政府はゴールデンウィークの外出自粛を呼びかけている。ステイホームなんて紛らわしいね、誰も家から出るなというんだよ、ホームステイは訪問大歓迎なのだけれどさ。小学校の新入生がまだ一度も学校に行っていないと嘆いている。
国民全員に10万円が支給されることになった。自治体窓口に申請すると振り込まれる。詐欺の心配、夫の口座に家族全員、口座がないものは外国人はホームレスは、懸念が色々取りざたされたが担当者は降って湧いた災難に必死の努力をしている。
海岸通りから細い道で山に向かうと古い医院がある。ペンキの剥げた洋館で壁に内科と記されている。いつもひっそりしていて人の出入りなど見たことがない、もうとっくに廃業しているのだと思っていた。
顔見知りの高齢のご婦人が挨拶した。
「こんにちは、今日は暖かですね」
いつもは会釈だけ、今日は会話になった。
「おでかけですか」
「今日は遅番なのですよ」
えっ、と思って聞いてみるとその医院の名前がでた、受付をしているそうだ。
「先生は」
「女医さんですよ、お年は召していますがお上手ですよ、私も長年お手伝いさせていただいています」
30年か40年かなと思ったよ。
午後の待合室、誰もいないソファにお婆さん先生とお婆さんの看護師と事務員が座っている。昭和の御世、平成の御世、昔はねぇという話だろう
「そういえば鈴木さんは顔を見せないね」
「あら、亡くなりましたよ」
「私の薬が効かなかったのかねぇ」
「ボケちゃって毎日何十回も飲んでいたって聞きましたよ」
「だから毎日のように来院したんだね」
「先生は親切に毎回、処方していましたね」
「忘れちゃったよ」
ガタンとドアが開いて患者が来る。
「あら、お久しぶり、お見限りね」
「先生の顔見て自分もがんばりたいからさ」
「おいくつ」
「89になっちまった」
「ここに来るのもあと少しね」
中国の閻魔様は1万5千人の部下に医者の格好をさせて日々全国に派遣している。そして目に留まる者を地獄に連れていくのだそうだ。今なら健康サプリのPRとか健康トレーナーとか健康雑誌のライター、医術評論家の姿をするだろうね。それにしても困ったよ、肉を食うな食えという、炭水化物を摂れ摂るな、塩を水をどんな物でも両論ある、結局は自己責任さ。閻魔様が笑っているよ。しばらく立ち止まっていたが魂を差し出そうとする人も受け取ろうとする人も来なかった。
「あら薬瓶が明けッぱなしよ、いつから?」
「先週だったかしら」
「警察が来たら答えられるようにしておいてね、事件になったら困るよ」
病院は昼休みに入り静かに午睡を始めた。
海はおだやかだった。水面は一つの動きもなく、低く飛ぶ鳥の群れの影を映していた。今日一日、風が吹かず雲が飛ばず波が立たなかった。
富士山の頂上は白く覆われていた。丹沢の連山、箱根の山並み、天城の峰に雪はかかっていないが、落ち葉は凍り沢は冷たいことだろう。生き物たちは身をひそめて命のぬくもりを守っていることだろう。
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