中国で何やら妙なことが起きているといううわさだ。武漢で感染症が流行っていて、なんでもコウモリが関わっているらしい、でも中国人がコウモリを食べても不思議はないさと平気だった。もうすぐ春節だから温泉も観光地も中国人ばっかり、騒ぎまくって爆買いする、はなはだ不愉快だと思っていた。ところが日本にも感染者がカウントされ始めたよ。武漢から帰国しようとした日本人が足止めされたりした。まだ新型肺炎と呼んでいたがね。
この辺りは戦場だった、いやそれは鎌倉時代の昔だよ。畑からは錆びた武具のかけらが今でも出てくる、雨上がりの日には白くキラキラ光る砂粒が道に浮いてくる、舎利、つまり骨らしいというんだ。
崖下に向かう道に陶芸クラブという小さな看板が出ているのは見知っていた、母屋に続く裏手に小屋があって煙突が立っている、それが陶器を焼く窯だったのさ。金のかかる趣味だよ、粘土は高価だし焼き上げるまで何時間もガスや電気を使う燃費が大変だ。土をこね心を練るなどと高尚なことを言われてもその皿や茶碗をもらうと厄介だ。色や形がすぐに鼻についてくるし何より使いづらい。割らないように倍も気を使うのは相手がなにかと口実をつけて訪ねてきて自分の作品を見に来るからさ。
煙突から青い煙が出て風に流され空に吹き散らされている、こんな日に焚き火をしたらたちまち消防車が出動するよ。門を入って窯のそばまで歩いていった、見咎められたら弟子になりたいとでも言えばいいのさ。
小屋の周りは陶器の破片に混じって白い砂が光っている、それがどうも骨っぽいのさ。
埋葬許可なしに遺骨を土に埋めると犯罪だ、観光客の来ない寺を食わせていくための救済だ。葬式はひどく金がかかるから近頃は家族葬で散骨や樹木葬が流行っている、陶芸葬というのもいいね。
まさか灰になった遺骨を混ぜ込んで茶碗や皿は作るまい仏像だったらふさわしいね。地蔵様やマリア様の小像を作って玄関に置いておけば自然だよ、故人が社交的で客好きな人なら仏壇なんかに納めてしまうよりずっと喜んで供養になるだろう。
窯の主人らしい干からびた老人が窓から顔を出した、うさんくさい目でこちらを見る。
「いいご趣味です、陶芸はやったことがありませんが人形なども作れるのですか」
相手がドキッとするかどうか凝視した。
「だいぶ難しい、素焼きの色付けなら可能ですが私はやりません」
もう少し踏み込んでみた。
「私も昔の鎌倉市長さんみたいに手びねりをやってみたいのですが」
「電子レンジで作る人もいるそうです」
奥から女の人の声が聞こえた、お客様ですかと聞いている。
「ずいぶん青い煙ですね」
ちょっと動揺したのを感じた。
「ああ釉薬の都合でね、灰とかコバルトだと青い煙になる」
「灰ですか、よく肥料には骨灰なんか使いますが」
「そんな物は陶芸には使わない」
老人が怒ったようだから、ムニャムニャとまたいずれと言って別れを告げた。老人はいつまでもこちらを見ている、不審者と通報されては困る、後ろを振り返って思い切り愛想よくお辞儀をした。老人も会釈を返してくれた。
ペットだったら問題ないな、焼いて灰にして陶器の犬や猫を作る、写真を飾るよりもずっと愛着がわくだろうからペットロスにならない。いつも頭を撫でてやれるしね。犬や猫、ハムスター、トカゲなんかの死体をクール宅急便で送り写真を同封すると、しばらくして遺灰を混ぜ込んだ可愛い人形が戻ってくる。ただ時間がかかるのは仕方ないさ、風の強い日でないと焼却できない、煙を山に吹き上げてくれないとかなり臭うからな。
これは商売になるよ、サイトを立ち上げるんだ、やってみようか。
この郷は周りを小高い丘に囲まれていている。大昔に川は窮屈そうに直角に曲がって海への出口を探し当てたようだ。冬至の太陽は真っ直ぐに富士山へ沈んでいきダイヤモンド富士になる、最初はプラチナ色に輝いていた丘の上の空はキイチゴの黄色になり、やがてあざやかな朱色、草イチゴのような赤色に変わると数をかぞえる時間で深く沈んだ赤紫になり闇が訪れる。
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