三浦一族は滅びた。北条一門の金沢実時は御所の警固を委ねられていた。合戦が終わって駆けつけてみると法華堂は焼失していた。実時は数多の死者とともに焼失した古文書や書籍を惜しんでいた。
鎌倉の谷戸にもようやく秋風が吹きはじめ昼でもどこからか虫の声が聞こえてくる。実時は評定衆に頼んで名前を挙げてもらった三人の若者を自邸に呼び出した。
実時の邸宅は焼け落ちたままの法華堂の前にある。部屋に招き入れたのは三人の若者だ、書見をしていた実時が目を上げた。自分より8才ばかり年下だと聞いたが身分も貫禄もはるかに違う、実時はつい先日に千騎を率いて御所を守った大将だ。
「名乗りをあげよ」
まだ生意気ざかりの三人だから、勝手に呼んでおいて名乗らせるなんて失礼だとゴタゴタ文句をつけるのだが、今は戦場の殺気を漂わせる実時の声に震え上がった。
「問注所で賦方(くばりがた)の見習いをしております太田康元にございます」
肩幅の広いがっしりした体格の若武者だ、不敵な面構えというのだろう、目鼻口もとがしっかりと直線で結ばれたような顔をしている。
「賦方とは訴えの趣旨を読んで誰に委ねるかを按配したり、決済した内容を訴え主に知らせたりする役だな、気を遣う仕事だ。それで貴公は評定衆太田康連殿のご子息か」
「それに連なる者ですが軽輩です」
声は野太いのだが語尾が弱々しく震えた。しかし、その時には実時の視線は隣の若者に移っていた。こちらは色の白い目鼻立ちがすっきりしてすらりと背の高い若者だった。文人の髪型をして物腰も柔らかかった。
「天文博士安倍晴成の子晴憲でございます」
実時は軽くうなずくだけだった。
「…丹波広理の子以長…でございます」
背の低いやせた男で態度も話し方も口ごもるようにとつとつとしている。木の根元にひっそりと生えるキノコのような雰囲気がある。
「おお貴公とは法華堂で対面しておる、その折には苦労であった」
以長の父広理は医師なので戦いの後は忙しい。敵味方ともに手傷を負った武者の手当てばかりでなく討ち死にした武者を検分しなければならない。息子の以長を手助けに同行させていた。
「無惨なものを見せた。若い者としては良い修業となろう、しかし医師の務めは人を生かすことだ、心せよ」
褒められたのか叱られたのか分からず以長はおどおどと頭を下げるほかなかった。
「法華堂はあの通りだ。故 、武衛(ぶえい)殿の書簡をはじめ得がたい書籍が灰燼(かいじん)となった。二度とこうならぬようにしたいのでその方たちに申し付ける。そちたちの名は評定衆の歴々からいただいた、不始末をしてその名を汚さぬようにせよ」
そう言って実時は豊かに伸ばしたあごひげに手をやった。鎌倉武士はアゴヒゲを剃らぬのが習慣だ。元服をすませたばかり三人にはうぶ毛しか生えていない。
しかし、これでは何をするのか分からない。
太田康元が勇気を奮って聞いた。大柄で頑丈でいかにも勝気そうな顔だが手がはげしく震えている。
「我らの仕事をお命じください」
待っていたように実時はいたずらっぽい目になった。
「そちなら何をする」
言葉につまった康元に代わって晴憲が言った。
「焼けぬ蔵にしまいます」
「足りぬ」
今度は以長がおずおずと言う、口不調法なのだ。
「…写本を作り別の所に残します…」
「それでよい。八幡宮の書庫にある記録を整理し、問注所・天文博士・医師方にある書類と照らし合わせ、不足のところを補うのだ。月ごとに冊子にまとめ、一年分ごとに束ねてわしの邸(やしき)に届けよ、分かったな」
大声を浴びせられて平伏するより他なかった。実時は父から相続した六浦の地に邸を建てたばかりだ。もとは和田義盛の領地で朝比奈三郎が切通しの道を開いたという、そこには鎌倉を支える湊がある。
「明日からかかれ。そちたちは幼馴染(おさななじみ)と聞いておる、互いに気を合わせて後の世に残る仕事をせよ、仮にそちたちを鏡方(かがみがた)と名づけて扶持(ふち)をとらせる、もはや合戦が飯より好きな武者どもの時代ではない、ここで手柄を立てよ」
秋風は心地良く空はあくまでも澄んでいたが一同は狐につままれたように退出した。
三人は小さいときからの友だちで鎌倉の中流の家に生まれていた。元服したのに見習い仕事をしている、たとえ一人前になっても決して陽の当たる地位にはならない。今までの幕府は表側に弓馬に励む武者がいて華やかに人目を集め、文に携わる者はひっそりと裏に回されていた。しかし、合戦で手柄を立てて躍り出るような機会はもはや訪れないだろう、北条一族の敵はこの戦ですべて滅亡したのだ。文武の誉れは逆転している、金沢実時がそう明言したのだ。
「ちょっと家に寄っていけよ」
康元が言った。
「怖かったな、戦場の大将とはああいうものなのか」
晴憲の言葉に以長もうなずいた。
「しかし実時殿は何を思いついたのか」
康元がつぶやくと晴憲が何も考えずに答えた。
「鏡方というのだから鏡を作るのか」
「…大今水…」
以長がもごもごと言うとじれったそうに康元が叫ぶ。さっき脅かされたムシャクシャを破裂させたようだ。武者らしく短気だ。
「なんのことだ、だいこんみずだと」
「なるほど鏡か」
しかし晴憲は興味深げにうなずいた。
平安の時代から歴代の天皇摂政関白という人たちを主人公にした歴史物語が書かれている。それには鏡という名がつけられている。大鏡は藤原道長の栄華、今鏡はそれ以降の平安末までの歴代記、水鏡は初代天皇の神武から57代仁明までを記している。語り手が昔話をするという形が多い。
「誰が語っているんだ」
「大鏡は夏山繁樹という百何十歳の爺さんだ、相手は婆さん」
晴憲が少し上の空で言う。
「それが俺たちだというのか、馬鹿にするな」
「かの国にはすごい史書がある、最たるものが史記だ」
晴憲は漢籍に詳しい。
「漢の武帝が司馬遷に命じて作らせた。以後、各王朝がそれにならって史書を作っている」
「でも、そんなに大事なものをなぜ俺たちなどに書かせるだろうか」」
「整理して提出しろと言われている。書けとは言われていないぞ」
「しかし面倒だな」
「カビくさい書庫で陽の目もあびずにゴソゴソ動いている。まるでハサミムシだ」
「気が滅入る」
「実時殿にはさからえん」
「それが悔しいのだ」
三人の思いが一致してなんとなく和やかになった。
「とりあえずこの仕事の長幼を決めよう。俺が兄でいいだろう」
康元が一番大柄でいくぶん年が上だ。
「勝手な兄貴を持った弟は苦労しそうだ」
晴憲ももはや二番目の兄になっている。以長は黙ってコックリした。
翌朝三人は与えられた小房に集まった。一晩寝ると萎縮(いしゅく)した気分は霧消している。小房もすっかり気に入った。「心の字」をかたどった池の茂みの板葺きの小屋ですがすがしい風が吹いている。八幡宮の神官僧侶と同じように昼に湯と中食がふるまわれ、下人が面倒をみてくれる。必要な書き物は自分で取りに行ってもいいし下人に命じて持ってこさせてもいい。少し偉くなったような気がして三人はいい気分になった。なによりもそれぞれの上司に公認なのだから「金沢実時殿のご用で出かけます」と一言で他出できる、同僚たちのうらやましそうな視線を背中にあびるだけで気分が良かった。
康元は侍所(さむらいどころ)・政所(まんどころ)・問注所(もんちゅうじょ)の文書に目を通し順序を正す。晴憲はその日の干支(えと)や天候を天文博士の日録から写し書き添える。以長は医師方の記録を書き加える。
それぞれの役所の書記たちが整った書付を残してくれているし、書庫の管理にあたる僧侶たちも丁寧に対応してくれる。大きなつづらを運ばせては中身を点検し別のつづらに移す。三人はしばらく静かに自分の仕事に熱中した。
「なるほど、ここから若狭守になったのか」
これは問注所の康元、訴訟の文書を整理している。
「ほおっ、その日は雨が降ったんだな」
晴憲は天文、陰陽道(おんみょうどう)に関する補足をする。
「…黄疸(おうだん)になったか、胃の病ではないらしい。なるほど前将軍は飲水病か…」
以長は病気や誕生・死去を確認している。
そんなことをつぶやきながら、特に興味深いことは声に出して皆に聞かせる。
「さすがに正二位右大将家武衛様の目は行き届いている、こうして幕府は力を持ったのだ、偉大だ」
康元が感極まって言うと晴憲が笑った。
「とんでもない正四位陸奥守に任官して大江と名乗った中原広元様が京都から官人を選んで鎌倉に招き、すべての役所の仕組みをきちんと整えたからだ。武者は合戦で壊すだけ、すべて仕事を残したのは官人だ」
「なにしろ正二位右大臣様の時代まで幕府にお仕え続けた無二の人だからな」
突然、短気な康元がじれったそうに言った。
「はて誰のことを言っているのか分からなくなったぞ。そんな回りくどく位階だ官職だと知ったかぶりをするのはよそうではないか。親父たちが幕府の役所で公式に何と言っていようが、ここではすっきりと名前だけでいいだろう」
「…他人に聞かれて困らないか…」
以長は慎重で保守的で臆病だ。
「いや、そうしよう、身分に負けて追従するようになったら史実を曲げることになるかもしれない。史官は事実を簡潔に記すのみだ、武衛様は源頼朝、中原改め大江広元公は広元だけでいい。我らは幕府の正史を作る」
晴憲もいっぱしの歴史家になったつもりだ。
「そうだ唐土にあっては史記、我が鎌倉にあっては俺たちがこれから史書を作る」
「…親に迷惑をかけてはな…」
以長が気弱に言うと二人は顔を見合わせた。
「我らはこれから鎌倉幕府の史官になるのだ。鶏口(けいこう)となるとも牛後(ぎゅうご)となるなかれ。かの地の皇帝が自分に都合のいいように書き直しを命じた時、ウソは書けないと言った史官を殺した。しかし三人目になって皇帝はウソを通すことをあきらめたという。我らもそうなろう」
「まず殺されるのは貴公がいい」
あまり康元の鼻息が荒いので晴憲が冷やかした。
「では史官殿、どこから史実を整えて参りましょうか」
「当然、俺たちの知っているところからだ。一番新しい出来事からさかのぼって整理していくのが順当だろう」
「…ならば宝治の合戦だな…」
それはほんのこの前の出来事だ。もっとも三人とも子ども扱いで、戦場には近づくこともできなかった。
「なるほどこれはてっとりばやい。情報を集めるのも楽だろう。俺のところには諸国御家人の訴え状が山のようにある。みな自分の先祖が由緒正しく、武功を立てて幕府に尽くしたか書いてある。誰が敵で誰が味方かはっきりしている」
康 元は楽観的だ。
「昼食までに文書整理の仕事をすませてしまって午後は資料を精査(せいさ)する。どうだ精査などという言葉を貴公らは知らんだろう」
康元は横柄な物言いだが二人は気に止めない、ふだん言葉を間違えることが一番多いのが康元だからだ。
「細かく詳しく推理して調べ上げることだ。康元の粗雑な頭では難しいかもしれんががんばってくれたまえ」
「…この小屋の名前は何としよう…」
「それは当然、我ら史官の書室だから大史公房だ。史記の司馬遷にあやかろう」
「また康元の誇大妄想が始まった。実時殿に鏡方と呼ばれたのだから鏡の間か、それでは姫御前のようだな」
「…房でいい…」
昼食が届いた。僧房の食事なので量は多いが粗末だ。しかし武家の食事もそんなものだ。玄米の強飯が山盛り、味噌と汁、干魚、時には菓子や果実、この季節は栗だ。
「宝治合戦について考えたが」
晴憲が飯をかみながら問いかけるとは康元は汁椀を離さず言った。
「薄い汁だ、ワカメが少しだけ、こんなに海が近くて新しい魚も貝も取れるのに、社僧どもは京都風の食事が一番だと思っている、困ったものだ。ところで宝治合戦がなぜ大戦乱にならなかったのかそれが不思議だな」
康元が食事にこだわるので晴憲はじれてきた。
「では歴史を逆回しにしてみよう、結果が先で原因はあとだ。事実をめくっていけば真実が見えてくるだろう」
「…都合よく隠した所がさらけだされる…」
「だがタケノコをゆでたやつは、中身は柔らかくてうまいようだが、タケノコは結局すべてが皮なのだ。まあそういうのもあるか」
確信はついているのだが三人にはそれが分からないまま仕事は続いた。
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