感染者が3138人、アメリカは十倍の32000人だ、誰もマスクもせず普通の生活をしているんだから当然だよ。しかしアベノマスクが届いて日本中笑ってしまった、なにしろ小さいから口を覆えば鼻が出てしまう、みっともないから閣僚さえもしなかった。しかし首相だけは意地になっていた、顔の長い鼻の高い人だから不様だったね。すぐに日本人得意の工夫改善で手作りマスクが流行り始めた。小池都知事が可愛い花柄のマスク、河野防衛相は戦闘機柄だった。
散歩道の生垣に奥まった瀟洒な家が、ただ生活感はまるでない、そのはずで昔の裕福な家は魚屋八百屋肉屋みな裏の通用口に品物を配達させていた。彼らに聞けば生活ぶりは分かるのだが口は固いだろうね。
住民は2組、当主の老人は藤椅子で一日を過ごしている。家事をする老婆と庶務をする老爺、もしかすると料理人の役割は老爺かもしれない。当主の年金と配当で生活を維持してきた。広い庭の手入れもできず建物も補修しないので骨董品になった。それは素晴らしいことだ、続々と建築される新しい家は骨董どころか廃棄物にしかならないのだから。
パソコンもスマホも知らない、古い黒電話で用をたす、アンテナが立っていないからテレビもないのだろう、みんな無口だから家中が静まり返っている。日々新しくなるのは日めくりのカレンダーだけ、お互いの名前さえ忘れているかもしれない、ただ続いていく暮らしの中にいる。当主が先か雇い人夫婦が先か、いずれにしても破綻は近く孤独死が視野に入ってくる。いつ起きてしまってもおかしくない、いや起こっているのかも知れない。この頃注文がないと地元の商店が不思議に思うだけだ、しかし彼らの口は固いからな。
当主は藤椅子で横たわり、老爺は台所で老婆は卓袱台にもたれて最期を迎えている。ほら猫の鳴き声に哀悼の響きがあるだろう。散歩を切り上げて家に帰ろう、四十九日までは死者の魂は家に残るそうだから。
空と雲は暖かそうだが風が冷たい。三寒四温というけれど今年は4寒2温くらいの感じだ。しかし南向きの風の当らない桜はすっかり咲いてしまった。負けずにタンポポやスミレ、ハコベなどが咲き始めた。スイセンは夜や早朝の暗いうちに香りを運んでくる。沈丁花が咲けば春そのものだ。山影ではカタクリも咲き始めたろう。食べられるそうだが、そういう時代もあったとしておこう。
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