長江川の河口、森戸の磯に小早船をつないだ安房上総の里見海賊の水手たちが雨を見ている。小正月がすぎてすぐの朝だ。小早が一隻と10人ばかり水手の乗る小舟が2隻、総勢50人ばかりの水手たちが神社の境内の仮小屋にひしめいている。惣兵衛は暗いうちに呼び出されていた。
「おお惣兵衛殿、よく来てくれた。俺は富浦のシャチだ」
ふてぶてしい顔が海の虎と怖れられるシャチそのものだ。
「名乗るまでもない見知った仲だ。いつ湊を出た」
「一昨日の朝、風はよかったが下田の衆にとがめられ手間取った」
「なんと早雲の水軍衆は三崎を回りこんでいたのか」
「おお小早が3隻、野島の沖で目ざとく見つけられて追いかけてきた。城ヶ島の内側に逃げ込んだら戻っていった。小田原の城は乗っ取られたそうだな。その早雲というのはどんなやつか」
「その前にわしを訪ねてきたわけを言え。新年の挨拶に餅でも届けに来たか」
惣兵衛はなぜ里見海賊がやってきたのか不審だった。
「おぬしが八丈島から帰ったと聞いて急いでやってきたのさ。伊豆の島はどうなっている。三浦と伊豆の海賊衆が何を始めたのだ。新井城の道寸はまだ持ちこたえているのか」
「なるほど小弓公方足利義明殿の差配だな」
「いやいや里見実尭殿だ。公方を奉じて関東を望んでいるのさ」
古河に追われた公方足利成氏は息子義明を千葉の小弓に置き、里見一族に頼って巻き返しを図っている。里見実尭は三浦道寸の籠城を好機として二つの半島を支配しようとしている。
「話が長くなろう、水手は飲みたそうだぞ」
惣兵衛が気づかうと水手たちは歓声をあげた。夜通し舟を漕いできたのだ。
惣兵衛は呼び出しとともに酒と肴を手配し、その荷物がもう届いている。運んできた水手も一緒になって飲み始める。
惣兵衛と富浦のシャチは奥の部屋に入って内緒話を始めた。水手たちは頭目が見えなくなったのでおおいにくつろいで飲み始めた。
「この酒は誰の酒だ、なかなかいい酒だ」
長江の郷では御霊社の小屋で酒を醸(かも)す。女たちが交代で麹(こうじ)を仕込んで酒を作るのだが、やはり作り手によって巧拙がある。麹も鎌倉から買ってくるのだが季節によって酒の味が変わる。
「おお甘いぞ、前のは渋かったな」
「あの時のは歯欠け婆でも作ったのだろう、美人が作った酒はうまいや」
すぐに海賊話になる。
「あのときの弥蔵の顔はおかしかった」
「まったく、あれは笑い話だな」
「妙な人助けだった」
仲間十人で語らって舟を出した。このところ相模の六浦の景気がいいようだから海賊稼ぎをしよう、夜通し舟をこいで未明に浜に上がって分捕りをする、そんな手はずだ。ところが向かい風が強く舟は遅れ太陽が出てしまった。せっかくここまで来たのに手ぶらでは帰れない。磯を見ると娘が二人、藻を採っている。あれを土産にしようと捕まえた。
「ところがどうした、泣き叫ぶ娘を舟に乗せると俺の顔を見て、あっ弥蔵のおじさん、助けに来てくれたのかいと娘が言うんだ」
3年前に安房の岩井で分捕られた娘だ。もう一人は相模の本牧(ほんもく)で捕まってつれてこられた娘だった。
里見の衆は海賊働きをする。夜になると一、二隻から、多いときは十隻二十隻で押しかけて浜辺の郷を荒らしまわる。火を放ち、女・子どもを生け捕りにして連れ去る。安房上総の者は「半手」という年貢を海賊衆に差し出して害を防ぐのだが、相模では地元の戦乱でそれどころではなかった。
「ところがそっちの娘は帰るのが嫌だという。こちらで夫を持って子どももいる、暮らしも豊かだし父母も大事にしてくれる、本牧に帰っても貧しい暮らしだ、良いことなんかまるでない、そう泣くんだ」
岩井の娘も同情して泣き始めた。そのうちに六浦でも気づいて舟が出てくる、これが滅法速い舟で、みるみる迫ってくる、追いつかれたら大変だ。
「お前は泳げるかと聞いたら本牧育ちでイルカ同然という。よし返してやる、あの舟に向かって泳いでいけ、ただお願いしたいのは舟にあがるときにわざとモタモタして俺たちが逃げる間をかせいでくれ。あい分かりましたとドボンさ、俺たちも助かったよ」
「岩井の娘はどうした」
「家に帰って幸せに暮らしている。お礼に酒を一升もらったか、それで終わりだ」
「海賊稼ぎはもうからんな」
「まったくだよ」
大笑いになった。
道寸も早雲も水軍と呼んだが里見は海賊という名にこだわっている。同じ仕事をする水手たちなのだが、水軍というと陸の大将に従っている気分になる、海賊なら頭目の指図を受ける気分だ。しかし、何といっても海の仲間だから敵味方に分かれて戦っても、それが終わればなんのわだかまりもなくつきあっている。もっとも海賊稼ぎのときだけは獲物を求めて牙をむきだす。
「俺たち里見海賊は強いぞ。昔、鎌倉将軍だって戦さに負けて舟で安房に逃げ渡ってきたのだからな」
ひときわ筋骨たくましい若者が言う。
「その折の水手がわれらのご先祖様だ。三浦の海賊は天下一と褒められたそうだが、近頃は衰えたものだよ。どうせすぐに戦いが始まるのだから、その前に伊豆の衆に一泡ふかせてやろうか」
「分捕りか」
「伊豆大島を目指して漕ぎ出して、日暮れともに稲取に押し入って海賊稼ぎだ、」
富浦のシャチがのっそりと顔を出した。
「今日はもう帰るぞ、すぐにお知らせしなければならないことがたくさんある。たぶん新井城の沖で早雲の水軍に会うだろう、一泡吹かせてやろう。長江の衆が城に届けたい物があるそうだ。それをしっかり警固して、敵の舟を一隻でも焼き沈めて早雲に我が名を覚えさせてくれよう。道寸殿に良い土産だ。昼前には舟出する。心置きなく酒を飲め」
「よし踊ろう、太鼓叩け、笛吹け、棒踊り、それそれ手拍子じゃ」
若者に怒鳴られて長江の水手があわてて手拍子を打った。たちまち3人5人と立ち上がって椀や土器をさし上げて踊り始めた。笛が鳴り太鼓の単調な囃子が響く。十人二十人がひしめき合い足を踏み鳴らして輪になって踊る。
「おうおうおうさ、おうおうおうさ」
単純な掛け声を拍子に手を振り腰を回してぐるぐる回る。酒に未練があって飲み続けている者をなぐりつけ、うたたねしている者を蹴飛ばして踊り続ける。シャチと惣兵衛は真ん中に座って心地よげに酒を含んでいる。
「さあ時分になった、風もよし、船を出すぞ」
シャチが叫ぶと水手たちは後ろも見ずバラバラと舟に走ると、もう支度ができている。さっきまでの酒宴はうそのようだ。舵取りがお舟歌を歌い始め、3隻はすべるように海を進んでいく。
あわてて八丈島の年貢を積んだ惣兵衛たちの舟が漕ぎ出し後を追っていった。この上なく強い護衛を得て年貢は無事に道寸のもとに届いた。
三崎十人衆は道寸の軍船をそれぞれ預けられていた。しかし新井城の救援に気を取られて島のことに手がだせなかった。今、惣兵衛が里見衆と船を連ね、城に年貢を届けた話を聞き急に欲がでた。すぐに水軍を送り島を早雲の手から取り戻そう、しかし惣兵衛は反対した。
「今、早雲殿は水軍を下田に集めている。島は取り戻せましょう。しかし、それもいっときのことだけだ」
「道寸殿にご恩顧がある」
「今なら島を取れる」
茂爺も反対した。
「思わしくない。風波の憂いはなさそうだが人の影は薄く揺らいでいる」
「占いにそう出ているというのか」
「人の影とはいったい誰のことだ。道寸様か、それとも弥三郎か」
茂爺は答えなかったが不安を越えた絶望のような表情をした。
「島はあきらめなされ、早雲はよく民を育てる大将だ」
十人衆は憤然とした。菊名の水手頭の子、松原左門が叫んだ。
「国も切取り、島も切取りの世の中だ。聞けば備中の三宅という大将が琉球国を盗ろうと軍船12隻を出したそうだ。ところが薩摩の沖で島津に攻められ討ち死にした、たぶん島津は琉球を取るだろう。先んずるが人を制す、早雲と同じ手口だ」
海の衆は遠方の出来事をよく知っている。船から船へ伝えられるのだ。
三崎の水手頭をしている永嶋一族の船頭作蔵が話を続けた。
「あれは道寸殿が住吉城に逃げ込んだ翌年のことらしい。朝鮮の南に釜山、蔚山、薺浦あわせて三浦の湊がある。そこを西国の海賊衆が攻め込んだ。対馬も応援して、都合4500の軍勢だ。しかし反撃され和睦となった」
「利はなんだ」
「綿だ、これは儲かる。明の銅銭もある」
以後は日本の交易船は25隻だけと決まったが承知できない。海賊衆は倭寇となった。
すぐに触れが出て三崎の湊に近郷の水手が集められた。三崎の船頭作蔵が八丈島渡海の話を切り出した。八丈と聞いたとたんに市蔵という水手が大声で叫んだ。
「勘弁してくれ、俺は二度と島の土を踏めないんだ」
何度も話を聞いている仲間は泣き言がまた始まったと苦笑した。
「俺は島で子どもを死なせてしまってな」
3回目の島行きの船に水手として乗った。往路は順風だったが帰りは難渋した。空が良く晴れているのに風だけがめっぽう強い。北東の風なのでうっかり船を出したらどこに流されるか分からない。風待ちすること十日におよんだ。
「婿入りした家に3才の女の子がいたんだ。なぜか俺になついて離れない。あんな楽しかった日はなかったよ」
目がうるうるになっている。
「女の子の母親になついたんじゃないかい」
誰かがいつもの通りの突っ込みをいれた。
「いや、あの時は特別だ。たぶん父親との縁があったんだろうな」
父親は誰とも聞かないが、たぶん4年前に風待ちした水手なのだろう。
「朝から夕まで一緒に遊んだよ。疲れると抱っこしているうちに眠ってしまう。起きると遊ぼうとせがむ、夜もしがみついて眠っている、一家の者もあきれかえったよ」
ある日、悲劇が起きた。弁当代わりの雑炊を持って山に登った。追いかけっこ、かくれんぼ、散々遊んで昼飯を食べるのが遅くなった。少し味が悪くなっていたが空腹に負けた。その晩、二人とも下痢をした。翌晩には子どもは冷たくなっていた。
「食わなければよかったんだ、みんな俺のせいなんだよ、きっと俺は地獄に落ちるよ」
郷でもそうだが死んだ子どもには冷淡だ。「山に穴を掘って投げ込もうとするのを必死に頼んで火葬にしてもらった。小さな骨を大事に埋めた。それしかできなかったんだ」
もう大泣きになった。
「あの子が眠っている土地を踏んでは歩けない。山を見ても浜を見ても思い出すことばかりだ。俺は島には行けないよ」
市蔵は腕利きの水手だ、嵐に向かってもひるむことがない。迷い鯨を追い詰めて、暴れ狂う大鯨にモリを打ち込むことなど平気だ。その男が泣いている。
「因縁だね」
「前世に何かあったんだ」
僧侶の読経や説教よりも市蔵の嘆きは荒くれ男たちの心をうつ。
鎌倉に幕府があったころ三浦水軍は屈強だった。しかし蒙古襲来の折には舷側の高い敵船に乗り移ることができず、多くの侍たちを死なせ水手も帰ってこなかった。戦後すぐに蒙古水軍にならった大型船を造り四十丁櫓の関船を誇った。しかし大船はやがて朽ち果ててしまい、十五丁櫓の小早舟と八丁櫓の小舟が主力となった。魚を獲ったり、荷船と交易したり、迷い鯨を捕らえたりすることもあった。戦乱が激しくなると奇襲や夜襲が日常化し、海の戦さも小回りのきく小早船が使いやすかった。しかし、今では三浦の水手衆は兄弟分の里見海賊衆とは違って、磯を漕ぐ漁師と変わりなかった。
早雲にはなんの油断もなかった。道寸を新井城に押し込めると同時に伊豆と駿河の水軍を下田に集めた。早雲は伊勢氏という名を誇示して伊勢水軍の助力を得た。歴戦の小早船が二隻、下田にきて水手たちに猛訓練を行った。新井城で笠駆けが披露されたときに現れた水軍はその一部だった。
早雲は準備ができると伊豆の島々を攻め取っていった。道寸と交わした島を分割するという約束は反古になった。大島だけが少しの抵抗をしたが戦いなれた武者たちの相手にはならない、三宅島までがあっというまに支配された。水軍の真の敵は風と波、そして八丈島の前を流れる黒瀬川だった。ようやく明応7年に奪った八丈島もすぐに道寸に取り返されてしまった。早雲は八丈島の騒乱を早雲は苦々しく見つめていたが時季を待った。
「こんなこともあったな」
菊名の小早船の舵取りの男が話し出す。
真鶴の岩に乗り上げて陶器や瓦を運んできた伊勢船が難破した。
真っ先に熱海の舟が見つけた。すぐにノロシが上がり小田原の舟が漕ぎ出した。相模と三崎の舟も乗り出していった。
「伊勢船は大きいので熱海の舟では手に余った。おまけに弓の上手が乗っていて近づけない、小田原に届けるのだと言う。すると小田原舟が俺たちのお館様だから警固しようという、しかし伊勢船は誰も近づけようとしない。寄り舟寄り荷は湊の物という定めだから鶴岡八幡宮に寄進しろと相模の衆はいう、三崎の衆は伊勢早雲は敵だから取り放題だ叫ぶ、大騒ぎだ」
「それでどうなった」
「仕方なく真鶴の磯に上がって評定したよ。伊勢の弓手は近くで見ると恐ろしい大坊主だ。長い刀に手を当ててにらみつける。小田原の衆も熊野や伊勢の海賊が頭になっていて屈強だ。熱海の衆は縮こまっている。早馬の知らせで小田原から侍衆が馬をとばしてくる。このままでは俺たちが分捕られてしまう、怖くなって一目散に逃げてきたよ」
「後ろ盾の道寸様もあの様子だ。これは一番、考えものだ、小田原方につくのが得ではないかの」
三崎十人衆を束ねているのは三崎の永嶋、菊名の松原、野島の伊東という一族だった。いずれ下田の水軍と戦うことになろうが、今は里見と通じていた方が安心だ、そう決めていた。特に野島は走水の難所を越えずにすむので安房から半日で到達する、いつも海賊の脅威にさらされている。各湊から小早船を一隻ずつ出して渡海をすることに決まったが、野島は里見の不安を言い立て船を出さなかった。それで2隻の小早船が三崎の船頭作蔵と菊名の次郎に率いられ50人ばかりの水手を乗せて湊を出て行った。
4月11日、三崎の船が湊に入ろうとすると偶然、下田の船も入ってきた。翌日、すぐに戦いとなり三崎方2人、下田方1人が討ち死にした。水手たちは船と小さな砦を守ってにらみあった。5月に入ると朝比奈円明が下田の軍船11隻を連ねてやってきた。もはや勝敗は目に見えている、戦うことなく早雲側は年貢を受け取った。
円明は別れの宴を開き朝比奈弥三郎を招いて誘った。
「同姓のよしみだ、早雲殿に仕えないか」
新井城が落ちそうなことは知っている。道寸の恩顧は忘れないが、今後のことを思うと弥三郎は不安だった。
「島のことをよく知っている、島人も慕っている、貴公こそ代官役にふさわしい。わしも老人だ、もう船には乗れまい。早雲様の書き付けをもらっている。一度お目通りして家来にしてもらうのがよかろう。三崎水軍も里見海賊もすぐに恭順するだろう」
朝比奈弥三郎は同意し船頭の彦次郎とともに円明の船に乗った。そして二人は下田に着くと同時に首を切られた。
弥三郎の死んだあと中之郷では奇病がはやり、大人は歯が抜け、子どもは失明し耳が聞こえなくなって死んでいったという。それは無念を残した弥三郎の祟りだと郷人は言う。
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