成人の日だがどこも式典はやらない、ほっとした人も多いだろうね。男も女も七五三みたいな衣装を着て、酒を飲んで大騒ぎをする、式辞なんか聞きやしない。もっとも式辞もコピペで気が入らないものだからどっちもどっちだ。
 外出は減った。飲み屋も8時閉店を徹底した、なにしろ罰則が設けられたのだから仕方ない、ただ感染者は減らなかった。ワクチンの接種予定をようやくワクチン担当大臣が発表した。医療業務者から順に、高齢者は6月以後になるらしい。

 9時半から11時半までが保育園のお散歩タイムだ。子どもたちは一列にならんでロープに結んだ吊り革を握って歩く、もちろん先生が前と後ろにいて綱を引っ張っている。笛を吹いて誘い出しているわけではない。
子どもたちは緊張気味だ。道端に小さな石仏、馬頭観音と地蔵が立っているからだ。昔、海辺に石切り場があって石段や石垣にした。柔かく削りやすいので石仏も作ったがすぐ摩滅する。顔も文字も風雨が消してしまって、もはやただの石さ、だがオーラが子どもに伝わってくる。先生が立ち止まって合掌すると子どもたちもそれにあわせて小さな手を合わせる。
 一行は歩き始めた、まるで馬方が荷馬を曳いていくようだ。それで笠地蔵を思い出してしまった。ふりしきる雪の中を石地蔵が一列になって歩いて行く、これも映像だと怖ろしい。最後の一人は笠がなくて手ぬぐいを被っていたなどというのはビジュアルでリアリティがあるだろ。
地蔵さんと馬頭観音さんが歩き始めて一行に混ざったよ、子どもには見えるからうれしくなって話しかける、友だちとおしゃべりしてはいけません、先生が制止する。
 地蔵さんだけ道を曲がってお寺に向かった、心安い阿弥陀さんに挨拶にいったのだろう、それにつられて子どもが一人列を離れてついていく、殊勝に両手で合掌しているよ。
 続いて馬頭観音さんも右手の道にそれていった、昔なじみの道祖神さんのところへお茶でも飲みに行ったのだろう。また一人子どもがついていった、合掌しながらさ。
 ここは昔からの道だから色々のことが起きるんだ、馬や牛も供養している、もしかすると自分だって前世は馬で荷物を載せてポクポクと歩いていたのかもしれないよ。
 一行はもう保育園に着いて給食を食べ始めただろう。ついて行った子どもも知らぬうちに帰って食べている、ふだんより沢山ね。なにしろ冥界を散歩したんだから。そんな怪異が起きたと気づく先生はいないよ、保育園では毎日が驚くことばかりだからね。
 石仏は気味悪くなんかない、ただ立ち続けていた長い歳月が怖いだけなんだ。

「雪がふるかもしれない」
 大人たちの不安な気持ちとは反対に、子どもたちには笑顔が生まれた。もしかすると明日の朝は山も川も真っ白かもしれない。笹の葉の雪を舌にのせると冷たい味を残して消えてしまう。ていねいに集めて雪球を造り、ぶつけあう。ウサギを作ったり犬を作ったりして遊ぶ。
 海は丘稜にさえぎられていて見えないが、そこに向かって太陽はぐんぐんと沈んでいることだろう。風のない日の海は歩いて渡れるように見える。黒い山々の一角に高く富士山がそびえている。頂は今日も雲をまとっている。
 あと少しで真っ暗になる。あっと誰かが叫んだ。

    次へ