6月1日に学校が再開した3ヶ月ぶりだ。最初は学年別に分散登校、1週間目に普通授業に戻るという、先生方は施設の換気や消毒で大変だろう。郵便配達がマスクを届けてくれた、呆れるほど小さい、通称アベノマスク。東京アラートを都知事がアピールした、なにしろ都民ファーストで選挙に勝った人だからやたらと横文字でアピールする。これが安部さんと小池さんのバトルの始まりさ。いくら喧嘩してもソーシャルディスタンスは守らなければならない、コロナなんだから。世界では1日に13万人の感染者が出ているそうだ。ただ中国と北朝鮮ではゼロと言っているから統計は不正確だ。
山沿いの小道を歩いてみた。せせらぎを背にして小さな古い家が並んでいる。そんな一軒から三味線の音が聞こえてきた。テレビかな、立ち止まってみると小唄の一節のようだ。曲が終わって窓が開きお婆さんが三味線を持ったまま外をのぞいた。目が合ったのでコンニチハと挨拶した。つい余計なひと言を、オタシナミですね。
「いえ別にどなたにお聞かせしようというのではありません、お耳障りでしたらすみません」
にこやかだったので安心した。
「こんな昼下がりに三味線の音を聞くなんて素敵です」
「それは良かった、お暇ならもう一曲つきあってくださいな、将門を弾きたかったの」
そんな所ではお聞かせできないからと部屋に招じ入れられた。和綴じの本を前にしてでバチで音をあわせる。
嵯峨や御室の花盛り 浮気な蝶も…
「昔は主人が唄って私が弾いたものです。今になって弾きたくてたまらなくなるのはきっと主人が求めているのでしょうね、もう七回忌になりますのよ」
では仏壇にお線香をと腰を浮かすとピシャリとひと言。
「それはお断り、男の方にお線香を上げていただいたら主人が妬きますよ、浮かばれなくて何か悪さをするかもしれません」
笑いあってしみじみ見ると小粋な和服姿で肌も艶々している。つっと立ってお茶と上品な菓子を出してくれた。
「これでも添いとげたことになるのでしょうね。主人は家を飛び出しましたのよ10年前に、女のこと、老いらくの恋、みっともないな。それが帰ってきたら体をこわしていて、頑固な医者嫌いでしたから得体のしれない漢方薬を飲んでいました。友人という方のところへそれをもらいにいくのが私の役目、嫌でしたね薬料も高価で。1年病んで死にました。医者にとんでもないものを飲んでいましたねと叱られました、今は禁じられている薬物だそうですよ」
もう一曲、今度は長唄にしましょうね、お手習いみたいですけど越後獅子をと楽譜を選んでいる、散歩の途中です明日また伺いますと言って辞退した。仏壇の写真に貼られている名刺は○○敏夫と書かれていたよ、玄関を出て振り返ると××という古い表札が出ていた。その時は気にもしなかったがね。
雨が降ったり雑用があったりで一週間ばかり散歩できなかった。しかし三味線の音が耳の中で鳴っている。菓子屋に寄って時節のねりきりを買って訪れた。玄関は固く閉ざされていてどうみても空き家だ。まさか隣の家の人に聞くこともできまい。
あのお婆さん、施設から逃げてきたのかもしれない、そして連れ戻された、そんな風に思ってみた。あの日は命日なのか、そういえば仏壇の花も上等のお菓子も毎日あるわけではない。三味線を弾いて供養したいので自宅に戻ったが連れ帰された、認知症なのかな、するとお婆さんの心はまだあの部屋に残っている、たまたま客になった自分にお婆さんはあの部屋で座って今でも将門を聞かせている。あの話も創ったのかもしれない。2年も看病し衰弱して死に近づいていく夫、恨みや憎しみも残っているだろう、それを冷たく見届けていたのなら怖ろしい。その薬というのもお婆さんが勝手に選んで飲ませていたのかもしれない。
その道は通らないことにした、また三味線が聞こえてきたらどうする。
しきりにホトトギスが鳴く。一週間前は早朝の空が白んでくる時に鳴いていたのだが今は日中にも鳴く。メスを求める気持ちが強まってきたのだろう。ホトトギス鳴きつるかたに後徳大寺のありあけの顔、ホトトギス自由自在に聴く郷は酒屋へ三里豆腐屋へ二里、江戸の人たちは珍重し自嘲したが、この郷では、ああ鳴いているなと誰も気にしない。だから厠なかばでも立つ必要がない、漱石先生も江戸に半身は浸っていた人だからさ。
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