コロナ報道はパチンコ屋を目の仇にしている。以前からパチンコ依存症なんて呼んで幼児を死なせたり税金や学校納入金を払わなかったりする両親を批判したものだが、ここぞとばかり叩いている。確かに店は三密そのものだ、タバコを吸うからマスクもしない。その上、休業しない店の名前を公開すると他県からも客が押しかけて長蛇の列になってしまう。依存症なんだからハイそうですかとあっさりやめられないのだよ。パチンコ業界は40名の国会議員を味方につけているから強いんだ。

 海から坂道を上ったところにスーパーマーケットと書店と喫茶店と鯛焼きの車、小さくともコンプレックスと呼んでもらいたいようだ。ここに立つと町が俯瞰できる。
 いっとき華やかになるのは18時から20時、バイトの女子高生に会いに来る同性異性の高校生が集まるからだ、日中は爺と婆だけ。
高校の吹奏楽部員が毎日2千円足らずを稼いでいる、ここができた時に先輩か親が頼んでそれが伝統になったのだろう、なにしろ楽器も楽譜も高価だから。バイト帰りもそろってバスに乗るので親は安心、店でも万引き防止の効果がある。
 ぼんやり高校生のころを思い出していたら、突然、景色がセピアになった、目がくらんだようだ。停車したバスは丸っこいボンネットをつけている。セーラー服に三つ編みの少女たち、白いズックのカバンを肩から斜めにかけた少年たち、行く人たちも若々しく健康そうに日焼けしている。その中の誰かが私なんだ。お前には妹がいるって、それだけで親しく接してくる奴がいたな。生とは死とはなどと盛んに議論をしたし歴史に名を残したいなどと思った。哲学書まで持っていた、未だに理解できないけれど。
目をパチパチさせて深呼吸、大きく伸びをしたら元に戻った、人は平然と歩いている。誰かに魔法をかけられた、バスはウィンカーを点滅させて走り去った。目の前の高校生たちは生々しく世俗にまみれて、少年少女という面影はなかった。

 今年は藤の花がきれいだった。棚を吊って見上げれば花も匂いも楽しめるのだが手入れが大変だそうだ。山の中腹に点在するのを遠くから見るのも悪くないよ。山桜がボウッと白く煙っている、藤がボウッと紫に煙っている、いかにも盛春の風情だ。藤、ショウブ、花壇にも青や紫の花が咲いている、この季節はどうしてこの色なのかな、いずれ虫の好みなんだろうけどね