ヤマトタケル

 狭い根…狭い嘴…足柄峠を降り立った旅人たちは感歎する。オハリからスルガ、イズの国をかすめて長い旅をしてきた。気高くそびえる富士山はその畏怖の目で旅人をずっと見つめていた。長い登り道をようやくたどって尾根に出る、清涼な風とともに畏怖の目が白く輝いているのを見る。湿った深い樹林がようやく途切れ明るく陽が差し込む草原に出ると、黒く緑にもつれあう森の上に畏怖の目が再び光っている。
 ようやく峠を越えた。富士山の視線を背中に感じながら、山塊から突き出す細い尾根を下って行く。深く入りこんだ海と川が境のないまま何条にも分かれて流れている、ふりかえれば細く狭い尾根道だった。旅人は再び嘆息する、狭い根…狭い嘴…。    
 
 ヤマトタケルはここで火攻めにあったといいます。この地の王は謀んで一行を草原に導き四方から火をつけた。たぶん葦原でしょう、枯れた葉と幹はたちまちのうちに燃え広がり青い炎と白い煙が一行に迫ってくる。日本書記は迎え火を焚いたという、古事記は剣で草を薙ぎ払い、周りに空間を作ったといいます。たぶんその両方でしょうが古事記は草薙剣の由緒を伝える物語にしました。事件はだまし討ち、たくらんだ相模の国造はヤマトタケルに誅殺されました。
 物語には歌がつきます。  
    さねさし さがむの小野に燃ゆる火の
        ほなかに立ちて 問いし君はも
 燃ゆる火が陽炎だったら若い男と女のロマンチックな出会いの情景です。名を聞くのは求愛、答えれば合意、古い時代の人々も自由奔放でした。
 この歌がこの物語の歌だというのは少し無理です。他の東歌と同じような恋の歌、盆歌や歌謡曲と同様に熱唱された青春の歌でしょう。老人だって酒の勢いで声高らかに歌い、かたわらの老妻の頬を赤くさせたかもしれません。
 
 ヤマトタケルは走水で海の神の怒りに会いオトタチバナ媛を失った。そして陸奥国まで遠征した帰路、古事記では足柄峠で、日本書紀では科野で坂の神の化身の白い鹿を撃ち殺した。オハリでミヤズ媛と結婚した後に伊吹山の神の化身、古事記では白いイノシシ、日本書紀では大蛇と戦い、毒気を受けてノボノで死んだ。その魂は白鳥となってヤマトに向けて飛んでいった。
 物語の終わりはこうでなくてはいけません。
 たぶん帰ってきたヤマトタケルは父との約束通りオオキミとなったのでしょう、成務天皇、義務を成し遂げたという名です。そして息子は仲哀天皇となったが、神に逆らって早死にした、何か因果応報のような出来事です。そして皇后のオキナガタラシヒメと子の ホムタワケが新しい時代を切り開いた、どうも権力争奪を思わせるような展開です。
 ヤマトタケルは白鳥になって飛んでいったのだ、古事記の作者はそうしめくくりたかったのでしょう。


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