浦賀では仕事が待っておろうが、ここで風待ちすることもあるまい」
景三郎は制止したかったが井蔵は意にも止めず家の中を見回している。
「貴公、すっかり百姓姿になった、昔から思いっきりのいい奴だ」
「武士のかっこうでは田は耕せん」
「刀や装束はどうした」
「戴陽老人の遺品と一緒に寺に預けてある」
遣欧使節の竹内正使は服装にやかましい人で洋装を禁じた。革靴だけは許可されたので羽織・袴と陣笠で異国を歩き回った。
「なるほど寺には無用だから使われてしまうこともあるまい。俺の家も法華でな、顕正寺という、たぶん日林さんも知っているだろう。こっちの方は尋常の坊主だ」
「お上人様を呼んでこようかね」
そう言ってミドリは酒を温め土産の佃煮を小皿にとって卓に置いた。
「今朝早く山仕事にでていったよ、この井蔵さんは同い歳の幼友達、困ったやんちゃ坊主だったよ」
「どちらがやんちゃだ、しかし奥方様の前ではそういうことにしておこう」
「航海の珍事を話せよ」
「東海道はもう蒸気船の時代だ、内国航路が頻繁になっている、遠州灘は長いから海が荒れた時の泊地が必要だ、江尻はどうか見てこいと言われた、勝先生の見識だ」
それで供も連れず清水の江尻に行った。宿を取ってから湊を見ると、対岸に長く三保の松原が延びて風波をさえぎる、水深が深く良い港だ。ふと後ろに人影を感じた、誰かがつけてくるようだ・
「ほほう、井蔵も攘夷の浪士にねらわれるようになったか」
「ばらばらと前後に数人、人相の悪いが飛び出した。さて面倒なと見回すとさっと輪が広がる、どうやら俺を怖れているらしい」
頭らしい男が十手を示して対面した。
「岡田井蔵さんとおっしゃる、宿帳には江戸とあるが土佐の方ではありませんか」
「拙者は相州浦賀の者、幕府軍艦方の御用で清水に参っております」
「土州浪人岡田伊蔵を召し取れとのお達しで、わしは清水の次郎長と申します、剣の使い手と聞きましたが、まずはお話をうかがいましょう」
そんなやり取りで番所に連れていかれた。
「ほほう、井蔵の剣豪ぶりを見たかったな」
「冗談ではない、同道して公儀ご用の書付を見せると平身低頭、お詫びに一献さしあげますという次第となった」
「知っている、人斬り伊蔵という男だ」
文久2年に9人を暗殺し、見かねた幼馴染の坂本龍馬が勝麟太郎の一門に入れて用心棒をさせた。しかし腰が据わらず、勝はアメリカ帰りの中浜万次郎の護衛をさせたがそれもだめだった。
「同名の災いだな、それにしても貴公を人斬りと間違えるなんて人を見る目がないではないか、その次郎長という目明しは」
「博打打ちだが仁義礼智信に篤い人物で、処世に長けていると見受けた。勝先生も大人物は地方にいると仰っておる。江戸にいるのは愚物ばかり」
なんでも浪士取締りの山岡鉄舟という幕臣が訪れて意気投合したらしい。幕府のお役に立つならばと一肌も二肌も脱ぐ気だそうだ。
「自分もケンカ出入りで人を斬りましたが嫌なものです、困ったことにまた斬りたくなる、今度は面白がって斬るのです、こんなことは神仏は許しません、などと言っていたよ」
「清水の次郎長って有名な人だわ、知っている、奥さんがお蝶さんよ、マンガで見た」
「再婚するたびに奥さんの名前をお蝶と呼ばせたのさ、有名なのは3番目のお蝶さんだ」
「山岡鉄舟って江戸城明け渡しに関わった剣豪よ、知っている」
「それもマンガかい。明治になってからは西郷隆盛に頼まれて明治天皇の側近になった、御所育ちの天皇を豪傑で固めて英雄にするって西郷の目論見は成功したね」
「次郎長は佐幕派なのね」
「最大の敵が甲斐の黒駒勝蔵という大親分で尊皇攘夷派だった。それに対抗しようと佐幕派になったというよ。この年の5月には天竜川をはさんで大喧嘩をしている」
「武士だけでなく皆が騒いでいたのね」
15日は盆入りだ。初盆でお精霊様を迎える、帰ってきた戴陽の魂に迎え火を焚いて場所を知らせる。夜には御霊社の境内に郷の人々が集って盆する。ミドリは手馴れていた。
「ケイサは法華だがおらの家は浄土宗だ。おらはまずお題目を唱えてから念仏を唱えているんだよ、だけど今は赤ん坊が無事に生まれますようにって、それしか祈らねぇ」
「戴陽老人もそれでいいって思っているよ」
「お父っさんのことを老人って言うのかい」
自分の生い立ちをまだ話していなかったのだ。だがそれを話したところで仕方ない。
「ああ浦賀の人たちは戴陽老人って皆が言っていたよ」
急いで話さなくてもいいことだ。
16日は十王詣、近くの長運寺には江戸の絵師に頼んだという新しい十王画像がある。和尚が絵解きをする。初七日 四十九日 三十三回忌と法要が続く。それを怠るとどんな怖いことになるのか。赤ん坊のほしいミドリは青ざめた。
「フランスにも地獄はあるのかい」
「誰にも心の中に地獄があるんだよ」
「なら大丈夫だ、おらの気持ちは極楽にいるようだ、ケイサと一緒なんだから」
家の戸口に角左衛門の顔が見えた。
「虫送りはお盆明けの20日の夜にしよう、来年はこんなのも作ってみたらどうかい」
西瓜が一つゴロンと転がった。
「田の草取りほど辛いものはないですね、体中がふやけてしまいました。このところ雨が降らないので心配で夜も眠れません」
「ケイサさんも百姓が身についてきたね。でも牛を飼っておらんから楽なもんだよ、牛に食わせる夏草刈りは辛いよ、朝露に濡れるし足も手も葉っぱに切られて傷だらけ、刺す虫も多いからな」
田の畦道には数人の子どもが集まっている。タイマツに火がともって歩き始めた。太鼓が鳴り唄声が聞こえた。
乁送った送った、稲の虫送った
田の水面にタイマツの火が揺れ子どもたちは遠ざかっていく。その中に自分の子もいるような気がして景三郎は心がしめつけられた。
葉月立秋 盆 地蔵盆
「涼しくなると飯がうまい、いい季節だよ」
玄七はのんびりしているがヤエは苦労性だ。
「麻を刈って田んぼにつけておく。白菜の種蒔きさ、インゲンも夏大根もカボチャもソバも頃良いときに取らなきゃならん、ぼんやりできないね」
「今年はお月見の餅をつくのかい」
「サトイモは決まり事だが餅は祝いがある時だけだよ、今年は柿が生り年だからいっぱい食べな」
「柿は食べ過ぎると冷えるからな、柿渋でも作ってみようか」
「網に塗るから漁師はほしがるが、潰したり寝かしたりして3年もしまっておくんだ、きっと忘れてしまうよ」
笑いながら二人は帰った。
置いていってくれたカボチャと大根が夕食のご馳走になった。いつもだと米が少しに粟がたくさんの飯だが今晩はカボチャがたくさんに麦がまじっている。麦は水につけて柔らかくしてから粟か少しの米を混ぜ炊きながら押しつぶす、ベタッとした食感が景三郎はどうしても好きになれない。郷では毎日のように食べているがミドリは景三郎の好みに合わせてくれる。そんな夕食を食べていると戸口に人の声がした。
「先生いなさるか」
郷の若衆が2人立っている。1人は以前の庚申待ちの夜に旅の話をしてくれと言って角左衛門ににらみつけられた男だ。
「おら芳久保の多平です、先生にお願いがあって参りました」
緊張した様子にミドリが笑いながら対応した。
「シンヤの多平でないか、先生って誰だ」
「おら達ケイサ先生の弟子になりたくて談合しただ、よかろうかね」
「何を教わろうというのかい」
「歌だよ」
景三郎は少し呆れて顔を出した。
「あっケイサ先生、頼んます、庚申待ちの時の歌を教えてくれ」
「歌をね…」
ともかく囲炉裏端に座らせた。
「なぜ歌なんだ」
もう1人の若い衆、大山の源治があわてて言った。
「計略です、これでも知恵をしぼったんだ」
本当は西洋のことを知りたいし言葉を覚えたい。横浜が繁盛しているので何か得することができないか、そんなことを親に言ったら怒られるから歌の師匠ということにしたい。
ミドリがまた笑った。
「諸葛孔明は誰だね」
「オランダ語をおら達が覚えられるかね」
これは相談に乗ってやらなければならないと景三郎は覚悟した。
「俺も御用があるからいつまでも教えてやることはできないのを承知してくれ。それからオランダ語はもう無用だ、フランス語と言いたいがイギリスの言葉が横浜では通用する、たぶん読む書くより聞く話すの方がお望みだろう」
「ありがとうございます、あさっての晩に来てもらってもいいかね、江戸唄も教えてくださいよ、でないと歌の師匠だと親に言えないからね」
ミドリは憤慨した。
「歌を頼んだら勝手に言葉も教えたんだとケイサのせいにするんだろ、根性悪だね」
「へっへ、親父はすぐ殴るんで怖くて」
「気のあった5人ばかり集まりますので若衆宿に来てください」
長柄川をさかのぼる舟をつなぐので皆がフナゾイと呼ぶ岸辺に小屋があり若衆宿になっていた。郷の男の子は結婚するまで若衆組に入る、娘たちは福厳寺に集まる。景三郎は流れ者だし浦賀に出ていたから呼ばれなかったのだ。
その夜は満月だった。どこの家でも軒下に団子を供えて月を迎える。それを見つからないように盗み出すのが子どもたちの冒険だ。「十五夜様ケーラッショ」そう叫んでおいてそっと忍び寄る、ガサッとでも音がすれば怒鳴られる、見張る側でも聞き耳を立てている。団子や柿や栗は若衆宿に持ち帰って公平に分配する、その最中に景三郎とミドリがフナゾイについた。
「あっ女は駄目なんだよ」
入り口近くにいたやんちゃ坊主が大声をあげたのですぐに多平と源治が迎えに出た。
「あっミドリさんも一緒ですか、困ったな」
多平が言うとすぐに源治が取りなした。
「先生にはお供がつくのを知らないのか、皆にぐずぐず言わさず上がってもらおう」
十数人の子どもたちが一斉に二人を見る。
「さあさあ歌の先生が来てくれたんだ、挨拶しないか」
コンバンワ、こんばんはと騒がしい。
「団子と木の実を分けたら今晩はもうお帰りな、お父っさん、おっ母さんにも丁寧に土産を差し上げなさいよ」
景三郎を意識して妙に言葉を正して多平は子どもたちを帰した。
「こんな晩にすみません。若い衆の身分なんで何もお礼ができなくて、お祭りで祝儀をかせいだらきっとお礼をさしあげます」
入門料の代わりにと子どもたちが軒下から盗ってきた栗と柿を差し出した、まことに律儀な村の若衆たちだ。
「最初に歌を歌おうだよ。シング ア ソング、言ってごらん」
声が出ない。ミドリが大声で叱咤する。
「あんたら神輿を担ぐ時だけしか声を出さないのかい、物おしみだね」
「シング ア ソング」
笑いながら景三郎は扇子を立てて、江戸小唄を歌いだした。
乁 お月様さへ泥田の水に落ちて行く世の浮き沈み
「これは頼山陽先生の作った歌だ。苦しいことがあっても月を見て希望を持ちなさいという気持ちだろうな。さあ聞き耳を立てている泥棒どもがたくさんいるから、歌を習っていると家まで伝わるように歌ってみなさい」
若衆たちはこちらの方は得意らしい。外のヤブではガサガサいう音がずいぶん長い間続いていた。
翌朝二人は玄七とヤエに昨晩もらった栗と柿を届けた。
「干して食おう、おら囲炉裏の焼栗が好きな、パンってはじけて顔に当って熱々なんてさ」
「まるで子どもだね」
「今はアケビも山ブドウも食べ放題だよ」
「なに寝言を言ってんだい、こんな忙しい月はないよ。そば播く、大豆小豆採る、ねぎ植える、大根播く、竹棒に釘を打っておいたのを出しておこう。麻の皮をむいておかなければ商人は買ってくれないよ。クリの実もシイの実も朝早く拾っておけば虫やケモノに食われない。稲刈りの準備をしておかなければならない、ほら休んでいないで仕事だよ」
そそくさと畑に出かけた。
「ケイサ、おらにはフランス語を教えてくんろ、二人で話せば他の誰にも分からんだろ」
「それはうれしいね」
「誰もいないからちょっと話してごらんよ」
Brised'automne Violon Nepleure pas
Apeine Monâme Douloureux
ポール・ヴェルレーヌ
秋風の ヴィオロンの 節ながきすすりなき
もの憂き哀しみに わが魂を 痛ましむ
堀口大学訳
「きれいな言葉だね、おらも早く話せるようになりたいよ」
「おいおいにな」
人の気配がした。
「仲の良いことだの、だが田舎だとて壁がある、壁には穴さ、郷の中にはケイサがキリシタンではないかと心配しておる者がいる」
角左衛門だった。二人はぎょっとして周りを見た。
「俺は分かっているから心配いらぬ、けど攘夷かぶれが耳にしたらあぶないこった。用心用心」
こんな静かな郷なのに外の風は吹き込んでくるのだ。
長月重陽 二百十日 お会式
「アジの季節だよ、佐島まで足を伸ばして買ってくるから丸ズシにしようよ、サバも煮て食ったら美味いからな」
「そりゃあいいが毎日雨だよ、漁にも出られまい、お彼岸だからオハギを作ろうね」
「春は牡丹でボタモチ、秋は萩の花でオハギ、食ってみれば同じ味さ、おらぁキノコを取ってくべぇ」
玄七とヤエは季節を教えてくれる。
秋の長雨に入った。連日だらしなく降る雨を今まではうんざりしていたのだが今は違う、自分の田を見回ると稲はすっかり穂を伸ばしている、雨が頼もしく思えて感謝の気持ちが湧いてくる、ミドリもうれしそうに景三郎の顔を見ている。
角左衛門が顔を出した。
「必要なものがあったら言っておくれ。あさってはまた庚申講だよ、それで若い衆に異国の百姓の話を少し聞かせてやってくれ」
ちらっと台所のザルを見てゆっくりと帰っていった。
「思い出すよ、ケイサの歌が良くっておら胸がつぶれそうだったよ」
「また歌えって言われるかね」
「そうだとも2曲でも3曲でもおらのために歌っておくれ、ついでに皆にも聞かせてやりな」
「異国の百姓の話か…」
この前、にらんでやめさせたのに今度は話してくれと言う。
「村の皆が聞きたいって言うのさ」
なるほど角左衛門が郷の人たちに聞いて回ったのだ、暇な人だな。
「違うよ、甲子講で話を出したんだろ」
たぶん角左衛門が話して上人がうなずいて皆が納得したのだろう。
ささやかなご馳走を携えて同じ顔触れがそろった。しかし景三郎を見る目は親しげだ。若者たちはあからさまな興味を持っているし、女たちも二人の結婚生活を聞きたがっている。ミドリがすっと仲間に入ると話があっというまに盛り上がった。
「まだ眠くはなっておらんがケイサさんが異国の百姓の話をしてくれる、聞くべぇ」
角左衛門が紹介すると皆がそろって座りなおした。
田舎の景色は汽車と馬車の窓から見ただけだ。後は話に聞いたり本で読んだことをぽつぽつとしゃべるとかぶせて質問がある、講演会ではなく茶話会なのだ。
「へぇ米はまったく作っておらんのけ、なら年貢はどうするのか」
「へぇ麦や肉を売って銭で払うのかい、なら儲かりませんでしたと言ってズルができやしょうな」
「お侍がいないのなら代わりに誰がいるんだろう」
困った質問には角左衛門が対応する。
「郷だってお侍はいないぞ、わしら村役人が世話をやいている、忘れんでくだされよ」
「そうかい酒はブドウから作るのかい、それで赤い酒になるんだな」
「血みたいで飲めんと言ったのは誰だ、ちょっと渋いが良い酒だったぞ」
「あの焼酎みたいな色の酒が甘くて香りが良くてうまかったの、サンパン酒だっけ」
景三郎は驚いた、何人もの人がもう西洋の酒を飲んでいる。
「そりゃケイサさん、酒はネズミの穴からあふれ出るよ。浦賀で卵や果物と交換するのさ、なに怖いことがあるものか、船乗りは正直者ばかりだよ、お互いに欲しい物が目の前にあるんだからな」
芸尽くしが始まったのはずいぶん遅い時間だった。
次の集まりは題目講だ。
「今年は作柄も良いからお祖師様にお礼をしたい。9月の竜口寺のお会式にいくべぇ」
7月の題目講の場で角左衛門がそう宣言していたのを皆は思い出した。
「なにフナゾイから舟を出して浜に沿って1刻半も漕げば片瀬に着く、海さえ穏やかなら難儀はない」
鎌倉時代の昔に日蓮は他宗派を邪宗と攻撃し、そのために元寇が起きると糾弾した。幕府は日蓮を片瀬の竜ノ口で処刑しようとしたら雷が落ちて助かった。以来、この寺では9月12日に盛大なお会式を行う。
日林上人が目を細めた。
「皆が団扇太鼓を叩いて万灯を回す、露店がならび芝居も出る、にぎやかなことだ、ケイサは始めてだろう」
ミドリは念仏の家だが何度も行ったことがある、お祭りなら宗派はかまわないのが郷のしきたりだ。
当日の朝は穏やかな天気になった。フナゾイには20人ばかりの講中の人が集っている、子どもたちがはしゃいで走り回っている。
「うちのお檀家は10軒ばかり、気がそろって良いが何しろ貧乏寺だから本山にご上納することもままならずさ」
「お上人様も良い人だが何しろのんきだからお会式のことを忘れたんではないかい」
「上人お目覚ましの題目と団扇太鼓を叩いてくるか」
太鼓の効能で上人はとんできた。鎌倉と逗子には大本山妙本寺を始め日蓮宗の寺がたくさんある。葉山には木古庭に本円寺があって房総から海を渡ってきた日蓮が一休みした場所だという。日蓮宗には他宗とは絶対に交流しない不受夫施派というのがあって幕府は厳しく弾圧した、禁教はキリシタンばかりではない。
龍口寺の境内には人があふれている。旅芝居あり相撲あり、露店には農具ばかりでなく玩具や装飾品なんでも並んでいる。ミドリがじっとツゲの櫛を見ている、景三郎は胸が熱くなって買い求める。今度はミドリの目は熱くなった。
舟は真夜中を過ぎてからフナゾイに戻った。女子どもは熟睡している。ミドリの髪には櫛がささっていた。
いつものように暗いうちに畑に出る。ミドリがついと手を伸ばしてお寺の柑子の実を摘まんで口にもっていく、景三郎はあわてて止めた。
「青い柑子の実は食えないだろう」
「なんだか無性にほしくなっただ」
運よく畑に行くヤエが追い越したので事情を話した。意味ありげに笑って二人を家に連れ帰り、台所の壷から梅干を取り出して桜の葉に載せた。
「これならいいだよ、めでたいの」
「なにがめでたいんだ」
「そりゃ赤ん坊だ、腹に子がいるんだよ」
さすがのミドリも赤くなった。
「知らなかったよ」
「赤ん坊が自分から名乗るわけはなかろうよ、仕事はしてもいいが無理はいけないよ」
本瀧寺は寛永初年に建立された寺だ、景三郎は以前から日林上人がどう暮らしているのか不思議だった。戴陽の生きていた頃は浦賀の肥前屋が行き届いた世話をしてくれた。米や酒などなくなる前に届けてくれる、もちろん寺の分もだ。そんなことも考えずに戴陽が死ぬと肥前屋の好意を断ってしまった。義理もつながりもなくなったのだから当然だし、世間が混乱してきて肥前屋にもだいぶ余裕がなくなってきたようだ。
それにしても檀家が10軒にも満たぬ寺がお布施だけでやっていけるはずがない。しかし面と向かっては聞けない。
「お上人様は力持ちじゃけ、食うには困っていなさらねぇ。小さいけれど畑があるし何よりも山があるからの」
玄七爺さんが言うとヤエ婆さんも言った。
「檀家が皆でお斎を奉仕しておるから」
春山弁蔵から9月の25日に訪ねていくと知らせがあった。今は江戸の石川島で蒸気船を造っている。遣欧から帰ってすぐに仕事を手伝ってほしいと誘われてそれ以来だ。景三郎より20才も年上で設計や機械にたずさわっている、気難しい気分の日もあるが景三郎には温かく優しく接してくれる。中島三郎助よりも4才上だがずっと若々しい。
日林上人も酒宴に招いている。春山を待つ間、寺の暮らしを話題にしてみた。
「おお、檀家からお斎が届くのさ、カボチャの頃はカボチャ、ナスの頃はナス、皆が気をそろえて同じ物ばかりだが有難いことだ」
「それでは酒が飲めますまい」
「ここは山でもっている、山番一人ではとても手が回らん、わしが頼まれている」
この郷は杉や桧が名高い。枝を落としてまっすぐな材木にする、樹皮を剥いで寺や神社の屋根にする、手のかかることばかりだ。雑木を伐って薪にして川まで運び出す、これも大変な労力だ。それを一色の浜から積み出すので200石積みの和船は薪船と呼ばれている。薪を積んで浦賀に運び諸国物産を仕入れる。米、酒、小豆、塩、ローソク、タバコ、茶、紀州の梅干二樽などという郷の暮らしをまかなうものばかりだ。
代価は薪で支払う。清国がアヘン戦争に負けた後に幕府は異国船打払令の危険にようやく気づいた。そこで薪水給与令に改めて以来、薪を異国船が大量に求めるので浦賀は景気づいている。和親通商条約が結ばれてから異国船はいよいよ増えている。
「それで日林上人は寺にいないことが多いのですね」
「経は一日中唱えて草木やケモノに聞かせている、魑魅魍魎も野原をさまよう魂も成仏まちがいなし、いつも山は清浄だよ」
「有難いことで」
「その有難いカボチャを食い般若湯一杯、夢の中で神仏と親しむのさ。この寺は無住だったが、縁あってわしが住むようになった。郷の人々には喜んでもらっているからな」
本瀧寺は産土の諏訪社ももっているので上人は寺社の行事を全部一人でこなしている。
坂の遠くから大声で呼ぶ声が聞こえた。迎えるミドリの声がして春山弁蔵が現れた。
「おお奥方も元気なようでなによりだ、途中で鯛を手に入れたから刺身で食おう、酒はうまく飲まなければならん」
目の前にはカボチャが煮付けてある。
「よしよし拙僧が引導を渡そう、三枚におろして頭は潮煮でよかろう、庫裏では支障があるから台所を借りますぞ」
気さくに立っていく。
「日林さんは土地の人ではないのだね」
春山が言うと台所から返事が返ってきた。
「問われて名乗るはおこがましいが」
「はあ」
「実を申せば拙僧の前世は鵜という鳥で」
「因果話ですね、眉にツバかな」
「食い尽くすほど魚を殺生し、生まれ変わって坊主となってお題目を唱え供養しているのさ」
「筋は通っております」
「ところが鵜の悲しさ、獲った魚は口までで腹には入らぬ、この殺生も主人のため」
「よっ高麗屋」
「魚の恨みは深かろうが食わぬ我が身もかわいそう、涙ながらに訴えれば、ありがたいお祖師様が夢枕に立たれて一言あり」
「待ってました」
「魚食を許す、善哉善哉」
「なんだそれだけですか」
「拙僧は魚好きでな、刺身煮付け焼物てんぷら何でもいいが寺で魚食はなんとやら、以前は戴陽さんがお身代わりで魚の道の玄関番、舟着き場から魚が上がるとお初穂が戴陽さんに届く。はいありがとうとわしの口にも入ったものだ。南無妙法蓮華経」
「とんだ戯作者ですね。江戸にいたころに芝居は何度か見ました、上人はよく江戸にも行くのですか」
「宗務というものがあってな。もう20年以前にもなるがある寺がお咎めを受けて取り潰しになった。わしはその追い出された坊主のうちさ」
そう言い残して鯛を持っていった。
江戸目白に感応寺という寺があった、住職は大御所家斉の愛妾お美代の父親で日啓という、莫大な喜捨を受け大奥から将軍、大名も参詣する大寺院になった。そのうち世間によからぬうわさが流れた。奥女中たちと僧侶が乱れた関係だという、なにしろ家斉は55人の子どもを産ませ、それを全部、全国の大名家に引き取らせたという精力的なお方だ、幕臣は苦々しく思っていた。家斉が死ぬとすぐに老中水野忠邦は寺社奉行安部正弘に命じて感応寺を取り壊させた。感応寺は跡形もなくなったが大奥は一切とがめられなかった。その手際のよさを功として水野は安部を老中に引き上げた。水野が失脚すると安部は老中首座となり、開明派の幕臣を多数、登用した、勝麟太郎もその一人だ。
「日林さんもその良からぬことをしたお仲間か、よくまあ無事だったな」
春山弁蔵がからかった
「当時はまだ青坊主さ、お稚児になるほど可愛くない、毎日掃除と味噌すりだよ。白粉の匂いというのが嫌いでな、真っ白く化粧して唇に紅を差し高々とまげを結ったお女中が安達原の鬼女のように見えて震えていたものだ。苦労はその後だよ、本尊は江戸の本門寺、祖師像は鎌倉の薬王院に流罪にされ伽藍は鎌倉妙本寺に追い払われた。わしがお世話をすることがたくさんあるんだ」
何かを思い出して表情に蔭ができたが振り払うように明るく言った。
「さあ刺身だ、潮煮は奥方様お手作りだよ」
日林上人は料理の最中にもう飲み始めている。
「今日は春山氏はなんでご来臨ですか」
「戴陽さんの供養だ、浦賀で俳句を教えてもらったよ。そのころは目の前のやんちゃ坊主がフランスへ行くなどと思いもよらなかったけれどな」
「船はいつできますか」
「中牟田が故郷の佐賀で蒸気機関を造っている、それを積み込まなければ船は走らん」
ついこの前、浦賀では鳳凰丸を造っていた。初めて造る西洋型帆船だといって皆が自慢したものだ。それが今は蒸気船を造っている。
「どんな船ですか」
「千代田形といってな船首に30ポンド砲を一門据えつける」
「それで黒船と戦う?」
「30隻も造って取り囲んで撃つのさ」
さすがに景三郎も笑ってしまった。
「取り囲まれたら一発撃って沈没ですね」
弁蔵は怒りもせずに言った。
「まずは小手試しだ、次にはポーハッタン号を造るさ、俺は楽しくてしかたないよ。けれど蒸気船は難しいな、とても鳳凰丸のようにはいかないや、長吉親方に聞いてみたいことがあって来たんだ」
「鳳凰丸は今どこを走っているのですか」
「幕府が仙台藩にお貸し渡しだ、北の風に吹かれているだろうよ。そこで景三郎を訪ねた本題だが、フランスの造船の本が手に入ったが読めん。今まではオランダのを基本にしてきたが古くて役に立たん。この本だ、読んでくれぬか、置いていくから翻訳した所をどんどん送ってくれ。だいたいは図で分かるのだが肝心のところを間違えると大変だからな。フランス型の軍艦の良し悪しを見定めたいと思うんだ」
「かしこまりました、石川島には飛脚が出ておりますか」
「浦賀から便船が江戸に通っている、奉行所の書簡だから大丈夫だ。できれば早くこっちに戻ってくれよ。頼みたいことは山ほどあるんだ。しかし近頃は攘夷の無法者が多くなって異国人ばかりでなく洋学者も斬る、景三郎も気をつけろよ」
翌年10月には鎌倉でもイギリス士官が二人斬殺され犯人は捕らえられて処刑された。
その夜、景三郎は棚に載せてある木箱を取り出して風呂敷包みを大事に開いた。
「それが大事ななんとか言う本かい」
ミドリがのぞきこむ、ずっと取り出していないのを知っていて気の毒そうにこちらを見た。
「田んぼで忙しくて勉強する暇がなくてすまないね」
仏蘭西詞林というフランス語の辞書だ。蕃所調所で師の村上英俊に願って書き写させてもらった、そんな頃のことが脳裏に浮かんだ。
「なあに耕しながらも言葉を次々に思い出しているよ」
「田が終われば夜なべだよ、その時はおらにも教えてくんなね」
「まず手習いをしたらいい」
寺子屋で学ぶ女の子もいるのだがミドリは行っていない。
「腹の子の父親はケイサだからたぶん賢い子だよ」
「お前に似た可愛い子だといいのだがな」
神無月立冬 祭礼
玄七とヤエがおしゃべりに来た。
「稲刈りが終わって豊年の祭りだよ。新ゴボウとニンジンでカテ飯だ、マツタケも出るし、祭りの祝いに蕎麦を打とう、お上人様にも食べてもらうべぇ」
「これからが正念場だ、稲刈りは気がもめるね、最後の最後に嵐が来たらもうダメだ。ようやく刈り取ってハザに干して脱穀して俵につめて、一安心。アワ採って椿の実を集めて油を〆る、すぐに漬物にとりかからなければならないしさ」
「おらは思うんだ、神様はありがたいよ、仏様は尊いよ、でも会ったこともないのに頼み事なんかしていいものかね。そこへいくとご先祖様はみんな知りあいだ、日照りだ長雨だと百姓の苦しさはよくご存知だよ、頼みがいがあるというものさ。親父からひいじいさんのことまでは聞いたよ、多分そのひいじいさんは何代も前の人を知っている。さかのぼれば郷の草分けまで行き着くというものさ」
そこに角左衛門がやってきた。
「神仏のことを大声で話すものではない。お社(やしろ)さんはわしらのご先祖様だからいいがお寺さんは仏様だ、後生を願うお方なんだ。福厳寺さんは禅だから悟りが己の中にある。長徳寺さんでは弘法様が救ってくれる、本瀧寺さんは法華経の功徳で極楽往生するのさ」
「へぇ何のこったが全然分からん」
「まあどうでもいい、ケイサは近頃、道具が身についてきたかい」
「理にかなった動きをすれば無駄な力はかからない、手順に従えば仕事がはかどる、それが分かったので働くことがおもしろくなりました」
「そんな難しいことはわしらは分らんが子どもの時から自然に身についてきたのさ、田や畑で働く、遊ぶ時は皆で遊ぶ、それが郷の暮らしだ、玄七もヤエも分かっておるよ」
「おらはこの村で生まれ育ちましたから心配ねぇです、ところで角左衛門さん、今年の祭りの余興は何だっけね」
玄七は遊びごととなると顔つきが変わる。
「芝居さ、9月の甲子講で話しただろうが」
「あの時はお供えがたくさんあったからそれしか覚えておらん。まず百合根・八つ頭・初茸・茄子・羊羹・柿・いちぢく、ご馳走様」
「お前さんは物覚えがいいね、大黒様も笑ってござろうよ」
「確かにいつでも笑っていなさるね」
「郷の生活って平和だったのね」
「そうだよ、けれど、そうとも言えない」
「賢人に物聞くな、良いと悪いを共に言うって、オジさんもそうですね」
「おませな娘だ、第一、私が賢人ならお前さんなど相手にしていないよ」
「ハカセになりノーベル賞を取って皆にエライって褒められて…それは無理そうですね」
「穏やかに楽しく暮らしていると難題が持ち込まれる、古文書に小娘」
文久2年、朝廷は徳川将軍を京都に呼び出して攘夷を実行させた。上洛の費用は概算150万両、幕府はいやいやながら承諾する。勝麟太郎は将軍を船で行かせようとした。費用も日数も少なくてすむし軍艦の力を示す絶好の機会だ。昔の御座船などは朽ち果ててしまったが幕府艦隊には咸臨丸などの蒸気船がそろっている。なかでも安政5年にイギリスから贈呈された蟠竜丸は元がイギリス王室のヨットだから彫刻といい装飾といい素晴らしい。他にも福岡や松江藩からも軍艦を出すこととなった。さっそく浦賀奉行所に上洛御用掛が命じられ、佐々倉桐太郎や中島三郎助、山本金次郎など伝習所、操練所の昔馴染みが集まった。
家茂将軍は翔鶴丸に座乗し蒸気軍艦6隻をそろえて浦賀まで試し航海をした。老中以下200人が上陸してもてなしを受けた。将軍は生きた魚を初めてつかんで興奮した。当時18才、前年に孝明天皇の妹の和宮と結婚したばかりだ。
ところが生麦事件の報復でイギリス艦隊が薩摩を攻撃することになったというのであわてて上洛を陸路に変えた。すぐに道中奉行は東海道の宿場に命じて準備をさせる、総数3000人。馬をそろえ荷持担ぎの人足を集める、とても定助郷だけでは間に合わない、加助郷、増助郷、当分助郷まで動員した。
「まだ前置き話なの」
「そうなんです、すみませんね、それが原因で郷に一大事が起きるんだよ。でも上洛は大評判で費用に見合うPR効果があったらしい。当代一の浮世絵師たちが腕をふるって絵を描きまくり日本中に売りさばき、幕府の威信を伝えようとしたんだ」
翌年、長州を征伐せよという世論が高まって幕府を押し動かす。前年の加助郷、増助郷、当分助郷で郷は疲れきっている、そこにまた人足を出せという。
「また家茂将軍が行くの」
「今度は将軍は船で行った、前回の上洛も船で帰ったから日程はたったの3日、ただ海が荒れて家来たちは船は嫌だと騒いだようだよ。そして1年半後に3度目の上洛、今度は大軍を率いるので陸路で行くことになった」
「家茂さんもかわいそうに」
「まったく同情します。将軍はとうとう江戸に帰れず大坂で病気になり亡くなった」
「奥さんは…」
「和宮も義母の天障院も幕府と朝廷の仲介役として尽力し見事に役目を果たしたんだ。和宮は明治10年に療養中の箱根の温泉で亡くなりました」
第二次の長州征伐が始まった。幕府軍は江戸に集結して出陣する。時は5月、田植えは終わっていても農繁期だが、そんなことに幕府は配慮しない、道中奉行の下役人は知っているが反対意見など言えるはずがない。逆に公儀の威信を見せるのはこの時だとばかり居丈高になって下命した。戸塚宿の惣代年寄り彦兵衛は三浦の52ヶ村を指名して人を集めようとした。加助郷、増助郷、当分助郷、しかし郷は応じない。それでも28ヶ村はやりくりして人馬を差し出したが葉山の6ヶ村を含む24ヶ村は拒否する。道中奉行は焦って強く求める。とうとう村は妥協して増助郷として人足897人分400両を渡すと申し出でることにした。それを戸塚宿ではなく保土ヶ谷宿に申し出たのは、戸塚に対する反発と保土ヶ谷の方が安い費用で引き受けてくれるからだった。しかし奉行側も混乱の最中で戸塚に伝達しない。大もめになり訴訟に持ち込まれたが結果として24ヶ村はかなりの損をしたらしい。
「安上がりをねらって逆に損をしたのね」
「江戸時代の農民たちは決して公儀の言いなりにはならなかったのさ。ペリー来航以来、たくさんの人が浦賀を訪れるようになって農民は助郷に苦しんだ。安政4年にも助郷御免除願を逗子・葉山8ヶ村で出しているよ。とくに長柄の郷は山を越えれば浦郷、横須賀だからそちらの助郷にも駆り出された」
「助郷ってどんなシステムなの」
「大庄屋が森戸の名主に手紙で月日時間人数を知らせる。名主は手紙を書き写して、その郷で出す馬と人数を書き添え各郷の名主に届ける。すると名主は百姓代と相談して天保銭1枚ずつ渡して助郷を命じる」
「それってひどくない」
「雨でも雪でも暗いうちに家を出て重い荷物をかつぎ夜中に帰る、まるまる一日仕事だ。戸塚から藤沢、人が足りなければ小田原まで行くので二日仕事になる」
「天保銭1枚って」
「だいたい3000円くらいかな、古銭コーナーに行けば500円以下で売っているよ」
「オジさんだったら名主の命令は聞く?」
「えっ」
「今度、助郷で姫様を山中城まで届ける仕事をせよ、天保銭は用意する。場所は知っているでしょう、箱根を下ったところで天空のつりばしがあるんだ。友だちも行きたがっているしさ、お受けしないと罰を下すぞ」
「ヘヘェー」
「賭場を開かせてもらいますぜ」
人相の悪い男が二人、二の腕の入墨をそれとなく見せながら村年寄の九郎右衛門の家の玄関に立ってこわもての挨拶をした。
「この郷では博打は固くご法度にしておる」
「どこの祭りにもつきものだ、目をつぶってくんなさい」
「お前たちはどこのお人だい」
「上州国定一家の末の者さ」
ペリーが来航した時、騒ぎ立てた者の中に国定村のヤクザの忠治がいた。すぐに子分を浦賀に送った。うちの親分は1日で4百人、10日で4千人の子分を集められる、異国船など怖いものかと大見得を切った。どさくさ紛れの盗み働き、賭場を開いて荒稼ぎ、それが目的だったが嘉永2年に捕えられ処刑された。
「もし事を起こしたら、浦賀で磔にかけなければなりませんでした」
奉行所ではそんな思い出話をよく聞いた。
もちろん九郎右衛門は承諾しない。男2人は玄関に座り込んであたりをにらむ。時折、ケンカで人を斬った話だの忠治の思い出だのを大声で話して家の人を脅かす。下男が裏口から走り出て角左衛門に知らせた。
「おい三下、ご法度のゆすりたかりかい」
勢いよく駆けつけた角左衛門が怒鳴りつけた。
「爺いの出る幕じゃねぇ、村役さんに願っているんだ」
「馬鹿やろう、足元の明るいうちにとっと帰りな」
ヤクザは長脇差にそっと手を伸ばして凄い目でにらみつけた。
「クワやカマとは切れ味がちがうぜ」
「こりゃあ兄貴、ひと暴れしないと納まらねぇな」
その時、外にたくさんの足音が聞こえた。
「浦賀奉行所である、無宿人を追って参った、尋常にお縄にかかれ」
あっと驚いた二人が玄関を出ると、郷の若者たちが手に手に鎌や棒を構えている、その真ん中に羽織袴に大小の刀を差し、天金の陣笠を被った正装の景三郎が立っている。
「いけねぇ、手が回った」
二人はあっというまに逃げ出した。
「おわてて転ぶなよ、おととい来やがれ」
角左衛門が叫ぶと一同は大笑いした。
「さすが角左衛門さん、肝が据わっている」
九郎右衛門がほっとして礼を言う。
「ケイサさんも手馴れているわい、よく早変わりで衣装を変えましたね」
「とっさの機転でミドリが陣笠をかぶせてくれました。ほらこの通りです」
笠を取ると百姓のぼさぼさ髪、とても武士には見えない。
「ケイサ先生、おっかないね、おらも逃げようかと思ったよ」
源治が言うとミドリがからかった。
「だからお前たちも悪さをするんじゃないよ、お仕置きされるよ」
若い衆たちは頭をかいた。下男がかけつけて急を知らせたので祭の準備をしていた若い衆がかけつけたのだ。
「いい祭りの余興になりました」
一同は武勇伝をさかなに振る舞い酒を美味しく飲んだ。
角左衛門の働きはこの前の戸塚宿の一件よりも少し前の安政4年の助郷の出来事の方が郷の人たちの記憶に強く残っているようだ。
長柄村はじめ堀内、一色、桜山、逗子、山野根、久能谷、小坪に増助郷が降りてきた。名主、年寄り、百姓代がそろって免除を懇願した。特に長柄は横須賀村からも助郷を命じられていて大変に困惑した。
「役人というのはこちらが弱ければかさにかかる、強ければ引くものだ」
「ともかくおん身が大事だからウソもつくし平気で前言をひるがえしたりする」
「ムシロ旗を立てるくらいの気持ちでないと聞き届けてもらえまい」
「平身低頭していた百姓が一斉にキッとにらむと怖ろしいだろう。ネズミだって追いつめれば歯をむきだして猫に立ち向かうからな」
「誰がそのネズミになるのかい」
事をしくじれば、無礼者容赦せぬと刀がむけられるかもしれないし牢に入れられて責めさいなまれるかもしれない。
「下役の粗相は上のとがめだ、殿様にお咎めがあれば家来は切腹さ。命が惜しいのはお互いさまだよ。俺がやるべぇ」
そう言って代表になったのが角左衛門だったのだ。
御霊社の境内に幡が4本立った。松久保、仲町、芳久保、大山の幡だ。大人も子どももワクワクしている。ブテイダに仮小屋を立てて芝居をやる。浦賀に寄席があってそこにも出演する一座だ。九郎右衛門のたっての注文で『佐倉義民伝』が演じられた。ご政道にからむ演目なので一座は躊躇したらしいが村役の依頼では断れない。
宗吾子別れの場面で郷人もミドリも号泣した。景三郎も生まれてくる子のことを思って目が熱くなった。役者がわずか数人だけの小芝居なので捕り方には多平や若衆宿の仲間が引っ張りだされた。昨日、九郎右衛門の家で練習したばかりなのに、そのぎごちない動作に皆は爆笑した。
祝儀のおひねりがたくさん飛んで一座の役者も喜んで笑った。
「ケイサ、頼みがあるんだ」
夕食の後、真剣な顔でミドリが言い出す、景三郎は居住まいを正した。
「ケイサの食べたフランスの食べ物っていうのをご馳走しておくれ、おら、ふだんの食べ物がむかついてくるんだ」
そういえば裏口で吐いている音が聞こえるので心配になってヤエに聞いた。妙なものを食べたがる、それはツワリ食いというらしい、でもよりによってフランス料理とは。
「よし、やってみよう」
確かに船でもホテルでも正餐というのを食べさせられたがどうやって作るのかは分からない。辞書で調べても詳しい作り方は出ていない。それに肉、バター、野菜、材料が何もない。麦粉でパンができるのだろうか。
「先生、歌の会はいつにしようかね、社日の晩でいいかい」
源治が顔をのぞかせた、産土神を祀るから農作業を休む日だという。
「それでいい、ところで…あさっての昼ころ手伝いを頼めないか」
「先生の所に行くのなら親はうんと言うよ」
「料理の手伝いをしてもらいたいんだ」
「祝い事かね、まちがいなく伺いますべぇ」
「へぇ郷でフレンチをこしらえるのね。フレンチ、イタリアン、野菜は…」
「トマト、レタス、キャベツ、玉ネギ、ジャガイモ、みんな明治以後だ」
「牛肉豚肉ない、鶏肉はあったよね」
「ヤキトリ、鍋、病人がスープにして飲んだりした、でも固くてうまくない」
「お手並み拝見します」
「こんな手順だ」
景三郎は源治に説明した。
まだ青い柚子を絞って塩を少し、椿の油と混ぜて椀に入れておく。麦粉をこねて延ばしておく。平たい石を焼いて押しつければパンのようなものになる。
小エビとインゲン、ホウレンソウと卵をゆでる。キュウリを角にカボチャとマツタケをごく薄く切る、イカの刺身を糸のように細く切って乗せる。椀の油をかける。
「ひゃあ、それは食い物かね」
小麦粉はいい香りに焼けた。カルパッチョもほど良くできた。ミドリと源治はおそるおそる食べた。ああコーヒーが欲しい、景三郎は思った。曽祖父の大田蜀山人が飲んで不味かったと書き残したコーヒーだ、長崎でも江戸でもまがいものを飲んだが遣欧の時には本物を味わった。
「醤油をかけてもいいだかね」
源治が注文しミドリも同意した。
「パンには味噌を塗ったら美味しいかも、こんなものをフランス人は食べているのかい」
いかにも気の毒そうな顔をしたのでイタリア料理だとは言わなかった。幸いなことに料理の注文はこれ一回きりだった。
霜月冬至 神楽 酉の市
「11月だね、サトイモが食えるし白菜、大根、新ソバが食えるよ」
「すぐに冬だよ、冬の備えをしないと。まず蕎麦を採って実を干すんだ、サトイモとヤマイモとゴボウを掘って、イモ畑のすみのショウガの種を採らなくては。ムギを播いて大根の種を播く、それが終われば農上がりだよ。そうだ、干し大根がいい具合になったらタクワンの樽を水に浸して洗っておいておくれ、1年分漬け込むのさ、糠はたっぷりあるよ。ところで綿はもらえるのかい」
ミドリは実家の綿摘みに行っている。綿屋の水車で打ってもらい家で紡いで糸にする。正月には家中の者に新しい着物を着せるのが女たちの誇りだ。夜中まで糸を紡ぎ布を織る、若い娘のところには若衆が集まって話したり唄ったり作業を楽しく進める。
「でもおらのところはケイサの着物だけだからそんなに手間はかからないんだ」
「なら一晩は浦賀に行こう、肥前屋さんが酉の市に来てくれと言っている。それに…」
「分かるよ、昔のことを思い出したから今の様子が見たいんだろ」
「いや正月の晴れ着を買ってやりたい」
ミドリが頬を染めた。
「銭がいるよ」
「遣欧の時にいただいた銀があるのを忘れていた、上人に預けておいたんだ。定めで銀30枚とご褒美に銀30枚」
「おらは金や銀の銭は見たことがないよ。第一、郷を出るのも祭りの時だけだ」
さすがに景三郎は驚いた。
「江戸も横浜も知らないのかい」
「浦賀には2、3度行ったよ。でも家の婆ちゃんなんか1度も郷を出ていないから武士に会ったこともないし異国人なんかまるで知らないっていっているよ」
街道筋なら往来する武士も大名行列も身近だが山に囲まれてひっそりした長柄の郷には武士がやってこない。年貢は村役人が集めて江戸に届け、武士はそれを受け取るだけだ。
「待った!銀30枚って幾らくらいなの」
美帷がさえぎった、当然の質問だ。
「金に換算して小判30枚の四分の一程の100万円くらいかな、ただ幕末はインフレがひどいし変動相場だからよく分からない」
開国により何の準備もなかった幕府は大混乱した。日本では小判1両が1ドルで銀4分、ところが外国の銀相場では1ドルが銀12分なので3両になる、たちまちゴールドラッシュが起こり日本の金銀が流出した。幕府は驚いて文久3年の江戸城本丸火事を理由に両替を止めた。しかし各国の猛烈な抗議を受けて金含有の少ない小判を改鋳し損害を回収しようとしたが、品質が悪ければ貨幣価値は下がるということが考慮できなかった。
「ところで着物一着っていくら」
「木綿の新品で良い物が10万円、絹だと倍以上だ」
「今より高い、アクリルがないからだね」
「庶民は古着を買って着ていたよ」
浦賀の町は相変わらずの賑わいだ。問屋が店を並べ往来の人は忙しく歩き回っている。肥前屋の店先に立つとすぐに主人がとんできて口早に話しだした。物価はどんどん高騰している、原因は貨幣価値を損なう質の悪い小判を作ったこと、攘夷のとばっちりで大金のかかることばかり起こしたことだ。幕府はそれを抑えずぜいたく禁止とか税を重くするとか考えなしのことばかりする。横浜が開港したので浦賀はお株を取られて衰退しそうだ。奉行所から優れた人が出て行ってしまったので何とも頼りない。浦賀を大事にしてくれる人がいなくなってしまった、心配が頭から離れないようだ。
「そこで景三郎さん、肥前屋の行く先を考えてほしいのさ、やはりフランスですかね」
店の手代を連れて誰かフランスの人と会ってみてくれないか、聞きたいことは手代が話すからその通詞を頼みたい。
「これはご内室をほったらかしにしてとんだおしゃべりを、後ほど御膳の折にゆっくりと。まず酉の市をご見物ください、これ和助、ご案内をするんだ」
若い手代が先に立って歩き始めた。日頃、田んぼと畑しか見ていないミドリは町をキョロキョロ見回している。
酉の市は叶神社で開かれる。元はヤマトタケル所縁の白鳥、鳳神社なのだが熊手と農具の市として盛大に人を集めている。「かっこめかっこめ」といって金銀をすくいとる縁起物の熊手だ。
手代が素早く菓子を買った、山椒の香りのする餅だ。皆が食べながら歩いている。
「こんな賑わいは異国にもありますまい」
「こんなにせっかちな人たちはいないな」
「異国にはどんな商売があるのですか、干鰯も扱っていますか」
「和助さんは江戸を知っているかい」
「へぇ、年に数度は取引で行きます」
「諸国の物産の中ではるばる船で運んで儲けの出るものは何だろうね」
「話に聞きますと異国からは鉄砲、日本が払うのは金銀だけ、物が高くなるわけです」
景三郎にも見当がつかないがフランスの産物の第一は絹織物だ、それなら日本の絹も自慢できる。
「あっ、奥様にお着物を、いい店があります、私にお任せください、顔をきかせます」
買い物など不得手な景三郎はほっとした。
「あれ府川勇四郎先生ではございませんか」
「肥前屋の和助さん、お酉さんかい」
寺子屋の師匠の勇四郎が立ち止まった。驚いて景三郎は挨拶をした。
「お久しぶりです、大田景三郎です」
「なんとケイサか、うわさには聞いていたが立派になったものだ。これが奥方か、師より先んじたな、出藍の誉れという」
和助が気を利かせた。
「ご両人様、人混みの立ち話は剣呑です、スリなどもいます。一足先にお戻りなさいませ。奥様は私がご案内いたします」
宴会には勇四郎もまじりこんでいた。景三郎には皆が異国の話を聞きたがった、ミドリも切れ切れにしか話を聞いていない。肥前屋と手代の和助は鋭く質問する、勇四郎は的外れなことを言って笑わせる、ミドリは改めてケイサの本当の姿を見たような気がしている。買ったばかりの着物を着たミドリを景三郎も改めて見直している。幇間の喜八がまめまめしくミドリの世話をやいてくれる。
「おや赤さんは女の子でげしょう、奥様のお顔つきが優しくなったような気配ですよ」
笑い話にフランス料理一件を話した。
「拙もいただいてみたいものでげすな」
喜八がぬけぬけと言って景三郎を赤面させた。
「奥方様は景三郎に惚れていると聞いたぜ、食の切れ目は縁の切れ目、そうならぬとよいがな」
勇四郎がずっけりと言う。
「なにしろこやつはガキ大将で私もムカデでおどかされたよ」
「師匠のところで手習いした東海道往来はまるで役にたちませんでした」
「それはそうだ、版元も師匠も行ったことがないのだからな」
「師匠はまだ独り身ですか」
「そうさ相変わらず家の厄介者さ、一番上の兄が隠居して二番目が家を継いだ、800石ばかりの旗本というのは始末が悪い、奉行くらいにはなれるが、のらくらしていても暮らしていける。だから役につきたくない、それで公儀もやらせない、遊蕩をする気力もないから借金もない、なんとかやっていけるのさ」
肥前屋が鋭い目を向けた。そんな息子がいれば商売は確実に潰れる、現に没落した大店がたくさんある。上に立つ者がこういう気風だからご時勢は混乱して泰平は続くまい、いずれ武士も潰れるだろう。新しい商売を広げていかなければなるまい、肥前屋は深く考えているようだった。
「師匠はどうして長徳寺の寺子屋におられたのですか」
教え子にとってはいくつになっても師匠に違いない。
勇四郎はちょっと迷ったが、ミドリの手前、さしさわりのない話だけにすることにした。
「拙者は鬱の気があってな、俗に言うブラブラ病い、ろうがいの気味もあるが医師の薬は効かない。占い師に見てもらったら短命だが午と未の方に気が充ちていると言う。それがあそこだよ、馬と牛にあやかって草を食い陽をあびてどうやら長生きしている」
「今は浦賀ですか」
「元気になると寺は退屈だ、今は長島雪操先生の厄介になっているし奉行所でも客人格だよ。諸国から訪れる武士たちを接待する、身分が高い客人は奉行が応対するが、おおよその客は与力だ。しかし皆は忙しくてな、代わりが江戸の旗本さ、身分があるのでつまらぬ文句など言わせない、利口な使い方だ。こうみえても東照宮様と共に三河を出た槍一筋の家柄だよ。知恵もないし働く気もないのらくら者だが見てくれはいいやね」
長島雪操は中島三郎助より3才年上、豪農の出身で文人画を良くし、俳句も宗匠をつとめるなど学識と人柄で敬愛されている。
宴会はおおいに盛り上がり深夜まで笑い声が絶えなかった。ミドリも思いっきり笑っている、郷の庚申講とは違って都会の文化に満ちあふれた会話だがミドリはどうやら対応できた。
かなり夜が更けて満天の星、寒空の下をのんきな勇四郎はぶらっと帰っていった。景三郎とミドリはのびのびと風呂に入り離れの部屋でゆっくり寝た。
翌日は浦賀奉行所に顔を出したが知る人は江戸に出ている。中島三郎助の家にも寄ったがあいにくの留守だった。景三郎は自分が身も心も浦賀を離れているのを感じた。
「夜なべに加わっていいですか」
多平が顔を出した。
「おら、皆より少し余計に勉強したいんだ」
「結構だよ、俺も勉強しているから一緒にやろう。辞書を見ながら自分で学んでみてはどうかな」
「ありがとうございます、邪魔はしません」
ミドリは糸をつむぎ景三郎はフランス語をつぶやく、その脇で一番大きな声で多平が英語を話している。外から誰かが聞いていたらずいぶん不審だったろう。
極月師走 仏神の年取り 松迎え 大晦日
「待ち遠しいね、お正月だよ」
玄七が浮き浮きるのを見るとヤエはわざと顔をしかめるようだ。
「忙しいね、毎日が年取りだ。12日が題目講だから昼のうちに煤払いをやってしまおうね。神棚と囲炉裏をきれいにして障子を洗って張り替える。正月の箸を削る、門松を立てる、注連縄を張る、鏡餅と干し魚を飾る」
「よくしゃべるね、よく覚えているね」
「あんたが覚えていないから仕方ないさ。15日は大黒さん、20日はエビスさんの年取り、門松を迎えて餅つき、正月飾り、やることはたくさんあるよ」
「薪割っておくよ、庭かたづけておくよ」
のぞきこんだ角左衛門も忙しそうに言う。
「今日は天神様の年取りだ、郷の衆は忙しくて思い出しもしないだろうからわしが郷の分を全部、引き受けてこうやって灯明を上げているんだ、百姓代だから皆の代参をしているのさ。これは大神宮様のお札だ、伊勢の御師様がお持ちくださったから神棚に納めてくださいよ」
追いかけるように入ってきたのは布川勇四郎だった。
「これは風流なお住まいだ。ちと頼まれて肥前屋から長徳寺へお届け物だ、すっかり道を忘れてしまってな、あちこち訪ねてようやくケイサこと幕府御用の大田景三郎様ご居宅へやってきたのさ、奥方様にお祝いをお届けだよ、軽いがかさばって面倒だった」
柔かい綿が包まれていた。拙者も忙しいからと言いながらすっと上がりこんできた。
「お手数をかけてはならぬと思って酒も肴も持参しておる、もっとも肥前屋が持たせてくれたのだがな、冬の日は短い、ゆっくりと日向ぼっこで話をしようではないか」
盆も正月も関わりないのんびりした顔だ。
「肥前屋さんのお頼みの件、フランス公館に手紙を出しました。いずれ返事が参りましたらお届けします」
「商人というのは目先がきくものだな」
長島雪操を訪れる来客と話をすることが居候の役目だ。地元の商人や豪農も諸国の文人や商人も訪ねてくる。俳句をよみ詩を作り絵を描き退屈になると世間話をする。中にはしゃべるだけしか能のない客もいる。
勇四郎は聞くのに飽きて、自分が話す側になって気分をすっきりさせたいようだ。
「先日はお目にかかれませんでしたが中島様はお元気ですか」
中島三郎助は今は築地の軍艦操練所の教授方を勤めているが、ぜんそくに苦しんで時々、浦賀に帰ってくるらしい。
「佐々倉桐太郎氏は操練所教授方の頭取から軍艦頭取に昇進で400石の旗本さ。ただ病気がちだとは聞いている。合原猪三郎氏は中島氏より6才下だが、下田奉行所でペリーとやりあい、神奈川奉行並になっては横浜を取り仕切り大活躍さ、今は二の丸留守居役で名乗りは伊勢守2000石の殿様だ。役人に向いている人なんだな。香山栄左衛門殿は確か中島氏と同じ年で奥方がすずさんの妹御だったな。今は江戸で400石の旗本さ、富士見御宝蔵番という身分だ。ペリーの時には浦賀奉行といつわって大活躍した人だったのに、今は海から引き離されて不本意であろう」
「妬まれて応接掛を外されたそうですが」
「そんなうわさもあるな」
浦賀奉行井戸石見守にペリーとのやりとりを報告した時に、幕府のぶらかし策(あいまいに適当に対応する)を批判し、信実をつくすように泣いて訴え奉行の心証を悪くしたという。応接方の5人の同僚も香山だけがでしゃばると悪口を言う者がおり、ペリーから菓子や酒や石鹸などをもらったのは内密の約束があるからだと中傷された。しかし奉行の戸田伊豆守は江戸在勤のもう一人の浦賀奉行井戸鉄次郎あて勤務内容の連絡「南浦通信」という書簡で「まさかの時用立てる者は香栄一人に限り身命を投げうち相働き候心得」「御内情御秘事も栄左一人には極秘密に申聞候」と書き残している。
ペリー一行の信頼も厚く、翌年、再び来た時に香山がなぜ交渉を担当しないのかと不服だったという。
「私は奉行所に入りたての小者でしたから遊ぶのに忙しくて」
「我が寺子屋では俊英であったぞ」
それから子どもの頃のいたずらの数々を無遠慮に話し始めた。
ミドリはまるで知らない世界の話を狐につままれたような顔をして聞いていた。
「話し相手は教え子が一番いい、すっかり胸のつかえが下りたよ。さて時が移ったが帰るのは面倒だ」
そう言いながら部屋を見回したのでミドリはギョッとした、泊めてくれというのだろうか。
「寺の本堂におこもりという季節ではないし、そういえばここにも宿屋があったな」
「はい、堀内に大文字屋さんがあります、浦賀道の分かれです」
ミドリがあわてて答えた。
「さらば一晩をそこで過ごすことにする」
「師匠は刀を持ちませぬか」
「あんな重い邪魔物を腰にぶらさげている奴の気が知れん、見栄をはると短命じゃよ」
この物騒な時勢では勇四郎だけでなく誰もいつ、どこで、何が原因で命を失うか皆目分からない。郷で暮らしていれば平穏で静寂だが外の世界は殺伐としている。
31日には本瀧寺でも除夜の鐘を打つ。そして山道を少し歩いて諏訪神社に初詣をして、氏神様からいただいた火を囲炉裏に移す、その年の火に改まるのだ。
「来年も安心さ」
玄七がのんびり言うとヤエが心配する。
「神社で庭火を焚いてくれたのがありがたいね、足腰弱っている年寄りには何よりだ。まあ薪の寄進もしたがね。ただミドリは行くんじゃないよ、転んだら大変だから」
「神様はしっかり見守ってくれるがハズミというものもあるからな」
「郷が豊かなら甘酒一杯も参詣の人にふるまうんだが、ご時勢だからね」
「辛酒までだせば他郷からも人が集まるよ」
ヤエがずけずけ言うとミドリがそっと舌を出して景三郎に見せた。
「この郷にも宿屋があったなんて知らなかった、旅人がいたんだね」
「黒船往来とともに行き来する人が大変増えたそうだ。メディアがないから武士も商人も現地に行かなければ分からないないからね」
明治の初めまで浦賀道の分岐点に葉山茶屋という何軒かの旅籠があった。中でも一番大きい大文字屋には桂小五郎が使ったという食器が宝物として残っている。維新の立役者の桂小五郎は明治になって木戸孝允と名乗り政府の重鎮となったが、五稜郭で戦死した中島三郎助の遺族を後々まで手厚く援助したという。
「人と人とのつながりね、魅力のある人同士は敵も味方もなかったのね」
「君も人を見る目を育てるといい」
「オジさんには教わることがたくさんあるわ、反面教師というのかしら」
太郎月大寒 元旦 七草 小正月
元旦は男が一切の仕事をするのが決まりだ。まず神棚に灯明をあげる、井戸から水を汲んできた若水をあげる。サトイモと青菜で雑煮を作る、酒に薬草を混ぜて屠蘇を作る。そして晴れ着に着替えて明けましておめでとうと挨拶を交わす。それから縁者の家に挨拶回りをする。
玄七とヤエの家が最初だ。
「1月はいいよ、正月3日、7日、13日の小正月とご馳走づくめだ、20日正月で年神様が帰るまでのんびりできるんだ」
「2日は仕事始めでサイノカミをご招来する5日が初寄り合い、7日は七草、唐土の鳥が飛んでこないように唄いながら草を刻んで粥にするんだ、15日はどんど焼、飾っておいた餅花を焼いて食べる、みんな仕度があるんだよ、忙しいね」
「お寺さんには何をあげようの」
「お煮しめの材料は取ってあるよ、昆布、干瓢、しいたけ、レンコン…それから」
相変わらずヤエはせわしない、それでのんびりした玄七とよく気が合うものだ。
「おらはお寺で出す年玉のつけ木を用意しておこう」
ミドリが目で景三郎に笑いかける。
「今年は、唐土の鳥に足してフランスの鳥もって唄った方がいいよ」
玄七が温かく言葉をかけてきた。
「勉強ははかどっておるんかね、遅くまで灯をつけているようだがの」
「夜に調べて昼におさらいをしています。手習いが上達するようにどんど焼きで燃やそうと反故紙を残してあります」
ミドリがすぐにつっこんでくる。
「ケイサの紙は毛色が違うから青い火が燃えるかもしれんよ」
「おいおい正月早々に幽霊が出るものかい」
「うらめしやはフランス語ではなんというんだろうね」
「辞書には出ておらん」
「ならば異国人に話すときも幽霊は日本の言葉でウラメシヤと言えばいいのかい」
「夫婦和合という言葉も辞書なないな、これも日本だけなのかな、ミドリ大明神様」
「馬鹿だね、人が笑うよ」
玄七とヤエがうれしそうに二人の会話を聞いている。
本当に正月は忙しかった。3日の夜はフナゾイの若衆宿に呼ばれた。仲町の少年が7才になったので宿入りするという。父親が酒一升を携えて挨拶に来た。多平と源治が怖い顔をして宿の決まりを説明する。心細くなった少年は父親の膝をしっかり握っている。それから皆で木片を刻んでクワや鎌の模型を作り家々を回って祝儀をもらう、その手順を確認した。1月14日のカセドリの日は若衆宿の大切な収入源だ。七草の日にスリコギと包丁を叩きながら歌う鳥追い歌の練習もしなければならない。夜もふけてようやく子どもたちは解散し若衆たちは唄と英語の学習を始めた。
「ミドリさんは来てくれないね」
「大事にしなくちゃならねぇ」
「チャイルドバースかね」
多平が聞く、まだ教えていない言葉なので景三郎は驚いた。
「子どもはチャイルドだろ、誕生日はバースディだ、なら子ども誕生でこうなるだよ」
郷の若者たちは知識を吸い込もうと必死になっているようだ。
「今晩の唄は頼山陽先生の作だ」
乁 井戸の蛙とそしらばそしれ
花も散り込む月も見る
「そうだよ、おらたち田舎者だ百姓だなんて馬鹿にされたくないよ、ケイサ先生がついていなさるんだ」
「江戸だってフランスだって怖くはないよ、don`tworry、weare young」
正月のせいか皆が興奮している。景三郎はどこかで冷や水を浴びせてやらなければなるまいと思った。近頃、こうやって故郷を出奔してしまう若者が多くなった。まだここでは尊皇攘夷などの過激な思想は知らないが、もし頼山陽などの扇動者が現れればわけなく爆発するだろう、志士という名をもらって。
4日は山始め、門松を外しお供えを下ろして山の口に行き、今日から山を始めさせていただきますと挨拶する、玄七に連れられて景三郎も同行した。8日は初薬師で沼間の神武寺に参詣、これはヤエが行く。11日はアワボヒエボ、山始めの日に取ってきたヌルデの木の枝を二本ずつ縛り年神に捧げ、種蒔きの時に大山様のお札を載せて水の口に立てるのだ。12日は題目講、正月なので会食はしないことになった。14日、成木責めをする。若衆宿の子どもが柿や栗の木をナタで叩いて「なるかならぬか」と叫ぶと別の子が木の陰で「なりますなります」と答える。子どもたちが小豆粥の釜をあけて「固まれ固まれこの世が固まれ」と唱えてお供えの餅を焼いて粥に入れて食う。みんな顔見知りの子どもたちだ。御霊社ではオビシャがあって若衆組入門の時に震えていた7才の子が鬼の顔を描いた的を神主に支えられて3回射る。そして翌日がどんど焼きだ。早朝にふんどし一
丁で水垢離をした子どもたちが先輩に導かれ「ゆーわっせ、ゆーわっせセートの神を祝ーわっせ、おら方遅せーな、もしつけた」と叫びながら各家の注連飾りや門松を集め川辺に積みあげて火をつける。倒れた方向で年占いをする。どの行事にもおひねりがつきものだ。16日は閻魔様の日、17日は山神様が木の数を調べる日なので山入りをしない。20日が恵比寿講、23日が富士講、ヤエならずとも忙しかった。
「別に何か嫌なことがあったというのではないんだ、ただ庭の梅が咲くと家祈祷をしてもらいたくなるのが不思議だね、家の神様が声をかけなさるのだよ」
「今年は子が生まれるからケイサも祓ってもらった方がいい」
玄七とヤエの間で話がまとまったらしい。
「こうやってしみじみ見ると腹がふくらんできたな」
ミドリは笑って腹の上から赤ん坊をなでた。
「もう少したてば男か女か分るんだがね」
「腹が上向きになれば男だというぞ」
「いや顔がやさしくなれば女というよ」
二人は真面目に議論している、玄七ヤエの夫婦には子どもが授からなかった。
「家祈祷のことを教えておくれ」
「そうそう家祈祷さ、本龍寺のお上人に頼んでもいいが法印様の方が元気が出るような気がする、太鼓を鳴らして刀を抜いて舞うんだよ、お寺さんは般若心経を唱えてくれるだけだからさ」
景三郎は知らない、ミドリが教えてくれた。
「家祈祷は屋敷神様のお祓いだよ」
台所の荒神様、火の神様、水の神様、かまど神を祀ってもらう。
「家祈祷の後で法印様に酒を出して、ゆっくり話を聞いてもらったり教えてもらったりするんだ、これはお寺さんだとちっと具合が悪いこともある、一緒に祈祷してもらったらどうだろう」
「法印さんがいるのになんで大山石尊さんや御師さんがお札が届くのだろうね、法印さんも山伏だから全部やってくれればいいだろうにね」
「向き向きが違うのさ」
法印は口が軽くては務まらない、郷の隅々、家の隅々を知っていて、ああした方がいい、こうしたらどうかといつも考えている。だから心配事を話せば即答してくれ、それをご託宣だと郷の人々は信じる。名主や肝いりたちも頼りにしている。
法印は玉蔵院といって下山口に住んでいた。日ごろは野良仕事をして郷の人と変わらないのだが法印を務めるときには山伏の姿になる。その女房も白衣の巫女姿だ、二人ともかなりの年齢だろう。呪文を唱え剣と鈴を持って舞い、次に台所を浄めて祈祷が終わる。中には巫女に死者の口寄せを頼む家もある、安穏に極楽で過ごしているよ、そんな言葉を聞いて誰もがほっとするのだ。ふと戴陽老人を思い出したが『おいらの性分にあわねぇ』とそっぽを向かれそうだ。ヤエとミドリが酒と煮しめを並べた。
巫女のお婆さんはミドリに出産の心得を話し始めた。法印は茶碗一杯の酒を飲み干してなめらかにしゃべる。
「ちと世間がうるさくなって郷のことよりも天下のことを大事にするような男が増えてきました、もしかすると女もそうらしい」
さてどう受け止めようか、とまどった顔を見取って法印は笑った。
「ケイサさんのことではない、わしも天下は大事だ、天下は百姓が支えているのだから勝手に壊されてはたまらない」
法印が心配しているのは、勤皇の人たちが天下を取ると天朝様が世の中を直接支配するということらしい、今までのように幕府や諸藩や旗本と村役人が按配しながら年貢を納めることができなくなるのではないか。天照様のご子孫だから寺に対しては冷たくなろう、そんな心配らしい。
「百姓は田畑のことだけを構っていればよかった、けど今は田畑を打ち捨て天下のことをする者が尊ばれるようになった、農者天下之大本ではなくなってきたようじゃ」
景三郎がここに住んだことも静かな郷の生活に投じられた一石になっている、波紋は長柄から地域全体に広がっていく。
「幕府のお侍は相変わらず威張っているが、誇れるのは先祖だけで子孫たちは腰抜けだ。大老様でさえお城の門の外で首を取られた、事が起きれば右往左往するだけでまったく頼りにならない、といって天朝様がどなたなのかわしらは知らん」
景三郎も知らない。ともかく大きな変革が訪れることは予感できた。
「わしは八菅の修験だ、ほら阿夫利山の丑寅の山続きだ。京都聖護院を本山として大峰山で修業した、役行者の末の者だ。ここでも春秋に1ヶ月の間、お峰入りをする」
断食や勤行、山道を跳ぶように走り、新参者は断崖絶壁に吊るされる捨身の行がある。
「声が小さいと怒鳴りつけられて気を失う者もおる、修業は山ばかりではなく伊豆の海辺を一周するお遍路もあるんだ」
岩を踏み波をかぶる大変な道だという。
「御師が廻って講中の人たちを阿夫利山詣でに連れ出す修験もいる。不動明王を本尊とする真言の寺だよ。開山は良弁上人、金色の鷹にさらわれて成長し高僧となったのだそうだが生まれは相模の国だ。江戸の初めに山伏は寺から追い出されたので、仕方なく御師となって郷を回っているのさ」
「なぜ山にこもって修業するのですか」
「それは大昔からのこと、中華の道教でも仙人たちは山で修行して不思議な術を身につけた。我が国でも僧侶たちが山にこもって修業したものだ、比叡山、高野山。高く秀でた山の頂は仏の頭、盛り上がった山塊は不動明王の体、山そのものを神仏だとしたのだ」
不動の滝で身を清める八菅山伏、塩川の滝で身を清める大山山伏、早戸の滝で身を清める日向山伏と三つの集団があるという。
「それぞれ違う道を行くのさ、人のいない山中で出くわして何か間違いが起こってはならないからの」
山伏は金剛杖と短い刀で武装している、誇り高く強壮だ。
「そりゃ、わしだって先達になるくらいの験力は持っておる、ただ先達になると金が必要で毎年40両かかる、そのために稼ぐというのは面倒だからこうして郷に住んでいるのさ」
誰もが生きていくのに大変な思いをしている、しかしそれが尊いのだ、人が人として育っていく苦労なのだろう、どんな時代にもあったことだ。
「法印様つまりカウンセラーなのね」
「セラピストとかアドバイザーという役割もあったよ。祈祷という手法で興奮を鎮めて助言をするんだ」
「学校にもカウンセラーがいたけどただのオバさんだったな」
「信頼をよぶオーラと親しみやすさとは両立が難しいところだね。ただ山伏は格好で相手を威圧できるかな」
「馬子にも衣装っていうんでしょ。オジさんもお洒落を考えた方がいいですよ、女の人が寄ってきます」
山伏の姿で町は歩けない。
如月立春 節分 初午 田ノ神祀り
「中町の清助さんの家が屋根葺きだよ、手伝いに行ってやっておくれ」
「おっ餅投げがあるね、振舞い酒が飲めるよ、煮魚はメバルかね、赤飯も食えるよ、うれしいな」
「屋根講の人たちだ、いずれこの家もやってもらえるようちゃんと仕事をするんだよ」
節分にはヒイラギの小枝にイワシの頭を刺す、夜に豆をまく。神社に参拝する。囲炉裏の灰に大豆十二粒を並べて焦げ具合で日照り大雨を占う。
初午は稲荷講で正一位稲荷大明神と書かれた幡を上げる。子どもたちはキツネの化粧をして太鼓と笛で囃したて家々をめぐって菓子や赤飯をもらう。夜になるとソバや赤飯、煮しめやけんちん汁を持ち寄って盛大に宴会をする。お日待ちなので夜通し話し歌い笑うのだがミドリは顔だけ見せて大きなお腹をかかえてさっさ帰った。長く座っているのが辛いらしい。
「どうだな皆の衆 話はやめて 唄おじゃないか 唄できりょうが下がりゃせぬ」
乁 井戸の蛙とそしらばそしれ
花も散り込む月も見る
ケイサ門人だと名乗って若衆宿の歌自慢が美声を聞かせた、ケイサ顔負けだとやんやの喝采、ただ若い衆が浮かれて、頼山陽を吹聴するので少し困った。鼓舞されても浮かれて国事などに走らないようにしなければ。
「唄って回しなお次の番だよ ほらしっかりおやりよ」
次に景三郎が指名された。
乁 長崎見るなら 出島の夕げしき お髭のカピタン パイプくわえて
ぶらぶら ぶらりぶらりと 云うたもんだいちゅう
長崎ぶらぶら節という粋すじの歌だ。志士の歌と違いまったくの遊興の歌でこんなのを郷に持ち込むのも気がひけた。しかし郷の人たちは長崎の歌に異文化を感じているようだ。
乁 お念じょ猫のけつ 酒だる猿のけつ お念じょ寝ろよ 寝た子はかわ
い 川ん中のほおずき ほあずき堂の弟子はひっちゃもんで しゃらも
んであわせじゃ寒い 布子じゃどうよ
誰かがふざけ歌でおおいに座を笑わせている。
肥前屋に頼まれて送った公館への手紙の返事がようやく届いた。あちこちを回されて蕃書調所のころの仲間だった男がようやく大田景三郎の名を思いだしてくれた。今はフランス学舎の教授助手をしているので公館の書記
やフランス商人を紹介してくれるという。ぜひ会いたいし、できれば一緒に仕事をしたいと書かれていた。
手紙は名主が受け取り、年寄に渡されて百姓代の角左衛門が届けてくれた。これからの届け先をどう書いたらいいかと景三郎は思案した。
好日を選んでネギとナスを播いた。
フナゾイの小屋でもようやく春のきざしが感じられてきた、それよりも若衆たちの青春の気持ちが高揚している。
「角左衛門さんが言っていたよ」
多平が思案顔で皆に言う。
「高札でお触れが出たって、軍艦の水夫と火夫になりたい者は申し出よということだ。年は15から28才まで、おらは大丈夫だ」
元治元年8月10日の高札だ。浦名主は回状を受け取るとすぐ書き写して高札場に掲げる。回状は下男を走らせて一色へ渡す。受け取った日時を記録するので遅滞はできない、下山口、秋谷へと回していく。大時化で遭難した、難破船があった、そんなことがお触書で届けられる。また諸藩の御用船が通過するので何かの折には援助せよという命令もある。しかし、蒸気船の水手を募集するというのは初めてだ。
多平が郷を出たいと思っているのを源治は承知している。
「おらはダメだね、まだ12じゃあ」
すみの方から声がする。
「そうだともお前のような鼻水を垂らした火夫なんぞがおるものか。だけど多平よ、うまい話には用心しなければならないぞ、そうだケイサ先生に聞いてみるべぇ」
「おらも最初はそう思っただ、けど先生は赤ん坊で大忙しさ。それに前から長崎のこともフランスのこともあまり話したがらないだろう。だから、うっかり話して反対されたら一巻の終わりさ。まあ内緒にしていてろ」
弥生竹の秋 雛祭り 彼岸
「3月はひな祭りで白酒飲んでさ、お彼岸になればボタモチ食ったり、25日は天神様の日で宴会だ、いつお花見に行こうかね、ハマグリとトコブシを獲ってくるよ、イナダが上がっていたら刺身だぜ、アジだったら塩焼きさ、上人様は大好きだからな」
「味噌豆を煮るのが大仕事だよ、ゴボウとニンジンの種まきだ、苗代つくってサトイモ植えてインゲンとしょうがの種播いて、杉松の苗を植えて、茅も刈ってかなければならないの、今年はどこの家の屋根葺きだっけ、そうだ椿とかやの実の油シメもやっておこう」
ヤエがまくしたてるが二人とも喜んでいる。いくら忙しくても働いているのが好きなのだ。
「ミドリは今年の雛祭りをするのかい」
女子どもが桃畑でムシロの上に重箱と白酒を並べゆっくり過ごすのだ。
多平が顔を見せた。
「先生、秋谷の祭りに行くべぇ、おらが舟を出すから安心だよ。今年は虎踊りを浦賀から呼んでいるそうだ」
「おらも行きたいが無理だね」
ミドリが大きくなった腹をさする。
秋谷の淡島神社では雛祭りにみそぎといって人の形を切り抜いた紙を体にあててケガレを移し海に流す。この村はお祭りが大好きで3月に2度目の正月をして三日正月という。神輿を出し神賑わいに神楽を演じる。茶の湯や生花の師匠が村人に手ほどきしたり、下手な山水や故人の肖像画を描く絵描きがくる。
2人はわずかな木戸銭を払って虎踊りの小屋に入った。
「すごい顔だべ、赤い線は何ですか」
源治は初めて見るというが景三郎は浦賀で何度も見ている。
「あれは筋ぐまといってこの男がどれほど強いかを見せているんだ、和藤内という豪傑だよ」
「また妙なのが出てきたよ、あごの下が真っ黒なのはヒゲですかね」
大唐人という明国の大将だ、唐子踊りを命じると鉢巻をしめ派手な衣装を着た10人ばかりの子どもが踊りだす。
「おやおやかわいいな、あれみんな女の子ですね、あっ虎が出た」
つやつやした布地に黄色と黒の縞を描き虎の張り子が縫いつけてある。
「この頭には諸国八百万の神社のお札が貼り付けてあるそうだよ」
親子の虎が踊ったりじゃれたりする。
「これは虎の獅子舞をやっているんだね」
そこへ和藤内が現れて、ありがたいお札をつきつけると虎はすっかりおとなしくなる、これが虎退治。
「また会ったの、会うときはひっきりなしだ」
前に座っていた侍マゲの男が振り向くと布川勇四郎ののんびりした顔があった。
「おや師匠も祭り見物ですか」
「秋谷の祭に呼ばれてな、今日は俳句の師匠だ。一句百文で添削するが飽きてしまったからここに潜んでいるのさ。そうそう、拙者もいよいよこの地とお別れになったよ」
安政大地震で一番上の兄を失くしコロリで次兄が死んだ。長州征伐で三兄が負傷し外聞が悪いと職を退いた。とうとう四男の自分に家督が回ってきた。
「袴と裃でお役勤めだが何が出来るわけでもなし。寄合いの末座に座って左様ごもっともと言うだけだ、勝さんとか小栗殿の縦横無尽の活躍に喝采をおくるくらいかな」
「いつ江戸に出立ですか」
「相続の都合で早く早くと言われているが気が進まんので一日延ばしだ」
「師匠が行かないと困る人がたくさんいるのではないですか」
「まあ、そうなんだろうが面倒くさい」
勇四郎には早くも殿様気分が戻ってきたようだ。こういう人たちばかりなので幕府が優柔不断になるわけだ。
「お旗本の殿様らしくしてくださいね、第一に猫背はいけない、あごをぐっと上げて回りなぞ絶対に見ず真っ直ぐに歩く、ぶつかったら切り捨てるという怖い顔をしてください」
「こうでいいか」
「笑っちゃいけない、口はヘの字」
江戸の屋敷の場所を教えてくれて勇四郎は雑踏にまぎれていった。背を丸めてキョロキョロあちこちに目をやり早足で歩く、旗本らしさなどみじんもなかった。
岡田井蔵が訪ねてきた。
「春山さんから頼まれてきた、貴公のフランス語がおおいに役立っているようだな、どんどん翻訳を頼むという伝言だ、これはお礼だそうだ」
包みは赤ん坊の肌着にする柔かい布だった。
ミドリの夜なべに付きあっているとずいぶん翻訳がはかどる。
「辞書に出ていない言葉が多くて苦労する」
「俺も苦労の連続だよ」
中浜万次郎らの進言で幕府は小笠原諸島に関心を持った。ボニンアイランドと呼ばれて難破や脱走の水夫が住み着き商売をしている。諸国の捕鯨船が補給に立ち寄る。このままでは異国に取られてしまう、咸臨丸が調査と測量に行くことになった。艦長は肥田友五郎、測量方は松岡磐吉、機関方は岡田井蔵が命じられた。一時中止となったが再開されて今度は朝陽丸が航海する。
文久元年の時は外国奉行水野忠徳が咸臨丸で小笠原を航海した。艦長は小野友五郎、八丈島で暴風雨にあったので小笠原に直行し現地で漂流民のナザニール・セボリーなどと会見した。彼らは島に立ち寄る捕鯨船などに水と食料を売って暮らしていたのだ。同行予定の運搬船千秋丸は帆走船なので暴風雨を乗り切れず朝陽丸が代行したが、1日遅れて咸臨丸は出航した後だった。千秋丸は1月遅れで小笠原に着いた。
続いて朝陽丸が6月に伴鉄太郎を艦長として小笠原を目指して出航したが水手がハシカにかかって浦賀に1ヶ月滞在、8月に移民を載せて八丈島を出て10日余で父島に着いた。日本人が在住しないと領土として認められないからだ。
神奈川奉行所も多忙だ。横浜沖を警備する、朝陽丸と鵬翔丸に軍艦操練所から2名と水夫1名が昼夜交代でマストの上から見張りをする。あわせて奉行所役人2人と講武所砲術方1人が乗り組むバッテラ(洋式ボート)と和船5隻が港内を見回る。6月に鵬翔丸は咸臨丸と交代したが井蔵も休むひまがない。
イギリスから馬を運搬してきた船が行方不明になり朝陽丸が捜索に出るので蟠竜丸と交代する。いずれの船も操練所から人を出さなければ動かない、こんな仕事もたびたび入ってくる。
「谷田掘さんが目を光らせているのでグチも言えないや。この前は蟠竜丸で鹿児島に行ったよ、イギリス艦隊が薩摩を攻めるっていうのに幕閣はぼんやりしている。日本が外国に攻められるという一大事に幕府は何もしないのかと皆で騒ぎ立てたら、では行って来いだとさ。蟠竜丸は遅いからイギリス艦隊に追いつけなくてすごすご帰ってきたよ」
そして最後は景三郎が出仕してくれると皆が助かるのだが、子どもはまだ産まれないかというグチを残していった。
卯月 花祭り
「卯月八日だよ、ご馳走の準備だ」
「うれしいね、田の神様のおかげだよ」
「お釈迦様の花祭りにはお寺になにを持っていこうか」
「花より団子のお上人様だ」
相変わらず二人は調子のいい会話をしている。
玄七とヤエは浮き浮きしているが景三郎は寂しくなっている。ミドリは出産を前にして実家に帰っていた。
「どうしてご馳走なんだい」
「お山初めさ、山の神様が田んぼに下りてきて田作りを守ってくれるんだよ。おいでいただいた神様をおもてなしするんだ」
「あんたはおいしいものを食べるためなら何神様でもいいんだろう」
日林上人が顔を見せた。
「本当は花祭り、つまりお釈迦様の誕生された日なのだが田の神様には負けるようだな」
「お上人様、仙光院では仏様に甘茶をかけたり花で飾ったり大がかりにやっていますよ、こっちでもやりますか」
「甘茶は不要、辛茶なら生き仏がご成仏だ」
ミドリは実家に帰って出産の日を待っている。一日の仕事を終えて家に帰ればただ一人で寂しさが増すだけなので景三郎は下小路を訪ねていく。
「忙しかったな田植えの準備だ、ヤマイモ植えて、インゲン播いてきた」
景三郎をミドリはうれしそうに見ている。
「学問をする暇がなくて気の毒だね、でも玄七父さんは喜んでいたよ、仕事が半分になった来年は三分の一になるだろうってさ。実家ではこれから綿の種播きさ、高く売れるけど肥料と手間が大変なんよ、八十八夜になるから茶も摘んでおかなければ、梅の実も大きくなったがおらは手伝いができないからさ」
大きくふくらんでいるお腹を見せた。
「今年は酸っぱい物は欲しくないのかい」
「妙なものだね、あの時だけさ。今晩はホタル狩りに行かないかい、今年はもう出始めたって聞いたよ、行ってみよう」
「歩いても大丈夫なのかい」
「たくさん歩いた方がいいって言われているよ」
提灯を提げて川べりに行った。
「おらホタルが飛ぶと向こう側に誰かいるように思えてならねぇんだ」
「かきつばた生ふる沢べに飛ぶ蛍
かずこそまされ秋や近けむ」
「歌かい」
「源実朝卿の和歌だ、鎌倉にゆかりの」
「おら、もっと勉強しないといけないね」
幼馴染の佐十が訪ねてきた。誰だか分らないほど日に焼けて屈強な男になっている、しかし悩みがあるようだ。
「おらを覚えていなさるか、寺小屋で景三郎さんと一緒に海に流された佐十だ」
波の苦しさが胃にこみあげて今の平穏な自分がありがたく思えた。
「もう10年になろうかね」
「そうだよ、おらも忘れねぇ」
昔話をしているうちに佐十は少し元気になった。
父親と一緒に漁師をしていたが父親が藻舟で流されてしまった。葬式をすましたとたんに一切が怖くなった。人の生死、海と空、殺生、もう二度と漁師はできない。それではこの郷で暮らしていく方法がない。世間を広く知っている景三郎さんに相談するのが一番だ。
「浜高札に軍艦の水夫と火夫を募集するって書いてあったけど海が怖くてね」
それは景三郎も知っている、ようやくそれを乗り越えたのだから。
「横浜が開けたそうだから何かおらでもできる仕事はないだろうかね」
神奈川奉行所は若党や小者を求めているが海に乗り出す仕事ばかりだ。開港地には諸国の商人が入り込んでいて人は余るほどいる。
「来年には横須賀に製鉄所ができる、ここからなら毎日、山を越えて通える所だ。佐十には女房子どもがいるのかい」
「おります、子どもが2人、それはどんな仕事ですか」
景三郎もわからない、ただ本で読むと大きな機械を使って鉄をつくる、その鉄で船や機械を作る、おおがかりな工場のようだ。
「岡田井蔵や浦賀奉行所のみんなもそこで仕事をするだろう、俺も行くかもしれん」
「それはうれしいな、ぜひお願いします」
「ただ来年まではどうしようか」
「そこまで迷惑はかけませんや、おらだって舟着きや湊の仕事ができます。時々寄りますから良い知らせを待っています」
一杯だけ酒を飲み干して帰っていった。
「前に気になったのだけれど高札の説明をしてください」
幕府が民衆に直接、通達する方法だ。
「長柄には松久保、殿ヶ谷、大山、芳久保など11ヶ所の高札場があったそうだ」
「へえ、今の町内会の掲示板よりは少ないだけね、つまり皆が字を読んだということか」
高札はたくさん残されていて興味深い内容がたくさんある。助郷や年貢ばかりでなく、公方様薨去、将軍上洛、東征軍兵糧人馬賄、徳川慶喜追討令というような通達、正金金札引換掟から蚕紙取締もある。フランスの需要で蚕の卵を輸出する、それ儲けろと芥子粒で偽物を作った、それを禁止する通達だ。押し込み強盗に盗られた物の一覧、88才以上の者を取調べよというのは表彰するためらしい。仏蘭西英吉利全権朝廷建白というようなものまで伝えらている。
徳川内府征夷御委任大政返上将軍職辞退之両条 断然被為聞食候 仰葵丑以来未曾有之困難 先帝累年被為脳 (虫食い) 縉紳・武弁・堂上・地下無別 至当之公儀ヲ尽 至誠ヲ以以可致奉
丁卯 三職人体 有栖川宮
徳川家康が征夷大将軍に任じられて以来の大政を幕府がこのたび返上したことは承知のことと思う。慶応元年以来の未曾有の困難で前の天皇は大変お悩みになった。中略 公家も武家も農工商の者たちも公儀の仕法を守り、至誠の心で日々を暮らすようにせよ。
明治初年 政府総裁 議定 参与 有栖川宮
「こんなのも混じっていたよ」
孛仏両国交戦ニ付局外中立堅守令 今般孛漏生・仏蘭西両国交戦ニ及候趣付 於我皇国者局外中立之儀可堅執守旨被 仰出候ニ就 交易場者勿論海岸要区ニ於左条々相心得 不都合無之様可取計候事 (虫食い)
軍艦のこと 甲鉄艦 艦長 中島四郎
庚午7月 太政官
この度プロシャとフランスの両国が戦争を始めたので我が皇国は局外中立を堅く守ることにした。このために交易の場所や海岸の重要な場所について不都合のないように取り計らうようにせよ。 中略
軍艦のことは甲鉄艦艦長中島四郎
明治3年7月 太政官
「明治政府の布告ね」
「江戸時代と同じように名主のところへ廻送され書き写して印を押して次の名主に届けていたんだ」
「総裁とか太政官とか出していたのね」
「新聞もテレビもインターネットもない時代だが大政奉還とか普仏戦争とか日本中の人は知っていたということだ。なかなかのシステムだったね」
「天下統一というのはこんな面もあったのですね」
「ずいぶん丁寧な物言いになったね」
「教えてもらわなければ分からないということを実感します」
「それでこそ歴女です」
昨年の葬式も四十九日もひっそり行ったので、せめて1周忌だけは知る辺の人に来てもらい皆で故人を偲びたいと景三郎は思ったが日林上人は率直に言った。
「今はミドリが大事だ。郷の人たちも田植えの準備で忙しい。ここは騒ぎ立てないことにした方がいいだろう」
それで命日には本堂で日林上人のお経を神妙に拝聴するだけにした。
皐月 節句 産土詣り
ミドリのお産は軽かった。乳もたくさんでる、皆が心から祝ってくれた。角左衛門が見舞いに来てくれた。
「お七夜のお詣りをすれば産土神様が赤子を親の子だと知ってくれる、だが明日は雨じゃな、一日二日遅れても神様はお許しくださろう」
そしてヤエが抱いている赤ん坊を優しくのぞきこんだ。
「大事な子が風邪でもひいたらそれこそ一大事じゃからな」
景三郎は心配事を相談した。
「初孫の祝いは父方の祖父がするものだと聞いていますが」
「なに、誰でもいいことだ、わしがやるべぇ。赤子の名前を考えたかな、呼びやすい名がいいよ、舌がもつれるような難しい名では危急のときに手遅れになる」
「ケイサが決めておくれ」
「エマではどうでしょうか」
「絵馬かい、あまりこの辺りの百姓にはない名前だが、絵馬の絵はひだりうまと言って勢いがいいもんだ、母親似の元気者になりましょう、産土神詣での時に紙に名前を書いて持っていきなさいよ」
左側を向いて駆け出す馬の絵は諏訪社にも奉納されている。本当はエマニエルというフランスの少女の名だが景三郎は黙っている。
「ご馳走しようね、お寺さんと村役人さん、ご本家は…ないね。浦賀からも誰か来てほしいね」
ヤエがいそいそと言うと玄七が水をさした。
「急に呼ばれては迷惑だよ」
「ご馳走振る舞いだと言ったら、あんたならどんな遠くても行くべぇよ」
ヤエの憎まれ口は強烈だ。
「なんだ、まだ仕度もしておらんのか」
昼前、重い曇り空の中を岡田井蔵が家に入ってきた。
「お七夜の祝いだと聞いて暗いうちに家を出た、まず子どもを見せろ」
あわててミドリが出てきた。井蔵はニコニコ笑いながら赤ん坊に声をかけたり固く握った手に触ったりした。
「母子息災でめでたい、産土神に参ろう」
初めて孫を持った玄七が神社に走りヤエは台所をうろうろした。
久しぶりに景三郎が羽織袴に着替えたのでミドリはうっとりした。しかし自分も急いで肥前屋に祝われた着物に代えた。
「おいおい、親の祝いではないぞ」
井蔵が冷やかす、景三郎が先導して諏訪社に行くと法印がもう待っていた。
酒と米と塩が供えられている後ろに皆が神妙に座るとドンと太鼓が鳴る。祓い言葉は分からなかったが最後にこの産土に氏子を迎えてという言葉だけはっきり聞こえた。
「赤子の命名紙をご神前に」
「あっ忘れて…」
「俺の名前を使うといい、俺は四男だから画数4文字の井がついて井蔵だ。だから一蔵だ、イチ、呼びやすいだろう」
「貴公、知らなかったか、娘だよ」
「おやおや」
法印は大笑いして祝福してくれた。
「祝いが笑いで終わるのはめでたい、絵馬さんというのか、エマシ麦は笑みはじけて口にやさしい、食べ物に不自由しない生涯をおくりましょう」
角左衛門が続けた。
「百姓は苗半作だから種選びが大事だよ。見受けたところ種良しだから苗もよく育ち豊作まちがいなしじゃ」
美帷がまた待ったをかけた。
「何を言っているんだか分からない」
「これが農家の祝い言葉さ、麦はそのまま炊いても固いから前の晩に水につけておくと軟らかくなる、それがエマシ麦さ。稲はまず苗を育てて田に移し植える、良い種を選べば苗も実りがいいということだ。親二人とも出来がいいから子どもは立派に育つと祝ってくれたんだ。農業は天候や害虫などで出来不出来が大きい。予祝といって早くから豊作を祈願するんだよ。田遊びとか田楽は神様に稲作の手順を見てもらって豊作を保障してもらう予祝の行事なんだ」
「冬祭りが予祝で秋祭りが本祝なのね」
帰りがけに送ってきた景三郎に井蔵が小さな声で言った。
「子もできたことだし出仕してほしいのだ、異国人は横浜にあふれている攘夷は燃え上がっている、幕府も奉行所も大騒ぎだ」
世情が騒乱してきたのを恐れ浦賀奉行土方勝敬は幕府に願って郷兵を設置した。近在の大商人や豪農から献金を集めゲベール銃百丁を買い200名の兵士を募集した。
「なるほど」
「小栗忠順様と勝麟太郎さんは犬猿の仲だが二人が気をそろえなければ幕府は持たない。軍艦の方は勝さんが頭になって佐々倉さんや三郎助さんなど浦賀の者が取り仕切っている。いずれ榎本釜次郎も留学から帰るだろう。今、俺たちがいなければやっていけないんだよ」
「ミドリと約束した」
「薩摩はイギリスと組んだ、幕府はフランスと組もうとしている、だから貴公の…いま何と言った」
「子が俺を父ちゃんと呼ぶまでは一緒に暮らそうと約束した。いわば結納代わりだ」
「フランスではそんなことをするのか。勝さんも小栗様もフランス語のできる者を求めているのに」
「1月に横浜へ行ってフランス公館をのぞいて見たよ。盛んなものだ」
景三郎は肥前屋手代和助を横浜に連れていった話をした。和助はよく見、よく聞いた。
公館の事務官に細かい貿易額を聞き、フランス商人には母国の好みや展望を聞いた。もちろん仕入れ値と儲けをソロバンではじき出している。その手際の良さと判断力に景三郎は驚かされた。蒔絵や刀剣の金銀細工、陶磁器・木彫などの工芸品、絹織物や刺繍などの美しいもの、次の時までに見本を用意しますので必ずおつきあいくださいと願った。まことに商人は真剣勝負なのだと感じた。
「フランス人と付き合いが続いているのはありがたい。では、できるだけ早く赤ん坊に父ちゃんと呼ばせるよう育ててくれ、皆が待っている」
そう言い残して井蔵は帰って行った。
端午の節句にはヤエが菖蒲湯をわかした。
「女の子だったな」
景三郎がつぶやくのがミドリに聞こえた。
「男の子はこれからだと言っておくれ」
「あの時、ケイサはあわててクワをかついでとびだしただろう」
エマは乳を飲みながら寝てしまった、その顔をのぞきこみながらミドリが笑った。
「痛い苦しいって、俺はミドリが死ぬんじゃないかと驚いたんだ。でもトメさんは落ち着いてお茶づけなんか食べ始めた」
森戸のトメさんは赤子を取り上げるのが上手だと評判だ。景三郎は一目散に走って向かうに行ったのだ。
「潮時ってのがあって痛くなったからってすぐには産まれないそうだよ」
「女は偉いな、男にはできない」
景三郎は苦笑いして、自分のことなら覚悟ができると強がってみせた。
「当たり前さ、だから大事にしてもらわなくてはねぇ、でも日林上人にご祈祷してもらったので安心だったよ。鬼子母神様の絵姿を思いながら子を産んだんだ」
ミドリが安産の祈願と言った時、景三郎は嫌な気がした、大事な出産を神仏に頼ろうとするのはどうなのか、しかし最初の陣痛にあって慌てふためいた。
祈願の前に日林上人はこんな話をした。
我が宗祖日蓮は鬼子母神様を篤く信仰した、だからこの寺にもザクロの木があろう、絵像を拝む前に物語を聞かせよう。たしかにザクロはあるが酸っぱいしそれは人間の肉の味だなどと脅かされているのでさすがの悪童たちも手をださない。
「日蓮、ザクロ、鬼子母神様では三題噺のようですね」
「まあ聞きなさい、景三郎も江戸に出てから話をまぜっかえすようになったの」
鬼子母神、インドの名はハーリーティは人を食いたいという欲望を抑えられなかった。夫のパンチカは強く諌めていたが500人目の子が産まれた時、欲望は爆発して人間たちを貪り食った。釈迦は見かねて策を講じた。一番下の子を隠してしまったのだ。ハーリーティは驚き悲しみ狂乱して地の果て天界まで子どもを探したが見つからない。釈迦は子どもを返し、子への愛を諭した。ハーリーティは悔い改め安産と育児の護り手になったという。その絵像は美しい母の姿だった。
「母は恐ろしい鬼になることもあるのじゃ、ケイサも大事にしないと貪り食われるぞ」
日蓮上人の信仰もザクロのことも分らなかったがミドリは鬼子母神様を拝めば大丈夫だという心地になった。なのに景三郎は取り乱したのだ。
「エマも女だからいずれそうなるのかな」
赤ん坊は幸せな顔で眠っている。
景三郎はしみじみと赤ん坊をのぞきこんだ。ぐにゃぐにゃした塊といおうか、天と地とが混沌の中にようやく形をなしたものといおうか。それでも、しっかりとした意識でごく狭い範囲を見つめているようだ。前世ということまで感じさせる生命、景三郎は自分のことを考えている。自分にもどこかに両親がいる、それは子どもにはぐれた親だ、もし会えたらと考える、自分がこんなに幸せでいることを聞いてもらえればうれしい。
「女の子でよかったよ」
ミドリは赤ん坊に乳を含ませながらもう、ぐっすり寝ていた。
水無月
「水無月はいいな、田植えのサナブリ(農休み)で休みだよ、ゆっくり寝られるよ」
「麦と菜種の刈りいれが早そうだ、ソバを播いてな、サツマイモの植え付けも手間のかかるもんだ」
「そうだ川狩りだ、ウナギを獲ってくるべぇ。ミドリに食わしてやりな、精がつくよ」
「あんたは畑仕事は嫌いだがそういうのは好きだね、まあいいや、待っているだよ」
玄七が景三郎を誘った。長柄川に流れ込むいくつもの小川のよどみがウナギのすみかだ。網でも獲れるが玄七は釣るのが好きだった。
「小鮎も上るから逃がさないでくれよ」
「カニはどうしましょう」
「叩いて汁にしよう、うまいぞ」
ミドリは出産の後もそこにいる。とても景三郎では赤子の世話ができない。釣果を携えて訪れた。
赤ん坊は笑う練習をしていた。上を向いたり横を向いたり、口許をほころばせて何もなくても笑う。天井を見ながら笑うと何か通りすぎたのかと思ったりする。抱っこして寝かせる。ねんねん寝た子の…歌って言葉を刷り込んでいる。暗いところで抱かれるのは少し不安らしくて指をしっかり握ってくる。
「元気だよ、たくさんの人に可愛がられて果報な子だ」
ミドリの父のハチロエムが顔をほころばせている。
「孫は何人もおるが後になるほど可愛いの」
そういいながら頭をなでようとするとミドリがきっとした声で怒った。
「まだ頭が固まっていないのだからめったなことをしてはならねぇ、お祖父は孫を何人育てなさったのだよ」
日林上人も一緒だ、ウナギとカニが獲れたのでは行かないわけがない。
「赤ん坊は仏様の恵みじゃ」
「見ていると力が湧いてくるようです」
「さよう父母は赤ん坊で育つのさ、母は子に乳を与え喜びを得る、父は何を与えて何を得るのかな」
「喜びはもらっていますが与えるものはありせん、男は乳が出ないから」
「ではどうだろう、ケイサは筆が立つから赤子に育ちを残してやったらどうかな。書き物に残してやれば、それを読んで自分の育ちを知ることができる。稲やイモの作柄を書き記す篤農家もいるが赤ん坊の方がずっと楽しいだろう」
「なるほど日記とか日録とかですね」
「日々記すのは負担だ、気が向けばが一番気楽だ、日録に仰山な名などつけるものではない。『おぼえ』としておきなさい」
「えまのおぼえ、いい響きです」
美帷がすかさず口をはさむ。
「つまり子育ての喜びを子どもに知ってもらいたいという思いね」
「君は勘がいい、その通りだ、自分もそうだった、自分の子もそうだった、そんな気持ちで読んでください」
「長いと読みません、第一、オジさんは独身だから奥さんも子どももいないのでしょう」
「だから前略後略としておくよ、オジさんのことはおおきなお世話だ」
生後3ヶ月目
前略 父の顔を見てうれしげなり。愛想を顔中に表して何を求めるにや。抱っこが望みか、寝ておりしはけるか、見たいもの多々ありしか。小水出たれば快からぬゆえ早、むつきとりかえるべしなどと言葉によらず心を通わせるなり。後略
生後4ヶ月目
前略 横に抱けば手足とも我が胸の外に出ずる、げに体重く半刻ほども抱きおれば腕肩こわばることはなはだし。歯2本ほどのぞきて指など噛めばまことに痛し。いまだ生えざる奥歯も用いて噛もうとす。痛し痛しと嘆くのを面白がる様にて、時には噛むふりなどしてまことは舌で押し、あるときは油断をみすまして猛々しく噛むなど、げに大人を手玉になして遊ぶなり。指もて唇に触れ歯を押すなどすれば、大声を発し笑うなり。寝ぐずりと申すか、眠さわき起こりてもすぐには寝らず、暫時泣き、不機嫌につぶやき、あたかも眠ることを理不尽のように訴えて嫌がりける。
鏡に映りたる己に語りかけ手を伸し、また己を抱きたる者を誰か確かめてうれしげに笑みかくる。
本朝、薄き重湯を一口だけ飲む。後略
生後5ヶ月目
前略 夜具にて体を支え欲しきものを手にして嚙みたるなど、しばし一人で遊びしが、目の前の物を手に取らんとずり落ち倒れけり。おんぶでねんねということに慣れしゆえか横に抱いては眠らず、縦に抱くと顔を押しつけ眠る。一人で長くつぶやき続けし、また物の手触りに違いがあることを知りぬ。後略
生後6ヶ月目
前略 白き歯二本開けし口に輝けり、手にするものは何物をもまず口に入れ、硬きものは噛もうとす。口に茶碗をあてがえば噛む音カチカチと響く。人見知り激しく、知らぬ人に抱かれると激しく泣き、なべて男を怖がる様なり。ようやく寝かしつけれど四半時経てば起き上がり、あたりにいる者を見定め、笑うか泣くかしばし思案の様なり。後略
生後7ヶ月目
前略 窓の外の景色を愛でる。鳥の飛ぶを見、風にそよぐ葉を見て深き思いをなすやうに見えり。後略
生後8ヶ月目
前略 木片やワラ馬、アケビツルの端などわが物に思いしまいける。囲炉裏端に取り出し手遊びなどなす。一つずつ口に運び舌でしゃぶりては投げだし、また拾いてしげしげと見るなどの一人遊びをす。畑を耕すさま草を取るさまなど見て飽きず。心さみしくなれば声をかけて人を呼ぶ。玄七ヤエには機嫌よく笑いかけるが、上人があやすとすぐさま顔をそむける、頭に髪のなき故なるべし。囲炉裏を叩き、障子を打ち、伏せ椀を覆し、すべて音のするものを喜ぶ。目の動き手の動きす速くなり、持ちたるもの投げ出して新しき物を手に取る。後略
生後9ヶ月
前略 好みて東の窓につかまり立ち外を覗く。スズメやカラス、チョウチョなどに声をかけり、また風で木の葉が揺れたるを飽かず眺むる。今日は雨ゆえ山のタヌキはねんねだなどと母が語りかけると、うれしそうにうなずく。手で顔を隠しイナイナイバアと声をかけると自分も真似して片目だけを隠して笑えり。
生後10ヶ月目
前略 雲や鳥に呼びかける言葉はアーアーアーアなり。父と母に望みを求める言葉はダーダーバブバブなり。面白き事を見出した折はアッチャーチャーアッなり。空腹を訴える時はマーママーマ アンマなり。
生後11ヶ月目
前略 うれしき時、興にのる時、求めることかある時はアイアイと言う、玩具や食べ物などを求めるはマンマンママ、一人遊びにも何か話しおる。犬にはワンワンと呼びかけ、またネコもワンワンなり。ワンワンアッチャ、アッチャッチャなどと実に言葉をよく発す。
まことに先日の天女・菩薩が子猿のごとき腕白に変化しけり。
生後1年目
前略 持ちたるものを他者が取りなどすると大いに怒り、目丸く眉つり上がりきっとにらむ。機嫌よく持ち物を差しいだすゆえ、ありがたしと礼を言って手に取ればすぐに引っ込めるなど父母にいたずらをする。目の奥に笑いを潜め口をあいまいに開きて、心中の思うこときわめて明瞭なり。
フナゾイの樹陰におれば爽風吹き抜け、流れにカモ泳ぎ白サギ立ち、カワセミ輝き飛びぬけ目を奪い至福のときを過ごせり。
「中島三郎助様から伝言だよ、ケイサと話したい事があるって」
ミドリも覚悟していたことだ。絵馬は片言を話し始めるのが少し遅かったが、今は立派に「タータン」と言う。ミドリは楽しかったよ有難うと涙ぐんだ。
「でも約束はもう一つだよ、いつでも気持ちは一緒にね」
景三郎は浦賀を訪れた。まず肥前屋に寄って様子を聞いた。和助は独学で英語会話を練習していた。絹糸や織物の問屋とも話を進めていた。
「日本の糸は弱いって言われて困ります。なんとか強くする方法はありませんか」
「日本は手で糸を紡ぐがフランスでは機械を使うと聞いていますが」
「その機械を買えますか、買ったら取り扱いの説明を翻訳してください」
どこまでも商売に意欲的だ。
中島三郎助はぜんそくで自宅に戻っていた。やはり出仕の話だ、勝さんの頼みだ、最初にそう言った。
元治2年、幕府は横浜にフランス語伝習所を設置し箱館の元宣教師カションを教授方に任じた。推薦したのは箱館奉行の竹内下野守と小栗の盟友栗本瀬兵衛だ。エコール・ド・ジャパネ・フランセをカションは学所と
名づけた。しかし英米人はその話を聞くと猛反対した。
4月1日の開校には横浜の大田村にある陣屋を仮校舎として36人の生徒が集まった。武士も商人も百姓もいる、生徒たちの服装も羽織にズボン、つめえりシャツにフロックコート、チョンマゲや散切り、下駄や革靴、ブーツを履いたり様々だった。カションは1人で教えるつもりだったが手が回らず箱館奉行所で親しくした塩田三郎を助手にした。半年後の10月に第二期生を迎えることになり居留地の馬場の隣に新校舎を建てた。ビュラン、ブーブ、ブラン、ルテリェという4人のフランス人が教授になった。
それにしても人が足りない。カションから小栗、竹内下野守を経由して勝麟太郎に話があり中島三郎助が景三郎を引っ張り出すことになった、竹内は訪欧使節正使だったので景三郎のことはよく知っている、そんなことを三郎助は語った。
少しも早く決心してくれと頼まれた。気持ちを整理できないまま家に戻った。
「ここにいたか、遣欧以来だ」
ばたばたと訪ねてきたのは福地源一郎だった。
「3年も休んでいたのか、うらやましいことだ、なに妻と子と約束してだと、惚れられたのでは仕方ない、何をしておった?百姓を!唄を教えていたと、さすが景三郎だ、けれどまるで隠居だな」
福地はその後、フランスに行き、帰ってきてまたフランス行きの話がある。その打ち合わせのために公館に来た。なにしろ幕府の御用だから道中奉行が宿場に伝達して宿役人が紋付袴で出迎える。
「俺がこのかっこうで供も荷物もなくブラブブラ歩いていったから役人は見逃したのさ。行き過ぎて戸塚近くで神奈川宿に泊まるうように言われたのを思い出したから引き返した。手近な宿で名乗ったらさあ大変、宿役人が走ってきて真っ青になって土下座した。それから何度も何度も詫び言だ。知らなかったよ、御用で行くと宿賃も馬も人足も無賃なんだな、役人が威張るわけだよ」
相変わらずの意気のよさだ。
「まったく幕府の役人どもはボンクラだ。神奈川奉行組頭の脇屋卯三郎も気の毒なことをしたな。長州征伐の時に知人に送った手紙のなかに公方様をないがしろにする言葉があると咎められて切腹させられてしまったよ。名君賢相が出てなんとか始末してほしいと書いただけなのさ、誰もそう思っているのにな。封建などやめてさっさと共和国にしてしまえばいいさ。ただ江戸の繁華は大切だよ、イモやナツミカンどもの知らない世界だ」
これから浦賀の中島さんのところに寄ってから船で帰るという。
「もう一泊、宿屋で窮屈な思いをするのは嫌だからさ。君もいつまで隠居をしているんだ、俺のフランス行きだって君の仕事だったのかもしれないぞ。日本中にフランス語遣いが何人いると思っているんだ、小栗さんはフランスを後ろ盾にしようと躍起だ。フランスもイギリスに負けまいと幕閣にアメをしゃぶらせて引きつけようとしている。ただ間違えるな、両国ともにオオカミだよ、転んだら食おうとしている。君なぞが活躍しなければ日本は危ないぞ。といっても幕府のことではない、新しい国のことさ」
「君は幕府に縁が薄いからな」
「そうだとも俺は長崎の医者の息子だから幕府の世話にはなっていない、ただヨーロッパに行かせてくれるだけが恩だよ、もっともそれだけの働きはしているがね。福沢なんかはもっと過激だ、封建制度は親の敵だなんてはばかりなく言っている。それにしても西国の武士たちは今だに関が原の恨みなどと言うか恐れ入るよ」
とうとう出仕することに決めた。郷の人たちには何も言わない、角左衛門も何も聞かず言わず、庚申講でも甲子講でも話題にしなかった。ただ若衆たちは別れを惜しんだ。何をするのか、いつ帰るのか何度も聞いては喪失感を和らげようとしていた。年下の子どもたちは姉や妹とミドリの家に集まって子守をしてやると約束した。
日林上人は世間を知っているのでこんなことを言った。
「江戸では異国の公館を寺に置いていた。大勢の人を泊められるからだが、本来、寺というのはそういう場所なんだ。仏様はインドの人だし寺は唐土から伝来した。坊主というのも髪を剃り異装をする、いわば異国人だ。この先もわしは寺を開いた場所にしていこうと思っている」
景三郎は横須賀製鉄所で仕事をすることを考えていた。翻訳とフランス人の世話をすのだろう。ミドリが一緒に来てくれることに期待したが、おらは百姓しながら子どもを育てるよと断られた。山を越えれば一里も歩けばそこに着く、しかし郷の暮らしに馴染んだ今では未知の世界に思えた。
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