モリトというのは御陵に仕えて日々の祀りを行い聖地を清らかに保つことを仕事とする、そういう人々が小さな集落をつくっていた。それは昔のこと、御陵は忘れられ、人々は離散し名だけが残った。モリトという名を他郷の人たちは森の戸口だと思った。山が間近にのしかかっている。そして海から来る人々にとってもそこは戸口だった。手をつないでいだような岩礁に波が砕け、その先には白い砂浜、茫々とした葦原に海鳥たちが鳴き交わして松林が根づくしっかりした陸地に続いていく。今はそこに源頼朝が三島明神を祀った神社がある。
神社のある森は昔から閉ざされた土地で人が入ることを禁じている。言伝えのある土地というのは気味が悪い。神社とほどよい距離を保って小さな館があった。三浦一族の六郎重行が社戸(もりと)の姓を名乗り建てた館だ。川が湾曲して渡渉の浅瀬となっている場所で、東側の小川も掘り下げて水をたたえ掘割にした。数人の人と一頭の馬を乗せるくらいの舟を何隻か繫ぐことができる。海を越えて来た大きな船は長柄川の川口に繋いだ。館は小坪の住吉城、田越の鐙摺城とともに鎌倉から三浦に至る道を守った。
堀に囲まれたは堀内と呼ばれ、川と堀と長くのびる山に抱かれて人々は平穏な朝と夜を迎えることができた。鐙摺の領主、大多和義久も守りが固められることに喜んで自分が領する長江の郷から少しの土地を譲った。その土地は堀の外であったが同じように堀内と呼ばれた。
絶え間なく潮風を送ってくる相模の海と高くそびえる富士の峰、丹沢、箱根、伊豆の連山を見晴るかす景勝の館で武士たちは宴会を開いた
夜来の風が最後の紅葉を散り落として白菊の花も力なく地に伏せている。今日は晴憲、康元、以長の三人が昼に訪ねてきて和田合戦のことを聞きたいという、風早三郎はこの数日、そのことばかり考えていた。話したいことは山のようにある、しかし老人の繰言にはしたくない。はたして出来事を順序正しく話せるだろうか、三郎はそわそわしていた。小屋を掃除し茶と茶うけの用意をして、自分も身ぎれいにしようした。水おけに顔を映すと髪もヒゲもすっかり白くなった自分がいる。ふとお館様、和田義盛のヒゲを剃った朝のことを思い出した。夏の頃、季節も自分も若く盛んだった日々のことだ。
鎌倉武士はあごヒゲを剃らない。刃物を首に当てられるのが嫌だからだろう。しかし、戦場にあっても武士は身だしなみを整える、今日、首を取られても恥ずかしくないように、そんな心がけだ。その朝もお館様のヒゲを剃りながら、すっかり白くなってきた髪を冗談の種にしていた。
「毎日暑いのでお館は身近に雪や霜を降らせて涼んでおりますね」
「なんだ、わしの白髪のことか」
「いいご風情です、心あてに折らばや折らん白菊、師走の霜の白さにまどわされる」
三郎は軽く節をつけて口ずさむ、元服してそれほど間のない頃だった。
「馬鹿め、まだ文月だ霜月ではない、白菊などどこにある。そうだ今日は長江に糧(かて)を届ける日だ。文月には花を届けよう、あれは花が好きだ。もうハマユウの花が咲いておろう。三郎、行ってこい」
和田の郷から長江までは舟を漕いで半日の所だ。
ハマユウは香りが良く艶やかで気品のある花だ、すっと背を伸ばした姿が文月と呼ばれているお方様によく似あっている。お方様は以前は巴御前と呼ばれていたが今はひっそりと長江の郷で暮らしている。その日のお館様は少しうきうきしている、来てくれる日を待ちこがれていると伝言するようにつけ加えた上、俺が出立するのを見送ってくれた。途中で舟を天神島につけてハマユウの花をいくつも折り取り酒や米袋の間にしまった。
お館様がお方様と出会ったのは戦場だった。行軍の途中で粟津の松原に寄り、そこで討ち死にした木曽義仲の跡を弔っていると木陰から老人がすっと現れた。殺気こそなかったが動きも目配りも武者のものだ。導かれて松林に入っていくと茅屋があった。
「和田義盛殿とお見受けした。私は木曾殿に仕えた葉武者の一人です。この女人は義仲様のご側室巴様、子を宿しておられる、産み月近い。もはや老骨役に立たず、お預かりくだされ、以後は魂魄(こんぱく)となってお守りいたします」
そう言い終わると喉を突いて自害してしまった。義盛は女人を助け起こし、郎党に命じて鎌倉に送らせた。巴は北国生まれで色白く髪長い麗人だが小さい時から弓を引き馬を御して戦う戦士でもあった。兄の今井兼平と樋口次郎とともに勇名を馳せた。義盛は巴を妻に望んだ。その妻ごいの時、こう話しかけたそうだ。
藤原俊成卿の歌に
巴川そのみなかみをたずぬれば
すきの雫(しずく)はぎのした露
その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征した時、三河の国で三つの川が激しく渦巻き一つに合わさっていく景色を見て巴川と名づけたという。
「戦場でのそなたの姿は巴川の激流のようだった。しかし今、下の句のごとく優しくたおやかなそなたの姿を見た。巴は八幡宮の神紋ゆえ、そう呼ぶのははばかり多いだろう。秋の七草の優しさゆえ文月の方とお呼びしたいがいかがだろうか。
巴も幼いころから武者の間に暮らしてきたので、眼前の殿が戦場では比類ない勇士、威あって猛からずとその人柄を見極めた。
鎌倉に戻って義盛は頼朝に妻としてくだされたいと願った時に頼朝は謹厳な顔で言ったという。
「強い妻こそ夫を立てる。名を遂げさせよ」
居並ぶ御家人たちは御台所の政子様を思ってどっと笑った。頼朝様もニッと笑って盃を口にした。こういう時には主も従も心から笑いあって一体となる、皆はそれがうれしい。
鎌倉は騒がしい町だ。密集する人の住まいからは虚実のうわさがあふれだしてくる。水も空気も汚れ、大量の塵芥が川原や砂浜にあふれている。義盛は長江義景に願い母の郷に巴を預けた。義盛の母は長江義景の妹だ、そこで巴はひっそりと子を産んだ。
後で伝わってきた話だが、頼朝は木曾の子など殺してしまえと命じたそうだ。しかし政子が強く反対した。母親にとって子どもがいかに大切であるか、子どもは生まれたばかりは善の性だが育てようで良くも悪しくもなる。あの二人が育てれば立派な武者となるに違いない。それを殺せなどと命じたら人望を失いますよと。頼朝様はその剣幕に怖れて義盛の願いを入れたのだそうだ。そういえば義経と静御前のお子も助けようとなさった、政子様は慈悲深い方なのだ。
巴のことが披露されると並み居る武者たちは喜んだりうらやましがったりした。しかし、頼朝にも増して皮肉で疑い深い梶原景時は言った。
「思いもかけぬ縁で和田殿はいよいよ子孫ご繁栄、親も子も豪傑ぞろい、めでたい」
この言葉にはトゲがあった。木曾義仲と巴の子ならきっと武勇にすぐれていよう、義父となる義盛はどうなのかというあてこすりだ。怒った義盛が立ち上がろうとすると誠実で温和な畠山重忠が場をおさめた。
「義盛殿は早くに父を亡くされておる。父なき子の悲しみはご承知だ。仁というものは必ず義から発する。武者も優であり雅でありたい」
ところが一番上座にいる工藤祐経が無遠慮に口をはさんだ。うわさ好きで好色だと景時以上に嫌われている武者だ。
「木曾殿の母は白拍子だったそうだが木曽義仲は少しも雅びでない。巴も戦場では木曽殿の側にいたが、ふだんは山吹という手弱女(たおやめ)が世話をしていたそうだ。和田殿はいい拾い物をされた、巴は木曾殿に未練がなかろう」
またしても義盛は刀をつかんで立ちかけたが、そこに頼朝の盃が差し出された。
「皆々、戦場の働きだけでは良い武者といえぬ。家の守りは妻がする、子は母が育てる。妻と母なる女人を盛り立て子々孫々の礎を固めてこそ武者の誉れだ。前途は遥かにして功名の時は多い。この頼朝に従い武士の世を創っていこうぞ」
頼朝にやりこめられて景時も祐経も赤面した。一同は喜んで固く拳を握り片膝を立てて鬨(とき)の声を挙げた。
あの時からずいぶん日が経ち、戦いの中で死んだ者もいれば放逐されて路傍に倒れた者もいる。無常の世の中で義仲のことも忘れられ、巴という名にあこがれた人もいなくなった。しかし、お方様は文月の君という名と和田義盛を愛していた。
折敷に載せたハマユウの花を捧げ持って緊張気味の三郎に巴はニッコリ笑いかけた。。
「よい香りです」
「災いの花だと嫌う人もいます」
「こんなに清らかで美しくて香り高い花なのに、理屈をこじつけて嫌いだなんて言うのは、なんと不自由な人でしょうね」
「お方様は神様と仏様どちらが好きですか」
俺はまだ子どもだったのでそんなことを聞いたのだろう。
「好きとか嫌いとかではありませんよ」
「でも俺は神様仏様と話したことがない」
お方様は不意に座りなおして目をつぶった。俺もあわてて軒下の廊下に正座した。
唇が動いて小さな歌声が聞こえた。
乁 仏はつねにいませども うつつならぬぞあわれなる
人の音せぬあかつきに ほのかに夢に見えたもう
「今様…ですか」
返事はなかった。息をつぐかすかな音が聞こえた。衣ずれの音がした。そっと目を上げるとお方様は立ち上がっていた。
折敷を右手で捧げ、まっすぐに前を向いて舞いはじめた。
乁 あかつき静かに寝覚めして 思えば涙ぞおさえあえぬ
はかなくこの世を過ごしても いつかは浄土へまいるべき
お方様の心の中には何が浮かんでいるのだろう。この歌はこの舞いは誰のためなのか、俺は顔を上げることができなかった。
歌詞を繰り返しながら舞い続けていく。頬に花の香りがする風が当たった。
乁 はかなくこの世を過ごしても いつかは浄土へまいるべき
歌声が途絶えたので目を上げると、お方様が微笑みながら俺の顔を見ていた。
「極楽とはどんな所でしょうか、今のは供養の舞です、たくさんの人が死にました、そしてずっと生き続ける人などはいません」
「お方様は弓矢の上手と聞きました。言葉でも的を射抜くのですね」
「義盛様のお言葉をありがたくうかがいました、三郎殿はどうしておられますか」
頭が働くまでに少し時間がかかった。目の前に座っている俺も三郎だが、妙なことを…ああ朝比奈三郎様のことだったか。
「三郎様はお元気です。鎌倉から金沢の湊へ行く道が悪うございます、搦め手を守る大事な道だと、その普請を宰領しております」
「昔から人助けが好きでした」
お方様の言葉は、まるで今は遠い懐かしい人に投げかけられたような響きがあったので驚いた。
「さだめし辛く苦しい道を歩んでいくのでしょうね」
「とんでもない、三郎様は明るく元気で頼もしい我らの大将です」
「近く戦さがありますか」
「皆がうわさをしております」
「義盛様と北条様は共に天を仰ぐことのできない仲なのですか」
「お館は誰よりも頼朝様が好きでした。自分の命を捧げると申されていましたが亡くなられて四年になります。頼朝様なきあと戦いが始まりました。初めに梶原殿、次に比企一族、そして畠山重忠殿と功をなし名高い武士たちが滅ぼされていきました。ついに源頼家様も殺され、北条時政殿まで追いやられました。今は北条義時殿と三浦義村様が幕府を分け合っています。現将軍の実朝様は心からお館を慕っています。それにお応えしたいのに北条と三浦が封じてしまう、お館は檻に閉じ込められたように焦り苦しんでおられます」
「しかし、小太郎殿の父杉本義宗様は三浦一族の惣領ゆえ三浦は味方でございましょう」
「そうであればいいのですが」
「義村殿は思慮深い、義盛様も固く油断なきように、そして兵を動かすには大義がなければなりません。謀略はクモの巣のように虫をからめとります。軽々と受けて立たないように、これは私のお願いです」
「確かにお伝えいたします」
「初秋にお会いできるのを楽しみにしております、これを土産に」
お方様はそう言って革の袋を取り出した。小さな金の仏像が入っている。
「毎日経文を読んで功徳を願っております。御身大切に」
俺は舟を漕いで和田の郷に帰っていった。
三人の客が来るまでの間、そんなことを次々に思い出していた。
冬の最中は人の往来が少ない。道は凍って歩くのが辛いし、雪でも降れば道と田畑の区別がなくなる。三郎も体をいたわって外に出ようとしない。冬の昼間は短いが話を聞くにはちょうどいいのだ。
「ところで政子様大好きの姫と侍女はどうなった」
康元が馬の背から振り返って聞いた。
「手紙が来た、あいみてののちの心 と書いてあった」
「…昔は物を思わざりけり…」
「以長は知っているのか、敬服するぞ」
「…子どもでも知っている…こんなに恋しいなら…いっそ会わなければよかった…」
晴憲が苦々しく言う。
「そんな意味だろう。もう一通ある。萌えいずるも 枯るるも同じ 野辺の草」
「今様か、それは侍女の方だな。以長殿、読み解いてくだされたくお願い申し上げそうろう」
「…今様は知らぬ、晴憲…」
「いずれは秋にあはで果つべき。あなたも私もいやしい身分、ここで会わなければ、やがて飽きがきて枯れてしまいます」
「ずいぶん挑発されたものだな。それでは出陣せねばなるまい」
「貴公は分からぬか、これは悪ふざけだ、退屈なので二人が俺をからかっているのだ」
「姫と侍女なら俺もからかわれてみたいぞ」
「では漢詩を贈れ、鹿は走り去り巨樹が残る、風雨をしのいで揺るぎなし」
「俺は雨宿りだけの役割か、鹿なら射止めてみよと誘っているようだな」
「…俺には…かかわりない…馬を進めよう」
三人は馬を走らせて名越の坂を過ぎ川を渡ってゆるい坂を下った。
風早三郎の小屋は、舟なら森戸川をさかのぼり大曲にさしかかる前で岸に降りて谷戸の奥に入ればいい。しかし馬で行くとかなりの遠回りになる。今は草が枯れているが夏場は雑草に覆われて道を失いやすい。
小屋に近づくと何やら人の声が聞こえる。三郎が小屋の前の切り株に座って小枝を打ち合わせて拍子をとりながら今様を歌っている。
乁 あかつき静かに寝覚めして
まだ夢の中にいるような恍惚の笑いを浮かべて三郎がいた。しかし、さすがに武者のならいで馬の足音を聞くとぴたっとやめ相手を見定めた。
「遠路ご来臨、お待ち申しておりました」
三人は口ごもって挨拶のようなものを返し、すぐに質問を始めた。
「和田合戦の原因は何なのだ」
「三浦義村は裏切りました。長江義景殿は驚いたことでしょう。その時の様子を話してください」
「…三郎殿はその場に…いらっしゃったのか…」
少しの間、三郎は考え込んだ。冷たい北風を山がさえぎっている、小屋は陽光に照らされて温かかった。もてなしの干し柿が器に盛られている。
康元はかまわずむしゃむしゃと食べ種をやぶに吐き出した。以長はそっと口に入れて甘さを味わっている。晴憲は手をつけなかった。下級ではあるが公家である、文人には違う作法がある。
三郎は三人の様子をほほえましく見ていたが、はっとしたように口を開いた。
「若い衆はせっかちです、突然、わしは刃を突きつけられた。武者とは敵を倒すのが本性です、そのためには次々に敵を持たなければならない。人を殺す、憎まず疑わず平然と、それが武者でございます」
一瞬、向けられた視線は鋭くて三人は背筋が寒くなった。この老人も戦場を往来した武者だったことを思い出したからだ。
「三郎殿も人を斬ったか」
康元が少しビクビクして問うた。
「俺は戦場をひょこひょこ走り回っていただけです、手柄と誇れるようなものはなにもありません。その頃、俺は和田殿の館に暮らしていた。長江殿と和田義盛は親戚同士、普段から互いに様子を知らせあっている。毎日のことを書面で伝えるのは面倒だから俺が行く。三郎、長江殿にこう伝えろ、はい、分かった義盛殿にこう返事をしろ、はい。俺は舟を漕ぐのも走るのも自慢でした」
三郎は遠いところを見る顔になった。三人は居住まいを正した。
「つねづね北条義時殿はこう言っていた」
今さら源氏も平氏もない、我々は武家だ。諸国に地頭を置き、隅々の土地までを支配する、朝廷や公家が口を出し世の中が乱れないように武家は一つにならなければならない。源平を争わせたのは朝廷と公家であったことを忘れるな。それゆえ父の義政は頼朝様を助け、娘を妻にし、幕府を乱す者と戦ってきた。京にあって帝は祭祀を行い公家は文にいそしむ、武士は在地にいて乱暴者から民を守る。これこそ我が国の政体だ、それは神仏の望みでもある。しかし義盛は我が思いだけで合戦を仕掛けようとしている。神仏の許すところではない。荒武者は生死を思わず合戦に出て行くが、その誇りとその猪突が世の中を狂わすことが多い。
「それを聞いた義盛殿はこう答えました」
口では何とでも言えよう、甘い蜜を吐き出す蜂は毒針を持つぞ。北条は平氏だ、工藤も梶原も佐々木も源氏の武者を次々に滅ぼした。そして今は執権となり将軍までも思いのままにしている。三浦も滅ぼされる。なぜなら大庭を倒した三浦こそ一番の敵なのだ。親子兄弟親戚朋友を分かち力を削ぐ、これこそ矢も飛ばず刀も打ち合わない合戦だ。謀略の恐ろしさに気がつかぬか。義時は謀略が好きな男だが、それが命取りになるだろう。
「そして長江義景殿のご子息の明義殿はこう言っておられました」
義盛殿は猛き武士だ。いざとなれば戦って勝ちを取ろうとするだろう。だから義時と三浦は智謀を尽くして戦わずに勝ちを取ろうとしている。今、北条と三浦が組めば和田は敗れる、しかし和田が勝つと幕府はどうなるのだろう。実朝は文弱の将軍、和田は諸国の地頭を威圧しているから第一の者になろう。和田では幕府の破綻をつくろえぬ、御家人は貧困に苦しんでいる。諸国が再び戦いの世に落ちていくかもしれぬ。朝廷は武家を分裂させ昔と同じような門番や従僕に落とすことをもくろんでいる。義時は硬軟交じえて案配よく帝と公家を抑えているが義盛にはそれができない。和田義盛は闘いだけに生きがいを感じる武者だ。平和の世には居場所がないので進んで戦乱を作るだろう、合戦が納まると次の合戦、親兄弟の死骸を踏みつけて戦い続ける、和田には平和の思いがない。
「なるほど納得できる」
康元がつぶやく。晴憲と以長は黙って聞いた話を整理していた。
「それで三浦義村はなんと言った」
義村の曽祖父、三浦為次と鎌倉権五郎景正は盟友同士だ。たとえ四方から敵が押し寄せても牙をむき爪を立てて暴れまわる武者だった。しかし時代が変わり、今の幕府は帝や公家を抑えて意のままに政事を行うことができるようになった。為政者は公平で賢明、かつ臨機の才を待たなければならない。和田義盛も老いた、かつては勇猛果敢だが今は老人が繰言をつぶやくだけ。同盟などごめんこうむる、時代は変わった。どちらに加担するのか決断するのは今だ。
「まだ本音があろう」
晴憲が首をかしげる。
「和田は一族の長子杉本義宗の嫡男だ。義宗が早く死に、また母親の身分が低かったので三浦の姓は継げなかった、しかし三浦の総領義村に取って代わる人望がある」
「三浦の惣領といえば北条の得宗というより武者たちは信用する。なにしろ狐が化けたという玉藻前を那須野で討ち取った三浦介の後裔だ、伝説の武者の血をひく」
康元が得々と語る。鳥羽上皇の皇后だという玉藻前は唐の国から飛来した妖狐で、那須野原で殺生石となり生き物を殺していたが三浦介に退治され石は砕けて飛散した。
「話がそれたぞ、それで和田合戦の様子はどうなのか教えてください」
晴憲が先をうながした。
「それは長い話になりますぞ。ところで腹が空いてはおりませんか」
「知りたい気持ちの方が先だ。早く話してください」
康元がせっかちに言うとあとの二人もうなずいた。
「合戦の前には腹いっぱい飯を食うのが武者の習いですが、それでは仕方ないお話しましょう。まずは平穏な日々のことからです。
実朝様は公家の文化を敬愛していて、武家の文化と調和させて新しいものを創り出したい、それが鎌倉の世を彩ることになると常々言っておられました。兄の頼家様は蹴鞠に熱中して身を滅ぼしたが、それは実朝様の好みではありません」
実朝は絵合わせの会を開いた。和歌の会にように左方と右方に分かれて自慢の絵を見せ合う。大江広元は「小野小町一生の盛衰」という絵を披露した。楊貴妃にも比べられる絶世の美女小野小町が老婆となり衰え果てて死ぬ。肉は腐り骨となって骸を横たえる。武者にとっては見慣れた風景だが美女であるだけに陰惨だ。それに対して結城朝光は「本朝四大師」の絵を示した。最澄・空海ら高僧四人の姿絵だ。どちらも仏の教えで救われる、実朝はこの二枚の絵を賞賛した。
「武者の棟梁のすることとは言えないな」
康元が憤慨すると晴憲がたしなめた。
「戦場で平静心を保つためには神仏の助けが必要なのさ。信じる者は危急の時に心の支えを受けられる。神仏はありがたい」
以長も言う。
「…間一髪で生死が分かれる…」
「なるほど皆様はしっかり物事を見つめておられる。感服しました」
そう言って三郎は話を戻した。
年があけた2月1日には実朝は和歌会を開いた。題は「梅花万春を契る」北条時房や泰時、和田朝盛などの若者と女房たちが歌を寄せた。
「それが束の間の平穏でした。2月15日に安念という法師が捕えられ謀反を白状しました。泉親平という木曽の御家人が二代将軍頼家の遺子栄実を大将にして兵を起こし執権を殺害するという。すぐに三浦義村は北条義時に知らせ、翌日には謀反の一味として和田義直、和田義重、和田胤長以下200余名が捕らえられた。しかし泉親平は逃げてしまったという。
「首謀者は逃げて誘われた者だけが捕まったのか、まぬけなことだ」
「康元も人がいい、これは謀略だ。捕らえられたのは和田一族だ、安念や泉親平などというのは疑似餌にすぎないよ。もっと大きな魚をとらえようと挑発したのさ。」
「…だから逃がしたのか…」
領国の上総にいた義盛は驚いて鎌倉に帰り、息子の義直、義重の赦免を願った。実朝はすぐにそれを許した
そんな騒ぎの中で朝廷は実朝に正二位を贈ってきた。
「なるほど祝賀の儀式や朝廷へのお礼で幕府は忙しくなる、謀反未遂などはほっておかれるな」
「朝廷は幕府を混乱させたいのだな」
「…化かしあい…」
三郎は少しだけ笑って話を進めた。
「しかし人々は敏感です。3月になると鎌倉に兵乱のうわさが高まり近国の御家人たちが次々に鎌倉に結集してきました」
康元が感心したように言う。
「なるほど義時は次の手をうったのだ」
3月9日 義盛は一族98人をそろえて、京都で捕えられ鎌倉に送られてきた和田胤長の赦免を願った。しかし義時はそれを許さず、縛ったままの胤長を一族の目の前で二階堂行村に引き渡した。恥辱を受けて義盛の怒りと悲嘆は頂点に達した、義時はそれを注意深く見極めていた。
翌夜、法華堂の裏山には光る物が飛び去ったという、うわさはすべて戦乱の予兆だ。陰陽師は天曹地府祭、法師は不動供の祈祷を行った。
3月17日 胤長は陸奥の岩瀬に流罪となった。胤長の娘荒鶴姫は6歳だったが病気が重く危篤となった。しきりに父に会いたがったがかなわない。和田朝盛が胤長に似ているというので父と偽って荒鶴姫に会わせた。娘は一瞬その姿を見てからすぐに死んだという。
3月25日 旧杉本氏近くの荏柄の胤長の屋敷は義盛が預かっていたが義時は取り上げて金窪行親と安東忠家に与えた。これも挑発だ。
4月15日 和田館に蟄居していた朝盛が実朝に和歌を献じた。実朝はその場で数箇所の地頭職を与えた。しかし、その夜に朝盛は出家して京都に去ってしまった。主君と一族の板ばさみで苦しんでいると書き置きがあった。義盛は驚き怒って朝盛を連れ帰すよう命じた。
4月27日 実朝は使者を義盛に送った。謀反など企てていないと義盛は泣いたという。それを聞いた義時はすぐに討伐の準備をした。
「それこそ機をのがしてはいけないという義時の決断だな」
康元が激して叫ぶと以長ももどかしそうに言った。
「…先制攻撃でしか勝てない…」
4月28日 雨の中を義時は広元邸に行き談合した。そして天地災変祭 天曹地府祭 属星祭 不動供 大般若経 大威徳法 金剛童子法などという大仰な祈祷をさせた。
これは晴憲の専門だ。
「どれも災難除けだが戦勝祈願でもある、義時は世間向けには平和を訴え、密かに必勝を祈らせたのだろう」
5月2日 義盛館に軍兵結集 三浦義村は義時邸に参上し義盛の挙兵を知らせるとともにお味方するという起請文を渡した。政子と実朝は鶴岡別当の房に避難した。
夕刻 義盛は御所と義時邸、広元邸を襲撃した。朝比奈三郎義秀が御所の総門を破って乱入し火を放った。実朝は法華堂に逃れ広元と義時が同行した。朝比奈義秀は猛威を振るい高井重茂を一騎打ちで倒した。足利義氏は政所の前の橋で義秀に出会い怖れて逃亡、藤原朝季が逃げる間を支えて討ち死にした。武田信光は武士の面目をかけて義秀にいどもうとしたが息子の信忠が必死に親を護り、義秀は笑って見逃したという。
戦いは明け方まで続いた。義盛は前浜に軍を引いた。
5月3日 小雨が降る中で義盛は疲労と兵糧不足で苦しんだ。しかし遅れてきた横山一族が参戦して攻勢に変わった。その時に御教書が示された。義時と広元に味方するよう将軍が命じているという内容だ、御家人たちは義時側について戦うことに踏み切った。
義盛は再度、御所を襲撃しようとしたが、すでに守備が堅く戦いは若宮大路と由比ガ浜で繰り広げられた。息子の義直が戦死した。義盛はおおいに嘆いて戦意を失い、すぐに討ち取られた。一族の多くも討死した。もはやこれまで、戦さは終わった。そう言い放って朝比奈義秀は船6隻に百騎余りを載せて安房に向かって落ち延びた。
「よく都合よく船があったな。かなりの大船でないとそれだけの武者は乗せられまい。長江殿の船か、和田の船か」
康元が疑わしい顔で三郎に問いかけた。
「それでは、俺の数少ない手柄話をお聞き願いましょう。船は俺が調達しました、運が良かったのです」
合戦が始まった日、遠く伊豆大島の方に大船が二隻姿を現した。順風にのってどんどん近づいてくる。三郎はすぐに長江の舟を出して腕自慢の水手に急がせ和田の館の沖で迎えることができた。なにより恐れていたのは北条の船が援軍を乗せて加勢に来たかもはれないということだ。しかし近づいて見ると荷船だった。
「船の衆、話がある」
三郎は手馴れた動きで船に乗り込んだ。
まず水手頭が訊ねてくる、話を聞きたいのは船の方だ。
「鎌倉あたりでなにやら煙が立っているがあれはなんじゃ」
「合戦だ、鎌倉には近寄れん、武者たちに襲われるだろう、とりあえずは和田の浦に入りなされ」
二隻は伊勢から来た酢船だった。
「なにより合戦には酢がいるぞ、手負い武者がたくさん出るだろう、いい時に来た、大もうけだ」
和田殿の館なら何も心配はない、水手たちは喜んで館に入った。
「合戦の勝負がつくまでここで高見の見物をしているといい」
酒と肴が並べられ水手たちは酔った。
三郎はすぐに舟を出して三浦の衆を誘った。三浦義村は裏切って和田の敵となったが、水軍衆にはそんな思いがない、長江も和田も朋輩たちだ。三郎の招集にこたえて酢船二隻に20人、水軍の舟八隻に30人の水手が集まった。
「もし和田殿が敗れたら上総へ、北条殿が敗れたら伊豆へお届けする。どちらにしても恩賞は莫大だ」
水手たちはニヤニヤ笑った、悪い話ではない。勝敗は予想できないが、この三郎は北条が負けても助けになど行かないことが分かっている。
「船を借りるぞ」
酢船の水手たちは驚いたが、殺気だっている和田・長江の水手を相手に争いなどできない。しかし一同は用心して長江の郷に移ることにした。伊勢の水手を森戸の浦に下ろすと大船、小舟は由比ガ浜の沖に乗り入れた。
「和田のお館は討ち死にしたが、朝比奈様とご一行だけをお助けすることができた、俺の一世一代のご奉公です。もちろん、これは長江殿のお許しがあってのこと。お館は出陣のときに言い残された、もし和田殿になにかのことあればお前の一存でお助け申せ。この度のことはわしの思いとは違った、悔いが残るとな」
「それで朝比奈殿をどちらに送られたのか」
康元が訊ねても三郎は返事をせずニンマリ笑った。
「それから数日して船は森戸に帰りました」
伊勢の衆は少しも怒らなかったという。水手同士のつきあいもあるし、何よりも大もうけができたからだ。酢は二倍三倍の値段で売れたし、その金で鎧や刀をしこたま買い込んだ。合戦のあとなので武具は格安だ。近頃は宋の国も戦乱続きなので日本の刀が高く売れる。見返りに銅銭をたっぷり積むと今度はこちらで競って買いにくる。戦乱で得をする者も多い。
三郎は静かに話をやめた。
「朝比奈殿のことをもっと聞きたい」
伝説の豪傑だ、康元が憧れる人物だ。
「お疲れでしょう、わしも疲れた。今日はこれで終わりにします。また思い出したことをまとめておきましょう。またお会いできます、天変地異がなければ」
かしこまりました、そう丁寧に挨拶して三人は去っていった。
暗くなっても三郎は小屋に入らなかった。
片瀬川にはさらされた首が234
大地震が起き山が崩れた。不動護摩と天地災変祭と金剛童子法が行われた。また光り物が飛んだ。
例の通り先陣争いがあり波多野忠綱と三浦義村が争った。北条義時は忠綱に義村を怒らせるなと目配りした。
義時は、合戦の日は二日酔いでもうろうとしていたらしい。断酒を誓っていたが、戦いの最中に喉が渇いて水を求めたら、飲んだのは酒だった、誓いは破ったが深酒だけはよしている、そう人に話した。水だと思ったら酒、それこそ陳腐な言い訳だ。たぶん戦場の緊張に耐えられなかったのだろう、とても豪胆な武者とはいえない。
合戦の後始末がついた後だ、実朝が寝付かれず真夜中に御所の南面で虫の音を聞いていると、月明かりの中を若い女が走ってきた。名を聞くが無言、うしろからたいまつのような光り物が現れた。すぐに陰陽師を呼んだ。たたき起こされて寝ぼけ顔で参集した陰陽師にも判断できない。特別な異変ではありませんと言上するしかない。翌日になって一応、招魂祭だけを行った。
十二月になって実朝は寿福寺に参った。近臣たちは誰のための仏事か知っているがそれは言えない。口は災いのもと、言葉は讒言となり怒りは戦火となる。しかし、実朝ははばかることなく言った。
「和田義盛を回向する。持仏堂にて七日間の薬師の法を修せよ」
近臣たちは将軍の心情は分かったが北条義時の思惑を恐れた。
それから三日経って改元の知らせがあった。世情の重苦しい気分を察した朝廷は敏だった。それでも大赦は行われなかった。
元日、慣例で御家人たちは御所に集まった。三浦義村が上座についた。遅れてきた千葉介胤綱は席を探したが若い胤綱に座を勧めてくれる武者はいなかった。ただ一つ空いていたのは義村の隣だけだ、ようやく座ってほっとした顔に義村は怒りの目を向けた。そこは自分の上座だ。義村は小さい声で、下総の犬は居場所を知らぬなと悪態をついた。胤綱は血気盛んな若者だ、即座に、三浦の犬は友を食らうと言い返した。義村は苦い顔をして黙った。さすがに言い過ぎたと思った胤綱は石像のよう固まり、居並ぶ御家人たちもじっと下を向いていた。
話を聞いた三郎は、人間というのは困ったものだとしみじみ思った。それも昔の話だ。
翌日の朝、房に集まった三人は浮かぬ顔をしていた。
「いよいよ危なくなってきたな」
三人は顔を見合わせる。
「これは実時殿には見せられない」
「書き残すこともしない方がいい」
「…覚えているだけ…」
唯一の者となった権力者北条が隠しておきたいことを自分たちは知ってしまったかもしれない、
「誰にも話もしないことだ」
「風早三郎はついに語り残す相手を見つけたんだ、それが俺たちだ」
「三人一緒になって三郎のところに行くのもつつしもう。長江殿にも災いを及ぼすかもしれん」
「以長、おまえが行けよ。医師だから治療に招かれたと言えば疑われまい」
「…よし行こう…」
「一人で大丈夫か」
晴憲は気づかったが康元はずけずけと言った。
「貴公には話が切り出すことができるのか、三郎の長話を終わらせることができるのか。思い出話がダラダラ続くぞ」
「…やってみる…」
「聞いた話をどう伝えるのか」
「…文字にしておこう…あとで読んでくれ…」
「確かに貴公は口は不調法だが筆は立つからな、それでは頼むとするか」
康元は簡単に言って以長に任せた。そして気を紛らわすように話題を変えた。
「ところで姫君と侍女はどうなった」
無骨な康元は女に慕われる晴憲がうらやましくてしかたない。頼朝様だっていつでも好きな女が身近にいた、それが持論だ。
「消えてしまったよ。聞きたければ教えよう今度は遊君さ」
「遊君といえば頼家様だな」
康元は荒武者にあこがれているので、蹴鞠を好んだり和歌をたしなんだりする将軍にそれほど親しさを感じない。
源頼家が相模川で猟を楽しみ大磯の宿に泊まった。愛寿という遊君だけが頼家に召されなかった、朋輩のねたみだという。頼家は残念がって祝儀を与えたが、愛寿は嘆きのあまり出家してしまった。そして持つ物すべてを高麗寺に寄進し行方をくらました。
「そういう遊君は好きだな、武者の心構えを持っている。それで晴憲の遊君とはどんな仲なのだ」
「美濃の国から来た母娘だ。顔を柿渋で塗って醜く見せ、道中の難をさけながら鎌倉に来たのだ」
「ということは美麗だな」
「なかなかだ。訴訟事だ。勝てるかどうか占ってくれと俺のところに来た」
「御家人なら俺の管轄だが、遊君ではな」
「大丈夫、相手は御家人だ」
「まかせておけ、会わせてくれるか」
「俺もまっさきに貴公の顔を思い出したので七日間の潔斎をさせた。七日後に俺のところに来る」
その七日が過ぎた朝、康元がそわそわと房にやってきた。晴憲がくるとせきこんで訊ねた。
「どうなった」
「来なかった」
「なぜだ」
「知らぬ」
うらめしそうに康元は晴憲の顔を見ている。以長が珍しくニヤっと笑った。
「…まだ話があるか…」
我に返った康元が激しく首を振った。それで以長はボソボソと話し始めた。
以長は舟で三郎の所に行こうと思った。酢船の話を聞いたし森戸の浦も見てみたくなったのだ。由比ガ浜の水手は舟で往復することを引き受けてくれた。医師の姿をした者は患者のあるところはどこにでも行く、しかし風がやむまでの数日を待たされた。手紙は届けて舟でいくことも伝えてあるが待たせているという気持ちが辛かった。日ごろ患者を待たせても平気な医師を身近に見ているが待つ側は辛いだろうと思いやる、以長は良い医師だった。
しかし風をよむのは三郎の得意だ。心配することはなかった。
「…朝比奈殿と言う方は…」
言い終わらないうちに三郎が話し始めた。
朝比奈三郎義秀は実父・義父を混ぜ合わせたような豪傑だった、その逸話は多い。正冶二年九月の小坪の遊覧で、一同が酒を呑み飽きた時に将軍頼家は義秀に泳いでみよと命じた。もとより酒宴の余興であるが、誰かが和田の失態をねらい仕掛けたのかもしれない。もう風も水も冷たくなりかけた季節だ。
義秀は茶目っ気を起こした。酒宴の肴にサメでも参らせよう、そうすればとっておきの土産になる。
漁師ならだれでも知っている、ここらあたりの岩礁にはネコザメが多い。顔形はいかめしいが性質は大人しいサメでいつも岩礁の陰でじっとしている。ネコほど敏捷(びんしょう)ではない、眠り猫に近いが大きいものは人の丈ほどになる。義秀はとびきり大きいネコザメのいる岩礁を知っていた。義秀は海に飛び込むとさっと潜っていく。
一行があれよあれよと驚くうちに片手に二匹、片手に一匹のネコザメをつかんで浜に上がってきた。
海を知らない御家人たちは仰天した。サメは体をくねらせ歯をむいて抵抗する。三浦の一党は笑ったが、御家人たちは逃げまどった。義秀は平気でもう一度海に向かう。さらにいたずら心を起して水にもぐったまま警護の小舟の底を蹴った。一撃で小舟は転覆し武者が海に投げ出される。必死にあがく武者を見て酒宴の一行は手を叩いて爆笑した。
頼家には五人のお気に入りの若者がいた。その一人が義盛の孫の和田朝盛だった。頼家が将軍になる前からの主従だ。ともに十代の若者たちで武芸も磨いたし蹴鞠も習った。ある日などは鎌倉の町を騎馬で疾走して父頼朝に激しく叱責された。尊大で冷厳な父頼朝、それに輪をかけてきつい母政子、二人の鋭い視線のもとで育った頼家、実朝の兄弟は両親とは異なる人柄となった。
二人とも和田義盛が好きだった。まるで祖父に接するように爺、爺といって慕った。老いてなお武技を誇る義盛は頼家にとって理想の武人だった。そして実朝は豪快な武者が風雅を愛する心を持つことに深い憧憬を抱いている。義盛は二心を持たない武者だ。
実朝はおとなしく館にこもり静かな生活をした。しかし頼家は湧き出る泉のような衝動を外で発散しなければいられない。頼家と五人の若者は遠駆けをし異装で町を闊歩(かっぽ)して人々のひんしゅくをかった。鎌倉は新興の町だから諸国から人が入り込んでいる。気風は荒く喧嘩口論は絶えない。その侍たちを取り締まるのが義盛の役目だったが義盛自身が若者にもひけをとらない当代一の荒武者だった。
「朝比奈様義秀様は義盛様のお子ではない」
「…うわさでは…」
「事実です。義盛様はお子に朝比奈という姓を名乗らせた。父の旭将軍義仲様とのきずながあるからです」
「…皆はどう思っている…」
「公家の仲間では後ろ指されましょうが、武者の仲間では強い男ならそれでいいのです」
季節の変わり目に巴は病床に伏した。
朝比奈はすぐに長江の館に見舞いに来たが枕元で静かに看病などしていられるはずがない。翌朝早く三郎をたたき起こした。
「芦名に義連殿が来ているそうだ。ひさしぶりに相撲をとる。痛い目にあわせてやるぞ」
あわただしく馬を走らせた。鳥影と名づけられた黒くたくましい駿馬(しゅんめ)だ。鹿毛(かげ)というならふつうは茶色なのにこれは黒い馬ですね、初めて見たときに三郎は聞いてみた。
「これはすべるように走る、まるでカケスが飛ぶようだ。だから空飛ぶ鳥の影だ」
いい馬だった。ふだんはおとなしく、しかし戦場の物音に少しもおびえない、主人と共に火も水もくぐっていく勇気があった。もっとも朝比奈様と一緒にいると誰もが強くなった気がする。
社戸の社を一礼しただけで走り抜け、長者ヶ崎の大崩を苦もなく越えて芦名に着いた。もっとも一緒に走る三郎の方は全身にしぼるほどの汗をかいている。
朝比奈様は芦名の館の手前にいくつかの小屋が立っているのを見て馬をとめた。
「あれが運慶とか申す仏師たちか」
館から走り出てきた郎党がうなずいた。
世の中が落ち着くと武者たちは改めて自分たちの所業を思い浮かべて競って神社を修復し寺を建立した。鎌倉には匠や仏師がたくさん集まったが中でも運慶の名が高い。気迫のこもった像は武者たちの気に入った。
和田義盛も芦名の海を見下ろす山の中腹に寺を建て、祖父の三浦義明と父の杉本義宗の菩提を弔おうとした。それで運慶を呼び出した。
「仏師殿、木を彫った仏像が尊いか」
答によっては切りすてるぞという気合がこもっている。
「像をとおして仏を拝みます」
「世にはいろいろな像があるそうだ、俺にふさわしいのは何か」
「不動明王でございましょう」
「それで奥州の戦さに勝てるか」
「不審なら毘沙門天に帰依なさいませ。武者を守る仏でございます」
「よし、すぐに作れ」
運慶は苦笑した。
「それではご本尊がおられません」
「どうすればいいか」
「先日、北条時政様に頼まれたのは等身の阿弥陀如来像でございます」
「北条は伊豆に寺を建てるそうだな」
「願成就院と申します。願いがかなうという、つまり奥州の戦勝を得ることでしょう」
「何を伊豆のガマガエルめ、権勢を得て幕府の筆頭人になろうという願いにきまっている。ならば俺には北条などよりずっと立派な寺と仏を造ってくれ」
「では阿弥陀三尊にいたしたらどうでしょう。京都の寺にも平泉の中尊寺にもおわします本尊仏です」
阿弥陀如来を真ん中にして左右に観音菩薩と勢至菩薩が立つ。如来の慈悲と知恵が観音像に込められているという。
「それがいい。慈悲と知恵は大事だ、頼朝様にも度々言われておる。俺に知恵と慈悲が備われば天下一の武者だそうだ。祈るたびに頼朝様のお顔を思い出そう」
すぐに運慶は弟子を十人ほど連れて小屋をかけ、自身が率先して仏を彫り始めた。毎日、多くの見物人が訪れた。
義秀はじっと仕事の様子を見ていたが突然、無遠慮に言った。
「木屑を飛ばし汗をたらしてそなたたちが仕事をしているところを見ていると拝む気などしなくなる」
運慶は不在だったが弟子の快慶が小屋から顔を出した。自分の正面に大男が立っている、それもいま彫っている毘沙門天そっくりだ。外の明るさに目をしばたいていると義秀がじれったそうに材木を蹴った。
「仏師は現世利益か、後世の安穏か」
「仏像は仏ではない」
答えようとして一歩前に出るとそばから涼しい少年の声がした。運慶の息子の湛慶だ、まだ元服してまもない。
「ではなんだと言う」
「木屑だ」
朝比奈は笑い出した。
「なぜに木を削って木屑を作っているのだ」
「心の鏡を彫っている」
朝比奈はその言葉に納得できた。そしてこんな少年に物を教わってうれしくなった。しかし、いたずら心を出して問い返した。
「では鏡磨きと仏師の違いはなんだ」
「鏡は人に見せる顔をととのえる。仏はおのれの心をととのえて己に見せる」
「それが仏師の技か」
少年もうれしそうに笑った。
「殿とはお話ができますね」
「生意気なやつだ、俺は朝比奈三郎だ。仏を見せてくれ」
「あなたなら彫りかけの仏を見抜くことでしょう」
小屋の中は暗かったがすぐに目が慣れた、闇の夜に矢を射る武者だ。木の香りに包まれて毘沙門天が半分だけ姿を現していた。義秀は合掌して仏を拝んだ。
「お心は見えましたか」
少年が壷の冷たい水を椀に注いでくれた。
「功を急ぐのは欲心、利を求める俗念と同じだと教えてくれたよ」
「お心は澄みましたね」
「洗われた。だが仏師殿、あの毘沙門では戦さに勝てぬぞ」
そう叫んで三郎様は着ている物を脱ぎ下帯だけの裸になった。全身の力をこめて筋肉を浮き上がらせる。腕と肩が盛り上がってくる、腿(もも)とふくら脛(はぎ)に力がみなぎっている。広い胸はまるで甲冑をつけているようだった。仏師たちは刺すような目でその姿を監察した。
「毘沙門天の衣の中はかくありたい。見えずとも見る目はある」
快慶が感嘆したようにつぶやいた。しかし少年は壷の冷たい水を三郎に浴びせかけた。
「おっ何をする」
ふくれあがった筋肉はたちまちしぼんだ。
「盛者必衰」
「この子鬼を踏み潰してやろう」
つかみかかろうとした手を握られた。
「朝比奈殿、待っていましたぞ。おや、ちょうどいい、相撲のいでたちだ、俺も脱ごう」
佐原義連がすぐに裸になって負けず劣らずの体を見せた。
「そなたが毘沙門なら俺は不動だ。さあ勝負しよう」
相撲が始まる、見物人も仏師たちもぞろぞろと浜に降りていった。
もう三郎は手放しで泣きながら話した。聞き手が以長一人だけなので心安いのだろう、または、ただ黙って相づちをうつだけの以長は良い聞き手なのだろう、三郎は安心して思い出の中に沈み込んでいった。
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