進化するコロナはデルタを駆逐してオミクロンが台頭、まるで戦国時代だ。人間の体の中でDNAが変化する、変化をうながす要因はなんだろうね、筋肉系か内臓系かまさか脳細胞ではないだろうね。アベノマスクをようやく廃棄することにした。元首相は激怒し前首相は寝たふりをした。合計数百億の損失だ。まったく関係はないがガソリンがものすごく高くなった。
冬の墓場はいっそう冷たい、新しそうに見えた卒塔婆もお盆の日付だ、山眠り熊眠り死者も眠っている、とはいえ人が死ぬのは冬場が多いのではなかったっけ。でもこの季節には幽霊は出ない、寒さに青ざめた顔をして震え声で恨みを言っても軽く同情されるだけだよ。
中国のこんな話を思い出した。息子に先立たれた老人が悲しくて生きる望みを失った。ある日、墓参りをすると息子の幽霊が現れた。
「我が子よ」
老人が涙をこぼしてもまったく素っ気なくはき捨てるように言った。
「親子は前世の因縁さ、おまえはおまえ、おれはおれ」
そう言って消えてしまった。老人はあっけにとられ悲しさも吹き飛び、生きて楽しまなければ損だと思ったとのだとさ。
儒教はドライだよ、ただし理屈屋だから注釈をつけたがる。たぐいなき親孝行だ、幽霊になってまで父に尽くしたと説く。学者というのは義理人情とお笑いが欠乏しているね。
花を持った老人が歩いてくる、病院の見舞いではない、今はどこの病院も花はお断りだから。新しい卒塔婆に花を手向けている、息子さんですか、老人はちょっと驚いて「ご近所様でしたっけ」と聞き返した。
だいぶ皆様に迷惑をおかけしましたがその報いのように事故で死にました。おかげで私もようやく安心できます。この花は死んだ女房に供えます、自業自得で死んだ息子とはどんな前世の因果なのでしょうか、私と女房がどれほど困り涙を流したことを閻魔様はご存知でしょう。私は私、あんな奴は子とは思わん、女房は可哀想だったが私はようやく元気になって生きる元気が沸いてきました。では失礼。
後姿を見送ったが幽霊は現れなかったよ。放蕩息子は地獄の喧噪と血なまぐさい放埓を楽しんでいるのだろう。
生まれ方と死に方は選べない、因果なのか果報なのか、仁か義か孝か信か、学者に聞いてみよう。
お正月の注連飾りを売り始めた。スーパーやコンビニでも売っている、百円ショップでも立派なのが置いてある。正月を迎える晴れがましさなんてないよね。皆が飾るから自分のところもおつきあいするという感覚だろう。寒風に吹かれて駅前や神社の屋台から買ってきた頃は年末の実感と慨嘆があったのだがね。
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