三密を避けろと繰り返し報道している、密閉密集密接だ、英語では3CS、なんだ英語のパクリだったんだ、でも流行語大賞になったよ。必ずマスクをするように、我々花粉症の者は困ったね、咳とか鼻をかむときにマスクを外すと皆がにらむんだ。学校も図書館もグランドも公民館もすべて休みになり、公営の駐車場も閉鎖された。行く場所のなくなった子どもたちは路上で遊び、年寄りはベンチで日向ぼっこさ。図書館で新聞を読む日課が失われたからさ。

 元は薬屋だった古い洋館風の建物は蔦に覆われている。それがブティックになって次に手作り小物の店になって、しばらく空き家だったが今度はカフェだとさ。外から眺めるとゴタゴタ並んだ調度品がうす暗いライトに照らされている。
 もちろんマスクをして消毒液を噴霧する、たいていは消毒したふりだけなのだが妙に鋭い視線を感じてきちんと手をぬぐったよ。体温を測る、普通は何度ですと言うのに適温ですと言われた。皮下脂肪も同時に計る器具のようだ。長くサラサラの髪の毛に白と金色のメッシュがかかったスラリとした娘で茶のバックスキンのブーツで近づいてきた。マスクのすきまからはやけに野生的な目の光が魅力を発散させている。
「お席では密を避けて会話はお控えください、スマホもご遠慮願います」
 一人で入ったのだし他に客は誰もいない。
「コーヒー豆をお選びください、浅煎りですか深煎りにしますか、ブレンドもできます、水出し、ネルドリップどちらでもOKです」
 焙煎して豆を挽いて出すようだ、好きな人なら色々言うのだろう、そのくせホットともアイスとも砂糖ともミルクとも聞かない。コーヒーの匂いが立ったので覗きこむと、よく似た女性が作業している、兄弟かな親子かな。
 店に入ったとたんに妙な香りに包まれたのだがインドかどこかのお香がたかれているのだろう、さっきの娘が近づくとそれが一層強く香って眠気がわいてくる。
「カップはお好みのものをどうぞ、マグカップもあります」
「最初は香りをお楽しみください、次に口に含んで苦味と甘さを、なめるようにお飲みになってリラックスなさってくださいね」
 しかしコーヒーは不味かった。また娘がやってきた。
「いかがですか当店は、お客様に夢のようなひと時を味わっていただきたいと」
 いよいよ眠くなったが用事を思い出してしまった、急いで金を払って外に出た。ほっと息を吸った。あっいけない、眼鏡を置き忘れたことに気づいて店に戻ると奥の方から会話が聞こえてきた。
「だから年寄りなんか相手にしては駄目なんだよ、若い奴じゃないと獲物にならないんだからさ」
 年上の方が言うと若い方もうんざりしたように返事した。
「やっぱ都会でやろう、こんな所で狩りをしていても時間の無駄だよ」

 夜に雨がふった。翌朝、風が出て冷たい空気が吹き込んできた。たっぷり湿った大気はたちまち海面で温められてモヤになる。風に吹かれて海面を走って行き、砂浜を伝って森にぶつかり、なめるように上昇して山の中腹でおしあいへしあい、少しずつ固まっていく。雲の形ができると山頂を未練なくはなれて空へ飛んでいく。
 海の表面の薄い水蒸気の流れはとまることなく陸に上がっていく。
 太古に海に住むものが追われて陸にあがる。絶え間なく陸に上がるものが続いて海と陸は生き物で充たされる。やがて空にまで生き物は進出する。 そんな壮大なドラマを思った。
 
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