この冬はインフルエンザが大流行しそうだと医者が警告する、コロナワクチンが優先でインフルワクチンは後回しだから。けれど昨年はインフルが流行せず患者数は例年の千分の一だったそうだ、それでも警戒しなさいと医者は言う「何、薬がきかない?そんなはずはない、なんで悪くなる前に薬を飲まなかったんだ」そういうのを母心というのかね、いや、それは昔の高名な指圧の先生だった。 

 それにしても五輪の選手はタトゥが多かった、記録を伸ばすためにとことん体を痛めつける、その延長にあるサディズムなのかね。あるいは自虐を皆に見てもらってじんじんと喜びが湧き出るマゾヒズムなのかもしれない。他人を痛めつける気分で自分を責めて快感を得る、ずいぶん複雑だが医者は統合失調症だと分類するかもしれない。 
 娘はこじんまりとした顔をしていて化粧もしていないようだ。自然素材のいかにも湘南を見せている服からタトゥがのぞいている。目が離れないのを察してさらっとした声で言ったよ。 
「ああこれですか、剥せるんですよ」 
 子どもじゃあるまいし、そんなふうにシールを貼り付けて見せびらかすのはどうかなと思ったよ。ただ近頃は日本伝統の絵ではなく劇画風なのが多いそうだよ。ぱっとシャツをむしりとると鬼滅の刃なんて子どもたちが喜ぶだろうよ。 
 ペットロスでタトゥを入れる人がいるんだって、愛犬愛猫がいつでも身近にいるように、まるで結婚の誓いみたいだ。自分と家族のために魔除けやお守りを彫るというのだがそれは口実で彫りたくてたまらないのだろう。自分の体をきれいな絵で飾りたい、これは率直だが見る人は絵と自分と両方だから自己顕示そのものだ。仲間のしるし、ヤクザも駕籠かきも川渡し人足もそうだったが豪華な彫り物にはチップが多いという実利があった。自分を変えたいとタトゥを彫る、内向的で自傷を経験した人が多いそうだが逆に深みにはまらないかい、もっともっととエスカレートしそうだよ。いずれにしても決意して消せないことをしても、すぐに消えないという苦悩になるものだ。昔は銭湯や温泉で目を見張るような彫り物を見ることができた、女湯にも負けないくらいの刺青をまとった女がいたそうだ。今は寛容な社会ではないから人と違うと疎外の種になる、温泉にも入れないよ。アイヌの女たちは口の周りと手に、沖縄の女たちは手の甲に黒い染料を針で埋め込んだ、どれもお歯黒と同じで既婚の証明だ。シールのタトゥは既婚でもないペットロスでもサドマゾのカミングアウトでもない、ただのファッションだろうが魔除けのお守り効果はありそうだよ。タトゥの娘にナンパはしにくいだろう、悪仲間がいそうでさ。 
 まったく湘南は雑多だからね。 

 萩が咲き始めた、イノシシの季節かな。花札というのは素晴らしいデザインで江戸好みの遊び心がいっぱいだ。小野東風はおちょくられているし月見に花見、松に初日の出なんかも秀逸だ。萩の花は控え目で初秋らしい様子がいいんだ、江戸小紋の趣味と同じさ、正確には幕府の贅沢禁止令に反抗して細かい模様に金をかけたという江戸っ子の見栄だったんだがね。だから萩もつつましく見せて実は凝っている花なんだよ。

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